第十二話 「仲間」
「さて、そうだな。……まずは列車から離れてもらおうか」
淡々と、クレスは海列車に乗り込もうとしていた一味を促した。
予想だにしなかったクレスの行動に、一味は困惑する。
「ちょっと、なに言ってんのよクレス! アンタ、ロビンを助けたくないの!?」
「ああ、助けるさ。
だが、同時にお前達を行かせる訳にもいかない」
戸惑いをぶつけるナミの問いに、クレスは機械的に答えた。
「じゃあ何でよ! 助けるにしたって、人手は多い方が……!」
「そうだな、"囮"は多い方がいい」
「囮って……」
冷徹に言い放ったクレスに、ナミが絶句する。
クレスの表情に一切の変化は無い。如何なる感情の下か、クレスは本気でそう思っている事が窺えた。
「なら、おれ達を行かせたくねェのは何でだ?
てめェの言う、囮とやらは多い方がいいんだろうが」
刀に手をかけながら、ゾロが低い声で問う。
クレスはゾロの姿を一瞥すると、鼻を鳴らし、薄く眼を細めた。
「簡単な話だ。ロビンがお前達を守ったからだ。
命を捨ててでも、守りたいと思わせたからだ。そして―――」
不意に、クレスの脚が唸りを上げた。
極限まで抑えられた殺気をゾロが感じ取り、踏み込みと共に、二本の刀を走らせる。
鉄同士を打ち付けたかのような、甲高い音が響いた。
一瞬遅れて、薄汚れた倉庫の壁が鋭く切り裂かれた。
「お前らがアイツにとっての、何よりもの"重み"になったからだ」
「クレス、てめェ……!!」
無言のままに、クレスの姿が掻き消えた。
<剃>によって音もなく駆け、硬化させた拳を叩き込もうとする。
その間に、憎々しげに顔を歪めたゾロが割って入った。
衝撃が空気を震わせる。
ゾロが受け止めた拳には、一切の手加減はなかった。
「よく反応したな」
「……狙いは海列車か」
「ああ。アレが唯一の足のようだからな。
壊してもいいが、奪わせてもらうぞ。さすがに海を渡るのは骨が折れるからな。悪いが、お前達の席は無い」
「勝手な野郎だな、てめェって奴は……!!」
「そうだな、否定はしない。
だが、これがオレの選択だ。
そこを退け、ロロノア。巻き込まれたくなかったらな」
「言ってろッ!」
ギチギチと力と力がせめぎ合う。
ゾロが均衡状態のクレスを押し切ろうとするも、驚異的な身体能力を誇るクレスは一歩も引く事は無い。
クレスとゾロ、互いの鋭い視線が交錯する。
瞬間、幾打もの打撃がクレスより放たれた。
海列車を奪い取る為の障害となったゾロを、クレスが排除しようと攻撃したのだ。
だが、ゾロとて繰り出された攻撃を無防備に受け止めるつもりはない。
拳が唸りに合わせ、刃が瞬いた。
衝突した互いの武器は、一瞬において幾多もの衝撃を生みだした。
「やめてくれよ、クレス! こんなことしてる場合じゃないだろ!?」
チョッパーが静止を呼び掛けるが、クレスは止まる様子を見せない。
苛烈を極めるクレスの攻撃に、ゾロもまた防ぐだけでは持ちこたえられないレベルまで達してきていた。
「ルフィ! お願い、二人を止めて! このままじゃ……」
ナミの助けにも、何故かルフィは動き出そうとはしなかった。
ナミやチョッパー、この場に居合わせたアイスバーグやココロがいくら呼びかけても、ルフィは動かず攻防を繰り返す二人をじっと見つめているだけである。
その瞳に映るのは何か。その表情からは何も伺うことはできない。
そんなルフィ前で、幾多もの攻防を繰り返したクレスとゾロが互いに弾かれ距離を開けた。
「悪いことは言わない。黙って見過ごし、このまま航海を続けろ。
前を行ったコックのことも何とかしといてやる。だから今回のことは止めておけ」
ゾロだけではなく、一味全体に向けクレスは言う。
「どういうつもりかは知らねェが、退く訳がねェだろうが。これはもうてめェだけの問題じゃねェんだよ」
「……そうだな。ならば、だからこそだ。
オレはオレの意志を押し通す。もう一度言うぞ。───退け、ロロノア」
瞬間、クレスの姿が禍々しく歪む。感情を灯さない顔はながら仮面のようだ。
拒絶を決めたクレスに、ゾロもまた説得を諦めた。
バンダナを頭に締め、三本全ての刀をクレスに向ける。魔獣のような鬼気が辺りを威圧した。
クレスの拳が鈍く、ゾロの刃が鋭く、妖しい光を灯す。
激突の間近、血流の寸前。
ルフィが口を開いたのはそんな時だった。
「クレス、おめェ何を怖がってんだ?」
