5日間。
それが、御神美沙斗がコンサートの中止を申し入れてから、コンサートが開催されるまでの残りの時間であった。
たった5日、その短い期間を…恭也は御神流の奥義之極み『閃』の修得に費やした。
寝食以外の全てを、ただそれだけに費やしたと言っても過言ではない。それ程までに過酷な鍛錬だった。極限まで集中力を高め、美沙斗に勝つために…ソングスクールのみんなを、ティオレやフィアッセの夢を守るため、恭也はひたすらに剣を振った。
一方、凌もまた…コンサートに備えて対策を練っていた。
士郎や恭也と違い、実戦経験なんて積んでいない。春先にAGITΩとして覚醒し、今に至るまでアンノウンと戦い続けてきた凌ではあったが、人間相手に戦うのはこれが初めてと言っていい。
経験のない凌がフィアッセたちを守り切るにはどうすればいいか。それは、すごく単純で、簡単なことだった。
経験の差を引っ繰り返すようなナニカを用いればいい。
凌はリニスに事情を話し、それをモノにする為に5日を費やした。
そして迎える、コンサートの開催日。
それぞれの決意を胸に、それぞれの目的のための戦いが、始まろうとしていた。
第37話「守りたいもの」前編
その晩、海鳴市は嘗てないほど活気に溢れてかえっていた。
世界的歌姫たちが一堂に介して歌うコンサートツアー、その記念すべき第一回。
地方都市である海鳴市では、10年に一度有るか無いかの大イベントであった。
大勢の客が他県からも集まってくる。ホテルの地下にあるコンサートホールにて、大勢の人々が…今か今かとその歴史的瞬間を待ち望んでいた。
そのホテル・ベイシティ近辺の賑わいから、少し離れたとある場所。…全20階の廃ビルの、地上17階。……そこで、恭也は二刀を携えて立っていた。
恭也の眼前には、同じように二刀を携えた美沙斗がいる。
「……来たか…」
「………………」
……沈黙を破ったのは美沙斗だった。
「ちょうど、今出ようかと思っていたところだ。」
「……やはり、止まりませんか。」
答えが分かっていても、尋ねずにはいられなかった。
一縷の望みを懸けて、恭也は美沙斗にそう言った。
「あの時、私は言った筈だ……」
「………」
「鯉口を切るということが何を意味するのか…。それを覚えているのなら、私の前で…いや、もう二度と鯉口を切るな。死ぬことになるぞ。」
「…………」
「君が死ねば、悲しむ人がいるだろう。できれば、要らぬ人間まで斬りたくはない。」
目だけを伏せて、美沙斗は言う。
「…俺を斬らず……」
「………?」
「これから斬りに行くのは、フィアッセとティオレさんですか?」
「………」
答えは返ってこなかった。
だが、その沈黙が…何より肯定を意味していた。
美沙斗の顔は、ホテル周辺からの逆光で見えなかった。
「せめて私に残った最後のプライドさ。……殺すのは、最低限がいい。」
「フィアッセも、ティオレさんも、俺の大切な人です。あなたも剣士なら…剣士として鍛えられたのなら……分かるでしょう。俺は引けない、引く訳にはいかない。」
そんな恭也の言葉に、美沙斗は嘲笑した。
恭也を…ではない。恭也を嘲笑するように見ながら、美沙斗は自分を嘲笑した。
「……剣なんて、所詮は時代遅れの武器だ。例えば、爆弾なんかとは勝負にもならない。」
爆弾……それ一つで、美沙斗は…愛する夫も、家族も亡くしている。
時代が既に剣士のものでない事は、その事実が充分すぎるほどに証明している。
「だけど、それでも殺すことは出来る。抜くだけでこちらの殺意を伝えることが出来る。剣士に出来るのはそれだけさ。殺しと脅し、それしか出来ないのが現実だ。」
「……この剣は、誰かを守る事も出来ると…誰かを守れたらと、少しも思わなかったんですか……!?」
