町は完全な静寂に包まれていた。
人影は見当たらず、町の光も消えたウォーターセブンはまさにゴーストタウンと化している。
そんな不気味な静けさの中を、風の唸りと共に歩みを進める男がいた。
足取りはどこか重く、顔は青白い。服の合間から見える肌には幾重にも包帯が巻かれ、滲み出た血によって赤錆びのような色へと変色している。
だがその視線だけは、鉛にも似た鈍く狂的な光を灯していた。
ただ黙々と、目的のみを遂行する機械のように、男は歩みを進める。それだけしか、考えられないとでも言うように。
錆びた鉄と狂的な思考回路によって構成された機械人形。
そんな例えが浮かぶほど、男の姿は禍々しく、どこか痛々しい。
男の名を、エル・クレスといった。
第八話 「対峙する二人」
ガレーラカンパニーの警護はこの上ないほど厳重であった。
職人達は威信をかけ、総力を挙げてアイスバーグの自室を中心として警備網を敷いていた。
屋敷に侵入しうる入り口や窓はもちろんの如く、部屋へと至る全ての通路、更には屋根の上までも職人達が陣取り、暗殺犯を待ち構えている。
もし、何者かが侵入したとしても必ず誰かと鉢合わせる。そうなれば後は袋の鼠だ。
暗殺犯がどれだけ凶悪な力を持っていようとも、腕に覚えのある職人達が束となって戦えば勝てない道理は無い。
そして万が一、暗殺犯がアイスバーグが眠る部屋へと辿りつこうとも、その扉の前には、社内最強の五人の職長達が絶対的な盾となって立ち塞がる。
これは考えうる最高の警備体制であり、いかに職人達がアイスバーグを慕ってるかの証明でもある。
だが、そんな思いを打ち破る様に、暗殺犯は再来した。
始まりの合図は、派手なものであった。
突如、厳戒態勢にあったアイスバーグの屋敷に爆音が響き渡った。
「なんだッ!? 砲撃か!!」
「違う、中からだ!! あらかじめ仕掛けてあったんだ!!」
事前に設置していた時限爆弾は、外からの攻撃を警戒していた職人達にはこの上ない奇襲となった。
騒然とする職人達。規模こそは大きなものでは無かったものの、職人達の注意は巻き上がる炎を黒煙に向けられる。
その隙を付くように、仮装によって姿を隠した暗殺犯は現れた。
「行くぞ、屋敷の図面は頭に入れたな? ニコ・ロビン」
「ええ」
騒然とする屋敷を真っ直ぐに駆け抜ける影が二つ。
一つはクマの被りものを被った大男。
もう一つは、目元を覆うようなマスクと長いローブによって仮装した女性───ロビンであった。
「こっちからも誰か来たぞ!」
「二人組だ!」
作戦自体は簡単なものだ。
爆発の混乱に乗じ侵入し、陽動の一人が職人達を引きつけ、その間にロビン達が屋敷へと侵入する。それと同時にあらかじめ潜入していた二人も動き出す。
今頃、ロビン達の反対側では職人達をかき回すように陽動が暴れている筈だ。これにより職人達は二分されるだろう。
爆発の混乱の中、ロビンはクマの仮面の男と共に屋敷に向け真っ直ぐに駆け抜ける。
気付いた職人達が立ちはだかろうとするが、二人は相手にする事なく最低限の相手のみあしらい、あらかじめ定められたルートを進んだ。
「逃がすな、囲め!」
職人達の数は想定通りであったが、それでも多い。
作戦通りだとは言ったものの、目的地である“壁”に辿り着いた時は、壁を背にして幾重にも職人達に取り囲まれてしまっていた。
誰が考えてもロビン達の状況は絶対絶命だろう。背にした壁は厚く高い。逃げるならば空でも飛ぶしかない。
それは職人達も同じで、追い詰めたと確信したロビンとクマの仮面の男に一斉に銃を突きつけた。
