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No.11414の一覧
[0] 【報告とお礼のみ更新】ログアウト(オリジナル/現実→ネットゲーム世界)[検討中](2011/11/13 15:27)
[1] 第一話 ログイン[検討中](2011/11/12 19:15)
[2] 第二話 クエスト[検討中](2011/11/12 19:15)
[3] 第三話 でたらめな天秤[検討中](2011/11/12 19:16)
[4] 第四話 特別[検討中](2011/11/12 19:16)
[5] 第五話 要らない(上)[検討中](2011/11/12 19:16)
[6] 第六話 要らない(下)[検討中](2011/11/12 19:16)
[7] 第七話 我侭(上)[検討中](2011/11/12 19:16)
[8] 第八話 我侭(下)[検討中](2011/11/12 19:17)
[9] 第九話 飛び立つ理由[検討中](2011/11/12 19:17)
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[11414] 第四話 特別
Name: 検討中◆36a440a6 ID:111d7f98 前を表示する / 次を表示する
Date: 2011/11/12 19:16
  宿の扉を静かに開き、朝の空気をゆっくりと胸に吸い込んだ。
 しかし色濃く残る血と肉の香に思わずむせ返りそうになってしまった。爽やかな朝だとは欠片も言えそうにない。
 宿の前の道に目を向けると、ひび割れた石畳が数本の歪んだラインを描いている。
 それはあたかも巨大な暴力で叩き付けられた人間が石畳を叩き割りながら地面を滑走していったような。
 俺自身は傷跡もなく治っているが、いや全く、よく生きていたもんだ。
 少しだけ馬鹿馬鹿しく思い、ひび割れを辿るように歩き始めた。
 両脇には瓦礫となった石壁と原形をとどめない幾つもの建物が無残な姿をさらしている。

 一夜が明けてクエスト専用MAPから一般MAPに戻ったはずのカントルの町は、未だにその惨状を色濃く残していた。
 オーガが踏み抜いたのであろう石畳はあちこちが楕円状に崩れ、各所にどす黒いシミがこびりついて今も濃厚な血の香を振りまいている。
 崩れた建物の下には掘り出すことが出来ていない死体が残っているのだろう。
 おぞましいとしか表現のしようがない、恐ろしい腐敗臭も感じられた。
 まだ日の出から間もない時間だが既に合同葬儀が始まっているようで、中央の広場に沢山の花が手向けられている。
 足を止めて周りを見渡し、一人溜息をついた。

「全く……全員、生きててよかった」

 こんな台詞、聞き方によっては皮肉どころか嫌味の一種だろう。
 だが俺には皮肉のつもりも嫌味のつもりもなく、言うならばむしろ――自虐の言葉だった。
 どれだけ少なく見積もったとしてもこの被害の半分は俺一人の働きで防げた筈のものだ。
 それが正しいと判断して切り捨てた全てが、重い現実となって俺の背にのしかかる。
 ――彼らを生き返らせる方法は、ある。
 貴重な触媒が必要だが、それなりの数を所持している。数十人なら蘇生する事は出来るだろう。
 誰を生かして誰を殺すかを選ぶ、それこそ神にも挑もうという行為だが、それでもやらないよりはマシだ。
 そもそも蘇生スキルはゲーム内では最も使い慣れたスキルの一つなのだ。それが俺の役目だったとすら言える。
 だが、それでもだ。
 もしも蘇生スキルを使った結果、起こるのがスキル効果の蘇生ではなく、記憶にあるイベントの通りなら――

 うつむき、もう一度溜息をついて、そこにやはり地獄の残り香を感じて……俺は踵を返した。
 昨日のオーガは明確にシステムに支配されながら、なおも現実の怪物として存在していた。
 それならば、人間味あふれる宿のおやじさんだって、ドラゴンナイトのクーミリアだって、システムに支配されながらも現実の人間として存在しているとして何がおかしいのか。
 そう考えると廃墟に埋もれた肉塊が俺に怨嗟の叫びを上げているようにさえ思われた。
 知らず足を速め、短い朝の散歩を終えようと宿へと急ぐ。
 歩きながらそっとPTウインドウを開くと、見慣れた名前のHPがいくらか上昇していた。
 これだけの為に肉塊の仲間入りをしそうなぐらいの無茶をした馬鹿な仲間を叩き起こしてやる。そう決めた。
 ――しかし

「……麻衣、もう怒ってないといいんだけどな……」

 彼女にベッドから叩き出されて町をさまよう甲斐性なしがどれだけシリアスを気取ってみた所で、どうにも緊張感がないのだった。










 第四話 特別











  幸いにも麻衣は怒ってはいなかった。それどころか向こうから謝られてしまった。
 調子に乗った俺が悪いんだ。こちらこそ申し訳ない。
 しかしどうにも困ったことに、それで済んではくれそうにない。

「本当に、何考えてるんだよ山田! 下手したら全員死ぬところだったんだよ!?」

「私達が助けに行かなかったら先輩だけじゃなく麻衣も怪我してたかもしれないんです、ちゃんとわかってるんですか!?」

「本当に反省しています、二度としません。二人には心から感謝しています」

 その代わりに健一と桂木が烈火の如く激怒していた。
 未だに俺の力については何も話していないのだから怒るのは当然だろう。 
 しかし仮に、俺に凄い力があるからみんな隠れてろ、と事前に伝えていたとすれば
 麻衣も健一も桂木も地下室から出ては来ず、あのボスオーガは倒せないままだったかもしれない。

 だから、その――

「――結果オーライということで、一つ」

「山田っ!!」

「ごめんなさいごめんなさい」

 いい加減ちゃんと話をしてしまいたいのだがタイミングがつかめない。
 この流れで言って更なる怒りを呼び起こしたら、取り返しがつかない程に見損なわれるかもしれない。
 それでも、ゲームの事はともかく力が使えることだけは説明しないと、このままでは戦うのも守るのも難しいのだ。
 ようやくお説教に一段落の着いた健一に恐る恐る声をかけてみた。

「あの、健一さん……?」

「…………」

「その、ですね……」

「……何さ」

「…………オーガを倒したお礼ということで、立派な馬車をいただきました」

 違う、そっちじゃない。まず言うべきことはそれじゃない。
 しかし、怖い。
 眉をひそめてこちらを睨む健一が、単純に怖い。
 この男は童顔の癖に怒ると案外迫力があるのだ。

「……馬車? 馬車って……」

「ここからは歩かずに済みそうです、はい」

「本当ですか!? もう丸一日歩いて木陰で眠るような生活には戻らなくていいんですね!」

 まだ怒っていた桂木が喜色を浮かべて食いついてきた。
 これはいけるかもしれない。

「幌もついてるでしょうから、野宿でも寝床には困らないと思う次第です、お嬢様」

「やったぁぁ! 聞いた、麻衣!?」

「は、はいっ!」

 よし、桂木の機嫌は直った。
 ついでにちょっと怯えた様子を見せていた麻衣も幾らか元気が出ている。

「……頑張った甲斐はあったってことで、いいのかなぁ」

 健一も一応納得してくれた。
 ありがとう、本当にありがとう、クーミリア。君のおかげで助かった。
 ……何か間違っている気はするのだが。




  俺と麻衣以外は大して戦っていないとはいえ、前日の疲れはまだ残っているかもしれない。
 しかし血と肉の香りが残るカントルでもう一泊というのは全員が拒否した。
 生き埋めになっている人を助けたり、瓦礫の除去を手伝ったり、求められてはいなくとも出来ることはあるかもしれない。
 それを捨ててこの場を離れる。無責任かもしれないが、やはり俺達も他人に気を使っている余裕はなかった。
 ともかくは馬車を受け取り、開いている店で十分な旅支度をして出立することに決めたのだった。
 幸い、なのだろうか。大門の係員――最初に質問攻めにした兵士――は生きていた。
 しかし鎧の影に白い包帯が見え隠れしている。やはり無傷ではすまなかったんだろう。

「お前らどうも妙な奴らだと思ったら冒険者だったんだな。オーガを倒すのに少しは手を貸したってのも聞いてる、俺からも礼を言っておくよ」

「いえ、僕たちはそんな大したことは……」

 お前は誇ってもいいと思うぞ、健一。
 オーガのボスを倒した思い人を誇らしげに示す桂木と、困っている健一。
 こういうファンタジー的なものに憧れがあるのだろうか、麻衣は馬車の周りをくるくるとまわっていた。
 馬車はパレードの中にあった一台で、四頭立ての立派な大型馬車だった。本当に俺達には過ぎた代物だ。
 荷台と言って正しいのだろうか、馬に引かれる馬車本体は4人が十分に横になれそうなぐらいの大きさを持つ丸みを帯びた長方形。
 スプリングは簡易な物しか備えられていないようで乗り心地は保障できないだろうが、少なくとも寝るに困ることはないだろう。
 中身は見事に空だった。システム的なトレード設定で強制的に空になっているのか、大勢が乗っていて余分なものを入れられなかったのかはわからない。
 ともかく必要な品は買い集める必要があるだろう。このサイズなら何でも積める。十分に備えることが出来そうだ。
 とは言うものの……馬車の旅に何が必要かは詳しくないが、ゲーム内では食料と馬の餌以外を必要とした記憶がないのだが。
 
