暗い地下倉庫に硬質な足音が響く。
足音の主はロビン。その後ろでは毒に蝕まれたクレスが倒れ込んでいる。
二人の道はここで分かたれ、もう戻ることは無い。
置き去りにしたクレスに後ろ髪を引かれながらも、ロビンは振り返る事は無かった。
後悔が無かったかと言えばウソだ。
だが、選択はロビンにとって、<罰>であり<償い>である。
本来背負うべきだった<重さ>を受け取った、それだけなのだ。
そして、選び取った道は最善だと分かっていた。
そう、この選択が正しかったのだ。
ロビンは己を律するように心の中で後悔の気持を押し潰し、全ての迷いを飲み込んでいく。
胸の中が妙にざわつき、感情として表れそうになったものの、零れ落ちる寸前で目を閉じ食い止めた。
強く閉じた瞼を開いた時、もうそこに感情の色は無かった。
代わりに浮かんでいたのは、闇に生きた人間としての冷たく硬質な仮面だった。
「───首尾はどうだ」
振り返る事なく歩みを重ね、階段に差し掛かろうとしたロビンの正面にルッチの姿が現れた。
計画通り手を下したか見定めに来たのだと、ロビンは推測した。
「終わったわ」
ロビンは感情を見せる事なく呟いた。
ルッチは返り血を浴びたロビンを一瞥し、その後方に倒れ伏したクレスの姿を見て、
「成程、確かに終わったようだな」
つまらなさげに鼻を鳴らした。
もしかしたら、クレスという強敵を自らの手で仕留めたい欲求があったのかもしれない。
ロビンは立ち止り、ルッチの前へと立ちはだかる。
もしルッチがこの場で契約を破り、クレスに襲いかかれば刺し違える覚悟さえあった。
しかしルッチはプロだ。目的の為に課せられた自身の役割を弁えていた。
「まァ、いいさ。これにより障害は取り除かれた。
よくやったとでも言っておこうか。契約通りエル・クレスには手を出さないでやろう。
引き続き任務を続行する。アイスバーグの自室に戻るぞ」
深緑のローブが風に翻る。
ロビンは静かにルッチの指示に従い、その背を追った。
第十話 「記憶の中」
アイスバーグの自室に戻ったロビンを迎えたのは、姿を隠すための仮面を捨て去ったCP9の面々と、憎々しげに顔を歪めたアイスバーグだった。
この場に居る四人は全員この町で潜入任務を行っていたらしく、アイスバーグに与えた動揺は計り知れなかっただろう。
そんな精神状態で尋問されれば、いくらアイスバーグでも全てを隠しきることは不可能である。しかも、CP9の中では既に仮説は出来上がっており、後は核心を得るだけだったのだ。
ルッチとカクの会話を聞き取ったところ、ロビンはCP9が<設計図>の在処に辿りついた事を知った。
ならばもうこの屋敷には用は無い。
アイスバーグの口を封じ、炎によって証拠の隠滅を図り退却する。そうすれば“海賊に罪をなすりつける”というロビンの役目も終わる。
後は政府へと下り、身を委ねるだけであった。
だが、ロビンにとってのイレギュラーはこの場所にルフィを始めとした<麦わらの一味>がやってきてしまった事だ。
微かな予感はあった。クレスに続き姿を見てしまうと、胸の奥が痛んだ。
「何故来たの? 別れの言葉は言った筈よ」
混乱を極める状況の中で、一味に対しロビンは冷淡に言い放った。
表情、声色、態度、そのどれもが完璧だった。
しかし、拒絶を叩きつけようとも、クレス同様ルフィ達も引く様子は無かった。
邪魔するもの全てを打ち砕いても、ロビンを捕まえる。その気概すら窺えた。
「理由は昨日伝えた通りよ。
私には如何なる犠牲を払ってでも叶えたい願いがある。だからあなた達とはもういられない」
「それで平気で仲間を暗殺犯に仕立て上げたのか? その願いってのはなんだ?」
「答える必要は無いわ」
ゾロの問いかけに、ロビンは取り合う事は無い。
無用な情報を与えるつもりは無かった。
「ならクレスはどうした!