「追い詰めたぞ海賊共ッ!」
「よくもこの厳重な警備の中、顔を見せられたもんだ!」
「さァ、素顔を見せやがれ……!!」
事情を知らない職人達の怒号に、ロビンは表情を変えることは無かった。
思惑通り、現在襲撃を行っているのは<麦わらの一味>という事になっている。今日起こる罪は全て彼らへと被せられる手筈となっていた。
その事に加担したとはいえ、相変わらずの非道なやり方に思うところが無いわけではない。
だが、そんな感情の一切を表すことなく、ロビンはクマの仮面の男が姿を覆い隠すように広げた仮装のマントの陰へと入り込んだ。
「何かする気だ、撃てッ!!」
不穏な空気を察した一人の合図により、突きつけられた銃口から一斉に弾丸が吐き出される。
弾丸は広げられたマントに無数の穴を開けたが、それだけであった。
職人達は目を疑った。ボロ切れとなったマントの向こうにある筈の、囲み込んだと確信した二人の姿が消えていたのだ。
そこにあるのは弾丸が食い込んだレンガ造りの壁のみであった。
暗殺者の襲撃により揺れる屋敷内に、先程まで屋外にいた筈のロビンとクマの仮面の男の姿はあった。
周囲の喧騒をまるで他人事のように感じながら二人は進む。
その過程で二人が職人達と鉢合わせることは無かった。
なぜならば二人は、まさに壁をすり抜けて進んでいるからだ。
<ドアドアの実>
触れた部分を例外なく“ドア”にする能力。この力の前には、如何なる堅牢な壁も意味を為さない。
クマの仮面の男はこの実の<能力者>であった。
職人達の警備は厳重だが、それはあくまでセオリー通りのものだ。
このように通路を無視して、壁から壁へと音もなく通過する方法など思いもよらなかっただろう。
「この壁の向こうよ」
「……よし」
ロビンは事前に記憶した屋敷の設計図より、壁の一点を指した。
男は頷くと、ロビンの指した壁にピタリと張り付いた。するとその壁に変化が現れる。
密着した男の体に沿い厚く固い筈の壁に切れ込みが入り、静かな音と共に開かれた。
その先にあるのは広く明るい部屋。
ターゲットであるアイスバーグの自室であった。
「……!」
未だベットの上で静養中のアイスバーグは、突如壁に出来た“ドア”より部屋の中へと入り込んだ二人に言葉を失った。
見れば、開かれた“ドア”は閉じるとまた先程のような“タダの壁”へと戻っている。
昨夜も同じ手口で侵入したのだ。故に侵入した形跡が見つかる筈もなかった
「……驚いた。いずれ来るとは思っていたが、まさかこんな手段だとは」
茫然と、アイスバーグは呟きを漏らす。
クマの仮面の男は鼻を鳴らし、ごく自然な動作で懐より銃を抜き、引き金を引いた。
銃声が響いた。
「ぐァ……ッ!!」
弾丸はアイスバーグの左肩を貫いた。
アイスバーグは崩れ落ち、ベットの上から転落する。
ただでさえ重体の身であるアイスバーグにはその一撃は重く、昨晩受けた傷まで開き始めていた。
「何を……?」
ロビンが眉をひそめる。
いずれは始末する予定であったが、今死なれては困る筈だ。
ロビンの問いに、男は冷淡に答える。
「喋る余裕がある者を、弱ってるとは言わないな。
名コックが下準備を怠らないように、約束の合図まで余計な行動を取らせなよう手を抜かず動きを止めておくのが“プロ”の仕事だ」
まな板の上で暴れられては困る。
当たり前の事のように男は言う。
「それが……CP9のやり方か……!!」
痛みにもがきながら、アイスバーグは言い放った。
「読みが良いな。その通りだ」
称賛するように男は肯定した。
「……悪ィ事したな、麦わらには。
