第九話 「海賊クレスVS戦士カマキリ」
神の島(アッパーヤード)の深い森に金属と火薬の匂いが漂い始めた。
島のあちこちで、神官と神兵、シャンディア、そして麦わらの一味が三つ巴の戦いを繰り広げている。
それにもれることなく、クレスもまた立ち塞がるシャンディアとの戦いに臨もうとしていた。
「二対一か……いいハンデだな。先手も譲ってやろうか?」
敵は二人。
カマキリと呼ばれたモヒカンにサングラスの男と、牛の角のようなものをつけた巨漢。
軽口を叩きながらクレスは相手の武器を確認する。
カマキリはボード型のウェイバーと原始的な槍。まるで手足の延長のように槍を自在に玩んでいるところを見ると、錬度は相当高い。
巨漢の方はスケート型のウェイバーとショットガンに似た長い砲身の銃だ。ただ、空には“ダイアル”と呼ばれるものがあるため、ただの銃だと高を括るのは危険だろう。
「ハッ!! 言ってろ、青海人!!」
カマキリがボード型のウェイバーを強く踏み込んだ。
ボード型のウェイバーを足場にして大きく跳躍。クレスに向け、一気に飛び込んできた。
それと同時にもう一人の巨漢がクレスに向け、長い銃口を向ける。
クレスは軽く重心を落として、カマキリを待ちうける。
「ハァッ!!」
気合と共にカマキリが手に持った槍を突き出した。
重力を味方につけた一撃がクレスを襲う。
迫るカマキリに対し、クレスは浅い息を吐いた。
「鉄塊“剛”」
全身の硬化。
鋼鉄のごとく強度を上げたクレスの身体に、容赦なく心臓目掛けてカマキリの槍が突き出される。
金属同士がぶつかった様な音が響き、カマキリの顔が歪む。
「コイツ……!!」
「譲ってやったぞ、先手」
不意にクレスの姿が掻き消える。
“剃”による急加速。予想外の動きを見せるクレスにカマキリは一瞬虚を突かれた。
だが、カマキリとて部族の末裔。シャンドラの戦士。
研ぎ澄まされた戦闘感覚はクレスの動きを察知し、突き出した槍を急転換させ、自身の真後ろへと薙ぎ払う。
クレス顔に驚きが浮かんだ。風を切り裂き、唸りを上げるカマキリの槍。
だが、カマキリの槍は空を切った。
クレスは既に後ろにはいなかった。
「上だカマキリ!!」
仲間からの言葉に、ハッとカマキリは視線を上げる。
そこにはウェイバーも無く自在に空を飛ぶ青海人の姿があった。
クレスが空中を蹴りつける。爆発的な脚力は何もない空中ですらクレスを加速させる。
反射的にクレスの接近を阻もうと突き出されるカマキリの槍にクレスは腕を振るった。
突き出された槍はクレスに叩き落とされ、先端を地面に埋めた。
クレスは音も無く地面に着地し、拳を鉄塊で硬化させる。
「指銃“剛砲”───!!」
鋼鉄のクレスの拳が飛ぶ。
クレスの拳は無防備を晒したカマキリ胴へと突き刺さった。
カマキリの頭が下がり、くの字に身体を曲げ、地面を削りながら後ろに吹き飛ばされる。
「ぐッ……!!」
「もう一発」
苦悶に顔を歪めながらも、カマキリは勢いに乗って後退し体勢を立て直そうとする。
クレスは追撃を加えようと、大地を蹴った。
「そのまま下がれ、カマキリ!!」
離れていた巨漢が叫ぶ。
同時に巨漢が持っていた長い砲身が火を噴いた。
吐き出されたのは直径10センチ程の火の玉。辺りの空気を加熱しながら、火の玉はクレスとカマキリの間に着弾し、爆炎を撒き散らす。
咄嗟にクレスは反転し、後ろに跳んだ。
巨漢はスケート型のウェイバーを噴射させ雲の河から飛び降り、空中でクレスに向けて牽制弾を放つ。
