7月4日 AM9:00―月村邸―
7月になり、ジリジリと照りつける太陽の光が増々強まってきた今日この頃…俺・高町・赤星・月村の4人は、月村の好意によって彼女の家の一室を借り、そこに少しばかり大きめの机を置いて部屋のほぼ中心に陣取っていた。
冷房の聞いた部屋で、その机を囲んで筆記用具と教科書・ノートを広げていなければ非常に快適な日曜日を過ごすことができるだろう。しかし、そうは問屋が卸してくれない。何故なら今日は1学期期末考査の前日…つまり、俺たちはこうして集まって明日から始まるテストに備えての勉強会を始めようとしているところなのである。
「あ~あ、メンドくさいなぁテストなんて。」
「…全くだ。」
しかし、同じ目的のために集まった4人の中にあって、ぐで~っとしてやる気の欠片も見当たらないやつが2人。4人組の紅一点である月村忍と、生身での戦闘能力No.1の高町恭也その人らである。ちなみに、2人とも赤点候補。
ったく、誰の為に勉強会を開いてると思ってるんだろうかこの2人は。実を言えばこの勉強会、もう毎年毎回テストの前になれば必ずと言って良い程開いているのだ。原因は勿論先に上げた2人の成績に起因している。
高町は居眠りの常習犯で、どの授業も精々1/3聞いていれば良い方な為に総じて成績が良くない。例外と言えば現国と古典くらいのもので、それ以外は常に赤点擦れ擦れの点数を取り続けている。
月村はと言えば、物理、化学、数学などの理系教科は問題ないどころか何も勉強せずとも満点を叩き出せる程の学力の持ち主なのだが、如何せん文系科目が壊滅的だったりする。(コイツは文系の授業は一つの例外もなく熟睡している為、当たり前といえば当たり前だが。)
ってな訳で、この面子の中で1番好成績、且つ若干理系のほうが得意な赤星が高町を担当。そして、文系の方が得意な俺が月村を担当。これが2年の頃から確立されている2人の赤点回避の為の必勝の布陣なのである。
さて、何時までもこのままという訳にもいかないので、現在進行形で「勉強だりー」な雰囲気を漂わせている2人に対し、勿体ぶらずにさっさと切り札を発動させるとしますかね。
赤星の方に顔を向け、目と目を合わせてアイコンタクト。そして、次の瞬間…俺と赤星は2人に向かって必殺の一言を言い放った。
「「やる気が無いのなら教えないぞ?まぁ、その場合は赤点確実で夏休みが補習に消えるだろうけどな。」」
「「すいませんでした!もう文句とか言わないから勉強教えてください!!」」
よし、これで漸く本格的に勉強会を始められるというものだ。いや、まぁ本当に大変なのは寧ろこれからなんだけどな……。
「じゃ、早速だけどまずはコレを解いてみてくれるか?」
そう言って赤星が鞄から取り出したのは、1枚に20問の問題が書かれた俺と赤星が作った小テスト。(全教科)
現国、古典、歴史、英語W……と、1枚ずつ順々に2人に回していく。
「はー、じゃあやるか。」
「そだね、今回は絶対に補習避けなきゃならない理由もある事だしね。」
2人がそう言ってシャーペンを持ち、問題を解き始めたのを確認して、俺と赤星も自分たちの勉強を始める。実質、俺たち2人が今日テスト勉強出来る時間は月村たちが今みたいに問題を解いている間しか無い為、例え1分1秒でも無駄は出来ないのだ。
俺と赤星はこの2人と違って1週間前から計画立てて勉強していたから、教科書の見直しや1度やったワークの解き直しをするだけでいい為、それほど時間もかからない。大体4時間もあれば全範囲を復習することができるだろう。
現時点でも、最低60点は堅いと思っている。そんな訳で、俺は赤星と互いに問題を出し合いながら、2人が小テストを終えるまでの時間を過ごした。
―約1時間後―
2人が解いた問題の解答を見て、唖然としてしまった俺たちは悪くないと思いたい。(勿論、答えが完璧すぎて唖然とした訳ではないことを先に述べておく。)
2人の解答例
現国:問題 四字熟語『羊頭狗肉』の意味を答えろ。
高町恭也の答え
『見掛けは立派だが、本質がそれに伴わないことの意』
赤星勇吾のコメント
正解。流石にコレくらいは分かるか。
月村忍の答え
『頭が羊で肉(身体)が犬であるという意味』
藤見凌のコメント
……そんな生き物は存在しない。
古典:問題
『若紫』に出てくる一節、「ここに【はべる】ながら、御とぶらひにもまうでざりけるに……」この文の中にある【】を正しい活用形に直せ。
高町恭也の答え
『はべり』
赤星勇吾のコメント
正解だ。一応サービス問題だし簡単だったか?
