瞬く間に、時は進んだ。
刻まれた時が戻ることなどありえず、ただ滔々と流れてゆく。
うつろい続ける"今"に終わりなどない。
如何なる流れも、摂理を破り繰り返すことはできない。
時は無常だ。
砂の上に描いた絵を波が打ち消すように。
ただ無慈悲に、ただ当然のシステムとしてそこにある。
だが、それでも人は願ってやまない。
時が戻り、全てがやり直せたならばと。
第十三話 「生ける伝説」
嵐の中を猛スピードでサメのヘッドの海列車が走り抜けて行く。
動力部で生み出された蒸気によって、うねりを上げる車輪は、海に敷かれた線路を削り取るかのような勢いで回る。
速度メーターの針は既に振り切られており、意味を為していない。
車掌のココロに操られ、海を切り裂き進む、暴走海列車<ロケットマン>。
その客車内に、<麦わらの一味>、<ガレーラ>、<フランキー一家>の姿はあった。
海賊と職人と賞金稼ぎ。
何もかもが違う三者だったが、今は一つの目的の為に団結していた。
「……なるほど。ロビンちゃんが何やら過去の"根っこ"を掴まれていると思ったが、……そういう事情だったか」
胸元のポケットから煙草を取り出し、サンジが静かに火をつける。
その後ろでは、何やら奇妙な仮面をつけたウソップ……もとい、<狙撃の王>そげキングが神妙な様子でうなずいていた。
ロビンを追い、一味が海列車によって嵐の中を突き進み暫くの時間が経過していた。
一味は立ちはだかる様々な障害を力づくで乗り越え、今は政府専用海列車に侵入していたサンジとウソップとの合流を果たすことに成功する。
二人は政府専用海列車の中でロビンを奪還しようと、対立していたフランキーと共に力を尽くしたが、CP9とロビン自身の拒絶によって失敗に終わっていた。
頑なに一味へと戻る事を拒絶するロビンを見た二人は、ロビンに潜む<闇>の深さを垣間見る。
その闇はあまりに深く、決してロビンを逃しはしない。
クレスはサンジとウソップに対し、今は事情の説明を行っていた。
「迷惑をかけたな」
説明を終え、クレスは最後にそう締めくくった。
「ロビンちゃんの為だ。てめェが気にすることじゃねェ」
煙を吐き出しながら、サンジは言い、
「まったくだ、これで私もロビン君の救出に全力を注げる。……援護は任せたまえ」
力強く、ウソップが弱腰に言った。
以前のクレスなら決して語らなかった過去の話も、今ならば信頼して話すことができる。
この心境の変化にクレスは戸惑いもあったが、それよりも今は安心感が勝っていた。
案の定、サンジとウソップもロビンの過去を聞いても、憶するどころが、ほかのメンバー同様更なる闘志を燃やしていた。
「ナミ、エニエスロビーまでは後どれぐらいだ?」
「気候もだいぶ安定してきたけど、もう少し時間がかかると思う」
「……なら、ちょうどいいか」
クレスは島へと近づき戦闘態勢に入り始めた仲間達を見渡した。
「お前らに、<六式>について話しておこうか」
クレスの言葉に一味だけではなく、ガレーラ、フランキー一家も反応する。
圧倒的な力を持つ<CP9>に関することならばそれも当然だ。
戦う上で情報ほど価値のあるものはない。
「六式……クレスと同じようにCP9が使った技ね」
ナミの言葉にクレスは頷いて肯定の意を示す。
「お前もある程度は知っていると思うが、おれやCP9が使う<六式>ってのは万能ともいえる技だ」
クレス自身も扱う<六式>は対峙すれば相当に手恐い相手となりえた。
その力は実際にCP9の実力を見た一味にはよく身に染みている。
圧倒的な速度で接近する<剃>。
空中すらも自在に駆け回る<月歩>。
比類なき一撃を打ち出す<指銃>。
斬撃すら自在に操る<嵐脚>。
鉄にも勝る硬度による防御の<鉄塊>。
迅速な動きで相手を翻弄する<紙絵>。
この人界を超えた体技を扱う姿はまさに、超人。
その力は余人の追従を許さない。
六式が<最強の体技>とされる所以だ。
「厄介な体技だとは思っていたが、聞けば聞くほど、ふざけた技だな。
クレスの言葉通りならば、弱点なんてもんもねェんじゃねェのか?」
