反乱軍と国王軍が取りつかれたように激戦を繰り広げる宮殿前広場。
塵旋風が戦場を吹き荒れて、戦う兵士たちの視界を覆い、敵どころか味方までも見失った兵士たちは恐慌しさらなる狂気に陥った。
途絶える事無く響く銃声に砲撃の轟音。兵士達が上げる大気を震わせる怒号。砂の地面は血を吸い重く滲み、漂うのは強烈な硝煙の匂い。
精神と共に五感全てを狂わせられるような、まさに地獄と呼ぶにふさわしい光景が広がっていた。
「何度見ても酷いもんだな」
そんな戦場を一人の男が市街地の屋上から見下ろした。
パサついた干し草のような髪に、夜のように深い目をした男だ。
男の存在は、目の錯覚を疑うほど曖昧で、まるで男を構成する物質が足りないのではないかと感じいるほど、薄い。
注意をしなければ背景の一部として認識してしまうほど完璧に、戦場というこの異常な空間においても、ただ立っているだけで溶け込んでいた。
「今回は観察のつもりだったが……やはり、部外者はきついな」
男は疲れたようにため息を漏らすと、時計台の方角へ目を向けた。
「その願いは届くのか。
いや、それを為せるだけの“力”があるのか」
次に男は宮殿から西に向かった先にある葬祭殿を見つめた。
「その戦いは、償いか、それとも意地か。
いずれにせよ、険しい道のりだな。……君たちはそうして戦いながら夢を追い続けたのか」
男は緩やかに腕を掲げた。
その瞬間、男の姿が掲げた腕を中心に、まるで世界に溶け込むように薄くなっていく。
「時は進む。誰にも止められる事無く、ただ悠然と。
止められぬのならば、人に出来るのはその一瞬を作ることだ。誰にも止められぬほどのうねりをクロコダイルは作り出してしまった。
ならば、それを変えるにはより強い瞬間を刻みつけるしかない。それを為すのは誰か。王女か、彼らか、それともあの麦わらの少年か」
男の姿が霞み、いつの間にか消えた。まるで始めからそこにはいなかったかとでもいうように。
そして、声だけが響いた。
「まぁ、あのオカマの言葉じゃないが、奇跡は諦めの悪い奴の前に現れる。
諦めの悪い奴は嫌いじゃない。足掻き続ける事にも意味はある。────諦めるのはまだ早いということだ」
もうそこには誰もいない。
だが、その空間だけは砂塵が舞い込む事は無く澄んでいた。
第二十話 「馬鹿」
────葬祭殿。
瞬く間にクロコダイルへと肉薄し、振るわれる渾身の一撃。
六式が一つ。爆発的な脚力によって消えたと認識させるほどの速度で駆け抜ける“剃”。
クレスの肉体はまるで機械のように的確に連動し、うすら笑いを浮かべたクロコダイルに“鉄塊”で硬化させた拳を叩きつける。
「無駄だァ……」
圧倒的なクレスのスピードを前にしてもクロコダイルは動じない。
クロコダイルは弱点である“水”を持たずに自身を殴りつけようとするクレスを蔑んだ。
<自然系>の能力である<スナスナの実>はクロコダイルを自然変換し、一切の攻撃を無力化する。
どんな攻撃を繰り出そうとも、指先から零れ落ちる砂のようにクロコダイルの身体をすり抜ける。水という媒介無しではクロコダイルは無敵といってよかった。
クレスは“水”という能力の弱点に気づいているにも関わらず、取りだしたのは海兵達が好んで身につけるタイプの黒手袋。
この二人ならば自身を警戒して水を携帯しているかと思ったが、どうやら見込み違いだったようだ。
この攻撃もどうやら逃げるための目くらましだろうとあたりをつけた所で、予定道理手早く始末しようと体を砂に変え、
「……!!」
