プロローグ
「…………」
日がしずみ夜の帳に包まれると東の空を眺める。それが8年間の……あの日から続けていた日課だった。
口にくわえた煙草から紫煙を吐き出し、吸殻を揉み消す。
別に愛煙家というわけではなく、『元の世界』の奴らみたいに粋がって吸い始めたわけでもない。
初めて吸ったのは彼女と別れたときだった。皆の前では気丈に振舞うために一本噴かした。
それから一人、また一人喪って逝くにつれ煙草の本数も増えて、一人残った今ではこの様だ。
今のオレを見たら彼女はどんな顔をするだろう。悲しむか哀れむか、それとも怒って引っ叩くだろうか。
「慧……」
傍にいない、星の彼方に旅立った彼女を想いだす。
あのときオレは彼女に残された人々を守ると誓った。そして、その約束を守るために8年間戦い続けた。
しかし、戦い続けても守れなかった人々はたくさんいて、それどころか苦楽を共にした最愛の仲間たちでさえ見殺しにしてしまった。
生への執着などすでに涸れて、今はただ戦うことだけが目的であり自分の全てとなっていた。
嘗ての決意をなくし、ただ流れるままに生きているオレは何のために『この世界』にいる。
それを知りたいのか、それとも彼女の面影に縋りたいだけなのか時間があると彼女のいる星が見える屋上に寄りかかっていた。
「……馬鹿馬鹿しい」
今更そんなことを考えてどうする。
彼女はもうここにはいないし、会えることもない。戦うことしか目的がないオレが何を考えようが意味はない。
思い出に縋ることで戦えるならいくらでも縋ればいい。
今のことは忘れるようともう一本咥えると、同時に屋上の扉が開かれた。
「白銀少佐。やはりこちらでしたか」
現れた人影は副官の七瀬少尉だった。いつも顔を合わせると敬礼する律儀さは今はなく、だからそれがよほど切迫した緊急事態だとすぐにわかった。
「先程、第11軍総司令部から通信が途絶しました。日本にも師団規模のBETA群が迫っています」
七瀬は顔色を変えて報告するが、それを聞いてもオレには何の感慨もわかなかった。
いつかこのときが来ると思っていたし、そのときが来ただけだ。
むしろ、不毛な戦いを続けるオレにとって最後の花火を上げるいい機会かもしれない。そう、こんな荒涼とした世界からようやく開放されるのだ。
「少佐、お急ぎください」
「わかった。すぐに向かう」
七瀬を先に発令所に向かわせ、咥えていた煙草に火を灯す。煙を肺の深くまで吸い込み、一息に全て吐き出す。それは果たすことができなかった想いのように、星空へと溶けて消えてしまった。
「…………結局、なにも守れなくてごめん。……………………さようなら、慧」
オレは何も守れなかった。何もできなかった。
だから、自分が選んだ選択の後始末はしよう。戦うことだけを選らんでしまった自分に決着をつけるために。
夜空に、彼女に背中を向けて歩き出す。
もうこうやって眺めることはないだろう。だから振り向かずに歩き出す。
誰もいなくなった屋上には吸殻と煙草が一箱残っていた。
・ ・ ・
網膜投影システムが作動し、着座情報がOSに転送され機体の主機が起動する。
今はもう逝ってしまった仲間が遺してくれた機体に命を吹き込み、第3ゲートまで進ませる。
「20706武御雷、発信する」
「HQ了解。御武運を、白銀少佐」
格納庫から出撃し単機で先行する。
立場の上では第1戦術機甲大隊指揮官と祭上げられているが、いつも単独で行動する。それに不満をもつ者もいるが、オレ単機で上げた戦果を前に誰も文句を言えない。
そもそもオレがこの若さで少佐まで昇進したのは、出自による特権でも的確な指揮能力などでもなく、単独でなしえた戦果によるものだ。わずか一個小隊でハイブ最深部に到達、生還した部隊の生き残りを遊ばせておく余裕は今の人類にはない。
「……『罠』の位置は2時にふたつと、9時にひとつか」
BETAとの距離が500を切った時、網膜投射で切り札の位置を確かめる。
いくら腕利きと持て囃されても、オレ一人の力が戦況に与える事象など微々たるものでしかない。精々、敵の撃墜率増加と指揮の鼓舞ぐらいだ。
だから一撃で戦況を変えられる『切り札』が求められる。それがどんなにリスクが高くても、破綻した戦術であってもそれを選ぶしかオレ達には生き残る方法がない。
300を切った時、遂にBETAの姿が視認できた。
戦闘を進むのは要撃級や小型級の群。どうやら突撃級は侵攻経路に敷設した地雷と支援砲撃によって、うまく殲滅できたようだ。
「20706エンゲージ・オフェンシヴ」
距離が100を切った時、三度の支援砲撃が放たれる。光線種が次々と迎撃するがそれは予定調和であり、目論見通りに装填されていたALM弾頭によって重金属雲が形成されていく。
それを確認すると今だに光線級のレーザー照射が飛び交う中、オレは躊躇わずに上空へと舞い上がる。