静寂に響いた声に、クレスは一瞬胸を抉られたかの表情を見せた。
「怖がるだと? オレがか」
「ああ」
短く、ルフィは肯定する。
その言葉は確信に溢れていた。
「おれ達がロビンを助けに行く事が、そんなに怖ェか?」
「…………」
クレスの答えは沈黙。
それは肯定をも同じだった。
一瞬ではあったものの、クレスの表情がひび割れるように崩れた。
辛うじて崩壊こそしなかったものの、僅かに覗いた表情があった。
「おめェらに昔何があったかは知らねェ。
だがよォ、おれ達は絶対にロビンを助け出す。
これはおれ達に吹っ掛けられた喧嘩だ。仲間を傷つけられて、黙っている訳にはいかねェ」
ルフィは真っ直ぐにクレスの瞳を覗きこみ、麦わら帽子を被り直す。
見透かすような、本質を浮かび上がらせるかのような言葉に、クレスは反射的に反駁する。
「そんなもん、世迷い事だ。
世界政府の中心で暴れて、無事で済むと本気で思ってんのか?
勢いだけでどうこうなるもんじゃない。今までとはワケが違う、世界政府の中心<エニエスロビー>がどんな場所かはもう聞いただろうが」
「ああ、聞いた」
苛立ちの滲んだクレスの問いにも、ルフィは淀みなく答えた。
世界政府の中心、司法の島<エニエスロビー>。
不夜島とも呼ばれるこの地は、その名の通り夜の闇が訪れる事がなく、正義の門とタライ海流によって<インぺルダウン><海軍本部>の二大機関と繋がれている。
常駐する警備の数は一万ともされ、有事の際には、海軍本部より海兵達が駆けつける。
過去の如何なる海賊もこの地に乗り込もうとはしない。
なぜならば、それは余りに無謀なことだと分かりきっているからだ。
だが、ルフィは、
「それがどうした? 相手が誰なんて関係ねェだろ」
「関係あるに決まってんだろうが。
能天気に構えんのもいい加減にしろ! 行けば誰かが必ず死ぬ、今から向かうのはそういうところだ」
ギリリとクレスの表情が苛立ちで歪んでいく。
いつものクレスからは想像もできないような、激しい感情であった。
「お前たちが悪いとは言わない。
ロビンを助けようとする気持ちはありがたいし、嬉しくも思う。だが、ダメなんだよ。
麦わら、お前はさっき"相手が誰でも関係ない"と言ったが、それはロビンの敵を知らないだけだ」
苦々しく、絞り出すようにクレスは言葉を成した。
それは決して語ろうとはしなかったことであった。
「ロビンの敵? おめェらじゃなくてか」
「ああ、そうだ。お前の言う通りだったならどれだけよかったか。
ロビンとオレは同じ境遇だが、真の意味で狙われているのはロビンだけだ」
そしてクレスは語った。
世界の闇という、あまりに強大な敵を。
炎に包まれ地図より消えた故郷。
執拗なまでに追い詰め、破滅を導く正義という名の追撃。
生きることが"罪"だと断ぜられた理不尽。
クレスがロビンと歩んだ道のりは、想像を絶するほど残酷であった。
「この際だから言っておくが、オレはこの島でお前たちと別れるつもりだった」
吐き捨てるようにクレスは言う。
「だが遅すぎた。全ては甘い判断だったのかもしれないな。
お前たちに魅かれ、船に乗り、居心地の良さを感じた。それがダメだったとは思わない。だが、間違いだった」
クザンに見つかり、政府にまで捕捉された。
そして揚句の果て、ロビンは政府の元へと身を投げ出した。クレスにとってはこの上ない失態であった。
「変わることは悪くない。だが、変わらない方がよかったと思えることもあるんだ」
クレスの心中では複雑な感情が溶け合い、自壊するかのように攻め立てていた。
責めたいわけじゃない。
一味が悪いとは思いはしない。
嬉しくない訳で無い。
この感情が独りよがりな勝手な想いだと言う事も分かっている。
それでも、この場に集まりロビンを助けに行こうとする一味をクレスは危険に晒すわけにはいかなかった。
「ロビンはお前たちを命を捨ててでも守った。お前たちの為に命を投げ捨てたんだ」
それが事実。
だからこそ、クレスは一味をどうしても<エニエスロビー>に行かせる訳にはいかなかった。
あの場所には、どうしようもなく明確な敵がいて、なおかつ一味の崩壊という未来が透いて見えた。
クレスは命を賭けたロビンの思いを、踏みにじるわけにはいかなかったのだ。
「もう一度言う。お前達は残れ。
先行したコックのことは何とかしてやるから、このまま旅を続けろ」
「おめェだけじゃ、死ぬぞ」
「お前達を連れて行っても、可能性は同じだ。