海賊としての勘がクロコダイルを動かした。
砂粒となってクロコダイルは身を翻し、その傍を唸りを上げたクレスの拳が通り抜ける。
「どうして避けたんだ?」
余裕を見せるようにクレスは笑い、流れるように半回転。
そしてクロコダイルを構成する砂の塊に向かって、強烈な裏拳を叩きつける。
クレスの腕が砂粒をすり抜ける。だが、手にはめた黒手袋がその核を掴む。衝撃をもたらしながら、クレスの拳はクロコダイルへとめり込むように突き刺さり、吹き飛ばした。
「くっ……!!」
全身を砂に変え、クロコダイルは空中で体制を整え、地面を削りながら着地する。
だが、息つく暇はない。クロコダイルの目の前には高速で接近するクレス。
閃光のように肉迫したクレスにクロコダイルは忌々しげに鉤手振るった。
クレスが取ろうとしていた最短距離の最中に差し出された鉤手。クレスは前方に現れた鉤手に一瞬驚くも、更に地面を強く踏み込んだ。
宙を舞うクレス。肌に触れるかというギリギリのラインでクロコダイルの鉤手を見切り、真上へと舞い上がり、“月歩”によって更に宙を蹴って、クロコダイルに向かって垂直に強襲を仕掛ける。
「我流“雷礼(ライライ)”」
重力の加速を受け、稲妻のように加速したクレスは硬化させた腕をクロコダイルに付きだした。
クロコダイルは上空から攻撃を仕掛けるクレスを避けようとして、────突如現れた腕にその脚を掴まれる。
「チッ……!!」
クロコダイルは瞬間的に全身を砂に変える。
砂粒は指の間を流れ、いとも簡単にその拘束から逃れるも、その一瞬の隙に砂と化した全身に向かってクレスの鋼鉄の拳が襲いかかる。
轟音。ひび割れる地面。舞い上がる粉塵。
その中で、肘近くまで埋もれた拳を地面から引き抜いたクレスが警戒しながら立ち上がる。
「何処いった……?」
手ごたえは感じなかった。
クレスの拳が届く寸前にクロコダイルは砂となって地面に広がり、消えた。
<スナスナの実>の能力によって全身を砂に変えたクロコダイルを砂塵が舞う空間で見つけるのは困難を極めた。
「……うっとおしいんだよ」
ゆらりと砂の魔人はクレスの背後にその姿を現すと同時に無防備な首筋に向けて鉤手を振るった。
クレスが咄嗟に気付き全身に“鉄塊”をかける。クロコダイルの鉤手はクレスの“鉄塊”に弾かれ、突如咲き誇った腕に掴まれた。
「クレス、離れて!!」
クレスは地面を蹴り、その場から離脱する。
それと同時にクロコダイルの身体に更にロビンの腕が咲き、その背を無理やりに歪めて、サバ折りにする。
「クラッチ!!」
クロコダイルの体が折られる。その腹から血のように大量の砂があふれ出て、その中にクロコダイルの身体が吸い込まれる砂に溶けていった。
無形の砂の塊は、油断ない視線を向け続けるクレスの前でその姿を形作り、クロコダイルの温度の無い双眼がクレスとロビンを睥睨する。
だらりと、クロコダイルの乱れたオールバックが垂れた。クロコダイルはそれを気にするでもなく、自身の血で汚れた口元を歪めた。
「クハハハハ……。やってくれるぜ。
まさか本気でこのおれに立ち向かってくるとはなァ。よほど殺されたいらしい」
「何言ってんだ。どうしようと殺す気満々だっただろうが」
「ああ、そのつもりだ。だが、楽に殺すことはやめよう。てめェらは散々苦しませて殺す」
「おお怖っ。精々気をつけないとな」
クレスはクロコダイルの殺気をかわすように肩をすくめた。
肩をすくめたクレスの手が彼の目に入る。それを見て、殺気が強まった。
「よっぽどこの手袋が気に入らないらしいな」