広範囲にわたり破壊をもたらす火炎弾。肌に焼け付くような熱を感じつつ、剃を駆使し避け続けるも後退を余儀なくされる。
「……面倒なモノ持ってやがる」
巨漢の銃は“炎貝(フレイムダイアル)”を用いた火炎砲。
吐き出すのは、着弾すれば爆炎を撒き散らすグレーネード弾だ。
妨害の為、カマキリを仕留めそこなった。クレスは離れた場所で様子をうかがう。
「大丈夫か、カマキリ」
「ああ、大丈夫だ。少し油断した」
クレスに殴られた部位を抑えるカマキリに、クレスに銃口を向けながら巨漢が問いかける。
カマキリは患部から手を離して、口元から血の混じった唾を吐き捨てると槍をくるくると玩んだ。
「ウェイバーも無く空を自在に飛びまわり、身体を鉄のように硬化させる。話では脚から斬撃も飛ばしたんだったな。
なるほど……ワイパーに傷をつけただけの事はある。だが、あいつはまだ空の戦いを知らねェ。面倒な相手でも勝機などいくらでもでも作れる筈だ」
カマキリは穂先をクレスに向けた。
「行くぞ!!」
「オウッ!!」
カマキリは一直線にクレス向け走り込み、巨漢はクレスの後ろに回り込みながら、火炎砲の引き金を引く。
始めにクレスに届いたのは、吐き出される火炎弾。
クレスは体勢を低くしてそれを避けると、間髪おかずカマキリの鋭い突きが放たれた。
「ラァッ!!」
気合と共に放たれるカマキリの突きをクレスは硬化させた拳で受け止める。
同時に鋭く踏み込んだクレスを、カマキリは弾かれた槍を巧みに操り阻んだ。
拳と槍が打ち合い、甲高い金属音を奏でる。
「ハァッ!!」
「んん゛!!」
抉りこむような直線を描くクレスに、自由自在に槍を操るカマキリ。
確かな威力を持って放たれるクレスの攻撃を、緩急を巧みに使い分けカマキリは捌いていく。
突き出された拳を槍の穂先でいなし、槍を反転。石突を持ってクレスを打つ。
クレスは跳ねあげた膝でそれをガード。その場で身体を捻り、切り裂くような蹴りをカマキリに向け放つ。
カマキリはしゃがみこんでそれを避け、後ろに退いた。
「喰らえ青海人!!」
カマキリが引きつけてたクレスに巨漢が引き金を引く。
吐き出される火炎弾は真っ直ぐにクレスの下に迫った。
火炎弾はクレスの傍の地面に着弾。同時に辺り一面に燃え盛る炎を撒き散らす。
しかし、クレスは飛び上がってそれを避け、身体を捻り、巨漢に向けて脚を振り抜いた。
「お返しだ、コラ」
クレスの脚から幾丈もの斬撃が放たれる。
嵐脚“乱”。
クレスが放った嵐脚は逃げ場無き弾幕だった。
辺り一面を埋め尽くす斬撃にさしものシャンドラの戦士も狼狽する。
「ぐあああッ!!」
巨漢は降り注ぐ斬撃に晒された。
だが、瀕死に近い重傷を受けようとも膝を突くことは無かった。
巨漢は一矢報いようとあがきを見せ、火炎砲をクレス目掛けて放とうとする。
だが、その姿は既にそこには無かった。
「上だ!! 避けろッ!!」
カマキリの叫びに巨漢はぼんやりと上空を見上げた。
キラリと輝く太陽に、一瞬何かの影が差す。だが、彼がそれ以上の光景を拝む事は無かった。
彼の視界はクレスの掌によって覆われていた。
軋み悲鳴を上げる頭蓋。巨漢が悲鳴を上げるよりも早く、クレスは足を払い、宙に浮いた巨漢を無慈悲に地面に叩きつける。
「六式“我流”寝頭深」
クレスの圧倒的な膂力を持って、巨漢は地面に叩きつけられ、その身を大地に埋めた。
「まずは一人」
クレスは冷徹な視線を顔を歪ませるカマキリに向けた。
「次はお前だな」
大地に埋もれ沈黙する巨漢の傍にクレスは立つ。
クレスの言葉に表情を歪ませたカマキリはスッとその歪みを消し去った。