月村忍の答え
『はんなり』
藤見凌のコメント
活用形を聞いているのに、返ってきた答えが京都弁とは…清々しいほど明後日の解答だな。
日本史:問題
340万部を超える大ベストセラー『学問のすゝめ』を執筆し、慶応義塾を創設した偉人の名を答えろ。
高町恭也の答え
『1万円の人』
赤星勇吾のコメント
その認識はあんまりだと思うぞ。
月村忍の答え
『副沢諭吉』
藤見凌のコメント
おしい。正しくは『福沢諭吉』だ。漢字間違いで減点は勿体無いから気を付けた方が良い。
数学:問題
次の等式を数学的帰納法を用いて証明せよ。1+2+3+……n=1/2n(n+1)……① (但し、nは自然数とする)
高町恭也の答え
①式は正しいことをここに証明します。
赤星勇吾の答え
メンドくさいからって適当な答えを書くな。
月村忍の答え
[証明]
(1)n=1のとき、左辺=1 右辺=1/2(1+1)=1 よって、n=1のとき①が成り立つ。
(2)n=kのとき①が成立すると仮定すれば、1+2+3+•••+k=1/2 k(k+1) ……② ②の両辺にk+1を加えると1+2+3+•••+k(k+1)=1/2k(k+1)+(k+1)=k(k+1)+2(k+1)/2=(k+1)(k+2)/2
(1),(2)より、すべての正の整数nについて①が成り立つ。
藤見凌のコメント
正解。てっきり途中で投げ出すだろうと思ってしまった俺を許して欲しい。
英語W:問題
次の英文を訳しなさい。「Ann’s birthday cake is being made by her mother now.」
高町恭也の答え
『アンの誕生日ケーキは今彼女の母親になっているところだ』
赤星勇吾のコメント
ケーキが母親になるという意味をもう一度良く考えてみてくれ。
月村忍の答え
『アンの母親は誕生日ケーキによって今制作されているところだ』
藤見凌のコメント
正解・不正解の前に、せめて文章がおかしい事に気がついてくれ。
他にも様々な珍解答がまだまだあるが、それらをすべて紹介しているとそれだけで大幅な時間のロスになるので割愛する。
「おい赤星、どうする?いつも以上に酷いぞ今回。」
「あぁ、俺もまさかここまでとは思ってなかった。」
2人の珍解答を見ながら、互いに冷や汗が流れるのを感じる俺たち。
月村は理系の成績が異常に良いのが唯一の救いだな。今日一日文系の勉強に専念すれば、最低でも50点は取れるようになる…筈。恐らく、きっと、多分。問題は高町の方だが…まぁあっちも大丈夫だろ。何せ赤星は中学の頃から高町に勉強教えており、今まで高町に平均点擦れ擦れの点数をキープさせてきた実績があるのだ。恐らく今回も何とかしてくれる…筈。
とある問題があって今回ばかりはこの2人に赤点を取らせるわけにはいかないのだ。(今は余裕が無いため、その理由はこの勉強会を終え、試験が終了したときに話すことにする。)
だからこそ、俺と赤星はこのままだと赤点取って補習ルート直行が確実な2人を救うため、最悪徹夜する(させる)覚悟でそれぞれの担当に別れて勉強を教えていった。
第35話「ティオレ・クリステラ」
6月27日 PM16:30―翠屋―
その日、翠屋には大勢の人が訪れていた。高町家の人達は言わずもがな全員がその場にいて、他には赤星・月村・那美ちゃんの姿が店内にあった。
最後に来た俺の姿を確認すると、桃子さんがこほん、と咳払いをして…この場に皆を集めた理由を話し始めた。
やはりと言うべきか、話の内容は近々行われる予定のチャリティーコンサートについてだった。まぁ、俺はフィアッセさんから聞いてたからそこまでの驚きはなかったが、他の面々
…特に月村の驚きっぷりが半端じゃなかった。