クレスの手は黒く覆われていた。
父の形見の黒手袋だ。
「なかなかいいだろコレ」
クレスは自慢するようにわざとらしく手を掲げた。
クロコダイルは小さく舌を打つ。
「……何処で手に入れたかは知らねェが、『海楼石』とはやってくれる」
「そう言うなって、オレも気付いたのは最近なんだからよ」
『海楼石』
今だその全容が解明されない、固形化した海とも言われる硬石。
クレスが父の手袋に『海楼石』が仕込まれているのに気付いたのはほんの偶然だった。
幼いころから今まで拳を自身で硬化させることが出来たので使い道が無かった黒手袋。クレスはある日鞄からそれを探り出し、なんとなくはめてみた。
クレスと父のタイラーはどうやら同じ体型だったようで、驚くほどにその手袋は成長したクレスの手に馴染んだ。
関心しながら手袋を戻そうとした時に、ロビンが黒手袋に興味を持ち、僅かな体の異変に気付きその仕込みに気が付いた。
「まったく、間抜けな話だ。20年たったつい最近に気付くなんてな」
「だが、随分と劣化品のようだな」
「……さすがに気付いたか」
クロコダイルが言うのは黒手袋の『海楼石』としての効力の低さだ。
海楼石というのはかなり加工がしづらい。研究は進められているが、それでもまだ未発達である。
タイラーがこの黒手袋を使っていたのは30年以上前になる。技術が今以上に未熟だった為か、効果が十分に発揮させられていないのだ。
「確かに、出来て『触る』ぐらいだよ。『能力者の無力化』なんて夢のまた夢だな」
これもまた、黒手袋に『海楼石』が仕込まれている事の発見が遅れた原因だ。
どうやら黒手袋の鉄糸の中に含まれているらしいのだが、かなり効果が低い。
現在の物────例えば、スモーカーの十手────程の効果があれば、直ぐに気付けただろう。
確認したロビンは「いつもより体が重い程度」と言っていた。
「だが、お前を倒すにはそれで充分だろ?」
「……そういう戯言はおれを倒してから言うんだな」
「戯言結構。後悔させてやるよ」
再び床を蹴りつけクレスは駆け抜ける。
クレスの『剃』は相当な実力者であっても視認することは困難だ。傍目から見れば圧倒的なスピードによって完全に姿を見失う。
だが、クロコダイルはそのクレスの姿を捉え、なおかつカウンターの要領で刃と化した腕をふるった。それは能力のみでは無い、クロコダイル自身の強さに裏図けされた実力だ。
「砂漠の宝刀(デザート・スパーダ)!!」
「嵐脚“断雷”!!」
地面や障害物ごと両断しながら振るわれたクロコダイルの宝刀に、クレスは自身の持つ最大の切断力を誇る“嵐脚”で挑んだ。
砂の刃と、風の刃は拮抗し、混ざり合って、花火のように弾け、旋風と砂礫を撒き散らした。
散弾のように舞う礫の中、クレスは既に宙を駆けていた。圧倒的な脚力で空気を蹴りつけ、雷光のように肉迫する。
「指銃“剛砲”!!」
クロコダイルはクレスの砲弾のような拳を砂の身体を自在に変化させ避ける。
拳はクロコダイルの直ぐ傍の空間を烈風と共に通過するもクロコダイルに傷を負わせることは無い。
「フン……!!」
クロコダイルの右腕がクレスを捉えようと蠢く。
その掌は渇きの魔手。触れたモノ全ての水分を奪いつくす。
刹那、クレスの右脚が跳ね上がった。クレスの右脚はクロコダイルの右肘のあたりを蹴り飛ばし、クロコダイルの腕が砂となって飛び散った。
「ラァッ!!」
クレスは崩れた体制を捻じ曲げて、更に黒手袋の拳を振るう。
