ウォーターセブンは“水の都”と呼ばれるだけあって、人々の生活には“水”が非常に密接していた。
町中に張り巡らされた水路はその最たるものだろう。
ウォーターセブンの水路の比率は、驚くべき事に陸路よりも多い。
水路は常に、水上バス、運搬船、商売船など、様々な目的の船が絶え間なく行き交い、にぎわいを呈している。
その中でも目を引くのが<ブル>と呼ばれる乗り物だ。
“ヤガラ”と呼ばれる、水上を行く馬にも似た魚類。このヤガラの上に人が乗る為の小舟のような鞍を取り付けたもの、それが<ヤガラブル>だ。
ヤガラはサイズ別に大きくなれば、“ラプカ”“キング”と呼ばれ、逆流や重荷などもものともしない優れた馬力を持ち、昔からこの地の人間の生活には欠かせない生物であった。
───ウォーターセブン表町商店街。
ウォーターセブンへと上陸したルフィ、ウソップ、ナミの三人は、島の入り口にあった<貸しブル屋>でブルを借り、空島で手に入れた黄金を持って、まずは換金所に向かう事にした。
ブルによって快適に水路を進み、やがて水路を中心に作られた商店街へと出る。
世にも珍しい、水の都の商店街に目を奪われる中、ルフィ達は奇妙な集団を見つけていた。
白く表情を伺わせない仮面を被り、豪奢な衣装を身にまとった集団だ。
見れば、町中にも同じような人々を見る事が出来る。
どこか神秘的な雰囲気すら漂わせる姿だったが、このウォータ-セブンの町中に溶け込んでいるようにも思えた。
「……さて、いよいよ“造船島”へ入るわよ。こっちね、“水門エレベーター”を使うみたい」
町の地図を広げたナミが水路の正面を指した。
そこには巨大な塔があり、エレベーターガールが水門の前で案内を呼び掛けている。
ルフィ達も門の中へと入り込み、しばらくすると門の入り口が閉じた。
この“水門エレベーター”は塔の中を水で満たす事により、水位を上げ、船を上の階層へと進めるといったものだ。
「おお~! おもしれェな、ウォーターセブン」
ルフィが声を上げ感心する。
やがてエレベーターの水位も上がりきり、ルフィ達はブルを前へと進める。
そのすぐ先に、ウォーターセブンの中心街はあった。
「着いた。ここが世界一の造船所、ウォーターセブンの中心街!」
「うぉ! こりゃでけェ!」
「スゲェ!!」
ウォーターセブン中心街。
遠目からも見えたが、近くで見ると改めてその大きさに圧倒された。
中心にはそびえ立つ巨大な噴水。
造船島の名にふさわしく、修理中、建造中の船や、それを吊り下げる巨大なクレーンも見える。
「なんだあそこ? 人だかりが見えるぞ」
ルフィが指したのは、造船所の前に出来た人だかりだった。
興味を持ったルフィ、ウソップが真っ先に向かって行き、ナミがその後を追った。
ブルを止め、陸地へと上がる。中心街は造船所が中心とあって、陸地の方が多い。
集まった人々はどうやら造船所で働く職人たちを見ているようだ。
「なぁ、おっさん、何かあったのか?」
「ん? ああ、この一番ドックでまた海賊達が暴れたらしくてな。まァ、結果は職人たちにノされて終わりよ」
ルフィが話しかけた男は造船所の職人たちに目を向け答える。
