フィアッセは今、必死に不安と戦っていた。
自分の歌う番が刻々と近づいているから……ではない。
どこか、言い知れない胸騒ぎを感じるのだ。思い出すのは、自分を庇って士郎が重傷を負った忌まわしい記憶。
テロが起きる前に来た、胸騒ぎと酷似している嫌な感覚。
それを今、フィアッセは唐突に感じていた。
目をギュッと瞑り、拳を握って胸に押しつける。そうして、この得体の知れない不安と戦っていた。
「フィアッセ?」
「え……」
「どうしたの?」
「……あ…ううん。何でもないよ、ママ。」
ティオレが、そんなフィアッセを心配して傍に寄ってくる。
そんなティオレに、フィアッセは首を振って応える。
大舞台で緊張しているから、こんな事を考えてしまうのだ。必死にそう思い込もうとした。
次は、自分と母の合唱。
親子二人、共通の夢が叶う瞬間。
だが、そうしている間にも…良くない予感はますます強くなっていく。なまじ過去に同じような経験があるため、気の所為にできなかった。フィアッセは、遂に不安を押し殺しきれなくなって、思わずポツリと呟いてしまいそうになる。
しかし、フィアッセは耐えた。
凌によくないことが起こってるような気はしている。けれど、それが戦いのことならば…たとえ自分が凌のところに行っても役に立てないであろう事を知っている。それこそ、もしも自分がノコノコと出て行けば、凌を危険に陥れるだけだ。
だから、耐えた。
必死に、思い留まった。
凌のことを信じよう。そう、不安がる心に言い聞かせる。
自分にできることを精一杯やろう。
多分それが、今の私にできる最善だから。と、フィアッセは決意を固める。
《続きまして、『光の歌姫』フィアッセ・クリステラと、『世紀の歌姫』ティオレ・クリステラによる、幻の共演。どうぞ、お聞きください。》
ティーニャの歌が終わり、いよいよ出番がやってくる。
先程までの不安そうな顔は、完全になくなり…前をキチンと見据え、堂々と舞台へ歩いて行った。
第37話「守りたいもの」後編
美沙斗は、呆然とした様子で仰向けに倒れていた。
恭也は、美沙斗に近づいていく。
『閃』
力も速さも超えた御神流の境地に辿り着いた者が会得できる太刀筋。
美沙斗を破るため、必死に習得しようとした技が出た。
何故、今になって『閃』を放つことができたのか…それは、当の本人である恭也ですらわからなかった。
だが、美沙斗との死闘、そして…自らが剣を振るう理由を見つけたことで、恭也はその境地に踏み込んだのかもしれなかった。
「何故……」
「………?」
「何故、私を殺さない?」
峰打ちで放った『閃』は、美沙斗の肋骨を数本叩き折ったものの、殺すには至らなかった。
「……俺も、家族は殺したくないです。」
「…………」
「美由希に、会ってやってくれませんか?」
「………私に、そんな資格は……」
「大丈夫です。あいつは優しい奴だから、きっと…全部知っても、許してくれます。」
恭也は、そう言って微笑んだ。
それは…美沙斗に見せる、初めての心からの笑みだった。
「やれやれ……」
そんな2人の姿を、遠くで眺める男がいた。
男は、手に持っていた小さな双眼鏡を仕舞い、入れ替わりにズボンのポケットから小さなカードのようなリモコンを取り出した。
「……『人喰い鴉』も使えねーな。……所詮はジャパニーズか。」
(凌side.)
「づっ!はっ、はっ……はっ…はっ。」
尋常でない痛みが身体を貫く。
今まで喰らった攻撃の傷と、落下の衝撃で痛みが増す。
けど、その痛みに懸命に堪え…無理矢理にでも立ち上がろうとした。
だけど………
ガクッ
ガクリと膝が折れ、地に膝がつく。
力が抜ける。
ガアァァァァアアア!!!
