奇跡は渇いた大地に雨を呼んだ。
雨は振り上げられた武器に迷いを呼んだ。
そして、迷いは今……
雨によって戦いは一時中断を見たが、それでもまだ国王軍と反乱軍の睨み合いは続いていた。
真実を知らぬ反乱軍の根底にあるものは雨を奪った国王への怒りだ。彼らは国王の乱行をその目に焼き付けられている。
反乱軍の兵士たちは行方不明となっていた王女の登場に戸惑いながらも、再び武器を取ろうとして、
「武器を捨てろ!! 国王軍!!」
クロコダイルの凶刃に倒れたチャカの声が広場に響き渡った。
チャカは睨み合う両軍に一石を投じる。指揮官として、アラバスタに住む民の一人として、意味の無くなった戦いを終わらせるために。
「おマ゛……ゴホン!! マ……マ~……お前たちもだ!! 武器を捨てろ!! 反乱軍!!」
その直後、新たな声が広場に響き渡った。
誰もがその声の主に驚きの表情を見せた。
「イガラム……!?」
「イガラムさん!! 生きておられたか!!」
ビビと共にバロックワークスに潜入し、Mr.ジョーカーによって抹殺された事となっていたイガラム。だが、イガラムはこうして再びアラバスタへと舞い戻った。
イガラムの腕の中には幼い少年の姿があった。ナノハナの事件で国王軍によって重傷を負ったカッパだ。
「お、おれ、見たんだ。……あの国王は偽物で……」
カッパは声を詰まらせながらも自身が見た事実を語る。
自分が襲われたのは国王軍では無かった。国王軍に変装したオカマ率いる偽物集団だったのだと。
所詮それは子供の言葉だ。説得力はない。
だが、それに協調する声は援軍に駆けつけた者たちから発せられた。
「その子供の言うことは本当だ。
……おれ達もついさっき国王に能力で変身するオカマを見た」
そして、更に反乱軍の中心から発せられた声が真実を決定づける。
「そうだ……この戦いは仕組まれていたんだ。皆、武器を捨てろ。もう、戦う意味なんてない」
悔やむように言葉を為したコーザに反乱軍は静まり返り、その中の誰かが武器を落とした。
その音は広場に響き、一人また一人とその手から武器が滑り落ちていく。
それははまるで雨のように響いた。
「……この国に起きた全てを私から説明しよう」
イガラムは武器を捨てた民たちにゆっくりと真実を語った。
◆ ◆ ◆
「オイ、しっかり歩け、ウソップ」
「ああ……それが聞いてくれ、ゾロ。これ以上歩いたら死んでしまう病が……」
「じゃあ、そこにいろ」
「待てったら!!」
「……たっく」
「お、さすがゾ……ぐおおお!! 何で足を!!」
「うるせ―」
雨に打たれながら一味は広場から離れるように歩いた。
目指す方向は西。力を使い果たしている筈のルフィを迎えに行く為だった。
「それにしても、あの護衛隊長が生きていたなんて」
「……ウイスキーピークの変態オヤジか」
ナミが問いかけ、ゾロが答えた。
「Mr.ジョーカーにミス・オールサンデー。……ねぇ、あいつらっていったい何がしたかったのかしら?」
「さァな」
「だって、変じゃない。Mr.ジョーカーはビビも助けてくれたでしょ。砲撃の場所も教えてくれたし」
「あいつらには、あいつらの考えがあったんだろうよ」
「もしかして、私達ってあの二人に踊らされていたのかしら?」
「……考え過ぎだろ」
ゾロが興味なさげに言い、ナミもまた考えを打ち消した。
「あぁ!! ナミさんの言う通りならば、せめてあの麗しの美女の手の上であって欲しいぜ」
「アホかてめェ」
「おーい、ゾロ。お前は一刻も早くおれの足を持ったままだっていうことに気づいてくれ。じゃないと……がふっ」
「しっかりしろウソップ!!」
「それにしてもルフィは何処にいるのよ?」
「ん?」
「あ」
ルフィが破壊した街の一角を暫くの間彷徨っていた一味は、目的のルフィを背負った男に出会った。
雨の中、男は時折ずれ落ちそうになるルフィを抱え直しながら歩く。背負われたルフィは疲れ果てたように眠っていた。
「君たちは……?」
「あ~、あんたのその背中のやつ。運んでくれてありがとう。ウチのなんだ引き取るよ」
サンジが男の背中で眠るルフィに呆れながら答えた。
男は「なるほど」と納得したように一味を見回した。
「……では君たちかね。ビビをこの国まで連れて来てくれた海賊達とは」
「あ? おっさん……誰だ?」
一味が疑問符を浮かべて目の前の男に問いかけた時、
「みんな!! パパ!!」
何も言わず広場を後にした一味を追ってビビがやって来た。
そして、ビビにパパと呼ばれた男にサンジが驚きの声を上げる。
「パ、パパ!? と言うことは、ビビちゃんのお父様!?」
「あんたが国王か」
ゾロが冷静に言った。
確かにそう言われてみれば、傷だらけではあるが、男にはどこか威厳が満ちていて品格もあった。
王女のビビが父と言うなら、それは間違いなくこの国の王なのだろう。
「一度は死ぬ覚悟をしたが、彼に救われたのだ」
国王はルフィを一味に引き渡し、礼を告げた。
ボロボロで傷だらけのルフィ。その傷がクロコダイルとの激しい戦いを物語っていた。
ビビは戦い疲れて眠るルフィにほっとし、安心したように息をついた。
「それよりも、ビビ、早く行けよ。広場に戻れ」
ゾロが壁にもたれかかりながら顎で広場の方を指した。
「そりゃそうだ。……せっかく止まった国の反乱に、王や王女の言葉なしじゃシマらねェもんな」
ウソップが腕を組む。
「ええ、だったらみんなも」
「……ビビちゃん、わかってんだろ? おれ達はフダツキだよ。国なんてモンに関わる気もねェ……」
サンジが煙草に火を付けながら言った。
ビビは仲間達が言いたいことに気がついた。
命を賭け、傷だらけになりながらも、国の為に奮闘し、そして国を救った一味。
一味は本来ならば国中から喝采を浴びるべき事を成し遂げた。だが、彼らは海賊だ。表舞台に姿を見せていい筈も無い。
しかし、彼らはそれでよかった。彼らが戦ったのは国なんて大層なものでは無く、ただ一人の仲間の為だったのだから。
「おれは腹が減った」
「そういうことだから勝手に宮殿に行ってるわ。へとへとなの」
チョッパーとナミがビビを促す。
仲間たちの気遣いを感じ、ビビは頷いた。
ビビはやさしい表情で見守っていたコブラと共に民達が待つ広場へと向かった。
その姿は徐々に小さくなり、雨の向うに消える。
その瞬間、海賊達はその場に崩れ落ちるように倒れ、激戦を乗り越えた疲れもあってか、その場で泥のように眠りについた。
◆ ◆ ◆
ビビとコブラが広場に辿り着いた時、その場には沈痛な空気が漂っていた。
武器を捨て、イガラムから真実を聞かされた反乱軍達は己の間違いに気がついた。
国の為と立ち上がった事の全てが間違いで、今日までの戦いはただ人形のように躍らされていただけだったのである。
それを決定づけるように、先程、海兵達が滔々と罪状を読み上げ、広場に倒れ伏すクロコダイルを拘束した。反乱軍は自分達が英雄と呼んだ男が拘束される様をただ茫然と見つめるしかなかった。
悔やむなと言う方が無理があった。
国王軍と反乱軍の両軍が激突し、多大な負傷者と死者が出た。
反乱軍の援軍が謎のオカマによって遅れたため、数による一方的な虐殺が起こらなかったものの、それでも過ちは大き過ぎた。
「……おれ達はとりかえしのつかない事をしたんだ」
コーザは力なく座り込んだまま呟いた。
リーダーとして反乱軍を率い戦ってきたコーザは、誰よりもその後悔は深いだろう。