 外側をよく見ると馬車上部を覆う折り畳みらしき幌からは神聖な力が感じられる。多少はモンスターの接近を阻害する効果もあるのかもしれない。
 これからお世話になるだろう馬たちも、そこらの野生動物は一蹴しそうな程に立派な体格をしている。足を止めた麻衣と一頭の馬が見つめ合っていた。
 だが残念なことに俺はそんな勇猛な姿を見て、安堵でもなく不安でもなく、諦観の念を得ていた。

 ――騎乗スキル、結構要りそうだなぁ。
 少し怖い気持ちもあったが馬の鼻先に手をかざすと、親しげに口元をすりつけてくれた。このスキルも効いているようだ。
 『ワンダー』には各職固有のポイントを振り分けて育てる職スキルとは別に、修練を積めば条件なしに上げることの出来る一般スキルが存在する。
 歩く、走るといった基本操作ではなく、料理、裁縫、鋳造、錬金、騎乗、建築、演奏等のゲーム内生活にかかわる行動がスキルとして設定されているのだ。
 その中の一つが騎乗スキル。上昇させれば馬やラクダだけでなく巨大な虎や象、空飛ぶ巨鳥やドラゴンにまで乗ることが出来る。
 御者台に座って方向を指示する程度の仕事でも、これだけの猛馬となればそこそこの騎乗スキルが必要だろう。恐らく俺がやるしかない。
 一緒に乗っているだけでもじりじりとスキルは伸びていくので旅が長引けば多少の言うことは聞かせられるかもしれないが……続かないに越したことはない。

 ――ブルルルルルッ!!

「きゃっ」

 数頭の馬を撫でつける俺に安心したのか、見つめていた黒馬に触れようとした麻衣が威嚇されて尻餅をついた。
 乗せるとはいかなくとも触るぐらいは良いだろうに、なかなかプライドの高い馬らしい。
 きょとんと俺と馬を見比べる麻衣に手を差し出した。

「麻衣、大丈夫か?」

「ありがとう、ございます……。私、動物には好かれる方だと思ってたんですけど……」

 しょんぼりと、名残惜しそうにその漆黒の毛並みを見つめながら麻衣が言った。
 軽く手を伸ばしてみると俺には軽く鼻を突いて挨拶を返してくれる。……どうにも視線が痛い。

「まあ、その内に懐くさ。もし嫌ってるならあれぐらいじゃ済まさないだろうし」

「……先輩、不公平です」

「怒られても困る。俺のせいじゃないんだから」

「……うぅ」

 落ち込む麻衣にあわせるように、長い黒髪がしおれている。
 どうも俺は黒毛に懐かれるみたいだな、とは、口に出さなかったが。

「まあ、鼻とか結構べとべとしてるから触らなくて良かったよ。ほら、さっさと準備して行こう」

「……そうですね。人参、買って行きましょう」

 餌は麻衣がやるのか。相変わらず変な所でだけアグレッシブだ。
 戻ってきた二人と合流して、本当に簡単に馬の扱い方を聞き――手綱を引けば引いた方に進む――予想以上に大きかった馬車を一旦預け、買い物に向かうことにした。

「これ、本当に7日も持つんですか? 普通のパンにしか見えないんですけど……」

「魔法がかかってるからね、食べるってだけなら10日だって平気さ。その分ちょっと値は張るけど町を出る人は皆これを買って行くんだよ」

 幸い開いていた食料品店のおばさんは幾つかの保存食を見せてくれた。
 俺のインベントリに入っている食料はNPC商店ではなくユーザーの作った料理なので、もっと長持ちする上に味も良く、満腹感も得られる設定の筈だ。
 首都にある銀行からレシピを取り出せば俺もそこそこの魔法料理を作ることが出来るのだが、スキル任せに体が勝手に動いて料理をする光景というのは想像しただけでもそら恐ろしい。
 腐りにくいパンとベーコン、チーズ辺りと水だけあれば次の町までは大して困ることもないだろう。これで十分だ。

「魔法のパンって、何か嫌な予感が……。健先輩、これ本当に食べて大丈夫なんでしょうか?」 

「すずちゃん、失礼だから! これ、買います、買いますんで!」

 気持ちはわかるが言ってはならないことを口に出した桂木、責任持ってこのパン腐る前に全部食えよ。

「……これも、下さい」

 ……麻衣、本当に人参買うんだな。
 馬の餌は別に飼い葉を貰ったんだが……。

「消そうとすれば簡単に消える魔法の火種に、一日入れておくと中の物が消えちゃうゴミ箱……便利だけど、どうやって出来てるんだろう」

「魔法、なんじゃないのか?」

「……便利な言葉だね、魔法って」

 安いゴミなら地面にドロップして放っておけばそのうち消失すると思っている俺からすると、多分そのゴミ箱は何も入っていないだけだとは思うが。
 旅支度、というのは先日の買い物とはまた別なのだろう。
 やはり二人での行動を希望した麻衣と桂木を見送り、俺と健一は男二人で必要なものを見繕っていた。
 しかし昨夜あれだけの事があったのに、見回ると全ての店がちゃんと開いている。
 イベントMAPから通常MAPに移行したことでシステム的に無理やり開かされているのかもしれない。
 どうもゲームのシステムと世界の現実とが、完全に剥離しているのに強引に共存させられているような。そんな違和感があった。

「あの、さ、山田」

「ん?」

 予備の部品に工具の類、ぬかるみに車輪が詰まった時の為のボロ布や荷止め等の汎用品としてロープと紐といった必需品を買い終えた所で、健一が少し言い難そうに声をかけてきた。

「僕、やっぱりもう少しちゃんとした剣を買おうかと思うんだ」

「……いや、昨日みたいな事はもうないように気をつけるぞ?」

 無茶をしないという意味ではなく、みんなを危険にはさらさないという意味だ。
 しかし昨日の俺が直接の原因ではなかったのか、健一は少し困ったように首を振った。

「そういうんじゃないんだ。……ただ、持っておこうかと思って」

「……まあ、無茶な使い方をしないなら……って、俺に言えたことじゃないか」

 じゃあ武器屋行ってみようぜ、と声をかけた俺に健一は笑顔で頷いたが、その笑顔はどこか陰があるように感じられた。


 当然とばかりに開いていた武器の店で、健一はやはり『ソード』を手に取った。

「昨日も見たけど、やっぱりこれかな。それに……なんだか今日はしっくり来る気がするよ」

「……そんなもんか」

 サイズだけは自身に丁度いい剣を握って意気込む健一は、口振りとは裏腹に剣に馴染んでいるようには見えない。
 HPだけでは健一のレベルがどの程度伸びているかはわからないが、クエスト一つでソードの制限レベルに届きはしないだろう。
 恐らくまともに扱うのは不可能の筈だ。
 だが今の健一は、どこか止めるのを躊躇わせる危機感を感じさせた。
 大丈夫だろうとは思う。武器を持っていても、敵に襲い掛かるかどうかはまた別なのだ。
 要は振らせる機会を作らなければいい。こちらでさっさと倒してしまえば、わざわざ危険を冒さず俺に任せてくれるだろう。
 何ならちょっとモンスターを倒させてもう少しレベルを上げればいい。ソードぐらいはすぐに装備できるようになる。

――馬鹿な。何を考えているんだ俺は。

「……あ、ああ、なかなか良いんじゃないか。勇者健一、最初の剣だ。俺もこの棍棒みたいなのを買って行くよ」

 見た目は棍棒だが相当の重量と破壊力を持ったウォーメイス。その中から大人しいデザインの1品を選び出した。
 恐らくしばらくの間は戦う必要もないのだが、健一が武器を持って俺が持たなければ健一が敵に挑むしかなくなる。
 ここから次の町――教国へ向かうのなら山岳都市ガイオニスがとりあえず最初にある――までのモンスターなら、健一を守りながらでもメイスで倒せるだろう。
 さっきは何の気の迷いか一瞬考えてしまったが、まさか健一を戦わせる訳にはいかない。

「勇者、か……」

「いや、冗談だぞ、皮肉った訳でもない。……どうしたんだよ、健一」

 慌てていたので言ってしまったが良い冗談じゃないのはわかっていた。
 すぐに訂正したのだが……健一の表情はいよいよ真剣味を増した。
 思いつめた様子で剣を鞘に収めた健一が振り向く。

「……もしも、もしもなんだけどさ」

一度言葉を飲み込み、しっかりと俺の目を見て、可愛げのあるその顔を精一杯の重さに染め上げてゆっくりと言った。

「もしも僕が本当に勇者だったら……山田はどうする? 一緒に戦ってくれる?」

「……は?」

 まさかの台詞に茶化す余裕もなく、素の返事を返してしまった。
 俺の返答は健一にとっては予想通りであり、期待外れでもあったのだろう。
 すぐに冗談だよと笑って告げ、健一は剣を抱えて店員の元に向かっていった。
 俺は今の言葉をどう受け取ればいいのだろう。俺の力に気づいているという訳ではなさそうだったが……。
 後を追おうと持ち上げたウォーメイスは羽のように軽かったが、陳列台の軋みは間違いのない重さを伝えてきた。
 感じない筈の何かの重さを、何故か右手の武器に感じる。
 結局の所、本気であろうがなかろうが、僧侶の俺一人で出来ることに大差はないのだ。
 この重さを守るために、俺は自分の出来ることを。この武器を振るうことを躊躇わない。
 お互いに何かはわからない決意を固め、荷物を抱えて無言のままで気を張って馬車に戻った俺たちを――

