強い潮風が吹き抜けるバルコニーより裁判所の屋上に立つその人影は見て取れた。
まるで夢でも見ているかのような不確かな感覚の中でも、一目見ただけでロビンはそれが誰かを理解した。
もう二度と会わない決めた筈だった。
その為に幾重にも策をめぐらせ、万全の手を打った。
だが、その悉くを乗り越え、それが当然であるかのようにロビンの前に姿を見せた。
その行為が無謀であることなど百も承知だろう。
それでも揺るぎない意志と力を持って、仲間と共にロビンの元へとやってきた。
なぜそこまで。
こんな自分の為に。
自分でも理解できないほどの大きな感情が所狭しと渦を巻いているのがわかる。
ひどく胸が苦しかった。
「ひとまず無事なようだな。少し安心した」
ロビンの困惑を気にした様子もなく、クレスは語りかけた。
何気なくかけられた言葉にロビンはたじろく。
どうして平気でいられるのだ。
ロビンはクレスを傷つけ、その思いすら踏みにじった。
なのになぜ、さも当然のように自身を迎えに来るのだ。
「クレス、どうして」
「待ってろ、今行く」
クレスは空を駆けロビンの下へと向かおうとする。
司法の塔から裁判所までは結構な距離があったが、クレスならば一瞬で駆け抜けロビンの下まで辿りつくだろう。
その瞬間、ロビンは叫んでいた。
「待って!」
浮かび上がったのは拒絶の言葉だった。
思いのほか強い言葉に、クレスは僅かに眉を寄せ動きを止めた。
「お願い、もう帰って。
私はもうあなた達の下へは帰れない」
絞り出すように言葉を成した。
自身を助けに来た仲間たちが、どんな障害を乗り越えてやってきたかはロビンも分かっていた。
耳を澄まさずとも、戦闘音が飛び込んでくる。
バルコニーから眺めた景色より察する限り、襲檄を受けたエニエス・ロビーは未だ混乱から立ち直る様子は無く、むしろその被害は増すばかりであった。
襲撃を行った海賊達は迂回することなく真正面より戦いを挑み、真っ直ぐに司法の塔へと向けて攻め込んだのだろう。
本島前門より裁判所へと続く一本道の被害状況は凄まじいの一言に尽きた。
そして裁判所の屋上にも激闘の痕が刻まれ、その中心でCP9の一人、ブルーノが倒れ伏していた。
海賊たちの持つ力もそうであるが、並大抵の覚悟では立ち向かえない困難だっただろう。
だが、それでもロビンは拒絶の言葉を投げつけるしか無かった。
「お別れなら言った筈よ。その理由も。
助けに来てほしくなかった。……私はもう死にたいの。余計なことをしないで。
分かるでしょうクレス? 私がいる限り、あなた達には常に危険が付きまとうの」
その行為は間違いだと。
自身を助けようとする仲間たちの想いを否定するように、ロビンは言葉を紡いだ。
それはロビンの目の前に立ちふさがる現実と言う名の闇であった。
「そうか、分かった」
クレスは僅かに目を閉じて、ロビンに告げた。
「その程度の理由で引くとでも思ってんのか?」
ロビンの困惑など知った事かと、真っ直ぐにロビンの下へと駆けた。
強引な春風のようにクレスは一瞬でロビンの事をさらいに来ようとする。
来ないでと、揺らめくように呟かれたロビンの言葉は意味を為すのか。少なくとも意志のこもらない言葉をクレスは聞きはしないだろう。
だが、クレスはロビンとの距離を半分ほど詰めた所で目を見開き、急激な速度で身を引いた。
「そう易々と手に入るものではないことは分かっているのであろう?」
ゆったりとした速度で部屋の中よりリベルが顔を見せた。
舌を打ち、再びルフィの隣に立ったクレスは鋭い目でリベルを見上げた。
「やっぱりお前だったか、リベル」
「如何にも。久しぶりだね、クレス君」
「ああ、だが会いたくは無かったな」
リベルは歩みを進めると、バルコニーの端に立つロビンの隣へと並び立った。
