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No.11414の一覧
[0] 【報告とお礼のみ更新】ログアウト(オリジナル/現実→ネットゲーム世界)[検討中](2011/11/13 15:27)
[1] 第一話 ログイン[検討中](2011/11/12 19:15)
[2] 第二話 クエスト[検討中](2011/11/12 19:15)
[3] 第三話 でたらめな天秤[検討中](2011/11/12 19:16)
[4] 第四話 特別[検討中](2011/11/12 19:16)
[5] 第五話 要らない(上)[検討中](2011/11/12 19:16)
[6] 第六話 要らない(下)[検討中](2011/11/12 19:16)
[7] 第七話 我侭(上)[検討中](2011/11/12 19:16)
[8] 第八話 我侭(下)[検討中](2011/11/12 19:17)
[9] 第九話 飛び立つ理由[検討中](2011/11/12 19:17)
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[11414] 第八話 我侭(下)
Name: 検討中◆36a440a6 ID:ccff8182 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/11/12 19:17
  オンラインゲーム『ワンダー』における初期職業は冒険者という名前だ。
 戦闘用スキルは覚えないし職業固有の能力ボーナスも低い、転職を前提とした基礎職業。
 そんな職業でも一応レベルが8程度にもなると完全無欠の雑魚相手なら意外と戦えたりする。
 悪くない武器を持って相応の戦い方をし、その上で適切な支援が受けられれば以前出会ったゴブリンぐらいなら狩る事が出来るのである。

 ――と、ゲームを楽しむ気満々の杏里が言ってしまった。

「要はね、先制攻撃なの。先にぶった切っちゃえばもう勝ったのと同じだから」

「やられる前に?」

「うん、やればおっけー」

「……物騒な話だな」

「そりゃ、そういう話をしてるんだから。僕も山田みたいに魔法で何とか出来ればいいんだけど」

 そんな役目をお前に求めてはいないんだが、と口には出さない。
 馬車に戻って程なく、危ないモンスターに襲われてる人達を助けたんだと武勇伝を披露してしまったのが拙かった。
 まるで御伽噺の英雄譚の様なそれは麻衣の乙女回路以上に健一の漢回路を刺激してしまったらしい。
 出来るのなら自分も手伝いたいという男の台詞を俺は拒否することが出来ず、杏里が冒頭の事実を述べた結果。
 こうして栗原杏里の簡単モンスターの倒し方講座が開講となったのだった。
 しかし他に居ないとはいえ教える側の人選が悪い。

「キーワードはやぶれかぶれ、コツは適当!」

「……なにそれ」

「実感があるかはわかんないけど、今は普段と全然違う力が出せる筈なの。だから別に細かい事を気にしなくても気合さえあればダメージは通る!」

「言い切られても……」

 御者台に座る俺の背後、馬車の入り口辺りで向かい合った二人。
 自信満々に言い切る杏里とは対照的に、余りにも適当過ぎる説明を前にして健一が困惑の色を見せている。

「本当本当。あたしでも思いっきり叩いたら岩が割れるんだから」

「……素手で?」

「一応ガントレットがついてるけど」

「…………」

 自慢気に力こぶを作る杏里に健一が頭を抱えた。
 杏里が気楽に無茶苦茶を言うのはいつも通りだが、それについていくのは難しい。
 ただ、無茶と言ってもこれはまだ理解できる部類だと思う。

「まあ言いたい事はわかるけどな」

「山田も同類……?」

「いや、人を化け物みたいに言うなよ」

 俺も体ごと二人に向き直り、少し苦笑した。
 健一は元の力と今の力に差が少ないので体感するのが難しいかもしれない。
 しかし俺には自分の筋力や体力が不気味な程に増えているのが確かに実感出来るのだ。
 近接職とは違い、俺がどう頑張っても岩は割れないのが残念だが。

「多分だけど、今はレベルが足りないからわかんないだけじゃない? 例えばほら、普通に考えてこんなの持てるわけないし」

 少し面白そうに俺と健一を見比べて、杏里はいつも使っている直刀をインベントリから出し、手首だけで軽く振るった。
 それだけの動作で軽い剣風が巻き起こり、馬車を引く二頭の馬が嘶き声を上げた。
 サイズとしては麻衣が抱えている炎の杖より幾らか小振りの剣だが、確かにこれだけの大きさの鋼の塊はそんなに簡単に扱えるようには見えない。

「僕もレベルが上がる度に……何て言うんだろう、力が強くなってるって言うか、体力がついてるって言うか……そういうのはわかるんだけどさ」

「あたしはそれを何倍もしたぐらいに感じてるの。山田君なら多分10倍以上。ほいっ」

「そんなもんなんだ……うわっ、何これっ!?」

 気軽に渡された剣を反射的に受け取った健一が思いっきり体制を崩した。
 やはり相当に重いのだろう。両腕で直刀の重量を支えながら健一が目を丸くしている。
 確かに重いんだろうが、しかし具体的に俺と杏里にどの程度腕力の差があるのか。
 少し、健一の抱える剣を持ち上げてみたが――持つのがやっとと言うぐらいに、重い。

「っと、確かに重いぞこれ。よくこんなの振りまわしてるな」

「重さは感じるんだけど握ってみると軽い……って言うと何か偉そうだよね。でもそんな感じ」

 鉄の塊がとんでもなく重たいということは感じられるのに、それを簡単に振るえてしまうらしい。
 俺も使っているメイスが重いのは理解できるが、それを何の問題にもせず使っている。感覚としてはこちらも同じだ。

「レベルが上がったら僕にも持てるのかな?」

「んー、レベル制限だけじゃなくて筋力制限もあるし、そのステータスがどう伸びてるのかもよくわかんないんだけど」

「健一はHPが大分上がってるから近接系に育ってそうだな」

「近接……かぁ」

 レベルは同じはずなのに麻衣と健一のHPとMPにはそれぞれが逆方向に倍近い差がある。
 本人がステータスウインドウを開けないため詳細は確認できないが、恐らく健一は筋力や体力が伸びているんだろう。
 桂木にこっそりと聞いたが、健一は昨夜も剣の素振りをしていたらしい。その辺りが原因なんだろうか。
 逆に言えば麻衣は恐らく知力や精神力を大きく伸ばしていると思われるのだが、彼女に精神力を使い果たしたり知恵を絞ったりする場面があっただろうか。

 ――あったような気も、する。

 ちなみに桂木は丁度二人の中間辺りだ。本当に普通で安心させてくれる。

「じゃあ剣士とかを目指すとして、どう戦えばいいんだろう?」

「うん、だから適当でいいってば」

「いや……その、さ」

 言いよどむ健一の考えている事はわかるのだろう、杏里も困った様に笑って言った。

「ゲームと同じで、しっかり近づいてちゃんと狙えば適当でも命中率通りに当たるの」

「……命中率?」

「そそ。だからあんまり気にしてないかな」

「適当って……構え方とか振り方とか、そういうのは全く関係ない?」

「やっぱりちゃんとした方がよく効いてる気はするけど、気がするってだけで確かめようがないから。落ち着いて無理せず振れればそれでいいよ」

「素振り、意味なかったな」

「…………言わないでよ」

 可哀想に、健一は完全にへこんでいた。
 影ながらの努力がステータスに影響している可能性を考えれば決して無駄でもないのだが、それを言って余計に頑張られるのも怖い。

「本当にそんな……そんなもんなんだ……」
 
「そんなもんだよ。何て言うかほら、剣道が出来なくても包丁で人は刺せるじゃん?」

「……その物騒さは方向性が違うんじゃないか」

 酷い言い草だったが確かに間違ってはいないと思う。
 杏里は今は一般人そのままに過ごしているが、以前見せた砂煙を出すような速度も、重い鎧を着込んだ上での素早い動きも、常人離れした身体能力に支えられている筈だ。
 精神面にステータスを多く振りわけている俺と比べて肉体面のステータスを上げている杏里は現実の肉体に強い影響を受けている。
 本来の自分とは大きく違う現在の体の『性能』、それを使いこなそうとすればそれだけで相応な難しさがあるのは想像に難くない。
 しっかり近づいてちゃんと狙って、落ち着いて無理せず武器を振るう。確かにそれ以上を望むのは無理が過ぎる話だろう。

「ちょっとまって、でも、それならさ」

「うん、何?」

「適当に殴っても数値通りに当たるんなら、じゃあこっちもモンスターの攻撃は避けられないとか、そういうこと?」

「――――え?」

 思わぬ問いに俺も杏里も一瞬答えにつまった。
 確かにゲーム通りに考えるなら避けようとしようがすまいが当たるものは当たって外れるものは外れる。
 しかしそれは――

「んー……そう、なの……かな……」

「いや、でも……違うんじゃないか……?」

 曖昧に答える俺たちにむしろ不思議そうに健一が問いを重ねる。

「ゲームではそうなんじゃないの? そもそもどういう計算なの、命中率とか回避率とかって」

 ――聞きたいと言うのか、それを。

「物理攻撃の命中判定は、武器と武器種による基本命中率を職種による命中率補正にかけた後に技量値とレベルで補正した数値から対象モンスターの敏捷値とレベルに応じた値を引いた上で武器熟練度を適用し武器種習熟度の調整を加えた上で基本攻撃スキルのスキルレベルが加味されさらに攻撃時の距離と地形で若干の味付けをしたややこしい計算の末にまあ大体当たってたまには外れるぐらいの数字が残る」

「……大体当たるんだね」

「回避率も聞くか?」

 健一と、ついでに杏里もが力なく首を横に振った。
 ゲームの計算式から数値を具体的に出すなんてのは、キャラクターを作る前や新しい高価な装備を用意する前にどうしても必要にならなければやるもんじゃない。
 ともあれ、余程とんがったステータスでなければ100%の命中率や回避率にはならない。
 例えば俺は魔法成功率と詠唱速度の為に技量を限界まで上げたステータスになっている。
 その上これまで出会ったモンスターとは大きなレベル差もあった。外した記憶がないがそれは恐らく自然だと思う。
 クーミリア――ドラゴンナイトの少女も、スピードを考えれば避けられて当然の俺の攻撃がきっちり当たっていた。
 システム的に、ゲーム的に考えれば当然の結果だ。
 しかし――

「まあ現実的には……ありえないな」

「うん、ちゃんと動けば避けられたと思う。さっきのプチドラもそうだし……よくわかんないけど、もしかしたら攻撃範囲の外でミス扱いとか?」

 同じような違和感は杏里も持っているらしく、自信なさげに否定の言葉がかえった。

「こっちは狙えば当たるのに向こうの攻撃はちゃんと避けられるんだ? それなら結構楽にやれるかな?」

 期待を籠めた健一の台詞に杏里と二人、顔を見合わせた。
 同じことを考えているんだろう、杏里も困ったような表情を浮かべている。

「んー、でもそういう避ける動きもステータスに依存してるよね。あたしはあんまり素早くないからわかってても食らっちゃうことあるし、相手が早すぎて距離的に空振っちゃうこともあったし」

「俺もそれで苦労してる」

「だよね……」

 攻撃速度の為に幾らかは敏捷性を引き上げている杏里と違って俺は職業ボーナス分しか速さがないのだ。
 それでも一般人と比べれば相当に早いが、化け物の攻撃を避けきるに足るとはとても言えない。
 ショートテレポートはそれを補えるものの、状況把握とそこからの行動でタイムラグがある。もしも実力の近い相手と戦いになる事があれば使い道は少ない。
 仲間の壁になることが多い現状の戦闘では尚の事だ。

「…………」

「…………」

 基本的には攻撃を受け止めざるを得ない者同士、どちらともなく溜息をついた。
 
 だが、攻撃範囲外、というのは本当にありえるだろうか。
 『ワンダー』は元々かなり古い時代に作られたゲームだ。
 通常攻撃が出来る距離まで一時的にでも近づけば、行動決定後に離れてもダメージの判定が行われるという、今時は少ない設定になっている。
 攻撃すると決めて相手が当たる距離に居れば、それこそクーミリアのように『何故か』直撃を受けてしまうはずだ。
 回避するにはそもそも絶対に近づかないか、素晴らしい回避力を備えるしかない。ゲームらしい話だ。
 その為、攻撃の瞬間にだけ距離をとって攻撃を避けるなどというテクニカルなシステムは備わっていない。
 現実的には当然なのだが、だからこそゲーム的にはありえない。
 しかしそう考えていけばそもそもスキルの仕様も――
 
 と、考えている俺に健一がおずおずと口を開いた。

「えーと、あとさ」

「ん?」

「もしかして弓みたいに遠くから当てられる武器があれば結構やりたい放題なんじゃないかと思うんだ。どうかな?」

「……そうだな、結構ありなんじゃないか」

 確かに遠距離武器の利点はゲームより現実の方がよほど活かせる。
 足を狙う、罠にかける、地形を利用する。ヘイトを稼がない範囲なら前衛を壁にしても撃っても良い。
 スキルがなくとも頭を使えばやりたい放題というのはあながち間違いではないかもしれない。
 ――使いこなせるのなら。

 使えるのか、と聞いた俺に健一の表情が目に見えて引きつった。

「あれ、実は弓道部とか? 肩をはだけて弓とか射っちゃえる?」

「……ううん、未経験なんだけど。何て言うかほら、その、さっき言ってたシステム的な何かでさ」

 健一はインドアではないもののアウトドアと言える程ではない。
 ただでさえレベルが低い上に近接武器を扱う自信もないので間合いの取れる武器を考えているんだろう。
 ステータスで無理やり戦っている俺でも殴り合いは怖いぐらいだ。気持ちはよくわかる。
 しかし、残念ながら――

「弓が装備できるのって……」

「弓手職の系列だけだな」

 弓を装備できる職業は多いのだが全て転職後の職業だ。冒険者には装備できない。
 俺がナイフを扱うように一般人レベルで使える可能性はあるが、それならやはり最低限の技術が必要だろう。

「じゃあ、遠くから石を投げるとか」

「石投げは……」

「固定で1ダメージ……」

 攻撃動作どころかエモーション動作である。タゲを取る以外には使えない。

「……遠くからナイフを投げるとか」

「あ、それはあるな、投擲攻撃」

「本当? じゃあそれを使えば援護とか出来るんじゃない?」

 確かに出来るだろう。オーガを倒した実績もあることだし、案外投擲武器とは相性がいいかもしれない。
 しかし、これはこれで――

「確か投擲も武器が決まってて……投げると確率でロストするんだっけ」

「ナイフを100本持ち歩ける、とかならいいかもな」

 インベントリが使えないとこういう時に困る。
 弓を扱うにしても結局矢を持ち歩くのに苦労した事だろう。

「…………」

 無言で頭を抱える健一に、情けない動作と合わせていつも以上の愛嬌を感じる。
 男の癖に可愛らしい様子にどこか不条理さを覚えていると、ついに観念したらしい。

「……杏里ちゃん、剣での戦い方、教えてくれるかな」

「あはは、だから私も本当に適当に振ってるだけなんだけど」

 素振りの成果が発揮できると何よりなんだが。




「開けゴマー、とか?」

「それ、魔法なんでしょうか?」

「だってほら、魔法のランプ……」

 麻衣と桂木は流石にモンスターを殴り倒す気はないらしく馬車の奥で魔法の練習をしている。
 魔法の練習という名の雑談の会、もしくは若干漫才のようにも見えた。

「あたしも最初は殴り殴られ頑張ってたんだけど、やっぱり痛いとどうしても動きが止まっちゃうの」

 杏里先生の講義は続いている。
 武器の扱いについては本当に教えられないんだろう、行動方針と精神論が中心になっていた。

「殴り合いって、思ってたよりずっと大変だったよ。最初なんて怖くて痛くてずーっとやられ放題」

 ボクサーだって殴られれば一瞬動きは止まる。当然と言えば当然の話だ。
 しかし野生動物にも近い実在のモンスター相手にその隙は致命的かもしれない。

「だから避ける、受ける。最悪の場合でもどこか防具に当てるようにしないと絶対駄目。ダメージは変わってないんだけど体に直に当たるのとは気持ちが全然違うから」

「杏里ちゃんみたいに鎧を着ててもやっぱり痛いのは痛いんだ?」

「それがそうなの。もうびっくりするぐらい痛くて、どう考えたって負けないような相手にちょっと危ない所までいった事もあったりして」

「――っ」

「えええ、大丈夫だったの?」

「残念ながら……って大丈夫じゃなかったらここに居るあたしって何なのっ」

「いや、冗談冗談。そっか。杏里ちゃんもやっぱり苦労してたんだね」

「…………」

 いや、実際に致命的だったんだ。
 杏里と出会ったガイオニスの周囲にいるモンスターは、先のプチドラの様に数匹だけ居る特異な敵を除けば彼女一人で軽くあしらえる相手ばかりだ。
 現在の杏里が装備しているのはNPC商店で買えるありふれた武具だが、それでも正面から戦えばただ殴り合っているだけで十分に圧倒できる。
 例えば必要ない筈なのに逃げ回って相当な数の敵に囲まれてしまったり、何も出来ず無抵抗に攻撃を受け続けるような事がなければ……危険な状態には追い込まれない。