「やってくれる。……青海人め、覚悟しやがれ」
「大口叩くつもりなら止めとけ。
言っただろ? 先を急いでんだ。さっさと片付けてやるよ」
「ハッ!! 言ってろ……!!」
カマキリが槍の穂先に手を触れる。
固定されていた刃を抜き取り、その関節部に巻かれていた布を剥ぎ取った。すると中から、槍の先端に固定された“貝(ダイアル)”が現れた。
「受けてみな青海人!!」
カマキリがクレスに向け疾走する。
未知の武器にクレスは身構える。
空に育まれた文化は時にクレスの……いや、地に生きる青海人の想像を超える。
技術とはどの文明においても武器へと流用されるものだ。その島の技術が文化が高いほど、生産される武器の性能は跳ね上がる。
「───燃焼剣(バーンブレイド)!!」
カマキリが槍を振るう。
だが、その位置は完璧なまでに間合いの外。彼我の距離は10メートルはある。当然クレスに届くわけがない。
───筈だった。
「ッ!!?」
カマキリの持つ槍の穂先。
設置されたダイアルのその先端から、灼熱の刃が現れた。
噴き出す炎の刃は、余りの温度にまるで太陽のように青白く輝いている。
刃に薙ぎ払われた大地は焼かれ、生い茂っていた密林の芝生は全て燃え尽きた。
クレスは一瞬でその危険性を見出し、転がるように全力で避けた。
「何だその武器はッ!! フザけんなァ!!」
バネ仕掛けのように一瞬で立ち上がり、クレスはカマキリに向けて疾走する。この手の武器は間合いを詰めないと話しにならないのだ。
それを阻むようにクレスを焼きつくさんとするカマキリの燃焼剣が振るわれた。
振るわれるカマキリの燃焼剣をクレスはただ避けるしかない。鉄塊の防御はこの武器に関しては無意味と言っていい。
鋼鉄化したのはクレスの肉体。打撃、斬撃は弾けても、燃え盛る炎は防げない。
クレスとカマキリの距離は10メートル。クレスが前に進もうとすればカマキリがそれを押し戻す。
決して触れてはいけない刃にクレスは完全に攻めあぐねた。
「クソッ!! 軽々と振るいやがって!!」
「炎に重さがあるとでも思ったか?」
「だろうな!! コノヤロウが!!」
燃焼剣には重さがないのだ。
故に刃の長さなどものともせずにカマキリは軽々と振う。
「嵐脚“線”!!」
燃焼剣を避けながらクレスは嵐脚を放つ。
カマキリは自身に向かってくる斬撃に動揺する事も無く刃を振るい嵐脚を打ち消す。
その一瞬に出来た僅かな時間にクレスは全力で地面を踏み砕いた。
「鉄塊“砕”!!」
踏み砕かれた大地は礫となってカマキリを襲う。
「無駄だ!!」
カマキリはその全てを燃焼剣で焼き尽くし、返す刃でクレスに向けて燃焼剣を振るおうとして、その姿が消えている事に舌を打った。
「……隠れやがったな」
大樹の裏に隠れ、クレスはカマキリに見つからないように息をひそめた。
燃焼剣(バーンブレイド)。
まったくもって理不尽な武器だ。
振るうカマキリの技量も相まって一切クレスを寄せ付けない。
(さて……どうするか)
クレスは考えを巡らせる。
燃焼剣を受け止める事は不可能。
逃走も一瞬考えたが、カマキリ達が進んでいた方向を考えると、どうやら目的地は同じ方向だ。
となればここで片付けなければ、後々面倒なことになる。
(必要なのは、あのグラサンの武器に触れずに倒すこと)
これは絶対条件と言っていいだろう。
高温の炎そのものの刃など触れる気にすらならない。もし運悪く捕らえられれば……などとは考えたく無い。
だが、その条件も正攻法で攻めるのは困難だろう。
カマキリの技量は高い。そして燃焼剣の利点を十分に心得ている。