職人が海賊を倒したと言うのは、ルフィ達からしてみれば驚くべきことだった。
「<ガレーラカンパニー>の船大工達は住人皆の憧れの的さ。
強くて、腕があって。……彼らはウォーターセブンの“誇り”なんだ」
男は誇らしげにそう言った。
第三話 「憂さ晴らし」
───岩場の岬、ゴーイングメリー号。
ルフィ達が街へと向かい、メリー号にはクレス達5人残った。
いつもなら島に到着した時点でロビンを散策にでも誘うクレスなのだが、今は船の側壁に座り込んで、茫洋とした海を眺めている。
クレスは未だ迷っていた。この先どうするのかを、どうすべきかを。
普段と変わりないように過ごしているものの、根本的な部分でクレスとロビンの間にある亀裂が埋まるに至ってはいない。
クレスはロビンをこれまでのように守る事を望み、ロビンはそれを拒絶した。
これは二人の問題だ。
ロビンと二人きりになれば、その問題をいやようなく突きつけられる。それはロビンもまた同じだ。
そして、これからの身の振り方に対する選択もそういえる。
クレス自身明確な答えが出ていないのに、解決に至る訳がなかった。
「ロ~ビンちゃん! どうだい、おれと二人っきりでデートしない?」
クレスが重い問題で悩んでいた時、飛んでいけばいいと思うほど軽い声が聞こえてきた。
サンジである。
一瞬、クレスの額に青筋が浮かんだが、必死でクールダウンし、今日に限っては行動を起こすことはなかった。
誰かがロビンを口説けばムカつくし、殴りたくなる。
だが、それも何故自分はそう思ったのか。それを考えると妙に胸の内が騒がしくなる。
ただ、苛立ちだけは隠し切れず、漏れ出た殺気が空間を歪め、近くを通りかかっったチョッパーがビクついた。
「コックさん、町に行くつもりなの?」
熱心に口説くサンジにロビンがそう返す。
サンジがうんうんと頷き、クレスが憮然と表情を変えた。
「私でよければ、一緒に行かせてもらおうかしら」
ロビンの言葉が発せられて2秒。
「ひゃぁああっっほぉおおうぅううっっ!!」
「ちょ、ちょっと待てェ!!」
天国と地獄のように、真逆の反応が現れた。
クレスとしては、ロビンは断るものだと無意識のうちに期待していたので、予想外の展開に思わず声が出た。
その勢いで、クレスはロビンに理由を問う。
ロビンは曖昧な笑みを浮かべて、言葉を為した。
「少し、コックさんと町を見てくるわ」
はしゃぎ回っているサンジを深海まで叩き落としかねないクレスだったが、なんとなくロビンの考えに気が付いた。
「わかった。……楽しんで来い」
つまりは、互いに離れて考える時間が必要ということ。確かにその時間は必要だ。
有事の際も、サンジがいればある程度は安心である。最悪でも盾になればいい。
もしかしたら、サンジも気を遣ってくれたのかもしれない。下心が上回った可能性も高いが。
「……ただ、二人っきりはダメだ。トナカイ! お前も行け」
「おれ? うん、わかった」
サンジと二人っきりだけは許せないクレスだった。
「それじゃあ、行ってくるわ、クレス」
「ささ、ロビンちゃん、お手をこちらに」
「おれ、本屋に寄っていいか?