「……リーダー」
ビビはコーザをはじめ俯き黙りこむ者達に何と声をかけていいか分からなかった。
そんなビビの肩に大きな掌が載せられた。
「悔やむ事も当然。やり切れぬ思いも当然」
父、コブラの掌だった。
コブラはゆっくりと、国民一人一人に語りかけるように歩を進めていった。
「失ったものは大きく。得たものはない」
後悔の中を彷徨う民たちは降り掛けられた王の言葉に一人また一人と面を上げた。
「────だが、これは前進である!! 戦った相手がだれであろうとも、戦いは起こり、今終わったのだ!!」
多大なる損害と禍根を残しながらも、今、戦いは終わった。
広場の民たちはハッとしたようにコブラを見つめ、指揮官たる者達も暗闇に光を示すコブラの言葉に聞き入った。
イガラム、チャカ、ぺル、コーザ、兵士たる彼らに出来るのは戦うことだ。戦い、国を救えても真に民を導くことは出来ない。
傷ついた民たちを奮い立たせ、正しき道に導くのは王たる者の務めだ。
広場にいる全員が注目する中、コブラは彷徨う彼らを奮い立たせるように強い声を上げた。
「過去を無きものになど誰にも出来やしない!! この戦争の上に立ち、生きてみせよ!!」
そしてコブラは両手を広げ、美しきその名を称えた。
「────アラバスタ王国よ!!」
民たちは王の言葉に奮え、涙を流した。
間違いを正し、必ずこの戦いの上に立ってみせると、その胸に王の言葉を刻みつけた。
雨は王国全土を覆うように降りしきる。
戦いを嘆き見守っていた者達はその雨に戦いの集結を見た。
子供から老人まで、三年ぶりに降り注いだ雨を歓喜と共に歓迎した。
「たった三年。……たった、これだけの事」
枯れたオアシスで穴を掘り続けたトトは、天に向かってまるで昔年の友人のように語りかけ、にっこりと待ち望んだ雨を受け止めた。
「なァ……雨よ」
────後に歴史に刻まれる戦いと、決して語られることの無い戦いが集結した。
────もはや、強制されることの無い雨は留まることなく王国に降り注ぎ、しとしとと、悲しみをいやすようにやさしい音色を奏でた。
────雨は一晩中降り注ぎ、血に濡れた大地を悲しみと共に清める。
────それはまるで、安き眠りへと誘う、子守唄のように……。
最終話 「これから」
しとしとと包み込むようなやさしい雨が降り注いでいる。
上質なシルクのように薄く透明な雨雲が夜空を覆い、月の光は雲を淡く照らし、砂漠の夜を幻想的に彩った。
降り注いだ雨は、雄大なサンドラ河の水面にいくつもの波紋を花のように咲かせた。
その沿岸を沿うようにして、僅かな荷物だけをを手に持って歩く人影があった。
「……終わってしまったわね。いろいろと」
傘を差すことも無く、降り注ぐ雨に艶やかな黒髪を濡らしたロビンが呟いた。
「……そうだな」
同じく全身を濡らしながらクレスがぼんやりと答えた。
葬祭殿からコブラを抱えたルフィと共に脱出した二人は、あらかじめ手配しておいた宿へと戻り、僅かな時間のみ身体を休めて、直ぐに荷物をまとめて宿を発った。
クロコダイルの陥落によってバロックワークス社は瓦解し、海兵達が一斉に残党たちの検挙に踏み切った。
政府の力は誰よりも知っている。街に止まり続ける事は危険であった。
そして、日も十分に沈んだ後に二人は街を抜けだし、サンドラ河の沿岸へと向かった。
「……もう手がかりはないわ。今までは進む為の道しるべがあった。……でも、今はもう何もない。何処に何のために進めば良いのか……分からないの」
「……確かに、難しいな」
永遠に彷徨い続ける運命にある迷子。
今までは進み続ける事で、その事を紛らわせてきた。
だが、道を見失った。閉ざされた世界に行くあてなど無い。世界に見捨てられれば暗闇の中を彷徨うしかなかった。
二人には帰る場所も、行くあてもなかった。
安息の地を求めようとも、世界はそれを許さず。夢を打ち砕かれ、進む目的さえ見失った。
「────“生きて”……か」
ポツリとクレスが呟いた。
かつて母に言われた言葉。あなた達が生き続ける事が希望。それだけが望み。
生きる事。それのなんと難しいことか。
ただ命をつなぐならば、このまま海兵達の目から逃れて、アラバスタから脱出すればいい。
だが、その後はどうする。二人で当ての無い、ただ進むだけで危険な旅を続けるのか。それとも、また裏組織に所属して政府から隠れ忍ぶのか。
どちらにしろ、碌な道ではないのかもしれない。
「…………」
「…………」
二人は互いにかける言葉を見失う。当然生きる覚悟はあった。だが、その道筋が思い浮かばなかった。
辺りには雨が降りしきる音だけが静かに響き、砂漠に隣接した沿岸は見渡す限り同じ景色が広がっていた。
流れた風は砂の大地に新たな風紋を作るが、雨の降る今日は砂は濡れ、風に運ばれることはなかった。
砂の王国が引き起こした奇跡。
降りしきる雨は、大地に潤いを与え、新たな命を芽吹かせるだろう。国の復興は進み、やがて元通りの活気あるアラバスタに戻る日も近い筈だ。
立場こそバロックワークスに所属していたものの、二人がクロコダイルの野望を阻むために行動した成果は大きい。海賊達を導いたのもまた二人がもたらした成果だ。
だが、その胸に充足感を感じる事はない。感じたのは虚しさだけだった。
元をただせばただの自己満足だ。誰かに礼を言われる資格がある筈もない。そして貰ったところで意味の無いことだ。
また、分かっていたことだが、今回の一件により二人は世界政府に捕捉され、その立場を危ぶめていた。
無言のまま二人は進んだ。
もう少し進めば、偽装された小さな船小屋があってその中にサンドラ河を渡るための小さな船が隠されてある。
二人が乗っていた船はナノハナの港に止めてあった。算段では小舟に乗ってサンドラ河からナノハナに向かい、海兵達の目を盗み、自分たちの船に乗り込むつもりだった。
正直なところ上手くいかは微妙なところだ。逃亡防止の為おそらく海兵たちによって港は封鎖されている筈である。無理やりに突破すれば、間違いなく追ってくる。後は、臨機応変と言ったところだ。
二人に残されている道はそれだけだった。状況だけで言えば、ギリギリではあるが、この程度ならば何度も乗り越えて来ていた。
だが、夢を打ち砕かれたという境遇が、二人に深い影を落としていた。こればかりは一朝一夕に整理がつく問題では無い。
道なき道は果てしなく続いて行く。
代わり映えのない景色であったが、目的地の船小屋までは後もう少しで辿り着くだろうと感じていた。
曖昧な行き先を見据え、雨に濡れた砂を踏み、足跡を深く刻みつけて進んでいた────その時だった。
「……アレは」
ロビンが息を茫然と呟いた。
クレスもまたその影を見つけ、どこか都合のいい夢を見ているような気分におちいった。
「……船」
キャラベル船。
羊の形をした船首に二本のマスト。
掲げられているのは麦わら帽子を被った海賊旗(ジョリーロジャー)。
激闘の果てにクロコダイルを打ち倒した<麦わらのルフィ>の海賊船だった。
「ハ、ハハハ……」
クレスからため息にも似た笑いがこみあげた。
何の偶然か、それとも必然か。
二人が呆気にとられた、あのどこかあたたかい少年の姿が浮かんだ。
恩人、サウロと同じ『D』の名を刻む少年。
風が二人の間を駆け抜け、時が一瞬止まった。
────いつか必ず、お前達を守って導いてくれる仲間が現れる!!