「フォックス2」
上空に飛び立った武御雷を狙ってレーザー照射が殺到するが、高濃度の重金属雲によってその効果は著しく減退し、装甲とその上を覆う対レーザー塗膜だけでも溶解するまでの時間を僅かなりとも稼げていた。
その僅かな時間で照射を躱し、光線種が群がるBETA群後部へと突き進む。それは針の穴を連続ですり抜けるが如き困難な機動だが一瞬の躊躇が命取りとなる。命が惜しければ前進しか道はない。
そして幾十ものレーザー照射を潜り抜け、遂に目標地点へと辿り着く。所要時間は3分。重金属雲が晴れるギリギリのタイミングで間に合った。
「20706、フォックス3」
有効射程範囲圏内に入ると同時に、両腕の突撃砲から120mmと36mmを躊躇わずに撃ち放つ。
一見すると出鱈目で乱射の如き放たれた徹甲弾はその実、正確な照準で次々と重光線級へと突き刺さり2000発ものウラン弾によって光線級は一匹の例外なく潰されていく。
再び地に足を着いた時、光線種は残らず掃討できていた。
「仕込みは終わり……後は誘導するだけか」
残弾0と表示され無用になった突撃砲を投げ捨て、両腕に長刀を構えて吶喊する。
残る敵は要撃級、小型種、そして要塞級。それら全てを相手取るには心許ない装備だが、目的はBETAを殲滅する事ではない。要撃級の首を刎ね、小型種を踏み潰し、要塞級の触手を潜り抜けて腹を割く。
武御雷の派手な機動にやがてBETAは十重二重に押し寄せてくるが、それこそが本来の狙いだった。殺到するBETAは誘導されている事にも気付かず、オレが目指す地点へと導かれていく。そして目標地点に到達したと同時にHQから回線が開いた。
『HQより20706、獲物は仕掛けに掛かった。繰り返す、仕掛けに掛かった』
「20706了解」
返信と共に全力噴射跳躍。その瞬間、先程まで武御雷が立っていた地点を中心に連鎖的な爆発が起こり、殺到していたBETAの大半を巻き込む巨大な閃光と粉塵が上がった。
7基の連鎖起爆式S‐11――それが横浜基地に残された最後の『切り札』だった。
それらを埋設した爆破地点を予め仕掛けて、誘導し爆破する。無論そこまでBETAを誘導しなければ作戦は成り立たないし、そこまで大規模な爆発ならば誘導した部隊が巻き込まれる可能性も限りなく高い。
しかし、そんな戦術に頼るしかない程人類は追い詰められていた。
限られた戦力を温存し、尚且つ戦術を成功させるためには犠牲を払う。 その矛盾を解消するために白羽の矢に選ばれたのがオレだった。
幾度の戦闘で最強を誇った207隊も残りはオレ一人となり、それ以後単独での出撃を繰り返していた。それでもオレの単独行動で得られた戦果は比類なく、変わらずに最強の衛士等と持て囃された。
そのツケがこの配置だ。
師団規模のBETAを誘導するには生半可な部隊を選ぶわけにはいかず、万が一にも作戦が失敗した時は最小の損害で戦力を温存できる――将にオレが理想の適任だった。いくら戦果が抜きん出ていても、所詮は一人。戦局に与える影響など微々たるものでしかない。
しかし、そんな人身御供紛いな配置が任されても不満はなかった。誰もが同情的な視線を向ける中、淡々と作戦の成功率を計算していたオレの姿はさぞかし異常に思えただろう。
別に高潔な自己犠牲の精神でも、追い詰められて自棄になったわけでもない。ただ命を掛ける順番が、遂に廻ってきたのだと悟っただけだ。
度重なる戦いで皮肉にも戦場が平等であることを学んだ。
戦場では誰にでも平等に生き残る機会が与えられ、一方で力が及ばない者は例外なく淘汰されていく。犠牲を最小限に抑えたければ、そのために最低限の犠牲となる者がかならず現れるのだと。
それでもオレは皆を守りたかった。オレが強くなれば仲間を守ることができる――そう信じていた。
しかし結局は誰も護れず一人だけ生き残り、そこで漸く何かを守るなら自分もまた命を掛けるのだと悟った。そしてそれからは、皆に守れたこの命を最大限に活かすために、我武者羅に戦い続けた。
そして自分の命を秤に掛けず、淡々と機械的に戦えばやがて限界が訪れる。三度目の爆発で遂に退避が間に合わず、爆風に巻き込まれて地表へと叩き付けられた。
「…………ガハッ」
倒れた拍子に今までかけていた負荷が圧しかかってきた。ディスプレイに描かれた機体の各所が加速的に赤くなっていく。とくに爆風に巻き込まれて叩きつけられた胸部は大きく陥没し、オレ自身胸部に鋭い激痛を感じていた。
状況はS‐11を用いた罠でもBETAを押し留める事は出来ず、BETAの数は次々と膨れ上がっていく。
操縦桿を何度か押すが反応なし。最早横浜基地に――オレに残された手段はない。これで試合終了だ。
『少佐、すぐに機体から緊急射出してください』
いつの間にか、七瀬は不知火で援護しながらオレに呼びかけていた。