やはり、アイツ等は関わっていなかったか……。そうだな……ニコ・ロビン」
もはや隠す意味もなくなり、ロビンは目元を覆っていたマスクを脱ぎ捨てる。
正体を現したロビンに、アイスバーグは鋭い視線を向ける。ロビンは慣れた様子で受け流した。
「気にする事も無いでしょう? あなたは昨夜私を見たという事実を言っただけ」
「それも、……作戦の内か。
とすると、外で暴れているのは、エル・クレスか」
手のひらで踊らされていた事を実感し、悔やむようにアイスバーグは歯を噛みしめる。
口の端からは血が流れ出ていた。
アイスバーグの勘違いは当然だろう。彼の持ちうる情報ではそう考えるしかない。
ロビンは否定の言葉を口にしようとしたものの、それを遮る様にクマの仮面の男が口を開く。
「お前を生かし、海賊共に罪を被せるには必要なことだ。
突然お前を殺してしまっても、おれ達の目的である“とある船の設計図”の在処がわからなくなってしまうからな。
アレは船大工から船大工へとひっそりと受け継がれて来た代物。お前が命の危機を感じれば、必ず誰かに託そうとする。
そして選んだ男が、一番ドック職長パウリーだった。今、彼の下に我々の同胞が一人向かっているところだ」
「全てはお前達の思惑通りという訳か」
クマの仮面の男は瀕死のアイスバーグに背を向けると、正面の入口へと向けて歩き出す。
「最後まで不備の無いように、おれは外の船大工の相手をしてこよう。
パウリーから設計図を奪ったら連絡が入る。その時点で、アイスバーグの命を取れ。
あとは事の真相を知ったパウリーを消して、任務完了だ。その後の罪は全て、麦わらの一味が背負ってくれる」
ロビンは無言のまま、了承の意志を示した。
◆ ◆ ◆
暗殺犯の襲撃に揺れるガレーラカンパ二―本社。
その近くの路地に、息を切らせながら走る三つの人影がある。
今まさにガレーラカンパニーを襲っている暗殺犯だと思われている海賊<麦わらの一味>のゾロ、ナミ、チョッパー、三人であった。
「まったくもー! 何でアイツはこう、助言という奴を聞けないの!?」
「何を今更……」
ここにいないルフィへと向け怒りをぶつけるナミに、ゾロが慣れたように答える。
爆発と共に行われたガレーラカンパニーへの襲撃を街路樹の上より眺めていた時、気が付けばルフィの姿が消えていたのだ。
行き先など考えずにもわかる。騒ぎの渦中へと向かったのだ。
もともと四人ともそのつもりだったのだが、唐突なルフィの行動にはいつも頭を悩ませられた。
「でも、今の騒ぎの中にロビンとクレスがいるかもしれないんだよな。
おれ達正面入り口に向かってるけど、慎重に行かないとダメなんだろ?」
「そうね。チョッパー、慎重に行かないとダメなのは確かだけど。
これって考えようによってはラッキーなのよね。ルフィが敵陣に乗り込む場合、器用に裏に回ったりすると思う?」
「「そりゃねェ」」
ナミの問いかけにゾロとチョッパーは即答した。
「きっと今頃、走るか飛ぶかで真正面から入り込んだはいいものの、どこへ行っていいか分からないで、船大工達に追われている頃だと思わない?」
「あァ、思う」
「思う思う」
ナミの予測をゾロとチョッパーは確実な事実として頭に思い浮かべた。
十中八九、ナミの言葉通りの展開になっている筈であった。
「船大工達から見れば、ルフィは“犯行一味”の主犯だもの。メインイベントが飛び込めば、みんなそっちに意志気が向くに決まってる。
つまり、真正面のガードはかなり手薄になっていると考えて間違いないわ。私達はその騒ぎの隙をついて、船大工達の中に混ざっちゃえばいいのよ!」
