バスターコール。
それは海軍本部中将5名と巨大軍艦10隻を一点に召集する緊急命令。
海軍本部大将、元帥のみがその権利を有し、発動の際には如何なる犠牲を問わず正義を遂行する、国家戦争クラスの武力行使。
政府の掲げる"絶対的正義"を脅かす全てが許されるものではない。
故に滅ぼす。
人であろうと、組織であろうと、国であろうと、島であろうと。
打ち出される鉄火は、標的をどこまでも無慈悲に徹底的に破壊する。
そこに人としての感情が入り込む余地など無い。
過去の歴史を紐解いても、バスターコールの対象になったモノは例外なく滅んだ。
一度放たれた命令は覆らない。
標的は、ニコ・ロビンを除く海賊<麦わらのルフィ>並びにその一味。
命令は下され、絶対なる正義の鉄槌が振り下ろされる。
第十九話 「狭間」
バスターコールが発動された。
島中に設置されたスピーカーよりもたらされた情報はリベルと死闘繰り広げるクレスの耳にも届いていた。
「……バスターコールだと」
引き起こされた現実に、クレスの中に一瞬の空白が生まれた。
脳裏に浮かんだのは、深く刻まれ決して消えない記憶。
無力だった己。自分を送り出した母の姿。氷漬けのサウロ。炎に包まれる故郷。涙を流すロビン。
クレスにとって、バスターコールとは何もかもを破壊し尽くした悪夢そのものだ。
知らず血が滲むほど拳を握りしめていた。
「ほう、バスターコールとはまた大層なものを発動させたものだ」
スピーカーよりもたらされる情報にリベルもまた耳を傾けていた。
悪夢の再来に動揺を見せたクレスを攻撃すれば確実に勝利を掴めただろうが、リベルは動く事は無い。
むしろ過去の悪夢に直面したクレスの姿を見定めるように眺めていた。
そしておもむろに息を吐くと、リベルは拳を握りしめるクレスに語りかけた。
「異例ともいえるだろうね。
国家戦争クラスの武力が、君たちのような少数の海賊団に向けられることは。
振るわれた賽は決して戻らぬ。アレは正しく"鉄槌"だ。標的となったモノを必ず破壊する、そう言うものだ。
それだけ今の政府にとって、ロビン君の存在はが疎ましく脅威的だという事だろう」
リベルの前でクレスが血が滲むほど握りしめていた拳を緩め、自然体に戻した。
その姿にフッとリベルが笑みを浮かべた。
「状況は絶望的だ。一片の希望すらない。
さて、君はどうするね。この島と共に撃ち滅ぼされてみるかね?」
「……それはごめんだな」
煽るようなリベルの言葉に、静かにクレスは返した。
そこには既に先程までの動揺は欠片も無い。
逆に浮かび上がったのは底冷えする様な闘気。
「おれがやることは変わらない」
「だがこうして私と戦う合間にも、ロビン君は刻一刻と正義の門へと近づきつつある。
あの子も<能力>さえなければ、ただの女と変わりはしない。逃げ出そうにも一人では不可能だ。もう幾許も猶予などないよ」
「それでも変わらない。もうおれ達は一人じゃ無い」
絶望的な状況で足掻くのはクレスだけでは無い。
仲間を信じ、この男を留め、倒す。
ルフィに命を預けたその瞬間より、その意志は決して揺るがない。
「ならばよろしい。
余り私に隙を見せてくれるな。命がいくつあっても足りんぞ」
「見逃してくれてありがとよ。
ついでにそのまま手加減でもしてくれや」
「はっはっは、残念だがそれは不可能だよ。
調子を取り戻し、気力は互いに万全。さァ、存分に───死合おうじゃないかね」
瞬間、リベルから尋常ではない程の重圧が放たれ世界を歪めた。
易々と世界をも平伏させる力はまさしく<武帝>。
気が付けばリベルの姿は消え、クレスの目の前で拳を打ち出していた。
手を抜いていた。
あれだけの力を見せつけておいきながらも、リベルの言葉は虚実は全くない。