ただそれだけのことではあったが、これでロビンへと辿りつく為の道のりは閉ざされたも同義であった。
「大人しくせんか」
その背後で苛立たしげなカクの声が響いた。
同時に、鈍い音と共に吹き飛ばされたフランキーがバルコニーの欄干へと叩きつけられた。
叩きつけられたフランキーはうめき声を上げ、ずれ落ちるようにその場に座り込む。
ダメージは浅くは無いようで、憎々しげにカクを睨みつけるも立ち上がることはなかった。
「ぎゃははは! おいカクよ、そりゃ“変な実”食った腹いせか?」
そのカクの後ろより意気揚々とジャブラが顔を見せた。
「何が“変な実”じゃ、ワシは気に入っとるわい!」
小馬鹿にするようなジャブラの態度にカクが声を荒げる。
そしてリベルへと視線を移した。
「まったく、あなたも勝手なことをなさるもんじゃ。
窓を壁ごと砕くだけではなく、罪人の鎖まで断ち切られるとはの」
「おや? 何のことかな」
白々しくもとぼけるリベルに対しカクはそれ以上は何も言わなかった。
おそらく何かを言っても無駄だと悟ったのだろう。
カクは無言のまま裁判所の屋上に立つ海賊たちを見下ろし、感嘆と共に言葉を為した。
「よく辿り着いたもんじゃ。じゃが、それまでじゃ」
カクが呟くと同時、下階の窓より四条の黒い影が飛び出した。
四つの影は思うがままに空を駆け抜け、一斉に欄干の上に現れる。
カリファ、クマドリ、ジャブラ、ルッチ、カク、フクロウ。
CP9。世界政府によって"殺し"を許された、闇の正義。
彼らは裁判所の屋上で倒れ伏したブルーノを一瞥し、ルフィとクレスに対し興味深げな視線を送った。
「バカが。ブルーノの奴め、エル・クレスに対し単独で挑むなと言っただろうが。
暢気な酒場の店主を5年も演じて、腕だけでなく勘まで鈍ったか」
ルッチは敗北を喫したブルーノを見下ろした。
クレスの危険性に関しては実際に戦闘を行ったルッチが最も理解している。
クレスの強さは異常だ。CP9の中であっても、勝利できるのはルッチだけであろう。ルッチ以外ならば束になっても一蹴される可能性がある。
ルッチはそれほどまでにクレスの事を評価していた。
「それは違うよ、ルッチ君。
ブルーノ君を打ち倒したのはクレス君では無く、隣の麦わら帽子の少年だ」
リベルからの言葉に、ルッチはクレスの隣に立つルフィへと目を向けた。
ブルーノと戦闘を繰り広げたにもかかわらず、その身に大した傷は無い。
新たな獲物を見つけた獣のように、ルッチ目が細まった。
「あの少年はなかなかの器だと身受けるよ」
「それはまるで私にあの男で我慢しろとでも言っているように聞こえますが?」
「はっはっは! どう取ろうとも君の自由だよ。
だが、拳を交えるならば決して奢らぬことだ。
若き力というのは私のような老骨の常識など飛び越えると言う事だよ」
眉をひそめるルッチの隣で、快活にリベルは笑った。
そんな彼らに遅れ、ドタドタと足音を鳴らしながら長官であるスパンダムが現れた。
外で起こった異変を知り大慌てで状況を見に来たのだろう。
スパンダムは裁判所の屋上で倒れ伏すブルーノと海賊たちの姿を見てギョッとし、集結したCP9の姿を見て余裕を取り戻した。
そして海賊たちに罵声を浴びせようとしたが、リベルの姿があることを思い出し慌てて口を閉じた。
不吉な予感を抱かせる、CP9の面々。その恐怖は誰に対しても平等だ。
だが、それにも勝るとも劣らぬ強烈な存在感を与えているのは、武帝と呼ばれる男、リベルであった。
ただそこにいるだけで、誰もが彼らから目を離せなくなる。
哀れにも立ちはだかるものは知るだろう。その圧倒的な強さを。
辺りを漂う空気は重く粘りつくように裁判所へと向かう。
永きに渡りエニエス・ロビーの不落神話を守り抜いてきたCP9。そして武帝と謳われる海兵アウグスト・リベル。
一堂に集結した彼らの姿を見れば、誰もが挫け希望を手放すだろう。