「痛かろうが死にそうだろうが戦える気合があればそれが一番なんだけど、やっぱり難しいから。勢いで倒せる相手だけ選んで先制攻撃、これが完璧な作戦だと思う」

「もし敵の方から襲い掛かってきたら?」

「逃げて。頑張って逃げて」

「うわぁ……」

 何の躊躇もなくゴブリンの首を飛ばした杏里を思い出した。
 敵の攻撃を鮮やかに捌き、的確に処理していく姿が蘇った。
 クーミリアの剣を幾度も受けて血を流し、しかし冷静だった彼女の異様に気がついた。

「それから一番大切なのは、山田君が居ない時は絶対に戦わないってこと。とりあえず山田君が居れば即死以外で死ぬ事はないから」

 だよね? と笑顔で振り向いた杏里に俺は頷くことしか出来なかった。
 傷ついて癒されて、また傷ついて。そんな拷問みたいなことをさせたくない――以前俺がそう言ったあの時、杏里は大丈夫だと言った。
 殴られて殴られて……それでも命懸けで抵抗する戦いに比べれば、命の危険がない今は確かにお遊びなのかもしれない。

「と言っちゃうと全部山田君にやらせちゃえばいいことになるんだけど……あー、やっぱりそうしよっか。楽だし」

「いや、僕も戦えるようになりたいって話で……」

「あたしは何か教えるとかそういうタイプじゃないんだもん。そだ、そろそろ山田君と代わろ?」

「……俺は僧侶だから殴り合いとかどうしようもないっつの」

「うーん、やっぱり全身にナイフを装備して投げまくるのが良いのかなぁ……」

「やりたいなら良いけど、絶対にあたしの方に近づかないでね?」

「だ、だよね……どうしようかな……」

 数日前の生命の危機を明るく話せるというのは強いのか鈍いのか。
 全身刃物人間への道を歩もうとする健一を笑顔で拒絶する杏里、は多少の危険や幾らかの痛みは笑い飛ばせる域にいるんだろう。
 皆と一緒に戦うというのは杏里がしたような危険を味あわせることに他ならない。
 その重みを強く感じ、深く深く考える。
 そして俺は健一を見据えて言った。

「よし、とりあえず次に出た敵と戦ってみるか」

「…………マジで?」

「うんうん、いけるいける!」

 健一相手に気を使うのも馬鹿馬鹿しい。男がやると言っているんだからやればいいだろう。
 ステップボアならバフ込みで4,5発は耐えられるので全く問題はない。
 二発で半殺しになる痛みというのはどの程度か、受けてみて本人に判断してもらおうと思う。
 麻衣や桂木ならともかく健一ならいいだろう、うん。





 ――プギィィィィィ!!

「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――」

「健先輩ーっ!? 山田先輩、早く、早く助けてっ!」

「うーん、飛んだねー。トラック相手の交通事故みたい」

「だ、大丈夫なんでしょうか……?」

「とりあえず杏里、あいつ処理しておいてくれ」

 正面から向き合ったモンスターの圧力を前に、健一は当然のように棒立ちだった。
 猪の突進をまともに受け止めて空を舞う人影をのんびりと追いかけ、落下した所でヒールをかけてやる。

「どうだ、やれそうか?」

「……次は絶対、避けるよ……」

「……そうか」

 言葉とは裏腹に倒れこんだまま起き上がろうとしない健一。ショックで体が動かなくなっているらしい。
 後のことは駆け寄ってきた桂木に任せ、簡単にステップボアを切り裂いた杏里と目を合わせる。

「無理だろ」

「無理だね」

 言葉をかわし、ごく自然に頷きあった。
 とは言え本人が満足するまではやらせてやりたい所だ。

「魔法使いになるのもこんなに無茶しないと駄目なんですか……?」

 桂木に支えられて身を起こす健一を見て不安げに言う麻衣。
 軽く肩を叩き、安心させるように、力強く答えた。

「健一には漢として引けない場面があっただけだ。麻衣は時間をかけてちゃんとレベルを上げてやるから心配しないでくれ」

「うわー、不公平だ」

 二人を公平に扱う方がよほどおかしい。
 ふらふらと身を起こす健一を小突き、確かに安全な時に色んなことをやってみるのもいいかもしれないと、少しだけ納得した。






















 第八話 我侭(下)





















 地平線に微かな影が見えた時、最初に脳裏に浮かんだのは『大草原の小さな家』だった。
 周囲はひたすら草原に囲まれて緑一色、その中に小さな白い家があるように映ったのだ。
 しかしすぐに気がつく。距離がある為小さく見えるだけで、実際には巨大な白亜の壁がそびえ立っている。
 何もない草原にぽつんと都市。ゲームでも相当な違和感があったが現実で見るとさらに異様だ。
 
 ともあれついに町が見えた。ライソードを目的地とするならあそこが最後の通過点になる。

「見えたぞー、サイレインだ」

「本当ですか?」

 返事は一人分だけだった。
 馬車の中に視線を送ると、まだショックが抜けていないらしい健一を膝に乗せた桂木がこちらに人差し指を立てている。
 杏里の方は二人から背を向けて大きな盾を布団の様にして眠り込んでいた。
 健一に色々あったとは言え、あの状況で不貞寝をしたい気持ちはわかる。そっとしておこう

「見ても大丈夫ですか、先輩」

 こちらはしっかり起きていた、入り口脇までやって来た麻衣に頷き返し、遠く見える白壁を指差した。

「あれがサイレインだ……と思う。予想より少し早く着いたな」

「夜は中で食べられますね」

「そうだな。壁の中には確か畑もあったし、そういうのが食べられるかもしれない」

 地平線まで馬車の速度でも一時間はかからないだろう。ようやく一休みできる。
 問題は、よくわからない味付けの適当な料理を食べるより、桂木が作った方が俺たちの口に合うという事か。

「……えっと、失礼します」

 顔を出すぐらいなら同じだと考えたのか。麻衣が俺の隣、御車台に腰掛けた。
 少しだけ体重をかけて寄りかかってきた麻衣に応えて、二人支えあうようにしてしばらく馬を進ませた。







 サイレインが近づいてくるにつれて遠めには小さく見えた壁の大きさがはっきりと伝わってくる。

「凄いですね。何もないところにこんな大きな街が……」

 幾らか傾いた太陽の下、継ぎ目すら見えない城一色の外壁は薄い銀色に輝いている。
 確かに幻想的と言うに相応しい光景だと思うが、俺は違う感想を持っていた。

「凄いと言うよりおかしいよな」

「おかしい……ですか?」

「ここさ、最初はただの草原だったんだよ」

「……?」

 不思議そうにこちらを見返す麻衣に言葉を間違えたことに気がついた。
 ゲームの内容を現実として説明するのはいつも難しく感じる。
 言葉足らずになると言うか、一番大切な部分が噛み合っていないというか。
 ネットゲームの世界は、本当に一つの世界として存在しているかのように、そこだけに適用されるルールや法則、常識が存在する。
 それを知らない、体験していない相手は会話の意味すら把握できない場合があるのだ。
 そして良くも悪くもその部分を理解していて、俺と噛み合ってしまう杏里と話しているのは気楽で――

「先輩?」

「……いや、えっとだな。町が出来る前の最初って意味じゃなくて……普通の草原マップにアップデートで町が追加されたんだ」

「町が追加……?」

「ただ連続した草原マップにモンスターが居るだけだったのに、マップとマップの間に後から強引に町を設置した結果、あんな感じになってる」

 あんな感じ、と町の周りを指差して麻衣は少し納得したようだった。
 立派な外壁を持つ大きな町があるのに。その周りはただ一面草原だけ。外壁の外には建物が一つもない。
 物語ならこんな町もあっていいだろうが現実にあると明らかに妙だ。
 大きな入り口から薄っすらと街並みが見えるから都市だとわかるものの、そうでなければ入るまで何かはわからないだろう。

「そうですね、ちょっと不自然です」

「やっぱりこういうの見ると、確かにゲームなんだなって思うよ。魔法がどうとかより、こっちの方に違和感がある」

 現実にはありえない生き物、現実にはありえない出来事。
 しかしそれよりも、マップの継ぎ目という現実では存在しないシステムが如実に現れる事が俺には異様に映る。
 それをどう受け取ったんだろうか、麻衣は少し俯いて、小さく言った。

「ここはお話の中。ゲームの中。動物も町も人も……作り物」

「どうにも、普通に生活してる人間にしか見えなかったけどな」

「……それでも決まったことしか出来ない登場人物。昨日の人もそうだったんでしょうか?」

「俺には……わからないな」

「……」

 杏里とは違い、やはり麻衣はクーミリアの事が気になっているんだろう。
 結局の所は麻衣が正しかったと思う。
 幼く可愛らしく、そして可哀想だったから、何となく許せる気がしたけれど。
 剣を向けられた人間を無条件に許せる心の広さを持つだなんてそんなに簡単なことじゃない。
 全員が、そして彼女本人が受け入れたとしても、俺達は叶うなら短い旅にしたいと思っている。
 連れて行ってもきっと長く一緒には居られないのだ。
 勿論してあげられることは他に幾らもあっただろう。でも俺達は見知らぬ他人の人生に責任が取れるほど立派な人間じゃない。
 相手が本当にNPCならなおさら気にする必要はない筈だ。


 ――ちょっとは気を抜いて、気楽にいこうよ――


 ――しかし、そう、そんなに気負って考える事もなかったかもしれない。
 ゲームの中で、元々は敵の新しい仲間、可愛い少女がPTに加入した……それは何かおかしかっただろうか。
 もしかしたらそれでも良かった……



 ――プギィィィィィ!!



「っ、先輩っ!」

 唐突に響いた何かの鳴き声。
 麻衣に言われるまでもなかった。進行方向に砂煙と動物の影が見える。
 前方に見える突進中のステップボアをターゲットし、クイックスロットから魔法を発動する、イメージ。
 大分と慣れてきた手順をすんなりとこなし、虚空に白い光が冗談のように瞬き、強く輝いた。
 勢いよく突進していた猪がつんのめるように止まり、そのまま横転する。

「あ……先輩、凄い!」

「いや、悪いけどまだなんだ」

 麻衣から向けられる尊敬の視線が痛い。
 ステップボアはまごうことなき雑魚モンスターなのだが、初級神聖魔法一発で倒せるほど弱くはない。
 と言うより一発で倒せるモンスターの方がかなり少ない。
 のろのろと起き上がり、再び突進の姿勢を取ったステップボアが走り出すと同時に、再度スキルを発動。
 カウンター気味に魔法を受けてさらに倒れこむステップボアに、最後はタイミングを図る必要もなくディレイが切れるのと同時にスキルを発動した。
 人間の腰までありそうなサイズの猪が白い光と共に消滅していく。
 俺自身は全く身動きを取っていないのが、もう苛めにしか見えない。
 流石に気分が悪いかと隣の彼女を伺ったのだが案外そうでもないようだった。

「簡単に勝てちゃうんですね、先輩」

「ああ……うん、まあ……」

 生き物を殺戮する彼氏を輝く瞳で見つめる彼女というのはどうなんだろうか、どこか猟奇的ではないだろうか。
 勝てる、と表現するのが彼女なりの優しさなんだと考えたい。

「本来はそんなに簡単でもないんだけどな。魔法で動きが止まるとか、ゲームではなかったし……」

「そのまま走ってくるんですか?」

「そうなる筈なんだけどな」

 ノックバックや硬直付与の効果がないただの魔法攻撃なら、ゲームではダメージを受けながらも敵は攻撃を続ける。
 しかしこの世界に普通に存在するモンスターだからか、攻撃を受ければ止まるし痛がったりもする。
 時には逃げ出したりすることもあるのだ。
 機先を制すればそのまま倒してしまえるのでここまでモンスターで特に苦労はしていない。
 
 しかし最後に消滅するから幾らか罪悪感が軽減されているが、やはり生き物を殺すというのは余り気分が良くない。
 身勝手な考えだが、誰かの目があるところでは特にやりたくなかった。
 かと言って誰も見ていないといつかのように無感動に敵を消し飛ばしてしまうこともある。
 あれはゲームだから気にしなくても良い、と区分けするには厳しい行為だと思う。

「……ボアのベル、拾わないのー?」

「なんだ、起きたのか、杏里……?」

 後ろからの声に振り返ると何かもう凄いことになった杏里が居た。

「杏里、鏡見ろ」

「ん……持ってないし……ふぁ……」

「借りろ。ほら、もうすぐサイレインだからしゃきっとしろ。健一も起こしてくれ」

「んー、健一くーん、もうつくよー」

「あ、ちょっと、栗原さんっ!?」

 髪はぐちゃぐちゃで、片方の頬に毛布の模様がつき、もう片方の頬には盾が食い込んだ妙な跡のついた変な女――
 つまるところ杏里に、膝の上の想い人が襲撃された桂木が騒いでいるが……もう放って置こうと思う。

「夜はそれ程寝る時間がないし、昼に寝てくれるぐらいで丁度良いよな」

「そうですね」

 と言ったものの、昨夜まともに眠れていないだろう麻衣の方が長い時間起きてくれている。

「麻衣も、昨日は悪かったよな、本当。今日はちゃんとゆっくり休めるから」

「……はい」

 そんなに残念そうな顔をされても困るんだが。

「――自分達だけ桃色の空間作って、ずるいと思う」

「……早いな、杏里」

「桂木さんに叩かれたの……痛い……」

「大丈夫、ですか?」

「んー。平気」

 果たしてダメージはあったんだろうか。単に気持ちの問題かもしれない。
 髪の方は櫛を通した程度だが、顔に残った跡は綺麗に消えている。自然回復だろう。
 しかし寝起きで目つきが据わっているのは変わっていない。
 並んで座っている俺達に邪悪な視線を注ぎ、杏里は黒く笑った。

「やるのやらないのでイチャつけるのなんて今の内だけだもん……どうせすぐに会う日は毎回ってなって、面倒になって、それで別れるんだもん……」

「起き抜けに何を言ってるんだお前は……」

 別れろー別れろーと聞こえてくる呪詛に麻衣の方も苦笑している。
 男女関係で誰かに妬まれるなんて杏里に会ってからが初めてで少し新鮮なんだが、麻衣もそうだったりするのかもしれない。
 呪いの声が落ち着いたところで、近づいてくるサイレインの門を見ながらふと杏里が言った。

「そうだ、ここの聖剣教会見てみたいなー」

「ああ、良いかもしれないな」

「せいけん教会……ですか?」

「そう、聖剣が祭られてる教会。土に刺さった剣を抜けたら英雄で、なんとその聖剣がもらえるの!」

 どこかであったような話である。もちろん、抜けるようには出来ていない。

「わぁ……素敵なお話ですね」

「そう! ターゲットしたら性能だけはわかるんだけど、それがもうすっごいの。絶対欲しいよね!」

「英雄ってちょっと良い響きですよね」

「うん、本当に凄く強くって、スキルも上がるし――」

「……お前ら、噛み合ってないぞ」

 盛り上がっているので別に良いんだが。

「折角来たんだから見ておきたい気もするな。あの滅茶苦茶大きなステンドグラスの教会とか」

「ん、それライソードの方、大聖堂だよ。山田君、一緒に行こうって言ってたでしょ?」

「ああ、そうだった……そうだけど……」

 思い出した、確かに大聖堂だ。フレンドの結婚式で何度も見た教会。
 それはそうなんだが、一緒に行くなんて話――しただろうか?