「成程、ルフィのおかげで絶好のチャンスってわけか」
ゾロはナミが正面に向かおうと言った理由に納得する。
上手くいけば、屋敷への侵入もかなり楽になるだろう。
「お前ら、覚悟はいいな」
屋敷にも近づき、ゾロはナミとチョッパーの二人にもう一度"覚悟"を問う。
ロビンとクレスを捕まえ、事件の真相を問いただす。それが、一味の下した選択であった。
このチャンスを失えば、もう二度と真実へと辿り着く機会が失われるだろう。ここで躊躇しては全ては闇の中だ。
だが真実を知ると言う事は、痛みを伴う事かもしれない。
もし、ロビンがサンジとチョッパーに伝えた事が本当ならば、ロビンが一味対しての<敵>となるのだ。
二人もその事を分かっているのか、ゾロに対し頷いた。
「クレスは……どうかな?」
「来る筈だ。真実はどうであれ、生きているならな」
前を向きながらゾロはチョッパーに答える。
サンジは生きている可能性が高いと断じたが、それはゾロも同じであった。
錯綜する情報の中で、クレスに関して考えられる可能性は二つ。
一つはロビンと分かれ傷を負った可能性。もう一つは未だ一緒にいる可能性だ。
正直なところ、クレスの状態に関する推測は立てづらい。
ロビンが嘘を言っている可能性も十分に考えられる。それほどに、クレスとロビンの別離というのは信じられないものだった。
だが確実なのは、生きているならば必ず今夜ロビンの下へと現れる。エル・クレスとはそういう男だ。
ナミとチョッパーには言わなかったが、最悪の場合としてゾロはクレスと刃を交えることすら覚悟していた。
「とにかく、行きましょう。
見て、あそこの塀! そこから入れるわ!」
「よし、乗り込むぞ! ルフィに続け!」
三人は一端思考を打ち切った。
真相がどうであれ、渦中にいるロビンへと辿り着かなければ何も掴み取れないのだ。
ゾロ達はナミが指した塀を勢いよく飛び越え、ガレーラカンパニー本社の敷地内へと入り込む。
「「「…………」」」
そこには何故かズラリと整列する船大工達。
予測とは異なり、ルフィによってかき回された様子は無い。むしろ無傷だ。
船大工達は真正面から入り込んだ三人組を見て、一斉に武器を抜いた。
「「「どこが手薄だァアアアアアア!!」」」
いの一番に飛び出したルフィは着地に失敗し、今もなお建物の間に挟まり悪戦苦闘しているのを三人が知る由は無い。
◆ ◆ ◆
「……ンマー、驚いた。
正直……ここでお前に会う事になるとは思ってもみなかった」
外からの喧騒が壁越しに響く、アイスバーグの自室。
広い部屋の中にはロビンとアイスバーグの姿のみがある。
床に座り込み、傷口を抑えながら、アイスバーグは冷たい瞳で自身を見下ろすロビンに対し口を開いた。
「どこかでお会いしたかしら?」
その妙な言い回しに、ロビンが問い返す。
「いや、昨夜が初めてだ。
だが、おれはずっとお前に会いたかった」
静かに、決意を固めるようにアイスバーグは呟くと、ゆっくりとした動作で懐に手を伸ばした。
「───!」
アイスバーグの不振な動作に、ロビンは素早く反応した。
次の瞬間、二人は互いに隠し持っていた銃を突きつけ合っていた。
ほぼ同じタイミングで突きつけ合った銃は、二人の間に硬直を生む。
「私を殺す為?」
「そうだ」
アイスバーグは強い視線でロビンを睨めつけた。
能力を用いたロビンの銃口は四つ。対しアイスバーグは握力さえ弱まった指での一つだけ。
打ち合いになればアイスバーグが圧倒的に不利であるが、その意志からは刺し違える覚悟さえうかがえる。
