「おめでとう、誇りたまえ。
君は今この瞬間に、六つ全ての体技を習得し<六式使い>となったのだ」
もう20年以上も前の話だ。
今は無き考古学の聖地『オハラ』。
子供の頃のクレスは六式の基礎を全てを習得したその日に、師事を受けたリベルからこう言葉を贈られた。
「そりゃ、あんだけ死ぬ思いしたんだから……いつかは身につくもんだろ」
「はっはっは、イヤイヤ、まさか私もこんなに早く全ての技を習得しきるとは思いもしなかったよ。
身体能力の伸び具合に関しては私の予想通りだったが、こんなにも技のコツを掴むのが速いとは思わなかった」
「……ああ、オレも驚いた」
それはクレス自身も驚いている事だ。
リベルの言う基礎課程が終了し、本格的な技の訓練に入ってから僅か3日。
クレスはたった3日で六式の技をものにし、自在に扱えるようになったのだ。
「かかった時間は三日だったが、今にして思えば、一日で十分だったかもしれないな。
恐るべきことだ。一を言われ、十を理解する。俗な言い方をさせてもうと君は───天才だよ」
「やめろって、むずがゆい。
だいたいアンタ、才能だとかって、戦いの場では何の意味も無いとか言っていなかったか?」
「それでもだよ。私は君に敬意を表し、こう呼ばざるを得ないのだ。
私も色々な者達を指導してきた。だが、君のそれは今までで一番際立っている。まるでそれは……」
リベルはそこで言葉をとざした。
ゆっくりと首を振り、いつものように威厳を感じさせる笑みを浮かべた。
「とにかく、おめでとうだ。
君はこれで<六式使い>となり、更なる強さを手に入れた。
分かっているとは思うが、鍛錬を怠ってはいけない。君はまだスタート地点に立っただけなのだから」
リベルはクレスの頭に大きく逞しい手を置くと、少し乱暴に撫でまわした。
クレスはと「……やめろ」と言いながらも、為されるがままだった。
「……そうだね。では君に<六式>という武技の極めるべき姿を見せておこうと思う。
当然、これが終着では無い。武道という道においては、誰もが道中にいる。それは私も同様だ」
リベルはゆったりと重心の安定した歩みで、クレスの前方にある雑木林へと歩いて行った。
人ごみのように乱立する雑木林に目を向けながら、リベルはクレスに語りかける。
「───六式の技は六つ。その全てが積み重なる」
リベルは一直線に雑木林の中を駆けた。
恐るべきスピードだ。眼前にそびえ立つ木々があるのを知らない訳ではない。
なのにも関わらず、リベルは真っ直ぐに避けるそぶりも見せる事も無く、そびえ立つ木々へと向かって行った。
轟音が響いた。
猛スピードで走り抜けたリベルはそのまま木々に接触。
その瞬間、まるで鋼鉄の機関車のように樹木を跳ね飛ばした。
リベルは止まらない。自身の進路上にある全ての障害物を上空へと吹き飛ばしながら進み、クレスから五十メートルほど離れた所で惚れ惚れするような体捌きで反転した。
「<剃"剛歩">。……今の技は“剃”と同時に“鉄塊”の技術が要求される技だ」
息を飲むクレスの前でリベルは脚を一閃させた。
嵐脚“乱”。
幾多もの斬撃が舞い上げられた木々を切り刻み、無数の断片へと変えた。
「そして更に……」
リベルは再び歩を進めた。
雨のように降り注ぐ木々の断片の間を、阻まれる様子も無く真っ直ぐに。
緩急自在の体捌きで雨のように降り注ぐ木片の中を“剃”の速度で進む。
その姿はクレスの目には異質なモノに映る。
リベルは落下してくる木片を、風に舞う木の葉のようにすり抜けていた。
「そして今のが、<剃“葉歩”>。“剃”と“紙絵”の組み合わせだ」
リベルの後方で木片が全て大地へと落ちた。
落ちた全ての木片は規則正しく積み上がっており、クレスの前に小山のように鎮座している。