実は月村、熱狂的なSEENAのファンではあるのだが、毎回チケットがとれない為…今まで一度しかSEENAのコンサートに行ったことがないのだと言う。
コイツほどの金持ちなら、あの手この手でチケットを手にいれる事も出来ると思うのだが、それはしないらしい。そもそもそんな発想がコイツの頭の中にあるのかどうかさえ疑わしいものだ。
閑話休題、今回集められたのは…そのコンサートへの参加・不参加を決めるものらしい。チケットの方は、どうやらティオレさんが人数分手配してくれるらしく、折角だから…と言うことで特等席を用意してくれるそうだ。ちなみに月村は当然参加。いの一番に手を上げて、参加の意を示した。用事があってここに来ていない人たち(さくらさん・ファリンちゃん・ノエルさん・すずかちゃん・アリサちゃん・リニス)にも連絡をとり、参加したいかどうかを、確認していく。…結果は、全員参加。
久遠もどうにかして一緒に連れて行きたかったのだが…害のない子狐であるとは言え、動物をコンサートホールに入れるのはマズイだろうし、久遠の人間フォームはいろいろと問題があって今回は使えない(耳と尻尾を隠せないため)。その為、泣く泣く諦めてもらうことにする。久遠には悪いが、中継もあるし、ビデオも出るらしいからそれで我慢してもらうしかないな。
とまぁ、こんな感じでコンサートの参加・不参加の確認は終わり、後は帰るだけだろうと思い…鞄を持って立とうとする。
しかし、そんな俺の行動は桃子さんの放ったある一言によって、止めざるを得なくなった。
「ゆうひさーん、みんな見に来てくれるみたいよー?」
厨房に向かって桃子さんがそんなことを言う。
すると、数秒後…翠屋の厨房から今をときめく『天使のソプラノ』、SEENAこと椎名ゆうひさんが現れた。
…………さ、サプライズにも程があるぞ。
桃子さんの計らいによるものなのか、この事は高町たちも知らされてなかったようで、士郎さんを除いた全員があまりに予想外な出来事に固まっている。
赤星も、これは予想外だったらしく完全にフリーズしている。
那美ちゃんは同じ寮に住んでるだけあって驚いてはいないが、それでも彼女がここにいることに対して疑問を持っているらしく、小首を傾げていた。
一番酷いのは月村だ。いきなり目の前に本物のSEENAが現れたりしたものだから、「え?え?えぇぇぇ?!」と、軽いパニックに陥ってしまっている。
俺?驚いてはいるよ?混乱はしてないけど。これが初対面ならそれこそ月村以上に混乱するところなんだろうが、生憎それは1年ほど前に通過している。バイトしてる時にお客さんとしてSEENAが来たもんだから、ものの見事なまでに混乱したのだ。俺の人生における黒歴史の中でもTOP10に入っている出来事なので思い出したくない。
「そかそかー、みんな、聞きに来てくれるんかー。」
そんな皆の様子に気付いているのかいないのか、ニコニコと笑顔を浮かべたゆうひさんはカウンターの席に座り、俺たちの方を見てきた。
そこで漸く皆も元に戻る。……例外が一人だけいるが。
「し、SEENAさん!さ、ササ、サインください!!」
おぉう、いつもの月村からは想像もつかん上がりっぷり。
ガチガチに固まりながらゆうひさんにサインをお願いしている月村。緊張のせいか、それとも憧れの人物に出会えた興奮か、頬を上気させている。
「サインかー、ふむ…ええよええよー。何に書いたらええかな。」
「あ、えっと…じゃあコレで!」
そう言って月村が鞄から取り出したのはSEENAのアルバムだった。何で持ってるんだというツッコミはしないでおこう。
「ん、そんじゃちゃちゃっと書いてまうからちょー待っといてな?」
「は、はい!」
この後も暫くの間、月村のハイテンション且つ暴走気味な行動は続いたが、それをすべて語るとなると膨大な時間がかかることになる為、ここでは割愛することにする。