見た所アイツと同じ技を使う奴らとつるんでる様だが、肝心のアイツの姿が見えねェのは何故だ!?」
「私は言ったわよね。理由は昨日伝えた通りだって」
冷や水を浴びせるように、ロビンはローブの中から血のこべり付いたナイフを放り投げた。
ナイフは放物線を描き、ロビンと一味の間に突き刺さる。
「そこに付いた血はクレスのものよ。
これだけ言えば分かってもらえるかしら? 邪魔をするならあなた達にも容赦しないわ」
放たれた言葉と突きつけられた証拠に、一味が息をのむのが分かった。
「その女の言葉は真実だ。エル・クレスはニコ・ロビンが始末した」
ロビンの証言を後押しするように、ルッチが言葉を為し、より真実味を帯びる。
ナミはウソだと否定したが、嗅覚に鋭いチョッパーはナイフに付いたニオイよりクレスの存在を嗅ぎ取り、顔を蒼白にしていた。
「ロビン、本当か?」
いつもより声の固いルフィの声。
その真意は懐疑か、確認か。
若き船長の心をロビンは突き放す。
「これ以外に証拠が必要かしら?
疑うなら見てくればいいわ。この屋敷の地下倉庫の中よ」
押し黙った一味に、ロビンは唇を釣り上げ嫣然と微笑んで見せた。
海賊の掟では<仲間殺し>は絶対的な禁忌だ。
道は途絶えた。もう、決してロビンが船に戻ることは出来ない。
ロビンはどんなに自分自身が汚れ、罵られても構わなかった。
自分自身がどうなろうとも、願いを託した彼らさえ無事ならばそれでいい。
クレスは悲しんでくれるだろうが、その悲しみも彼らが癒してくれる。いずれは自分のことを忘れて、光の中で生きてくれる。
ロビンはそう願い、信じていた。
「……もう行くわ。私の役目は終わった筈よ」
「いいだろう、ご苦労ったな」
ルッチはあっさりと役目を果たしたロビンが去るのを認めた。
クレスを手にかけた事により完全に首輪が付いたと確信したのだろう。
「待てロビン! 話は終わってねェぞ!!」
背を向け去りゆくロビンをルフィ達が追おうとするも、CP9の面々が立ちはだかる。
CP9は<麦わらの一味>には用がない。言ってしまえば路傍の石と同じだ。
それに契約の事もある。屋敷に火が回るまでの二分間を適当にあしらうつもりだろう。
突きつけられた事実に動揺もあったのか、クレスと同じ<六式>を扱うCP9の面々にルフィとゾロは翻弄され、ロビンに辿りつく事は無かった。
「さようなら」
ロビンは一度だけ呟き、窓の外に消えた。
短くも、これが今生の別れだと知っていた。
◆ ◆ ◆
CP9の作戦は計画通り遂行された。
海賊達を契約通り“殺さぬ程度”に一蹴し、彼らは証拠隠滅の為に屋敷に火を放った。
不意に燃え上がった炎は屋敷全体へと広がり、消える事なく燃え盛る。
だが、唯一炎の届かない空間があった。
ロビンがクレスを誘導した地下倉庫である。ロビンの配慮は完全であり、倒れ伏したクレスを刺客が狙いに来る事も無い。
この場所は安全だ。
だが、そこは暗く孤独な空間だった。
何も見えなくなり、呼びとめる為の声も潰えた。
駆け廻った甘い毒はクレスの意志を無視してどこまでも体を蝕み、抵抗する術の全てを消した。
何も出来ず、呻き声すら上げず、ただ無力を噛みしめ、そして意識は深いまどろみの中に落ちた。
そこでクレスは妙な感覚に陥っていた。
凍てつくような、どこまでも堕ちていく深淵。
抜け出す術など無いほどに思えるほど、深く深く、それでいて妙にまとわりつくのに触れられない空間の中で、何故か懐かしい気分に晒されたのだ。
理由は分からない。
だが、確かに感じたのだ。
己であり、己でないものを。
そして気付いた。
この場所はいずれは巡り合う定めであり、それを拒む事を選択したが故の空間だと言う事を。
絡みつくような空間は、見えず触れられないが故に、ただ茫洋と闇として漂っている。
これは矛盾だ。
今へと続く筈のものである筈なのに、その発端が消失している。もう、見つける事が出来ない。
確証もなく、クレスはただそう感じた。
「──────」
そんな時、不意に声が聞こえた気がした。
耳では無く、不思議と心に飛び込んでくる声。沁み渡る様に届くも、決して伝わらない。
この感覚は二度目だ。
不可解な声は果たして“声”なのか。
言語により意思を伝えるほど高尚なものでもなく、動物のように原始的なものですらない。
波風のように一瞬だけ心の中が震え、自身が“声”だと認識しただけ。それだけのことだ。
クレスは確かめる為に問いかける。
なんなんだお前は?