「お前が世界を滅ぼす前に」
アイスバーグの言葉にロビンは僅かに鼻白んだ。
「<歴史の本文>を求め、研究・解読することは世界的な“大罪”だと大昔から政府が定めている。それぐらい承知の筈だ」
「……なぜアナタが<歴史の本文>の存在を?」
「存在を知る程度なら罪にならん。
だが、世界中でその文字を解読できるのはお前一人だけだ。
だからこそ世界政府は、当時8歳という幼い少女だったお前の首と、共犯者であるエル・クレスの首に高額の賞金を懸けた。お前が唯一、<古代兵器>を復活できる存在だからだ」
それはロビンに懸けられた重く、理不尽な罪であった。
そしてロビンがクレスと共有した罪であった。
「<CP9>は実在の組織だったか……だとすればお前は既に<麦わらの一味>を離れ、<政府側>に加担している事になるな。
政府に追われ続けている奴らの行動にしては、いささか奇怪ではあるが、おれには関係ねェ話だ。
<歴史の本文>の解読によって<兵器>が復活すれば、それが持つ者が正義であれ悪であれ、結果は同じだ。世界は滅ぶ。過去の遺物なんて呼び起こすもんじゃねェんだ」
「そうね、そう思うわ。でも、大きなお世話。
私達が……いいえ、私がどういう形で<歴史>を探求しようとも、見知らぬあなたに口を出される筋合いはない」
自身の行動が生む潜在的な危険性。そんなことは分かっているのだ。
ロビンはアイスバーグの言葉を吐き捨てる。
「そうでもねェさ……おれもある意味お前と同じ立場だからな」
アイスバーグは驚きの事実を口にした。
「───おれァ、古代兵器<プルトン>の設計図を持っている」
「ッ!?」
古代兵器プルトン。
一撃で島一つを消したと言われる悪魔の兵器。
その存在は記憶に新しい。
砂の王国における<歴史の本文>に記され、七武海サ―・クロコダイルがその存在を求めロビン達を招き入れた。
その設計図を持っているという事実は、ロビンを驚愕させるには十分であった。
「プルトンとは遠い昔この島で作られた<戦艦>の名だ。
余りに強大な力を生みだしてしまったかつての造船技師は、万が一その力が暴走を始めた時、"抵抗勢力"が必要だと考え、その設計図を代々後世に引き継がせた。
政府はそいつを狙って……ついにこんな行動に出やがったのさ。その様子じゃ知らなかったみたいだな。知らずに協力していたとは、呆れたもんだ」
ロビンの中に流れた僅かな動揺をアイスバーグは悟る。
「おれに設計図を託したトムという男は、20年前"オハラ"の事件から逃げ出した幼子二人……特にお前の事をずっと気かけていた。
幼い姿はしていても、“オハラ”の思想を持った危険な子だとな。……だから、製造者の意志を汲んだおれにはお前を止める責任がある。
設計図の存在を政府に勘づかれた今となっては、本来ならもう燃やしちまった方がいいようなもんだが、それができねェのは───」
悲鳴を上げる身体を無視し、アイスバーグは引き金の先に力を込める。
「───お前が生きて、兵器復活の可能性が消えねェからだ!!」
だが、撃鉄が降りることは無かった。
引き金を引く寸前においてロビンの腕が咲いて、撃鉄を抑え弾丸が発射される事を防ぎ、身体を完全に取り押さえたのだ。
僅かな動揺は在ったものの、このような状況は圧倒的にロビンの方が慣れている。一般市民であるアイスバーグの考えを読むなど容易い。
アイスバーグは床の上に大の字で拘束され、その額にロビンの持つ銃口が突きつけられた。
「死ぬ前に言っておきたいことはそれでいい?