「六式における上位の技は他の技の技術が必要となるものもある。
基礎を絶対に怠らぬ事だ。六つの体技は結びつき、必ず君を強くする」
リベルは唖然としているクレスに向けそう言うと、少しだけ口元を緩め、積み上がった木片の前へと立った。
「それでは最後に、六つ全ての技を極めつくした者だけに許される技を見せよう。
俗に言う“奥義”というものだ。
想像してみたまえ。
剃、月歩、紙絵、鉄塊、指銃、嵐脚。
この超人的な六つの体技を操る肉体によって、この六つ全てをぶつけるような攻撃を放てばどうなるかを……」
リベルは両拳の内側を合わせるように身体の前に突き出した。
それはまるで身体の中心に据えられた砲台だ。
リベルは突き出した両拳を積み上がった木片へと突き立てる。
「よく見ておきなさい。そして刻み付けるのだ。心に、いや……君の魂とでも言うものに」
リベルの身体が蠢いた。
圧倒的な重圧がその場を支配し、クレスが思わず唾を飲み込む。
その瞬間全てが爆ぜた。
「……すげェ」
その光景は今もなお鮮烈にクレスの記憶に刻まれている。
第十九話 「奥義」
デービーバックファイト、第二回戦「ブラッティペイント」。
本来ならば4対4で競われる筈の競技は、異様と言ってもいい程の変質を遂げていた。
赤く染まったフィールド。
そこに突き刺さる幾本もの鉄串。
外野はなく、審判もない。
その舞台で争うのは二名の<ターゲット>のみ。
観客達は敵味方関係なく一様に息を飲んでいた。
「……なんだよ、コレ」
誰かが思わずつぶやいた。
彼らの視線の先は、命を削り合う決戦の舞台と化していた。
「オラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
「ハァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
獣のような咆哮が響き渡る。
殺気だった目に相手の姿を納め、己の全力を持って相手へと攻撃を仕掛ける。
そこに手加減や小細工といったものは一切ない。
全てが一撃必殺。
眼前の相手を打倒するという目的のみで戦い続けていた。
「──指銃ッ!!」
クレスの鋼鉄の如き指先がハリスを襲う。
ハリスはそれを暴風のような荒々しさを持って跳躍し、避けた。
その速度は先程までと比べ物にならないほど速い。
鉄串という重りを外したハリスの動きは劇的に変化した。
考えれば当然だ。
ハリスの持つ鉄串は一本一本が相当な重量を誇る。
鉄串は矛であるのと同時に、枷でもあったのだ。
その鉄串を全て投げ捨てれば、今まで押しとどめられていたハリス本来のスピードが発揮される。
その速度はクレスが思わず舌を巻く程であった。
「行くぜェ!!」
ハリスは重力を味方につけて、猛禽のように強襲を仕掛けた。
クレスはそれに反応し、嵐脚を飛ばす。嵐脚は空中にいる無防備なハリスに直撃。
しかし、ハリスはその事に一切頓着する事は無い。
それどころか、純粋故に禍々しい殺気を振りまきながら、嬉々としてクレスに一撃を加えた。
「獲串ッ!!」
心臓目掛けて突き出される鉄串をクレスは身体を捻り回避。
それと同時に、二発目の拳を叩きこむ。
鋼鉄の拳はハリスの顔面に直撃。だが、ハリスは怯む事すらなかった。
相変わらずの好戦的な笑みを浮かべ、右手に持った黒金の鉄串をクレスへと叩きこむ。
「──ッ!!」
黒金の串はまるで、獣のようなしなやかさを持っていた。
薙ぎ払われた一撃は鞭のようにクレスに絡みつき、深くその一撃を刻みつける。
黒串はクレスを鉄塊ごと吹き飛ばした。
「まだまだァ!!」
休む暇などない。
ハリスは右手に持っていた黒串をその場に突き刺すと、吹き飛ばされたクレスとの間合いを速攻で詰め、両腕で振り上げた鉄串を振り下ろす。