吼えながら、アンノウンが階段を駆け降りてくるのが見えた。
アンノウンは、俺の姿をその目に捉えると、思い切り階段を蹴って跳躍し…飛び掛かって来た。
絶体絶命。
そんな言葉が頭を過ぎる。
次の攻撃をまともに喰らえば、おそらく俺は立ち上がれないだろう。そんな予感が、確かにあった。
迫り来るアンノウン。
もうダメだ…そう思った。
「………♪‥♪……♪…♪……♪…………♪」
だけど、その刹那……歌が聞こえた。
AGITΩになって聴覚がある程度鋭敏になっている耳に、ハッキリと。
「……♪‥…♪………♪…♪…………♪………」
それは、フィアッセさんとティオレさん…2人の歌声だった。
俺が守りたいと思った2人の夢。
それが、今まさに実現している。
心に響いてくる、間違いなく最高の歌。
心が奮える。
折れかけた心が救われる。
さっき、俺は何を思った?
もうダメだ?…違う。まだやれる。
まだ、戦える。そう、戦える筈だ。
俺は、この2人の夢を守るために…この人たちの命を守るために戦ってるんだから。
負けられないのだ。
2人の夢は、今叶っている最中。だったら、それを最後まで守り通さなきゃならない。
ここで俺が挫ければ、あの2人も…スクールの人たちも、危険に晒す。そんなことが許されるのか?
答えは否。断じて否だ!
絶対に守り通すと心に決めた。
だったら、俺はそれを貫き通すだけだ!
「ハァァァァッ!!」
静かにストームハルバードを構える。
腰を落とし、切先をアンノウンへと向ける。
そして、精神を集中させる。
体はボロボロ。
恐らく放てるのは一撃だけ。
だからこそ、狙うは一撃必殺。
その一撃に、己が全てを籠めて迎え撃つ。
フィアッセさんとティオレさんの歌が、力をくれる。
自然と、ストームハルバードを持つ手に力が籠る。
ガァァアアアアアアアアア!!!!
牙で俺を噛み殺そうと雄叫びを上げて突っ込んでくるアンノウン。
俺は、最大まで力を溜めた右腕を、一気に前へと突き出した。
(凌side.END)
『龍』
かつて御神とその分家、不破の一族を爆弾テロで壊滅させた非合法テロ組織。
美沙斗の人生に暗い影を落とさせた元凶。
中国では警察ですら、そいつらを恐れて手を出せないほど大きな勢力。
唯一、その組織を追い詰めようとしている所といえば、それこそ香港国際警防部隊位のものだろう。
そんな組織を相手に、士郎はたった一人で大立ち回りを演じていた。
一族を殺された恨み、妹である美沙斗から幸せを奪った恨み。
それを力に変えながら、士郎は『龍』の構成員を片っ端から倒していった。
舞台までの道を、士郎は守りきり…左側通路には気絶した男たちの肉体が転がっていた。
しかし今、そこに士郎の姿はない。
何故なら………
「へへっ、コンサートはもう終わりだが、ここで全員始末しておけば問題ない。おい、設置出来たか!」
「あぁ、バッチリだ。『人喰い鴉』が負けたって連絡があったからな。念のために持って来といて良かったぜ。」
「一個だけだが、威力は保証付きだ。天井が崩れて、下にいる女どもは間違いなく死ぬ。」
「ほぅ、それはいい事を聞いた。なら…その爆弾を処理すれば、お前らの目論見は完全に潰れることになるな。」
士郎は今、悪巧みをしている黒服の男たちの背後に立っているからである。
「なっ!」
「てめぇ!何でここに!仲間はどうした!?」
驚き、居るはずのない男がここに居る事に恐怖する。
「お仲間は今頃ぐっすり夢の中だ。まぁ、夢は夢でも悪夢の方だろうがな。」
士郎は静かに刀を抜き放ち、男たちに向かって構える。
殺気の籠った鋭い眼光が自分たちに向けられ、男たちは堪らず萎縮する。
「は、はは…俺の手にはコイツの起爆スイッチが有るんだ。一歩でもそこから動いてみろ…その瞬間にコイツを押してやる!」
男は、乾いた笑い声をあげながら…ジリジリと後ろに下がりつつ、手に持ったリモコンを強調して士郎に見せる。
士郎は、それを見て…ハァ、と溜息を吐いた。
「仕方ない。気は進まないが…自業自得と思って諦めてもらおうか……ッ!」
「はっ!何言っ……て………」
ザンッ!