放たれた一撃は心技体その全てにおいて先程のリベルを上回る。
ただ拳を突き出す。
それだけである筈の行為が、どうしようもなく凶悪。
神速の拳は暴風でも纏ったかのように、破壊を導きながらクレスへと突き刺さろうとした。
「時幻虚己(クロノ・クロック)ッ!!」
直撃の直前、クレスの瞳が一際妖しく瞬いた。
時は幾重にも刻まれ、圧縮され集束する。
欺き作り上げた世界により、因果をも凌駕する神速の一撃を迎え撃つ。
状況は正しく紙一重。直撃が必然付けられた攻撃を前に、クレスは奇跡とも取れるあがきをみせた。
迫り、自身に敗北を刻もうとする覇者の拳を前に、クレスは自身の腕を渾身の鉄塊で固め、その軌道上に置いた。
リベルの拳とクレスの腕が接触する。
クレスはそこから神憑り的な精密さでリベルの拳を逸らしにかかった。
「この一撃を逸らすか」
中心を外されたリベルの拳は拳圧のみで周囲を薙ぎ払った。
その余波を受けクレスの腕より鮮血が飛び散る。完全に逸らし切ってこの威力。やはり次元が違いすぎる。
だが、その程度の事で怯むクレスでは無かった。
攻撃を放ち無防備な姿勢であろうリベルに対し、渾身の拳を放つ。
だがその一撃を前に、リベルはありえない反応を見せた。
クレスの放った拳を前に、あえて一歩踏み込み宙へ身体を躍らせたのだ。
弄ぶかのようにクレスの攻撃を避けきるその姿は演舞の如く芸術的。はためく純白のコートが思わず翼に見えた。
誰もが目を奪われずをいられない御技を見せつけ、なんなくリベルはクレスの死角を取った。
「指銃"白耀"」
上空へと舞い上がったリベルは、優美で在りながら圧倒的な速度でクレスと交差。
そして交差の瞬間、羽ばたの際に舞い落ちる羽毛の如く幾多もの連撃振り落とす。
リベルが優美に地面へと着地。その直後、遅れて衝撃が瞬いた。圧倒的な攻撃の密度にクレスが為す術もなく飲み込まれる。
見る者全てを圧倒するリベルの技。
その技は絶対的な力となって敵対者を打ち滅ぼす。
「おおおおおおォッ!!」
直後、雄叫びと共に衝撃の坩堝よりクレスが飛び出してきた。
リベルが振り落とした幾多もの衝撃を前に、クレスが行ったのは至極単純。
衝撃が弾ける刹那、<時幻虚己(クロノ・クロック)>によって時間を極限まで圧縮し、全力でその場を離脱したのだ。
だが、クレスの体は無事とは言い難い。
空間そのものを蹂躙したリベルの一撃はそもそもが防御、回避、共に不可能。
如何に世界を欺こうとも、リベルはクレスを逃しきることはなかった。
だが、それでもクレスの心が折れることはない。
「やはり君は素晴らしい」
歓喜の笑みを浮かべたその瞬間、リベルは首を逸らし突き出された手刀を避けた。
リベルの双眸が懐に入り込んでいたクレスを見下す。
鬼火の如き紅光が瞬いたと思えば、僅かに身を引いたリベルの傍を振るわれた拳が通り過ぎた。
間髪入れず、低空より薙ぎ払うような脚払い。背後より貫手。そして上空より斬撃の撃ち下し。
「紙絵“柳麗舞(りゅうれいぶ)”」
しかしその尽くをリベルは舞でも踊るかのように鮮やかに避けた。
加速し続けるクレスの猛攻を意に留めることなく、逆に己の拳舞に巻き込むかのように誘い込み支配する。
緩慢な時の中でクレスは舌を打った。
今のリベルのはいかなる攻撃をも意味を成さない。
なぜならば、放たれる攻撃全てがクレスの意志を離れ、リベルによって支配されつつあるのだから。
そして終劇に来るは、屈伏する己。
分が悪いと感じ、クレスは一瞬でその場を飛びのいた。
だが、リベルが易々とそれを逃すわけがなかった。
「嵐脚“八咫烏”」
澄み渡る空気の中、巨大な神鳥がクレスへと襲い掛かる。