「ああ。実際、そうなることを目的として磨き上げられ続けた技だ」
クレスは自身の経験を踏まえてサンジの言葉に答えてみせる。
「だが、弱点を上げるならば、六式を扱う奴らも人間だということだな」
「……いや、それ弱点ってわけじゃないでしょ」
「まァ、それもそうだな」
否定するわけでもなく、クレスはナミの言葉に頷いた。
ナミの言うことも正しいが、クレスの言うことはあながち間違いでもない。
人間は想像以上に脆く弱い。<最強の体技>と言われていても、それを扱うのは不完全な存在である人間なのだ。
「よし! よくわかんねェけどアイツ等をブッ飛ばすぞ!!」
「話聞けよてめェ! クレスがせっかく話してくれてんのに」
気合十分に雄たけびを上げるルフィに、ウソップからの突込みが入る。
その様子にクレスは笑みを浮かべて相互を崩した。
「いや、別にどうでもいいさ。
戦い方は人それぞれ。ルフィの言うとおり、要は勝てばいいんだ」
相手が鉄よりも硬いならば、その鉄を打ち砕けばいい。
相手が攻撃を避け続けるならば、それ以上の連打を叩き込めばいい。
相手がいかなる攻撃を繰り出しても、折れずに立ちづづければそれでいい。
「ほら、クレスもこう言ってるじゃねェか」
にっこりとルフィは笑みを浮かべる。
その様子に、仲間からは安心と共にため息が漏れた。
本人は全く自覚していないだろうが、対決を間近にしても緊張に押し潰されないのは、能天気なルフィの功績が大きい。
「それにしても、……てめェが使う<六式>っていう妙な技。
扱える奴なんてお前一人だけだと思っていたが、そうじゃないみたいだな」
「ああ、<六式>は扱える奴こそ少ないが、今もなお海軍に伝わる<武技>だからな」
ゾロの言うことは理解できる。
クレスの扱う超人的な技全てが、海軍で伝えられているとは思いもしないだろう。
レベルの高い海兵ならば、幾つかを自在に使いこなしている事も珍しくは無い。
「あれ? でもそうなるとクレスはどうなんだ? クレスは海兵じゃないぞ」
素朴な疑問に気付いたチョッパーがクレスに問いかける。
<六式>というのは、恐ろしく難易度の高い技だ。
触りだけではなく、当然、六つ全てを収めるには、長い歳月と努力を有する。
それに加え、指導者となるべき人間は全て、政府側の人間だ。
おそらくは今の世界で六式を扱える"海賊"はクレスが唯一といってもいいだろが、クレスが一人で習得できるわけではない。
「そういえば言ってなかったな。
おれは親父が海兵だったんだよ。その関係で、ガキの頃に訓練を受けたんだ」
「じゃあ、クレスが訓練を受けた人もその<六式>を使えたのね」
「まァ、……そんなとこだ」
ナミの言葉に、クレスは僅かに言葉を濁し、思考は僅かに過去へと飛んだ。
誰よりも鮮烈で圧倒的だったその背中。
ただ強さを求め自分を鍛え続けた、辛くも充実した日々。
その中で未熟な自身を、強く、強く、決して折れぬ刃のように鍛え上げた、今もなおクレスが思い描く<最強>。
己はまだ弱く、その遠すぎる背に未だ近づいてはいない。
自嘲げに息を吐きクレスは過去の記憶を打ち消した。
今はただ前のみを見つめる時だ。
懐かしき日々も、得難き今も。
全てを勝ち取らなければ、明日は得られない。
≪―――んがが! さァ、おめぇらいつまでも騒いでんじゃねェらよ。
窓の外をよーくご覧、そろそろ見えてくるよ! <正義の門>が!!≫
そんな時響いた通信越しのココロの声に、クレスは窓の外へと目を移した。
ロビンを奪い返す為、そして自身の過去にケリを付けるための戦いの場がそこにあった。
世界のほぼ中心に位置する、夜が訪れることのない常昼の海。
雲を突き抜けるほど天高くそびえ立つ<正義の門>の威容を背に、その島は浮かぶ。
世界政府が掲げる、絶対的正義の玄関口。
如何なる罪人も等しく裁かれる、世界最大の司法機関。
この地で裁かれた罪人は、その後政府の指示により、<海軍本部>または<インぺルダウン>へと連行される。
いたる場所に掲げられるのは、170国以上もの国々の結束を示す世界政府の紋章。