「しかし、海鳴公演の初日は、めっちゃ凄いでー。」
月村のテンションも漸く平常時よりやや高めくらいに治まった頃、ゆうひさんがそんなことを言った。
「校長先生……あ、フィアッセのお母さんな?……『世紀の歌姫』ティオレ・クリステラの復活…そして、英国じゃ話題の、クリステラ二世の……初の親子共演……あと、アメリカで大人気のアイリーン……ハリウッド映画で主演までしたエレン…それから、フィエッタ・アルフィニア賞受賞のティーニャ……他にも、たくさん!…おぉう、大スターたちの大共演やん♪」
「ゆうひさんも、大スターですよね。」
「ああ、う、うちは全然……」
月村の何気ない一言に照れるゆうひさん。
「ゆうひさん、その人達みんな…ソングスクールの卒業生さん達なんですか?」
「そや♪」
那美ちゃんの言葉を、笑顔で肯定するゆうひさん。そして、ゆうひさんは士郎さんに出されたコーヒーを静かに口に運び……
「…でも……スクールの卒業生は、みんなたいした歌手やけど…ほんまに凄いんは…やっぱ、フィアッセ。……魂を競い合う…ううん、競い合う…はちゃうかな…並べ合う…そんな、うた歌いたちの中で…校長先生とフィアッセは…ちゃうねん。」
「…………………」
思わず、ゆうひさんの言葉に聞き入ってしまう。
「タイプは、全然違う。…校長先生の魂は、聞く人の心を撃ちぬくような…突き刺さるような……そやけど、めっちゃ優しい感じなんやけど…フィアッセの、舞台での本気の歌……聞いたこと、ある?」
聞かれてみて気付いた。そういえば、フィアッセさんの歌を舞台で聞いたことは一度もなかった。
それは付き合いが長いはずの高町たちも同じようで、首をフルフルと左右に振っていた。
「あれは…ほんまに凄いよ……泣けるんやけど…不思議なくらい優しくて…めっちゃ暖かいねん……感動して泣くんは、よくあるけど…嬉しくて、優しくて泣いたんは…うちは、あれが初めてやった。」
……………歌い手の……魂。
フィアッセさんも、ゆうひさんの魂を暖かい気持ちでいっぱいの綺麗な魂だと言っていた。人それぞれに違う魂がある。そして、ソレがずば抜けて綺麗だから…どこまでも優しい魂を持った人たちだからこそ、彼女たちの歌は聞いている人の胸に響くんじゃないかと…ただ漠然と、そう思った。
「でも、ゆうひさんの歌も…思いっきり優しくて、甘くって嬉しくって……私、大好きですよ。」
「おお、おーきにーー♪あはは、うちは性格がダダ甘やからなー。」
そう言って、ゆうひさんは笑っていた。
7月11日 AM:10:00
とまぁ…そんな事があって、チケットがフィアッセさんによって手渡されたのが更にその2日後。問題だったのは、そのコンサートが開かれる日程が夏休み突入後の4日後だったって事だ。お蔭でいつもよりも更に力を入れて、2人に勉強を教えることになってしまった。
ま、以上が俺たち4人が冒頭で必死になって勉強していた理由になる。
ちなみに、気になるテストの結果だが…俺と赤星が自己採点した結果、何とか2人は赤点を回避しているのが分かった。これで晴れて夏休みを存分に謳歌できる権利を勝ち取った事になる。
それにしても、原作から乖離し過ぎてるからどうなるか分からないけど…コンサートを中止させようと妨害が入るかもしれないんだよなぁ。そんな時に高町が補習で護衛に行けなくなったりして最悪の事態になったら目も当てられない。そう考えると赤点回避できてマジで良かったと思う。いやまぁ、高町のことだから補習サボってでも行くだろうから杞憂っちゃ杞憂なんだろうけども。
で、そんな俺たちが今何をしているのかと言えば――――――
「……さ…みんな、行くわよ。」
「…えへへ、ママと買い物なんて久しぶり♪」
「アイリーン、あなたもいつも男の子みたいな格好をしてないで…少しは娘らしい格好をしたら?」