燃焼剣の利点はその威力と、重さのない刃によって間合いを完全に制する事だ。
近距離戦闘を得意とするクレスにとっては相性の悪い相手である。
だが、やりようはあった。
(オレの取れる手段は二つ)
カマキリに対してクレスが取れる有用な策は二つ。
一つは密林に紛れて隙を突く方法。
狩り用具を用いてカマキリを撹乱し、隙を見せた瞬間に一撃で仕留める事。
だがこれには大きな穴があった。
まず、手持ちの道具が少ないのだ。クレスの狩り道具はウワバミとの戦闘により大部分を消費してしまっている。
果たして、少ない武装でカマキリを欺くことが出来るのか。失敗すれば窮地に追い込まれるのはクレスの方だ。
(もう一つは……正面突破)
正面突破。
一番難しい手段だが、可能性はゼロでは無い。
クレスが扱う体技“六式”にその突破口は存在した。
───紙絵。
風に揺られる紙のように相手の攻撃を避ける技だ。
(……紙絵はあんま使わねェから不安なんだよな)
クレスはあまり紙絵を多用することは無かった。
幼いころの経験とクレス自身の性格が、相手の攻撃に晒された際の対応として回避では無く防御を選択させた事もある。
鉄塊によって相手の攻撃を防ぎ、カウンターの要領で相手の隙を突く。この戦闘スタイルがクレスの中では確立していて、基本的に戦闘で紙絵を使う事は無かったのだ。
そのためか、僅かに苦手意識すらついている。
だが、それでも鍛錬を怠っていた訳ではない。
昔、まだクレスが西の海に居た頃にその弱点を突かれ窮地に陥った事もある。
あれ以来、弱点の克服には当然取り組んだ。
もともとクレスは“眼”はいいのだ。相手の攻撃を見切る事は可能だ。
後は身体を連動させるだけ。
必要なのは、柔軟性、瞬発力、反応速度。
もともと紙絵とは、相手の攻撃に合わせ“自在に肉体を操る技術”なのだから。
「───そこにいるのは分かってんだ。とっとと出てきやがれ」
カマキリの声が森の中に響いた。
その声にクレスは一旦思考を中断し、ピタリと身を隠している大樹に張り付いてカマキリの様子をうかがう。
「いい事を教えてやろう青海人。
この『燃焼剣(バーンブレイド)』は“風貝”にガスを貯める事によって発生させた炎の刃だ。
察しの通り、斬れ味は抜群。炎だから重さは無い。おまけに“風量”を調節する事で刃のサイズを自在に変えられる」
カマキリは槍を肩に担ぎながら辺りを見回していた。
穂先からは相変わらず青白い灼熱の刃が噴き出している。だが、そのサイズはクレスと相対していた時に比べ格段に小さい。今は約50センチほど、元の原始的な槍と同じ大きさだ。
カマキリの言う通り、貝の出力によってサイズを自在に調節できるのだろう。
「つまりは───」
カマキリが燃焼剣を振りかぶる。
だが、クレスが狩りで猛獣相手に鍛えた隠遁スキルは完璧だ。
一切気配を発せず、周囲と同化し、来る瞬間まで待ち構える。しかも今は密林。そう簡単に見つけ出せるものではない。
カマキリにはクレスの正確な場所はわかっていない筈だ。闇雲に刃を振るってもクレスには届かない。
だが、彼の表情からは絶対的な自信がにじみ出ていた。
クレスの中で強烈な悪寒が走る。やけに心臓が脈打っている。
カマキリはさっき何と言った。
───刃のサイズを自在に変えられる。
実際、先程までは10メートルもの長さの刃を扱っていた。
無意識のうちに決めつけていたのではないか。初めて見る未知の武器にある種の固定概念を抱いていたのではないか。
カマキリは“あの瞬間”のクレスとの戦いにおいて適切な間合いにしただけ。