男が言い切るより早く、鈍い銀色の光が走る。
ザシュ!
……ドサッ
「な……な…!?」
「う、腕が……!」
リモコンを持っていた腕が地面に落ちる。
士郎は、男の腕を切り落としたのだ。
「あ、あぁああああああ!!て、てめぇぇぇぇ!!!」
薬を使っているのか、痛がる様子はない。寧ろ…腕を切り落とされたと言う事実に激昂し、男は全身に殺意を漲らせた。
懐から銃を取り出し、そして………
「お前らには借りもあるし恨みもある。悪いが、容赦なんて出来ん。」
『徹』を籠めた峰打ちを袈裟懸けに放つ。
『龍』の連中など、ホントは殺してやりたかったが、その感情を押し殺して…あくまでも峰での攻撃に徹した。
「…グゥッ!?」
呻き声を上げ、気絶する男。峰打ちの衝撃がダイレクトに体内へと伝わる。そして、男は倒れた。
「チィ!!!」
残ったもう一人の男が、手に持った銃で士郎を撃つ。
だがその銃弾は、掠りもせずに正面の壁へと撃ち込まれた。
そして、次の瞬間…男の意識はあっけなく途絶えた。
『神速』の使用によって一気に接近し、『徹』を籠めた峰打ちで頭部に一撃。ハッキリ言って死んでもおかしくない攻撃である。
「悪いね。桃子と傷は負わないって約束をしていてな、手加減なんかしてやれないんだ。二度も俺の所為であいつを泣かせるわけにはいかないんでな。」
そう呟き、爆弾を思い切り空へ放り投げる。
そして、ホテルから充分離れたところで……
ドォォオン!!
男の腕と共に床に落ちていた起爆スイッチを押し、空中で爆発させた。
こうして、『龍』による襲撃は幕を閉じた。残す障害はアンノウンだけ。
そして、その決着も…もう間近に迫っていた。
ガ、ガルァァァアァァァ!!
大口を開けて突っ込んできたアンノウンの口に、ストームハルバードを突き刺す。
ここに来て、リーチの差が生きてきた。
アンノウンの牙がAGITΩの身に届く前に、ストームハルバードはアンノウンへと届き、その身を貫く。
それでも絶命しないアンノウン。
そのしぶとさには、凌も内心で舌を巻く。
だが、長く辛い戦いも、もう終わり。
ゴオッ!!
ストームハルバードの刀身……
そこから、風が放たれた。
ゴオオオオオォッ!!
それは、まさに荒れ狂う暴風だった。
解き放たれた風の刃は、アンノウンの体内を暴れ回り、その体を完膚なきまでに引き裂いた。
ガァァァァァァァァァァァァァ!!!???
断末魔の叫び。
アンノウンは最後の最後まで、AGITΩに牙を…爪を突き立てようとして、藻がいていた。
そして……爆発。
アンノウンは、その頭上に天使の輪のような光を浮かべ…爆発と共に、完全に絶命した。
それと同時に、AGITΩも…本当の限界を迎え、前のめりに倒れ込んで意識を落とした。
一方、恭也と美沙斗は…黒服の男がこちらを見ているとは露知らず、恭也は美沙斗の肩を担ぎ、ゆっくりとビルを下りていた。
「ふぅ……任務失敗…か。もう情報は手に入らない……さて、この後はどうしたものかな。」
自嘲気味にそう言う。
「相手がテロ組織なら、正当に叩く方法だってあるでしょう。」
「……恐らくは、な。中国じゃ警察でも恐れて手を出さないような連中だが、きっとやる方法はある。」
「なら、それで。もう…俺はあなたとは戦いたくないですよ。」
「私もだ……『閃』の遣い手とはやれないよ。」
くつくつと、美沙斗は声を押し殺して笑った。
肋骨が痛んだが、それでも…美沙斗は笑った。
そんな時だ……
ドゴッ……
突然、大きな音がした。
最初は一つだけだったそれは、次第に連続して起こった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ………!!