「うぅ…スカートとか、苦手なんですよ…」
「んー、ほなら…うちはどれにしよっかなー♪」
――――――世界規模の有名人たちと近くのデパートに買い物に来ていた。
勿論、俺だけが誘われたわけじゃなく…ティオレさんと旧交のある高町家の人達も一緒に、である。世界的な有名人4人と買い物……高町達がいなかったらこっそり逃げ出してるところだ。あと、本来はここに友人である赤星と月村も加わる筈だったのだが…何でも2人ともどうしても外せない用事とかで来れなかったらしい。
ティオレさんとは、今日が正真正銘初対面だったのだが……
「あなたが凌くん?フィアッセからあなたのことはよく聞いてるわ?何でもフィアッセのすk……モガモガ。」
「ま、ママ!?いきなり何を言おうとしてるの?!」
ティオレさんの方は、フィアッセさんから俺のことは聞いていたそうで、そんな風に冗談を交えながらも気さくに接してくれた。だから多少緊張はしたものの…その物腰や態度のお蔭でガチガチになることもなく比較的自然に接することができた。
「…美由希となのはにも、プレゼントするから…選ぶといいわ。」
「あ、でも……」
「いいから、いいから。」
ティオレさんの申し出に対して、遠慮して断ろうとした美由希ちゃん。そんな美由希ちゃんに、フィアッセさんが少し強めの口調でそう言った。
「さ、美由希もなのはもこっちにいらっしゃい。……選んであげる。」
「ママ、少女時代にあんまり服とか貰えなかったから…だから、可愛い娘には綺麗な服を着せてあげるのが、楽しみなんだって。」
「そうよ。だから、遠慮なんてしないで頂戴?」
「えと…じゃ、そういうことなら」
「はいー。」
美由希ちゃんが、少し遠慮がちに了承し…なのはちゃんはティオレさんに抱きついて元気に返事を返した。
「それに、恭也や凌くんもね…特に、恭也はそんな黒ずくめな服ばかりじゃなくて…少しはお洒落するといいわ。」
「……黒が好きなんです。」
ティオレさんがそう言いたくなるのは痛いほど分かる。高町の私服は…二年前から見ているが、夏服だろうが冬服だろうがほぼ全てが黒で統一されているのだ。黒が好きなのは分かるのだが、もう少し明るい色の服も持っているべきだと思うぞ。
「リョウー、こんなのどうかな?」
ティオレさんが色々と服を持ってきて半ば着せ替え人形になっている高町を眺めつつ、服を物色していた俺にフィアッセさんの声が聞こえた。
声の聞こえた方を振り向くと、そこには淡い緑色の服を着たフィアッセさんが立っていた。正直、見惚れた。その服が、フィアッセさんの清楚なイメージにピッタリ合っていて…とっさに言葉が出てこないほどに目を奪われた。
「どう、かな。」
もじもじしつつ、俺に意見を求めてくるフィアッセさん。その仕草がまた可愛くて、俺は…どぎまぎしながらも正直な感想をフィアッセさんに伝えた。
「えっと…ですね……あー、すっげぇ似合ってます。お世辞じゃなく本当に。」
そんな俺の言葉に、フィアッセさんが「あ、うん!ありがとう!」と言って喜んでくれたのが、少し嬉しかった。
7月11日 AM:13:00
デパートで買い物を済ませ、ついでに昼食も外で済ませた俺たちは桃子さんの勧めもあって、高町家にお邪魔することになった。
「じゃ、水撒き…開始―!」
「うおっ、冷た!フィアッセさん、掛けないでくださいよ!」
「あはははーー♪」
フィアッセさんは、買ってもらったばかりの服が水に濡れるのも構わず、はしゃいで庭に水をまく。
「ふふ…子供の頃から、あの子はいつもこうね…」
「先生に似て、悪戯っ子です。」
「あら、私がいつ悪戯なんて?」
「…うそや……先生、嘘つきや。」