 ――内部をピンクの飾り物で汚染された馬車が迎えた。

「ちょっと山田先輩、健先輩もやめてくださいっ! そんな、折角飾ったのにー!!」

 二人、全てを盛大に投げ捨てた。
 桂木にどれだけ怒られてもそこだけは譲れなかったのだ。



 必要だと思われる荷物を一通り積み込んだが、それでも中には余裕があった。なんともありがたいことだ。

「これで多分大丈夫、かな」

 最後に馬用の水を積み込んだ健一が馬車から降りた。これでもう出発しても問題ないはずだ。

「でも先輩、オーガは全部居なくなったって言っても前の狼みたいなモンスターって居るんでしょう?」

「まあ、幾らかは居るんだろうな」

 作業を手伝っていた桂木がハンカチ代わりの布で手を拭い、不安げに言った。

「じゃあ私達だけで町を出たら危ないんじゃないですか。誰かと一緒に行くか、傭兵さんとか、そういう人にお願いしないと……」

「……あー……そうだなぁ」

 言われてみると、普通はそう考えるのか。
 安全なルートで町から町へ移動するだけなのに護衛がどうとか全く考えていなかった。

 ……どうしよう。
 確かに誰かに頼んだ方が安全だというのが普通の考えなんだが、俺には正直そういう人間が信用できるかの方が怪しい。
 人質を取られて馬車ごと奪われそうになったらそれこそ詰みだ。
 全て渡して開放される事を祈り、ショートテレポートで追いかけて全員殴り殺すしか選択肢がない。

「けど、傭兵なんて普通は盗賊崩れみたいなのばっかりだろ。こんなデカイ馬車に乗った素人集団なんて、町を離れたら身包みはがされるんじゃないか?」

 地球のあちこちに居るのであろう傭兵さん、ごめんなさい。
 口には出さなかったが、出したいぐらいの気持ちだ。

「じゃ、じゃあ、どうしよう……怪物が出たら……」

「……まあ、何とかなるさ」

「何とかなりますよ」

「適当ですか!? 麻衣もっ!?」

 隣に来ていた麻衣と二人、気楽に請け負った。
 実際、次の町のガイオニスまでは少数だけ居る強力な敵を別にすれば全てノンアクティブモンスターなのだ。
 それこそシュタイナーウルフに襲われたような偶然がなければ何と戦う必要もない。

「すずちゃん、それ、僕も考えたんだけどさ」

「良かった、やっぱり健先輩は頼れますよねっ」

 腕を組んで言い出した健一に喜色を浮かべてすがりついた桂木は、次の言葉で崩れ落ちた。

「この町、戦える人はほとんど全員オーガと戦って力尽きちゃったんだって……」

「……どう、するんですか、健先輩」

「……何とかするよ」

「ふぇぇぇ、適当ー!」

「…………健一?」

 もういいですよ、何とかしてください、何とか、と拗ねてしまった桂木を宥めながら、俺はどこか違和感を覚えていた。
 しかし、これでとにかく出発は出来る。
 次の町へ、その次の町へ、そして神に会えば……せめて、何かしらの突破口が開ければいいのだが。





  お世話になった宿の親父さんと門の兵士に挨拶をし、太陽の向きとコンパス、地図をしっかりと見比べて。
 俺達はついに自分の意思で旅を始めた。
 森の中の道は時折曲がり角があり、全体として見れば蛇のようにのたくっている。
 しかし町同士を繋ぐ街道だけあって馬車がすれ違えるぐらいの広さはあった。

「今日からまたしばらく、野宿の日々が始まるんですね……」

「折角旅の始まりだってのに、いきなりテンション下がるような事言うなよ桂木……」

「まあ、屋根があるだけ大分マシだよ。食べ物も毛布もあるし……まあ、すずちゃんも居ちゃうけどさ」

「ふぇぇっ!? 私、居ない方が良いんですか!?」

 出発後の俺達が最初に話題にしたのは明日の希望ではなく、差し迫った苦労だった。
 一見は男性用のようだがその実はっきりと女性としてのラインが浮き出る衣装を着込んだ旅人仕様の桂木すずが、後ろの馬車から御者台へ顔を出している。
 茶色のもこもこ髪もある程度は復活し、思い人にからかわれる辺り、中身はいつも通りである。
 俺と同じく御者台に座った富田健一は馬車の振動に慣れないのか時折座りなおしている。
 こちらはどこか主人公らしいと言えなくもないような、皮の衣類を上下で身にまとっていた。
 俺の方は綿と絹で出来た普通の洋服の上に防具店で見つけた現実に通じる部分のあるジャケットを羽織っている。
 服装自体は全員がまさに旅人なのだが、残念ながら俺達には楽しい旅という夢よりも辛い現実の方が大分重かった。

 ――しかし一人、麻衣だけは少し夢の比重が大きいらしい。

「先輩、私達、自分の世界に帰してもらう為に神様に会う旅をするんですよね?」

「……まあ、そうなるな。さっさと会って家に帰してもらおう」

「何だか素敵ですよね、大変な旅になるでしょうけど、皆で頑張りましょう!」

「……そう、だな」

 健一と桂木は苦笑いに逃げている。
 相手をするのは俺の仕事なのか。初めての体験だが、彼氏ってのは大変なんだな、やっぱり。
 しかし、別に本気で言っている訳じゃないのはもうわかる。
 オーガを倒すのにあれだけの苦労を強いられて、流石の麻衣もこれ以上の冒険譚を期待してはいないだろう。
 麻衣なりの気合の入れ方と、励ましなのだ。多分。
 
 そう思ってふと後ろの麻衣を振り返る。
 桂木同様馬車の中からこちらを見ている麻衣は、昨日と同じ白のローブ姿。
 しかし何着か似たデザインのものを選んで買ったらしく多少細部が違っていた。
 こちらは腰と共に胸の少し下でも絞られていて、決して貧相ではない麻衣の胸部が強調されて見える。
 ポータルゲートに吸い込まれる前から着ていたブラウスと何処か似ているように感じた。
 足元は地味だが歩きやすい靴に変え、長めの靴下は恐らく絹製なのだろう、艶やかな白が違う白さを持った麻衣の足とコントラストを描いている。
 頭には長い髪を押さえるように暖色の帽子をかぶっているが、そこから流れる黒髪が白と金だけに彩られたローブの上を自身も意匠の一部だと主張する様に飾っていた。
 そしてワンポイントのアクセント、胸元にオーガ退治の際に貸した白銀のネックレスが揺れている。
 わざわざ見える位置にかけている辺り気に入ってくれているのだろうが、あれはゲーム内の価値で言うと数千万ベルになる。
 能力が強力で落とすボスが強いとはいえ、結局の所単純なレアドロップだ。算出はそこそこにある。
 持ち金から言えば買い直すことは難しくないのだが……思い出もあるのだ。出来れば返してもらいたい。

「あー、麻衣、そのネックレス、なんだけど……」

「あ、はいっ」

 俺が何かを言う前に、嬉しそうに麻衣が続けた。

「とっても素敵です。私、大事にしますね、先輩」

「……ああ、そうしてくれると嬉しい」

 わざとだろうか。少しそんな気がする。
 しかしそれでも、声を弾ませる麻衣にどうやって返せと言えばいいんだろうか。
 その上調子に乗ってベッドに潜り込んだ負い目はまだ残っている。彼女だろうと許可なくすれば犯罪だ。
 しかし友達を超えないあっちの二人は素直に抱き合っていたのに、逆に俺は麻衣に突き飛ばされるというのは何かおかしくないだろうか。
 ――まあ装備状態にある以上盗まれたり落としたりする事はない筈だ。安全のために預けたままでも問題はない、よな。
 とりあえず理屈だけつけて納得し、細かい事は無視を決め込み、やるじゃん、いつ買ったの? と黒い笑みを浮かべる健一をあしらって――俺は馬に速度を上げさせた。


 カントルが離れるにつれて、ずっと臭っていた生々しい香りは薄まり、いつしか消えていった。
 馬を歩かせ始めて数時間、血の香から逃れた安堵感は消えさり、程よい旅の緊張感が鼓動を揺らしていた。

「何でもかんでも、器用だねえ山田は……」

 御者台に座り、結局誰の言うことも聞かなかった馬の手綱を引く俺を見て、隣に腰掛けた健一が言った。
 今さっきも手綱を握らせてみたのだが、健一がどう手綱を引いても馬達は右にも左にも曲がらず、加速も減速もせずにのんびりと歩き続けたのだ。

「ずるいんですよ。先輩にだけ皆懐いてるんです」

「だから怒られても困るって……」

 本気で言っている様子はないが、馬車の中の麻衣もまた文句を言い出している。
 まあ振動する馬車の中で冗談を言える元気があるというのは良いことだろう。
 何せ桂木の方は揺れが落ち着かないのか、馬車の真ん中辺りでクッションを積み上げた上に座って一人笑点状態になっているのだ。
 馬車の振動に合わせて前後左右にゆらゆらと揺れる姿はなかなかユーモラスだが、本人は真剣らしく見ていると怒られてしまう。