<司法の島>エニエス・ロビー。
全世界を束ねる<法>の総本山。
咎人達にとっては決して引き返すことを許されない、地獄へと続く玄関口である。
◆ ◆ ◆
もうもうと煙を吐きながら、海の上を浮かぶ線路を辿り政府専用車がエニエス・ロビーに停泊していた。
侵入を果たしていた海賊たちによるトラブルに見舞われ、五つの車両を失うも、時刻に寸分の狂いはない。
世界で最も優れた船は、今日もまた約束を守り通した。
未だ熱を持つ動力部が息を整えるようにゆっくりと蒸気を吐き出す。
その後方に繋がれた客車の扉が開いた。
その瞬間、車両の前で待ち構えていた役人たちが一斉に整列し、姿勢を整える。そして現れた人物たちを前に一斉に敬礼を行った。
「長期任務お疲れ様です! CP9に敬礼!!」
役人たちの畏怖と尊敬に満ちた眼差しを受けながら、それらを一切意に反さずに、ルッチを初めとしたCP9の四人は五年ぶりとなるエニエスロビーの地に降り立った。
それと同時に、護送室となっている車両より二人の罪人が連れ出される。
一人は政府が20年ににも渡り追い続けた女、ニコ・ロビン。
もう一人は、<古代兵器>の設計図を持つとされる男、カティ・フラムことフランキー。
「アウッ! そーっ扱えバカ野郎! おれを誰だと思ってやがる!!」
敵意むき出しのフランキーが鋼鉄の鎖で拘束されながらも、近づいてくる役人たちを威嚇する。
猛獣のようなフランキーの後ろより、海楼石の錠によって繋がれたロビンが自らの意志で姿を見せた。
その瞬間、役人たちが息をのんだ。
闇の中を生き続けてきた者だけが持つ、冷たく差すような妖艶さがロビンにはあった。
手に架せられた錠はいっそ背徳的ですらあり、運命を受け入れたその美しさは、散る寸前の花のような刹那的なものでもあった。
「………」
ロビンは一度だけ、正面ゲートの背後にその威容をのぞかせる<正義の門>の姿を視界に収め、興味を失ったように視線を戻した。
役人たちが厳しい視線を送り続ける中、逃亡防止のためか、CP9に挟まれながら司法の島の中心へと向かって行く。
厚く高い正面ゲートを潜ると、塀で囲まれた島の全景が見て取れた。
奈落へと向かうかのように、海の中心にぽっかりと空いた穴。
大量の海水がその中へと滝のように落ちて行き、その深すぎる底に届くことなく霧となって消えて行く。
その穴の中心には、ひときわ硬い鉱石の支えのみによって突き出された円形の大地が浮かんでいる。
奈落へと続く穴の上に浮かぶ島は、外敵を戸惑わせるには十分だろう。
島へと続く唯一の道を進めば、政府の機関を初めとした町が築かれている。
街並みを抜け、島の最後尾には、世界一の裁判所。
そして裁判所より奈落へと向かう穴を挟み、司法の塔、そして<躊躇いの橋>と続き、最後に正義の門と到着する。
幾多もの凶悪な犯罪者たちがこの道のりを辿り、例外なく正義のもとに消えていった。
おそらくは、いや……希望など垣間見ることもなく、ロビンもまた同じ運命を辿るのだろう。
空虚な心で、ロビンはただ淡々と体を前へと進め続けた。
だがそんな時、不意に後ろから名前を呼ばれた気がした。
聞こえる筈の無い、聞こえてはいけない声。
優しく包み込むように、支え、築き、共に歩んだ、誰よりも幸せになって欲しかったその姿。
「立ち止まるな。歩け、ニコ・ロビン」
いつの間にか止まっていた足。
ルッチからの声に、ロビン何も答えることなくただ黙々と進むことにした。
本島を抜け、裁判所を素通りし、跳ね橋を渡り、司法の塔へ。
もう引き返せない。
既に覚悟は決めたつもりだった。
今更、待ち受ける死に怖気づいたわけではない。
だが、どうしようもなく胸の奥が掻き立てられている。
後悔。
無いと言えば嘘だ。
あのコ達がいれば、クレスは笑っていられる。
自分がいれば、クレスは苦しみ続ける。
これが最善だと気付いただけ。
ただ、それだけであった。
◆ ◆ ◆
エニエスロビーを眼前に、一味達は戦力を二つに分けようとしていた。
正義の砦とも取れる、この要塞に、バカ正直に突っ込んでも勝てる可能性は薄い。