「………」
海風が割れたガラス窓の隙間から入ってくる。
2人の漆黒の髪が風に踊る。
「……一人前の剣士になったな。」
「………」
「だけど…それは不幸なことだよ。」
美沙斗の声は、既に自嘲の色を無くしていた。
「御神の剣は、君がいくら堂々としていたって、理不尽で、報われない死しかくれない。本当の剣には…本当の暗殺剣には、そういう星が巡ってくるのさ。」
「だとしても……」
恭也は逃げない。決して退かなかった最強の剣士を知っているから。その背中を、ずっと見てきたから……
「俺は逃げません。御神の剣は、誰かを守るためのものだから……」
優しさと希望を歌に乗せて、命を賭して世界に伝える一人の女。
それを受け継ぐ小さな頃から共に過ごしてきた幼馴染み。
彼女たちが精一杯歌えるように……心から微笑んでいられるように。
その為ならば、きっと自分は戦える。そう、恭也は思った。
「あまり、時間はかけられない。…手短に、終わらせよう。」
「……行かせません。」
恭也は鯉口を切る。
闇によく溶ける、鞘、鍔、柄糸、その全てが黒一色の小太刀、『八景』。士郎から譲り受けたその二刀。
恭也は腰に差した左の一刀の柄を握る。
「小太刀二刀御神流、高町恭也。……この命に代えても、あなたを止めてみせます。」
それに対し、美沙斗は無言で『龍鱗』を引き抜いた。
すぅ、と……美沙斗は『射抜』の構えを取る。
恭也も抜刀の構えを取る。彼の手持ちの技の中で、恐らくは唯一と言っていい『射抜』に対抗出来る技。
……空気が張り詰め、静寂がその空間を包んでいく。
衣装箱から出された青色の綺麗な長いドレス。それを、アイリーンは顔を顰めて眺める。
「あー…あのさぁ、これ……」
「あんたが着るんだよ。」
長身の女性、アムリタ・カムランがアイリーンの言葉を遮る。
彼女は、アイリーンが手に持っているそれと同じデザインの白いドレスを既に身に纏っている。
その言葉に、アイリーンは苦虫を噛み潰したような顔をして、恨めしげにアムリタを見上げる。
「うぅ……こんなヒラヒラして肩出しで鎖骨出しなドレス…あたしが着るの?」
「あんたが女性らしい服苦手なの知ってるけど…みんな着てるんだから往生際の悪いことは言わない。」
「や、あたしはやっぱりいつものレザーファッションの方が……」
「一人で舞台の雰囲気ぶち壊す気?それにどっちにしろ、あんたの着てた服は…もうクレスが持って行っちゃったよ。」
「はぁ!?」
アイリーンが慌てて背後の椅子を確認すると、確かにそこに置いておいた筈の服が綺麗さっぱり無くなっている。
現在下着姿のアイリーンはいよいよ、目の前の青いドレスを着るしか選択肢が無くなってしまう。
「な、なんて事すんのよ……」
「こうでもしないと最後まで抵抗し続けるでしょ。ちなみにこれ、校長先生とイリア先生の命令だから。その事をクレスに当たっちゃ駄目だからね。」
「~~~~~~~~!!」
幼少の頃より男の子のように育てられたせいか、アイリーンの女性服嫌いは最早脊髄反射の世界である。
ドレスに腕を通して鏡に映しては、ぞぞぞっと体を震わせる。
「うー、似合わない…自分で言うのもなんだけど前衛的ミスマッチ……」
「んな事ないって。ほれほれ、諦めて着ちゃいなってば。」
「あ、ちょ、ちょっと…やめてよアム…っ!!」
「それともあんた、そんなトップレスで舞台に立ってみる?世間様は揺れるわよー、「『若き天才』アイリーン・ノア、遂にヌード解禁?!」とかキャプションついて。」
「や、そ、そんな事出来るか!?」
「大丈夫大丈夫、ちゃんとニップレスはあげるから。」
その様を想像してしまったのか、羞恥で顔を真っ赤に染めつつ…殆ど格闘するようにしてアムリタにドレスを着せられていくアイリーン。