「嵐脚“呑蛇”ッ!!」
対し、クレスもまた脚を振りぬいた。
放たれたのは、牙をむく大蛇。
時は止まり、ただ斬撃のみが静寂を駆け抜ける。
翼を広げ三つ脚で襲い掛かる神鳥、獲物へと飛び掛り巨大な咢を開く大蛇。
互いに放たれた一撃はまるで意志を持ったかのように絡み合い、そして弾け飛ぶ。
生み出された衝撃は部屋などと言う狭い箱には収まりきらず、外へと突き抜けと飛び散った。
◆ ◆ ◆
司法の塔内部。
苛烈を極めた麦わらの一味とCP9達との激闘も終息へと向かいつつあった。
「一つ、ガレーラの若頭から伝言だ。───てめェ等クビだそうだ」
バンダナを解き、ゾロは再び腕に巻きつける
司法の塔内で行われたゾロとカクの戦い。
壮絶な剣劇戦となった死闘を制したのは、苦難の中に活路を見出した阿修羅、ゾロであった。
「パウリーか、それはまいったのう。
……殺し屋と言う仕事は潰しがきかんと言うのに」
「動物園があるじゃねェか」
「わは、は……ゆうてくれる」
苦しげに、だが清々しそうに笑いながらカクは胸元よりカギを取りだした。
それはロビンを拘束する海楼石の錠のカギ。
「悪ィな」
気を失ったカクにゾロが短く礼を言う。
ゾロはカギを拾うと、ロビンの下へと向かおうとした。
そんなゾロの下に、同じくジャブラとの闘いを制したサンジが走り込んで来た。
「おいマリモ! カギはどうした!?」
「今貰ったとこだ」
ゾロの持つカギを見てサンジが一安心する。
フランキーはフクロウを、チョッパーはクマドリを、ナミはカリファを倒し、それぞれに鍵を手に入れた。
サンジの持つジャブラの鍵にゾロの持つカクの鍵を加えれば、ロビンを開放する為に必要な鍵が全て手に入ったこととなる。
「しかし、またズレたな。大丈夫かよこの塔」
サンジはゾロとカクの激闘の凄まじさを物語っている室内を見渡した。
見れば天上の合間より青空が広がっている。
これはもともと吹き抜け構造になっていた訳ではなく、ゾロとカクの戦いの合間に塔全体が断ち切られ、横にずれたからだ。
そして現在、今ゾロ達がいる場所より上層でクレスとリベルが未だ激闘を続けている。
その衝撃は凄まじく時折塔全体が震えている。今はまだ原型を留めているが、この塔自体が崩れ去るのも時間の問題に思われた。
「どうでもいいだろそんな事。
とにかくこれでカギは全部集まった。ロビンのとこへ急ぐぞ」
上層では未だクレスが死闘を続けていたが、二人は迷わずロビンの下へ向かおうとした。
一見無情にも見える判断ではあるが、それは二人がクレスの力を信じているからでもあった。
仲間達の誰もがロビンを助ける為に命を駆けている。
今何よりも優先させるべき事はロビンの救出だ。
クレスは決して今は助力を必要とはしない。それはゾロとサンジがクレスの立場に居ても同じだった。
◆ ◆ ◆
躊躇いの橋内部。
ロビンを取り戻そうとする海賊達とCP9の戦いはこの場所でも繰り広げられていた。
「おおォッ!!」
握りしめられたルフィの拳が高速で打ち出され、標的を貫くかのように突き進む。
だが、影のようにルッチはその一撃を回避しきり、一瞬でルフィの懐に入り込むと幾打もの連撃を浴びせた。
しかしルフィは脅威のゴム人間。その攻撃の全てを吸収し、更に一撃を加えようとする。
「……フン」
だが、ロブ・ルッチと言う男は甘くは無い。
ルフィが反撃よりするより速く強烈な蹴り叩き込まれる。その一撃にルフィは吹き飛ばされ、積み上げられた木箱の山に突っ込んだ。
息すら乱さず、容赦なくルッチがルフィを追撃する。
「うおおおおッ!」
ルッチがルフィに気を取られている隙に、フランキーが躊躇いの橋上層へと続く扉へと駆けた。