捕らえられたロビンとフランキーはおそらく最深部の司法の塔に幽閉されており、二人が正義の門を潜ればもう二度と手を出せなくなってしまう。
それ故にこれは時間との戦いでもあった。
一刻も早く、決着を付け、二人を解放しなくてはならない。
その為には、下手な戦力分散をせず、中央まで最速で辿り着く必要があった。
そこでガレーラとフランキー一家は、一つの作戦を提示した。
ガレーラとフランキー一家が正門と本島前門をこじ開け、一味を乗せたロケットマンによって司法の塔まで一気に突破する。
猶予は五分。
誰が倒れようと迷わず進めと、協力関係にある両者は覚悟を決めていた。
これはアクアラグナを乗り越え、様々な障害を打ち破った一味の力を認め、信じたからでもあった。
作戦を聞いた一味も異論を挟む事は無かった。
全員で突入するより余程マシであるだろうし、現状ではおそらくこの策が最善の筈である。
だが一人だけ、「分かった」と提案を受け入れ、真逆の行動を取った男がいた。
船長のルフィである。
よくよく考えれば、ルフィに対し五分待てなど無理な話であった。
「さて……」
そしてここにも、また一人。
"あえて"話を聞かない男がいた。
「じゃあ、おれも行ってくるわ」
まるで散歩にでも行くような気軽さで、クレスは海列車の窓枠に脚をかけた。
「うおいッ! お前もかァ!!」
当然、作戦を立案したガレーラとフランキー一家がクレスを止めようとする。
だが、クレスはそれらを気にせず、一味の方へと顔を向ける。
そこに浮かぶのは、いつもの押し殺した無表情では無く、感情を露わにした凶悪な笑み。
「おれがこれ以上待てると思うか?」
「バカが───」
ナミやウソップが何か言おうとしたが、どっしりと座り込んだゾロがクレスを促した。
「行って来い、アホが」
「悪いな」
それに続き、落ち着いた様子のサンジが問いかける。
「囚われのレディを助けるのはおれの役目だと言いたいところだが……分かってんだろうな?」
サンジがクレスに問いただすのは、戦いの意義。
これはクレス自身の戦いであり、そうではない。
これから行う、全世界へと知れ渡るであろう大喧嘩の主催者は、あくまで海賊達である。
戦いの地に向かう仲間達の想いは同じなのだ。
「心配すんな。なに、あの気楽な船長が道に迷わない様に最速で案内するだけだ。
だが、降りかかる火の粉を蹴散らすのは、当然だよな?」
口元に色の違う優しげな笑みを浮かべ、クレスは軽やかに窓の外へとその身を躍らせる。
その次の瞬間、その姿は掻き消え、空を駆けていた。
騒がしさを増し始めた正門前を飛び越え、本島へ。
そして殺気だった海兵達が集まるその中心にルフィの姿を見つけ、戸惑いもなくその隣に舞い降りた。
「なんだクレス、おめェも来たのか」
「まったく気の早い奴だよ、てめェは。……おかげで先を越された」
周りを取り囲むのは数えるのも面倒な程の海兵達の群れ。
空より現れたクレスに瞠目するも、数の優位を確信しているのか、未だ余裕の笑みを浮かべている。
「ハハ……聞くが麦わらのルフィ。
他の仲間はどこにいるんだ? エニエス・ロビーの兵力は1万だぞ!!」
「おれ達は二人だ」
麦わら帽子を押さえながら、ルフィは言い、
「逆に聞くが、その程度でいいのか?」
指の骨を鳴らしながらクレスが凶悪な笑みを作った。
◆ ◆ ◆
エニエスロビーの最後部、司法の塔。
その最上階に作られた、政府高官の為の一室。
その一室に、顔半分を矯正用の仮面で覆った男がいた。
<CP9長官>スパンダム。政府公認の殺し屋集団を束ねるポストに席を置く男だ。
スパンダムは扉の向こうより姿を見せた四人に上機嫌な笑みで、激励の言葉を贈る。
「よく帰った! ルッチ、カク、ブルーノ、カリファ!」
「セクハラです」
「名前呼んだだけで!?」
姿を見せたのは、長期任務を見事にこなし先程帰還した、ルッチ、カク、ブルーノ、カリファ、の4名。
「懐かしいなァ、ルッチ。ふてぶてしさは一段と増した様だ」
「チャパパパ!」
「よよいっ! 五年ぶりのォ~再会じゃぁねェえかァ。仲良くしなァ~~ッ!」