間髪入れぬ連撃。クレスの拳はクロコダイルの顔へと迫り上半身を砂と変えたクロコダイルの頬を僅かに斬り裂き、血が飛び散った。
直後、クロコダイルが凄惨な笑みを浮かべ、振り上げられた鉤手が無防備を晒したクレスに向けてギロチンのように振り下ろされる。
だが、その鉤手がクレスを捉える事は無い。絶妙なタイミングで咲いたロビンの腕が宙に浮いたクレスを引いて回避させた。
「サンキュ、ロビン」
「どういたしまして」
体制を立て直したクレスが着地する。
クレスの基本スタイルは“嵐脚”による中距離攻撃と“剃”“月歩”を使っての高速移動に“鉄塊”によって硬化させた“指銃”を掛け合わせた一撃必殺だ。
騎兵のの突撃(チャージ)に近いこの戦法は、高硬度の“鉄塊”を瞬間的に作り出せるにも関わらず持続時間が本家に劣るクレスが、如何に傷を作らずに相手を倒せるかを念頭に置いた戦法でもある。
つまり、クレスは基本的に相手との間合いを制しての、相手に反撃をさせない戦い方をしているのだ。
そのクレスが自身が無防備になるにも関わらず、無鉄砲なまでの攻撃を続けられるのはひとえにロビンとの連携があってこそであった。
「剃」
舞い上がる粉塵を斬り裂いて、クレスが再び“剃”によってその身を躍らせる。
だが、周到な砂の魔人はそれを読み切り、クレスと交差する直前に三日月刃と化した魔手を振るう。
「三日月型砂丘(バルハン)!!」
クレスに悪寒が走った。
クロコダイルの掌は触れたもの全てに例外なく渇きを与える。
振るわれた渇きの刃に少しでも触れれば触れた部分全ての水分が吸い取られてミイラと化す。それはもちろんクレスとて例外ではない。
「────ッ!!」
クレスは直前に前方の空気を蹴りつけて軌道を捻じ曲げる。
結果、クレスの体はクロコダイルの刃を逸れるも、着地に失敗した鳥のように地面を転がった。
「無様じゃねェか、エル・クレス」
クレスは立ち上がり、服に着いた土埃を払う。
『海楼石』によってクロコダイルに対する攻撃手段を得たが、それで優位に立てた訳ではなく、やっと同じ土俵に立っただけだ。むしろ戦いはこれからと言える。
「どうして避けたんだ?」
「……このヤロ」
クロコダイルの渇きの魔手は“鉄塊”で受ける事は出来ない。
“鉄塊”は体を鉄の硬度まで高める技ではあるが、決して体が鉄になった訳ではない。硬化した肉体はクレス自身の肉体だ。クロコダイルの渇きの魔手を受ければ干からびる。
クレスはクロコダイルの冷徹な戦術眼に舌を打った。強力な一撃を繰り出すクレスにサポートをおこなうロビン。驚異的なコンビネーションを誇る二人だが何事にも例外は存在する。
クロコダイルは二人が戦ってきた中で最悪の部類に入る男だ。クロコダイルの魔手にクレスが受け止める術は無く。全身を砂へと変化させる体をロビンは捕まえられない。
「てめェもあの麦わらと同じだな。おれを殴れさえすればもう勝てるとも思ってやがる。
まったく、バカバカしくて呆れてくるぜ。おれの能力を殺せば勝てるとでも? おれがその程度の男だとても思ってんのか?」
「…………」
「まぁ、それでもおれはてめェを評価してやるよ。
てめェの<六式>も大したもんじゃねェか。────それでもおれには及ばねェ事には変わりねェがな」
「……別に、お前を甘く見てる訳じゃねェよ。
手袋程度で戦況が変わるとも思っていもいねェし、対策も立てなかったわけじゃない。出来れば“コレ”は出したく無かったんだけどな。コノ武器はあまりに危険過ぎる」
僅かに眉根を寄せたクロコダイルの前で、クレスはサイドバックからその武器を取り出した。