あ、サンジ、ロビンに近付いたらだめだ。クレスが言ってた」
サンジを近づけさせないように充分に説得(調教)したチョッパーに期待しながら、クレスはロビン達を送り出す。
その姿が、町の中へと消えた時、小さく息を吐いた。
答えというものは悩んだ末に出るものではない。
今の自分がどう思っているか、それを整理するのはそう簡単なことではないだろう。
しかし、選択だけは避ける訳にはいかないのだ。たとえ後悔がつきものだったとしても。
「オイ」
背後からかけられた声に、クレスは振り向く。
するとその眼に、飛来する物体があった。クレスはそれを受け取る。
酒瓶だった。
「付き合え、寝飽きた」
声の主は仏頂面のゾロ。
それはゾロなりの気遣いだった。
◆ ◆ ◆
───ウォーターセブン、中心街。
「さ、3億ベリー! 夢じゃねェのか……!?」
「空島の冒険が実を結んだわ! 大金持ちよ私!」
「私“達”だろっ!」
ウォーターセブン、中心街。
ルフィ、ウソップ、ナミの3人は一旦造船所を後にし、空島で手に入れた黄金を換金しようと、換金所へと向かった。
始めは足元を見られたが、ナミの脅しが効き、評定よりも多めの額を手に入れる事に成功する。
その額、3億ベリー。これだけあれば、メリー号を修理し、お釣りが出る額だ。
途中1億を水の中に落としかけたルフィを半殺しにしつつも、3人は換金したその足でシフト駅で貰った紹介状を頼りに、造船所へと向かった。
「おじゃましまーす!」
造船所に到着し、アイスバーグという男を探すため、ルフィが柵を乗り越え造船ドックへと入り込む。
造船ドックは職人たちが忙しく働いており、もちろん立ち入り禁止である。
ナミとウソップがため息をつき、ルフィを止めようとした時、
「おっと、待つんじゃ。余所者じゃな?」
ヒュッと、風のようなスピードで男が現れ、ルフィの前に手のひらを突き出し、工場内への侵入を止めた。
男は外に出るよう促すと、客であるルフィ達の話を聞く為に、自身も柵の外へと出た。
「あ~~どっこいしょ。このドックになにか用かの?」
アイスバーグという男を探している。
そう言おうとしたルフィ達だったが、男の顔を見て絶句した。
白きキャップ、丸い目、長めのマツゲ、そして長い鼻。
「ああ、ウソップか」
「おれはここにいるぞ、ルフィッ!」
「そうよ、この人四角いわ」
軽く混乱する3人に男は怪訝な顔をしたものの、自身の名を名乗った。
男の名前は、カク。ガレーラカンパニーの大工職だ。
「そうだ、アイスバーグさんに会わせて欲しいの」
混乱から立ち直ったナミが、ココロに貰った紹介状をカクへと渡す。
「ほう、シフト駅のココロばーさんの紹介状じゃな」
「知ってるの? アイスバーグって人」
「知っとるも何も、アイスバーグさんはこのウォータ-セブンの市長じゃ。
更に、ワシ<ガレーラカンパニー>の社長でもあり、<海列車>の管理もしておる」
「最強かそいつっ!?」
「まぁ、ウォーターセブンで彼を知らぬ者はおらんわい。
じゃか、あの人も忙しい人じゃしのぅ。お前達の話は要するに船の修理じゃろう?」
カクは確認を取ると、腰元に付けていた鑿を外し、その場でストレッチを始めた。
「船を止めた場所は?」
「岩場の岬」
「よし、じゃあワシがひとっ走り船の様子を見てこよう。
その方が、アイスバーグさんに会った時、話が早い。金額の話も出来るじゃろ」
メリー号の場所を聞き、様子を見てくると言うカク。
だが、入り組んだウォータセブンの道は、近道を使ったとしてもかなりの時間がかかる。
疑問に思ったウソップが<ヤガラブル>を使うのかと問うも、カクは笑った。
「ワハハハ、そんなことしとったら、お前達待ちくたびれてしまうじゃろ。まァ、10分程待っとれ」
カクはその場にしゃがみ込むと、クラウチングスタートの姿勢を取る。
そこから、地面が爆発したのかと錯覚させるほどのスピードで駆け抜けた。
瞬く間にルフィ達を置き去りにして、直進。
「ちょっと待って、そっちにあるのは絶壁!」