「じゃあ後でもう一度やってみよう。こっちで手綱握っておけば多分暴れたりは――」


 ――クケェェェェェェ


「――モンスターか?」

「ただの鳥じゃ、なさそうだね」

「凄い鳴き声ですね……」

「ひゃっ、きゃぁぁぁぁぁぁ」

 最後は驚いて転んだ桂木だ。
 唐突に聞こえた尋常ではない鳴き声に各々が警戒を強め、俺と健一は腰の武器に手を伸ばした。
 多少遠くから聞こえてきたのでわかりにくかったが、あれは怪鳥のモンスター、ウイングハーピーの鳴き声だったと思う。
 丁度このマップに主に出現するモンスターだ。恐らくは間違いない。
 何の指示もしていないが馬達は自然と減速しながら動揺することなく歩みを続けている。
 彼らがカントルに来た時にもこの道を通ったのだから落ち着いているのは当然かもしれないが、動物が驚いていないというのは少し安心させてくれた。

 ウイングハーピーは怪鳥モンスターでありながら地上タイプであり、低空飛行しかできない。
 その上奇襲のような事はせず、こちらから襲い掛からない限りは見える位置をうろうろして去っていく、ノンアクティブタイプのAI設定だ。
 落ち着いてしばらく待てば姿を見せ、やがて去っていく筈だ。


 ――クケェェェェェェ


「……山田、この声、近づいて来てる?」

「だろうな。こっちに来るんじゃないか」

 しかしこれだけ時間をかけて鳴き声が一つなら相手は単独。可愛いものだ。
 ほっと息をついた俺に、起き上がったのか桂木が詰め寄ってきた。

「何でそんな余裕あるんですか先輩、この凄い声に襲われたら、大変ですよ! あったじゃないですか、ほら、鳥に襲われる映画! ……えっと、何て言ったっけ」

「鳥、だろ。古いの知ってるな……リメイク版か?」

「それならこの声カラスなのかなぁ……」

 うんうんと頷き合う俺達に、桂木が泣きそうな声を上げた。

「だから何でそんな余裕あるんですか先輩、二人ともー!」

「桂木さん、大丈夫ですよ」

「……麻衣まで……」

 がっくりとへこむ桂木。
 麻衣は俺の力をある程度は知っている。オーガの時には焦っていた俺が今回は落ち着いているから余り心配していないんだろう。
 だが健一は違う。話題に乗ったのは平静だからではなく、恐らくは何も考えずに返事を返しただけだ。
 ちらりと視線を向けると、青ざめた顔で剣を握り締めている。
 俺が何とかすれば大丈夫だろうと思っていた、だが、もしかしたら逆だったのだろうか。
 毎回毎回俺から危険に飛び込んでいたから、健一は何かしらの責任を感じている……?

「やっぱり、傭兵さんとか雇えばよかったんですよ、ちゃんと沢山お金払って守ってもらえば……」

「カントルに戦える傭兵とか残ってるわけないだろ。下手したら壊滅してたんだぞあの町は」

「ふぇぇぇ、もうやだ、健先輩、怖いー!」

 桂木が騒いでいるが、健一は何のリアクションもとらない。
 そもそも町を出る時、この町にはもう護衛の類を請け負える人間が誰も居ないにしても、そのまま出発するのは危険だと桂木は主張した。
 だが俺は平気だろうと言い、麻衣も俺を見て大丈夫だろうと言った。そして――健一が平気だと言って、それで出発したのだ。
 しかし健一が言ったのは本当にそんな台詞だったか。平気だと、何とかなるとそう言ったのではなく、健一は――


 ――クケケェェ!!


 目の前に舞い降りるように、小人の手を大きな翼に変えたようなモンスターが現れた。
 実際には高く飛べないので横から滑るように姿を見せただけだ。
 声はモンスターチックだが見た目には非常に愛嬌があり、近くをまとわりついた後去っていくそのAI設定からも和みキャラに位置づけられている。
 馬達はその習性を知っているのだろう、ハーピーを無視してしてそのままゆっくりと歩みを進めている。
 俺はウイングハーピーの実物を初めて目にした感動で健一が動いたのに気がつかなかった。
 そうだ、健一は『何とかする』と、そう言ったんだ。

「皆、下がってて!」

 まるで『勇者』のような事を言い、健一が馬車から飛び降りる。
 首をクリクリと曲げて不思議そうに見つめるウイングハーピーを睨みつけ、健一は剣を手に一気に駆け出した。
 とりあえず即死はしないだろうからヒールで何とかなる――
 ありえない事を考えて行動が鈍った。

「なっ……、この馬鹿っ!!」

 慌てて飛び降り、敏捷値をフルに使って追うが、そもそものハーピーとの距離が近過ぎる。
 馬車の速度に合わせて後ろにホバリングするハーピーへすぐに追いついた健一が両手で握った『ソード』を振り下ろした。


 ――クェェェェ?


 ゲーム内では聞いた事のない疑問符のような鳴き声をあげてハーピーが避ける。
 空中を泳ぐように、氷上を滑るように、剣を持った健一をパートナーに踊るような動きでハーピーは数回の斬撃をかわしきった。

「うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 時間で言えば三秒にも満たない時間が永遠にも感じられる。
 健一がさらに剣を振り回そうという所で、ようやく追いつく事に成功した。

「やめろ健一っ!」

 暴れる初心者剣士を後ろから全力で羽交い絞めにし、武器を奪って馬車の中の放り込む。
 一瞬やりすぎたかと思ったが桂木が受け止めていたようだ。役得していてくれ、桂木。


 ――クケェェ?


 まだ疑問符をつけて鳴きながら、ハーピーはひらひらと馬車の前を飛んでいる。
 健一が『ソード』を振り回したのが幸いだった。
 恐らく装備制限レベルに満たないことでダメージ判定がつかず、攻撃が外れやすくなっていたんだろう。
 比較的回避率が高いとは言えウイングハーピーは低レベルのモンスターだ。
 ナイフの方で攻撃していたら1発ぐらいは直撃して健一が反撃を被っていたかもしれない。
 試みた攻撃が全てミスでダメージを与えられていないので、ハーピーはまだ『システム上の』アクティブ状態にはならず、こちらを伺っているままだ。
 分けて考える必要があるのかはわからないが、後は現実の問題だ。このモンスターが大人しい、もしくは人懐っこい性格であれば……。


 ――クケェェェェェ!


 切りつけたにもかかわらず襲い掛かってこないモンスターを呆然と見つめる健一を尻目に、ウイングハーピーは一声鳴くと飛び去っていった……低空飛行で。

「……ふぅ。良かった、行った……」

 俺の声を皮切りに全員の安堵の吐息が重なった。
 危ない目にもあったが、中々に貴重な経験だった。ゲームで言われる可愛いモンスターというのは実際に可愛い可能性が高そうだ。
 いずれ一人でダンジョンに潜って、サキュバスとかに襲われてみようか……と、言っている場合じゃない。

「……しかし健一、何無茶してるんだ。大人しいモンスターだったからいいものの、皆死んでる所だぞ?」

 朝言われた事の焼き直しだ。
 俺としては半ば冗談だったのだが、健一は本気で落ち込んでしまった。

「うん……ごめん、ありがとう……」

「いや、別に本気で言った訳じゃないんだが……。まあ、馬だって人を蹴り殺せるぐらいなんだ。危ないモンスターでも動物と一緒だ、襲ってこない奴は沢山居るさ」

「それに……格好良かったですよ、健先輩!」

 いや、そのフォローはどうなんだ桂木。
 健一が馬車内に入ったからか、御者台に座った俺の横に麻衣が腰掛けた。

「お疲れ様です、先輩」

「……ああ、さんきゅ」

 その一言で癒された、間違いなく癒されたのだが。
 一番楽なポジションだなぁ、麻衣……とは、口に出さなかった。





「大分、暗くなってきたな」

「そうですねえ……」

 馬の休憩を数回はさみ、日の暮れる時間になった。持ち回りで御者台のナビシートに座っているのだろうか、隣は地図を持った桂木だ。
 今の所あれからモンスターは出ていない。街道にはモンスターが出現しにくい設定になっているのでこんなものだろうとは思う。
 しかし健一は多少落ち込んではいるものの、返した剣をしっかりと腰に差し直していた。
 次に現れたモンスターにまた襲い掛かったりするとまずい。しかしどう止めたものか。
 曲がり角を曲がった回数と頭の中の地図を照らし合わせるとここまでで丁度半分ぐらいは進んでいるだろう。
 周りの木の本数も相当に減っていて、既に森じゃなく林と言えるレベルだ。山岳都市に近づいているのは間違いない。

「馬もそろそろ疲れてるだろう。晩飯にして、休むか」

「うぅ……助かります」

 ぐったりと桂木が言った。揺れに慣れるどころか限界を迎えているようだ。

「まあこのペースなら明日の夕方には次の町だ、後ちょっと頑張れ」

「明日には着くんですか!?」

 聞くと直ぐに喜色を浮かべる。このリアクションの良さは桂木の良い所だろう。
 横目で桂木を見て、一応言っておいた。

「一日、頑張れるんならだけどな」

「……頑張ります」

 頑張れ。


 夕食は焚き火で暖めたパンに焼いたベーコンを乗せ、さらに小さく切ったチーズを乗せたという、買った品目から完全に予想されるメニューだった。

「もうちょっと材料があれば何か作れるように調理道具は買ったんですけどねー」

「へぇ、すずちゃん、料理得意なの?」

 ピザモドキと化したパンを配りながら言った桂木に、健一が食いついた。
 始まりの町カントルと山岳都市ガイオニスが馬車で二日程の距離だとすると、町を飛ばさずに進めば教国まで最高で4日程度に区切られた旅になる。
 根菜類の野菜のように常温で保存できる食料を買って進めば、調理の出来る人間が居ればもう少しまともな食生活が送れるかもしれない。
 他3人から注がれる熱い視線に気圧されながら、桂木がおろおろと言った。