縁側に腰掛け、子供のようにはしゃぐフィアッセさんを眺めるティオレさんとゆうひさん、アイリーンさん。巫山戯あっている3人を見ていると、スクールの教師と生徒…と言う関係よりも、気さくに会話が交わせる仲の良い友人のような関係だと思った。
「あははははは♪」
「フィアッセさーん!写真、とりますよーーっ!」
「はーーいっ!」
なのはちゃんが士郎さんからカメラを渡してもらい、楽しそうに水撒きをしているフィアッセさんの姿を写真に収める。
……そうして…。
ゆっくりと、日々が過ぎていく…。
…楽しくて、穏やかな時間。
気がつけば、日が沈みかけていた。
最初に、ゆうひさんが…「あ!もうこんな時間。はよ帰らな耕介くんのご飯みんなに食べられてまうー!」と言って帰ったのを皮切りに、アイリーンさんもマンションへと帰っていった。フィアッセさんは、ティオレさんが日本に来てからは…ティオレさんが泊まっているホテルで一緒に生活しているらしく、車でそのホテルまで帰っていった。
ティオレさんは、この後テレビ局の人たちと打ち合わせがあるらしく、近くの待ち合わせ場所まで歩いていくらしい。俺も、そろそろ帰ろうと思い…庭に置かせてもらっていたバイクを押して、高町の家から出る。
「あれ?」
門を出ると、そこにはティオレさんが立っていた。
「凌くん……少し、話をしたいのだけれど……」
「へ?俺に、ですか?」
「えぇ、待ち合わせ場所に着くまでの少しの時間だけ…退屈な話に付き合ってくれないかしら。」
「…………?えぇ、まぁ俺は構いませんけど。」
「ありがとう。それじゃあ、歩きながら話しましょうか。」
ティオレさんは杖を曳きながら…それでも、しっかりとした足取りで歩いていく。それについて行きながら、俺はティオレさんの話に耳を傾けた。
「私の生まれたところはね…丁度、戦争の最中で……医者も薬も、まるっきり足りなかったから……家族はみんな、病気で亡くなってしまって…私の身体にも傷跡を残したのね。」
ティオレさんは混血で……中東で、その幼少期を過ごしたのだと言う。実際経験したことの無い俺には分からないことだが、戦争中だったのだと言うことだから…相当酷かったのだろう。
「………子供が、ずっとできなかった。」
悲痛そうに告げられたその言葉……前世でも、そして今でも…知識として恐ろしいと知っている戦争の悲惨さを初めて身近に感じた。
「うたを歌い始めたのは…そうでもしないと、食べていけなかったから。うたを歌って…少しばかりの食料を、憐れみで分けて貰って…12の時に、エヴァンに救ってもらって…イギリスに渡って……」
エヴァン……。本名は、エヴァーグレイス・M(マギウス)・ノアさん。
確か、アイリーンさんの祖母で……現在の国際救助隊の偉い人だとフィアッセさんから聞いたことがある。
「歌うことしかできなかったから…。歌って、歌って……それで40を過ぎて…。やっと、不妊治療の手立てが見つかって……それで、漸く…あの子が生まれたの。…その辺りのことは……」
「あ、フィアッセさんから…少しだけ。」
ホントに少しだけだけど、その辺りのことはフィアッセさんが教えてくれていた。
「そう……私の命は、もう…いつ終わるか分からないけど……」
「……いつ終わるか分からないって…?」
「少しずつだけど…身体が弱ってきてるの。だから、このツアーを終えたら、もう……少なくとも、歌を思いっきり歌えるだけの体力は無くなると思うわ。今、こうして元気に見えるのは…その為の治療を受けているからだもの。」
とてもそうは見えない…けれど、それが嘘でも冗談でも無いことを証明するように…ティオレさんの表情はどこまでも真剣だった。
「……残り少ない命なら……ゆっくりと費やしてくより、最後に、自分が生きた証を残して……思い残すことなく…笑って死にたいの……」
「………………………」
優しく、静かな目。