「クレス……分かって、お願い。
私はもう死にたいの。今ならまだ間に合うわ。船長さんたちを連れて帰って」
状況は一変したと言っていい。
ロビンとクレスとの間の溝は深まり、立ちはだかる壁は高くなった。
皮肉なことにそのことがロビンの感情を薄れさせクレスと相対す落ち着きを与えていた。
「……ロビン」
頑なに態度を変えようとしないロビンをクレスは少し遠い目で眺めた。
以前までのクレスだったならば、既に説得をを諦め、強硬策に打って出でいた筈であった。
クレスにとって第一なのはロビンの身の安全だ。死力を尽くし、例えそれが絶望的であっても、怯まず命尽きる瞬間まで戦っただろう。
だが、今は何故だかそんな気は起きなかった。
ふう、とクレスは浅く息を吐いた。
「お前はバカだ」
「えっ」
突如投げかけられたクレスの言葉にロビンは鼻白んだ。
「まったく……おれと同じだ」
クレスは少しバツが悪そうに頭をかくと、ロビンに向き直った。
「こいつらを連れ帰るだと?
無駄だよ。こいつらおれの言葉なんざ、聞く耳持ちやしねェ。
世界中探してもいねェぞ、こんなアホ共。なァロビン、お前は何もわかってない」
楽しげにクレスはロビンへと語った。
「おれ達はとんでもない奴らに目を付けられたんだ。
世界政府なんて目じゃない。どこまでも強引におれ達を捕まえに来る。
一つ勘違いを正そうか、ロビン。おれはこいつらを連れてきたんじゃない。
連れてこられたんだ。この船長に、仲間たちに、―――自らの意志で!」
どこか清々しささえ携えて、クレスはロビンへと告げた。
その隣でいまいちよく分かっていなさそうな顔で、ルフィがたじろくロビンに向け叫んだ。
「よくわかんねェけどよロビン、おれ達もうここまで来ちまったかから!」
次の瞬間、クレスとルフィの背後で強烈な烈風が巻き起こった。
それは斬撃の竜巻。巻き起こった烈風は裁判所の屋上をいとも簡単に切り崩し、巨大な風穴を空ける。
その穴の中より吹き飛ばされた瓦礫に混じって、悲鳴と共に二つの人影が飛び出してきた。
毛むくじゃらの船医が背中から痛そうに、オレンジの髪の航海士はひざを折り曲げうまく着地する。
それからわずかに遅れ、緑の髪の剣士が穴より這い出て来た。
「ふう……始めからこうやって登ればよかった。全くややこしくてまいるぜ」
「やっぱりアンタか、ゾロ!
余波だったからよかったものを、直撃受けてたら死ぬところだったじゃない私達!」
「あ? どうしたお前ら」
危うく味方に殺されるところだったナミが張本人であるゾロへと詰め寄った。
その後ろでチョッパーが頭を押さえながら身を起こしている。
「うおおッ! 猛進、猪鍋シュートッ!」
続けて裁判所の屋上が蹴り飛ばされ、破片と共に金髪のコックが颯爽と登場した。
「間違いなく一番乗り。
さァ、ロビンちゃんお待ちかねおれが助けに―――藻っ!?」
華麗に着地したサンジが己より先に到着していたゾロを見てありえない物を見たと愕然となった。
「ああ、お前遅かったな。迷ったのか?」
「オ……オイオイオイ、どこでそんな言葉覚えたんだてめェッ」
超絶的な方向音痴のゾロにそう言われ、サンジのこめかみがヒクついた。
「し、死ぬうううううっ! 頼む君達受けとめてくれたまえ!」
今度は上空より本人の意思とは無関係そうに、仮面をつけた長鼻の男が飛んできて救援要請も虚しく墜落した。
「大丈夫かそげキング!?」
「あ、ああ気にしないでくれたまえ、チョッパー君。……私は大丈夫だ、たぶん」
痛そうだったが、ウソップはよろめきながらも立ち上がった。
緊張感などまるでなく、最前線であっても好き勝手に海賊達はは騒ぎ始めていた。
そうして、ロビンの元へと辿り着いた仲間たちは迷うことなく歩を進め、ルフィとクレスの隣へと並び立った。
「とにかく助けるからよ、ロビン!