そもそも、風貝はウェイバーにも用いられているように、非常に強力な風を噴出させる。その力は海の上を人を乗せて進めるほどだ。
もし、それを最大風速で開放すればどうなるか。
「───こういう事だ!!」
カマキリが燃焼剣を振るった。
瞬間、取り付けられた風貝の出力が全力で解放され、青白い灼熱の刃が火山のように噴き出す。
クレスはなりふり構わず飛んだ。
燃焼剣に触れた大樹は豆腐のように易々と刃が埋まり、何事も無かったかのように通過した。
いくつもの大樹を巻き込んだが、その全てが同様にいとも簡単に刃を許す。
一薙ぎ。
まさに一瞬だった。
「この風の吹きつける全てが刃。───かくれんぼは終いだ」
燃焼剣を振り抜き、カマキリは勧告する。
ズルリと何かが脆くずれる音が連鎖した。
生い茂り、競う合うように成長した大樹達。そのことごとくが炭化した断面を中心に崩れ落ちる。
轟音が森に響き、一斉に燃焼剣が通過した一切が崩れ落ちた。
あれほど生い茂っていた密林は一瞬にして不自然に炭化した丸太が連立し、倒れた木々が立ち並ぶ開拓地へと変わってしまった。
「さァ……姿を見せやがれ」
カマキリは燃焼剣を最大出力で走らせる。
倒れた木々は更に細かく断ち切られ、クレスが身を隠すスペースを消失させた。
必然的にクレスの選択肢が消える。
クレスに逡巡は無かった。もはや時間の無駄だ。
一瞬で腹をくくり、己の力を信じた。
「あァ!! 本気でムカつく武器だなクソが!!」
原型を留めぬ大樹の中からクレスは猛スピードで飛び出した。
「ハッ!! 行くぜ、青海人ッ!!」
「やってやるよ、グラサン野郎!!」
クレスとカマキリ、二人の距離は100メートル前後。
ぶつかり合う気迫。
一撃。
互いに一撃で勝負が決まると悟った。
叩き潰せばカマキリ。走り抜けばクレス。勝者は一人。
それは命をかけたデッドレース。条件は五分。臆せば相手に飲み込まれる。
「んん゛ッ!!」
「おおおおおおおッ!!」
カマキリが燃焼剣でクレスを薙ぎ払う。だが、一瞬のうちにクレスの姿は掻き消え、上空へ。
カマキリは即座に軌道を切り替え、刃を跳ねあげた。重さのない刃はクレスを追い詰める。
クレスは“月歩”を駆使し、縦横無尽に駆けた。燃焼剣に道を阻まれようとも、空中で身体を制御し巧みに避けた。
一瞬の判断で空中の方が攻撃が避けやすいとクレスは読んだ。上下左右。空中ならば三次元的に動き回れる。
だが、クレスの道はあまりに過酷だ。進めば進むほど燃焼剣を振るうカマキリの精密さ、操作性が増していく。
「ッ!!」
灼熱の痛みがクレスを襲った。
あまりの熱に一瞬動きが鈍った。常人ならばそれだけで意識を失いかねない程の痛みだ。クレスはそれに見事に耐えきったと言っていい。
だが、その隙はあまりに致命的だ。
カマキリは容赦なく、燃焼剣を振るった。
灼熱の炎で燃焼剣は通り過ぎる全てを断ち切る。受ければクレスもまた炭化した大樹と同じ運命をたどるだろう。
クレスは奥歯が割れそうなほど噛みしめ、残された退路へ弾丸のように飛んだ。
カマキリの口角がつり上がる。クレスが選んだ退路は地上だったのだ。これによりクレスの進む道は更に過酷さを増す。
クレスとてそれは十分承知だ。だが、選ばざるをえない状況へと追い込まれた。
着地と同時にクレスは“剃”によって大地を駆けた。
同時にカマキリの燃焼剣がクレスを追う。
この時点での距離は20メートルを切っていた。
クレスの“剃”は速い。20メートル程ならばほんの一瞬で駆け抜けるだろう。