クレスもそれを黙って見ているつもりはなかった。
悲鳴を上げる肉体を無視しながら脚を横薙ぎに振り払う。
直撃は同時だった。クレスはハリスを吹き飛ばすことに成功するも、肩口には鉄串が深々と突き刺さっていた。
「痛ってェな……クソ」
クレスは肩口に突き刺さった鉄串を無理やりに引き抜いた。
抜いた瞬間、泉のように血が湧き出て来たが、クレスにそれを気にする余裕はなかった。
眼前には受け身を取り、即座に立ち上がったハリス。
ハリスは地面に突き刺さった幾多もの鉄串の合間を縫うように移動し、目についた鉄串を片っ端から抜き去った。
「鉄砲串“飛沫連投”!!」
鉄串の群れが弾幕となって飛来する。
辺り一面を埋め尽くす鋼の群れ。その一つ一つに爆発的な力が込められている。
「嵐脚“乱”!!」
クレスはそれら全てを嵐脚によって迎撃する。
鋼鉄の矛と真空の刃が打ち合わされ、二人の中心で火花が散る。
弾かれた鉄串は再び大地に突き刺さり、斬撃は大地を深く削った。
だが、その行方を当事者達は見ることはない。
二人は同時に地面を蹴り、中心において拳と鉄串を叩きつけていた。
「……そろそろ倒れたらどうだ?」
「バカ言うなって、これからが楽しいんだろうが」
右手同士。
両者引かぬ拮抗状態が生まれた。
「やっぱいいねェ、コレだよコレ。
血みどろで泥臭い、血肉躍る争い。やっぱ戦いはこうでないとなァ」
傷だらけの身体でハリスが言う。
クレスはそれに皮肉をこめた言葉を贈る。
「……さすがは戦闘狂だな」
ハリスの戦闘は凄まじいの一言に尽きた。
縦横無尽に駆け回り、地面に突き刺した鉄串を用いて次々に攻撃を繰り出す。
小技も作戦も無い。ただ戦闘本能の赴くままに、烈火のような攻撃を浴びせ続ける。
恐るべきことに、ハリスには防御という観念を完全に捨てていた。
その為、力の全てを相手を打倒することのみに注ぎ込んでいる。
当然、クレスからの反撃は免れない。だが、ハリスが傷つくその程に、動きは激しさを増した。
「まったく、呆れた頑丈さだ」
「それはお互い様だろ?」
称賛するようにハリスはクレスの身体を指す。
クレスの防御は、鉄塊に加え、紙絵を習得したことによりその精度をさらに上げていた。
紙絵で回避し、鉄塊で受けきり、両方を用いて逸らす。
だが、ハリスの戦闘スタイルは、クレスに鉄塊を用いての防御を許さない。
10年の歳月を経て、変化したのはハリスもまた同じだ。捨て身での全力攻撃はクレスの鉄塊を打ち破った。
「さァ、もっと楽しませろや」
「……オレはもううんざりだよ」
二人は同時にもう片方の手で相手を打ち付けた。
衝撃が弾けた。
またも、拮抗。その威力に二人の立つフィールドの方が耐えきれずに僅かに沈む。
「ハァアアッ!!」
ハリスは目を見開き、力任せにクレスを押し切ろうとした。
だが、ハリスがクレスを押し切るより速く、まるで蛇の如く腕の合間をクレスの脚がすり抜けた。
クレスの脚はハリスの顎を強かに蹴り上げ、打ち上げる。
さすがのハリスも、予想外の攻撃によろめいた。
「鉄塊“鎚”」
クレスは振り上げた脚を勢いよく振り下ろして、踏み込んだ。
まるで振り子のように、クレスの身体が回転。遠心力を味方につけ、ハリスに向けて強烈な踵落としを叩きこむ。
鈍器と化したクレスの踵は叩き潰すようにハリスに直撃。踵はハリスの後頭部を蹴り砕く。
更にクレスはそこから強烈な飛び膝蹴りを繰り出し、ハリスの顔面に叩きこんだ。
掴み取った連撃のチャンス。
当然、クレスは逃すつもりはなかった。
「指銃“閃輪”!!」
クレスの指先が唸り、幾多もの突きが放たれた。
その軌道は一瞬のうちに輪を描き、最後にその中心を渾身の突きが貫く。
「嵐脚“菊先”!!」
止めとばかりに、襲脚がハリスに直撃し、斬撃がその身体を走る。