その姿を眺めつつ、フィアッセは苦笑した。
「あーあ、あんなに暴れたら着る前から皺になっちゃうよ……」
「…………」
その隣には、上の空の美由希がいた。
フィアッセは、美由希のその様子に気が付いていたが、敢えてちょっかいを掛けようとは思わなかった。
理由は何となく分かるからだ。
まず、恭也がこのホテルにいない。
5日前、フィアッセたちを襲撃した女剣士を止めに行った、とフィアッセと美由希は士郎から聞かされている。
美由希としてはそれが心配なのだろう。
それに、フィアッセ自身も他人にちょっかいを掛けるような余裕がない。
凌の存在だ。
自分も護衛に加わると、加えさせて欲しいと士郎に頼み、何度反対されても意志を曲げなかったフィアッセの想い人。
意志の固さ、恭也の動きについていける実力というのも手伝って、結局士郎はその提案を受け入れた。葛藤も有っただろうが、士郎は凌の決意を秘めた瞳を見て、理解した。
凌は諦めない。たとえ最後まで士郎が反対していたとしても、それを無視して凌はフィアッセたちを守ろうと動くだろう。だからこそ士郎は説得を諦め、提案を受け入れた。どうせ首を突っ込むのなら、その事を前提にしておいた方が良いと判断したからでもある。
フィアッセは、凌が普通の人間とは違うことを知ってはいるが、それでも心配だった。銃弾を心臓に受ければ死ぬ。普通とは違うと言っても、そこは変わらないのだ。安心していろ…という方が無理だろう。
「フィアッセ。」
「うん?」
不意に、美由希が言葉を発した。
いつものような可愛らしい顔はそこにはなく、戦う者としての…御神の剣士としての顔が、そこにはあった。
「気を付けて…この前の、あの人じゃないけど……殺気がある。」
「え……」
「こっちを伺ってるのか、まだ…そこまで近くに来てないか……どっちにしろ、すぐ仕掛けてくる事はないと思うけど。」
「そう……」
美由希は、周囲のすべてを感知しようと己の感覚を研ぎ澄ます。
フィアッセも周囲を見回してみたが、荒事に関しては全くの素人である彼女にそんなものが分かるはずも無い。
「ね、美由……」
流石にどういう事になっているのか気になって、美由希に尋ねようと声を掛ける。が、返事がない。
横を振り向いて見てみると、そこに美由希はいなかった。
フィアッセが声を掛けた時には、既に美由希は音もなくその場から消え去っていたのだ。次にフィアッセが前を向くと、丁度ドアが閉まるところだった。
見事に音を殺した素早い動作であった。
美由希のその行動が気になって、フィアッセもドアに向かって近づいていく……が。
ガチャ
「美………」
どんっ!
「下がって!」
有無を言わせぬ強い口調。
ドアを開けた瞬間、フィアッセは美由希に室内へと押し戻された。
出ようとした廊下には、銃を構えた黒いスーツの男が一人。
そして……
パスッ!!
銃弾がフィアッセのすぐ傍の壁に撃ち込まれる。
部屋にいる他のソングスクールのメンバーは気付きもしない。その位の消音銃だった。
「っ……たぁああ!!」
ヒュッ!!
右手が閃き、銃を持った男の眉間に飛針が突き立てられる。
鋼鉄製の短い針で殺傷力はそれ程無いが、それ故に見えにくく、そして躱されにくい必殺のための布石。
「ぐあっ!!」
「……りゃっ!!」
男は頭を押さえて呻いた。
男が仰け反り、よろめいたのを好機と見た美由希は、一気に距離を詰めて…銃を持った手を剣で叩き砕いた。
ザシャッ!!
「ぐあぁぁぁぁああああっ!!!」
絶叫し、ドサリと男が倒れる。その後頭部に、美由希は更に刀を持っていない右の拳を叩き込んだ。
こういう輩の場合、意識を完全に刈り取るまでは油断出来ない。士郎から教わったことであった。
ゴガッ!!