「…正直、生きるだけ生きたし…もうあまり、未練はないの。…だけど、今度のツアーは、私の…夢の一つ……世界中を回って、思い切り荒稼ぎして…それをみんな、医療基金にしてしまうこと……それから、私のスクールの教え子たち………私の技術を…培った全てを、受け継いでいってくれる娘たちとの…恐らく最後のパーティ。そして…私の命と、魂を継いでくれる娘と…一緒に歌う事。」
そう言ったティオレさんの微笑みは……どこまでも優しくて。そして、少しだけ儚かった。
「ごめんなさい……あなたには、知っておいて欲しかったから。」
「あの、聞いて…いいですか?」
「えぇ、何かしら。」
「何で、俺にそんな事を話してくれたんですか?」
「ふふっ、さぁ…何でかしらね?」
「……?」
そのまま明確な理由がわからないままに、テレビ局の人との待ち合わせ場所についてしまった。
そして、別れ際……ティオレさんは俺にこう言って、ハイヤーに乗って去っていった。
「…フィアッセには、内緒にしてね?あの子の歌は……優しい歌だから…母親と歌う、最初の舞台への……希望に溢れた心で、いさせてあげたいの。」
何で、ティオレさんがさっきの話を聴かせてくれたのか分からない。けれど、今回のコンサートは…例え何があっても、何が起こっても…成功させなければならないと思った。ティオレさんの夢、フィアッセさんの…母親と同じ舞台にたって歌えると言う希望。ソレが叶えられないのは嘘だと思った。
もしも、コンサートを中止させようなんて悪意を持った輩がいるのなら…それが何者であろうとも、俺の全てを懸けて防いでやろうと、そう思える程に俺の心にティオレさんの話は響いた。
7月11日PM11:52―???―
もう日が変わろうとしている深夜、一人の女と金髪の男がその場にいた。
「今度の仕事は…これか。」
「ああ……頼むよ。」
「………気の進まなそうな仕事だ…」
おんなは、依頼の紙を受け取ると…顔を顰めた。言葉通り、乗り気ではない様だった。
「あんたは、コンサートの直前に…現場に行って、クリステラ親子が歌えないようにしてくれれば、それでいい…」
「…たかがコンサートの中断に……わざわざ、私を使う必要があるのか…?」
「このコンサートの収益を知っているかい?……チャリティで、莫大な金が動く…また、あのティオレって婆さんは、買収の類が通じないしな。…そんなわけで……いろいろと、このコンサートが行われちまうと…損をする人達がいるのさね。」
男は忌々しげに言葉を吐き捨てる。
「………私には…関係の無いことだ。…それよりも……」
「ふん、わかってるさ…『龍』のことだろ?」
「……」
「心配せずとも、コレが終わりゃあ…あんたの念願の情報を教えてやるよ。しっかし、たかがその程度のことにまぁ、よくも何年も……」
男は、前髪を掻き揚げ…小馬鹿にするように女を笑う。
「……ッ」
「おっと……そう怖い顔をしなさんな。ギブアンドテイクさ…今まで通り、な。」
「………………………」
女は唇を噛み、男がその場から立ち去るのを待つ。
コレを果たせば終わる。望む情報が手に入り、全てが片付く。女は、そんな思いを胸に秘め…依頼の紙をもう一度見る。
チャリティコンサートの中止…手段は問わない。
紙には、そう記載されていた。
後書き
はい、何とか書き上げました35話。前に比べると大分短いです。
それにしても…原作の内容をうまく活かしつつ、主人公が違うという変化をもたせるのは中々にしんどいものがあります。と言うか、活かせてるのかどうかも分かりません。ティオレさんの話はどうしても入れたかったのでこのような形にしたのですが……うまく纏められているか心配です。
p,s,ネタが少ないと思ったんでバカテストを作ってみました。答えとか間違ってるかもしれないけど、間違えてたら指摘してくだされば直しますので……