「いや、その……同じ名前の調味料は幾つか見つけたんですけど、知ってるのとは違うから……ちょっと、何作っても実験作みたいになっちゃうかもなー、なんて……」

 そんな事は全く構わなかった。
 間髪入れずに頭を下げておく。

「よろしくお願いします」

「期待してるよ、すずちゃん」

「ふぇぇぇぇ!?」

 期待の旅する新人コック、桂木すずの誕生だった。

「……桂木さん、いいなぁ……」

 …………………。

「……あ、わ、私もちょっとぐらいは出来ますよ? その、レシピがあって普通の材料がないと自信がないだけで、全然大丈夫ですよ?」

「……いや、別に何も言ってないぞ、麻衣」

 心の中ですら何も口に出していない。視線も向けていない。何故わかった、麻衣。

「ぅぅぅ、先輩には絶対何も作ってあげません」

「いや、人によっては聞くのが悪い事もあるから言わなかっただけで、悪気は別に……」

「うぅぅぅ」

 うーうー唸ってパンをかじる麻衣はそれはそれで可愛い。
 しかし、先の言い方は全然自信ありげではなかった。
 漫画のように食えない飯を作り出す人間が本当に実在する事を、メシマズスレをたまに見る俺は知っている。
 別にこんな状況で彼女の美味しい手料理が食ってみたいとか言い出すつもりはないから……。
 リカバリーオール、使う羽目にならなきゃいいんだが……と、口に出さず思った。
 ちなみに、どの馬も人参は食べなかった。

「とりあえず3時間ぐらいしたら健一を起こすから、それまで寝ててくれ」

 と言ったのが5時間ほど前だろうか。今日も俺は寝ずの番をしていた。
 相変わらず睡眠欲は脅威ではないのでこれといって困る事もない。
 近づいてきたモンスターが騒ぐ前にキュアバーストを使うのが唯一の仕事で、多少暇なのが問題な程度だった。
 と、動かない馬車に人が居るのか見に来たのだろうか、鳴き声をあげる事もなくウイングハーピーがやってきた。
 特に何も考えることなくクイックスロットから魔法を選択。

――キュアバースト――

 ターゲット ウイングハーピー。
 無音で光が炸裂し、ハーピーが姿を消す。一応このぐらいの雑魚なら一撃でも倒せるのだ。
 可愛いモンスターなのだが何故か一人の時は情をかけるという発想すら起きなかった。
 目線をぼんやりと正面に戻した所で、後ろから小さな声が響く。

「……先輩」

「っ……麻衣か。悪い、眩しかったか?」

 一瞬二人にバレたかと緊張したが、幸い馬車から出てきたのは既に俺の力を――方向性はともかく――知っている、麻衣だった。

「…………」

「……麻衣?」

 何も言わずに隣に座り込む彼女の姿に少し動揺する。
 出会った頃の気まずかった雰囲気を思い出し、何か話さなければならないのかと焦ってしまったのだ。
 だが、流石にあの頃とは違う。
 俺も何も言わず、そのまま傍で寄り添った。

「先輩は……」

「……ん?」

 しばらくの時間を置いてから麻衣が口を開いた。
 彼女はこうして、何かを言うのに時間をかける時がある。大分わかってきていた。

「先輩は凄く、強くなってます」

「別に……そんな事はないと思うけどな」

 仮にもマップボスのシュタイナーウルフと比べればウイングハーピーの方が幾らも弱い。
 麻衣の目の前で、彼女風に言えば『覚醒』して見せた時と変わっていなくてもおかしくはない……実際、変わっていないのだし。
 しかし麻衣が言いたいのはそういう事ではないのだろう。
 オーガと対峙したあの時の事。健一を助けようとしたさっきの出来事。
 意図していたわけではないが、彼女の望んだ道を、俺は進んでいる。

「私は何も出来ないままです」

「……麻衣を先頭に立たせて化け物と戦うような事になったら、それはそれで嫌だぞ、俺は」

 私もです、と麻衣は笑ってくれたが、その横顔は笑みとはとても言えない程に寂しげだった。
 俺が最初に力を使い、健一も一応はオーガを倒して見せた。
 でも、麻衣はまだ何もしていない。出来ていない。
 俺が昼間に思った楽なポジションにいるという事を、恐らく麻衣も感じているんだろう。
 幾らかの余裕を持って旅を始めているが精神的には俺達が今も極限状態であることに変わりはない。
 今日も健一が少しおかしかったぐらいなのだ。
 そんな時にただそこに居る事しか出来ない苦痛。
 それは、何処まですべきなのかで精一杯の俺には想像できないものだろう。

 だが……そんな事を他人に話したってどうにもならない。
 恐らく麻衣もわかっているだろう。
 それでも俺を頼ってくれた。
 情けない言葉を口に出してくれたのが嬉しかった。
 俺は、彼女に何を言ってやればいいんだろう。
 麻衣はこれ以上俺に何かされる事を求めてはいない。何かが出来る自分こそを望んでいる。
 だが、もしも麻衣が何かの力を得て、そして自分の身を守り、敵を退ける事が出来るようになったら――

「強くなる方法は、ある」

「え……?」

 何も考えずに口に出していた。
 確かに方法はある。クエストでレベルが上がった以上、麻衣もモンスターを倒せばレベルは上がるだろう。
 高レベルの僧侶が傍にいれば何の問題もない。理屈だけで言うのならいつだって強くなる事は出来る。
 でも――

「別に、そのままでいいさ」

「……?」

「守られていてくれ。守らせてくれ。何だったらお姫様で居てくれればいいんだ」

「……でも、私は……」

「少なくとも今、俺は麻衣のおかげでまともで居られる。頑張った後に一言労ってくれれば、きっと俺は何だって出来るから」

 悪くない台詞だと思った。
 嘘はついていないし、気休めのつもりもない。
 のだが。

「……嫌です」

「……そうですか」

 一刀両断だった。

「私も出来ることをしたい……何かが出来るようになりたいんです。私も、皆の力になりたい……」

 うつむいて、麻衣は言った。
 俺はこのままでもいいと思う。でも、麻衣はそれではいけないと言う。
 短い時間の間に俺達は何度もこうして意見がぶつかっている。
 これまでは結果として俺が譲る形になっているが、これは全て麻衣の問題だ。
 俺の意見はもう言った。しかし俺が何と言おうと麻衣が選び、自分で選択する。
 だからこれ以上何も言わない……それは、本当に正しいんだろうか。

 長く黙り込んだつもりはなかったが、気づくと座り込んだままの麻衣が静かに寝息を立てていた。
 どうすれば強くなれるのか結局聞かれなかった。
 モンスターを倒せば――というのは予想しやすい事だ。もしかしたら何となくわかっているのかもしれない。
 だが仮に理解していても、それで実際にモンスターに立ち向かうことができるだろうか。
 巨大なボスオーガを倒した健一ですら今日ハーピーに挑むのも決死の覚悟だったんだ。
 逆にオーガに蹴りつけられて死ぬような目にあっている麻衣がモンスターを倒すなんて出来るわけがない。
 結局は無理なのだ。でも、それでも納得が出来なくて、それが『嫌』だったのかもしれない。

 無理をして欲しくないから言わなかったが、幾つもクエストをこなしたり、PTメンバーに代わりに敵を倒してもらう事で経験値は得られる。
 もしもそうして麻衣が強くなったら、自分で強くなれるようになったら、彼女は誰かの力になろうとするのだろうか。
 その時、俺はどうすればいいのかを考えてしまう。
 一緒に戦えばいいだけの筈だ。
 肩を並べて、背中を合わせて二人で困難に立ち向かって、そして生きて帰る。
 麻衣の流儀だが悪くない話だと思う。
 しかし俺は、俺達の関係は、そのままでいられるだろうか。
 今は俺が力を持って麻衣を助け、麻衣は俺を支えているんだと思う。
 もしも麻衣が力を持ったなら彼女にとって俺は必要な存在なんだろうか
 ただ一言好きだと言ってくれたら。
 俺の事が一番なんだと、そう言ってくれたら。
 俺はきっとためらわずに決められた筈だ。
 麻衣に一番大切な言葉をもらっていない事が――俺からも何も伝えていない事が――酷く、どうしても重く感じられた。



 ――そんなのは言い訳だ。
 結局俺は、頼ってくれた恋人に何も出来なかった。
 少なくとも、隣でこんなにも無防備に眠る程に信頼してくれているのに。
 なのに今更に証明を欲しがるなんてどれだけ女々しいんだか。
 童貞はこれだから困る……と、きっと健一なら笑い飛ばしてくれただろう。
 もしかして親の愛が足りなかった子供とかなんだろうか。そんな覚えは一切ないんだが。
 相変らず羽のように軽く感じられる麻衣を抱き上げ、馬車へと運んで行った。