「お前の為に取り寄せて組み上げた特別品だ。……精々後悔するんだな」
クレスは取り出したものを握り込み、黒く禍々しいペイントが為された先端をクロコダイルへと向ける。
金属製の重々しい形状。狙いを定めた鷹のように鋭い筒状の部品。そして特徴的なトリガ―。
「銃だと?」
クレスは指先を弾丸に変える“指銃”を体得してる。
いわばクレス自身が凶悪な銃であるにも関わらず、銃を取り出したクレスにクロコダイルは僅かな困惑を見せた。
「ああ、その通り。だが、これはただの銃じゃ無い」
クレスは取り出した銃をクロコダイルへと向け、軽く引き金を引いた。
そして、クレスの持つ禍々しい銃の投身から、
────チョロリと水が出た。
「水鉄砲だ」
余りの事態にクロコダイルは停止する。
この時、クロコダイルが辺りを見渡せば忍び笑いをもらすロビンを見つけられただろう。
「な? 危険だろ」
「てめェ……ッ!!」
オチョくるようなクレスの態度に、クロコダイルが怒りを爆発させる。
確かに、クロコダイルの<スナスナの実>の弱点は“水”だ。何らかの対策は講じて当然である。
だが、ここまでの屈辱は初めてだといってもいい。その対抗策がまさか、“ただの水鉄砲”だとは何の冗談だ。
それに加えてクロコダイルは先程、水を飲み込んで水風船となったルフィと戦い、浅くは無い傷を負った。その事も彼に怒りのボルテージを上げさせていた。
「フザけが過ぎんだよ!! エル・クレス……!!」
殺気を撒き散らしながら、全身を砂の大蛇と変えクロコダイルがクレスをミイラに変えようと動いた。
気の弱いものならそれだけでショック死してもおかしくはない勢いだ。
クレスはその殺気を受け流しながら、狩人のようにクロコダイルを捕捉し、水鉄砲の引き金に掛けた指を、
「────BANG(バン)」
引いた。
「何ッ!!」
クロコダイルが目を剥いた。
ありえない速度で迫る水。
クレスが構えた水鉄砲からまるで本物の弾丸のような勢いで水が発射され、着弾した石材を僅かに削った。
「……外したか」
鋭い目でクレスは再び銃口をクロコダイルへと向ける。
目を見張るクロコダイルに向けて、物理的な威力を伴った弱点の“水”が容赦なく放たれる。
クロコダイルは屈辱に震えながらも砂に変えた全身をクレスの水鉄砲から逃げるように蠢かせ遮蔽物となるものを利用しながら巧みに避けていく。
それは悪魔を征する聖水か。だが、それになぞらえても立ち塞がるもの全てを圧倒する砂の魔人が水鉄砲相手に逃げる姿というのはいささか滑稽でもあった。
「だから言っただろ? 危険だって」
クレスは“剃”を使ってクロコダイルを追い、姿を見つけ次第、水鉄砲を発射する。
クロコダイルはクレスから放たれる水を、砂と化した全身と渇きの魔手を用いて巧みに避ける。
反撃に出ようと思うも、クレスはそれを許さない。片腕は水鉄砲で塞がっているがもう片方は『海楼石』の黒手袋だ。無理に接近すればクレスの思うがままだった。
「この水鉄砲は特別製でな。構造自体は結構簡単なんだが、面白い性質があったんだよ。なんでも、引き金を引いた強さに応じて水を遠くまで飛ばせるんだそうだ」
クレスは“水”の残量を計算しながらクロコダイルに語りかける。
「まぁ、ただの遊び道具だったからそうたいしたことは無かったんだけどな。
銃口を改造して小さくしたんだよ。そして、圧力で壊れないように硬度を上げて、んでもって全力で引いた」
クレスは“月歩”で飛び上がり、上空からクロコダイルを狙撃する。