その4人に加え、別の任務についていた3人。
荒々しい容貌の男、ジャブラ。
丸々とした体型と口がチャックになっている大男、フクロウ。
歌舞伎役者のような格好をした大男、クマドリ。
この三人も当然のように、驚異的な力を持つ<六式使い>であった。
「8年前のウォーターセブンで起きた、政府役人への暴行事件により、罪人"カティ・フラム"。
そして、<西の海>オハラで起きた、海軍戦艦襲撃事件により、罪人"ニコ・ロビン"。以上二名、滞りなく連行完了しました。現在この扉の向こうに」
「そうか、よくやった!」
形だけの任務報告を行い、ルッチを始めとする4人は自らの席についた。
そこに、スパンダムに対する敬意というものは無い。
それも当然か、現在のCP9においてスパンダムのみが<六式使い>ではない。それどころか、戦闘力に関しては並以下だと言える。
指揮官としても、視野狭窄となる傾向が強く、決して有能とは言えない。ルッチに至っては"器ではない"と切り捨てている。
だがそれでも、スパンダムには現在の<CP9長官>という立場を得るに値したものがあった。
「じゃあ、早速会わせてくれ。全世界の"希望"に!!」
ニヤリと、スパンダムの顔がドス黒く歪む。
指示を受けた衛兵たちが、罪人二人を部屋の中へと入れた時には、スパンダムの笑みは最高潮に達し、高笑いすら上げていた。
「最高の気分だッ!! よくぞまァ、今まで生きててくれたもんだ!
そしてよくおれの為に捕まってくれた! カティ・フラムに、ニコ・ロビン!!
てめェらを連れ帰れば、今後おれ達CP9に与えられる地位はどれほどになるのか、想像しただけでゾクゾクするぜ!!」
スパンダムが、この地位まで上り詰めた理由。
それは、矮小な身に似合わぬ、人並み外れた野心にあった。
そして、その野心は現在、巨大な目的を前に大きく膨れ上がっていた。
「世間の人間達は今日の日の我々の働きが、どれほど尊く偉大な仕事であったかを知らん。
そして、それが知れ渡るのは事実上まだ数年先になるだろうな。だが、それもまァ、仕方ねェ。
おれに言わせりゃ、今の政府のジジイ共の正義は生ぬるい!! 犠牲を出さねば目的は果たせねェ、こちとら全人類の為に働いてやってんだぜ?
そのおれ達の邪魔をする愚か者どもは、大きな平和への犠牲として殺してよし! おれ達が寄こせと言う物すら寄こせねェ魚人も正義へと謀叛者として殺されて当然だァ!!」
過去に因縁のあるフランキーへの当てつけもあったのだろう。
陶酔するスパンダムに、大恩人である師匠をバカにされたフランキーは、聞き捨てならないと反応する。
フランキーは鎖で身体を縛られた状況にあるにも関わらず、怒りのままに猛牛のようにスパンダムに向け突進し、その頭に喰らいついた。
この行動は予想外だったのだろう。
噛みつかれたスパンダムは為す術もなく、興味なさげな視線を向ける部下達に悲鳴を上げながら助けを求めた。
その助けに応じたのは、クマドリ。
やけに役者がかった動きで、<生命帰還>により"髪"を操ると、みるみるうちにフランキーを抑え込んだ。
「チクショーッ! やってくれやがったなこの野郎が!!」
「グッ!」
形勢が逆転し、石畳の上に這いつくばるフランキーをスパンダムが荒い息で蹴りつける。
圧倒的を優位を再確認したところで、落ち着きを取り戻したスパンダムは再び語り始めた。
「あの時から気性は変わってねェ様だな、カティ・フラム。
もっと早くに、お前が生きて設計図を持っていると分かってりゃ、こうも苦労をする事ァなかったよ。お前なら過去の罪でしょっぴく事も容易いからな」
ガンと、スパンダムは倒れ込むフランキーの頭を踏みつけた。
そして苦労話を聴かせるように、声を落とす。
「それに引きかえ、お前の兄弟子アイスバーグは厄介な男だったよ。
トムの死後、ウォーターセブンの造船所を腕一本でまとめ上げ、大会社を組織した後、恨みさえある筈の世界政府に自ら近づき、"世界政府御用達"の地位まで確立した。