先ほどよりルッチが守り続けるこの扉の向こうには、スパンダムに連行されるロビンの姿がある筈だった。
だが、フクロウを倒しこの部屋までやって来たフランキーは、ルフィと共闘してなお先へと進めないでいた。
「ムダだ」
一瞬のうちに、ルッチがフランキーの前に立ちはだかる。
人界を超えた体技“六式”の前には、距離すらも無意味。
圧倒的な力を見せつけるルッチにフランキーは覚悟を決め、鋼鉄の拳を放った。
「ストロング・ハンマーッ!!」
「鉄塊」
だが、ルッチの鉄塊はフランキーの一撃など意に反さなかった。
燃料(コーラ)を補給し、フルパワーで放った一撃だったがそれでもルッチは眉ひとつ動かさない。
ルッチは僅かに怯んだフランキーに向け掬い上げるような一撃を繰り出した。
その拳を受け、銃弾をも通さぬ鋼鉄そのものであるフランキーの身体が浮いた。
衝撃が全身を駆け抜け、口元より血が漏れた。
やっぱりこいつはケタ違いだ。フランキーはルッチの強さを感じとる。
「死ね」
冷徹にフランキーを見下ろしルッチが完全にその息の音を止めようとする。
だがその時、エンジンのような獰猛な音が響いた。
「ゴムゴムのッ!」
危険性を感じ取ったのか、弾かれたようにルッチが視線を向ける。
そこにはあったのは、全身から蒸気を吹きだしたルフィの姿。
ルフィは離れた場所に居るルッチに向け拳を構える。
「───JET銃(ピストル)ッッ!!」
その瞬間、ルッチをしても一瞬ルフィが何をしたか分からなかった。
強烈な一撃が叩き込まれ、吹き飛ばされた。
結果を言えばそうだが、問題はその一撃が速過ぎた事だ。
「ギア“2(セカンド)”」
ルッチ、フランキー共に拳を地面に付けたルフィを見た。
そこから吹き上がるのは、灼熱の如き蒸気。
両足をポンプとし血流を限界まで加速。熱き血潮は圧力と共に全身を巡り、ルフィの身体能力を飛躍的に上昇させる。
これにより放たれる拳は容易く音速を超えた。
「あんまり長ェ時間持たねェけど。
あいつを止めるから先に行けフランキー、ロビンが待ってる!」
「よし! なんだか知らねェがそれであいつをタタんじまえ!」
これを好機と見たフランキーが再び扉を目指す。
「そうはさせんと……言った筈だ」
だが、二人の前に能力を発現させたルッチが姿を見せる。
<ネコネコの実 モデル“豹(レオパルド)”>により凶暴性を増したルッチは、更なる圧力でもって二人の前に立ちふさがる。
音も無く、俊敏な豹の能力を持ってルッチはまずはフランキーを仕留めにかかった。
だが、その凶爪がフランキーを貫くことはなかった。
六式が一つ“剃”を使いこなすまで強化されたルフィがルッチとフランキーの間に割って入る。
そして鋭い蹴りを放った。
「JET“鞭(ウィップ)”ッ!!」
鞭のように唸る蹴りがルッチを吹き飛ばす。
有無を言わさぬ超高速の一撃に吹き飛ばされたルッチは牙を噛みしめ、身体を反転。ルフィの心臓目掛け“指銃”を打ち出した。
だがその指先は空を切る。
その直後、無防備なルッチの懐に両腕をめいいっぱい後ろに伸ばしたルフィが入り込んだ。
「ゴムゴムの“JETバズーカ”ッ!!」
「鉄塊ッ!」
渾身の両掌底が鋼鉄と化したルッチに突き刺さる。
爆発的なルフィの一撃に、不動である筈のルッチが揺れた。
「行け、フランキー! ロビンを頼む!」
「スーパー任せとけッ!!」
ルフィの言葉を受け、フランキーが走り出す。
自身と対等に渡り合うほどの力を見せたルフィを前に、ルッチにはフランキーを追うことを断念せざるを得なかった。
「迂闊だった……まさかこれ程の力を持っていたとは」
言葉とは裏腹にその瞳は凶暴な光を放つ。
それは強者との戦いを待ち望む暴力的な歓喜か。血を求める猛獣のようにルッチは笑みを浮かべた。