水の弾丸は狙いは乱雑ではあるものの貫くような勢いでクロコダイルへと迫り、クロコダイルは舌打ちと共に地を這う大蛇のようにうねりながらかわす。
「するとビックリ。こんな感じでかなりの威力が出たわけだ。
魚人の中にも水を武器にする奴がいるって聞いたことあるけど、案外何とかなるもんだな」
「それがどうした。苛立たしい武器だが、水が無くなればそれまでだ。随分と派手にぶっ放してるが、そろそろ残量が心配なんじゃねェのか?」
クロコダイルの言う通りだ。
弾丸となる水が無くなればクレスの持つ“水鉄砲”は役目を終える。
クロコダイルが苛立たしげに攻撃を避け続けるのもそのためだ。
「確かにその通りだ。あんまり無駄弾は使いたくないんだが……」
クレスは脚を止め、改めてクロコダイルに向けて水鉄砲を構えた。
「生憎と、一人で戦ってる訳じゃ無くてな」
「────ッ!!」
飛来する試験管。
クロコダイルが目を見開き背後から迫る試験管を避けようとするが遅い。
クレスに注意を向けさせた隙にロビンが投げつけた試験官はクルクルと回転し、クロコダイルの右足に当たって割れ、中に入った水がクロコダイルの脚を濡らした。
間髪いれず、クレスが水鉄砲の引き金を引いた。物理的な威力を持った水は、脚を濡らされ実態を得て動きが鈍ったクロコダイルへと直撃し、衝撃と共にその体を濡らしていく。
水を吸った砂は固まるだけでは無く、吸った分だけ重くなる。つまり、その分だけクロコダイルの動きが鈍くなるのだ。クロコダイルはよろめきたたらを踏んだ。
「六式“我流”────」
クレスの身体が僅かに沈み、地面を踏みつけて、動きの鈍ったクロコダイルに向けて全力で加速する。
クロコダイルは鈍った体でありながらもクレスを迎撃しようと渇きの魔手を振るおうとしたが、“水”によって固まった体を咲いたロビンの腕が押さえつける。
「────閃甲破靡!!」
クレスの“鉄塊”によって硬化された拳は、“剃”による加速を受け、“指銃”の速度で打ち出される。
手甲のように硬化させた拳は閃光のように瞬き破壊を靡かせながらクロコダイルの鳩尾に突き刺さり、弾き飛ばされるように吹き飛ばし、石壁へと叩きつけ、粉塵が舞った。
「…………」
クレスは拳に確かな感触を感じた。
だが、その表情は晴れない。それはまたロビンもまた同じだ。
クレスとロビンの知恵と力で引き寄せた渾身の一撃。だが、それでもまだ安心は出来なかった。
敵は<王下七武海>の一角クロコダイル。油断など始めから無く、クロコダイルが倒れたその姿を見るまで安堵の息を吐ける筈が無かった。
「……クレス」
「ああ」
ロビンの声にクレスは答えた。
「まだだ……!!」
土煙の先。
そこには瞳から熱を完全に消し去った砂の魔物が立っていた。
静かに、先程までの怒りなど微塵にも感じさせる事無く、無表情。
クレスは肌が粟立つような怖気を覚えた。クロコダイルの目は何処までも冷たく、呑まれそうなほどの殺気が刃となってクレスとロビンを貫いていた。
「認識を改めよう。<オハラの悪魔達>」
直後、クロコダイルの掌から強烈な砂嵐が生まれた。
密閉された空間で、砂嵐は何処までも猛威を振るい、葬祭殿内で吹き荒れた砂嵐は様々な物を破壊してゆく。
クレスは吹き飛ばされないように腕を交差させながら大地を踏みしめ、ロビンは能力によって咄嗟に身体を支えた。
「てめェらは確実におれが殺してやる」
クロコダイルが自身の鉤手を掴みゆっくりとスライドさせていく。