造船会社ガレーラカンパニー社長にして、ウォーターセブン市長。誰もが支持し、政府にとっても必要不可欠な存在になることで、下手に我々も手出しできなくなった訳だ。
実に頭の良い男だったよアイツは───だが、風はおれの方に吹いていた!」
そこでスパンダムはロビンの方へと目を移す。
より一層にスパンダムの笑みが濃くなった。
「丁度シビレを切らし強硬策に出ようとした時だ。
<大将青雉>より吉報が届いた。かの<オハラの悪魔達>"ニコ・ロビン"が海賊船に乗って、ウォーターセブンに向かっているとな」
その時点からのスパンダムの動きは巧妙で迅速だった。
青雉より寄せられた"吉報"を下に、<バスターコール>を含む全ての条件を任務に組み込んだ。
スパンダムにとっては自画自賛して余りるほどの最高の頭の冴えだった。これ以上ないほどに悪辣な作戦を組み立て、見事に成功させたのだ。
「わかるか? 今世界中の風はおれに向かって吹いているんだ。
古代兵器復活の引き金がおれの手中にある。望めばどんな大国をも支配できる"力"をおれは手にしたんだッ!!」
その圧倒的なまでの力に魅入られたスパンダムは、狂気すら浮かべ高笑いを上げ続ける。
それも無理は無いだろう。最悪の古代兵器を手に入れたものは、世界をも手にする事が可能なのだから。
「───青雉は何故、アナタに<バスターコール>の権限を……?」
スパンダムを狂喜から呼び戻す様に、ロビンが質問を投げかける。
闇の正義のCP9ならば、バスターコールの権限を与えられても不思議ではない。
だが、あの青雉が理由もなく、この権力に魅入られただけの男にバスターコールの権限を渡すとは思えなかった。
「あぁ?」
その瞬間、スパンダムに浮かんだのは虫けらを見下すような表情だった。
問いかけに答える事なく、錠につながれ碌に動く事の出来ないロビンを黙らせるように殴りつけた。
鈍い痛みが頬に広がり、受け身すら取れず、ロビンは冷たい床を転がった。
「おれに質問するなァ、無礼者がァ!!」
ロビンの問いかけに激昂したスパンダムは、うずくまるその背を蹴りつける。
スパンダムにとって、ロビンは成り上がる為の踏み台にすぎない。
たったそれだけの価値しかない女が対等どころか嘲りにも似た“質問”する事がスパンダムには許せなかった。
海楼石の錠が架けられたロビンは、ただ執拗なまでの暴力に耐えるしか無かった。
「この忌まわしきオハラの血族がァ!
てめェの存在価値なんておれが見出してやらなければ"無"に等しかったんだ。おれに充分に感謝するんだな!!
この後お前は、死んだ方がマシだと言うほどの苦しみを味わう事になるが、覚悟しておけ。痛めつけて、利用して、最後は海に捨ててやる! お前の存在はそれほど罪深い!!」
それは余りに理不尽な仕打ちでった。
一方的な悪意によって打ちのめされ、ただ耐えるしかない。
だが、それでもロビンはよかった。
この痛みこそが、無意識にクレスに甘え預けていたもの。
本来ならば、この痛みも悔しさも一人で受け入れなければならないものであったのだ。
その事を思えば、自嘲の笑みすら浮かび上がった。
「何がおかしいんだよてめェ! 気持ち悪い女だぜ!!」
髪を掴まれ、無理やりに頭を持ち上げられる。
いくらいたぶっても表情を変えないロビンに、スパンダムの苛立ちは増した様だ。
「フフ……別に何も」
口の中を切り血が流れていたが、ロビンは構わず笑みを作って見せた。
スパンダムの返事は意味を為さない罵声と、暴力であった。
ロビンは再び倒れ込み、冷たい石畳の感触を味わった。
再び激情のままにスパンダムがロビンを蹴りつけようとするが、"ある事"を思い出し、その顔を嗜虐的なものへと歪ませる。
「……そういえば、さっき連絡があったんだが、そんなくだらねェお前を取り返しに来たバカがいたなァ」
嘲るような言葉に、一瞬ロビンの中の時が止まった。
「"エル・クレス"と麦わらの一味だよ。
もう今頃捕まってんじゃねェのか? このエニエスロビーの1万の兵力の前にはゴミ同然だったようだからなァ!!」
「……嘘よ」
「そう思うのも無理はねェ。なんなら会わせてやろうか?