「私、ヨーロッパの教会とか好きで……色々見て回りたいです」

「適当に観光もしようか。一日で見て周れない広さじゃないしな」

 本当は帝国の誰がしかに襲撃される危険もあるんだろうが、一応は教国内になる。幾らか安心はしていいだろう。
 そもそも本当はこんな心配など必要なく、俺達は追う必要のない相手と見られて放置される可能性だってあるのだ。
 しかし仮にも部隊長だったらしいクーミリアを撃退したという大きな気がかりが楽観的な自分を抑え込んでいた。





 後ろの二人も準備を追えたらしく、馬車から顔をのぞかせた。

「白い……大きい……綺麗……」

「うん、三行で言うとそんな感じだね」

 三行とか言っても桂木にはわからないぞ、健一。
 俺と杏里と健一で、既に解る方が多数派になってはいるが。

「この町の次にライソード、神様の居る町がある。でもここから最低で二日はかかるだろうし……道は険しくて敵も強い」

「ちゃんと準備していかないとダメ、ってことか」

 ぽんぽんと腰のソードを叩きながら健一が呻く様に言った。
 まだ使いこなせていないその剣以外に盾のようなものを買うのもいいかもしれないと少し考えていたりする。
 投擲武器を用意するよりは実用性があるだろう。出来れば逃げて欲しいんだが。

「険しいって……大丈夫なんですか? 山田先輩、どのぐらい大変なんです?」

「自分の足で歩いたわけじゃないんだけどな、文字通りに山あり谷ありだった」

「ふぇぇ、また山……」

 桂木にとっては谷より山が問題か。未だに振動に慣れないらしいから仕方がないな。

「山を登って吊橋で谷を超えて、それでまた山を登って、それから山を降りて……歩き終わった時には右手が疲れてる。そんな道かなー?」

「右手……?」

「ほら、これこれ」

 不思議そうにする桂木に、杏里が右手でマウスをクリックする動作を見せていた。
 マウスを握る手が疲れるって事だろう。わかりにくい。
 視線を戻すと、サイレインの門の端で門兵と思わしき男が手を振っている。
 あそこで検問を受ける、ということだろうか。
 よくよく考えるとこの馬車は帝国騎士団のものをそのまま使っているわけだが、止められたりはしないだろうか。
 ほんの少し緊張しながら馬首をそちらに向けた。









 なんと言えば良いんだろうか、やたらとフレンドリーだった。

「いやー、そんなに若いのに自分の足で巡礼なんて、今時感心だよ。このままライソードにも行くのかい?」

「は、はい、数日泊まったら向かう予定です」

「そうかそうか! うん、本当に素晴らしい!」

 白いローブを着ている麻衣が隣に居たのが効いたらしい。
 巡礼に来たという言葉があっさりと信用され、むしろ歓迎を受けるている。
 あっけなさ過ぎて拍子抜けしてしまうぐらいだった。

「内緒なんだけどね、商人と違って巡礼者には街の方で支援があるんだよ。宿を決める時に巡礼だって言えば、どこも安くしてくれるよ」

「はい、ありがとうございます……」

 そこで出ようとする商人さんが思いっきり聞いている気がするが、その辺りはいいんだろうか。
 苦笑している辺り暗黙の了解と言った所なのか。

「馬車は預かれないから、悪いんだけど応じた宿を探して欲しい。東の大通りなら何軒も見つかるよ」

「わかりました、ありがとうございます」

「では、良い滞在を!」

 爽やかな門番に見送られ、入り口から東へ馬の足を進める。
 すぐに着くと思ったが思ったより時間がかかったようだ。もう十分に夕方と言える時間になっている。
 外壁だけでなく街の建物全てが白亜のサイレインは、傾いだ太陽の光を受けて町全体が黄金色に輝いていた。
 ただの町家も、装飾の施された教会も、豪奢な商店も。全てが絡み合いながらイルミネーションの様に連なっている。
 さほど遠くない距離の複数の教会から同時に鐘の音が響いて、恐らくは意図しているのだろう、複雑だが壮麗な音のメロディーが耳に届く。
 贔屓目に見ても幻想的だと言えるその光景に揃って声もなく見蕩れた。

「ね、山田君」

「ん……杏里?」

「ここに住むのもいいかもしれないって……思わない?」

「……大丈夫か、お前」

 どういう思考の結果そこに行き着いたのか、わかるようなわからないような。

「そうですね……凄く、綺麗……」

「ほら、杏里のせいで麻衣がどんどん汚染されてるだろ」

「松風さんは会った時から結構凄い人だった気がするんだけど……」

 俺の立場としてその発言は認められない。
 横の明らかに失礼な会話すら耳に入っていないぐらいに見惚れている麻衣はとりあえず置いておこう。
 あちこちに出ている露店の中から適当な店を見繕い、馬の足を止めさせる。
 美味しそうな果物のジュースがあったので素材も確かめずに5人分購入し、馬車の泊められる宿を紹介してもらった。
 残念なのか幸いなのか、味の方はぼんやりしていた麻衣の意識を戻すぐらいにアグレッシブだった。
 インベントリに入れて説明文を見ると攻撃力の数値が設定されている。これは捨てようと思う。






 教えられた宿屋は今までよりずっと高い金額を取る代わりに何も聞かず何も言わずに部屋へと通してくれた。
 ベッドと大きなテーブルのある広い一室で荷物を下ろし、ようやく一息をつく。

「はー……疲れたよー」

「いや杏里、寝てただろ」

「寝苦しかったから、もう逆に疲れちゃって」

「うん、それわかるよ。僕もやたらと体痛くてさ」

「健先輩、私と~っても足がしびれたんですけど?」

「お前らな……」

 ため息をついて椅子に腰を下ろすと、麻衣も俺の対面の席についた。
 疲れているのか、眠いのか。溜息ではないだろうが、吐息を吐くのが微かに耳に届いた。
 少し俯き加減になっている様子が暗く見えて、何故か初めて会話をした日に一人で沈みこんでいた彼女の姿が重なって見えた。

「……麻衣?」

「あ、はい。何ですか先輩?」

 それは一瞬だけの気のせいだったらしい。
 思わず声をかけるとすぐに顔を上げ、俺と目が合うと少し首を傾げて微笑んでくれた。
 少し湿った黒髪が幾らか間をおいて頬を流れ、意識もしていなかった麻衣の匂いを少しだけ感じる。
 上目遣いでおどおどしていたあの日とは違いしっかりとこちらを見つめている。
 よし、と何処か嬉しく思いながらも、よく考えると特に用事はなかった。

「いや……長旅だしな。やっぱり麻衣も疲れたか?」

「そうですね。少しだけ」

 笑ってくれてはいるのだが、確かに少し疲れた笑顔に見える。
 疲れが取れるように長めに滞在するべきなんだろうか、それとも一日でも早く帰るべきなんだろうか。
 杏里は少しは無茶をしようと言ったが、皆はどう思っているんだろう。

「健一、まだ夜には早いしちょっと外を歩かないか。まともな飯の食えそうな店も探したいし」

「あー……うん、行こうか」

 こちらは幸い元気そうな、桂木をあしらっていた健一が頷いて立ち上がってくれた。
 
「じゃあ、後頼むな」

「はーい、行ってらっしゃーい」

 軽く請け負った杏里に手を振り、二人連れ立って部屋を出る。
 扉を閉める直前、見詰め合う女性陣の間に何となく微妙な雰囲気を感じたのは気のせいだと思う。







 猪にはねられたショックは流石に癒えているんだろう、健一は意外と元気そうに歩いている。
 俺には答えを決めかねる『若いんだからもっと無茶をしよう』という杏里の意見についてどう思うだろうか。

「回復魔法とかポーションって副作用はあるの?」

「ポーションは100本ぐらい飲むとやっと中毒になり始めるけど、すぐ治る。魔法は特にないな」

「んー、なら別にもう少し無理してもいいとは思うけど……やっぱり女の子の体調は読めないからね」

 つまりは何とも言えないという事か。

「慣れない場所に連れて行って無理させると、三人に一人がお腹壊すよ。それでもう一人は頭が痛くなって、最後の一人は調子が悪くなる。女の子ってそういう生き物だから」

「……何が違うんだよその三つ」

「色々違うんだよ、色々」

 足が痛いって言われたらもう末期だね、とやはりさっぱりわからない話を続けられた。
 日が沈んだサイレインはやはり美しい町だったが、男と二人で雰囲気も何もあったものじゃない。
 道沿いに並んだ露店や店舗を冷やかしてだらだらと歩みを進めた。

「そういえばさ」

「ん?」

 宿を紹介してもらった露店と似た果物が売られているのに恐怖に近い何かを感じていると、健一が少し改まって声をかけてきた。

「麻衣ちゃんとは、上手くいってる?」

「上手くいきすぎてるぐらいだ。その話かよ」

 わざわざ真剣にこの話はどうなのかと思ったのだが、健一は真面目な表情で続けた。

「なら良いんだけどさ。杏里ちゃんとも仲良くやってみるたいだから……どうなのかと思って」

「……普通に仲良くしても悪くはないだろ?」

「そりゃ、悪くはないけどね」

 言い訳のようだと自分でも思いながら言った言葉に、健一は少し溜息をついた。

「まあ、山田にそのつもりがないならその方が良いよ。僕も麻衣ちゃんの方がお勧めだし」

 ――――それは

「な……なんだよ、それ。どういう意味だ?」

「なんだ、じゃないよ」

 反射的に言い返した言葉に思ったよりずっと強い言葉が返ってきた。

「どういう意味か? 山田はそこが悪いんだって言ってるんだよ」

 そこってのはどこの話だと、軽口を言えるよう空気ではない。

「僕は麻衣ちゃんが良いって言ってるんだからそれで良いだろ、なんで嫌そうにするのさ」

「嫌そうって、そんなつもりは……」

 そんなつもりはなかった。でも、確かにそんな風に言ってしまったかもしれない。
 曖昧に言い返した俺に厳しい視線を向け、健一が説教のように続ける。

「麻衣ちゃんの話だけじゃない。杏里ちゃんへの態度もそうなんだよ。いくら仲が良くても彼女と他の女の子っていうのは区別しなきゃダメだ」

「区別って……」

「区別するのが当たり前だろ。曖昧なのは失礼なんだよ。僕だって同時に何人もなんてした事ないよ」

 言われてみるとそうだったかもしれない。
 この男は連れている女が頻繁に違った。
 いつだってとっかえひっかえで……それでも被っている時期はなかったような気がする。

「特別扱いをしなきゃダメなんだよ。不公平なぐらいで良いんだ。彼女にだけ見せる顔とか、してあげる事とか、そういうのが必要なんだ」

「……ああ」

「だからね、許されたからって何をしてもいいわけじゃないし、求められないからって何もしなくていいわけじゃない。わかる?」

「……なあ健一」

「なにさ」

 何と言うか、ためになった。
 同じネトゲ仲間と話すのが楽しいからつい、と自分には言い訳できても、他人の視点で言われると胸に来るものがある。
 素直に受け止めるべきだと思う、のだが――

「いや……お前からこの手の話を聞いて感謝する気持ちになったの初めてだ」

「いつも聞き流してたもんね、山田」

「全く関係なかったからな……」

 関係があるようになったというのは喜ぶべき事なんだろうか。
 
 思わず息を吐いた俺と同時に、健一も疲れたように溜息をつく。 
 少し道を外れ、崩れた塀を椅子代わりに並んで腰を下ろした。

「……ごめん、ちょっと八つ当たりだった」 

 ぽつりと言われたその言葉に首を振る。
 間違ったことを言われたとは思っていなかった。

「まあ、さ。この機会に慣れておいた方が良いよ、こういう媚びられるような事に」

「そうか? この世界に入らなかったら女なんて一生縁がなかった気がする」

「麻衣ちゃんは最初から押せば……まあそれはともかくさ、実際の所は山田も考えてるでしょ。もしかしたらもう戻れないかもしれないって」

「…………それは」

 予想外の言葉に一瞬息を呑み、ゆっくりと答えた。

「……そりゃ、考えてないとは、言わない」

 皆の居る前では出来ない、踏み込んだ話だった。
 確かにもしもの場合を考えているのは事実だ。
 しかし俺の考えているそれは全ての可能性を潰した後のことだ。
 神に会い、それがダメなら麻衣を転職させて、それでもダメなら力づくで魔王を従えても良い。
 何をしても無駄に終わったのならその時はこの世界で生きていかなければならないが、そんなのはずっと先の話になる筈だ。
 
 しかし健一の言う可能性はもっと近い未来を見ているように思える。
 曖昧に答えた俺に健一は深く聞こうとはせずに続けた。

「例えば……生きていけるように皆強くなって、仕事を探すのかモンスターを倒して暮らすのか知らないけど……きっと知り合いも増えるよね」

「そうだな」

「仲間が出来るかもしれない。家族になる人が居るかもしれない」

「そういうこともあるかもな」

 言われて、クーミリアのことを思い出した。
 この世界に残るんなら彼女のように何かの機会に出会った誰かを見捨てる必要はないんだろう。

「でもさ、山田頼みなんだよ、結局は」

「……俺頼み?」

 そう、と頷いて健一が続ける。

「山田のレベルに達するまで死の危険を冒さないように出来る?」

「いや……どうやったって無理がある。ってか、もっと低い段階で止まるな」

 モンスターの経験値はレベル差で補正される為、絶対に安全な雑魚を倒し続ければいつかは限界が来る。
 カンストまではとても届かない。それどころか上位職になる前には危険なダンジョンに潜る必要が出てくる筈だ。

「だろ? だからどんな場面でも、どんな人と出会っても――僕らも、誰でも、きっと山田に頼る事になる。山田に取り入ろうとする人が沢山出てくる。だから……色目を使われるのに慣れるに越した事はないと思う」

「…………」

 考えた事はあった。この力を使って好き放題にすればどうなったかと。
 取り入ってくる人間を、色目を使う相手を、遠慮せず存分に味わって、好きなように生きる道もあったのにと――想像した事があった。
 でもそれはきっと誰もを不幸にして、俺も幸せにはなれない未来だろう。それぐらいはわかる。
 しかしきっと、ただ生きていくだけでも近い状態にはなってしまうのだと、健一はそれを気にしてくれている。
 俺にはそもそもこの世界に残るつもりがない。だから過剰な心配だとは思うが……気遣ってくれるのは嬉しいと思った。

 ――そしてそれよりも、もっと気になる部分がある。

「俺って、今もそんなに色目使われてるのか?」

「僕の立場からは言いにくいよ。そういうのに気づく為にも慣れろって言ってるんだし」

 麻衣の事を言っているんだろうか、杏里の事を言っているんだろうか。それさえも俺には判断がつかない。

「この世界で生きていく努力より、家に帰る努力をさせてくれ……」

「まあでも……結局さ、そんなに問題はないんだよね、戻れなくても」

「――は?」

 いやいや、問題あるだろう、どう考えても。
 俺の視線に気がついたのか、少し苦笑して健一が続ける。

「怪我も病気も山田が治せるんだから、寿命だけ考えればあっちの世界よりずっと長いよ。少し時間をかければ強くなれるんなら食べるのに困る事もないだろうし」

「そりゃそうだけど……他の部分で困るだろ」

「そんなのは些細な事だと思わない? 本音を言えば、僕は例え戻る方法が見つかってもこっちの世界にまた来る手段がないなら帰るべきじゃないと思ってる」

「な――」

 少しでも早く皆を元の世界に戻したい、家に帰らせたいと思っていた俺には予想外の言葉に、思考が止まった。
 眼前の親友は言葉も出せずにいる俺をしっかりと見据えている。

「だって考えてもみなよ。ここでならどんな病気も怪我も治る。死んだって蘇生できるかもしれない……んだよね?」

「……ああ」

 それは事実だ。
 今の所は使う機会がないが『ありとあらゆる全ての状態異常が治療できる』と定義された魔法がある。病気であれ怪我であれ問題にはならない筈だ。
 そして蘇生も……失敗を恐れないなら、挑戦する事は出来る。

「いつか僕らの誰かが大怪我をして死に掛けたら。癌でもなんでもいい、もう治らない病にかかったら」

 まるで預言者のように言葉に力を込めて、ありえるだろう未来を健一が告げる。

「そしたら僕らは絶対にこの世界を求める。これからも生きていくんだ、そんな日が来るのは間違いない」

「それは――」

「余分に一月かかっても、一年かかったっていい。しっかり道を掴んでおかないと後悔する事になると思う」

 十年は困るかな、と言ってようやく笑った健一に俺もようやく思考が追いつき始めた。
 確かに考えてみるとこの力を再び求める日はいつか来るだろう。
 その可能性を無視して帰ろうとすれば、成功したとしてもいつか悔やむ事になるのかもしれない。