ルフィ達が今居る造船ドックは、ウォータセブン上層に位置する。
この階層を行き交うには専用の水上エレベーターを使うのが一般的だ。
ナミが停止を呼びかけたが、カクは既にその身を躍らせていた。
「ンマー、心配するな。奴は町を自由に飛びまわる」
「え、誰っ!?」
背後に現れたのは、青い髪と無精ひげの男と、髪を結い上げた秘書然とした女。
男は胸元のネズミの頭を撫でながら、心配するなと、軽い様子でルフィ達に言う。
「人は“山風”と呼ぶ」
風を掴む鳥のように、カクは手を広げた。
やがて重力に囚われ、近くの屋根に落ちるも、柔らかなバネで衝撃を吸収、そしてまた跳躍。
途中で、自身に向かって手を振る子供に手を振り返す余裕すらある。
ガレーラカンパニー、一番ドック、大工職職長、カク。
一際高いウォータセブン上層から吹き下ろす山風の如く、カクはまたたく間に町を駆け抜け、やがて視界から消えた。
◆ ◆ ◆
───メリー号、甲板。
「だから言ってるだろ? アイツはアレで意外と抜けてるとこがあるんだって。
遺跡とか本とか見だすとさ、それ以外視界に入らなくなるし、いつもの冷静さを失ったりすんだよ。そこがワリと可愛いとも思うんだけどな」
「いや、聞いたよ。分かったからもうしゃべんな」
「あァ? 酒に誘ったのはそっちだろうが、話ぐらい聞け」
「うるせェよ酔っ払い!」
「うぉッ、叫ぶな……頭に響く」
「コイツメンドクセェ」
愚痴にも似た話しながら、持っていた酒瓶を飲みつくし、クレスは次の酒瓶へと口をつける。
甲板には大量の酒瓶が散乱している。
酒豪のゾロとしては大した量ではないのだが、クレスにとっては適量を越えていた。
始めのうちは両者とも黙々と静かに飲んでいたのだが、酒瓶が三本目を越えた途端、クレスが酔っぱらい始めた。
いつもは自制して飲んでいるクレスだったが、今日はここ最近の鬱憤もあって、ハメを外してしまっていた。
質より量を重視した安酒を胃に流し終わり、クレスはふと静かな口調で言葉を為した。
「前に言った事があったよな。……信用はその内勝ち取るって」
聞くつもりはなかったが、ふと言葉が浮かび、酒の力かそれを舌に乗せた。
ゾロは変わらず酒瓶を傾けている。
クレスは続けた。
「オレ達は信用を勝ち取ったか?」
「……さァな」
ゾロはそっけなく答え、また酒をあおった。
それで中身が無くなってしまったのか、数回酒瓶を振って床へと置いた。
「だだ、これだけは言える。
てめェらが、この前の事で悩んでんなら筋違いだ。
おれ達は海賊だ。海軍には追われて当然。てめェが覚悟決めて海に出た以上、どこでどう朽ち果てようとも、てめェの責任だ。それがどんな事であろうともな」
余計な御世話だ。
クレスはそう言われている気がした。
ロロノア・ゾロ。この男は強い。力だけではなく、そのあり方も。
それは他の面々にも言える事だろう。
「……そうか、成程な」
クレスは表情を隠すように顔に手を当て、その後、何事も無かったかのように腰を浮かした。
ゾロも何か思うところがあったのか、胡坐をかいた状態から立ち上がる。
一瞬の沈黙。
次の瞬間、二人は同時に、クレスは腕を、ゾロは刀を突き出した。
甲高い音が響いた。
「……何のつもりだ?」
ゾロが鋭い目で問う。
「どうもこうもねェだろ、見たまんまだ」
クレスがめんどくさそうに答えた。
その顔からは先程までの酒気は完全に抜けている。<生命帰還>の応用により無理やりにアルコールを飛ばしたのだ。
二人の視線は合わない。
互いに背を向け、突如現れた目の前の人物達に目を向ける。
「酒席で油断しているように見えたが、そうじゃなかったな……」
ゾロに斬りかかった男が野卑な笑みを浮かべる。鉄鋼のアーマーを着込み、ゴーグルをかけた男だ。
クレスに襲いかかった男も同じような姿をしている。
辺りを見れば仲間と思しき人間が、目算で30人程。
ゾロは相手の刀を弾き、相手は慎重に距離を取った。
「誰だてめェら、名乗れ」
「名乗れって? <海賊狩りのゾロ>。
おれ達ァ、賞金稼ぎ。泣く子黙る<フランキー一家>だ!