私を殺すのは結構。でも言葉を返すようだけど、私を殺して止めたとしても、あなたが今“設計図”を奪われてしまっては結果は同じよね」
「……じゃあ、もう一つだけ言わせてくれ」
アイスバーグは目を閉じ、静かな様子で告げる。
「作戦にハマったのは、お前らの方だ」
その直後、ロビンの下に電伝虫からの通信が入った。
内容は二つ。
一つ目の伝言は、アイスバーグが張り巡らせた予防策による障害。
そしてもう一つを聞いた時、ロビンの目が一瞬寂しげに揺らいだ。
「……来てしまったのね、クレス」
◆ ◆ ◆
数分前。
大混乱の屋敷へと向かい猛スピードで駆け抜ける男がいた。
服の合間からは赤錆びのように変色した包帯が見え、正体を隠すために装着した白い仮面は不自然に欠けている。
仮装を模したとすれば劇場の怪物であろうが、薄汚れたその姿からはその面影を感じない。
しかし、内包された禍々しさだけは本物であった。
「ッ!! 撃てェ!!」
その姿を見た職人達は即座に発砲した。
襲撃者が現れたと言うよりも、原始的な恐怖に耐えきれなかったからだ。
弾丸は仮面の男へと命中するも、その肌に触れた瞬間弾かれた。
「なっ! バカな!?」
「装甲か何かを着こんでるんだ! 露出した部位を狙え!!」
一人が冷静に指示するも、男の速度は凄まじく速かった。
一瞬のうちに銃を構えた職人達の傍を通り過ぎて置き去りにし、武器を抜いた大勢の中へと真っ直ぐに飛び込んだ。
「死にたくなければ道を開けろ」
仮面の男より発せられた言葉はとても容認できるものではない。
職人達は男の突進を阻むように立ちはだかる。
男はスピードを落とすことなく、むしろ一層力強く踏み込んだ。
「鉄塊“剛歩”」
その状況をなんと表現すればいいのか職人達には分からなかった。
立ちはだかった者のうち、男に触れた者全員が次の瞬間空を舞っていた。
その様子は例えるならば海列車に轢き飛ばされたかのようであった。
壁に風穴をあけるように、男は進む。
誰もその進行を止められない。職人達がそう感じた時であった。
男の前に割りこむように巨大な姿が入り込んだ。
「……そうはさせん」
入り込んだのは動物系能力者と思われる人物。その人物は目でとらえる事の出来ないほどの速度で腕を振るった。
仮面の男は驚異的な反射神経で身体を反らし、その一撃を回避する。だが、振るわれた腕の方が僅かに早く、男の仮面を砕ききた。
仮面が砕け、その姿が露わになる。
パサついた髪に、暗い目をした男だ。
「また会ったなネコ男」
「やはり来たか。遊撃に徹していたのは正解だったな」
その身に禍々しさを宿すのは、エル・クレス。
抑えきれない凶暴性を纏うのは、ロブ・ルッチ。
クレスは舌を打ち、自身の肉体を加速させる。ルッチは振るわれた拳に獰猛に反応した。
それは両者にとってそれは二度目の邂逅だった。
◆ ◆ ◆
「待て! 貴様、その意味が分かっているのか!?」
CP9からの通信が入り暫くの後、静かにロビンは立ち上がった。
そんなロビンをアイスバーグが怒声を上げ引き留めようとする。だが、ロビンは聞く耳を持たなかった。
これはロビン自身が選び取った選択だ。ここまで来て今更止められる筈もない。
「今の私にとってはそれは全てよ。その為ならその他がどうなっても構わない」
「バカなマネは止めろ!」
背を向け、部屋の窓へと向かうロビンに向けアイスバーグは銃口を向けた。
しかし、ロビンは振り返ろうともしない。
ロビンならばアイスバーグから銃を取り上げる事も容易かったが、それすらしない。
別に良かったのだ。ロビンはもはや自身の命にそれほどの価値を見出していなかった。
もし、アイスバーグがこの場で引き金を引き、放たれた弾丸が心臓を貫こうとも、それならそれでよかった。
しかし引き金が引かれることは無かった。
ロビンは窓の外へと跳び下り、アイスバーグの視界から消えた。
「………ッ!!」
自身でも理解できないほどの苛立ちがアイスバーグを襲う。
だが、その苛立ちをぶつける暇もなく、正面の扉よりクマの被りものの男が現れた。
当然だ。今の状態でアイスバーグを一人にする筈がない。
男は開け放たれた窓を見て無感動に呟いた。