連撃に次ぐ、連撃。
会場の誰もが息をのんだ。
「痛っっってェなこの野郎がァ!!」
だが、ハリスは倒れる事無くうっとおしげに鉄串を振り払った。
クレスは剃によって後ろに退き回避。ハリスは後退したクレスを視界に入れながら、気だるげに首の骨を鳴らす。
そしてハリスは再び突き刺さっていた鉄串を抜こうとする。
だが、その途中で不快げに眉をひそめた。
「あ~あ、べっとりじゃねェか」
そう言うと、自身の血まみれの上着に手をかけ、引き千切るように脱ぎ去り、それをゴミのように放る。
ベチャリと、派手な水音を立てながら上着は地面に落ちた。
ハリスはそれを気にする事も無く、ごく自然な動作で鉄串を抜いた。
余りの光景にクレスの口からため息が漏れた。
「……おいおい、どんだけ鈍感なんだよ。限度ってもんがあるだろ」
ハリスは鼻を鳴らす。
「鈍感だと? 何言ってやがんだ、痛みならちゃんと感じてるぜ。
傷つけ、傷つけられ、殺って、殺られるのが戦場だ。それなのに痛みを感じねェのはもったいないじゃねェか。
だが、今のはさすがに倒れるかと思ったわ。いい感じの傷だったな。だが、まだまだ足りねェなぁ……」
ハリスのあっけからんとした答えにクレスは絶句する。
「ガキの喧嘩から戦争まで、戦いってのは例外なく傷つくもんだろ。
痛みに戸惑う事が馬鹿げてる。だってそうだろ? オレはまだ戦える。まだまだ戦える。
ならそんなことどうでもいい。四の五の考えずに戦えばいい。
綺麗に勝つ必要なんてねェ、どれだけ傷つこうとも泥にまみれても、最後に立っていれば勝ちだ」
ハリスは再びクレスの喉元に鉄串の切っ先を向けた。
「まだまだ付き合ってもらうぜ。
せっかくおあつらえむきの戦場になったんだ。トコトンやろうや。
オレはてめェを倒したい。てめェもそうだろ? ならおしゃべりはこの辺にして、とっとと殺ろうぜッ!!」
「……呆れた男だ。だが、お前に付き合う義理は無いな」
クレスの身体が静止状態から急激に加速する。
その急激な変化は対峙するものを惑わせる。
爆発的な脚力を持ってクレスは駆け、直進していたハリスの頭蓋を握り潰すつもりで掴み上げた。
それとほぼ同時のタイミングで脚を払い、ハリスの体勢を崩れた瞬間に地面へと思いっきり叩きつけようとする。
だが、流れるようなクレスの動きにハリスが無理やりに入り込んだ。
ハリスはクレスの動きに即応し、手に持った鉄串を突き刺そうとしてきたのだ。
鉄串はクレスの横腹を突き刺す。
激痛が走った。
しかし構わず、クレスは掴み上げたハリスを頭を中心にして大地に叩きつけた。
「───我流“寝頭深”!!」
衝撃にフィールドが揺れる。
ハリスは顔を中心に半ば地面に埋もれるように倒れ込んでいた。
我流“寝頭深”。
この技はおそらくハリスにとって最も効果のある技に思われた。
叩きつけ。
これはクレスが今まで行った、打撃、斬撃、刺突、どの技とも性質が異なる。
固い地面に叩きつけられれば人間の体などひとたまりも無く、なおかつ地面に伏したと言う事実が相手を苛む。
人体は起きあがるのには意外なほどに力を使う。傷を負った人間ならなおさらだ。
もしハリスに意識があったとしても、全身の傷が彼を大地に縫い付けているだろう。
だが、そんな常識的なクレスの予測はいとも簡単に打ち砕かれた。
「痛かったぜ」
いとも容易く。
傷だらけの身体を躍動させ、身体のバネのみでハリスは起きあがった。
そしてそのままの勢いでクレスに向けて鉄串を突き刺した。
「……ッ……アァ!!」
鉄串は驚愕により僅かに硬直したクレスを貫いた。
そしてクレスが反応するより速く、ハリスはクレスに強烈な蹴りを叩きこみ、鉄串の突き刺さった身体を吹き飛ばした。
「オラオラどうした?