「ずいぶん息が上がっているようだが、その蒸気のせいじゃないのか?」
ルッチの言うとおり、ルフィの息は荒い。
ルフィの編み出した“ギア2(セカンド)”は飛躍的に身体能力を向上させるも、肉体に相応の代償を強いた。
「例え何が起ころうとも貴様らの状況は変わず、ニコ・ロビンの救出は叶わない。
バスターコールが発動された今、貴様らは正義の名のもとに滅ぼされる。
……そしてエル・クレスも<武帝>の前に敗れ去る。
アウグスト・リベル、あの男の力は絶対だ。武を志す者その全ての頂点にいると言っても過言ではない程に、あの男は武を極めつくした」
「ゴチャゴチャうるせェよ」
吹き上がる蒸気に身を包んだルフィの力強い視線がルッチと交差する。
「ロビンのことはアイツ等やフランキーに任せた。クレスも絶対に負けねェ。それに───」
船長として、ルフィは倒すべき相手を見定める。
「お前の相手はおれだ」
「成程、手強いな」
◆ ◆ ◆
躊躇いの橋。
司法の塔で判決を受けた罪人たちが通る、正義の門へと続く最終地点。
この場所に立てばいやようなしに己に科せられた罪を知り、待ち受ける運命に絶望する。橋を潜り抜ければ、もはや自由などない。
その橋上にスパンダムに連行されるロビンの姿があった。
「ワハハハ! とうとう開通だ、笑いが止まらねェ!」
スパンダムがそびえ立つ正義の門を前に高笑いを上げた。
遮られることのない海風が吹き抜ける。
躊躇いの橋は本来罪人を渡らせる為のみに作られたものであり、余計な装飾などは何もない。ただ石畳の道が続いている。
だが、橋の果てに世界政府の象徴をあしらった小さな門があった。
スパンダムはその門を指して、天国と地獄の境界線だと笑う。
この小さな門こそが、実際の入り口だった。門の向こうに停泊する護送船より正義の門を潜るのだ。
「ッ!」
「おっとっと! 今更どこへ逃げようってんだよ」
スパンダムがロビンの髪を掴み逃げ出そうとするのを阻んだ。
この場所へと連れて来られるまでにロビンは幾度も隙を見て逃亡を試みたが、その全てが阻まれ、その度痛めつけられた。
「お前には同情ぐらいしてやってるんだぜ?
だが、しょうがねェだろ。お前には生きてる価値がねェんだ」
幾度となく紡がれる嘲りの言葉。
だが、ロビンはスパンダムの言葉に耳を貸すことなく、最後の力を振り絞り、その場から駆けだした。
無理やり前に進んだことにより、スパンダムに掴まれた髪がちぎれた。
鋭い痛みが身体を駆け抜ける。
だが、ロビンは必死で走った。
「何度言ァ分かるんだッ! てめェに希望なんざねェんだよ!!」
千切れた髪を不快そうに投げ捨て、背後からスパンダムが追いかけて来る。
もうチャンスはない。
傷だらけの身体で祈るような気持ちでロビンは前に進んだが、無情にもスパンダムとの距離はみるみるうちに縮まった。
当然だ。後ろ手を縛られた状態ではまともに走ることも難しい。
「待てって言ってんだよ、このアマァッ!」
スパンダムが伸ばした手がロビンを掴み、前へと押し込んだ。
バランスを崩されたロビンは立て直すこともできず、そのまま地面に叩きつけられた。
再び立ち上がり走り出そうとしたが、スパンダムに押さえつけられてしまった。
「手こずらせやがって。
さァ、行こうじゃねェか。おれが歴史に名を刻む第一歩を踏む出すためになァ」
スパンダムは倒れこんだロビンの髪を掴み、立ち上がらせようとする。
だが、ロビンは動こうとしない。不審に思い、スパンダムがロビンを覗き込む。
そこには、石畳の僅かな突起に必死で食らいつき、離れまいとするロビンの姿があった。
「何てみっともねェ、生への執着だ!