泣きじゃくるロビンを抱え、クレス自身も涙をこらえながら逃げ出したオハラでサウロが最期に放った言葉。
仲間を見つける事など出来る筈も無く、世界から逃げ続けた二人。
固い絆で結ばれ、手を伸ばせばそこに温もりがあり、共に生き抜いて来た二人。
それで充分だと思っていた。一人じゃないということは孤独ではない。二人ならば助け合える。
だが、目の前に現れた光は、道を見失った二人に強烈な憧れを抱かせた。二人がそれ以上を望んでしまうほどに。
「……少し、急ぎ過ぎたのかもな」
「……そうね」
クレスとロビンは足を止めた。
たとえそれが幻想であっても、その光は二人を照らした。
唯一、友達(ダチ)という言葉で二人を呼んだベンサムに対しても二人は完全に心を開いていた訳では無かった。
ベンサムの事は兵士たちの会話を耳にして知っていた。自惚れかと疑いつつも、ベンサムはどうやら二人の為に動いてくれたらしいのだ。
もう一度会えたならば感謝を伝えなけらばならない。おそらくは生きているだろうが、もしかしたらもう巡り合うことはないのかもしれない。
「仲間か……」
裏切りが横行する裏社会で生き続けた二人には、仲間を信じるという一歩をどうしても踏み出すことが出来なかった。
もし、その一歩を踏み出せれば。無駄だと思いつつも、その先に裏切りがあったとしても、その一歩をかけがえの無い誰かに踏み出せば、二人の世界は変わるのかもしれない。
今だけは、そんな幻想に触れてみたくなっていた。
「回り道も悪くないのものね」
「ああ、たまには少し休むのも悪くない」
いつまでも飛び続けられる鳥はいない。長い旅を続けるには翼を休める止まり木が必要だ。
何も彼らに全てを委ねる訳ではない。再び羽ばたくその日まで、その光を浴びてみたいと感じただけだ。
一つしかない選択肢は、二つに増えた。
だが、憂いもあった。二人の<オハラの悪魔達>という名は破滅を呼ぶ。いずれ関わった者たちに悲劇が降りかかってしまうかもしれない。
心の底に泥のように沈んだその思いを、クレスは押しつぶすように消していった。
ほんの少しだけだ。菓子に手を伸ばす子供のように思った。
政府の目には誰よりも敏感だ。いざとなれば迷惑をかける前に姿を消せばいい。
それに、海兵達が港を取り囲んでいるならば、味方を増やした方が脱出しやすい。今だけでもいい。いざとなればロビンと二人でまた旅を続ければいい。
言い訳のように考えが浮かんで、クレスは苦笑した。
「麦わらの言葉は有効かな?」
「さァ、どうかしらね。あの船長さんは気まぐれそうだから」
クスクスと柔らかい微笑を浮かべ、ロビンが笑い、クレスもつられて笑みを浮かべた。どうやら考えは同じのようだ。
絶大な壁となって立ち塞がったクロコダイル率いるバロックワークスを仲間の為に退けた麦わらの一味。
彼らなら……そんな淡い幻想。たとえその幻想が自分達が背負った闇に砕かれようとも、今だけ幻想に浸っていたかった。
そして二人は選択する。
「行ってみようか」
「ええ」
二人は再び歩き出す。
生きている限り道は有る。夢はまだ明確な終わりを見た訳では無く、歩き続ける事にも意味がある。答えはまだ遠いだけなのかもしれない。
少しの間だけ、彼らに自分たちの命運を預けてみたくなった。
クレスとロビンは和やかな生活感が漂う船に忍び込み、船の下部屋の見つかりにくいスペースで肩を寄せ合いながら眠りに着いた。
堪えていたが、クレスの傷は深かった。ひとまずの危機は去り、張りつめていたものが無くなったことで、抑え込んでいたその疲れがどっと浮かび上がった。
限界を迎えた肉体は貪欲に休息を要求する。クレスはロビンの傍で泥のように眠り続けた。
◆ ◆ ◆
雨は一晩中アラバスタに降り注いだ。
翌朝には小さな緑が一斉に芽吹いた。アラバスタは強い土地だ。民と同じく三年にも及ぶ干ばつを耐え抜いた緑たちも一斉に歓喜の叫びを上げた。
反乱の終結から一夜。町は早くも活気を取り戻しつつあった。アラバスタのあちこちで既に復興作業が始まっている。昔の王国の姿を取り戻す日も近い。
激戦を括り抜けた一味はビビの勧めによって王宮へと招かれる事となった。
一味の怪我の回復は順調で、翌朝になれば元気に動き回っていた。
クロコダイルと戦ったルフィだけは、怪我による発熱や蓄積した疲労によってなかなか目を覚まさず、チョッパーをやきもきさせたが、三日目の夕方、ようやく目を覚ました。
「いや────よく寝た~~~~っ!! あっ、帽子は!? それに腹減った!! メシと帽子は!?」
大きな腹の音と共に目覚めたルフィは直ぐにいつもの調子を取り戻したようだ。
一味は目覚めたルフィに一安心し、騒ぎ立てるルフィに呆れたように息を吐いた。
「起きて早々うるせェな、てめェは」
「帽子ならそこにあるぞ。宮殿の前で兵士がみつけといてくれたんだ」
「おお、よかった!!」
回復したルフィにチョッパーと共にずっと看病をしていたビビがはにかんだ。
「よかった、ルフィさん。元気になって」
「ありがとな、ビビ。それにチョッパーも」
夜はゆっくりと更けていく。
今夜は回復したルフィを加えての晩餐となった。
一味は盛大に振る舞われた王国の酒と料理ををくらいにくらった。
三日間で15食(本人計算)も食い損ねたルフィの胃袋は底なしの勢いで次々に料理に手を伸ばした。
宮殿中の食料を食いつくすのではないかと言うルフィの勢いに、思わずチョッパーが料理を喉に詰まらせる。
ウソップは狙っていた料理をルフィに奪い取られ、ささやかな仕返しとして、ルフィが手をつけようとした料理にタバスコを盛った。
ゾロも今日ばかりははめをはずして、酒を飲みに飲んだ。
ナミは慣れ切った様子で仲間たちと共に料理を楽しんだ。
サンジはコックとしての好奇心を刺激され、気になった料理のレシピを聞いた。
ビビもまた呆れながらも、一味に料理を勧めていく。
それは、王家の晩餐と言うには余りにも騒々しい。晩餐を見守っていた兵士たちは過去に例を見ない食卓に眉をひそめた。
だが、その表情はだんだんと一味の楽しげな様子に巻き込まれ、思わず崩れてしまう。一度笑ってしまえば取り繕えない。一味が作り出す宴の輪に兵士たちは巻き込まれた。
コブラ、イガラム、チャカ、ぺル。彼らもまた笑いに笑った。晩餐は宮殿中を巻き込んだ海賊達の派手な宴へと変わってしまっていた。
次に一味を待っていたのは大浴場での風呂だった。砂の国での風呂は最高のもてなしだ。
女風呂を覗いたゾロ以外の男衆はナミにきっちり10万ベリーを絞り取らる事が確定したりしたが、王と共に裸の付き合いをして戦いの疲れを癒した。