「それにこの世界『ワンダー』でいいのかな。日本と比べたらそりゃ良くはないけど、地球って単位で見ればここより環境の悪い国も多いし――」

 それも確かだ。確かではあるが――

「――でも、それでも、戻るべきだ……よな」

 さらに続いていた話を思わず遮って言ってしまった俺に、意外にも健一は強く頷く。

「うん。そうなんだよ、それは間違いない。だからさ、つまり……」

 首を捻り頭をかいて。
 数秒の時間を置いて健一は呻くように続ける。

「自分でもよくわかってないんだけど……僕は変な事を考えてるんだよね」

「…………」

「多分逃げてるんだ。本当に帰れるかわからないから、帰らなくても良い理由を、言い訳を探してるんだと思う。きっと皆も似たようなことを考えてる」

 言葉を捜しながら自分の考えを整理しているんだろう、健一は独り言のように話している。

「誘拐犯を好きになっちゃう人とかそんな話と同じで……精神の均衡を保つ逃避……? そう考えないと平常でいられないぐらい追い詰められてる……って事なのかな」

 自分で自分を分析する様なことを当たり前に話している健一に不気味な戦慄が走った。
 隠れオタらしく以前から斜に構えたり自己批判をするような所はあったが、これ程ではなかったと思う。

「普通に言ってるけど……大丈夫なのかよ、それ」

「自分でわかってる間は大丈夫だよ。日本の話を嫌がったり、帰る為の努力をしなくなるまではなんとかなると思う。多分ね」

 聞く限りでは既に限界に達しているような言い方だが、健一は平然と苦笑した。

「根本的に僕らがどんな形でこの世界に居るかもわからないんだ。もしも意識だけ入り込んでる、なんて事になってれば……ここに戻って来られても何も意味ないし、そんなに長い時間生きていられない。遊んでる余裕はないってわかってるんだけど、自分に都合の良い様に考えてる間は落ち着いてられるからさ」

 情けないね、と呟いた健一の気持ちはよくわかる。
 結論が出ない事を言い訳に深く考えていないだけで俺にも沢山の不安がある。

『意識だけ抜け落ちた俺達四人があの路地裏に倒れていて、今も本当の体が弱り続けていたら』

『ここに居る自分はただのコピーで、本物の俺はちゃんと存在して今も生活をしているんだとしたら』

『本当は俺は一人で死んでいて、ここは死ぬ直前の夢なんだとしたら』


「こんな状況で、本当の本当に最悪の事態なんて俺も考えたくないな」

 少しふざけて言ったつもりだが、上手く笑えた自信はない。それでも健一は笑い返してくれた。

「考えたくないけど時々どうしても考えちゃう事があって……。だからさ、ガス抜きなんだよ。剣なんてのを握ってる僕も、杖を振ってる麻衣ちゃんも、追い詰められた部分を消化してる……。うん、本当に悪いね、山田。迷惑かけてると思うんだけど、借りは絶対返すから」
 
 麻衣が魔法にこだわっている様に、杏里がゲームを強く意識している様に、か。
 迷惑だとは全く思っていなかったが、無理をして欲しくないとは思っていた。
 守られてばかりで情けないという男の意地の裏に、最悪の場合に何の逃げ道もない自分への切迫感があったと言うなら。
 そんなこと、最初から完璧な逃げ道を保障された――いや、この世界こそが自分にとっての逃げ道だった俺は考えてもいない事だった。

「……そりゃ、そうだよな。ちゃんと支えなきゃダメだよな……麻衣のことも。ありがとな、健一。後でちゃんと謝っておく」

「それはこっちもだよ。さっきの話じゃないけど、今だって本当は山田頼みなんだ。山田も帰るの辞めようなんて言い出したら皆どうなるか……」

「いや、悪いけど俺は絶対に帰るぞ。最悪一人でも」

 今も進化を続けているだろうネットゲーム世界に魅入られた俺は、こんな科学とかけ離れた世界で暮らす気にはなれない。

「その時は連れてってよ、お願いだから」

「ま、そう言ってられる間は大丈夫か」

 立ち上がった俺に合わせて健一も立ち上がった所で、ふと思い出したことを口に出す。

「桂木は普通に見えるけど、ガス抜きはお前相手にしてるのか?」

「…………さ、そろそろ帰ろうか。夕食はほら、途中にあったちょっとイアリアンっぽい店とかいいんじゃない?」

「……ああ、そうだな。うん……」

 もはや風前の灯にしか見えない抵抗に少しだけ胸を痛め、内装だけはヨーロッパ風だったその店の場所を思い出そうとしたその瞬間。


 Acri : ごめん、すぐ戻ってきて! 桂木さんがどこにも居ないの!


「……は?」

「ん? どうかした?」

 唐突に聞こえた杏里の声、いや『チャットメッセージ』に足を止めた。
 居なくなった? 桂木が? 本当に? 
 一体何をどうしたらそうなるんだ?

「山田?」

「……桂木が居なくなったらしい」

「すずちゃんが……な、なんでっ!?」

「んなこと知るか! とにかく戻るぞ!」

 すぐに走り出そうとしたのだが、俺が先に出て健一を視界から外すと健一も居なくなってしまいそうで怖い。
 俺同様混乱している健一を促して後に立ち、スキルを発動する。

 ――コンセクレーション――

 突然の神聖魔法に周囲の人々がざわめくが気にしてはいられない。
 黄金のオーラが健一の体を取り巻き、走る速度が目に見えて上がる。
 それでもまだ俺の方が早いが、担ぎ上げても遅くなるだけだろう。
 宿までの短い距離が長く感じるほどの焦燥の中、目の前に見えていた健一の背中が――

「すずちゃん……!」

 小さなく聞こえた声と共に、俺から一気に離れる。
 先程の支援以上に健一のスピードが上がった。
 何のエフェクトも出ていない。スキルは発動されていない筈だ。
 それなら、これは……残されていたステータスポイントが敏捷値に振り分けられている?
 ――いや、そんな事を考えている場合じゃない。
 幸い二人とも帰り道は覚えていた。迷うことなく教会都市を駆け抜ける。
 駆け込んだ客を怪訝な顔一つせず迎えた宿の従業員を無視し、割り当てられた部屋に駆け込んだ俺達を
 


「っ、すずちゃん――……え……?」

「あ、健先輩。お帰りなさい……どうしたんですか、そんなに慌てて」

 のんびりと例のダメージジュースに挑む桂木が迎えた。

「…………」

「だ、大丈夫ですかっ!?」

 その場にへたり込んだ健一と駆け寄る桂木を避けて部屋に入った俺の視線の先、杏里が気まずい顔で目をそらしている。

「…………ただいま。麻衣も……杏里も……な」

「その、ごめんなさいだから、そんな顔しないで、ねっ?」

「え、えっと……」

 諦めたように手を合わせた杏里の隣で麻衣が困った顔で笑っている。
 無事だったならそれが一番いいんだが、精神的に色々と疲れた。
 とりあえず、全部説明してくれ。











「実は、私物を車に忘れてたのに気がついたんです」

「そんなことで二人に来てもらうのも悪いと思って一人で出て」

「ここの裏に周ったら馬車のところで小さな子が泣いてて、迷子だって言って」

「近くの教会の子らしいんで連れて行ってあげてすぐに戻ったんですけど……」


 そういうことだったらしい。

「あー、もう……ちょっと信じられないような話だけど、前みたいに誰かに襲われるかもしれないんだから、すずちゃん一人だけでうろうろするのは――」

「わかっては居たんですけど放って置けなくて……ごめんなさい……」

「ね、ほら、しょうがないでしょ? ね?」

 大体の事情はわかった。一人で出て行った桂木も見送った杏里も困るが、しつこく言っても仕方がない。
 それに、仕方がないと言えばどちらにも事情はあっただろう。

「まあチャットは打つの時間かかるし、訂正間に合わないか。桂木の方はクエだから……そりゃ断り様がなかっただろ」

「ふえ?」

「クエストって……また何か始まるんですか、先輩」

 桂木が疑問符を浮かべ、麻衣が喜色を浮かべる。出来れば麻衣の方はやめて欲しい。

「『サイレインの子ら』っていうおつかいクエストがあるんだ。町で迷子に声をかけられたら強制受注で、送っていくまで絶対離れない。断っても断ってもダメだっただろ、桂木」

「その、別に断ったりはしてないですけど……」

「……親切なんだな」

 いえいえいえ、と首を振られてしまった。
 ゲームでは普通に試していたが、確かに泣きついてくる迷子を放置して行こうとするのは相当非情かもしれない。
 現実では通報されたらと考えると怖いが、桂木ならそんなこともないだろうし。

「それで、その迷子の子で何が起きるのさ? おつかいって言うぐらいだから何か買ってくるとか?」

「おつかいゲーとか言われるの、あるだろ。あれをしろこれをしろって指示を出されて、言われるままにあちこち歩き回らされるイベントだよ」

 ようやく立ち直った健一が首を傾げるのに答えて少し考える。
 今までなんだかんだで関わったクエストを全てこなしてきたが、今回もそうするべきだろうか。
 クエストを受けたからと言って絶対に終わらせなければいけないとは限らないのがネットゲームだ。今回も無視して一考にかまわない。

「じゃあ先輩、明日何かが襲って来るとか、そういうことはないんですか?」

「……幸いにも、な」

 何故心持ち残念そうなんだ、麻衣。

「教会の人に明日また来て欲しいって言われてるんですけど、それってもしかして?」

「クエストの続きだ。そこからあれこれと雑用で町中を周らされる」

「それはちょっと嫌ですね……でも、おつかい……はじめてのおつかい?」

 それを言われると聞きなれたテーマソングが自動再生されて困る。
 どうしたものかと同じくクエストの知識があるだろう相手に視線を向けると――

「――うん、明日はそれやろう!」

「え……?」

「やるのか・・・…ってかお前が決めるのかよ」

 強い決意を持って独断で全員の予定を決定した杏里に思わず突っ込む。
 雑用と聞いて難色を示していた桂木が呆気に取られるほどの意気込みだった。

「だってほら、このクエって最後までやれば聖剣協会に入れるやつだよ? ね、やろうよ」

 確かにクエストのラストはこの町の聖剣教会の最奥MAPだったと思うが……

「そんなにこだわってたのか、杏里……」

「……街中歩くだけて終わるんなら、良いんじゃないですか?」

 うんうんと頷いてみせる杏里、そして麻衣も謎にやる気を見せている

「……どうしようか、健一」

「えっと、すずちゃん、やるの?」

 俺に水を向けられた健一が桂木に振り、受注者本人に話が戻る。
 桂木はほんの少しだけ考えた後で申し訳なさげに言った。

「さっきの子と、明日も行くって約束しちゃったので……」

「……了解」

 やっぱり親切なんだな、と今度は口には出さなかった。

「うん、じゃあ明日は頑張ろうっ!」

「頑張りましょう!」

 意気込む杏里と麻衣。やる気の必要になる出来事は何もないんだが……特に杏里はわかっているだろうに。

「それで、私は具体的に何をすればいいんですか、山田先輩?」

「あー……『サイレインの子ら』は指示通り町中を歩くだけで、特別何かやるって事はないと思う」

「危ない事もないんですね?」

「多分大丈夫だ」

「そうそう大丈夫だって。それに色んな所を周るから観光にもなるし!」

 やるとは言ったものの、やはり心配なんだろう桂木を杏里が気楽に励ましている。
 どちらにしろ観光はするつもりだったのでレベルアップがついでに行えると思えば悪くはない。
 悪くはないんだが……

「結構経験値も入るクエストだから、終わらせたらもう転職も出来るかもしれないしね?」

「うーん、出来れば私はまだ学生のままがいいなーと……」

 いや、転職ってそういう話じゃないぞ桂木。

「じゃあ私も魔法が使えるようになれるんですか?」

「ここじゃ転職が出来ないからどちらにしろ無理だ、麻衣」

「え……なら別にあの猪とか倒さなくても良かったの? 僕の苦労は!?」

 健一の方はご愁傷様だ。どうせ倒せなかったんだから良いだろうとは思うんだが。
 しかし今回クエストを受注したのは桂木だけの筈だが、クリアした時の経験値はどうなるんだろう。
 ともあれ先の展望を語り合う仲間に水をさすのも気が引けて、その心配は口には出さないことにした。
















「あの、これ全部サラダなんじゃ?」

「みたいですね……」

「精進料理なの? でも全部生のままって、それもう料理って言わないよね?」

「どうしよう、お水だけ飲んで別の店行こうか?」

「流石にそれは悪いだろ……参ったな」

 見た目だけはイタリア風だった料理店に入店し、何故か日本語で書かれているメニューを眺めて……全員が頭を抱えた。
 流石教会都市、見事に肉と魚を排した野菜尽くしのラインナップが並んでいた。
 さらにそれらは全て焼くも煮るもない生サラダの類だけだったのだ。
 
 一応はこれも旅の経験かと、それぞれ好みのサラダを注文した。確かに地球ではそうそうないことだろう。
 出てきた野菜はなるほど新鮮で美味と言える物だったが……味気ない。


「まあ女はサラダ好きかもしれないけど、男にはきつい店だな、ここ……」

「――――っ、山田君!」

「な、なんだ。どうした杏里」

 皿に盛られたレタスらしき物をつつきながら何となく愚痴をこぼしたその時。
 こちらが驚く程の勢いで顔を向けてきた杏里、その目が光ったように見えた。

「女の子はサラダが好きとか……山田君、それは勘違いだよ」

「……違うのか? よく食べてるだろ?」

 極々普通のイメージを言った俺に向けて、杏里は躊躇なく吼えた。

「わざわざ好きで草なんて食べるわけないでしょ! あたし草食動物じゃないんだよ!?」

「……あ、杏里?」

 いや、怒られても困る。草って言うな。

「肌のこととか体の事とか……何よりイメージを考えて好きでもないのに頑張って野菜食べてるんだよ! わかる!?」

「……そう、なのか?」

「小食な女の子は可愛いー、みたいなイメージがあるから全然足りないのにお弁当も小さくして、本当はそんなに好きでもないのに甘い物にも詳しくなって――」

「いやその、すまん。ごめんなさい」

 またしても俺の知らない女性の生態が明らかになった瞬間だった。
 何かの逆鱗に触れたらしい杏里を諌めながら、しかしそれは本当に正しいのかと他の女性陣に視線を向ける。

「お野菜、好きですけど……」

 あんまり量は食べない方なので とおずおずと言った麻衣。

「私も結構サラダ好きですよ?」

 甘い物は大好きです と笑って言う桂木。

「……らしいぞ」

 ちらりと杏里の方を伺う。

「う、裏切り者ー! そうやって可愛いイメージで固めても結局後から苦労するだけなんだよ!? 素直になろうよ!」

「いえ、そんなつもりは……」

「栗原さんが野菜苦手なら、やっぱりこの後で他のお店に行きましょっか」

「そういう話じゃないのっ!」

 何か大分とややこしいことになっていた。

「杏里ちゃん、大変なんだねぇ」

「お前はどうして他人事みたいな顔してるんだよ……」

 そしてサラダをつつく姿が一番さまになっているのが健一だった。






 ともあれ疲れは溜まっていた。
 今日も二部屋取っているので男女で部屋をわけ、早めに休むことにした。

「じゃあそっちは頼むぞ、杏里」

「わかってるってば。もう、そんなにあたし信用ない?」

「……お前な」

「冗談冗談、ちゃんとするから」

 前科者の杏里が無駄に自身満々なのが逆に不安を誘う。
 杏里に真剣さが足りないのはゲームだとわかっているからか、それとも健一が言うようにこれでも追い詰められているのか。
 先の話が脳裏をよぎり、余り強く言う気にもなれない。

「一人で風呂に行くとか便所に行くとか、そういうこともないようにな?」

「はいはい、連れションを徹底するから大丈夫」

「女がそういうこと言うなって……まあ、お休み」

「ん、お休み~」

 部屋に戻っていく杏里を見送り、こちらも部屋に入った。
 先に部屋にいた健一は風呂に行くつもりなんだろう、準備をしている。
 特に何も言わずこちらも荷物を開いた。
 杏里と違って俺はゲーム内アイテム以外をインベントリに入れていない。
 不便ではあるが皆と同じようにあれこれと持ち歩きたかったのだ。
 
 しかし、それにしても、だ。

「……男だけって、落ち着くよな」

「わからなくはないけどさ」

 何となく言った言葉に健一が苦笑を返してきた。
 女性三人ともそんなに気を使うような関係ではなくなっているが、それでも男相手の気楽さとは違っている。
 きっと向こうも向こうで同じことを言っているんじゃないだろうか。