死ぬとかなんとか言っても構わねェから、そういうことはおれ達のそばで言え!!」
ルフィの声が響く。その言葉は仲間たちの言葉全てを代弁していた。
ナミ、ゾロ、ルフィ、クレス、ウソップ、サンジ、チョッパー。
誰もが己の揺るぎなき意志を持って、この場所に立つ。その姿に一切の戸惑いは感じられなかった。
「こういうことだ、ロビン」
海賊達の中に立ち、クレスはロビンに微笑みかけた。
角の取れた温かく自然な笑みだ。それは偽りの笑顔ではなく、クレスの本心だと言う事は明らかであった。
ウォーターセブンで別れを告げてから、クレスと海賊達の間に何があったかは分からない。
だが、クレスは今まで以上に海賊達を信用し、気を許していた。
今のクレスに打算や策略などは何も無い。ただ純粋に仲間と共にロビンの事を助けに来たのだ。
それが嬉しくない訳なんて無かった。熱い何かが瞳を濡らし零れそうになった。
海賊達はじっとロビンの言葉を待った。彼らは手を差し伸べた。掴むのはロビンの意志であった。
だが、ロビンには決して逃れられない闇があった。
その闇は楔のようにロビンを縫いとめ、海賊達へと歩み寄る勇気を縫いとめている。
司法の塔と裁判所、海へと続く巨大な溝によって隔てられた両者の間には膠着状態が出来きていた。
「し、CP9ッ! 抹殺命令を出す、司法の塔で海賊達を迎え撃て!
どうせ跳ね橋が無けりゃ海賊達はコッチに来られねェんだ! おれの安全を守る事を考えろ!」
海賊達の登場に焦りを見せたスパンダムがCP9へと命令を下す。
そうして身の安全の保証を得た所で、ポケットの中にある自分だけに許された重みを思い出し、少しづつ余裕を取り戻した。
海賊達はロビンを取り返す為に前進しているものの、未だ状況は絶望的だ。
まず第一に海賊達は司法の塔へと進める可能性そのものが少ない。
裁判所から司法の塔へと渡る為には裁判所に設置された二つの装置を起動させる必要がある。当然警備は厳重で鼠一匹すら通れはしない。
ガレーラとフランキー一家が跳ね橋を降ろそうと奮闘していたが、どこまで持つかは時間の問題だろう。
第二にCP9とリベルの存在だ。彼らと直接戦い勝利するなど不可能である。ブルーノが倒されたのは誤算であったが、CP9は未だ健在なのだ。
そして最後がポケットの中身、バスターコールの存在だった。
「おい、タコ海賊団! お前らがいくら粋がろうが結局何も変わらねェと思い知れ!
このCP9の強さ然り、人の力じゃ開かねェ正義の門の重み然り。
何よりおれには大将青雉より授かったゴールデン電伝虫によるバスターコールの権限がある!!
覚悟しやがれ。オハラの悪魔共の故郷を消し去った様に、おれの力で、てめェらも消し去ってやるよ!!」
バスターコールの言葉に、ロビンの肩が震えた。
かつて故郷を燃やしつくした力。当時の記事によると島は完全な廃墟と化し、翌年の地図より"オハラ"の名は消去された。
その力がやっと巡り合えたかけがえのない仲間達に向けられた。その事がロビンには抗いがたいほど恐ろしかった。
「目を逸らすな、ロビン」
強く、共に闇から逃げ続けたロビンをクレスは見つめた。
「おれはもう決めたよ。逃げずに戦うってな。
何度も自分の無力さに泣いたし、無様に逃げ回った。
20年、おれ達の旅路は希望を抱くにはどうやら永過ぎたらしい。
でもそれでも、何とかやってきたじゃねェか。幸いなことに辛い事だらけでも無かった。そしてコイツ等に出会った。もう何も怖くない」
クレスの瞳は揺るがない。
ただ真っ直ぐにロビンを射抜く。
「ワハハハハッ! 本気で言っているのか? エル・クレス!