「……ぅ……ん?」

 扉代わりの布を軽く開いて中に入ると、人の気配に気づいたのだろうか、桂木がもごもごと寝言を漏らした。
 その隣に暫定的に作られた毛布の寝床に麻衣を下ろした所で、麻衣を挟んで向こう側で寝ている桂木がふと、目を開く。

「あ……」

「ん?」

 呆然とした桂木の視線を確認すると、抱いていた麻衣を下ろす俺の姿は、今から麻衣に覆いかぶさろうとしているようにも……見える。

「お、おじゃ、お邪魔しました……っ!」

「……寝てろ」

 毛布に絡まったままじたばたと身を起こそうとする桂木を置いて一人で馬車を出た。
 星もない暗闇の空、それでも何故か薄っすらと見通せる不気味な闇をたたえた森。
 俺は知らず言葉をこぼしていた。

「……好きなら好きって、言えばいいんだ」

 麻衣が俺に応えてくれないんじゃないかと、今更危惧する方が馬鹿馬鹿しい。
 それでも、その言葉を伝える気持ちになれない。

「……俺は、麻衣が好きなのか……?」

 当たり前だと。口に出そうとは、どうしても思えなかった。





「いやほら、あんまり気持ちよさそうに寝てるからつい、な」

「……で、山田は徹夜?」

「俺は徹夜とか慣れてるから大丈夫だ。ほら、朝飯食ってさっさと行こうぜ」

「あ、あのねえ……」

 健一が怒っているのはわかるが、起こすと遊びに来たハーピーに突撃しそうだったので仕方がなかったのだ。
 朝食後、貴重な水を分け合ってそれぞれ身支度を整えた後。
 今日も頑張って行こうという時に、健一が俺を馬車内に押し込んだ。

「今日は僕が馬車を動かすから、山田は昼は寝てて」

「……出来るのか?」

「昨日ちゃんと見てたから大丈夫さ。任せて、山田はちゃんと寝る事」

「……そうか?」

 眠い訳ではないが、眠らせてくれるのなら断る理由もない。
 御者台には健一と桂木が並んで座っている。頑張ってくれ。
 何となくオチを理解しながら毛布を敷いて横になったところで、先に馬車の中に居た麻衣が目の前に座り込んだ。

 見上げてみると、柔らかく微笑んでぽんぽんと膝を叩いた。
 昨日の今日で俺は少し気まずく思っていたんだが、これは気にしていないのか、気がきくというのか、それとも……
 ……もしかして案外と嬉しかったんだろうか、お姫様で居ればいいと言われたのは。
 麻衣の膝に頭を預け、そのまま目を閉じた。
 時折髪や顔を触れているのは麻衣の手だろう。滑らかな感触が鼓動を早め、同時に安らぎをくれた。
 優しく幸せな時が流れた。このまま一日かけてガイオニスにつくのならそれ以上の事はない。
 だが残念な事に、馬車はいつまでたっても動き出してくれなかった。

「山田ー、ちょっと来てー!」

 当然すぐにお呼びがかかる。

「……ありがとう、麻衣。ちょっと行ってくるな」

「頑張ってくださいね」

「任せろ、今の俺は多分無敵だ」

 元気に立ち上がった俺に手を振る麻衣が少し残念そうに見えたと、そのぐらいは自惚れてもいいと思う。




「……モンスター、出ないね」

「出ないならそれに越した事もないだろ。結構可愛かったけどな、昨日のは」

「…………」

「黙んなよ……困るから……」

 俺が手綱を握った瞬間素直に歩き始めた馬車に揺られて数時間、御者台に並んで座る健一はずっとローテンションだった。
 前日の失敗――と言う程でもない、健一の立場からすれば勇気ある挑戦を、随分と悔やんでいるらしい。
 その上に御者を務めることも出来なかったとあって今日は相当の落ち込み様だった。
 一応しばらくは気を使っていたのだが、段々と面倒になってきた。
 相手は麻衣じゃない。男で友人で、ついでに言えばリア充の健一に遠慮するのも馬鹿馬鹿しい。

「昨日は朝からどっかおかしかったし、何かあったのか?」

「…………」

 無視だった。

「もう4日目だ。誰も口には出さないけど、そろそろホームシックとかもありそうだよな」

「別にそういう訳じゃないんだけど……さ」

 うつむいて言う健一。
 昨夜そうしたからだろうか、無言のままでそのまま次の言葉を待った。
 進み続ける馬車は二つほど緩やかなカーブを描いただろうか。
 少しの間をおいて、馬車の中で何やら話している麻衣と桂木を振り返った後、健一が口を開いた。

「その、どう言えばいいのかわからないんだけど……ありのまま話すよ?」

「異世界に引っ張り出されるより面妖な事なんてそうそうないだろ。今なら何でも聞けると思うぞ」

 軽く答えた俺に応じてか、健一の方も極々軽い様子で言った。
 顔の方は完全に引きつった笑みを浮かべていたが。

「どうもさ、その、何て言うか……レベルが上がったような気がするんだ、僕の」

「……ああ……レベル……?」

 思わず、ああ知ってるよと言いかけてしまった。
 レベルが上昇している事はわかっていたが、まさか本人も気づいているとは考えてもみなかった。
 しかし言われてみると、スキル発動のエフェクトが見えているのなら自分のレベルが上がった時の盛大なエフェクトも見えるはずだ。
 具体的にレベルだと言及する辺りからすると感覚として上がった実感があるのかもしれない。

「何を言ってるのかわからないと思うんだけど、僕にも正直よくわからないんだ。ただ、何か恐ろしいものの片鱗を……」

「……結構余裕あるだろ、お前」

 どこかで聞いたような話になってきた。
 隠れオタの健一とネタの混じった会話をするのはよくある事だったが、こちらに来てからは珍しい。
 口火を切って大分吹っ切れたらしい。幾らか緊張の取れた笑みを浮かべて続けた。

「別に冗談で言ってるわけじゃないんだけど、本当にそうとしか言いようがなくって。多分あのオーガを消した時に経験値が入ったんじゃないかと……いや、真面目に言ってるんだよ?」

「悪い、ちゃんと聞いてる。大丈夫だ、健一がおかしくなった訳じゃない」

「……山田?」

 全て話す良い機会だ。
 この状況を俺のせいだと疑われる――実際にそうである可能性はある――不安は残っている。
 それでも、今話さずにいつ話すと言うんだ。
 少なくともおかしくなったと思われる事はない。すぐには口に出せなかった気持ちも理解し合えるだろう。
 馬車の中の二人がこちらに気づいていないのを確認し、軽く言った健一に調子を合わせて俺も出来るだけ軽く聞こえる様に、言った。

「ここ……この世界、多分ゲームの中だと思うんだ。覚えがあるんだよ、何て言うか……設定に」

「……ドラクエとか、ファイナルファンタジーみたいな……ゲームの中?」

「ああ。レベルとか魔法とかある、そういう世界だった」

 実際口に出してみると酷くありえない話だった。
 まともに聞けば異常だとしか言い様がないだろう。しかし健一はそれを真面目に受け取り、納得したように頷いた。

「ゲームか……なるほど、それで山田はずっと余裕があったんだ。その割には様子がおかしかったのも、そういう事なんだね」

「ああ。最初にゲームの中だと気がついた時は本気でおかしくなったと思ったよ。今でもちょっと不安なぐらいだ」

 初めてチャットを打ってしまった時だ。
 信じられない状況下に置かれた自分がゲームのやり過ぎで狂ったのだと本当に思った。
 あの時の恐慌を思えば、今こうして落ち着いて説明しているのも驚ける程だ。

「それで……どうもゲームで育ててたキャラクターのレベルがそのまま残ってるっぽくてさ。それで馬が言う事聞いたりするみたいだ」

「……ゲームのキャラのレベルを、山田が?」

「何を言ってるかわからないと思うが、俺にもわからん」

「突っ込む余裕、ないよ。……何だよそれ、それじゃ勇者は山田の方じゃないか。人を勇者呼ばわりしたくせに」

 健一が眉をひそめて言った。

「ああ……なるほどな。それでお前、自分が勇者だったらとか言ってたのか」

 レベルが上がる自分が特別なんじゃないかと、それを不安に思って勇者だったら何て言っていたのか。
 昨夜桂木から逃げていなかったのも、誰かにすがりたかったからかもしれない。桂木が勘違いをしていないと良いんだが。

「そうだよ。みんないつも通りだし、僕だけレベルが上がってるんなら僕が何とかしないとって……勘違いだったけどさ」

 幾らか残念な気持ちもあるのだろう。どこか不満げに健一は言った。
 しかし問題はない。どう頑張っても俺は支援職だ。PTの花形だとはとても言えないだろう。

「心配ないぞ。俺に出来るのってホイミとかスカラとか、そんなのだけだ。勇者が居るとしたら俺以外の奴だな」

「ホイミ……僧侶みたいだね。……ああ、それで麻衣ちゃんが山田は僧侶って言ってたんだ。麻衣ちゃんにはもう話してるの?」

「俺に多少出来る事があるのは知ってる。でも麻衣は小説の中だと……小説みたいな世界だと思ってるみたいだ。女にゲームがどうのって話してもなあ」

「まあ、レベルとか言っても馬鹿だと思われるだろうね……」

 ゲームをやる女の子は沢山居るが、やらない所か疎んでいる子も決して少なくはない。
 その筋に興味を持っていない女性へゲームの話をする程に馬鹿馬鹿しい事はそうそうないだろう。
 ここはゲームの中だからその設定について説明したい、とか――全く、ありえない話だ。
 出来れば麻衣がフォーチュンクエストなんかを読んでてくれると良いんだが。
 しかし実際はあの二人もレベルは上がっているのだ。
 少なくとも桂木はエフェクトに気づいただろうし、俺にはわからない健一と同じ感覚を味わった筈だと思うんだが……気にした様子はない。