哀れで、卑しい、罪人のくせに! 最後の最後までなんだこの見すぼらしい姿は!!」
どこまでも生にしがみつくロビンにスパンダムが歯噛した。
その苛立ちは暴力となって、無防備なロビンへと振るわれる。だが、どれだけ痛めつけようとロビンはその場を離れようとしなかった。
───“死”がこんなにも怖い。
絶え間なく晒される痛みの中でロビンの中に浮かんだのは、クレスや仲間たちのことだった。
このまま死んでしまうことで、胸に灯った生きる意志が絶えてしまうことが怖い。
助けに来てくれた、仲間たちと会えないのが怖い。
クレスと会えないのが怖い。
生きていたい。
生きたい。
どんなに見ともなくても、どんな痛みや、嘲りを受けようとも。
だが、そんな思いも虚しく、スパンダムによってロビンはその場から引き剥がされてしまう。
「忌々しい女だぜ。
もういい、立つつもりがないなら引き擦って行くまでだ!」
立つことを拒み続けるロビンに業を煮やしたスパンダムは、ロビンを縄で括り付け無理やりに引き擦った。
護送船の停泊港に確実にロビンは近づいていく。
どうしようもなく、今のロビンは無力だった。
戦うことすらできず、逃げ出すことすらできず、ただ無様に生にしがみ付くだけ。
だが、それでもロビンは決めていた。
「……門は、くぐらない」
「あァ?」
「助けると……言ってくれた、から」
誰もが命を懸けて戦っている。
こんな自分を助ける為に。
だから、絶対にロビンは諦めるわけにはいかなかった。
「誰も来やしねェよ、バカ女!
どいつもこいつもバスターコールの業火に焼かれて死ぬんだよ、オハラのようになァ!!」
未だ希望に縋り続けるロビンに、スパンダムは現実を突きつける。
「おれが何も知らねェとでも思ってんだろ? だが、おれは全部知っている。
元海軍中将サウロの乱行。貴様の母オルビアとエル・クレスの抵抗。あの時オハラで何が起きたのかをおれは全部知っている!
聞かされたからさ。オハラと言う、悪魔たちの住む土地に踏み込み、その大罪を暴き<バスターコール>の合図を出したのは、当時CP9の長官だったおれの親父“スパンダイン”だからだ!!」
ロビンはその男を知っていた。忘れるはずがなかった。
二十年前、バスターコールを発動させ、オハラを地獄に変えた男。
野望によってドス黒く歪んだスパンダムの顔が二十年前のスパンダインの顔に重なった。
「あの時、オハラの学者は全員死に絶えた。
だが、政府はたった一人の生き残りを見逃していた。それがお前だニコ・ロビン。
どうだった? どんな20年だった?