丁度監獄行きの船を出すつもりだったんだ、手土産には丁度いいだろうよ」
ロビンの中で、永遠に思えるほどの空白の後、心臓が嫌な音を奏でる。
そして、湧きあがる感情の渦が雫のように弾けた。
「待って、約束が違うじゃない!!
私があなた達に協力する条件はクレスの罪の清算と彼らを無事に逃がすことだった筈よ!!」
声を荒げるロビンに対するスパンダムの反応は冷ややかなものであった。
「何を必死にいきり立ちやがって、面倒くせェ
ルッチ、我々が出した条件を正しく言ってみろ」
ルッチはロビンとスパンダムのやり取りには興味を示さず、淡々と上司からの指示に従った。
「『ニコ・ロビンを除く麦わらの一味7名が無事ウォーターセブンを脱出する事。なお、エル・クレスに関しては任務終了後に懸賞金を解除する』」
「ああ、その通りだ」
ルッチの答えを聞き、スパンダムは座り込むロビンを見下した。
「───あいつ等は"ウォーターセブンを無事出航して"、"未だ任務中である"おれ達の下に来たんじゃねェのか?」
「ッ!? 何ですって、そんなこじつけで協定を破るつもりじゃ……!?」
悪辣な回答にロビンの顔から血の気が引いた。
政府は始めから約束を守るつもりなど無かったのだ。
「どうしようもないクソだなコイツ等。仁義のかけらも持っちゃいねェ……!」
フランキーもまた不快感を露わに吐き捨てる。
政府のやり口は、どこぞの悪党と変わりはしない。
いや、約束を破るリスクが無い分、悪党以上にタチが悪い。
「黙れ、このクズ共が。調子に乗んじゃねェ!!
そもそもてめェら罪人との約束なんざ、おれ達が守る必要すらねェんだよ! 騙して、とっ捕まえることぐらい、海軍でも公然とやっていることだ!」
ロビンとフランキーの態度が癇に障ったのか、スパンダムは再び二人を蹴りつける。
再び暴力に晒されたロビンは、歯がゆさで唇を噛みしめた。
政府が約束を守るつもりが無いことぐらい、始めから承知していた。
だからこそ、ロビンはクレス達が絶対に自分を助けに来ない様に動き回ったのだ。
ロビンの身柄さえ手に入れば、政府にとってはその他の人間などどうでも良いと読んだからだ。
だが、ロビンは失敗した。
毒まで用いて足止めをしたはずなのに、クレスはこの地へとやってきていて、ルフィ達もまた自分を助けに来ようとしている。
「……卑怯者ッ」
今のロビンには、憎しみを政府にぶつける事が精一杯であった。
ロビンの口から紡がれた言葉に、スパンダムは不機嫌に眉をひそめ、蹲るロビンを踏みつける。
「人を裏切り続けた女が、今更理想的な死を選べると思うな。
エル・クレスに関してもそうだ。オハラの血族は全員生きる価値の無いゴミ。
ゴミはゴミ同士、仲良く死ねばいい。巨大な正義の前では何もかもが無力なんだよ!!」
「黙りなさい……!!」
「あぁ? なんだって?」
「あなた如きが、クレスをバカにするのは許さないって言ったのよ!!」
「何だと……ッ、口には気をつけろって言ってんだろうがァ!!」
スパンダムの踵がロビンの背を踏みつける。
それでも、ロビンは鋭い眼光をスパンダムへと向け続けた。
それが酷く気に入らなかったのか、スパンダムの暴力は激しさを増した。
「必死に抵抗しやがって、なんだ、方割れの事がそんなに大切なのか?
こりゃいい。なら折角だ! エル・クレスだけは対面させてやってもいいぜ。死体でよければなァ!!