「もう早く入って早く寝よう。今日から素振りはいいや……」

「……お疲れさん」

 腰のベルトごとソードを落として健一がため息をついた。
 努力をすればその分だけ意味はあると思うが、物騒な方向から離れてくれるのは望ましい。

 さて風呂だ、と思ったところで――ふと思い出したことがあった。

「そう言えば、混浴とかってあるのか、ここ」

「……みんなで入るの?」

 恐ろしいものでも見るような目を向けてくる健一。

「な訳ないだろ。麻衣と入るんだよ……いや入らないけどな、入らないけど」

「……どっちなのさ」

 彼女と二人で湯船につかる。
 口に出してみると余りのありえなさに反射的に否定の言葉が出てしまった。
 付き合って短いというのを除いても相当な難易度だと思う。世の混浴経験カップルに戦慄を覚える。

「いやないだろ、ないない」

「別に山田達は二人で入ったって良いだろうけど……僕はすずちゃんとはやだなぁ……」

 桂木も可哀想に。

「お前は混浴とかしたことあるのか?」

「そりゃ、何回かはあるよ」

「うわぁ……マジか」

「何だよその失礼な反応、山田が言い出したんだろ」

「悪い、つい」

 思わず口に出してしまったが、そうか、健一は経験者か……。

「まあその、折角だし、詳しく聞かせてもらおうか?」

「……結局やる気満々なんじゃないか」



 食事前の話で勘違いをしていたが、健一の経験談はハイレベルすぎて俺には基本的に役に立たないことを思い出す結果になった。
 ゲームの中だから何故かこちらの方がレベルが高いが、それを除けば基本スペックと経験値に恐ろしい程の差がある。そんな現実を思い出した。
 明日も明日でクエストがある――言ってみるとおかしな話だが、本当にクエストがあるのだ。
 風呂を上がって何をするでもなく、すぐに休むことにした。

 会話もそこそこに床につくと、抑えていた眠気が一気に襲い掛かってきた。
 ステータスなんていう訳のわからないものに支えられているだけで、きっと俺も疲れているんだろう。
 久しぶりに心から体を休めて目を閉じた。








 久しぶりに見た『ゲーム』の夢。
 現実ではないとわかっていながら、俺は何故かそれを気に留めずにゲームを楽しんでいた。
 フレンドのパラディンと共に火龍の背に乗って、フィールドを飛翔していく。
 あれこれと口を挟むそいつに言われるまま、何度も上昇と下降、寄り道に回り道を繰り返しながら、ふと目に付いた町に降り立った。
 沢山の教会と山のようなクエストがあるものの、実装の遅かったその町にはそれほどプレイヤーキャラクターはいない。
 折角なので観光でもしようか、と歩き出した俺達に――声がかかった。

 『Acri? アクリか? 何処行ってたんだよお前、皆探してたぞ』

 『え……あ、うん……』

 声をかけてきた男はどうやらパラディンの知り合いらしかったが、余り芳しい関係でもないのか、彼女は戸惑った様に返事をした後に黙り込んでしまった。
 普段なら部外者の俺が口を出したりはしないのだが何故か放っておくのも気が引けて、まだ行かないのかと助け舟を出してやる。

 『あ……そうだね、ごめん。えっと、今度顔出すから』

 作り笑いを浮かべたそいつに男は納得がいっていないようだったが構わず町の奥へと進んでいく。
 しばらくはどこか上の空だったそいつも段々と調子を取り戻して、二人でその日の冒険を楽しんだ。
 
 何か面倒ごとがあって所属していたグループに顔を出さなくなる――なんてのはよくある話だと、その時の俺は思っていたのだ。







 光に反応したのか、それともこの時間に起きようと決めていたからだろうか。
 丁度日の出と共に目の覚めた俺は同室の健一を起こさないよう静かに身を起こした。
 久々に見た暢気な夢は色々と抱えていた悩みや不安を幾らか軽くしてくれたように感じる。
 後期に実装されたこの町には雨が降る可能性もあった。
 しかし当然の様に晴天を迎えてくれている窓外の空に目を向けて、今日はいい日になりそうだと一人、思った。

「……くしゅっ」

 何か気配でも感じたのかくしゃみと共にもぞもぞと寝返りを打つ健一。
 いつもと違ってこいつ一人置いて散歩に行く訳には行かない。
 朝食までまだ時間はある。眠気は残っていないが色々と考えることがあるだろう。
 椅子に腰を下ろして目を閉じて、しばらくの時間ゆっくりと思索にふけることにした。
 とりあえず、今日のクエストは――――





「山田君が寝過ごすとか、珍しいこともあるんだねー?」

「僕が起きたら椅子に座って爆睡してるからさ、もう何かと思ったよ」

「……悪かったな、二度寝だよ」

 俺が最初に目を覚ました日の出から数時間後、腕時計のアラームで起きた健一は椅子で眠りこけていた俺を発見。
 ご丁寧にも隣の部屋三人を招き入れ、ベッドがあるのにわざわざ椅子で熟睡する変人を全員で眺めた後、ようやく俺を叩き起こしてくれたらしい。
 完全耐性のあるステータス異常にやられるというのはもう油断とかいうレベルを通り越して余りにも情けない。
 あからさまにからかって来る健一と杏里に何も言い返せなかった。

「それでえっと、昨日の教会に行けばいいんですよねー?」

 俺一人が散々笑いものにされた朝食の時間の後――出てきたのは朝から野菜ばかりだった――荷物の準備を終えて集まった所で桂木がのんびりと聞いてきた。

「ああ、そこから言われるままにうろうろするだけだ。途中でついでに買い物なんかも済ませよう」

 準備とクエストを今日の内に済ませて、何事もなければ明日の昼に出発。
 一応の予定を確認をした後に連れ立って部屋を後にした。





「確かあの教会、孤児院ってこっちの方だったよねー?」

「はい、そうですそうです、その先の角を左に曲がって――」

 先に立って歩き出した杏里と桂木、その後を追う健一。俺は最後尾を麻衣と並んで歩いていく。
 そして隣の彼女は、一目見てわかるぐらい非常にご機嫌な様子で朝のサイレインをきょろきょろと見回している。
 胸に抱いた炎の杖がこつんこつんと石畳を突く音が時折聞こえていた。
 
「……なあ、麻衣」

「はい、何ですか?」

 語尾に音符でもついていそうな口調でこちらに向き直った麻衣に、一応、と断って言った。

「……今日は多分特別なことは何もないぞ?」

「昨日も聞きましたから、ちゃんとわかってます」

 あっさりした口調に少し驚いた俺を見据え、だからこそだ、とでも言う様に麻衣が微笑む。

「今日はゆっくり町を見て回れるんですよね。この世界で初めて来た町を先輩と歩いた日みたいに……」

 ――そういえばそんなこともあったなと、口には出さなかった。危ない所で出さずに済んだ。

「そうだな、あの時はちょっと俺が焦ってたし……今日はしっかり楽しもう」

「はいっ」
 
 危惧していた怪しい視線や後をつけられている気配もない。
 異世界で旅をさせられる、なんて状況だ。息抜きはとても大事だろう。
 大理石の壁に跳ね返された陽光に白く輝く麻衣を見て思う。やっぱり今日はいい日になるだろう。


「この子はライソードで学ぶ機会をいただいて、明日にもこの町を出立する事になっています。この子の最後の思い出に、この町を見せてやってはいただけませんでしょうか」

「はい、わかりました」

「それではまずは西の祭壇を……あ、こらっ!」

「ぼく、先に行ってるからね!」

 場所を指定されるとその子供は先に現地に走っていく。追いついて話しかけると戻っていく。
 ただそれを繰り返すだけの単純なクエストである。 

「あの子一人で行っちゃいましたけど、大丈夫なんでしょうか……?」

「大丈夫大丈夫、そういうクエストだし」

「まあこの町で生まれたんだし、迷子になることもないよね」

「え……だって私、昨日迷子だったあの子を連れてきたんですよ!?」

「あんまり気にするなって」

 所詮ゲームの設定、細かいことはいいのである。
 とは言え桂木が心配そうなので真っ直ぐ子供の後を追いかけることにした。
 西の祭壇はスキルがない場合のエンチャントができるとかそんな場所だが、まあ俺たちには関係ない。
 結構綺麗な装飾がしてあったと思うのでその辺りは少し楽しみだ。






「ぼく、先に帰ってるからね!」

「ちゃんと前見て、走ったら危ないから……ああ、もう……」


「次は東にある集合墓地に、この子の両親もそこに……あ、こらっ!」

「ぼく、先に行ってるからね!」

「……えっと、すぐ追いかけますね」

 ――――そんなことを数回繰り返して。

「ぼく、先に帰ってるからね!」

「はいはい、気をつけてね」

 西の祭壇、東の集合墓地、南の連鎖鐘教会群、中央のサイレイン第一教会大聖堂。
 最初は一人で目的地に走っていく子供を慌てて追いかけていた桂木も要領がわかってきたのか、たまに寄り道なんかもするようになっていた。
 とりあえず先程第一教会で話しかけたのであの子は今孤児院に戻っている筈だ。少しゆっくりしても問題ない。
 歩き通しで少し疲れていたこともあり、第一教会前の広場で行われているバザーを見て回ることにした。
 地面にござをひいただけの簡易な露店から屋台の様に移動式の店もあり、食べ物から衣類、雑貨等の多様な品物が売られている。

「これ十字架ですよねー? こういうのはここでも同じなんでしょうか?」

「みたいだね。これはロザリオかな……なんか数珠みたいだ」

「あ、健先輩、これ! これ、良いと思いません?」

「すずちゃん、あんまりそういう無駄遣いは……」

「無駄!? 無駄って言っちゃうんですか!?」

「……桂木、可哀想に。よし麻衣、欲しいのがあったら何でも言えよ」

 何となく久しぶりにそれらしい扱いを受けている桂木から隣の彼女に目を向け、こちらは無駄な甲斐性を示してみた。

「え、えっと……そういうのは……」

 展開的に戸惑っているものの、割と物欲があるらしい麻衣は少し嬉しそうにしていたりする。

「ちょっと健先輩、あっちずるいですよ!」

「うん、諦めも大事だよ、すずちゃん」

「ふええっ!?」

 別に店で買えるレベルのものならこちらで出すが、桂木が思っているのはそういうことではないだろう。
 元々が冗談だ。麻衣の方も何が欲しいとも言い出さなかった。

 ……そう言えば、杏里は。

「あーっ! やっぱり露店には野菜以外のもあるんだ、良かった~!」

 色気より食い気か、お前は。
 しかし良い発見だ。正直インベントリの食料アイテムに手を出したいぐらい、たった二食でも菜食生活に辟易していた。

「折角だし、昼飯もついでに食べるか? 俺も出来ればサラダはしばらく遠慮したい所だった」

「あはは、そうですねー。でも……これはこれで、何なんですかね?」

「……何だろうな」

 この町が完全菜食主義なのかは知らないが、余り肉の匂いをさせるのは避けているのだろう。
 食べ物の露店はどこも少しだけ魚と肉を混ぜたお焼きであったり、野菜のスープに最後に干し肉を入れるのであったり、教会に気を使ったらしい品になっていた。
 しかしそれにしても匂いがなさすぎる。いったい何の肉、何の魚なんだろうか。
 まあ味はそこそこ美味しかったのだが。



「よし、じゃー気合入れて次の――あれ?」

 苦手な野菜以外の何かを食べて元気が出たのか、それとも次の目的地が『例の場所』だからか。
 意気込んでいた杏里がふと、バザーの隅の露店に目を向けた。
 つられて見てみるとどこか見覚えのある男性が店を開いている。

「ん……あの人、途中で会った隊商の……」

「――おお、これは司祭様! 先日は本当にありがとうございました!」

 それは成り行きで助けた隊商のおじさんだった。
 護衛は傭兵の類だったのか、今は数人だけで小奇麗な布を敷いた簡易な露店を構えている。

「おじさん、ちゃんと荷物間に合った?」

「ええ、それはもう! お蔭様で私共の信頼も保つことが出来ました。いや、本当に何とお礼を言っていいか……」
 
 ぺこぺこと頭を下げるおじさんに偉そうに胸を張る杏里。
 正直もうこの話はいい。あんまり言われても恥ずかしいだけだ。
 それに余りあの子を待たせるのも悪い、という視線を桂木から向けられてもいる。
 さっさと孤児院に戻って、次の目的地に行こう。

「そういえばおじさん、あんなに急いで結局何を運んでたの? それだけずっと気になってたんだけど」

「ああ、それですか。本来は依頼主以外に話すようなことはしないのですが、特別ですよ。実はですね数の少ない特殊な――」

 話の途中だったがクエストの途中でもある。割り込むつもりで声をかける。

「杏里、そろそろ――」

「――呪毒の媒介を運んでいたんですよ、帝国の依頼で。やはりこの町の裏の顔は怖いと……ああ、口外はしないでください。お願いします」

「――っ」

 思わず言いかけた言葉を呑みこんだ。
 息を呑んだ俺と同様に杏里も身動きを止めている。
 数瞬の後、こちらに顔を向けてゆっくりと表情を歪ませた杏里がぽつりと言った。

「……あたし、フラグ立てた?」

「じゃあ俺達行きますね」

「あ、ええ、本当にありがとうございました司祭様」

「待って山田君、無視しないで!」

 良くない空気を感じ取っているらしい後ろの三人を促して孤児院への道を早足に進む。

「うう、ごめんってばー!」

 うるさい、もうついてくるなお前。










「呪術師、ですか……?」

「ああ、魔術師から転職できる中位職。デバフとモブコントロールが仕事だな。解毒ポーションで消せない呪いの毒を使ったりも出来る」

 元よりスパイの暗躍している町という設定だ。別に毒の一つや二つ輸送していたって何もおかしくはない。
 しかし日付を指定した緊急の依頼で、その輸送を俺達が助け、さらに中身を含めた顛末まで聞いてしまっている。
 普通ならそれがどうしたと言える話だが、ゲームでこうなると全く意味が違ってくる。
 もう明らかにフラグとして機能しているとしか思えなくなるのだ。
 はっきり言ってその呪毒のターゲットは俺達だと考えるべき、それぐらいの必然性を感じる。

「消えない毒って……大変じゃないですか!?」

 ある意味このクエスト最大の当事者である桂木が大いに慌てている。
 勿論内心で慌てているのはある程度こちらも同じだが。

「呪いの毒だからポーションじゃ消えないんだけどな、その代わり一番簡単な魔法でいいから、何か祝福魔法をかければそれで消えるんだ」

「……えーと、つまり?」

「まあ多分、問題ないってことだ」

 すぐに荷物を取って町を出てもいいのに、急ぎながらも孤児院に向かっている理由がそれだ。
 祝福魔法一発で消える呪毒。それは人間相手には効果が薄く、モンスター相手にはさらに効果が薄い。しかも触媒が要る。いわゆる地雷スキルだ。
 というか呪術師自体が対人戦においては地雷みたいなものなので、はっきり言ってそんなに警戒していない。
 
「呪術師って攻撃魔法とか全然ないよね。エレマスなら怖かったけど、まあこっちなら大丈夫だよね? ……だからほら、もう許して? ね?」

 杏里の方も一応何とかなると判断しているようだ。
 まだ気にしているようだったが、杏里が余計なフラグを立てたと言っても、恐らく話を聞かなくても何か起きるのなら起きただろう。
 警戒できる余地を作っのだと良い様に考えることも十分に出来る。わざわざ口には出さないが。

「……エレマス?」

「エレメンタルマスター、精霊使いね。こっちは攻撃魔法メインの方だから火力あるんだよねー」

「精霊って……精霊って何なんですか? どんな風に使うんですか、見えるんですか!?」

 今はそういう状況じゃないぞ二人とも。
 ともかく、だ。

「何かあっても問題ないとは思うけど、このクエストをわざわざ最後までやる必要もない。一応挨拶だけしてすぐに出発した方がいいかもしれない」

 ある意味丸投げする気持ちで桂木と健一の方に問い掛けた。

「…………」

 無言でこちらを見つめ返す健一。

「でも町を出たからって安全って訳じゃない。野営中に襲われる位ならここで来てもらった方がやりやすいかもしれない」

「…………」

 不安気に視線を返してくる桂木。

 町を出て進んでいったからと言って安全なわけではない。
 相手がクーミリアの様に正面から来るのでなければ、仮にも教国の町中の方がまだ安全かもしれないのだ。

「さらに言えば、帝国はもう俺のことなんて忘れてて、ただの自意識過剰かもしれない」

 何だかんだで何も起きなかったここ数日で俺の胸に大きくなってきていた考えだ。可能性はある。

「それはないんじゃないかなー、流石にここまで完璧にフラグ立っちゃったらね?」

 杏里が暢気な――どちらかと言えば諦めたような口調で口を挟んだ。
 俺もそうだろうなとは思う。

「……もう少しで終わるんですよね?」

「ああ、次がラストだ」

「じゃあ……最後までやりませんか。フラグってよくわかんないですけど、全部が伏線で繋がってるって言うんなら、今日あの子についていく事もその中に入ってるんじゃないです?」