コブラは風呂の中で深々と一味に対して頭を下げた。権威とは衣と共に着るもの、裸の王はいないと、アラバスタに対する一人の民として向き合った。
礼を言いたい。どうもありがとう。
晴れやかな笑顔でコブラはそう言った。
宴の夜は過ぎてゆく。静かにゆっくりと。
◆ ◆ ◆
「────大変ですぞ!!」
静寂の夜を破るように、慌てた様子のイガラムが一味の部屋に飛び込んだ。
だが、賑やかな筈のその部屋に一味の姿はない。イガラムは部屋中を見回し、海賊達がいないことに困惑する。
静かな空間。そこには膝を抱いたビビと寄り添うカル―の姿しかなかった。
ビビはイガラムに目を向けた。その手には二枚の手配書が握られている。
イガラムは焦った様子でその手配書をビビに示した。
『────<海賊狩りのゾロ> 懸賞金6千万ベリー』
『────<麦わらのルフィ> 懸賞金一億ベリー 』
クロコダイルを打倒したことによりルフィの懸賞金は三倍以上に跳ね上がった。
ゾロもまた、<殺し屋>と呼ばれたMr.1を倒したことにより海軍により懸賞金をかけられた。
いずれも高額の懸賞金だ。この額なら海軍本部の将官クラスが討伐に向けて動き出すだろう。
「ビビ様、彼らは!?」
「……海よ。海賊だもん」
ビビの言葉にイガラムは「遅かったか」と歯がみする。
「無駄よ、イガラム。彼らがそれを知っても喜ぶだけ。何も変わらない」
「しかし、これは一大事ですぞ」
「平気よ、彼らなら。それよりも明日は早いんでしょう? さァ、出て行って。私、もう眠るから」
「あ、……ああ、そうでした。明日は、国中に貴女の声を聞かせねば」
「わかってる」
イガラムは納得がいかない様子だったが、ビビに背中を押され、渋々と部屋を出ていった。
バタリとドアが閉まった。
ビビはドアにもたれかかりながら、
「ええ……わかってる」
自分に言い聞かせるようにもう一度小さく繰り返した。
数時間前。
与えられた大部屋に戻った一味はビビに今夜に宮殿から立つことを告げた。
ルフィが目覚めるまで三日。もう三日もたっていた。
政府は加盟国の一つが海賊によって救われたという事実を認める筈がない。直ぐに海兵達を派遣して、海賊達を捕まえようと包囲を固めていることだろう。
ビビは悩んだ。ビビにとって一味はかけがえの無い仲間だ。出来る事ならこのまま彼らと旅を続けていたかった。だが、ビビは王女だ。海賊達と共に行けば二度と祖国に戻れないかもしれない。
一味は悩むビビに対して、一つ提案を持ちかける。
明日の昼12時に東の港に一度だけ船を寄せる。もし、ビビが一緒に旅を続けたいならばその一瞬が船に乗り込む最期のチャンスとなる。
猶予は今から約12時間。ゆっくりと考えて答えをだしてほしい一味の心遣いだった。
ビビはその提案に感謝し、頷いた。
一味はビビにそれぞれに言葉をかけて誰にも見つからないように窓から外に出て船へと向かった。
ビビの選択次第ではそれが、彼らと顔を合わせる最後の瞬間であった。
回想を終え、電気を消し、ビビはカル―を呼んで添い寝をし、ゆっくりと目を閉じた。
そこにはもう誰もいない。
冷蔵庫荒らしの船長と狙撃手と船医も、冷蔵庫を守るコックも、夜な夜な起きだしてトレーニングを始める剣士も、寝ぼけて枕を投げてくる航海士も、誰もいない。
こんなに静かな夜は本当に久しぶりだった。
「自分が海賊になるなんてこと……考えた事もなかった」
ビビはカル―の羽毛をそっと撫でた。
カル―もまた一味の仲間だ。
「ねェ、カル― ……どうしたらいいと思う? あなたはどうしたい?」
ひっそりと夜の闇が辺りを包み込む。
王女の悩みを見守るように穏やかな満月が夜空には浮かんでいた。
ビビはそんな中で、選択を下した。
翌朝。
日は沈み、いつものようにまた昇る。
今日はコブラのはからいにより、ビビが14歳の時におこなう筈だった立志式が昼からおこなわれ、そこでビビは国民に向けてスピーチをおこなうこととなっていた。
王女の言葉は民たちの希望となるだろう。広場には成長した王女の姿を一目見ようと、大勢の人達が集まっていた。
「入るぞ、ビビ」
「ええ、どうぞ」
コブラとイガラムは、式に臨むため着替え済ませたビビのもとへと足を運んだ。
扉を開け、その先にあった美しい王女の姿に二人は感嘆の息を漏らした。
「なんと驚いた……」
「これは……往年の王妃様と見紛いましたぞ、ビビ様」
王家のみが纏うことを許された清楚ながらも優美なドレスに身を包んだビビ。
その姿は息をのむほど美しかった。
いつもは後ろでまとめている水色の髪も侍女たちによって丁寧に梳かれ、艶やかに白いドレスの上を流れている。
海賊達と共に旅をしていた時にはつけなかった装飾品と薄く施された化粧は共に彼女を彩り、見事に調和している。
その姿はまさに、砂漠に咲いた一輪の花。民たちは美しく成長したビビを称え、喜びの声を上げるだろう。
窓から差し込んだ朝日に照らされ、ビビは大人びた顔で微笑んだ。
「座って、パパ……いえ、お父様、イガラム」
ビビは真剣な表情でコブラとイガラムに向き合った。
「大切な話があるの」
それは決意の言葉だった。
◆ ◆ ◆
東の港を目指して進む船。
掲げられたのは麦わら帽子を被った海賊旗(ジョリーロジャー)。麦わらの一味の船『ゴーイングメリー号』だ。
その傍にはもう一隻、白鳥の船首をした船があった。ボンクレーの『スワンダ号』である。
一味が東の港に向かおうと船を勧めていた途中、同じくアラバスタからの脱出を目論んでいたボンクレー達とはち合わせた。
一時は友達となったボンクレーとルフィ達だがボンクレーはバロックワークスの一員だ。一瞬緊張が流れたものの、ボンクレーが一つ提案を持ちかけた。
それはアラバスタを脱出するまで共闘をおこなうというものだ。一瞬悩んだ一味だったが、サンジの証言をもとにその条件に同意し、ルフィ達はボンクレーと再び友情を結び直した。
両者は船に傷ついた第三者がいる事を知らない。それは悲しいすれ違いでもあった。
順調に進んでいた両船だったが、途中で海軍の包囲に掴まってしまっていた。
「くっそ~~~!! 砲弾で来い!!」
苛立たしげにルフィが歯がみした。
メリー号とスワン号は8隻の戦艦に取り囲まれていた。
サンディ諸島一帯を縄張りとする、海軍本部大佐<黒檻のヒナ>の艦隊だ。
軍艦から放たれるのは砲弾では無く<黒ヤリ>。四方を固められ、船は思うように逃げられない。
「黒檻部隊名物<黒檻の陣>!!」
「てめェらごときに敗れるかァ!! アホ────!! ア~~~~ホ~~~~っ!!」