てめェの6000万の首を頂いて、船内に待ち伏せ! そして一味全員一網打尽! ウハハハ、ぼろ儲けだ、ラッキー!!」
男は誇示するように刀を掲げ、それに合わせて周りの面々が喊声を上げた。
賞金稼ぎ<フランキー一家>の面々は、武器を構えじりじりと距離を詰める。高額賞金首とはいえ、大人数で囲めば問題ないと思ったのだろう。
クレスは目の前の賞金稼ぎの刀を受け止めながらゾロに問いかける。
「どうする?」
「てめェは休んでろよ。おれ一人で十分だ」
「いや……久々に暴れたい気分だ。等分でどうだ?」
「何人いんだよ。数えんのが面倒だな」
「じゃあ、簡単に早い者勝ちってのは?」
「悪くねェ提案だ」
「───おいおい、今の状況が分かってんのか?」
余裕すら感じさせるクレスとゾロの会話に、賞金稼ぎ達が苛立ちを見せ始める。
状況は誰が見てもクレス達の不利に見えるだろう。数の差というのはそれだけに絶対だ。
クレスに刀を突き立てている男が嘲るように言う。
「ハッタリなら止めとけよ、兄ちゃん。
アンタは賞金首みたいじゃないから、見逃してやってもいいんだぜ?」
「ご忠告どうも。だが、その言葉に従うほど、オレは優しくはない」
「なにィ……?」
クレスに刀を突き立てている男はある事に気がついた。
突き立てている刀は、袖の中に仕込まれた手甲などでは無く、直接肌に触れている。
にもかかわらず、全く肌を切り裂いていない。
男が一瞬困惑したその瞬間。
蛇のようにクレスの腕が蠢き、刃を直接手で握り上げた。
「まさかアニキと同じ……!!」
慌てて男が剣を引こうとするも、まるで空中に固定されたようにピクリとも動かない。
クレスは男の刃を掴むでは無く、握っている。
刃とは滑らせる事で切れ味を発揮する。通常、刃を直接握る状況で相手に刃を引かれれば、指を落としかねない。
しかし、男の刃は動く事すら敵わなかった。
「勘違いしてるだろ?
状況が分かってないのはお前達の方だ。
悪いな。いつもなら逃げてやる事もあるんだが、今日は別だ」
バキリと、まるで小枝でも折れたような音と共に、男の握っていた刀が折れた。
目の前の光景に呆然とし、男はただ折れた刃を見つめ続けるも、そこにある現実は変わりはしない。
「油断大敵だ」
そんな男に向けて、クレスは鋼鉄よりもなお硬い拳を叩きつけた。
男は錐揉みしながら、仲間を数人巻き込んで船の向うへと消えて行く。
それが合図となった。
「ぬおっ! 怯むな、やっちまえ!!」
フランキー一家が一斉に襲いかかる。
ゾロが素早く敵の中心へと踏み込んだ。刀を二本抜き、角に見せかけ構える。
「犀(サイ)」
突如目の前に現れるゾロ。
フランキー一家は慌てて手に持つ武器を叩きつけようとするも、既にゾロは身体を旋回させ、幾多もの斬撃を生んでいた。
「───回(クル)!!」
圧倒的な剣速にフランキ-一家は吹き飛ばされる。
一瞬にして数の差が縮まった。
「オイ、やり過ぎだ。オレの分も残しとけよ」
「早い者勝ちだろ?」
「なるほど」
言葉を為した瞬間、クレスは風のようにフランキー一家の間を駆け抜けた。
余りの速度と身のこなしに、誰一人その姿を捉えることはない。
烈風に身体を吹き飛ばされ、賞金稼ぎ達は胸元に一瞬だけ痛みを感じて意識を飛ばした。
「やっぱ止めねェか? 数が少なすぎる」
クレスは腕を払って血振りしながら、ゆっくりとフランキー一家へと振り向いた。
数はもう半分も残ってはいない。
「な、何なんだコイツ等っ!?」
二人の強さに慄き、背を向けて幾人かが逃走を試みる。