「……っ」
男は完全に意識を失い、昏倒した。
素手でも戦えるように訓練された美由希の拳は、そこいらにいる生半可な学生ボクサーのパンチよりも強烈である。
「ふぅ……」
安堵の息を吐く。
……恐る恐る、フィアッセが美由希に近づいていく。
「美由希…大丈夫?」
「あ、フィアッセ……その恰好、綺麗だねー。」
「……ぷ、美由希…今更すぎだよー。」
美由希は今日初めて、フィアッセを直視したような気がした。
ふわ、と微笑む表情は、さっきまでのものとは違っていた。
「……初めて、まともにやりあった。」
初めての実戦。士郎、恭也との鍛錬・凌との試合とは違う……本物の命のやり取り。
息が荒い…肩も震えている。
そんな美由希を、フィアッセは優しく抱き締め、立ち上がらせた。
「…こわかったぁ。」
「うん……ピストルだったもんね。」
「うん……」
美由希は未だ多少震えている右手を見て、それでもその手を頼もしく思い…握り締める。
「…一瞬、頭の中が真っ白になって…気がついたら、とーさんに教えてもらって、恭ちゃんと一緒に身に付けた動きが出来てた。……あれだけ練習してなかったら、きっと…」
動きに迷いが無かったのは、それだけ繰り返してきたからだ。身体に染み込んだ連携攻撃…練習の価値を痛感した美由希であった。
「うん…さ、この人を警備の方に連絡して……」
「っ!?」
殺気を感じ、咄嗟にフィアッセをくるっと回転させるようにして地面に投げ倒す。
「……?」
しかし、何もない。
先程感じた殺気も無くなっている。
そして、美由希は悟る。
自分が気付けたのに…あの父が気付かない筈が無い、と。
そう、既に士郎もまた…美由希と同じく行動を開始していたのである。
士郎はティオレの護衛に就いていた。
ホテルの一室、そこにはティオレとイリア…そして士郎が集っていた。
二人とも既にステージ衣装に身を包んでおり、後は数分後のクリステラソングスクール・少女楽団の出番まで時間を潰しているところだ。
「それにしても、よく桃子が許可したわね。前のこともあるから、心配したでしょうに。」
「はは、まぁ……」
「それで、どんな条件を出されたの?」
「え?」
「桃子のことだもの…無条件で許可したわけじゃないんでしょ?」
心底楽しそうに笑いながら、士郎に追求するティオレ。
「そうですね…次の定休日に丸一日デートすることです。」
「あら…それだけ?他にもあるんでしょう?」
「あれ、分かりますか?いやー、実は……デートが終わったら体力が続く限り夫婦の営みです。いやー、最近忙しかったから…俺もまだまだですね。」
普通なら他人に言わないような事を平然と言ってのける士郎。
ティオレも平然とそれを聞いている。もしかしたらある程度は予想していたのかも知れない。
「ふふっ、相変わらずラブラブね…あなたたちは。」
「えぇ、そりゃあもう。」
「…………」
そんな爆弾発言をしたのにも関わらず、至って普通に会話を続けるティオレと士郎。そんな中、先程の士郎の発言に赤面する女性が一人。
「あらあら、イリア。どうしたの?顔が赤いけど。」
「あ、う……」
イリア・ライソン……ティオレ・クリステラのマネージメント、スクールの運営から生徒達の管理までを一手に引き受けている才女であったが、この手の話題には滅法弱かった。これでもかと顔を赤面させ、あうあうと目をぐるぐるさせている。
ティオレを通して彼女とも付き合いの長い士郎は、当然そんな弱点を知っていた。だからこそ、そんな事を平然と言ったのである。からかう為に。
まぁ、尤も…彼の話が口から出任せの嘘であるのか、本当の事なのかは…実際に条件を出した桃子と、出された士郎しか分からないことであるのだが。
そして、ティオレは持ち前のノリの良さを発揮し、イリアをからかい尽くしていく。士郎も悪ノリしてのそれは…結局、少女楽団の出番が回ってくる10分前、イリアの限界値が臨海突破し…ガァーッ!と吼えるまで続いたのであった。
「さて、そろそろ出ましょうか。」
「……そうですね、校長。」
心行くまでイリアをからかい尽くし、ご満悦のティオレと若干疲れているイリア。2人は椅子から立ち上がるとそう言った。
「………!」
士郎は2人を手で制して、ドアへと近づく。殺気を感じる。
先程までティオレと一緒になって楽しんでいた士郎の顔は、既に剣士としてのソレに変わっていた。
音も無くドアに近づき、開ける。
「ふっ!!」
廊下に出た士郎は、一瞬たりとも迷わずに左へ駆けた。
その先には、銃を持った一人の男。
飛針を取り出し、投げつける。
「ぐっ!」
飛針は士郎の狙い通りに男の手…銃を持った手に命中した。
堪らず銃を取り落とす男。慌てて拾おうとするが、その時にはもう、士郎の射程範囲内だった。
シャッ!!