黒檻部隊の南を固める軍艦二隻の上から勝ち誇る人物が二人。
三等兵<寝返りのジャンゴ>、同じく<両鉄拳のフルボディ>。一味の記憶には薄いが、一味に因縁深い二人だ。
二人は忌々しい一味をここで会ったが百年目と撃破しようと意気込んだ直後────突然、ジャンゴが乗っていた方の船が爆発した。
「兄弟(ブラザー)!! って、ぎゃああああああ!!」
爆発が起こった軍艦はそのまま隣のフルボディの乗る軍艦へと崩れかかり共倒れとなった。
「あーあー」
「ウソップ!! お前か、スゲェな!!」
下手人はウソップだった。
当たると思っていなかったのか、本人も驚いていた。
「ハナちゃんすごいわ!! やったわねい!! 南の陣営が崩れたわ!! あそこを一気に突破ようっ!!」
「ダメだ」
「は? 何言ってんのよ麦ちゃん!! 崩れた南の一点を抜ければ最小限の被害で逃げ出せるのよう!!」
「行きたきゃ、行けよ。おれ達はダメだ」
「ダメって何が!?」
千載一遇のチャンスを掴もうとしない一味にボンクレーが困惑の声を上げた。
ボンクレーの部下達は、急かすように逃げる事を提案し続けている。
「東の港に12時。約束があるのよ。回りこんでる時間はないわ。突っ切らなきゃ」
ナミが理由を説明する。それは一味全員の総意だった。
意見を曲げようとしない一味に、危機を脱する為に協力を提案したボンクレーは吐き捨てるように言う。
「バカバカしい!! 命張るほど宝でも転がってるっての? そこまで言うなら勝手に死になサイ!!」
そう、命を賭けるほどの宝だった。
一味にとってそれは、世界中の財宝よりも大切な宝だ。
「仲間を迎えに行くんだ」
迷いなく言い放ったルフィの言葉は、ボンクレーに雷のような衝撃をもたらした。
「仲間(ダチ)の為……!?」
「ああ、おれ達は約束したんだ」
そして、迷うことも無くルフィは前を見据えた。
ボンクレーは僅かの間立ちつくす。
彼の頭に巡るのは己に打ち立てた矜持。思い浮かんだのは二人の友達(ダチ)。ルフィの言葉は彼を突き動かした。
「……ここで逃げるは、オカマに非ず」
「ボンクレー様……?」
困惑する部下達に向けて、ボンクレーは背中のマントを広げた。
「命を賭けて友達(ダチ)を迎えに行く友達(ダチ)を見捨てて、おめェら明日食うメシが美味ェかよ!!」
そこに書かれた入魂の『オカマ道』。その文字に部下達は息を飲んだ。
ボンクレーの部下達はバロックワークス内においては珍しく心から上司のボンクレーに薫陶を受けていた。
彼らが胸に抱くのはボンクレーと同じく『オカマ道』。友(ダチ)との友情に全てを捧げた険しくも尊い道だ。
「いいか野郎共及び麦ちゃんチーム。あちしの言うことをよォく聞きなさい」
覚悟を決めたボンクレー。
その眼に光るのは魂の輝きだった。
◆ ◆ ◆
「船を横につけたらあなた達は下がってなさい。足手まといになるから……ヒナ迷惑」
潮風に長い髪と煙草の煙を靡かせながら、きりりとした女海兵が部下達に言い放った。
海軍本部大佐<黒檻のヒナ>。サンディ諸島一帯を縄張りとする海軍屈指の女傑である。
「ヒナ嬢!! 奴ら二手に分かれた模様です。『あひる船』が南下!!」
「あひる船はどうせ囮でしょう?」
「いえそれが!! 麦わらの一味は全員あひる船の方に乗っています!! ヒナ嬢、囮は羊船の方です!!」
ヒナは部下からの報告を受け、双眼鏡で猛スピードで逃げ去ろうとするあひる船を覗きこんだ。
そこに映るのは記憶にある手配書通りの顔をした<麦わらのルフィ>だった。
「直ぐに、追いなさい!! もう一度陣を組むのよ!!」
ヒナの指示に従い、海兵達は陣を立て直すために逃げ去ろうとするあひる船を追った。
猛スピードで走るあひる船はどんどん羊船から離れていく。
そして、逃走から三分が経った時、陣を組み直され観念したのかその進行が止まった。
あひる船からは白兵戦を覚悟したのかぞろぞろと船員が集まって来る。だが、その表情に悲壮感は無い。むしろ笑みを浮かべていた。楽しそうな、まるで悪戯を成功させた子供の笑みだ。
「が────っはっはっはっはっは!! アンタ達のお探しの<麦わらのルフィ>ってあちし達のことかしら!!」
麦わらがヒナ達の前に現れると同時に愉快な笑い声を上げた。
それと同時に、船員たちも大笑し、追って来た海兵達を笑い飛ばした。
「な~~んてねいっ!!」
麦わらと思しき男が左頬に触れた。
その瞬間、その姿が大柄のオカマへと変わり、海兵達の目が見開かれる。
「ヒナ嬢!! 羊船が東へと抜けました!!」
泡を食ったように海兵が叫びを上げた。
その報告通り、羊船は誰にも阻まれる事無く東へと抜けていった。
ボンクレーが率いる部下達は変装のエキスパートたちが集っていた。ボンクレーのように完璧では無いものの、僅かな時間さえあれば海兵達の目を欺く事はやたすい。
作戦が上手く行ったことに満足しながらボンクレーが言葉をなした
「引っ掛かったわねい。あちし達は変装のエキスパート。────そして、麦ちゃん達の友達……!!」
ボンクレーは釘づけのの視線の中、舞踊のように静かに腕を持ち上げ、歌舞伎の見得のように停止した。
仰ぐは晴天。揺れるは水面。
海風にはためくは穢れ無き純白のマント。そしてそこに掲げられた『オカマ道』。
男の道をそれるとも
女の道をそれるとも
踏み外せぬは人の道
散らば諸共
真の空に
咲かせて見せよう
オカマ道
Mr.二・盆暮
「かかって来いや」
「ヒナ屈辱」
それを合図に激しい戦闘が開始される。
幾弾もの黒ヤリが放たれ、スワンダ号を破壊し、お返しとばかりにボンクレーの部下達が銃で応戦した。
ボンクレー達は無理やりにスワンダ号を軍艦にぶつけ、船を捨て敵船へと乗り込んだ。海兵達もまた武器をとり、双方は白兵戦へと突入した。
躍るように戦うボンクレー。その強さはまさにステージ舞う主役(プリマ)。ボンクレーは同じ舞台で躍る事を許さない。次々と海兵達を打倒して次の船へと跳びかかる。
その様子に<黒檻のヒナ>が動いた。ヒナは能力によって次々とボンクレーの部下達を拘束してゆく。
崩れゆく舞台で、ボンクレーとヒナは睨み合った。ボンクレーが口元に笑みを浮かべながらヒナに対して躍りかかろうとした時、
────ごめんなさい。ありがとう
フワリと、花の匂いと共に友達(ダチ)の声が聞こえた気がした。
その瞬間、ボンクレーは笑みを深めた。
「気にすんじゃないわよう!! また、会いましょうねい。仲良くやんなさい!!」
見返りを気にしない彼らしい言葉で答えた。
体がどうしようもなく熱い。友達(ダチ)の声援に心が猛った。