「愚かな女だ」
◆ ◆ ◆
誘導されている。
能力を用いて“ヒョウ人間”となったルッチと戦いを繰り広げながらクレスはそう感じていた。
気が付けばというほど唐突でも無く、自身に背を向けるほどに露骨では無く、しかし確実にルッチはクレスをどこかへと誘おうとしている。
かといって、それが分かっていたとしても防げるほどルッチは優しい相手では無い。
「何のつもりだ」
ルッチの振るった魔弾と化した指先を避けながら、クレスは問う。
戦いは昨夜の続き。
命を削る戦いであり、殺し合い。
身体能力で上回るルッチに、クレスが全力で食らいつくと言ったもの。
だが、ハンデは昨夜以上だ。クレスの身体には完治しきれない幾多もの傷痕があった。
我ながらよく持たせている。そんな綱渡りにも似たギリギリの戦いであった。
「直ぐに分かる」
ルッチは獰猛な笑みを浮かべ、そう答えた。
この時、クレスは奥底に漂う不気味さを拭いきれないでいた。
誘導する理由ならば分かる。おそらく、CP9のターゲットであるアイスバーグの近辺から遠ざける為だ。
だが、その方角が不可解だった。ルッチが向かう先にはアイスバーグの自室のある筈なのである。
「貴様の目的がこの先にある事がな」
見え透いた挑発の言葉だ。
ルッチもクレスが目指すとすればアイスバーグの自室だと言う事は分かっていたのだろう。
今から強引にアイスバーグの部屋に向かう事も可能だ。
ロビンがこの作戦に参加しているならば、その姿はアイスバーグの部屋にあるだろうとクレスは考えていた。
だが、心によぎった妙な予感を拭いきる事は叶わなかった。
「剃刀」
クレスはあえてその挑発に乗った。
空間を切り取る様に滑空するルッチの後を、昨夜会得した技で追走する。
職人達が時折敵意を向けてくるが、クレスもルッチも気に留めすらしない。腕が立つとは言っても所詮は“職人としては”だ。<六式>を扱う二人からしてみれば、生きてきた環境が違う。
クレスはウォーターセブンでのルッチの立場を知っていたが、今更何もしようとは思わなかった。
真実を知った一般市民程度が何をしようとも無駄なのだ。CP9はそれら全てを力づくでもねじ伏せられる。
極論すれば、このような作戦自体が市民に対しての“配慮”なのだ。
「どこまで行く気だ」
クレスの問いかけにルッチは答えない。
ルッチが誘うのは、並び立つ屋敷の一角だ。
そこは二人が戦うにしては、少々狭い。
何が待つ。知らず、クレスの警戒心が上がり、そこに現れた姿に目を見開いた。
「───ロビンッ!!」
そこにいたのは、見間違う筈のはい幼なじみの姿。
深緑のローブを風に揺らし、感情を拒絶するような冷たい目でクレスの姿を視界に入れた。
だが、直ぐに視線を外し近く建物の中へと入り込んだ。
「さぁ、どうする。あの女を追うか? それとも再びおれと戦うか?」
ルッチは非情にも問いただす。
しかし、クレスはその声を聞く事すらなかった。
「やはり追ったか。さて、見物だな」
不意打ちのように姿を見せたロビンを追ったクレスを、何もする事なくルッチは見送った。
その顔につまらなさげな表情を浮かべて。
ロビンを追い建物の中に入り込んだクレスの先にあったのは、地下へと向かい続く階段だった。
他に行き先など無く、例え罠だとしても強引に壊し切る自信があった為、一瞬の逡巡の後にクレスは階段を飛ぶような速度で駆け降りた。
妙に長く感じた階段の先にあったのは、地下倉庫と思しき広い空間だった。
「……やっぱり来たのね、クレス」
その中心にロビンの姿はあった。
次の瞬間、不意を突くように真後ろの床からロビンの腕が咲き、クレスの脚を掴んだ。
「ッ!?」
硬直したクレスに飛び込んできたのは、銃声であった。
弾丸は逸れることなく真っ直ぐにクレスへと向かい、鉄塊をかけた身体に弾かれた。
「これが目的よ、クレス」
ロビンは確認するように言葉を紡いだ。
クレスは声を出せない。その可能性も考えていなかった訳では無かったが、それでも何を言えばいいか分からなかった。
冷たい、無慈悲な。
そんな“敵”に向けるような声色で、ロビンは言い放つ。
「アナタは今日ここで死ぬの。───私が殺すわ」