一閃。
峰で放たれたそれを、男は脇腹に喰らって壁に叩きつけられる。
振り向きざまに『徹』を込めた回し蹴りを頭に入れて完全に昏倒させる。それと同時に、今度は鋼糸を放ち、今まさに部屋に入ろうとしている男の首へと巻きつける。
「ぐえっ!」
そして、思い切り引く。
士郎の使用している鋼糸は太さ0.4ミリの捕縛用。だが…首に巻きつけて強く引けば、瞬間的に頚動脈を圧迫させ、一瞬で意識を失わせることも出来るのである。
ぐるん、と白目を向く男。がくりと崩れ落ち、動かなくなる。
「……ふぅ。」
近くに敵がいないことを把握すると、士郎は小さく息を吐いた。
けれど、息を整える必要はない。引退していたとは言え、この程度の相手ならば現役時代に幾度も相手をしたことがある。
恭也や美由希には無い、数えるのも馬鹿らしくなるくらい積み重ねてきた実戦経験。それは、高々数年で失われるようなものではなかった。
ティオレとイリアに、部屋から出てもいい事を告げ…士郎は気を張らせて2人を護衛しながら、コンサートホールに向かった。
舞台袖にて、一本の刀を持って凌は立っていた。
士郎に許可してもらった際に渡された真剣。それを腰に携え、舞台袖で音合わせをしている少女たちを見る。
クリステラソングスクール・少女楽団。数分後、開催されるコンサートの前座をつとめる女の子たちだ。
彼女らを守るのが、士郎さんから任された凌の役目である。
「凌くん。」
「この子たちの護衛、ありがとうございました。」
ティオレと、イリアがやってきた。勿論、士郎も一緒だ。
《……お早いお越し、ありがとうございます。コンサートの開催まで……まずは、小さなステージ…。クリステラソングスクール・少女楽団の歌を、お聞き下さい。》
ティオレのアナウンスと共に、幕が開く。
「やっぱり襲撃があった。そっちは……?」
「いえ、俺の方は何も……」
士郎と会話を交わす凌。
そうしている間に、少女たちは舞台に向かって歩いていく。
「……!士郎さん、左右の通路に……」
「あぁ、いるな。すまない、右側…頼めるかい?」
「はい!大丈夫です。」
敵の存在を察知し、士郎は左へ、凌は右へと疾走した。
だが、凌は士郎のように殺気を感じる等という芸当は出来ない。
では何故、敵の存在を士郎と同時に察知することができたか……。それは、偏に5日間を費やして考え出した、凌だからこそ取れる方法だった。
『サーチャー』。
魔力によって生成された小型の端末。
リニスの協力で、彼女が魔力で生成したそれを、至る所に配置する。
敵の姿がそれに映れば、リニスから凌へと念話を通して位置を知らせてもらう。
つまり、士郎に話しかけた際…凌の頭では……
(凌、見つけました。舞台に通じる右側の通路に黒服の男が2人、左に3人います。)
(分かった。)
と、リニスとの念話が行われていたのだ。
そのリニスは現在、観客席で忍や那美や桃子たちと、特等席で一緒に座っている。
敵の位置を迅速に割り出し、できるだけ周りに及ぶ危険を減らす。それが凌の考えた対抗策だった。
タタタッと音を立て、廊下を全力で走る。
足音を聞きつけ、廊下の壁につけて置かれている調度品…その影に身を隠していた男二人が、銃を構えて出てくる。
男たちに共通して浮かぶ表情は、嘲笑。
足音も消さず、動きを惑わせるためにジグザグな軌道をして走っている訳でもない。その上、スピードも特別速くない。
男たちにとっては格好の的だった。
だからこその嘲り、だからこその余裕。
銃弾の一発でも身体に当たれば動きは止まり、心臓に当たれば命が終わる。
男たちもプロだ。常人離れした動きをする御神の剣士のような相手なら兎も角、大抵の相手ならば狙い通りに銃弾を撃ち込み、絶命させることができる。
その為の能力もあったし、自信もあった。
カチャ
2つの銃口が一斉に凌に向く。
だが、凌は止まらない。速度を落とすこともせず、そのまま走り続ける。
す、とトリガーに指が掛けられ………
パスッ!!