彼らがそこに至る経緯はわからなかったが、何も気にすることなど無いのだ。
それを知っていたとしてもベンサムは友達(ダチ)の為に命を投げ出した筈だから。
◆ ◆ ◆
────始まりはあの日。
遠くで大気が震える音を聞いた。
ビビは目を閉じ、緊張をほぐすように一度大きく息を吸う。
涼やかな風がビビの体を通り抜けた。
思い出すのは過去の記憶。正体不明の秘密組織に戦いを挑んだその瞬間全ては始まった。
意を決し、ビビは愛する祖国の光を受け入れ、一歩を踏み出した。
アラバスタ王家の衣装をまとった者が赤絨毯を踏みしめた。
一歩一歩と、赤絨毯に沿うように整列する兵士達の間を進んでいく。
宮殿の上から望む空は青々と広がっていた。歩を進めればやがて立ち並んでいた兵士たちの列は途絶え、その最後にアラバスタの守護神の双璧をなすぺルとチャカが屹然と起立する。
王家の衣装をまとった者がその前を通った瞬間、二人は同時に、理想的な姿勢で傅いた。
宮殿正面の、広場一面を見渡せる壇上にはスピーチの為の拡声器が置かれ、国中の民がそこに一人の少女が現れる事を望んでいた。
そして、その壇上に、王家の衣装を纏った者は立ち、広場を見渡した。
広場には多くの人々が埋めつくように集っていた。正確な数は分からないが、おそらく十万人はいるだろう。
王家の衣装を纏った者が壇上に上がった瞬間、その時を待ち望んでいた者たちは一斉に歓声を上げた。
ビビは澄んだ心で言葉を紡いだ。
『────少しだけ冒険をしました』
国中に設置されたスピーカーから涼やかな王女の声が響き渡った。
その瞬間を待ち望んでいた民たちは一斉に静まりかえり、その声に耳を澄ませた。
同じ時、ユバのオアシスにいるトトも、始まったビビのスピーチにソファの上で寛ぐ息子を急かすように告げた。
「コーザ!! こら、コーザ!! 来い、始まったぞ!!」
「拡声器の音量は最大なんだ、町中に聞こえてるよ」
コーザは響き渡る幼なじみの声に耳を傾け、頭の後ろに手を組んだ。
『────それは暗い海を渡る“絶望”を探す旅でした。
国を離れて見る海はとても大きく、そこにあるのは信じ難く力強い島々。
見た事もない生物……夢とたがわぬ風景。
波の奏でる音楽は時に静かに小さな悩みを包み込むようにやさしく流れ、時に激しく弱い気持ちを引き裂くように笑います。
暗い暗い嵐の中で一隻の小さな船に会いました。船は私の背中を押して、こう言います。
「お前にはあの光が見えないのか?」
闇にあって決して進路を見失わない不思議な船は、躍るように大きな波を越えて行きます。
海に逆らわず、しかし船首は真っ直ぐに……たとえ逆風だろうとも────そして指を差します。
「見ろ光があった」
歴史はやがてこれを幻と呼ぶけれど、私にはそれだけが真実────』
それは人知れず戦った海軍の話。
王女が重ねるのは、海に夢を見た海賊達の物語。
そして自身が彼らと一緒に乗り越えた旅路。
────ビビの冒険。
◆ ◆ ◆
東の港、タマリスク。
スピーチは追ってくる海兵達を蹴散らして、約束通りに東の港で待つ海賊達にも届いた。
「聞こえただろ。今のスピーチ、間違いなくビビの声だ」
「ビビの声に似てただけだ」
「アルバーナの式典の放送だぞ、ビビちゃんは王女だ。もう来ねェと決めたのさ」
「ルフィ……もう行きましょう。十二時を回ったわ」
「来てねェワケねェだろ!! 降りて探そう!! いるから!!」
ビビを待ちたいのは皆同じだ。だが、海賊達はわかっていた。
ビビは王女だ。アラバスタにとってとても大切な立場にある。ビビは国と言うものを背負っているのだ。全てを投げ捨てて海賊になるということは普通は考えられるものではない。
彼らにそれを強制することなど出来はしなかった。
「オイ!! マズいぞ、海軍がまた追って来た!!」
慌てた様子のウソップが告げる。
引き離したと思っていたのに、何処までも海軍達は追って来ていた。
ビビがこないのならば、もうこれ以上この国に止まり続ける訳にもいかなかった。
そんな時だった。
◆ ◆ ◆
王女の放送が始まってから静まり返っていた広場であったが、今はざわめき立っていた。
ヤジと共に様々なモノが壇上の人物に対して投げつけられる。
民達がこうして騒ぎ出したのも無理はない。
広場に立っていたのは王女では無く女装した護衛隊長のイガラムだったのだ。
周りの兵士達も、さすがに苦笑し、騒ぎ立てる民たちを見守っていた。
王は自室で微笑みながら、ビビの選択を尊重し、いつの間にか大きくなったその姿を思い描いた。
◆ ◆ ◆
「────みんなァ!!」
「ビビ!!」
海兵達がやって来ているにもかかわらず、一味は一斉にメリー号の後ろ甲板に集まった。
そして、カル―と共にやって来たビビに喜びの声を上げる。
一味は急いで船を引き戻し、ビビを乗せようとしたが、
「お別れを言いに来たの!!」
続くビビの言葉に停止を余儀なくされる。
ビビはカル―に載せた拡声器を持ち、声を張り上げた。
『私……一緒には行けません!! 今まで本当にありがとう!!』
国中にビビの別れの言葉が響き渡った。
ビビは仲間たちに向けてありったけの感謝と、己の選択を告げた。
『冒険はまだしたいけど、やっぱり私はこの国を────』
『────愛しているから!!』
ルフィ達が救ってくれた愛する祖国を、この国に住む人たちと守り抜いていきたい。
それがビビの選択だった。
『私は────』
言葉を続けようとして、ビビの瞳から大粒の涙が零れ落ちた。
ぽろぽろと次から次に涙は溢れ続けた。
ビビの選択は同時に仲間との別れを意味していた。
王女として生きる事となればもう会うことが出来なくなってしまう。ビビの胸が痛いほどにしめつけられた。
『私は……ここに残るけど!!』
ビビは波に運ばれ去りゆく仲間たちに精一杯の願いを叫んだ。
『いつかまた会えたら!! もう一度、仲間と呼んでくれますか!!?』
さざ波の音が響いた。
一味からの返事は無かった。
ルフィはビビに何か言おうとしたが、ナミに止められた。
一味の後ろには海軍がやって来ていた。ここで一味がビビに答えれば海賊との関わりを海軍に嗅ぎつけられ、ビビは罪人となってしまう。
別れの言葉は送れない。ただ静かに、一味はかけがえのない仲間と別れるしかなかった。
ゾロ、チョッパー、ウソップ、ルフィ、ナミ、サンジ。ビビのかけがえのない仲間たち。
背を向けた一味は、一斉に左腕を突き出した。
『──── × × × × × × ────』
決して消えない絆。
それがそこにはあった。
────何があっても、左腕のこれが!!