だが、それはカマキリも同じだ。一瞬あれば何度剣が振るえるか。
あまりに短い。
あまりに長い。
矛盾する法則が二人の間では成り立っていた。
「おおおおおおおおおおおッ!!」
「あああああああああああッ!!」
互いに獣のように咆哮した。
唸りを上げ、灼熱の刃が振るわれる。
胴を薙ぎ払うかに見えたカマキリの刃を、クレスは大地に張り付いたかのように身を低くし避けた。
そして獣のような姿勢のまま、峻烈なまでの歩を進める。
カマキリの一振りがかわされ、クレスは一気に距離を詰めた。
「ぬんッ!!」
今、カマキリの神経は極限まで研ぎ澄まされていた。
一瞬も無駄にできない。一つのミスが命取り。だが、一切の恐れは無かった。
カマキリはシャンドラの戦士。勇猛な祖先たちの血がカマキリを駆け廻っていた。
刻まれる一瞬が永遠にまで引き延ばされる。
空に生まれ、シャンドラの戦士となった。それは誇りだった。酋長から聞いた誇り高き物語り。その無念のままに朽ちた想いを果たすために戦った。
カマキリの半生は戦いの歴史。カマキリは己の戦士としての感覚に赴くままに従った。
「なッ!?」
クレスが目を見開いた。
カマキリはありえない選択をおこなった。
クレスに距離を詰められれば終わりという状況に置いて、自ら一歩を踏み込んだのだ。
強烈な踏み込みから振るわれる大上段。
灼熱の刃は大地を割る魔剣と化した。
音すら焼き尽くすかのように渾身の一撃が振り下ろされる。
「ハァアアアアア!!」
クレスの四肢が躍動する。
脳が全身に命令を与えるよりも速く、クレスの経験が全身を突き動かした。
極限のバランスを持って横へと身体をスライドさせる。チリチリと肌が焼け付いた。その熱に服が炭化する。
だが、クレスの身体はまるで滑り込むように薄皮一枚のところでカマキリの一撃を避けた。
クレスの真横で止まる灼熱の刃。
カマキリとの距離は10メートル以下。クレスにとってはゼロにも等しい。
攻めあぐねた先程とは違う。カマキリは決定的なミスを犯した。
カマキリが切り返すよりもクレスの一撃の方が速い。
───ゾクリ。
その瞬間、クレスの背に氷塊を流しこまれたような寒気が走った。
カマキリの目はまだ死んでいない。
むしろ鉛のように鈍く獰猛な輝きを持って、クレスを圧していた。
「───かかったな」
クレスの真横で静止していた灼熱の刃。
それが突如、クレスに対し抉りこんできたのだ。
カマキリが極限状態で選択したのは、大上段の一撃をフェイントとした抉り取るような薙ぎ払い。
カマキリの判断は考えうる限り最善で最高だった。
駆け引きにおける一瞬を突く戦士の罠。一種の境地であるそれをカマキリは見事に成し遂げたのだ。
灼熱の刃がクレスを襲う。
その一撃は攻勢に転じたクレスに避けきることは不可能だ。
「── 紙絵 ──」
そう、不可能な筈だった。
しかし、クレスはそれを避けきった。
ひらりと、緩やかでありながら誰にも捉える事の出来ない、紙に描かれた絵の如く。
六式が一つ、紙絵。
クレスは六式の中で最も奥が深いのがこの“紙絵”だと考えた。
紙絵とは攻撃を避けるだけの技術では無く、相手に応じて“自在に身体を操作する技術”なのだ。
優れた能力者ならば、身体をスライムのように柔軟に変質する事もできるし、優れた瞬発力を用いて分身体をも作り出せる。
どの体技よりも総合力が問われる分、比較的安易に習得した気になるが、極めるべき奥は深い。
相手の攻撃を捕捉し命令を送る迅速な反応速度。
全身を駆動させる揺ぎ無き瞬発力。