音はない。
だがしかし、弾丸は間違いなく発射された。
発射された2発の弾丸。
それらは、まるで吸い込まれるようにして凌の肉体へと向かい、―――
「うおぉぉぉぉ!!!」
―――その手前で1つ残らず弾かれた。
「なっ!!」
驚きは男のものだった。
銃弾は確かに命中した。だが、それは服を貫通しなかったのだ。
普通ならばあり得ない現象。しかし、それは間違いなく現実だった。
そして……凌は吼えながら、手前の男に肉薄する。
ガッ!!
抜かれた刀。右手で振るわれた峰打ちが男の腹に決まった。
「ギッ!」
壁に叩きつけられ、男は頭を強打して気を失う。
銃弾を気にすること無く、凌は敵に向かって走り続けていた。
男が放心状態から抜け出すよりも速く、刀が届く範囲まで近付いていたのだ。
銃弾を弾く服……これこそが、凌の切り札だった。
通称『バリアジャケット』。
魔力によって作成された、魔導師の身を守る防護服。凌は、リニスから製作方法を教わり、四苦八苦しながらもそれを作成することに成功していた。バリアジャケットは、身体全体を覆うように不可視の防御フィールドを常時展開している。故に拳銃くらいの弾なら簡単に弾けてしまうのだ。
残った男は、凌に向かって撃ち続けるが、その全てが凌の身に届く前に弾かれる。
「何なんだこいつは!化け物か!?」
戦慄。
銃が通用しない相手など…それこそ男は知らない。
着ている服も特別細工がしてあるようには見えない。なのに、銃弾が身体に当たる前に弾かれる。……それではまるで――魔法ではないか――
男は、自分でも馬鹿げでいると分かっていても、そう思わずにはいられなかった。
そして、ハッと気付いた時には……
「はぁぁあああ!!」
今、自分を恐怖させている存在が、迫っていた。
ゴッ!!
刀を逆手に持ち替え、柄の頭で顎を思い切り突き上げる。
「ぎゃっ!!」
さらに、意識を完全に失わせる為に、後頭部を左手に持った鞘で強打する。
男は低く呻いて崩れ落ち、意識を失った。
「はぁ、はぁ……リニスから心配ないとは聞いてたけど…やっぱ、心臓に悪いな。」
荒い息を吐きながら、刀を鞘に納める凌。
戦闘中は相手に動揺を悟られないように無表情を貫いていたが、内心は銃弾が飛んでくる度に冷や汗をかいていた。
携帯電話を取り出して、警備員に連絡した凌は…元居た舞台裏へと戻っていった。
しかし、凌はまだ気付いていなかった。
人間としてではなく、AGITΩとして相対しなければならない敵が、すぐそこまで迫っていたことに。
丁度、舞台の幕が上がった頃……恭也と美沙斗は、苛烈に斬り結んでいた。
「……はぁあああ!!」
「……おぉおおお!!!」
刃と刃が激しくぶつかり、火花を散らす。
鍔迫り合いでは、単純に腕力の強い恭也の方が有利に思われるが、御神流の技は変幻自在な多角的な攻撃を持ち味としている。それは剣だけに限らない……
ドカッ!
蹴りで突き放される。恭也に対して、ダメージと言う程のものは与えられなかったが、美沙斗の攻撃はそれだけに留まらなかった。
「………っ!」
前蹴りで上げられた足を下ろさず、すぐさま中段蹴りに切り替えて追撃。
恭也がそれをガードしたところに、更に足を下ろしながらの体当たりのような踏み込み……
「………くっ!」
突きが来る。
美沙斗が最も得意とする常套手段。御神流奥義之参『射抜』。
初撃で放たれたそれは、自分が放った『薙旋』にて何とか去なす事ができたが、今の体勢でそれを成すのは至難の業だ。
殺気が増大する。
ドックン!!
殆ど反射的に、恭也は『神速』を発動していた。
ザシュッ!
肩を斬りつけるようにしながら、後方に跳躍。
人間を超える動き、それによってまともな速度では詰めきれない程の距離を開ける。
だが、一瞬にしてそんな間合いを開けられる恭也が【まとも】でないのなら、美沙斗も【まとも】ではなかった。
その恭也の動きを完全に追い切り、肩を斬られながらも、必殺の突きが届く射程まで強引に詰めてくる。そして、刀が伸びてくる。
「………!」
「……っ!!」
『神速』の領域は肉体の動きよりも感覚が先行する。その美沙斗の動きを、恭也は捉えていたが……それでも、その一撃を躱しきる事は出来なかった。
ザシュウッ!!