「なっ!」
「地震、じゃない…!これは発破だ……くそっ!!」
美沙斗はよろめきながら窓の外を見た。
黒い服を着た男が一人、その目に見えた。男の手にはリモコンが握られている。
「しまった……口封じのつもりか!!」
恭也達がいるのは10階。飛び降りるのは不可能だ。
爆破の影響でミシミシと壁に亀裂が走り、瓦礫が崩れ落ちてくる。
「……くっ、恭也くん…鋼糸は……!?」
「5mと7mの物が2本ずつあります…」
「ギリギリか…厳しいな。それだと、二人分の重量は支えきれない。」
美沙斗の持っている鋼糸は殺傷能力に特化した物で、通称0番(0.05mm)と呼ばれる鋼糸の中で尤も細いものであるため、役に立たない。
恭也の持っている5番(0.3mm)と7番(0.4mm)の鋼糸でも、2人分の体重を支えるのは不可能だ。
外壁を伝って降りることは出来ない。
「…………」
「…………」
他に打つ手はないかと、考えこむ2人。
そんな2人の下へ、思いもよらない人物がやって来た。
「……恭ちゃん!」
「なっ!……美由希か?」
それは、士郎に事情を聞いて駆けつけた美由希だった。
美由希は、あちこちに傷を負ってはいるものの、無事な兄の姿に安堵する。
「美由希、お前…どうして……」
「話は後でするから、まずはこのビルから出よう?」
「あぁ、分かった。」
「恭ちゃん、走れる?」
「ビルを出るまでくらいならな。だが………」
そう言って、恭也は美沙斗の方を見る。
美沙斗は『閃』のダメージが大きく、走ることができなかった。
「だったら、その人は私がおぶって降りる。」
「大丈夫か?」
「うん。恭ちゃんは先に行って、道が崩れてないか見てきて?」
「………あぁ、崩れてたら斬って通れるようにしておこう。」
恭也は、一足先に階段を降りていった。
そして、美沙斗と美由希が残される。
「じゃあ、乗って?かーさん。」
「……!美由希………」
信じられないようなものを見たという表情で、呆然とする美沙斗。
もう、そう呼ばれる事はないと思っていた。
「正直、言いたい事…いっぱいあるけど……今は、そんな事どうでもいい。」
「こんな私を…母親だと、認めてくれるの?」
涙が頬を伝う。
「当たり前…だよ。あなたは私のかーさんで、私は…あなたの娘なんだから……。」
「…………」
声は出なかった。
ただただ嗚咽が漏れないように、口を両手で塞いだ。
「早く、かーさん。」
「あぁ。…あぁ……」
涙を流しながら頷き、美由希の背に乗る。
そのまま階段を駆け下り、一気にビルから抜け出す。
美由希達がビルを出るのに、そう時間はかからなかった。
「さて、次は私とソングスクール卒業生たちによる合唱。アルマ・ライナ『天空の回廊』第2楽章です。」
ティオレとフィアッセによる合唱が終わり、舞台はいよいよ終盤。
それぞれが、自分の気持ちを歌に籠める。
長かったコンサートが終わる。
「凌…!凌……!」
「う、うぅ……」
声が聞こえる。
女性の声が凌の覚醒を促す。
「凌!」
「……はっ。」
途切れた意識が再び繋がる。
意識を取り戻した凌が最初に見たのは、リニスの顔だった。
手を魔力光の紫色に輝かせ、凌の傷を癒している。
「凌…良かった……」
目を開けた凌に安堵するリニス。
凌は体を起こし、キョロキョロと周りを見る。
物音ひとつ聞こえない。
そして気付く。周囲に結界が張ってある事に……
「この結界…リニスが……?」
「はい。……けど、すいません。席を立とうとしたら桃子さんや皆さんに「多分こんなの一生に一度見れるかどうかなんだから見なきゃ損よ!」と言われて、中々抜け出せず……結局、こんな事くらいしか出来ませんでした。」
「あー、そうだったのか。」
リニスは、それでも何とか理由をつけてその場を抜け出し、こうしてここまで駆けつけたのだ。
まぁ、着いた時にはAGITΩになって戦っていた凌が、体中に傷を負いながらもアンノウンに打ち勝ったその瞬間だった為、結界を張るくらいしかすることがなかった訳だが。