「──────」
何が言いたい?
「──────」
何を伝えたい?
「──────」
波打つ声は荒立つ事もなく、一定のリズムのみを刻む。
クレスに対し何かを訴えたいらしいのだが、何を言いたいかはサッパリ分からない。
もともとそういうものなのだろう。
クレスが選んだが故に、二度と巡り合う事が無くなってしまったのだから。
深淵はどこまでもクレスを誘う。底など在りはしないのだろう、指一本動かせないクレスは重力に引かれるように下へ下へと落ちてゆく。
その先に何があるのか、知る筈もない。
それなのに、不思議と予感だけはあった。
「──────」
ほら来た。
成程、そういう事か。
響いた声に、クレスは自身の認識が間違いでない事を確信した。
突如現れた回りの闇とは異なる何かに触れ、意味こそ分からないが、少しだけ本質が理解できた。
この闇は表へと出たかったのだ。
自らに溶け込み、器の中へと納まりたかったのだ。その為に周りを漂い常にきっかけを探していた。
だが、それもいずれ来る覚醒と共に忘れてしまうだろう。
これは己が異端であるが故の証明であり、ありえる筈の無い奇跡であるのだから。
ならばせめて、今だけは覚えておこう。
エル・クレスという人間であって、そうでなかったもの。
選び取ったが故に辿りつく事もなく、得体の知れない闇として漂うしかなかった、数多の<時>よ。
その残滓に触れ、自然と言葉が浮かんだ。
「おかえり」
その言葉に、残滓の一つが輝きを放った。
◆ ◆ ◆
ウォーターセブンのブルー駅には、政府専用の海列車<エニエスロビー行き>が煙を吹かし待ち構えていた。
予定ではもう間もなく、CP9が任務より戻り次第、出発となっている。
その海列車の中で、ロビンは座席に座り、ぼんやりと何を見るでは無く窓の外に見える海を眺めていた。
死に向かいつつあると言うのに、妙に心が澄んでいる。激動とも言える人生の終幕を悟ったからかもしれない。
甦るのは、今まで過ごしてきた思い出だ。
辛い事の方が多い筈なのに、楽しい事ばかりが思い出せた。それだけが救いだった。
そんな自分を自嘲し、ロビンは小さく笑った。
もう列車が出る。夢が終わりを告げる時が来たのだ。
だが、ロビンの命運途切れない。
ブルー駅の物陰。
口にくわえた煙草には熱が灯り、吐き出される煙が強風の中をたなびく。
続々と役人達が海列車へと乗り込んで行くのを視界に入れながら、サンジは紫煙を燻らせた。
女の嘘は、許すのが男。
続々と役人達が海列車に乗り込むのを観察しながら、サンジはチョッパーに告げた言葉を改めて確信する。
仲間の動きは分からないが、今は己が取るべき行動を取るだけであった。
それと同刻。
伝わる筈の無かった真実は類稀なる運命により、海賊達へと届けられる。
燃え盛るガレーラカンパニー本社で九死に一生を得たナミは、同じく生き残ったアイスバーグより真相を聞かされた。
湧きあがるのは、喜び、嬉しさ、怒り。
ロビンは仲間を守り、最愛の男を守り、命を捨てようとしている。
迷いは消えた。ナミは奮起し、強く笑った。
時は一刻を争う。
まずはチョッパーを叩き起こし、クレスを探すように告げると、自身は吹き飛ばされたゾロとルフィを探しに走った。
そして、暗い地下倉庫の中。
毒に蝕まれたクレスは、血だまりの中に沈んでいた。
傷口より流れ出続ける赤い血が異常なまでに広がって行く。
その中でクレスは一瞬だけ身じろき、───尋常ならざる力で拳を握りしめた。
あとがき
お読みいただきありがとうございます。
今回は奮起の回ですね。原作通りのところがほとんどだったので、大幅に削らせていただきました。
クレスの設定をどうしようか最近まで悩んでましたが、吹っ切れました。
初期設定で行きます。
あと、私事で申し訳ないですが、おそらく今後の更新が遅くなるかもしれません。
出来るだけ早く上げられるように努力したいです。
次も頑張ります。
ありがとうございました。