「くっ!!」
『神速』同士の勝負が終わる。
世界が色を取り戻して行く。
……美沙斗も恭也も、それぞれに血を流していたが…美沙斗は、自分の方が傷は少し深いのに平然としていた。
「…はぁ……はぁ……」
息の上がり方すら、恭也の方が大きい。
『神速』で戦うことに慣れている熟練の、完成された御神の剣士と、『神速』を切り札とする完成されていない、成長途中の御神の剣士。
その差が、ここに現れていた。
「…薬を……使っていてね、痛みは…感じないんだ。」
「……そこまでして…」
「分かったろう。君は、私には勝てない。次は本気で当てるぞ。」
「…………」
手加減されていた。……その事実に、恭也は心が折れかけた。
本物の御神の剣士の力…やはり圧倒的だった。今の恭也では、どれだけ努力しようと差が埋まらない程に。
5日間。
その全てを費やして尚、奥義之極み、『閃』の修得は為らなかった。
御神流きっての天才剣士と呼ばれた士郎ですらも朧気にしか正体の掴めていない幻の技。御神の歴史の中でも、一握りの人間しか辿り着け無かった、御神流の境地。
高々5日間、どれだけ自分を研ぎ澄ませ、鍛錬に明け暮れたとして……手に入るような生易しいものでないのは重々理解していた。
だが……『神速』の速度で上回り、射程で上回り、『貫』を代表する技の巧さで上回る美沙斗に対抗するには、賭けるしか無かった。
幻の奥義、到達し得ない境地、それに挑んだ。
見えはしたが、掴めなかった。……それが、結果だった。
それでも、確かに恭也は見たのだ。
他人から口伝えで聞く事でも、教えられる事でもない、ただ辿り着くべき最後の一閃。
勝利の為の切り札は手に入らなかった。……だが…引けない。
戦わなくてはならない。例え1%しか勝てる見込みのない戦いだろうと…五体満足、心もまだ折れていない。恭也は、そう思うことで自分を奮い立たせる。
まだ負けていない。まだ、守れるのだと。そう、震える我が身に言い聞かせる。
「……………」
「……………」
それは、過去に恭也が『鴉』に見せた子供の青臭い意地ではなく、確固たる信念を持った一流の剣士の、気高い意地であった。
コンサートは続く。
様々な妨害を諸共せず、歌姫たちは…その歌声を人々に届け続ける。
(おまけ)
タタタタタッ
男は走っていた。
今日は海鳴市で行われるまるで夢か幻のように大規模な、チャリティコンサート。
『近年最高・最大の音楽イベント』の触込みに偽りなしのそれに行くため、全力で走っていた。
折角いい席をとって、世界的な歌姫たちの歌声を生で聞くことが出来るのだ。電車が遅れていなければ、走らずとも間に合っていたのに。と、思いながらホテルを目指す。
だが、残念なことに…男がそのコンサートを見ることは無かった。
グアァァァウ!!
男の脇を恐ろしいスピードで駆け抜ける黒い影。
ジャッカルロード―スケロス・ファルクス―
アンノウンと呼ばれ、恐れられている存在は、男の前に現れた。
だが、それを男が恐れることはない。
何故なら…………
ブシャーーーーッ!!!!
鮮血が、まるで噴水のように男の首から噴き出す。
そう、恐れる暇すらも無い。
ジャッカルロードが彼の脇を通過したとき、既に絶命していたのだから。
血溜まりに沈む男の肉体。
グルルルルァァウ!!
そして、ジャッカルロードは…その手に持った『断罪の鎌』から滴る血が乾かぬ間に、次なる獲物を求めて疾走したのであった。
後書き
一気にコンサート終了まで書こうと思ったけど物凄い長くなりそうだったので分けることにします。さて、AGITΩにはならなかったけど魔法は使った凌。『閃』を修得できず、依然苦戦中の恭也。この辺が今回の見所でしょうか。凌の出番増やしたかったけど無理です!この辺りが限界です、対人戦では。
バリアジャケットってデバイス無しでも作れたっけ?と思ったけど他に良い案も浮かばなかったんで、魔力と作り方さえ分かってれば作れるという設定で行きたいと思います。
あと、士郎の発言が真実なのか嘘なのかは読者の皆様の想像に任せます(笑)