それとも何だァ? てめェの目の前でブチ殺してやろうか? そうすればてめェももっと素直になれるだろうよォ!!」
ドス黒い高笑いを上げ続けながら、スパンダムはロビンを責め続ける。
余計なことを言わなければ、スパンダムをこうも狂乱させる事も無かっただろう。
自分がバカなことをしたという事は分かっている。だが、ロビンは感情のままに動こうとした身体を止めようとは思わなかった。
呵責なき責めは、おそらくスパンダムの気が済むまで続くのだろう。
CP9の面々は興味を失っており、フランキーもまた拘束され動く事は出来ない。
スパンダムの凶行を止めるものは誰もいない。
(クレス……)
思い浮かんだのは、クレスの姿。そして、心優しき海賊達。
ダメだ。未だに誰かに助けを求めようとする、弱い心をロビンは拒絶する。
自分がいては、周りに不幸を振りまいてしまう。
過去の思い出だけを抱いて、このまま冷たい<死>を迎えたかった。
しかし、このまま続くかと思われた痛みは不意に消えた。
「─── その辺りにしておきたまえ ───」
朗々とした声が響いた次の瞬間、深海の底に叩きこまれたかのような、余りに重厚な圧迫感が部屋を覆った。
その瞬間、不動を貫いていたCP9全員が戦闘態勢を取った。
闇の正義のCP9をもってしても、突如現れた人物を看過することは出来なかったのだ。
「後ろ手を縛られた婦女を、大の男が一方的に攻撃する。
尋問の為ならいざ知らず、己の自尊心を満たす為のみに。
実に恥ずべきことだ。……おっと、そう言えば男もいたのかね? まァ、とにかく許されるべきではない」
コツコツと高らかに足音を響かせその男は現れた。
丁寧に撫でつけた白髪交じりの灰色の髪。
皺を刻むも溌剌とした顔の左側には巨大な裂傷の跡がある。
一部の隙もない肉体は、永い年月を生きた大樹のように不動。
海軍に支給される制服を着こなし、羽織るコートには"正義"の二文字が揺らめいていた。
「そうは思わないかね? CP9長官のスパンダム君」
問いかけられたスパンダムは答えない。
答える事が出来なかった。
なぜならば、泡を吹いて失神していたからだ。
「おやおや残念だ、寝てしまったのかね」
男はフッと快活な笑みを作った。
その瞬間、尋常ではない程の圧力が消え、部屋の空気が元に戻る。
僅か数秒で在ったにも関わらず、幾年もの時が過ぎたかのような濃密な時間であった。
「今日あなたが来るとは聞いていませんでしたが?」
敬意を表すような言葉と共に、構えを解かず疼く体を抑え込むようにルッチが男に問いかける。
ルッチの問いかけに、男はおどけるように答えた。
「はっはっは、なに、気が向いたのでね。"散歩"がてらにここまで来たのだよ」
「本部に連絡は?」
「疑うのかね? ちゃんと筋は通してあるよ。
それにしてもルッチ君、また強くなったようだね。他の面々もまた然りのようだ。
皆、肌が焼け付くような素晴らしい殺気だったよ。だが悪いね、今日は別の要件がある。腕試しはまた今度の機会でどうだね?」
「構いませんよ。───CP9特別外部講師殿」
ルッチより放たれる闘気を受け流すと、男は蹲るロビンの傍まで歩み寄った。
そして優しげにロビンに手を差し伸べ、身体を起すのを手助けする。
「どうして……あなたがここに」
戸惑いのままに、ロビンは問いかけた。
重い身体を持ち上げ、ロビンが見たのは信じがたい姿であった。
「なに、少々私情を優先しただけだよ。
久しぶりだね、ロビン君。母に似て美しくなったものだ」
それは20年前と変わらぬ、快活な笑み。
その再会は、ロビンにとっては余りに予想外で突然すぎた。
「……リベルおじさん。
いいえ、───<武帝>アウグスト・リベル」
────大海賊時代の幕が開ける前。
白ひげ、金獅子、そして彼の海賊王ゴールド・ロジャー。
今や伝説と化した海賊達が跋扈していた海において、戦いぬいて来た猛将。
圧倒的な強さとカリスマで恐れられ、同時に<偉大なる航路>のとある島において、実際に“帝位”を持つ男。
海軍本部少将にして、CP9特別外部講師。
<武帝>アウグスト・リベル。
今もなお畏怖と共に語られる。海軍が誇る"生ける伝説"である。
あとがき
お読み下さりありがとうございます。
最近時間がなかなかとれず、投稿が遅れて申し訳ないです。
やっと、ここまで来たような気がします。
リベルに関しては始めからここで出そうと考えていました。
わりと、と言うよりかなり無茶苦茶なキャラですが、何とかうまくまとめて行きたいです。
これから、より一層気合を入れて頑張っていきたいです。
ありがとうございました。