「……それは、そうかもな。襲撃がクエストの一部として絡んでたら……終わらせる前に絶対かち合う。そこで戦うか?」

「うん、それいいんじゃないかな。僕もずっと逃げ回るより攻めた方がまだ気が楽だと思う」

 最後の目的地に辿り着く途上で襲われる可能性が高く、それがわかっていればむしろ対処は楽――と考えるのか。
 しかしそれはかなり危険な選択肢だ。特に戦えない三人には。
 何があっても問題ないと信頼してくれているのか。

 視線を向けると杏里と麻衣も軽く頷いた。

 杏里がすぐに装備を整えられる様インベントリを開き、健一は腰のソードを確認している。
 麻衣がずっと抱いていた炎の杖を両手で握りなおし、桂木もポーチのポーションを数えなおしている。
 全員が戦闘態勢を整える間にもう孤児院が見えてきた。
 
 重苦しい仲間の表情を見て、言わない様にしていた言葉が思わず口をついた。

「……悪いな、本当に、全部俺のせいで」

 何度も何度も謝ったところで、誰も喜んだりはしない。それでも言わずには居られなかった。

「それは言いっこなしですよ、山田先輩」

 代表した訳でもないだろうが、桂木が少しだけ笑って言った。
 肩をすくめる健一、頷く麻衣と視線を合わせる。
 目と目で通じ合うなんて笑ってしまう様な話だけど。
 ありがとう、皆。
 
 杏里は……まあ、こっちは俺と同じか。
 
「……? あれ、山田君?」

 自分には視線がこないことに戸惑っている杏里を流して、俺もスキルウインドウを開いた。
 大して引き出しもないけれど、出し惜しみは無しだ。相手が死んだって構うものか。

「そう言えば山田先輩、最後の目的地ってどこなんです?」

「……聖剣教会の一番奥、創剣の間って所だ」

 それはこの町に入る前に定めた、俺達の目的地でもあった。










「ああ、その子でしたら勝手に奥まで走って行ってしまいましてね、どうしたものかと思っていたのですよ。御一緒しますので連れ出していただけますか?」

「……はい、よろしくお願いします」

 ここまでのクエストと同様に一人で走っていった孤児院の子供。
 
 心をすり切らせる程の警戒をしながら聖剣教会に辿り着くまで、意外にも何も起こらなかった。
 教会内に入り神父に話を聞き、奥へ入る許可を貰う。そこまでしても危険な気配は感じられない。
 立派な門兵や衛兵を配した聖剣教会。その中で帝国の襲撃を受ける可能性があるだろうか。
 思わず気を抜いてしまいそうになる自分を叱咤して、先を歩く神父の後をゆっくりと進んでいく。

「時々遊びに来る孤児院の子でしたが、こんな悪戯をしたのは初めてでして。何かあったんでしょうか?」

「町を離れなきゃいけないとかで、あちこち見て回ってて……」

「この町最後の思い出、ですか……止めたのは悪いことをしましたね」

 のんびりと話しながら歩みを進める神父からも決して警戒を解かない。


 そして最奥――創剣の間

 楕円形をした荘厳な広間の奥に、何か剣が刺さっていたような台座が飾られている。
 似た物が大広間にあり、そちらには本当の聖剣が刺さっている。
 こちらは勇者がその聖剣を誕生させた伝説の広間……なのだという。

 その台座の前に立った小さな子供がこちらに手を振っている。あの子に話しかければ『サイレインの子ら』は終わる。
 両側、天井共に壁画の描かれた壁が覆っているが、最上部に一部分だけガラス張りの窓がある。
 来るとしたら入り口か、窓からか、それとも――

「ああ、全くこんな所まで入って。駄目ですよ、厳しい教会なら何かの罰が下される場合もあるんですからね?」

 手を振っていた子供に駆け寄り優しく声をかける神父。
 広間の中央で神父に連れられた子供と合流した。
 見上げてくる子供に桂木がゆっくりと声をかける。

「……思い出、全部作れた?」

「うん、ありがとう、お姉ちゃん!」

「頑張ってね」

「うんっ!」

 桂木がお姉さんと呼ばれたことに安堵したように見えたのは気のせいだろうか。
 簡単な言葉と共にまた駆け出した子供が広間の扉を駆け抜けた瞬間、桂木の頭上にレベルアップのエフェクトが派手に光った。

 ――クエスト 達成――

 達成直後に何かあるかと思ったのだが、それもない。
 本当に何事もなく終わってしまった。

「今回受注してたのは桂木だけなのか」

「エフェクトが2回見えたから、桂木さんはもう転職できるんじゃない?」

「い、いえ、私はまだ学生で……」

 緊張を解いたわけではないが、一人とはいえ転職可能レベルに達したのだ。
 少し和やかな空気が流れて、俺もそれに引きずられた。




 その、短い時間に、白い影が眼前を翻って


「――は、ぁ……?」


 気づくと俺の胸に、一本のダガーが突き立っていた。





 聞こえた声は知らぬ前に俺の喉から漏れ出したものか。
 痛みよりも先に来たのは吐き気、そして胸からこみ上げる熱い何かの感触。
 思わず吐き出したそれは血のように赤い――違う、本当に血の塊だ。
 大量の血を失って倒れこみかけた体をふらつきながら支えた。

「……ふえ?」

「……え?」

 桂木と麻衣の声が耳に届いて、それが脳に認識されて、そこまで来てもまだ状況はわかっていなかった。
 何が起きたのか、どうすればいいのか、それを考える間にも指先だけが――現実の指ではないけれど――正しくスロットを選択していた。

 ――ヒーリング――

 意識せぬままに虚空に出現していたステータスウインドウの俺のHPが一瞬でMAXに戻る。
 どこまで減っていたのかすらも確認できなかった。
 問題はそれだけじゃない。刺さったままのダガーのせいでさらにHPが減り続けている。
 
 HPが減ってる? 違う。そんなことはどうでもいい。
 胸が熱い。焼けるように痛い。大切な何かが自分の中で壊されていく。痛い、痛い、痛いっ――

「せ、先輩? 嘘……何、これ……」

 ふらふらと寄ってきた麻衣が冗談のように胸から突き出したダガーの柄をに触れようとして、その手が止まった。
 抜いた瞬間に血が噴出して死ぬ。そんな漫画のような展開を想像したんだろう。
 
 そうだ、危険だ。抜くのは危険だ。
 でも抜かなくても危険……当たり前だ、刃物が根元まで突き刺さってるんだぞ、危なくない訳があるか。
 
 ――落ち着け、大丈夫だ。冷静になれ。引き抜くと同時に回復魔法をかければ問題ない。
 きっと死ぬほど痛いんだろうが、それをのぞけば何も問題なんてない。

「大丈夫だ麻衣、俺は――」

「――――おっと、失礼しました。返していただきますね」

「――っ!? なに、を……」

 自分の胸に伸ばした俺の手を払った何者かが、何の躊躇もなく、勢いよくダガーを引き抜く。

「がっ……ぐ、ぁ……」
 
 今の声も、俺のものか。

 それは体の中心を硬い鉄がえぐり、こそぎとる理解できない感触。
 
 痛みは度が過ぎると返って感じないものだと、ゲームとは無関係に経験から知っていた。
 しかしそんな事は全くなかった。余りの激痛に胸をかきむしってのた打ち回りたい衝動に駆られる。
 胸から流れ出す自分の命に怖気が走り、もう一度冗談の様に血を吐いた。
 知らぬ間に今度こそ膝をついていた。
 霞む視界でステータスを確認する。ダメージは――たかだか数百。
 後100回刺されても死にそうにない。今にも俺は死にそうだっていうのに、この数値。何の冗談だ。

「おや、随分と酷い怪我ですが……大丈夫ですか?」

 引き戻されるダガーとそれを握る腕の先を見る――いや、見るまでもなくわかっていた。
 俺達をここまで連れてきた神父。決して教国の人間だからと警戒を解いたつもりはなかったのに。
 意識の隙を突かれたのか、それとも別の何かなのか。
 ステータス的に俺が警戒すればほとんどの騙まし討ちも奇襲も気づく筈なのに、無様に正面から刺された。
 結局素人の俺がどれだけ気を張ったところでこの体たらくか。
 自分に再度回復魔法をかける。体の中身が治っていく気味の悪い感触に襲われるが、少なくとも痛みは治まってきた。

「やめろ、何をしてるんだっ!」

 顔を上げられない俺の前に、庇う様に健一が立った。
 そのさらに前に立つ鎧姿の杏里。
 俺に縋り付く麻衣を後ろに下げてくれているのは桂木か。

「何をと言うのはこちらの台詞でしょう。神聖なこの創剣の間を血で汚すなど、何のおつもりですかな?」

「……ふざけてるの? 何か知らないけど、もう絶対許さない――」

 ガチャリと、杏里が直刀を向けたのだろう音が響く。
 躊躇なく刺してくるような相手だ。このまま杏里一人に任せてはいられない。

「おお、怖い怖い。申し訳ありません、これでもこの教会の主任神父な身でして」

 とにかく這いつくばってる場合じゃない。起きろ。起きて倒せ。起きて守れ。起きて殺せ――!

「そうですね、自己紹介でも致しましょうか。私は帝国軍諜報第二……」

 ――キュアバースト―ー
 
 ターゲット 名前なんて興味ない 眼前の『敵』

 音のない爆発が強制的に相手の言葉を止めて幾らか後退させた。

「っ、山田君!?」

 神聖魔法が直撃したが、大して効いてはいないだろう。
 神父の格好なんてしているがきっと相手は呪術師。魔法防御は高い。
 しかし間は取れた。立て直して、畳み掛ける。

「ぐ、ぅぅぅぅ」

 歯を食いしばる。立ち上がる。暴れまわる吐き気を全力でメイスを握り締めた右手に集める。
 散り散りになった思考が何よりも単純な一つの結論だけを提示した。
 ――奴をぶっ飛ばせ。

「行くぞ、杏里っ!」

「えっ、あっ……」

 途惑っている――というより話の途中に倒しにかかった俺に呆気に取られているんだろう杏里を追い抜いて、一気に敵に向かって殴りかかる。
 相手が魔法使いの系統なら魔法戦より殴り合いの方が優位に立てる筈だ。
 赤いオーラを纏って襲い掛かる俺に『敵』が向き直る。もう体勢が整っているが、遅い。
 この距離で俺の技量値で、魔法職に回避の目はない。
 
「くらえ……っ!?」

「おや、神の使徒であると聞いていましたが……随分と野蛮ですね」

 赤いオーラに包まれたメイスが嘘の様に奴の眼前、虚空を叩き割った。
 後退する相手を追おうとする体が上手く動かせない。打撃距離まで肉薄した瞬間から嘘の様に体の動きが鈍っている。

「――せーーのっ!」

 流石に立ち直りが早い。体勢を崩した俺を再度追い抜いた杏里が大きな盾を振るった。
 技量値とレベル補正がどうなるかはわからないが、前衛職のパラディンなら攻撃も当たるだろう。
 
 ――そう思った俺を裏切るように、杏里の動きもやはり奴に接近すると不自然に動きが鈍った。
 タイミングを逸したシールドバッシュは当然の様に外れ、さらなる後退を許す。
 
 胸を刺し貫かれたショックがまだ残っていた。何が起きているのか、自分が何をすべきなのか、はっきりとは思考がまとまらない。
 しかし距離が開いた相手に大して、動かない体と対照的に無意識だけが行動を起こし、自然と奴をターゲットする。
 ターゲットした敵の体が不気味に黒く光っている。スキル使用エフェクトだ。
 こちらより発動が早いだろうが、関係ない。
 黒い光が瞬きながらこちらに向かってくるのを無視して、スキルスロットから唯一の攻撃魔法、キュアバーストを選択。発動――

「いけませんね、全く。少し大人しくして……話を聞いていただけますか?」
 
 ――発動、しない。

「なっ……」

「山田君いけるの? 刺された所、平気?」

「山田っ! 大丈夫っ!?」

「あ、ああ……大丈夫だ、下がってろっ!」

 隣に立った杏里に肩を叩かれ、後ろから声をかけてきた健一に答えて。ようやく少しだけ、本当に落ち着いた。
 メイスを握りなおし、姿勢を整えて敵に向き直る。
 話を聞け、とか言っていたが……。

「何を言ってるんだ、お前。俺を殺しに来た癖に、何が話だ。ふざけるなよ」

 言いながらその間に杏里をターゲット。
 今の内に支援魔法をかけて、聞くだけ聞いて隙を探して、一気にけりをつける。

 ――コンセクレーション――

 ターゲット指定――

「いえいえ殺しに来たなど、とんでもない。かのドラゴンナイトが剣を奪われた相手、私ではとてもとても」

「じゃあ何で山田君を刺したの。それが話し合いに来た人のすること?」

「…………」

 杏里と男がなにやら喋っているがそんなことはどうでもいい。
 
 どうして何も起きない。
 本来ならコンセクレーションは対象に全ステータス上昇の効果を与え、金色の光がエフェクトとして出るはずだ。
 しかし油断なく剣を構えて話す杏里には何の魔法もかかっていない。
 これは……スキルが、発動していない?

「おやおや、私がいつ話し合いに来たと言いましたか? 私はあなたがたを――」

 未だに消えてくれない吐き気を抑え、何かの状態異常かとステータスを確認する。
 HPは微減、MPは全快。状態の欄には二つの異常が文字で表されていた。


 呪毒

 アンタウント


「………アンタウント?」

 思わず口に出していた俺の言葉をかき消す様に、冷たい声が響いた。

「――あなたがたを脅迫に来たのですよ」

「っ、山田君、それ呪い!」

 こちらに視線を向けた杏里が叫んで、ようやく俺も気がついた。
 起き上がった後からずっと体を包んでいた『赤いオーラ』
 そうだ、これは呪いの……そうでなければ呪毒のエフェクトだ。
 最初のダガー、あれに呪いがかかっていたのか。そして恐らくまだ続いている吐き気の原因もこれだろう。
 胸をぶっ刺される何ていうあんまりな体験のせいで、そんな事にも気がつかないぐらい動転していたのか、俺は。
 
 呪毒は祝福の属性を持つ魔法なら何だって解除できる。それこそ見習い神父のマイナーブレッシングでも。しかし――

「ごめん、焦っててすぐにわかんなくて……山田君? どうしたの?」

「どうもアンタウント食らってるらしい」

「……え?」

 対象に『アンタウント』の効果を与える、レスアンチタウント。呪術師のスキルだ。
 本来のアンチタウントは自身へのヘイト値――モンスターからの脅威値――を下げる効果がある。
 しかしまだ下位職の呪術師が使うレスアンチタウントにはそれほど利便性の高い効果がない。
対象を一体だけ指定してそれを『誰もターゲット指定できない』状態にするだけなのだ。
 それが『アンタウント』状態。
 モンスター相手の戦いでは、ボスモンスターに効果がないので意味が薄く、また対人戦闘でも単体にしか使えない上に範囲攻撃は問題なく使える点から効果が少ない。
 見る機会が少なく、正直考慮に入れていなかった。

「じゃあ呪い解けないんじゃ……」

「解けないな。杏里、あいつ一人で倒せそうか?」

「うーん……よくわかんないけど、当たらないんだよね。動きも早いし、あれ本当に呪術師なの?」

「ああ。あいつクモ使ってやがる。多分呪毒、レスアン、クモ取った敏捷呪術師だ」

 クモ――正式なスキル名はスパイダートラップ。
 呪術師の覚えるデバフ、モブコントロールスキルの一つ。効果範囲内の敵の命中率と敏捷を大きく下げるスキルだ。
 しかし効果は大きいが非常に使いにくく、覚えているプレイヤーは少ない。
 何せ後衛職のスキルなのに、効果範囲が『自分の周囲』なのだ。
 序盤の雑魚はともかく後半の敵は皆範囲攻撃がある。デバフをかけに射程に入ったらあっさりと死ぬ未来が待っているだろう。

「……何、その意味わかんない構成」

 呆然と言う杏里。確かに普通なら意味がわからないスキルとステータスの組み合わせだ。
 呪毒、レスアンチタウント、スパイダートラップ。3つは関連性の薄いスキルなので全てを取ると他のスキルが大きく犠牲になる。
 上位職への転職寸前ならともかく、レベルの低い内は他には何も取れないと言って良い。
 ゲーム内なら意味がないを超えて何も出来ないビルドだ。誰かがそんなのを作っていたら、キャラクターデリートからの作り直しを勧める。
 しかしその組み合わせが『今』なら別の使い道に繋がる。