左腕を掲げた大切な仲間達の声なき言葉に、ビビとカル―もまた誇らしげに左腕を掲げた。
────仲間のしるしだ!!
刻まれた思いは共にあり、何よりも強い絆で繋がっている。
渇いた島風がビビの頬を撫で、一味の追い風となって吹き付けた。
「出港ォ!!」
ルフィの声が高らかに響き渡る。
ビビは腕を掲げながら、麦わら帽子の海賊船を見送った。
海賊船は島風に帆を膨らませ、次の冒険を目指し旅立っていく。
友との別れ経て、新たな出会いを待ち望み、喜びと悲しみを抱えながら、夢の船は水平線の彼方へと消えて行った。
第三部 完結
「────さて、続きを始めよう」
ネクストプロローグ 「電伝虫」
アラバスタで引き起こされた歴史に刻まれる騒動から数日。
偉大なる航路(グランドライン)を指針が示すとおりに進んでいた海軍船の上で、電伝虫が鳴り響いた。
海軍船に取り付けられた電伝虫が鳴り響く時、それは大きく分けて二つ。通常の連絡か緊急の連絡だ。
今回もの回線は通常のモノ。だが、連絡先は本部からだった。
通信兵は小さくため息をついた。ここ数日こうして本部からの通信回線のなんと多いことか。
その理由は全て上司のせいだ。上司は尊敬に値し、命を預ける事に異存はないのだが、その型破りな性格にはいつまでもなれなかった。
現在、この船は絶賛独断行動中である。帰還命令が下っている状況なのだが、上司がそれを拒否した。
また、お叱りの通信かと、少しブルーな気持ちで通信兵は電伝虫の受話器を取った。
そして、受話器越しに得た情報に一瞬身体が硬直し、危うく受話器を落としかけた。
「スモーカー大佐ァ!!」
軍曹が上司のスモーカーに慌てたように駆け寄った。
その額にはうっすらと汗が流れていて、微妙に息も荒い。
「どうした?」
いつものように葉巻をくわえたスモーカーが駆け込んできた軍曹に問いかける。
「本部からの通信です!!」
「……またか。面倒な奴らだ。本部に戻る気はない。引き続き<麦わら>の足取りを追う。そう伝えておけ」
昨日までと同じ命令。
本部からの命令に対して自身の意見を押し付ける。海兵としては無茶といってもよかったが、スモーカーは押し通すだけの実力を持っていた。
「で、ですが……」
だが、軍曹の反応は鈍い。
それはスモーカーをいさめると言うよりも、それ以上の何かに突き動かされているような感じだ。
「軍曹さん、どうかしたんですか?」
今は休憩時間なのかスモーカーの傍で刀の手入れをしていた、たしぎが軍曹に問いかける。
「それが……今回ばかりはそうはいかないかと」
冷や汗を流す軍曹に、スモーカーはため息と共に煙を吐いた。
アラバスタの一件が解決したものの、政府は真実を隠蔽するつもりであった。
世界政府加盟国のアラバスタを襲った七武海クロコダイル率いる犯罪組織から海賊が国を守った。彼らの掲げる正義にそんな事実はあってはならない。
事実を捻じ曲げ、クロコダイルを打ち取ったのはスモーカーが率いる部隊だとし、偽りの手柄でスモーカーとたしぎの二人を昇格させようとしていた。
スモーカーは知っている。国の行く末を見定めろと命令を出した部下のたしぎは、力が及ばずに目の前の光景を見ているしかなかった。その事に打ちひしがれ、悔しさで泣いた。
そんな部下に、虚構の手柄で昇格しろとは侮辱以外のなにものでもなかった。故に本部に帰還し勲章の授与を受けろという命令を無視し続け、目的の<麦わら>を追い続けていた。
「わかった……ここに繋げ」
スモーカーの命令は軍曹を不安にさせるに十分だった。
軍曹がスモーカーの下に付いて短くはない。それゆえに彼がこれから取ろうとしている行動が予測できた。
どうしようかと視線を彷徨わせるも、この空間にスモーカーを止められる人間など存在しない。それが出来ていればそもそもこの『偉大なる航路』までやって来てはいなかった。
それはたしぎも同じだったのか、刀の手入れをしていた手を止め、心配そうにスモーカーへと視線を向けた。
「おれだ」
スモーカーはいつものように媚びる事のない態度で口を開いた。
『おおっ!! その声は間違いなくスモーカー君だ。いや、懐かしい。息災かね?』
「なっ!?」
そして、電伝虫から響いた声に表情を歪めた。
たしぎと軍曹は虚を突かれたような表情を見せたスモーカーに驚いた。それは彼女たちが見る初めての表情だった。
「何で、てめェが……!!」
スモーカーが苛立ちを隠そうともせずに電伝虫の向うの人物に吐き捨てる。
『これは……随分と嫌われたものだ。ヒナ君にかけた時とは大違いだよ。君の噂はかねがね。「クソ喰らえ」とは、なかなか痛快だったよ』
電伝虫の向うからは愉快げな声が帰って来た。
その声にみるみるうちにスモーカの表情が歪んでいく。
「チッ……言っておくが戻るつもりはない。上層部のジジイ共にはそう言っておけ」
『いやはや、そのあり方は素晴らしいとは思うが、君はもう少しうまく立ち回る方法を学んだ方がいい。何も服従をしろと言っている訳ではない。妥協点を見つけるのもまた力だよ』
「オイ、いつまで、おれの教官でいるつもりだ。てめェの指図は受けるつもりはねェ」
『悲しいことだ。あの頃の君は……』
「黙れ。それに、いつもまでも昇格するつもりのねェ、てめェには言われたくねェんだよ。用は済んだだろ、切るぞ」
『まぁ、待ちたまえ。今回の連絡はそれとは無関係だ』
「何?」
スモーカーの声が険を帯びた。
その普段とは違う上司の様子に、たしぎが小声で事情を知っている軍曹へと問いかける。
「……軍曹さん、スモーカーさんの通信の相手って誰なんですか? 私、スモーカーさんがこんなになるの初めて見たんですけど」
「それが、おそらく……」
軍曹は畏敬を込めその名を呼んだ。
「え、えぇッ!!」
その名が現す人物に思わずたしぎが声を上げたが、スモーカーに睨みつけられ慌てて口を閉じた。
そして、声を限りなく小さくして軍曹に言う。
「……今のって、本当ですか?」
「ええ、間違いないと思います。……本部からの回線ですし。先程、本人もそう名乗っていました」