邪魔なんだよ、お前達は。もしこの中の誰かが捕まりでもすれば、ロビンの足は止まる。誰かが死ねばアイツは悔やむ。
おまけに、政府は<バスターコール>の権限まで握っている。何よりもロビン自身が助けを拒むだろう」
既に賽は投げられた。
ロビンは既に覚悟を決めているだろう。
<バスターコール>の権限まで握られているならば、ロビンはどうあっても差しのべた手を拒むはずだ。
今はまだ救出に燃える一味も、実際に目の前で拒絶されれば、その意思も潰えるに違いなかった。
人は、助けを拒む人間を助けようとは思わない。
「お前たちが危機にさらされ、その原因をロビンへと向ける。
政府に刃向ったお前たちを、<バスターコール>が跡形もなく滅ぼす。そのことが、オレは怖い」
朽ち果てそうな機械のように言葉を紡ぐと、クレスは再び拳を握りしめる。
だから、行くな。
壊れそうにもう一度言葉を紡いだ。
誰よりも何よりも、クレスは"世界の闇"という今まで自身たちを脅かして来た敵の強さを身に染みて感じていた。
同時に、どうしようもない自身の無力さも知っていた。
だからこその、絞り出すかのような言葉であり、意志であった。
「だから、一人で戦うのか?」
「ああ。可能性は未知数だが、あいつを助ける手段はある筈だからな」
「おめェも……死ぬつもりなのか」
「まさか、そんなつもりはないさ」
クレスは薄い笑みを浮かべる。
その笑みは無貌の仮面が笑ったかのような不気味さがあった。
ルフィの言葉は的を得ているものの、正解ではなかった。
「オレが死ぬのは、ロビンを守れなかった時だけだ」
当然の事のようにクレスは言いきった。
クレスは別に<エニエスロビー>に無謀な特攻をするつもりなどなかった。
あらゆる手を使い、最善を尽くし、ロビンを奪還する。そのつもりであった。
だが万が一。ロビンが命を落とすことがあれば、クレスはその場で自害する気でいた。
クレスは文字通り命を懸けていたのだ。
その想いは、20年前から変わることは無い。
エル・クレスは歪な人間だ。
歪な存在として生まれ、クレスは自分自身の存在に対してそれほどの価値を見出していなかった。
自身の事などどうでも良く、クレスにとってはオハラで過ごしていた日常こそが全てであったのだ。
だからこそ、故郷であるオハラが炎に包まれ消えた時、クレスはこの上ない絶望を味わった。
それこそ、自ら命を絶ってもおかしくはない程に。
それを救ったのは、母の言葉であり、ロビンの存在であった。
暗い絶望の闇の中で、ロビンの存在は何よりもの希望であったのだ。
エル・クレスという人間ははあの瞬間死に、生まれ変わった。
いや、もともと内包されていたものが表に浮かび上がったのかもしれない。
クレスはどうしようもなく弱い人間だった。
誰かの為にしか生きられず、誰かに依存しなければ生きられない。
クレスはそれを理解していた。
だが、どうしようもなく自身の根幹に根付いているものを変えることは出来ないでいた。
クレスは正確には生きてはいない。
ただ、死なないでいるだけだ。
なぜならば、
クレスにとっての"生きる"とは───ロビンの為に死ぬことなのだから。
「……おめェバカじゃねェのか」
「かもな。でもな、オレはこうやって生きて続けてきた。今更変えられないさ」
ルフィの言葉にクレスは鼻を鳴らす。
「じゃあ、バカだよ。クレス、お前さっきから何言ってんだ」
ルフィは呆れたように言う。
「だってよォ、おれ達は誰一人も、ロビンにもお前にも、助けてほしかったなんて思ってねェぞ」
ルフィの放った言葉はクレスの頭を空白にする。
頭に血が上った。
感謝しろとは思わない。だが、この男からロビンを否定する言葉を聞きたくはなかった。
気が付けば、ルフィの胸ぐらを掴み上げ、海列車の車両へと叩きつけていた。
「もういっぺん言ってみろッ! 殺すぞ麦わらァ!!」
「そうだろうが! お前たちの敵はわかった。でも、そんなのどうでもいい!!」
殺気交じりの怒声を上げるクレスを前にしても、揺るぎない瞳は変わらない。
「勝手に命を投げ出して、それで別れるなんて納得できるか!」
「出来なくても、理解しろ! お前らに死なれちゃ困るんだよ。ロビンも、……オレも!」
「じゃあお前もロビンと同じだ、クレスッ!!」
逆にルフィがクレスの胸ぐらを掴み上げる。
その顔に静かな怒りが浮かんだ。
「何かあったら、おれ達を頼れ!