「意味は……あるんだろうな。一対一で司祭を殺す……いや、脅す。それに特化してるんだ、多分」

「――これはこれは。理解が早いようで助かります」
 
 状況に気づいたのを確認したのだろう、おどけた様に言う呪術師――そう、少なくとも相手の職は呪術師か、最悪その上位職だとはわかった――を睨む。
 こちらの視線など意に介さず呪術師が続ける。

「その呪いは少しずつあなたの命を蝕んでいく……おわかりでしょう、そう長くは持ちませんよ。さぁ、武器を捨ててこちらに来て頂きましょうか」

 余程この呪毒に自信があるのか、奴は余裕の笑みまで浮かべている。
 確かに普段ならそうだろう。不意打ちで切り付けて呪毒をかけ、怯んでいる所でアンタウント状態に。
 焦って殴りかかってきた相手は持ち前の敏捷性とスパイダートラップで簡単にあしらえる。
 なるほど完璧だ。こんな状況でしか使えないのに、この状況には確かに合っている。合っているが――

 ――いい加減にしろよ、このクソ野郎。


「…………ふざけんな」

「おやおや、信仰の為なら命が惜しくはないと?」

 先手を取られて良いようにやられていたのが腹立たしい。
 この期に及んで『甘く見られていた』というのが気に入らない。
 何よりも突き刺されたダガーが、あれだけの激痛が、こんな取るに足らない呪毒の為だったというのが絶対に許せない。

「10秒に200ダメ? 随分毒のレベルを上げてるんだな」

「……? 何を言って……」

 ダメージという概念を知る筈もない、呪術師が途惑うのを無視して言葉を重ねる。

「で、それが何だって言うんだ。そんなので俺が死ぬ訳ないだろ、自然回復も超えないぞこんなクソダメ」

「あー……呪いって普通に回復続くんだったっけ」

「……強がりは結構です。こちらとしても手間をかけてわざわざ死んでもらうのも惜しい。早くこちらに――」

 頷く杏里と睨みつける俺を見比べてただのブラフだと判断したらしい。表情を笑みに戻して哂う呪術師。

「理解できないならこっちはどうだ、ほら、俺が死にそうに見えるか……!」


 ――ヒーリングサークル――

 自分中心範囲 即時発動


「なっ……!?」

 治癒の力を伴った光が俺を中心に広がり、僅かにあったダメージも一瞬で回復した。
 範囲祝福なんて便利な魔法はないが範囲回復の魔法は幾つかある。
 こういう物があるからアンタウント状態には対した意味がないんだ。
 そしてはっきりとわかる形で、逆に状況を理解させられた呪術師が絶句した瞬間に――

「と、言うわけで……ぇぇいっ!」

「――っ!?」

 見事に隙を突いたと一撃だったと、見ていた俺も思った。
 飛び出した杏里の盾攻撃。しかしそれもスパイダートラップで鈍足化、ぎりぎりで回避される。

「あーもう、変な事考えないで剣使えばよかったー!」

 確かにさっき剣で攻撃していれば当たってはいただろうが……戦闘中とは思えない台詞だ。
 殺さないように手加減していたのか、それとも剣で小技を当てるより盾攻撃でスタンから決めてしまおうと思っていたのか。
 今まで直接は使っていなかった直刀を振るって杏里が呪術師に迫る。

 ターゲットできない以上攻撃魔法は使えないし、打撃攻撃も当たらない。支援魔法すら使えない。
 役立たずを自覚して下がり、健一達と合流した。

「先輩、大丈夫なんですか!? さっき刺された所は……」

「ああ、もう治ってる、痛くもない。悪いな、心配かけて」

「うわぁ……良かったですけど、本当にでたらめですね山田先輩……」

 即死レベルの傷があっさり治っていたらそういう反応にもなるだろう。心配する麻衣と、呆れる桂木。
 健一の方は震えるソードを真っ直ぐ握ったまま、杏里と呪術師の戦闘から目を離していなかった。

 横薙ぎに振るった杏里の一撃をバックステップで避け、縦に振るえばサイドに周る。
 最初は焦っていた呪術師も今は余裕を持って、何やら喋りながら簡単に回避している。
 昨日自分で言っていたように、杏里はゲーム内の能力とは別の剣を扱う『スキル』がない。
 恐らく専門的な訓練を受けているのだろう敵の動きに、とてもついていけていない――

「――そ、こぉっ!」

 そう思っていた。きっと奴もそうだったんだろう。
 既に杏里の攻撃を見切っていた呪術師がわざとらしく皮一枚で避けようとした直刀の一撃、それが微かに輝き、剣先から白いオーラが『伸びる』

「ぐ……っ!?」

 当たったのは右腕。致命傷には遠く、しかし浅くない傷。動きの鈍った敵を逃さず、右へ左へ、杏里が連続で剣を振るう。

「おーら……ぶれーどっ……」

 武器攻撃力と命中率を上げるオーラブレードのスキル。
 杏里が使っている所は初めて見たが、恐らく、今の奇襲は狙ってやったんだろう。
 射程が延びると知っていた辺り、俺達と合流する前は使っていたのか。

「この……舐めるなっ!」

 しかし僅かに射程が延びただけ、それを補正されればすぐに避けられる。
 それはわかっているだろうに、しかし杏里はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
 下段からの切り上げが避けられたその瞬間、スパイダートラップで鈍足化している杏里の動きが一瞬だけ加速する。

「……っ、ぱにっしゃーっ!!」

 気合の抜けた、しかし確かな雄たけびを上げて杏里の振るった剣の光が炸裂した。
 ほとばしった光が確かな破壊力を伴って呪術師に襲い掛かり――しかし、届かなかった。

「うわぁ……これでもダメなの?」

 オーラブレード・パニッシャー オーラブレード発動後に使える小範囲スキル。
 剣が纏っていたオーラを炸裂させて自分の前方にダメージを与えられるのだが……それも、やはり全速には遠い剣速では見切られてしまっていた。

「ごめーん! やっぱり一人じゃ無理っぽいー!」

「……そう言われてもな」

 多分今のが切り札だったんだろう、杏里が情けない声でヘルプ要請を出してきた。
 手伝ってー、と言いながらも必死に剣を振るっている相棒には悪いんだがこちらは何も手伝えそうにない。
 呪毒自体は大して問題にならないし、ここから全員で逃げる方法を探ってもいいか……?

「――行って来る。すずちゃん達をお願い!」

「……は?」

 思わぬ言葉に一瞬呆気に取られた。
 ここまで大人しくしていたから、完全に『それ』の可能性を忘れていた。
 杏里の要請に応えて健一が前方に駆け出している。

「健先輩っ!? 危ないですよっ!」

「っ、僕にだってちょっと注意を引くぐらい――」

 何を言ってるんだ、注意を引いたら逆に不味いだろうが。
 不味い、止めないと。走るか? だめだ間に合わない……そうだショートテレポート

「…………」

 杏里の剣を踊る様にかわして回り込み、こちらへ……健一へと向かう呪術師。
 その背に杏里の剣が迫るが、やはり鈍る。届かない。
 にぃ と呪術師の唇が歪む。やばい、急がないと――

 ――ショートテレポート――

 健一と呪術師の間の空間を指定。即座に発動。

 瞬間、視界が歪み、唐突に現れた俺に驚いた奴の顔が映る。
 とにかく止める。メイスを持って殴りかかった俺の攻撃が……あっさりと、避けられた。
 ターゲット出来ていない以上、恐らく命中補正が効いていない。その上スパイダートラップで鈍った動きではかすらせる事すら出来ず。
 そうだ、アークをかければ……だめだ、間に合わない。
 
「ようこそ、いらっしゃい……その勇気、尊敬しますよ……くっくっくっ……」

 健一に向けて、あの『ダガー』が突きこまれた。

「蛮勇というものですがね……!」

「ぐっ……痛っ……」

 振り返った瞬間胸に突き立っているところまで覚悟していた。しかし健一はよく避けていた。
 来るのがわかっていたんだろう、倒れこむほどの勢いで横に避けて、ダガーは左腕を浅く切り裂くにとどまっている。
 ……しかし、それで十分だった。赤い不吉なオーラが健一を包みこむように広がる。
 それを確認したか、呪術師が踊る様にステップを踏んで大きく後退する。

「健先輩っ! 大丈夫ですか!?」

 桂木が駆け寄ってくるのを見ながら、無意識にカウントを取る。1、2、3……

「流石は神の使徒、いやはや油断でした。私の呪毒が意味を成さないとは……」

 偉そうに勝利宣言の様なものをはじめる呪術師を睨みつける。4、5、6……

「健一君やられたの? ちょっと、不味いんじゃ……」

 こちらに引いてきて杏里に肯き返す。7、8、9……

「さあどうされますか、神の使徒。ご友人の命が惜しければ……」


 10――


「ぐぅ、ぁ、ぁあああああっ!?」


「一緒に――来ていただけますね?」



 ――サークルヒーリング――

 自分中心範囲 即時発動

「うぁあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」

「健先輩っ! そう、これ、これ飲んで……」
 
 健一の呻き声が一時的に収まった。しかし本当に一時的だ。
 桂木がポーションを飲ませようとしているが……それも結局効果はない。
 PTウインドウの健一のHPの内、呪毒のダメージは1回で1/4を削り取る。
 自分の命の1/4が失われるというのは一体どれだけ苦しいものなのか。
 思考が空転している間にもまた10秒が過ぎる――

「うあっ、ぐっ……」

 覚悟を決めていたのか、歯を食いしばった健一からはうめき声が聞こえただけだったが……

「先輩っ! 健先輩! ああ、しっかりして下さいっ……」

 桂木がポーションを飲ませている。ポーションの残量だけで考えても健一は当分は死なないだろう。
 しかしその間はずっと10秒毎に苦しむ事になる。

「山田君……」

「……先輩」

「麻衣……悪い。杏里、後頼む」

 隣に来た麻衣と杏里に一言だけ告げて、薄汚い笑みを浮かべた呪術師の元へ歩き出す。
 元より皆は巻き込まれた身だ。ここからの指針を杏里が示せるのなら俺は居ない方が安全なぐらいだ。
 今まで甘えてきたが……最初からこうするべきだったんだ。

「ほら、どこへでも連れて行っていい……だからアンタウントを解け」

「ああ……お待ちください。そこの貴女、そう、ローブを着た貴女。どうぞこちらに」

「――なっ、麻衣は関係ないだろっ!?」

 麻衣まで呼び寄せた呪術師に掴み掛かるが……服の端をつかむことすら出来ない。

「おやおや何を仰います。本当に来て下さると言うのならこちらも手荒な真似など致しません。御一人では寂しいでしょう、どうぞお仲間もご一緒に」
 
「お前……ぐっ……」

 後ろで健一が呻いている。麻衣をこれ以上巻き込めない。健一を助けないと。何とかしないといけない。でも、どうやって。
 俺が躊躇する間にも麻衣が隣まで来ていた。

「……先輩、行きましょう」

「麻衣……」

「素直で何よりです。恨むのならそう、御自身か帝都をお願い致します。私はただ命令に従っているだけの身ですので……くっくっくっ……ふっはっはっはははは――」

 汚い哄笑を上げる奴を殴り飛ばしてやりたいのに、どうやったってきっと当たらない。
 どうしようもない。行くしかない。
 何とか途中で隙を見て、麻衣だけでも――








 ――――何を言っている、オクスヴァイン

 声が響いた。
 どこまでも通り抜けるように、しかし耳に強く残る。流麗な、だが幼い声だった。

「その命令は中止の通達が出ている。もうお前も聞いているな?」

 創剣の間の入り口から姿を見せた小さな影が、ゆっくりとこちらに向かってくる。

「お前の任務は元より諜報部の独自令だ、私の受けた勅令に及ぶべくもない。強行を上申したとは聞いたが……却下されただろう」

 小さな体を杏里に似た騎士の衣装が包んでいる。要所をカバーした金属製の鎧は白銀に帝国の意匠が刻まれた、簡易だが正規の騎士鎧。

「その上に禁止されていた人質までも。他人を笑えた身ではないが……帝国の威信を地に落とそうと言うのか」

 金糸の様に細く透き通った短い金の髪。愛らしい顔はその幼さとはかけ離れた厳しい表情を浮かべている。

「聞いているのかオクスヴァイン。今回の事はお前の独断だろう。それを――」

「――黙れっ! 負け犬が今更何のつもりだっ!?」

「負け犬はご尤もだが、先も言ったように任務……勅命だ」

 突如大声を上げた呪術師に欠片も怯んだ様子を見せず、ついに少女が――ドラゴンナイト・クーミリアが、俺の眼前にまで進み出た。

「すまない、これは私の失態だ。こいつはこちらで片付ける」

「え……あ、ああ……」

 極々簡潔に言うとクーミリアはこちらに背を向け、呪術師と向かい合った。
 久しぶりの再会の様に思ったが考えれば二日前に会った所だ。
 こちらからすれば二度と会えないと思った相手だったが、向こうからすればそれほどの感慨はない……のだろうか。

「貴様、陛下を誑かして得たあのような任務……押し通そうと言うのか」

「……私には幾ら言おうが構わないが」

 その背に負った小さな体に似つかわしくない大剣を器用に抜き払い、ドラゴンナイトは冷たく告げる。

「陛下を侮辱したその言葉、命で償ってもらうっ!」

「ぐっ……なっ!?」

 言葉と同時に振り切られた神速の一閃は、呪術師が未だ握った呪毒のダガーを一撃で叩き折っていた。







「……凄いね、クーちゃん」

「いや、援護しろよお前は」

 未だ呪いに苦しむ健一の元に戻った俺と麻衣を暢気な杏里の言葉が迎えた。

「んー、何かほら、ちょっと攻め切れないって感じでしょ?」

 杏里の指す先で呪術師を攻め立てるクーミリアは間違いなく押しているが、敏捷の高い呪術師とスパイダートラップの組み合わせに致命打は与えられていないようだ。

「だからこそお前が手伝ってやれって」

「あたしが行っても大して変わんないよ。それより!」

 言って、健一に縋り付いていた桂木を引っ張り起こす。

「桂木さん、ちょっと耳寄りな話があるんだけど。健一君を助けられるような、そんな良い方法が」

「――っ、どうすればいいんですか!? 栗原さん、私どうしたらっ」

「お、おい杏里……」

 安請け合いはやめろ、と言おうとした俺を指差し、杏里が言った。

「桂木さんが山田君に転職させてもらえばいいの、見習い司祭に」

「……ふえ?」

「杏里、それ、は……」

「先輩、そんなことできるんですか? それなら……」

 確かにカーディナルには聖職者の転職NPCを代行できる能力がある。
 それはこちらからターゲット取る必要もないのでアンタウント状態でも問題ない。
 桂木は恐らく転職レベルを迎えているし、たとえ見習い司祭でもなってしまえばマイナーブレッシングを覚える。
 しかし――

「杏里、あれは転職する側からの申請が要る。それに桂木じゃスキルは……」

 そう、こちらが勝手に相手を転職させるようなことは出来ない。
 向こうから俺に転職したいと要請を送り、俺がそれに応える形で転職が行われるのだ。
 ゲームのシステムを全く理解していない桂木が転職申請を送り、転職し、さらに祝福魔法を使う。何段階の壁があるんだ。
 幾らなんでも無理がある。首を振った俺に、杏里はいつも通りの気楽な結論を言った。

「出来る出来る、愛さえあれば何でも出来るっ!」

「愛ならあります!」

「なら出来る! じゃあ、あたし行って来るねっ」

「な、ちょ……おいっ!」

 言うだけ言って結局はクーミリアの援護に行ってしまった杏里。
 残されたのは苦しむ健一と、意気込む桂木、期待の視線を送ってくる麻衣。

「すずちゃん、無理しないで……ぐぅ……ぅ、ぁぁぁぁっ」

「山田先輩、お願いします!」

 健一にまたポーションを飲ませ、必死に頼んでくる桂木に嫌とは言えなかった。
 しかし現実的には無理だ。出来ないことはどうやったって出来ない。

「焦るな、まだ手はある。クーミリアと杏里があいつを倒してくれれば、それで俺のアンタウントが解けるから、それで……」

「――あの人が」

 俺の言葉を遮って、桂木が立ち上がって叫ぶ。

「あの人が死ねばいいなんて、そんなの……わかってますっ!」

 桂木は悲痛な叫び声を上げて、ポーチに備えていたんだろう、見覚えのあるナイフを振りかざした。
 確かあれは健一が桂木に渡していたナイフ。オーガに止めを刺したものだ。