「じゃあ山田は強くてニューゲーム、僕らはニューゲーム、か。何か気が抜けたよ。もう任せちゃってもいいの?」

「かなりレベルはあるし敵のAIも知ってる。まあ大量に襲ってこなければ大丈夫だな」

「……そういう事って、あるの?」

「次の町を出た辺りからないとは言い切れない。お前らより馬と馬車の方がHP高いから、馬車から出ないでくれ」

「……僕もレベル上げようかなぁ……」

「無茶言うな、ハーピーにかすりもしないくせに。あれ雑魚なんだぞ」

 嘘っ、と大声を出した健一に馬車の女性陣が反応し、ゲームの話はお流れになった。
 話していない事はたくさんある。この世界の現状、これから出会うかもしれないクエスト、目指している神の事、俺にどんな能力があるのか。
 そして健一自身が選べる可能性も――いや、これは気づかなくていい。みんなは俺に守られて居てくれればいいんだ。
 なのに違和感がある。レベルを上げようかと言った健一にそうすべきだと応じた自分が居るのを感じる。
 少なくとも一人には隠し事を話せた。わだかまりはマシになって然るべきなのに、むしろしこりが残っているように思う。

「健先輩、何話してたんですか? あ、私達も先輩の事話してたんですけど、麻衣ったら結構惚気るんですよ、こう見えて。やっぱり私も……聞いてます? 先輩――」

 ――しかしそんな事よりも、普段よりさらに健一に懐く桂木に感じる嫌な予感の方が随分と重い。
 一昨日の事があるからか邪険に扱う事も出来ず困り果てる健一もそんな様子だった。
 世界がどうしたという大問題よりも、目の前に迫った小さな問題の方が大きく感じる。
 どうにも俺達は勇者向きではなさそうだ。




 結局、その日は何の問題もなく進み続け、日が沈む前にあっさりとガイオニスにまで辿り着いた。
 カントルの大門よりもさらに大きな門。
 その前で馬車が止められ、門兵による検閲が始まった。

「その馬車は騎士団所有の物だろう、それに乗ったお前達は何者なんだ」

 中に怪しいものは何もなかったが、馬車自体を見咎められて厳しい顔の門兵がこちらを睨みをつけている。
 ガイオニスの町に入れないというイベントはなかったと思うが、こんな所で面倒事にはなりたくない。
 おろおろしている麻衣と桂木をなだめ、とりあえず素直に事情を話してみることにした。

「ドラゴンナイトのクーミリア様から褒賞としていただきました。こちらがその書類です」

「うむ、よかろう。馬車はこちらで預かるか?」

 幾らか緊張していた俺の気持ちはどうなるのだろうか。

「……はい、お願いします」

 クーミリアから受け取った書類を見せて一言名前を出すだけで、あっさりと納得された。
 よく考えると帝国首都に向かうのも教国へ向かうのも途中までは同じ道のりだ。
 先に出発したクーミリアが話をしておいてくれたのかもしれない。
 幼い少女ではあったが、そういう気をまわしてもおかしくないような雰囲気のある子だった。
 すると……今のはこの男のちょっとした嫌がらせだろうか。案外クーミリアのファンなのかもしれない。


 門兵に馬車を預けて俺達は山岳都市ガイオニスに足を踏み入れた。
 構造や雰囲気はカントルに似ているが、大きさを単純に倍にしたぐらいの規模のある町だ。
 どうして森の中の町と似ているのかと言えばゲームの中でその理由が語られていた。
 それはガイオニスは山岳都市と名がついているものの、山間部にあるだけで山の上にあるという訳ではないからだ。
 どちらかと言えばこれから山を越えていく足がかりとして存在する町としての色合いが強かった。
 反対側から来た場合には長い丘陵をゆっくりと上って、後は下るだけなのがガイオニスの山なのだが
 こちらから上る場合は急な山道をしばらく歩き続けなければならない。
 その為こちら側に宿場町が作られ、自然と発展していった……とか、そんな設定だったと思う。
 なのであちこちに宿が見られ、その中の多くには温泉もある。
 宿場だけあって酒場も充実していて、冒険者も多い。そういえばクエストも豊富だったはずだ。
 むりやり開始されるクエストが存在していないか、後で確認しておこう。

「……それでは!」

 ぽんぽんと手を叩き、おのぼりさん丸出しに周囲を見回す俺達に向けて、桂木が言った。

「前回の反省を活かして、まずは宿から! いいですね!?」

 気迫溢れるその言葉に反論する者は一人としていなかった。
 近場の宿屋に向かって突撃していく桂木の姿に、町に到着する度にこうなるような、謎の既視感を覚えたのだった。


「ウチは一人20ベルだぜ、部屋にも風呂が――」

「次っ!」

「一人30ベ――」

「次っ!」

「一人10ベルだ。四人一部屋でいいか?」

「あー……次っ!」

「一人10ベルだ。四人なら二人ずつの二部屋でいいぞ」

「お願いします!」


 ――何も言う余裕がなかった。
 値段を聞いてはさっさと出て行く桂木の代わりに、苦笑いをする店主に頭を下げるので手一杯だったのだ。
 店主の様子を見るに、これだけの数の宿があるとそういう客も少なくはないようだった。
 確かに貧乏なのは仕方がないので、どうか許して欲しい。いや、俺は全く貧乏ではないのだが。

「という訳で、お部屋をお借りしました」

「借りたというか強奪したような気分だよ、何となく……」

 とりあえず一つの部屋に集まり、ようやく休むことができた。
 二本の鍵を握って黒いオーラを放つ桂木が不気味だが、とりあえず健一と並んで腰を下ろして座る。
 麻衣も疲れた息を吐いている。休むために疲れるという無駄な自給自足が成り立っていた。

「そういう訳で、部屋割りです」

 やる気満々で言う桂木。
 朝の俺のような、つまりは何となくオチが見えたような顔で、健一が聞いた。

「……どう分けるの、すずちゃん」

「旅先の宿、4人の男女、そして部屋は二部屋。これはもう、部屋割りは決まってますよね、先輩!」

 桂木の輝く瞳が健一を捕らえ、捕らえられた本人はぐったりしている。
 これもまた極限状態の精神の発露の形なのか。馬車の揺れでおかしくなったのか。
 それとも昨日様子のおかしかった健一への桂木なりの気遣いなのだろうか。
 何となく、フラグを感じ取った恋する乙女は無敵なだけだという気もした。

「ですので、行ってらっしゃい山田先輩。頑張ってね麻衣」

 正直、全くありがたくない申し出だった。
 そんな事に頭を使っている場合じゃないのだ。
 そもそも麻衣とまともに知り合ってまだ数日だ。当然のように手は繋いでいるし、膝枕まで行けば頑張っている方だろう。
 一昨日はベットから追い出され、昨日は食い違った言い争いをした。ここで二人にされるのは出来れば遠慮したいのだが……

「だそうだが……どうする麻衣、健一」

「私は大丈夫ですけど……」

 麻衣は即答だった。
 嬉しいのは嬉しいのだが、そういう態度が俺を混乱させるんだ、麻衣。

「え、嫌だ」

 健一も即答だった。
 嬉しいのは嬉しいのだが、そういう態度はどうなんだろうか、健一。
 まあ健一は俺と二人部屋になって色々と相談したいことがあるんだろう。俺の方もそれは同じだ。

「な、何でですか、健先輩!?」

「いや、ほら、貞操が危ないような気がする」

「別にたいして大事にもしてないくせに、どうしてそんな事言うんですかっ!」

 元々かなり遊んでいた健一が言う台詞ではないのは確かだが、桂木の方も随分と酷い言い草だった。

「知ってるのに好きなのかよ……いや、お前本当に健一が好きなのかそれ」

「好きじゃなかったらこんな事言う訳ないじゃないですかー!」

 本気で泣いているのではなさそうだったが、うわーんと泣き声を上げる桂木。
 俺が見ている前で桂木が好きという言葉を口にしたのは初めてだった。
 健一も口に出して言われた事はなかったのだろう。少し驚いたように桂木を見つめていた。
 はっきりと行動して、はっきりと口に出せる桂木が羨ましく思える。
 だからだろうか、少しだけ手伝ってやりたい気持ちになった。
 俺も少し頑張って麻衣と話し合ってみようか。
 桂木をなぐさめようとしない麻衣も意図は同じだろうと思う。