悩みがあったら、おれ達と悩め!
敵がいたらなら、おれ達と戦え!
どう思おうと、何を背負おうと関係ねェ!」
「───おれたちは仲間だろうが!!!」
ルフィとクレスの視線が交差する。
クレスが覗き込んだルフィの瞳は力強く、太陽のような眩しさを感じた。
「おれ達はお前を一人で行かせねェ。
アイツ等はおれ達の仲間に手を出した。これはおれ達に売られた喧嘩だ。だからよォ、クレス!」
ルフィはクレスに向け、真っ直ぐに言葉を成す。
海賊として、船長として、仲間として。
「グダグダ言ってねェで、黙っておれについてこい! お前の船長はおれだァ!!」
敵の力よりも、おれ達の強さを信じろ。
告げるルフィの言葉はどうしようもなくクレスを心を揺すぶった。
知らず、胸ぐらを掴むクレスの力が緩んだ。
ルフィは変わらず、クレスを強い瞳で見つめ続ける。
その瞳は今までクレスが積み上げた歪さを正し、同時に全てを受け止めるかのようでもあった。
「だから行くぞ、"おれ達が"。
いつまでもくだらねぇこと言ってんじゃねェよ。早く海列車に乗れ、置いていくぞ」
いくつもの言葉がクレスの口内へと這い上がり消えていく。
妙にざわつく心。
奥に熱いものが込み上げ、耐切れそうにない。
もう腕に力は入ってはいなかった。
「……お前はそれでいいのか。
この先、どんな危険が降りかかるかわからない。全滅することだってあり得るんだぞ」
「死なねェよ。
おれ達も、ロビンも、お前も。おれが死なせねェ」
「どうしてそう言い切れる」
クレスの言葉に海列車に乗り込もうとしていたルフィは振り返り、にこやかな笑みを見せた。
「おれは海賊王になる男だ」
どこまでも無邪気にルフィは夢を語った。
全ての海を制す海賊王の器は、計り知れないほど大きいのだろう。クレス程度の歪みなど十分に包み込めるほどに。
その時、つられる様にクレスの頬に笑みが作られ、同時に熱い雫が頬に伝った。
その流れをついにクレスには止められなかった。
立ち尽くすクレスの前で、次々と仲間たちが乗り込んでいく。
やれやれといった様子のゾロ。
安心した様子のナミに、嬉しそうなチョッパー。
そして、入り口でルフィが手を差し伸べる。
「さァ、行くぞ! クレス」
「……ああ。わかったよ、ルフィ」
クレスは差しのべられた手を握った。
その顔はどこか憑き物が落ちたように安らかであり、新たな決意が灯っていた。
それは本当の意味でクレスが仲間を得た証でもあり、クレスに芽生えかけていたた“生きる意思”が花開いた瞬間でもあった。
◆ ◆ ◆
海列車は汽笛を鳴らす。
もうもうとした煙を吐きながら、力強く、車輪は回る。
定まり、束ねられた強い思いを乗せて、海列車<ロケットマン>は嵐の中を走り始めた。
目的は喧嘩。
目標は世界政府。挑むは海賊。
ウォーターセブン発、エニエスロビー行き
"暴走海列車"<ロケットマン>
―――出航。
あとがき
お久しぶりです。最近忙しい為、更新が遅くて申し訳ないです。
今回の話は、ずっとやろうと思っていましたが、なかなか形が定まらない話でもありました。
ここでウォーターセブン編は一区切りです。次からはやっとエニエスロビー編ですね。
頑張って行きたいです。ありがとうございました。