だが、そんな者達の前に、さっきまで後ろに居た筈のクレスが現れる。
「言っただろ? 今日のオレは優しくはないって」
「ひィ!?」
短い悲鳴を上げた男の顔にクレスの拳がめり込んだ。
クレスはそこから素早い身のこなしで地面を蹴り、二人目に裏拳を叩きつける。
「……やっぱ、最近溜まってたみたいだわ。すまんが解消させてくれ」
ポツリとつぶやき、クレスは拳を振るう。
その拳は機械じみたいつもとは違い、どこか乱雑。しかし、その分“血が通っている”。
クレスが移動した事により、フランキー一家はクレスとゾロの間に挟まれる事になった。
彼らにとっての退路は消える。どちらを取っても鬼門。
フランキー一家が返り討ちにされるのに、そう時間は掛からなかった。
◆ ◆ ◆
───ウォーターセブン、裏町商店街。
表町とは異なり、どこか静かな雰囲気のある裏町通りをロビン達は歩いていた。
広く長い水路を横手に、街路を沿うように店々が立ち並んでいる。活気があるのに静かな印象を受けるのは、この清らかな水路のおかげだろう。
聞こえてくる水音は染み渡る様に、心を落ちつかせた。
ただでさえ珍しい造りの街並みだが、それ以上に際立っているのは、町中を行く仮面を被った人々だろう。
表情の無い仮面は水の都と相まって、別の世界に誘われたような独特の雰囲気を醸し出していた。
「綺麗な街並みだね、ロビンちゃん! でもそんな街並みも君の美しさには敵わない。
あぁ、恋よ! 激しく悶える炎のように、僕の心を焼いて止まぬ恋よ! どうかその白魚のような手で僕に涼やかな安寧を」
「あ! サンジ、ダメだぞ、ロビンに近付いちゃ。クレスが言ってた」
「ってオイ、チョッパー! 邪魔すんじゃねェ!」
息を吐くようにロビンを口説きながら近づくサンジをチョッパーが遮る。
クレスに何をされたかは分からないが、番犬の如き忠誠心だった。
出鼻をくじかれまくったサンジは、ケッ、っとこの場に居ないクレスに唾を吐く。
「わっ! ロビン、何だアレ顔だらけだ!?」
街並みが珍しいのか、あちこちを見回していたチョッパーが水路上の露店を指した。
「仮面屋さんね。海列車で渡る島<サン・ファルド>で連日カーニバルをしてるらしいわ」
「あれ、何でそんなこと知ってんだ?」
「道行く人達が話しているのを聞いたの」
「そんなのよく聞こえるなー!」
「へェ、そうやって情報を集めるのかい?」
チョッパーと共に、サンジもまたロビンの言葉に感心する。
ロビンは少し困ったようにように表情を変えた。
「……クレスがそう教えてくれたの」
「ケッ!」
唾を吐くサンジ。
対しチョッパーは純粋に感心していた。
「へぇ~、クレスもすごいんだなー!」
「そうね……クレスは何でも私に教えてくれた」
それは身を守る為の術だった。
クレスは自身が感じた事や、知っておくべきことは全てロビンへと伝えた。
裏の世界の汚い姿を見せまいとするクレスからすれば、矛盾する姿だったが、今ならロビンは分かる。
それは、クレスが居なくなった後でもロビンが生きていけるようにする為だったのだ。
「トナカイさん、あそこに見えるのは本屋さんじゃないかしら?」
「あ、ホントだ! なぁ、寄っていいか?」
「ええ、行きましょう」
待ちきれないのか、チョッパーは全力で本屋に向けて駆けていった。
その姿を見つめ、ロビンはポツリとつぶやいた。
「ありがとう、コックさん」
「ん? 何の話しだい、ロビンちゃん?」
「今日の事。気を使ってくれたんでしょう?」
「まさか。おれは単純にロビンちゃんとデートがしたかっただけで、クレスの奴は関係ないさ。