8歳のガキが、何度大金目当ての大人たちに殺されかけたことか。
寄って来る人間全てが信用できない。安心して眠る場所も、食うものもねェ。そんなクソみてェな二十年をおれは想像もしたくねェ」
そしてスパンダムは、ロビンの前髪を掴みその顔を上げさせた。
「一番哀れなのは、エル・クレスの奴さ。
てめェと逃げ出した為に、多額の賞金を懸けられ、同じ身分だ。
その後も、涙ぐましいことに価値のねェ女をバカみてェに守り続けた訳だ。
お前だって知らねェ訳じゃねェだろ。ガキの頃からエル・クレスがどれだけ凶悪な事をやらかしたかってのをな。
モノを盗み、金を奪い、人を殺した。狂ったみてェに、てめェを守るためだけに何度も繰り返して。そうしてお前の居場所を作り続けた。
その場所でお前は何食わぬ顔で“安全”を手に入れ続けたんだ。知らねェとは言わせねェ。あるいは狡猾に騙し続けてたんだろ? 知らなかったフリをして」
スパンダムの言葉に、顔を上げさせられたロビンの瞳から涙がこぼれ出た。
唇をかみしめても止まらず、次々と流れていった。
違う、と言い返したかった。
でもその言葉が口に出せず、どうしようもなくもどかしくて、悔しかった。
歩んできた道のりはどうしようもなく辛くて、苦しかった。
でも、クレスはそれ以上の苦しさを抱えていたのかもしれない。
ロビンは幼いなりにもクレスが何をしているのか分かっていた。でもロビンは止められなかった。そうするしか生きられなかったのだ。
でも、心のどこかで常に思い続けていた。
クレスが自分を守り続けて、自分が守られ続ける。
そのことが、どうしようもなく“悪”だったのだ。
「なんだ、図星か? だったら、いい事を教えてやるよ。
二十年前お前たちの首に懸賞金をかけたのはおれの親父だ。世界平和の為にな。
そして二十年たった今、おれが学者の最後の生き残りを狩り、終わらせる。
主を失った気狂いの番犬は、武帝殿が始末をつけてくれる。これでオハラの戦いは終わりだ。オハラは負けたんだよ」
───この島の歴史はいつかお前たちが語り継げ! オハラは世界と戦ったんだでよッ!!
ロビンの胸にサウロの言葉がよぎった。
あの島に生きた人間として、戦い続けなければならない。
───あなた達の生きる未来を私たちが諦めるわけにはいかない。
二人の母の言葉が胸によぎった。
まだ終わってはいない。オハラの地で炎に消えた学者たちの意志は。
「私たちがまだ生きてる!!」
「そのてめェ等がもうすぐ死ぬんだよ!!」
スパンダムは鼻を鳴らすと、ロビンを再び引き擦り始めた。
もうすぐそこに門が見えていた。
門の向こうでは既に出航体制が整えられていて、後はスパンダムとロビンの到着を待つのみとなっている。
スパンダムは英雄たる自分を敬礼で出迎える海兵たちに満足し、凱旋のような気分で速度を上げた。
「……クレス……みんな……ッ」
ロビンは悔しさで涙が止まらなかった。
どうしても渇望してやまなかった希望の光、それがこうして終わろうとしている。
みんなが必死で戦ってくれたのに、その全てを無駄にしてしまう。
希望を見て、明日に生きたいと思った。
仲間たちと海を渡り、夢を追い、掴みたかった。
そしてクレスと共にずっと歩んでいきたかった。
だが、それもすべて終わり。
一度見た希望の光も、世界という巨大な現実の前に黒く塗りつぶされる。
「よく見ておけ! これが歴史に刻まれる英雄の第一───」
スパンダムが門を跨ごうとする。
それば希望と絶望の狭間。
ロビンは唇を噛みしめ涙にぬれた顔で、為す術もなくその瞬間を迎えようとした。
その時だった。
「───ぽがァッッ!?」
栄光への第一歩を踏み出そうとしたスパンダムの身体が突如燃え上がり吹き飛ばされた。
門を潜る直前で、ロビンの身体が止まる。
吹き飛んで行くスパンダムの悲鳴を、ロビンは幻ではなく確かに聞いた。
「長官殿!?」
「いったい何が起こった?」
突如吹き飛ばされたスパンダムに海兵たちが慌てふためき襲撃者を探すも、見つからない。
周囲には政府関係者しかおらず、躊躇いの橋にも人影はない。