油断してんじゃねェよ、動きが鈍ってんぞ」
顔を歪めながらクレスは身体に突き刺さった鉄串を抜いた。
「何て奴だ……!!」
走る激痛を必死で押さえこみながら、クレスは憎々しげに言葉を為す。
クレスの中に手ごたえはあった。
先程の一撃で倒せていても不思議ではない。
だが、ハリスは倒れない。
その姿は傷だらけで、立つどころか死んでいてもおかしくは無いほどなのに、一向に倒れる気がしなかった。
果たして、この男を倒す事が出来るのか。そんな疑問さえ浮かびそうだった。
「なに不思議がってんだ。
簡単な話だろ。オレを倒すにはまだまだ不足だった、それだけのことだろうが。そんな攻撃じゃ、オレは倒れる気がしないね」
ハリスにはもう一つ、まことしやかに囁かれる異名があった。
<不倒の怪物(アンデット)>
それが<串刺し>ハリスのもう一つの姿だった。
自身の血、相手の血で身体を赤く染め、闘争本能のままに戦う。
決して退かず、倒れない、闘争の化身。
己が満足するその瞬間まで、戦いを快楽とし戦い続ける。
「さて、続けようや。
オレをもっと楽しませろ、エル・クレスッ!!」
再度、ハリスはクレスに向けて戦いを仕掛けた。
「分かった……いいだろう。
とことんやってやるよ。覚悟しろコノ野郎ッ!!」
そして拳と鉄串が打ちあわされ、無数の火花が無秩序に散った。
手負いの獣よりもなお凶悪に猛攻をくり返す。
クレスはハリスの攻撃を六式の妙技を用いて精確無比に対処する。
だが、いくらクレスが的確に反撃しようとも、ハリスが止まる様子はない。
ハリスはクレスの鉄塊を打ち砕き、反撃に出ても直撃を受けた上で、全力で攻撃してくる。
「ハハッ!! ハハハハハハハハハハッ!!
いいぜいいぜいいぜッ!! 楽しくなってきやがった!!」
「うるさい口だ。後何発入れたら黙るんだお前はッ!!」
「さァねェ!! やれるだけやってみろや!!」
もう何度か分からぬほどの激突を経て、二人はフィールドの両端へと吹き飛ばされる。
傷はさらに増え満身創痍。
だが、依然として両者の瞳は鋭い光を放っている。
「仕留めたい敵と、疼く痛み……!!
やっぱお前は最高だわ。礼と言っちゃなんだが、特別にいいものを見せてやるよ」
ハリスは地面に突き刺さっていた黒金の鉄串を抜いた。
それはハリスの持つ武器の中で最も優れた名槍だ。
一流の戦士が使えば、強力な武器の性能は何倍にも跳ね上がる。
ハリスは節操無く鉄串を片っ端から使い潰すが、やはりこの黒串だけは別のようだ。
「注意しなッ! コイツはちょっとばかし強烈だぜ!!」
一瞬で距離を詰め、唸りを上げ横薙ぎに払われる黒串。
クレスはそれを渾身の鉄塊で受けとめた。
肉を抉り取られるような強烈な一撃。その攻撃は鉄塊の上からもクレスを痛めつけた。
だが、歯を食いしばりクレスはそれに耐える。
既に身体は限界に近い。だが、それでも倒れるわけにはいかなかった。
かろうじての均衡を持ってハリスの鉄串は食い止められる。
クレスが反撃に転じようとしたその時、
「───食い千切れ、“ザグール”!!」
──ゾワリ。
鑢で背中を削られたような悪寒。
クレスが反応するよりも早く、鋭い痛みがクレスの横腹を襲った。
何故。
クレスの脳裏を疑問が襲う。
黒串は確かに腕で受け止めた。
ならばこの横腹に感じる、痛みの正体は───
「───鳥!?」
クレスの横腹には、鋭い容貌の黒鳥が喰らいついていた。
見ればその首はハリスの持つ黒串の先端から伸びている。
「ッ!!」
鳥葬などでも知られるように、猛禽が肉を啄む力は凄まじい。
クレスは咄嗟に食らいついて来た黒串へと拳を振るう。
だが、それはハリスから見れば決定的な隙だった。
「貰ったァ!!」
ハリスの鉄串がクレスへと突き立てられた。
直撃を受けクレスは吹き飛ばされる。
鉄塊の防御は奇跡的に間に合ったものの、その上からでもなお強烈なダメージだ。
一瞬、視界が霞み倒れそうになる。
だが、クレスは気合と共に何とかそれを持ち直した。
「悪ィ、不意打ちになっちまったな」
宙を舞う黒串。