ああ、後でチョッパーと一緒に買い出しに付き合ってくれるかい? 今日はロビンちゃんの好きなモノを作るからさ」
「ええ、分かったわ」
この一味はどんな場所よりも居心地が良い。
あの小さな船の上に、居場所があって、信頼できる仲間がいる。
それはロビンだけでは無く、クレスも感じている事だろう。
だからこそ。
この場所を守りたい。そして出来るならばこの場所に……。
「おーい! ロビン! サンジ! 早く早く!」
「たっく……チョッパーの奴、はしゃぎやがって」
「フフ……行きましょう」
手招きするチョッパーへとロビンは急ぐ事にした。
自然と口元がほころんでいるのが分かる。
少しだけ早足で本屋へと向かうロビンは、前方から現れた仮面を被った人物とすれ違う。
全身を仮装で覆い、年齢はおろか性別すら窺う事ができない人物だった。
「─── CP9です ───」
その時だった。
風に乗り、ロビンへと言葉が囁かれる。
特殊な発声法を用いたのか、傍にいるサンジには届いていない。
一瞬時が止まったかのような感覚に襲われ、ロビンはやけに肌寒い背後へと振り向いた。
「………」
そこにはただ、先程と変わらぬ街並みがあった。
人ごみに紛れたのか、それとも幻だったのか、仮面の人物の姿は無かった。
「どうかしたのかい、ロビンちゃん?」
立ち止り背後を振り向いたロビンに、サンジが問いかける。
「いいえ、……何でもないわ」
ロビンはただそう答えた。
◆ ◆ ◆
「悪くないな……憂さ晴らしも」
フランキー一家を一掃し、とりあえずの後始末を終えたクレスが酒瓶を傾ける。
悪くない酔い方だった。
「オイ、クレス、まだ酒ってあったか?
つーかてめェ、素面に戻れんなら直ぐに戻れや!」
「そう言うのは無粋って奴だろうが、アホ。
買い置きはまだあったぞ。ラウンジに行くなら、ついでに冷蔵庫を見てきてくれ、肴が欲しくなってきた」
「てめェが行け、と言いたいところだが、肴が欲しいのは賛成だ」
ラウンジへと向かって行くゾロを見送りながら、クレスは再び酒瓶を傾ける。
少しではあるが、何かが吹っ切れた気がした。
もしかしたら、簡単な話だったのかもしれない。
変わる事を恐れ、心の奥底で怯えていただけ。
時は流れ、全ては過ぎ去る。
変わるものもあり、変わらないものもある。
始めから選択は見えていたのだ。
ただ、それを選び取るだけの、覚悟が足りなかっただけ。
「だから───」
クレスは選択を下した。
失うものは大きいだろう。だが、これで構わないとも思う。
ロビンが帰ってきたらそう話そうと決めた。
今なら、真っ直ぐにロビンと向き合える、そんな気がした。
「……空になったな」
クレスは空に立った酒瓶を甲板に置き、立ち上がる。
そのままゆっくりとした歩調でラウンジへと向かう。無くなった酒と、欲しかった肴の調達だ。
サンジほどではないが、クレスもある程度は調理ができる。
後で間違いなく文句を言われるだろうが、甘んじて受けてやるつもりだった。
「随分派手に暴れるもんじゃのう」
そんなクレスの背後に、ストンという軽やかな着地音が響いた。
背後に感じた気配に、クレスが振り向き、ゾロがラウンジから顔を出す。
現れたのは、白いキャップを被った鼻の長い男だ。
「「なんだ、ウソップか」」
二人ともラウンジへと向かった。
だが、暫くして記憶にある仲間と微妙に違う事に気がついた。
鼻が四角い。
「ちょっと待て、誰だてめェ!?」
「おお、すまん。
ワシの名前はカク。ガレーラカンパニーの船大工じゃ」
そう言うカクの目が、一瞬だけクレスと交差した。