「えッ?」
海兵の一人が飛来する何かを感じ取り呆然と声を漏らす。
次の瞬間、その海兵は爆発と共に吹き飛ばされた。
それを皮切りに、次から次へと海兵たちが吹き飛ばされていく。
この時点になっても海兵たちは気が付かない。襲撃者の影すら掴むことなく次々と倒れていく。
「おのれェェエッ! てめェ等揃いも揃って、何をやってんだッ!!」
全身黒焦げとなったスパンダムが怒りと共に立ち上がる。
だが、立ち上がったその顔に再び爆発の花が咲き吹き飛ばされた。
混乱の最中にいる海兵たちが立ち直る気配はない。
そんな時、双眼鏡で辺りを探っていた一人が信じられないと声を上げた。
「いましたッ!?」
「どこだ!? とっ捕まえて始末しろォ!」
海兵の言葉に激痛と屈辱に身を伏せながらスパンダムが叫ぶ。
「いえ、それが……」
ロビンもまた自身を守った攻撃が誰の仕業であるか気が付いていた。
この場にいる海兵達を寸分違わず流星のような攻撃で“狙い撃てる”男など一人しかいない。
ロビンの流す涙の意味が変わった。
「敵影は場所遠方、司法の塔の頂上ッ!」
「バカなッ!? あんな遠い場所から何ができるッ!?」
「狙撃です! 吹きすさぶ風をものともせずに、こちらを寸分たがわず狙っています。もの凄い腕です!」
「分かってんなら撃ち返せ!」
「無理です! 銃弾なんて届きませんし、ましてや当てるなんて……!」
「そんな馬鹿な話があるかァッ!!」
スパンダムは飛び起きて海兵から双眼鏡を奪うと、司法の塔の頂上を覗き込む。
そこにその男はいた。
吹きすさぶ海風にマントが揺らめく。
仮装に使われる仮面をかぶったその男は巨大なパチンコを手に持ち、天を指した。
瞬間、太陽がひときわ強い輝きを放ち男を照らす。
それはヒーロー。
海賊たちが世界に対し宣戦布告した時、世界政府の旗を打ち抜いた男。
<狙撃の王>そげキング。
「なんだアイツはッ!?」
「長鼻君!」
ロビンの中に希望の光が灯った。
力を振り絞り立ち上がる。そしてウソップが作り出した希望の道を駆けだした。
「ニコ・ロビンが逃げますッ!」
「馬鹿者ッ! 逃がすな、殺さない程度に……打ち殺せ!!」
「ええッ!?」
スパンダムの命令を受けて、無謀にもウソップを狙っていた海兵たちが一斉にロビンへと狙いを定めた。
ロビンもその動きに気が付いた。
だが、立ち止まるつもりはなかった。たとえ弾丸が自信を貫こうとも走り抜けるつもりだった。
海兵達が一斉に引金を引いた。
いくつもの銃声が重なり、轟く。
しかし、次の瞬間響いたのは甲高い、銃弾が鋼鉄に弾かれる音だった。
「生きてるな、ニコ・ロビン」
「……あなた」
「大丈夫なのよ“鉄”だから」
駆けつけ、銃弾からロビンを守ったのは、フランキー。
銃弾をものともしない鋼鉄の男に海兵たちは驚愕の声を上げた。
『フランキー君、フランキー君。こちら、そげキング』
その時、電伝虫を通しての声が響き渡った。
フランキーは懐より子電伝虫を取り出すとスパンダム達を睨めつけながら呼びかけに応じた。
「オウ、どうした」
『付近に“赤い包み”が落ちてはいないかね?』
ウソップの指示に従い辺りを見渡すと、確かに赤い布包みが落ちていた。
「ああ、あるぞ。見つけた」
フランキーはロビンを庇いつつ、赤い布を拾う。
『その中に鍵が二本入っている。
君が持つものと合わせて全ての鍵が揃う筈だ』
フランキーは包みを広げた。
そしてウソップの言う通り二本の鍵を確認し、ニヤリと笑みを浮かべた。
それはロビンをつなぐ海楼石の錠の鍵。
鍵はルッチ以外のCP9が一本ずつ持っている筈だった。
それがこうして全て揃ったということは、一味は全員勝利したということだ。
『確かに届けたぞ』
力強いウソップの声が響いた。
あとがき
更新がかなり遅れて申し訳ないです。
最近なかなか時間が取れなくて、思うように書き進めることができませんでした。
今後はなるべく時間が取れるように気を付けたいと思います。
これからもよろしくお願いします。
ありがとうございました。