「……それじゃあ、“あの”……」
「はい────」
軍曹が声色を憧れに染めて言葉を紡いだ。
「────大海賊時代の幕が開ける前。
白ひげ、金獅子、そしてかの海賊王ゴールド・ロジャー。今や伝説と化した海賊達が跋扈していた海において、戦いぬいて来た猛将」
それはまるで幼き頃見た冒険譚を語るかのように、
「その圧倒的な強さから、<武帝>と恐れられた人物。その名は……」
軍曹がたしぎに語っていた時、スモーカーは電伝虫越しの人に再び問いかける。
「で、何の用でわざわざ連絡してきやがった?」
『いやなに、二つほど気になることがあったのでね。少々、私情を優先したまでだよ。聞けば、君たちはアラバスタにいたそうじゃないか』
「おかげで、面倒なことになってるがな」
『そういうな。苛立つ気持ちは十分にあるだろうが、政府の意向は覆らんよ。おっと、話がそれた。それで現場の状況を聞きたいのだ』
「状況なら報告書の通りだ。それはもう目を通してあるんじゃねェのか?」
『ああ。だが、どうしても現場の声を聞きたくなった』
「フン……いいだろう。好きにしろ」
そしてスモーカーはかつての教官に嫌味を込めて言葉を紡いだ。
「海軍本部少将 <武帝> アウグスト・リベル」
スモーカーの言葉に、武帝と呼ばれた男は電伝虫の向うで微笑えんだ。
『そう邪険に扱わんでくれたまえ。────では、一つ目の質問だ。君の部隊は戦場で巻き上がった“霧”を見たらしいね。……まずその状況を聞いてみたい』
◆ ◆ ◆
同刻。
電伝虫の秘密回線にて。
『おっ!! 旦那じゃねェか!! 久しぶりだな!! 悪ィ、もしかして待たせちまってたか?』
向うから楽しげな男の声が聞こえて来た。
電伝虫を用いての業務報告であったが、この回線が繋がらなければ放っておくつもりだったので、とりあえずは行幸だ。
「いや、気にするな。何も問題はないか?」
『あ~~、いや、特にはねェな。まぁ、暇すぎてその辺の海賊をブッ潰したぐれェで特には何もしてェよ』
「……あんまり、頭が痛くなるようなことはしてくれるなよ」
『わかってるって。問題はねェよ。こう見えても、引き際ってのは心得てるから安心してくれや。それよりもそっちはどうなったんだよ? まだ戦ってんのか? それなら超特急で行くからよ』
得物に喰らいつくことを期待するかのように話を振って来た。
その様子に、ため息をつく。
「……お前を連れて行かなくて本当に正解だったと思ってるよ。戦いは終息した。この国は我々が気安く手を出していいものではない」
『なんだ、終わっちまったのかよ。つまらねェ。────ま、終わっちまったならしゃあねェか。まァ、聞く限りじゃあんまり気の進む戦いでもなさそうだったしな』
「ともかく、オレの任務は終わった。こっちは帰還するつもりだが、お前はどうする?」
『ん~~じゃあ、暫くは自由にさせて貰おうかね。おもしれェもんも手に入ったし、少し遊びてェ気分だ』
「そうか。まぁ、いいだろう。用があればこちらから連絡を入れる」
『期待してんぜ、旦那』
自身が部下としてスカウトした男。
初めは、使い捨ての駒のつもりで誘いをかけたが、十分に役割をこなしていた。
相手もバカではない。自分が使い捨てられる可能性をも踏んでいただろうが、それでも斡旋した任務を嬉々とこなした。
向こうとしては、戦いの場を提供するこちらはいい取引相手でもあったのだろう。
男は戦闘狂とも取れる異常な性質だが、しっかりと筋の通った人物でもあった。
裏切りの可能性も考慮して初めのころは碌な情報は教えていなかったが、今では信頼を勝ち取り、幹部の一員となっていた。
『────ところでよ、旦那』
興味ありげに相手が聞いてくる。
なんとなく予測はついた。
『どうだったんだ? 見たんだろ? あいつらを』
「あの子達か……」
それは己が過去に置き去って来た罪そのものでもある。
あがらうために嘘をついて、それが罪を一層重くさせた。
「清くも正しくもなく捻くれていたが、どうやら信念を持って育ってくれたようだよ。彼女も綺麗になっていた。……やはり、よく似ていたよ」
『なんだ、その言い草だと、会った訳じゃねェのかよ。まったく、あのいけすかねェクソ野郎とは早ェとこケリをつけェんだけどな』
「…………」
『わーてるって。我慢だろ、我慢。まだ、その時期じゃねェんだろ。それよりも良かったのか?』
「……あの子達はあの子達の道を進んでいた。それを止める事は出来ない。……オレは遅すぎた」
『たっく、面倒なこった。まぁ、なんだかんだで上手くやってるだろうしな』
「……その話はココまでだ。他に何かあるか?」
『いや、特にはねェよ』
「そうか、ならば通信はココまでだ」
『了ー解。じゃあな────』
そして相手はこちらの名前を呼んだ。
『────亡霊の旦那』
「ああ。ハリス、また連絡する」
通信は切れた。
To Be Continued……
あとがき
今回でアラバスタ編の第三部は終了です。
こうして振り返ってみると長いようで短いように思えました。
途中でかなり暴走して、皆様にご迷惑をおかけしたので申し訳ございませんでした。
少しでも、今回の経験を糧にして精進していきたいと思います。
色々考えましたが、二人は一味の船に潜り込むこととなりました。
オリジナルも考えましたが、やはり一味に入れてあげたいという思いがありました。
空島編は今構想を練っている段階でもう少し時間がかかるかもしれません。アラバスタ編は私も正直やり過ぎたと感じていたので、考えどころです。
ラストのネクストプロローグは微妙な伏線です。
裏話をすれば、実はハリスをアラバスタに登場させようかなぁと考えていたのですが、色々と無茶苦茶になりそうな気もしたので止めたという経緯があります。
……今にして思えば、ハリスはアラバスタで出さなくて正解だったとも思えますが。
オリキャラ陣はそのうち登場させるつもりです。原作の濃いメンバーたちに負けないように気合を入れて行きたいです。
また頑張ります。
ありがとうございました。