オレほどではないにしても軍団規模にまで膨れ上がった敵となんとか戦えていた部下の姿が頼もしく、そして嬉しかった。
「無理だ。さっきの損傷で胸部が破損して射出機能がいかれてしまっている。お前こそすぐに後退して友軍と合流しろ」
『そ、そんな…………』
最後の刻だっていうのに、何故か心は先程とうって変わってひどく穏やかだ。いやもう戦えない、戦わなくていいことに安堵していた。
『そんな、そんなこと出来ません』
だっていうのに、そんな七瀬の言葉はオレをふたたび突き落とした。
「お前……なにを」
『少佐を置いて逃げるなんてできません。少佐は私に色々教えてくれました。絶望しか残っていない私たちに希望をくれました。そんな少佐を置いていくなんて、誰にもできません』
「な…………」
七瀬の言葉に驚愕する。
……オレはそんな風に皆から思われていた
……いつの間にか、みんなを支えていた。
……諦めてしまった自分が皆に希望を与えていた。
オレは戦うことだけが目的になってしまったのに、そんなオレに残された人類は希望を託していたなんて。
もう、なにも背負いたくなかったのに、いつの間にかそんな重いものを背負っていたのか。
「ば、馬鹿なことを言ってないで早く逃げろ」
『出来ません。出来ません』
オレはそうじゃない。
そんな立派な人間じゃない。
そんなオレを守るためにお前が命を賭けることはない
なのに、七瀬は泣きながら戦い続けた。それだけではない。いつの間にかオレの周りには第1戦術機甲大隊が―――横浜基地に残った全ての戦術機が展開していた。
「お前等、何をしている?後退して基地を防衛しろ」
『申し訳ありませんが、その御命令に従えません』
『これは基地司令の御命令です』
『少佐は今いる全ての人類の希望なんです』
『少佐がいれば希望が残る、そう信じられるからこそ我々はここで戦えます』
『我等第1機甲、白銀武少佐の部下である以上に貴方と共に在ることを願います』
『少佐、少佐ああああ……………………』
オレを守るために次々と撃墜されていく。それはあの時――アイツ等を喪ったときと同じ状況だった。
「やめろ……やめろ、お前等ああああああああ」
叩きつけるように、壊すように操縦桿を振るう。
ここで立たなくてはアイツ等は死んでしまう。人類が本当に滅んでしまう。
あんなのはもう嫌だ。仲間を失うのはもう嫌だ。なにも守れないのはたくさんだ。
―――――なのに
「なんで動かねぇんだよー―――!!」
その時、最後の一機が…………七瀬の不知火が崩れ落ちた。
『し、少佐……ご無事で……』
そう言った直後、突撃級に踏み潰される。
それが彼女の最後の言葉となった。
「ちくしょー――――――――――――――――」
目の前に要撃級が迫る。しかし、そんなものすでに眼中になかった。
憎かった。
――目の前の敵が
――必死で足掻く人類を理不尽に滅ぼそうとするBETAが
――なにも守れなかった自分自身の無力が
「くっ………ああ、くうう。ごめん、本当にごめん。…………慧」
涙が止まらなかった。オレのために仲間を喪ってしまったことが恐ろしかった。
唯一救えた、救えたと信じていた女に傍に詫びる。それさえも、もはや自己欺瞞に過ぎないとしか思えなかった。
その時――――
――――――お父さん、がんばって
そんな声が聞こえた気がした。
聞き覚えのない、オレにとってなにも縁のないはずの声が…………とても愛しかった。
「なってやる………大切な人を護れる『正義の味方』になってやる」
無力なオレが憎い。仲間を守れなかったオレが憎い。大切な人を自分の手で護れなかったオレが憎い。
だから、だから力が欲しかった。大切なものを本当に護れる力が欲しかった。
叶わなくても願った。
自分の最後なんて関係ない。
慧を、この声を自分自身の手で取り戻したかった。
そんな叶わぬ望みを願った時、
『それでこそ、かっこいいタケルちゃんだ』
誰かの―――とても懐かしい誰かの声が聞こえた。
そして、いつの間にかその誰かに抱かれていた。
オレは知っている。この声を、この温もりを
これは…………
「す、純夏?」
今はいない、『この世界』にいないはずの少女の存在がたしかにあった。
『タケルちゃんの気持ちわかったから。本当にわかったから』
「純夏、なんでお前が…………」
『ごめん、ごめんねタケルちゃん。私の我がままのせいでいっぱい辛い目に合わせて』
「お前、なにを…………」
『だから、今度はあげるから。タケルちゃんが本当に欲しいものをあげるから』
その時、機体に強い衝撃を受けた。ノイズ混じりのディスプレイに腕を振り上げる要撃級の姿が映る。
『大丈夫、大丈夫だよ』
目の前の危機と対象に純夏の温もりがより強く感じた。そして、オレの周りを強い光が包んでいく。
『それじゃ、タケルちゃん。またね』
「スミ…………」
そして、オレの意識は光に包まれて消えた。