黒串はそのまま重力に引かれ地面に突き刺さる──そう思われたその瞬間、黒串から巨大な翼が飛び出した。
続いて鋭い鉤爪が生まれ、黒串そのものが鋭い流線形の肉体へと変態を遂げる。ついには、巨大な大鴉へと変化した。
「トリトリの実、モデル“大鴉(レイヴン)”」
ザグールと呼ばれた黒串は翼を羽ばたかせ、主人であるハリスの下へと戻った。
見れば全長は1メートルは裕に超えている。翼を広げたその姿は3メートルはあった。
「悪魔の実……武器に食わせたのか」
「まァな。こっちに来てから海賊とやり合って手に入れた。
能力者になる気なんてサラサラ無かったから、ものは試しと武器に食わせてみた訳だ。コイツがなかなか話の分かる奴でな、オレに似て戦好きだぜ」
ハリスが前方に腕を差し出す。
すると傍に控えていたザグールは元の黒串となってハリスの手に納まった。
ハリスはその切っ先をクレスへと向ける。
その瞬間、けたたましい鳴き声と共に、黒串から巨大な翼が生え、先端が鋭い嘴へと変わった。
「んじゃ、紹介終わりってことで、さっさと続きを始めようぜ」
「いいだろう、まとめて叩き潰してやるよ」
クレスはフィールドを駆けた。
瞬く間に肉迫するクレスに対し、ハリスは手に持っていた黒串を投げつける。
「鉄砲串“鴉舞”」
ハリスの手によって爆発的な加速を受けたザグールは自身の羽をもって更にスピードを増した。
「剃“剛歩”ッ!!」
それに対しクレスは無理やりに正面突破を試みた。
鉄塊で硬化された肉体での剃。
今のクレスに触れれば、その瞬間に弾き飛ばされるだろう。
野生の勘か、それを察したザグールは上昇し、クレスとの接触を回避する。
その代わりに真正面から鉄串と共にハリスが突っ込んで来た。
「オラァアア!!」
真っ直ぐに突き出される鉄串。
だが、それがクレスとぶつかる事は無かった。
クレスはぶつかるその瞬間、踏み込んだ左足を軸に身を伏せるようにして回転。
ハリスの攻撃を避けると共に、強烈な足払いを仕掛けたのだ。
その妙技にハリスは翻弄され、体勢を崩される。
「“落葉”ッ!!」
そのハリスに対し、クレスは追撃を仕掛けた。
だがその瞬間、眼前が黒く覆われる。
ザグールがクレスの視界を隠すように飛来し、羽を広げたのだ。
「コイツ……!!」
鴉の知能は高い。
その場の環境に応じ、人間顔負け知恵をつける。
そしてザグールはこと戦場においても、それを発揮した。
「ぐッ!!」
鋭い焼け付くような痛み。
広げられた羽の向うから、リーチで勝るハリスの鉄串が突きたてられる。
クレスはそのまま攻撃を敢行するも、ハリスは既にその身を躍らせていた後だった。
「残念だったな」
聞こえたのはクレスの背後から。
同時に横薙ぎの一閃がクレスに襲いかかった。
防御も間に合わずクレスは弾き飛ばされ、フィールドの中を転がった。
「……ッ……ぐァ……」
クレスの肉体は限界だった。
幾多もの傷を受け、なおかつ全力で動き続けた。
その蓄積は当然のごとく人体を苛む。ハリスのように動けるのが異常なのだ。
「おいおい、もうバテたのか? もっと楽しもうぜ」
負傷度で言えばハリスが上なのに関わらず、まるでそれを感じさせることは無い。
全身を血で汚しながらも、狂気にも似た禍々しさを全身から発散させ続ける。
「……言って…くれる」
引きずる様にクレスは身体を持ち上げた。
そしてうっすらと悟ってしまった。
───このままでは、ハリスを倒し切ることは出来ないと。
甘く見ていた訳ではない。
手を抜いた訳ではない。
単純な話だ。
ハリスの異常性はクレスの想像を大きく上回っていたのだ。
それに加え、ザグールの能力がクレスの不利に拍車をかけた。
「……だが、負けるわけにはいかない」
息が自然と荒くなった。
やけに心臓の音が大きく聞こえる。
クレスは負けられない。負けるわけにはいかない。
実戦ならば逃走も許されるが、今回はゲームだ。引き分けなど存在しない。
ハリスを倒すには、ハリス自身に敗北という事実を突きつけるしかない。
クレスはゆっくりと両拳の内側を合わせるように身体の前へと持ち上げた。
「悪いがもうお開きだ。付き合いきれん」