「もう、余裕とか全然なくてさ……アンノウン倒すことだけ考えてたから、アンノウンが爆発した時の被害なんて全然考えてなかった…だから、ありがとな…リニス。助かったよ。」
「すいません。そう言って頂けるとありがたいです。」
そう言って、互いに少しばかり微笑む。
そして、凌は一番気になっていたことを聞いた。
「……ところで、コンサートは?」
「はい。……無事成功です。もうすぐ終わる頃だと思いますけど………」
「そっか…なら、良かった。」
ふぅ、と息を吐き…安心する凌。
「さ、安心できたならもう一度寝て下さい?まだ傷が全部治りきってないんですから。」
「え?いや、ここまで治ってたら動けるぞ?」
「痛みもありますし、手の甲とか見える場所にある傷はどうするんですか……フィアッセに心配かけたいのならそれでも良いですけど?」
「うぐぅ……」
流石にそう言われては反対できない凌。怪我していることをフィアッセが知れば、確実に心配するであろうことが容易に想像出来るだけに、断れなかった。
「ほら、頭をここに乗せて寝転がって下さい。」
「いや、ここって言われても……お前の膝なんだけど…?」
「?えぇ、そうですけど……」
ポムポムと自分の膝を叩きながら、頭をそこに載せろと要求してくるリニス。
彼女が言っているのは、俗に言う膝枕であった。
「…恥ずかしいから床でいい。」
「何をバカなことを言ってるんですか。主人を硬い床にそのまま寝かせ、治療する従者がどこに居るんですか……!それに、結界張ってるんだから他には誰も入ってこないんですよ?何が恥ずかしいんですか。」
「別に他人からの視線が恥ずかしいとかじゃなくて、そういう行為が……何か気恥ずかしいって言ってるんだよ。」
「どこがですか!大体、さっきまでもそうやって治癒魔法掛けてたんですから一緒でしょう。」
「なん……だと……」
アンノウンを倒し、『龍』の襲撃も止んだ今…2人の緊張の糸は完全に切れていた。
さっきまでの真剣な顔はそこには無く、ただただフィアッセたちを守りきれたと言う満足感と、安心感で顔に笑顔を浮かべる顔があった。
このくだらない戦いは、どうやらもう少しの間続きそうである。
「また、借りができたな。」
ビルから無事に脱出し、ほんの数分だけ…無言で恭也や美由希たちと休んでいた美沙斗は、徐にそう言って、立ち上がった。
「恭也くん…美由希を、頼む。」
「かーさん……」
「…続けるんですか……?」
「今更、急には…止まれないよ。だけど、少し……やり方を変える。」
そう言って、2人に背中を向ける。
「…自分に胸を張れるようになったら……また、会いに来る。」
月の光が淡く照らす森の中へと、歩いていく。
「あの親子にも、君の友達にも…すまなかったと……」
「…伝えます。」
美沙斗の姿が、影で見え辛くなっていく。
「…落ち着いたら……兄さんも交えて、酒でも飲もう。謝ったり…話をしたりするのは、その時まで待ってくれ……。兄さんと、桃子さんに、よろしく。」
背中でそう微笑んで、美沙斗さんは去って行った。
「ねぇ、恭ちゃん……」
「私…美沙斗かーさんと、静馬とーさんの事……誤解してた。」
「とーさんに、聞いたのか?」
「うん。政略結婚で結ばれて、お互いのことなんて別に愛し合ってなかったんだって思ってた。」
「……そうか。」
「2人が相思相愛だったんだって、とーさんから聞いたときは…半信半疑だったけど。でも……美沙斗かーさんに会ったら、何でか分からないけど…本当なんだって思えた。」
「あの人は、本当に優しい人で…静馬さんも、お前のことも、大好きだったからな……」
「………そっか。今度あったら、静馬とーさんとの話…いっぱい聞こうかな。
「あぁ、それがいい。」
互いに、立ち上がる。
崩れたビルの残骸をしばし眺めた後、2人はどちらともなくホテルへ向かって足を向けた。
「…じゃあ、ホテルに戻ろっ?とーさん、きっと心配してるよ?」
「俺はそれよりも藤見の方が気になるけどな…怪我してないといいんだが……」