「これでっ、いいんですかっ!?」

 言葉と共に、丁度二人から距離を取っていた呪術師へ、ナイフを投げつけた。

「っ、桂木……」

 勿論当たるようなことはなく、それどころか気づかれることすらなく呪術師の背後に落下して突き立ったナイフ。
 しかしそれは明らかな殺意が籠もっていて、出来ることなら自分がこれを刺したいと、投げたこれが刺さってしまっても後悔はないとはっきり示していた。

「できるんなら私がやってます! でも、無理だから……出来ないから、だから、だから……」

「桂木さん……先輩、駄目なんですか?」

 無理な筈だ。出来ない筈だ。でも可能性があるのなら……

「……やってみよう」

「――ありがとうございます!」

「言っとくけど、やるのはお前だからな、桂木。気合入れろよ。俺にも、何のアドバイスも出来ない」

「っ……わかりました、大丈夫です!」

 と言っても、どう説明すれば良い。俺に転職したいと頼んで来い、と言えば良いのか?
 悩んでいる俺が転職の準備中だと判断したのか、麻衣が祈るように言った。

「桂木さん、頑張って……」

「うん……ね、麻衣」

「……はい?」

 首をかしげた麻衣に少し照れた様に桂木が言った。

「もし上手くやれたら……私のこと名前で呼んでみない?」

 ――――お前、それ

「すずちゃん、それ、死亡ぶらっ、ぐぁっ……」

「健先輩……! 山田先輩、お願いします!」

「……ああ、任せろ」

 リアルに素で死亡フラグを吐く奴とか始めてみた。しかも対象は想い人だ。なんというか、もう逆に諦めがついた。

「桂木、何でも良いから、見習い司祭……シスターになりたいって強く思え。俺に向かって」

「……はいっ」

 訳のわからない事を言われたのに、必死なんだろう、桂地は両手を握って祈る様に頭を下げた。それがシスターのイメージなのか。

「もっとだ。なりたい、シスターにしてくれと俺に要求するんだ」

「シスターになります、してください……っ!」

 桂木は祈っている。でも、だめだ。申請は来ない。
 不安気に健一を支える麻衣も祈ってくれている。
 しかし麻衣が毎日魔法を思っていたことを考えれば、むしろ桂木に今出来ないのも当然なのかもしれない。 

「シスターに、シスターに……」

「桂木……」

「シスターになります、シスターにしてください……」

「桂木、もう……」

 無理だと言おうとした俺に、俯かせていた顔を上げた桂木が叫んだ。

「大丈夫です、やれますから……私が……私が健先輩を守りますからっ!」

 見開いた目から一筋の涙がこぼれた。
 
 いつか健一が冗談で言った台詞を。
 
 それを今桂木は、確かに心から――




 転職申請
 
 Suzu
 
 冒険者→見習い司祭

 Yes/NO




「――きたっ!」

「本当ですか!?」

「本当だ、でも……ちょっと待て」

 後はYesのボタンを押してから俺が3回、転職申請者――桂木が4回、なにかしら発言したら転職は終わる。
 本来なら『汝我らの移動型ポーションになることを誓うか?』等と冗談で言う為にある仕様だ。
 でも恐らく、今は何でも良いわけじゃない。
 
 無理を通して俺に申請を送ったように、奇跡を起こした桂木をさらに引き上げる言葉が要る。
 何を言えば桂木はもっと気合が入る? いや、何を言わせれば桂木は奇跡を起こせる?

「……愛があれば、か」

「……先輩?」

「いくぞ、桂木、いいな?」

「――はいっ!」

 大きく息を吸った俺に合わせて桂木も息を飲み込んだ。
 出来ても出来なくても、結局俺はクーミリアと杏里を信じている。背後で聞こえる剣戟の音が勝利で終わると思っている。
 それなら桂木を、桂木の気持ちも信じて良いはずだ。
 さっきは出来なかったけれど、ここからは俺も転職の当事者だ。桂木ならやれると信じる。
 虚空のウインドウのYesボタン、しっかりと押した。


「桂木……健一を助けたいか?」

「はい!」

 一言目。

「心の底から、どうしても助けたいんだな?」

「はいっ!」

 二言目。

「それは……何故だ?」

「――――っ」

「…………」

「――健先輩が、好きだから」

 三言目。
 もう俺の出番は終わりだ。

 無言でいる俺に不思議と途惑うことなく、桂木はもう一度口に出した。


「大好きです、健先輩――――健一さん、愛してますっ!」


 桂木の四言目。
 白い――いや、色のない光が勢いよく桂木の足元から立ち上った。
 転職は成功。それは当然だ。申請が来た時点でもうここまでは失敗しない。
 そしてこれから桂木にはスキルを使うという大きな壁があるのだが――

「お願い、お願いっ! 死なないでっ!」

 もう俺には、桂木が失敗するとは全く思えなかった。

「なっ、あれは……あの女は司祭じゃなかっただっただろう!?」

「後ろを見ている場合か!?」

「うわー、本当に愛だけでやれちゃうんだ……」

 金色の光が桂木の組んだ両手から突き破る様に放たれ、健一に、麻衣に、俺に降り注ぐ。
 俺と健一を覆っていた赤いオーラが光に当たった部分から急速に食いちぎられていく。

「健先輩っ!」

「……すず、ちゃん」

 俺達にかかった呪毒は数秒とかからずに霧散した。
 
 っていうかこれ、本当にブレスか?
 エフェクトとしてはコンセクレーションに近い上に効果だけを見るとありえない筈の範囲祝福魔法だ。

「ありがと、すずちゃん……あはは、本当に守ってもらうとは思わなかったかな」

「先輩……」

 感動の場面が繰り広げられているが本来そんな場合でもない。
 とりあえずこっちの三人は置いてクーミリアと杏里の援護に行きたいのだが……

「くっ……もう挽回は無理……でしょうかね」

「――待てっ!」

 まだ致命傷は負っていない様だが、もう全身傷だらけの呪術師がクーミリアの剣を避けると同時に跳躍、広間の後方まで飛んだ。
 そして全身に再び黒いエフェクトが浮かび、始めて攻撃の為の魔法が放たれた。

「なっ……オクスヴァイン!」

 追いすがろうとするクーミリアの眼前に分厚い炎の壁が生まれ、その追撃を阻む。

「残念ですがここまでですね。任務を完遂できなかったのは心残りですが……いやはや、ドラゴンナイトの裏切りにあっては致し方ない事でしょう」

「裏切りだと……それはお前の事だろう! ここまでして今更帝都に戻れるつもりか!?」

 こちらにはどちらが正しいのかもわからないことを言い合う二人だったが、呪術師――オクスヴァインというらしい――はクーミリアの話は聞いていないようだった。

「ですが私は必ず、また皆さんをお迎えに上がります。次は逃げられませんよ……くっくっくっ」

 こちらを睥睨する奴に魔法の一つも打ち込みたいのに、まだターゲット魔法は使えない。
 せめて何か言ってやろうと口を開いた俺の機先を制して、後ろから苦しげな叫び声が上がった。

「来るなら……来ればいいだろっ!」

「……健先輩?」

「健一……」

「おやおや、一番足を引っ張っていたあなたがそんな偉そうな台詞を吐きますか! これはお笑いですねえ、ふっはっはっはっは」

「そりゃ、僕には何も出来ないけど……次までそうだと思うなよ。絶対にお前は許さない……山田を傷つけて、すずちゃんに無理をさせて……」

 まだ起き上がることすら出来ていない健一の目が、しかし恐ろしいほどの光を放っていた。
 ただ強い眼光だというんじゃない、物理的にすら感じる…・・・いや、これは本当に物理的な――

「僕が、皆を守る。絶対に、お前の好きになんかさせない――っ!」

 健一の目が、全身が一瞬だけ強い極光を放ち、間を置かず創剣の間そのものが微かに揺れた。

「これは……っ、とにかく、これで終わりだと――」

 まだ捨て台詞を続けようとしたオクスヴァインの言葉がまたも止まる。
 クーミリアの足元に突き立っていたナイフ、桂木の――元は健一のナイフが、先に持ち主が放った極光と同じ光を放っていた。
 瞬く光に呼応するようにして創剣の間が鳴動する。
 長い時間に感じられたが実際には一瞬の時間で、揺らめく光が優美な長剣を形成し、実体化した。

「この、剣は……」

 唐突に自分の前に現れた一振りの剣を呆然と見つめるクーミリア。

「くっ!」

 読めない状況を警戒したのか、オクスヴァインがこちらに背を向けて一気に逃走に出る。
 それを見ると同時に、反射的に叫んでいた。

「クーミリアっ! 投げろっ!!」

「――――わかった!」

 すぐさま反応したクーミリアが自分の剣を手放し、眼前の剣を引き抜き――

「い、けぇぇぇっ!」

 オクスヴァインの背に向かって全力で投げ放った。
 それがどうなるのか、理解していたわけじゃない。
 でも何かしらの考えが回る前に隣の麻衣を抱き寄せて顔を自分の胸に押し付け、健一も倒れこんだまま桂木を同様にしていた。
 そして俺と健一とクーミリア、その傍に立った杏里の見る前で、健一のナイフから生まれた剣は光を伴って空気の壁を越え炎の壁を突き抜けて、流星の様に走り

「が……ぐがああぁぁぁ――――!?」

 当然の様に呪術師の背へ突き刺さった。
 直後、剣がその刀身から、そしてオクスヴァインの内からも強く波打つ極光を放った。
 その極光の圧力で決壊したオクスヴァインの体はまるで何もなかったように消滅し……奴が断末魔を上げられた時間すらほんの一瞬だけだった。

「…………中々、良い剣だ」

 冗談なのか本気なのか、クーミリアがぽつりと言うと同時にオクスヴァインの残した炎の壁は溶けるように消える。
 そしてその先にはあるべき筈の長剣ではなく、見慣れた一振りのナイフ。

「――クエスト達成、だな」

 エフェクトは出ないが、俺は全員に聞こえるようにそう言った。
 何はともあれ、このクエストはこれで全て終わったのだ。











 幸い聖剣教会の人間があの偽神父以外も帝国の手のものだったらしく、それ以上何かが起こることはなかった。
 あれだけの騒ぎが外に聞こえていなかったということもないと思うのだが……クエストというのはそういうものかもしれない。
 そのまま帰ろうと思ったのだが、杏里の言で聖剣の間だけは見ていくことにした。
 見るべきか見ないべきか考えなかった訳ではないが、何はともあれ、知っておくべきだと思う。

「で、これが噂の誰にも抜けない最強の聖剣……なんだけどね。さっき見た所だから感動なんてないかなー?」

「…………」

 面白そうに笑う杏里。
 そして健一は呆然と聖剣……ほんの数分前に呪術師の命を奪った物とまったく同じ形をしたその剣を見つめた。

「これ、健先輩の……」

「……ですよ、ね……?」

「……山田、どういうことなのさ?」

 呆然とする三人から視線を向けられる。そう言われても俺にもわからない。
 わからないが、まあこれがゲームなのだと単純に考えれば。

「お前が創ったんだろ、聖剣を……違うのか、勇者様」

「……僕が……」

 今はただの剣にしか見えない剣をぼんやりと見やり、健一がゆっくりと聖剣へ歩み寄る。
 すると呼応するように刀身から薄く揺らめきながら極光が瞬き……健一は足を止めた。

「健一君それ引っ張ってみたら? 多分だけど、抜けるんじゃない?」

「…………いや、いいよ」

 健一が下がると極光も収まり、聖剣も静かにただの剣へと戻っていく。

「えーっ、勿体ないよー! それ強いんだよ、本当に最強だよ、本当本当!」

 あれは確かに間違いなく最強の剣だ。敵に応じて武器を変えるのが当たり前のネットゲームにおいてありえない筈の『最強の剣』
 しかし健一は軽く笑って手の中のナイフを掲げて言った。

「僕にはこれがあるから、さ。こんなの荷が重過ぎるよ」

 まあ、あんなの持ち歩かれたらややこしくて仕方がない。勇者にこんな事を言うのも失礼だろうが……健一にはナイフぐらいがお似合いだ。

「健先輩、それ、私にくれたんじゃなかったんです?」

「……え、いや、それは……欲しいの、すずちゃん?」

「神の使徒に、勇者……これを陛下に報告するのか、私は……」

 出来ればそれはやめてくれ、クーミリア。















 宿の部屋に戻ってきて、とりあえず血に濡れた服を着替えた後。

「ありがとうクーミリア。助かったよ、本当に」

「いや、先も言ったがあれはこちらの失態だ。むしろ謝罪するべきは私の方で――」

「うーん、クーちゃん生きてたんだね良かったー。どうやったの? 怒られたりしなかったの?」

「だからその話をこれから――」

「あの、ごめんなさい、あの時はその……酷い事を言って……」

「健先輩、見て下さい、ほら! ほら! これで先輩を助けたんですよ!」

「うん、ありがとう、本当にありがとう。だからもうちょっと離れて……」

「……お前ら、ちょっと全員黙れ」

 戦闘時のテンションと、そこからの開放感で全員やたらとハイテンションだった。
 そして桂木が何か魔法を使っている。いや、もういい。覚えたんだろう。そう、魔法を覚えたんだ。
 健一が勇者かもしれない事と比べたらもう何でもありだろう。


「クーミリア、無事なのは良かったし、また会えて嬉しい。でも……何か任務で来たとか言ってたよな?」

「ああ、そうだ。私がここに居るのは陛下から直々に受けた勅命による」

 勅命。あの時も、俺と杏里に切りかかったあの日もそう言っていた。
 緊張してしかるべきなのだが、今度こそ本題に入れるのが嬉しいんだろう、少し顔を綻ばせているクーミリアを見ていると全くそんな気になれない。

「そこの……アンリ、に言われた事を少しだけ使わせてもらった」

「ん、あたし? そう、あたし杏里、栗原杏里。よろしくね?」

「自己紹介は後にしよう。杏里を使ったって?」

 ああ、と頷き、楽しそうに微笑んで少女が続ける。
 ちょっとした悪戯を友達に自慢するような、そんな表情だった。

「神の使徒に帝国と敵対する意思はなく、教国に組する事もない。そしてもしも信用できないのなら監視役として私を同行させても良いと言質を取ったと……陛下に伝えた」

「……それって」

「……つまり」

「うわ、大嘘だね~」

 嘘八百だとまでは言わないが、何と言うかやたらと都合の良い物言いだ。それで本当に信用されたのか?

「私は今まで一度も嘘や偽りの報告をしたことはない。だから一度ぐらいは良いだろう? そう、少しだけ我侭を言わせてもらったんだ」

「うんうん、子供はそれぐらいじゃないとね」

 杏里も笑い、桂木も微笑んでいる。苦笑している健一も否とは言わないだろう。
 そして麻衣に目を向けると……

「……クーミリアさん、あの時は酷い事を言って……ごめんなさい」

「いや、あの時も悪いのは――」

「――一緒に来て、力を貸してくれますか?」

「……ああ、喜んで……いや、任務なのは確かなんだ。そう旅の道ずれの様に扱われても困る」

「はい、でも、よろしくお願いします」

 少し苦笑して頷いたクーミリアと麻衣に和解が成立したらしいのを見て、ようやく俺も息をついた。

「つまりクーミリアが皇帝を説得してきてくれたから、一緒に来てくれれば帝国から襲われるとかそういうことはない、と」

「ああ。今日の様に手柄を求めての暴走はあるかもしれないが……私とお前と、それに勇者も居る。問題はないだろう」

 私も勇者というのは初めて見るんだが、と呟いたクーミリアに健一が慌てて首を振っている。ついでに杏里があたしは? と寂しげにひとりごちていた。

「あー……良かった。もう今日みたいなのは本気でお断りだ。死ぬほど痛かった」

「死ぬほど苦しかったね……本当にもう嫌だよ」

「情けない事言うなよ、勇者」

「大丈夫ですよ、健先輩は私が守りますから」

「……す、すず、さん。さっき魔法使ってました、よね?」

「あ……麻衣、約束覚えてたんだー!」

 もうテンションが高すぎて止められそうにない。
 健一の剣の事、転職してスキルまで使った桂木のこと。
 素手で受けたクーミリアの剣よりダメージは低かったのに死ぬほど痛かったあのダガーのことや、明日からの旅のこと。
 色々と考えることはあったが……俺ももう疲れた。
 杏里に構われて困った様に笑っているクーミリアを見て、とりあえず一つだけ思ったことは。
 なるほど、今日は良い日になったなと、そんなことだった。






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