「ハッ、そうかい、つれないねェ。
まァいいだろ、次の一撃で引導を渡してやるよ」
ハリスが腕を上に伸ばす。ザグールがその腕に止まり、黒串へと姿を変えた。
ハリスはそれをクレスの心臓目掛けて突き出した。
すると、ザグールが翼を広げた。
「楽しかったぜ。
後々面倒だから、くたばってだけはくれんなよ?」
「…………」
ハリスの軽口にクレスは答えなかった。
ただひたすらに、己の限界に挑むかのように集中している。
それを見てハリスの両頬が肉食獣のようにつり上がった。
間違いない。相手は次の一撃で決める気だと。
「見せてみな、てめェの力を!! このオレを倒して見せろよ!!」
獣の如く低い姿勢から、爆発的な勢いを持ってハリスが大地を駆ける。
そんなハリスをザグールが翼をはためかせ補助し、更に加速させる。
「猛串“獅子闘翼迅”!!」
心臓目掛けて突き出された鉄串。
突進と共に突き出されたのは、ハリスの持つ最強の刺突。
クレスは鉄塊で防御。しかし凄まじい威力に鉄塊は一瞬で打ち砕かれた。
「……六式───」
致命的なまでの窮地の場においても、クレスの心は静謐な水面のように澄んでいた。
クレスが放とうとするのは、幼き日に見た最強の体技。
試した事は無かった。
まだ自身は、極めるべきその姿に達していない。
だが、不思議と核心があった。
───必ずできると。
「これで最後だ、このまま貫いてやるよッ!!」
不倒の怪物が吼える。
ハリスを動かすのは異常なまでの闘争本能だ。
どれだけ傷つこうとも、本人が負けを認めるその瞬間まで、ハリスは決して倒れはしない。
回避、防御はもはや意味を為さない。
必要なのは攻撃。
だが、半端な攻撃ではハリスは決して引かない。
必要なのは絶対的な一打。
猛り狂う怪物を打ち付け、敗北を知らしめる、王者の破撃──!!
「───奥義ッ!!」
腕は両拳の内側を合わせるように前へ。
肉体は緊張を保ちながらも、程良く弛緩。
それは巨大な銃口だ。
己の持つ<六式>という最強の体技を打ち出すための、凶悪な銃口。
ハリスの鉄串は筋肉を打ち破り、骨を削り、内臓へと達しつつある。
貫かれるのももはや時間の問題だ。
──だが、関係ない。
今なすべき事は、己の持つ<最強>を叩きつけること。
クレスは意を決し、引き金を引くように全身を連動させた。
撃鉄が降りる。
頭から爪先まで、肉体を構成する細胞の一つ一つが爆薬のように炸裂し、中心に添えられた銃口へと集結する。
剃、月歩、鉄塊、紙絵、指銃、嵐脚。
エル・クレスという<六式使い>が持つ全てのポテンシャル。
それらは絶対的な衝撃となり、突き出された拳から今、放たれる。
「─── 六王銃ッ!! ───」
衝撃が駆け巡り、大気を震わせた。
心音を凶悪なまでに増強したような音。
静寂が支配する戦場で、その音は終わりを知らせる鐘のように響いた。
「…………」
鉄串を突き立てていたハリスの動きが不意に止まった。
口元から大量の血が吐きだされ、同様に受け続けた傷口から血が溢れだす。
零れ落ちるようにクレスの胸元から黒串が抜け、突き刺ささることなく転がった。
「……まさかこんな隠し玉持ってやがったとは」
苦しげながらも、どこか清々しさを感じさせる声だった。
瞳からは狂気にも似た闘争心は消えていた。
「……たっく、おかげで指一本動かねェ。
今までいろんなとこ巡って来たが、久しぶりだったぜ、こんなに楽しかったのはな。こういうのも嫌いじゃねェが、やっぱり……悔しいねェ」
そしてポツリと、
「……だが、悪くねェ」
そして満足げにハリスは倒れ込んだ。
クレスの一撃は彼に敗北を認めさせたのだ。
もはや原型を留めていないフィールドに立つのは一人のみ。
ゲームの終結を知らせる審判は無くも、勝負は決した。
<ターゲット>の沈黙により、
第二回戦「ブラッティペイント」──勝者、麦わらチーム。
あとがき
クレスVSハリス終結です。
そしてとうとう出してしまいました、六王銃。
今回は少し詰め込みすぎたかもしれません。
第四部はそろそろ終わりです。
次もがんばります。ありがとうございました。