この女がどれだけ重みになるかを知らない訳じゃねェだろ! こんな女を抱えて邪魔だと思わねェ奴なんかいねェ!」
臆す事なく立ち向かおうとするクレスと海賊達をスパンダムが嘲る。
巨大な正義の前には何もかもが無力。
スパンダムは頭上に手を掲げ、司法の塔の頂上で揺らめく御旗を指し示した。
「見ろ! あのマークは四つの海と"偉大なる航路"にある170国以上の結束を示すもの。これが世界だ。
楯突くにはお前らがどれほどちっぽけな存在か分かったかァ! この女がどれほど巨大な組織に追われ続けたか分かったかァ!」
ロビンが背負う闇。それは世界そのものの闇だ。
闇は遍く手を伸ばし、決してロビンを逃がしはしない。破滅などそこら中に転がっていて、踏み外せば全てが消えてしまう。
何度も追い詰められ、逃げ出した。だが、憎みはしても決して立ち向かおうとは思わなかった。
しかし今のクレスは何も恐れることは無い。
クレスの隣で同じように揺らめく旗を見上げていたルフィが、ウソップに船長としての命令を下した。
「そげキング―――あの旗撃ちぬけ」
「了解」
微塵の迷いも見せずにウソップは頷き、巨大パチンコ"カブト"を引いた。
放たれた弾丸は炎を纏い、火の鳥を形どり、吹きつける強風の中を駆け、揺らめく世界政府の旗のど真ん中をブチ抜いた。
旗には大きな風穴が空き赤々とした炎に染められた。
世界中の結束を示す御旗が燃えている。
それは明らかな叛意。
海賊達が世界政府に宣戦布告という事実。
「き、貴様等正気かァ!? 全世界を敵に回して生きていられると思うなよォ!!」
目を疑う行動を為した海賊達にスパンダムがヒステリックに叫ぶ。
その言葉にルフィが咆哮する。
「―――望むところだァアアアアッ!!!!」
海賊達は何処までも立ち向かう。
仲間の為に。相手が誰であろうとも。
彼らは決して背負った重みから逃げはしない。重みすらも飲み込んで海を進む。ロビンはその事実を叩きつけられた。
燃え落ちる旗は灰となって海風に消えて行く。
その風に吹かれながら、クレスは告げた。
「諦めるのにはまだ早いんじゃないのか?
ロビン、お前はまだ戦ってもいない。戦う以前に勝利を諦めたんだ。……おれと同じだ。
おれは怖かった。こんなちっぽけなおれが生きるには世界は広すぎる。お前がいなければ、おれは自分すら見失いそうだったんだ。
だからおれは、おれ自身の為にお前の為に死にたかった。死ぬまで戦おうって、故郷から逃げ出した日に決めた。母さんからの言葉を都合の良い様に歪めた。
でもそれは逃げてただけだったんだよ。結果的に上手くはいっていたものの、直ぐに壊れてもおかしくは無かった。そしてとうとう壊れてお前に無茶をさせた」
隠すことなく、クレスは自身の想いをロビンへと告げる。
20年もの逃亡生活の中でそれは初めてのことだった。
いつものクレスは弱さを見えぬように覆い隠し、ロビンを安心させるために仮面を被っていた。
「覚えているだろう。
母さんとオルビアさんはあの時、『生きろ』と言った。それは死なないってことじゃない。
母さん達は諦めずに前に進んで欲しかったんだと思う。生きることは戦いだ。逃げ出せば後悔しかない。だから、戦って勝ち取る。どんなに苦しくてもな。
ロビン、お前は今まで懸命に戦って来ていたじゃないか。どんなに辛くても、絶望的でも、お前は夢だけは諦めなかった。
おれはお前が眩しかった。だからお前の輝きを消さないために、必死にもなれた。
お前が見せ続けたんだぞ、希望を。輝きはあの羊船に乗ってから更に輝いた。その輝きをおれはずっと見ていたい。お前じゃないとダメなんだ」