既に瓦礫の山と化した廃ビルを背に、2人は歩いていく。
胸を張って、大切な人達に会うために……
雑木林からビルが完全に崩壊したのを見届けて…黒服の男は胸のポケットから手帳を取り出した。
ついさっき、リモコンのボタン一つで…恭也と美沙斗を亡き者にしようとした張本人であった。
「…ち……しくじったか。……だが、まぁいい…どうとでもなる………」
「……ならないよ。」
男が振り返る。
そこに、闇がいた。
「…よくもまぁ……舐めた真似をしてくれたものだな。……まさか、敵の掌中で完全に踊っていたとは思わなかった。」
「ひ……っっ!?」
短く悲鳴を上げる男。
手帳を持った男の左手には、『龍』の構成員である事を示す蜷局を巻いて天翔する龍の刺青。
「貴様自身が『龍』とはな……。だが、まぁいいさ……今日からは、少しやり方を変える。」
「ま、待てっ!」
手帳を取り落とし、静止を掛けようと手を前へ突き出す男。
「その義理はないな。……多少心変わりはしたが、貴様らのような連中を許して置けないのは…相変わらずだ。」
「ひっ……おい、待て…俺を殺したら……」
恐怖に顔を引き攣らせ、無様に後退る。
「…………理不尽な暴力と破壊。…テロリズム。」
「お、おいっ!」
「…『正義』では…なくていい………」
「お……おい!知りたくないのか?あんたの家族を殺したのは…」
この期に及んで、まだそんな事を宣う哀れな男。
「だが、真っ当な力と技で…貴様らを潰す。もう、裏はやめだ。……たとえ何年かかろうと、必ず潰してやる!…一人残らずだ!」
小太刀二刀御神流 正統奥義 『鳴神』
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!!!」
ドンッという衝撃が走る。
…一瞬の間の後、男は腹と口から血を流し…断末魔の叫びを上げ……死んだ。
「でないと、一人娘に…叱られるんでな。」
物言わぬ屍にそう言って、美沙斗は…また闇の中へと消えていった。
こうして、世界に名を轟かせる歌姫たちの…コンサートは無事に幕を閉じた。
世界的に有名なテロ組織から、人間を遥かに超えたアンノウンから、コンサートを守りきり…一人の死者も出すことなく。
長い一日が、漸く終わった。
そして、凌は………………
(凌side.)
7月26日。
夜が明け、平和な日常が戻ってきた。
チャリティコンサートの海鳴公演が終わり、今日の昼には飛行機で東京に発つそうだ。
俺はと言えば、アンノウンの攻撃で負った傷も…リニスの魔法ですっかり癒え、今は…………
「ふん♪…ふん♪……ふ~ん♪」
何故か物凄く機嫌の良いフィアッセさんと一緒に…空港近くの原っぱで一緒にのんびりと過ごしていた。
「それにしても、エンジントラブルなんて災難でしたね。」
東京に発つフィアッセさんの見送りに、コンサートに招かれた全員で…コンサートの成功と無事を祈って送り出したのだが……何でもエンジントラブルがあったらしく、機体点検を行うようになってしまったらしい。
まるで漫画みたいな展開だと思った俺は悪くないと思う。
ちなみに、ティオレさんは士郎さんと桃子さんと、高町と美由希ちゃんはアイリーンさんやスクールの人たちと、月村と那美ちゃんはゆうひさんと一緒にどこかへ行ってしまった。
「そうだねー。でも、私は少し嬉しいかな♪」
「嬉しい…ですか?」
「うん、少し…リョウとお話したかったから。」
「あー、まぁ…昨日は結局、話す余裕なんかなくて…そのままコンサートが終わって別れちゃいましたからね。」
「そう、それが残念だなって思ってたの。」
少しはにかんだように微笑んで、フィアッセさんはそう言った。
「ねぇ、リョウ……これから暫くの間、会えなくなるけど…私のこと忘れちゃ嫌だよ?」
「ぷっ、忘れませんって。フィアッセさんの方こそ…俺のこと忘れないでくださいよ?」
「うん、忘れないよ。リョウは私に、たくさん素敵な思い出をくれた人だから。……それに、この子も貰ったし。」