そして命令を完璧にこなすしなやかな柔軟性。
今のクレスはそれらが全て組み合わさり、完璧なまでの体技を体現していた。
「指銃───」
カマキリに驚愕が刻まれる。
勢いを殺すことなく、カマキリが全てをかけた一撃を回避せしめたクレス。
極限状態において自身の最高のポテンシャルを引き出したその胆力は驚嘆に値する。
───なるほど、おれの負けか。
クレスは既にカマキリの懐に潜り込み、“鉄塊”で硬化した五指を噛みつくように突き立てていた。
この一撃は間違いなくカマキリをサバイバルから脱落させるだろう。
「───“咬牙”ッ!!」
クレスとカマキリは交錯し、すれ違った。
クレスが振り抜いた五指から赤い血が帯のように靡いた。
カマキリの腕から燃焼剣が滑り落ち、灼熱の刃が消える。
鮮血が舞い、カマキリの意識が薄れた。
「女を一人待たせてるんだ。急がせてもらう。……軽口言って悪かったな」
全力を出し切った自身を打ち負かした男に、カマキリは何故か悪い感情は浮かばなかった。
◆ ◆ ◆
カマキリとの戦いを終え、クレスはロビンとの合流を目指して森を進んだ。
全身を軽い倦怠感が包んでいる。予想以上にカマキリとの戦いで身体を酷使してしまった。
だが、クレスはその顔に僅かな笑みを浮かべた。
「さっきのは……なかなか良かったな」
鍛錬は重ねていた。
昔に比べればかなり強くなったと思うが、それでもまだ足りない。
だが、さっきの戦いは僅かではあるが自身の可能性を見出すことが出来た。
紙絵は一応は習得したものの、クレスが苦手としていたものだ。
だが、先程の戦いでその意識は消えた。欠点を無くす訓練も意味を為しているという事だ。
剃、指銃、嵐脚、鉄塊、月歩、紙絵。
六式の体技は当然六つ。
六つ全てを使いこなしてこそ、“六式使い”と呼ばれる。
それには当然意味があるのだ。
全ての体技を極めつくしたその先に、クレスが目指すべき姿がある。
「……今は止めよう。ロビンとの合流が先だ」
入り組んだ迷路のような森の中を進み、ひたすらに予定していたコースへと進む。
森は相変わらず騒がしい。
どこかしこで誰かが戦っているのだろう。
やはりロビンの事が心配だ。ロビンならばよほどの事がない限り切り抜ける事が出来ると思うが、クレスが対峙したカマキリのように予想外の相手がいる可能性は十分にあり得た。
クレスが更にスピードを上げようとしたその時だった。
「シャンディアの主力を一人倒すとは……なかなか強いじゃないか、青海の戦士」
振り掛けられた声にクレスは足を止めた。
そして面倒くさそうに声の主に振り返る。
「誰だか知らねェが、急いでんだ。邪魔すんな」
「ヤハハハハハ……!! “誰”とは随分不躾じゃないか。礼儀を知らぬと命を落とすぞ、青海の戦士」
「あァ?」
クレスは悠然と大樹に座り込む男を見た。
鷹揚とした様子の男。頭にバンダナを巻き、異様に長い耳たぶと、眠たげな目をしている。
間の抜けた姿に見えるが、其の実、全てを見通してるような余裕が感じられた。
クレスはその男から底知れない強大な雰囲気を感じ取り、警戒しながら誰何する。
「てめェ、誰だ?」
クレスの問いに、その男は絶対的な重圧を滲ませながら悠然と答えた。
「───“神”───」
あとがき
今回はクレスVSカマキリです。
カマキリって実はかなり強いと思うんですよね。
燃焼剣(バーンブレード)ってかなり反則的だと思うんです。たぶんあの武器が空島の武器の中で一番厄介な気がします。
クレスの厳しいサバイバルルート。
私が言うのもなんですが、がんばれクレス。