言葉を紡ぐクレスをロビンは見下ろした。
変わった。20年もの間寄り添い続けた幼なじみの変化をロビンは確信した。
初めて見たのかもしれない。あんな穏やかな顔をしたクレスを。
ロビンは理解した。クレスは不確かだった境界線に踏み込もうとしているのだ。
「どうして……? 私達は幼なじみ、それだけだった筈」
「お前が言うか、ロビン。
いや、これに関しては悪いのはおれだな。
お前の事だ、分かってんだろ。だってしょうがねェだろうが―――」
小さく自嘲し、ロビンの姿を夜のようなその瞳に映し、揺るぎない意志でクレスは気持ちを伝えた。
「―――お前の事が好きだから」
その言の葉の響きに、ロビンの中でこみ上げた想いが溢れた。
固く結んでいた口から小さな嗚咽が漏れた。ひどく胸が熱く我慢できなかった。
涙に揺れる視界で前を見れば、クレスが少し恥ずかしそうにしているのが見えた。
そんなクレスにサンジが蹴りかかり、ナミによって叩きのめされてた。
ゾロは呆れたような視線を向け、ウソップは呆然としており、チョッパーは意味が分からないようで首を傾げている。
そしてルフィはどこまでも明るく太陽のように笑っていた。
「さァ、手を伸ばせ。選ぶのはお前だ。
お前はどうしたい。逃げ出して死ぬのか、生きる為に戦うのか!」
ずるいと、ロビンは思った。
果てしなく広がる海には輝きが満ちていて、それはすぐ目の前にある。
広がる光はロビンの持つ闇を吹き飛ばすほど強く、どうしようもなく恋焦がれてしまうのだ。
クレスも仲間も夢も、何もかも、欲しいものは全部そこにある。
答えなんか始めから決まっている。
―――生きたい!!
振り絞った声は涙で擦れ、無様なものとなった。
だが、深くこみ上げた感情の発露を誰も笑えはしない。
ロビンはリベルが何故自身の命を散らす事を止めたのか、気が付いた。
あの時ロビンは泣いていたのだ。いくら理屈で理性を縛っても、光り輝く希望を捨てきれなかったのだ。
クレスや仲間たちが自分を忘れてしまう事も怖かった。一人になるのが怖かった。
あの光の中へ自分も行きたい。ロビンは心からそう思った。
「リベルおじさん、一つ訂正させて下さい」
「なにかね?」
「さっき言った言葉を取り消して下さい」
「いいのかね? 彼らが攻めれば私は容赦はしないよ」
問い返すリベルにロビンは強く答えた。
「構いません。私も戦います」
「よろしい。ならば足掻きたまえ」
「ええ」
揺らめく旗は燃え尽き、何も残ってはいない。
その時ロビンの瞳に涙は無く、生きると言う強い意志が灯っていた。
海賊達は走り出す。
空高くに、自らの誇りである旗を掲げ。
夢を指す羅針盤を導に新しい世界を目指し続ける。
だから彼らは臆す事無く戦えるのだ。
隣には共に夢を見る仲間がいるのだから。
第十五話 「BRAND NEW WORLD」
あとがき
この作品をお読み下さりありがとうございます。
最近更新が遅れがちになって申し訳ないです。
やっと、ここまで来ました。
私がこの話を書こうと思って、真っ先に思い浮かんだのがこのシーンでした。
原作にあるシーンを変え、批判のある方もおられると思います。
色んなパターンを考えましたが、私の中ではこのような形に落ち着きました。
これからも精進を続け、成長していきたいと思います。
次も頑張ります。ありがとうございました。
・感想版でご指摘のあった、歌詞の掲載に関しては、問題がありそうだったので修正いたしました。
ありがとうございました。