「はあ……よし。行くか、麻衣」

「あ……はい」

 えんえんと泣いている桂木の手から不自然に突き出されている隣の部屋の鍵を受け取り、麻衣をつれて部屋を出る。

「え、ちょっと、山田!? 麻衣ちゃん!?」

「そういうの、慣れてるんだろ。優しくしてやれ」

 扉を閉じる寸前、泣いている筈の桂木の手が健一に延びていくのが見えた。
 ついでに言えば絶望に沈む健一の表情も。

「この『お話』、多少ホラーになってきたんじゃないか、麻衣」

「一応ラブコメディなんじゃないでしょうか……」

 お世辞にもラブロマンスではないらしい。麻衣も中々言うもんだ。
 こちらも部屋に入り、とりあえず二人で荷物を下ろして一息つく。
 お互いに疲れている事もあるのか、妙な雰囲気には全くならなかった。

「よし、麻衣はどうする?」

「じゃあ、お風呂を頂いてきます。その、温泉があるそうなので……」

 宿に温泉、いい言葉だ。
 だというのに、入ってる間はステータスアップの効果があったな、と夢のない事しか浮かばない自分が悲しかった。

「俺はちょっと調べものがあるから町に出てくるよ。夕食前には戻るから」

「あ……はい、行ってらっしゃい……」

 丁度良くクエストについて調べる時間が出来た。
 一人で置いて行くのは悪いかとも思ったのだが、麻衣は極々普通の、どちらかと言えば体力のない女の子だ。
 馬車に揺られただけの二日間でも間違いなく疲れているだろう。
 状況のわからない異世界、どうしても皆で行動することになって一人の時間を中々取れないこともある。
 温泉に浸かって体を休め、部屋でゆっくり気を抜く時間を作るのもそれはそれで気遣いだろう。
 
 とりあえずの理屈をつけて宿を出ると、町の中心部へと歩き出した。
 中央少し東辺りにクエストの固まった酒場があった筈だ。
 本音を言えば、昨日のような話になるのを先送りにしたい気持ちがあった。
 自分の中にずっと怪しくささやいている部分があるのを感じる。
 やらせてしまえばいい。
 俺が手伝うからその可愛らしいハーピーを殴り殺せ。そうすればお前の望みは叶うんだ、と。
 無理やりに武器を握らせ、震える恋人を魔物に突き出してやればいいんだ。
 何せ仮にもカーディナル監修のパワーレベリングだ。
 スキルで倍加させたHPとネックレスの加護。他の装備も貸せば、本来なら一撃で四回分死ねるような攻撃をする敵とだって戦える。
 クエストを組み合わせて休みなく戦わせ続ければ数日でクーミリア並の強さが得られるだろう。
 それでも、絶対に死の危険はないと保障できるんだ。
 俺がオーガの襲撃前夜に麻衣から要求された事に比べれば、幾らかは穏当と言える――

「……全く、何をやさぐれてるんだか……」

 なんとも攻撃的な考えを頭を振って追い出した。
 ゲームの中だという状況を別にすれば、彼女に振り回されるのは間違いなく幸せな部類に入る悩みだ。
 桂木の素直さを真似出来ない自分への苛立ちなのだろうか。それを相手にぶつけるのも馬鹿馬鹿しい。
 とりあえずは幸いにも、実際に何かしたわけではない。大丈夫だ。
 昨夜の事だって結果だけ見れば今日の麻衣は機嫌が良い。期待には添えなかったが、悪い気分にはさせなかった筈だ。
 初めてのまともな恋愛がどうにも不安で、落ち着かないだけだ――


 本当に、それだけなのだろうか。
 オーガと戦った時から胸にあるこの感覚。
 既視感と違和感が戦っていたあの時の、既視感だけを取り出したような、本当にゲームの中に入っている気分。
 装備できない武器を望む健一のレベルを上げてやろうかと考えたように
 見た目も中身も害がない生き物をモンスターだというだけの理由で無感動に消し飛ばしたように
 俺はゲームみたいに、初心者プレイヤーを育成して楽にするべきだと思っている。

 そんなものは現実的に無理なんだ。
 最初から力があって戦う事は出来ても、人並みのままで化け物と戦って強くなるなんて尋常じゃない。
 無理にやらせて、そして出来たとしても、まともな精神でいられる訳がないんだ。
 なのに俺は当然の事としてレベル上げを選択肢の一つに置こうとしている。
 現実とはズレたゲームの感覚。それは確かに、一度認めて選び取った既視感だ。
 だがそれが俺の中でどんどん肥大化している。現実を塗りつぶしてゲームの部分が拡大している。
 もしかしたら、麻衣の言葉が原因なのかもしれない。
 出来ることをしたい、出来るようになりたいと彼女は言った。
 もしも初心者プレイヤーに、あれがやりたい、これがやりたいと言われたら、とりあえずレベルを上げろと返すだろう。
 俺は……現実に思い悩んでいる麻衣を、そんな話と同列に扱っている……?

「ろくでもないな、廃人ってのは……」

 自分の馬鹿馬鹿しさに嫌気がさした。ゲームにのめり込み過ぎた弊害だろう。
 そもそも根本的に俺以外の三人ではゲームウインドウも開けない。
 物理的な認識とは別のところにある『いつも通り』の感覚を言葉で伝えるのは不可能だ。
 ウインドウが開けない以上、レベルを上げた所で装備が良くなってHPが増える程度だ。
 ステータスを振り分けることも、スキルを獲得することも、もちろん使うことも出来ない。
 逆に半端な希望を与えれば昨日の健一のようにまた事故が起きる危険がある。本当に傭兵を雇うのも考えた方がいいかもしれない――


 ――気がつくと目的の酒場は目の前だった。
 外観は古びているが、木製の大きな看板はゲームで見たことがあるそのままだ。
 現実的に考えようと努力をするたびに、こうしてゲーム通りの『設定』が邪魔をする。
 どこか苛立たしげに、俺は建物の中に足を踏み入れた。


「初めて見る顔だな。何の用だ?」

 とりあえずカウンターの席についたところで、マスターらしき男に声をかけられた。
 NPCとしてこの酒場の店主に話しかけた記憶はあったが、確かにこんな口調だったと思う。
 ただ酒を飲みに来ただけだったらどうするつもりなんだろうか。

「あー……旅の途中に寄っただけだ。これから山を越えるつもりなんだが腕に自信がない。魔物絡みで面倒事が起こってないかと思ってな」

 ふむ、と頷いてマスターはグラスを寄越した。
 何を注文した覚えもないのだが、中に入っている液体はサービスなのだろうか。

「最近、中腹の関所にゴブリンが襲撃をかけてるらしい。すぐに町を出るなら気をつけた方がいいだろう」

 50ベルだ、と告げた店主にベルを払った。
 宿代と比較すると恐ろしく高いが、ゲーム内で宿代が不気味な程安いのは定番と言えば定番かもしれない。
 グラスを一口舐めると、度数は強いが果物の風味がある、飲みやすい酒だった。
 残して出るのも失礼だろう。少しずつ飲み進めながら、俺はぶつぶつと呟いていた。

「ゴブリン襲撃クエ、強制受注なのか? 倒さなくても進める位置に沸いてればいいけど、多分無理だよな……」

「あ、あのー……」

 ん、と視線を向けると、空席を挟んだ隣の席に座っていた女性がこちらを見ていた。
 衣装は明らかに冒険者といった装いだが、装備レベルから判断するに余りレベルが高そうではない。
 もぐもぐと口ごもりながら俺の全身を舐めまわすように見てくる冒険者の女性。
 俺の服装は昨日と同じような絹のシャツに綿のズボン、ジャケット。
 元の世界に近い服装だが材質的に違和感を覚えられるような物ではないと思う。
 これは――またイベントなのか?
 他の誰も居ない時で良かった。よし、逃げよう。
 残っていたグラスを飲み干して俺は無言のまま立ち上がった。

「え、ちょ、ちょっとっ」

 NPCが何か言っているが、これ以上ゲーム的な面倒事はお断りだった。

「あ、あの、君もプレイヤーなんじゃないのっ!?」

 はいはい、今度はプレイヤーか。本当にネットゲームだな――

「――は?」

 余りにも予想外の言葉でささくれ立っていた思考が一瞬で正気に戻った。
 振り向くとそこにはやはり冒険者の姿がある。
 慌てて立ち上がったのだろう、半分腰を上げてこちらを向く彼女をよく見つめてみた。
 服装自体はゲーム内で見かける汎用ナイト防具を現実に作りましたといった風情だ。
 しかしよく考えると、クーミリア以外にゲーム内の職専用装備をした人に出会ったことがない。
 兜を装備していないのでわかるが、茶色がかった髪を数箇所ピンで留めた髪型は元の世界でよく見かけた。
 そもそも顔立ちがアジア人的な――日本人にしか見えない――人を見るのはこの世界で始めてだ。

「今、ほら、クエストとか言ってたよね? 関所にゴブリンが襲ってきてるって『ゴブ襲撃クエ』、知ってるんでしょ?」

「あ、ああ……。って事は、君も……」

 頷いた俺に喜色を浮かべ、冒険者――異邦者は、言った。

「うん、私も多分一緒。外から『ワンダー』の中に入っちゃったみたい」

 仲間が見つかって良かったよー、と椅子にへたりこむ同郷の娘。
 具体的に何がとは思いついてくれなかったが、出会えたのは色々と良い事だと思う。
 なのに何故だろうか。
 俺はどうしても、イベント以上の面倒事に出くわした気がしていた。




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