そう言って、フィアッセさんが膝から持ち上げたのは白いウサギのヌイグルミ。
渡すタイミングを逃し続け、今日やっと渡せた文化祭でとったフィアッセさんへのプレゼント。
「この子をリョウだと思って、私…これからのツアーも頑張っていくよ!」
「?何で俺だと思うんです?」
「あ、やっぱりそう言うのは分からないんだね。」
どこか諦めたようにそう言って、苦笑するフィアッセさん。
むぅ、俺があげたヌイグルミだから俺だと思うようにするんだろうか……よく分からないなぁ。
「いいよ、分からないなら。その代わり、一つだけ我儘を聞いてもらっていい?」
「へ?はぁ、まぁ俺ができることなら。」
どうやらさっきの言葉の意味は分からなくても良いらしい。
本命はこっちだったのだろうか。フィアッセさんの事だから無茶なお願いじゃないと思うけど…何だろう。
俺はフィアッセさんが次に口を開くのを待った。
「目を…閉じて欲しいの。」
「目を……?え、ホントにそれだけですか?」
「うん、もうすぐ機体点検も終わるし、行かなきゃならないから……」
ぶっちゃけ目を瞑るという行為にどんな意図があるのか図りかねたが、フィアッセさんの言葉に従い…目を閉じる。
視界が黒く染まり、何も見えなくなる。
そして、次の瞬間…頬に、何か柔らかい感触が触れた。
一瞬、何が起きたか分からなかった。
俺は目を開き、その感触があった方へ振り向く。すると、そこには顔を真っ赤にしてどこか嬉しそうに唇を押さえるフィアッセさんの顔があった。
「あ、あの……フィ…」
「じゃ、じゃあね…リョウ!」
そう言って、フィアッセさんは走り去っていってしまった。
残された俺は呆然と、その場に立ち尽くしていた。
結局、俺がその場から動けるようになったのは…フィアッセさんの故郷だと頬にキスなんて挨拶と同じ意味しかないんじゃないか?と言う事に気がついた時だった。
(おまけ)もしかしたらあり得た別の展開。
迫り来るアンノウン。
もうダメだ…そう思った。
「………♪‥♪……♪…♪……♪…………♪」
だけど、その刹那……歌が聞こえた。
AGITΩになって聴覚がある程度鋭敏になっている耳に、ハッキリと。
「……♪‥…♪………♪…♪…………♪………」
それは、フィアッセさんとティオレさん…2人の歌声だった。
俺が守りたいと思った2人の夢。
それが、今まさに実現している。
心に響いてくる、間違いなく最高の歌。
心が奮える。
折れかけた心が救われる。
さっき、俺は何を思った?
もうダメだ?…違う。まだやれる。
まだ、戦える。そう、戦える筈だ。
俺は、この2人の夢を守るために…この人たちの命を守るために戦ってるんだから。
負けられないのだ。
2人の夢は、今叶っている最中。だったら、それを最後まで守り通さなきゃならない。
ここで俺が挫ければ、あの2人も…スクールの人たちも、危険に晒す。そんなことが許されるのか?
答えは否。断じて否だ!
絶対に守り通すと心に決めた。
だったら、俺はそれを貫き通すだけだ!
(凌side.END)
その時、AGITΩの身体に変化が訪れた。
ベルトから眩い光が放たれ、辺り一帯を覆い尽くしたのだ。
やがて、光が治まると…そこに立っていたAGITΩの姿が、今まで誰も知らない姿に変わっていたのだ。
青かった装甲は黒に染まり、背中には二対の漆黒の翼。
今ここに、誰も見たことのないAGITΩ。
ルシファーフォームが、降臨した。
後書き
えー、微妙になってしまった感が否めませんが、これにてフィアッセ編完結です。次からは那美編に突入ですね。
今回AGITΩが放った技は、Fateのセイバーが使う『風王鉄槌』を参考にしていただければ分かりやすいかと思います。ストームは風の力を宿してるのでこういう技もいけるんじゃないかなと考えたオリジナル技です。
後、小太刀二刀御神流正統奥義『鳴神』について描写がないのは仕様です。原作にも無かったので……すいません。
これで漸く『とらハ編』1/3かぁ…先は長いなぁ……