するとその下から、更に鋭い鉤爪が現れる。その鉤爪にはいくつもの穴が空いていて、そこから液体が染み出ている。<サソリの毒>と呼ばれる猛毒だ。
「死ね」
クロコダイルが砂嵐が吹き荒れる中、クレスに向けて砂と化した全身をうごめかした。
クレスは砂嵐によって視界を奪われながらも、迎撃しようとまた地面を蹴った。
下から振るわれる毒針を紙一重で避け、クレスは拳を振るう。クレスの拳はクロコダイルへと突き刺さるも、それでもなおクロコダイルは引かない。
衝撃を受けながらも、体を砂と化して忍び寄るように進み、渇きの魔手をクレスに向けて振るう。
「三日月型砂丘(バルハン)!!」
防御不可能の渇きの三日月刃をクレスは転がるように避けた。
「ぐッ!!」
だが、それでも完全には避けきれず、僅かに触れた左手が“水鉄砲”ごと朽ちてゆく。
水分を吸い取られた腕は肉が削げ落ちたように骨と皮だけのミイラへと変わり、クレスの制御から切り離される。
クレスは左腕を失った状況でなおも、脚を振り上げ更に腕を振るおうとするクロコダイルに向けて“嵐脚”を放ち、その姿を四散させた。
砂粒となったクロコダイルは砂嵐に乗りながら集束し、クレスの傍を通り抜け、砂嵐のあおりを受けたロビンの前で毒針を振り上げた。
「待て!!」
「協定の際、言った筈だぞ。
────妙な真似をしたら、ニコ・ロビンの方から殺すと」
無慈悲な一撃が振り下ろされる。
その瞬間、クレスの中で時がコマ送りのように引き延ばされた。
ロビンが現れたクロコダイルに目を見開き、何とか回避を試みる。
砂嵐のあおりを受け体制の崩れたロビンにこの一撃を避ける事は不可能であり、水を持たぬ今、クロコダイルを掴む事も不可能であった。
クレスは骨と皮と化した左腕に構うこともなく全力で走った。
ロビンを守り抜くこと。それがクレスが自身に掲げた絶対の誓いだった。
「大丈夫か? ロビン」
鮮血が舞い、まだ温かい血液がロビンの頬に付着した。
「クレス……?」
茫然とした声でロビンが言葉を為した。
クロコダイルの毒針。体内に入り込めば数分で死に至らしめるという猛毒。
全力で駆け、ロビンを庇うことを優先し、“鉄塊”で防ぐ暇は無かった。
クレスの口元から血が流れ出る。クロコダイルの毒針はクレスの腹に深々と突き刺さっていた。
「くだらねェなァ」
吐き捨てるように言いながらクロコダイルが毒針をクレスから引き抜いた。
クレスが糸が切れたマリオネットのように小さく震え、壊れたように一気に吐血した。
「まったく、くだらねェ。てめェらみたいな奴らをバカって言うんだ。
"情"なんて不要な物を捨てられねェからこうして命を落とす。今までよく生き抜いてこれたもんだぜ」
クロコダイルはクレスへの興味がかくなったのか一瞥すらくれずに、淡々とロビンに向けて再び毒針を振り上げた。
「あの世で仲良くでもしてろ、<オハラの悪魔共>」
そしてクロコダイルの毒針が振り下ろされる。
クロコダイルの毒針は鈍い音と共に肉を抉り、そして止まった。
「何だと!! まだ、生きて……!!」
驚愕の表情を浮かべるクロコダイル。
クロコダイルの毒針はクレスがロビンを守るように差し出した右腕に突き刺さっていた。
「ロビンに手ェ出すんじゃねェよ……!!」
瀕死の筈のクレスの脚が唸りを上げる。
水を持たぬ筈のクレスの脚は、クロコダイルを蹴りつけ骨の軋む音と共に吹き飛ばした。
「ぐッ……!!」
クロコダイルが苦悶を上げた。
クレスからあふれ出た大量の血液。それがクレスの全身を濡らしていた。
「六式“我流”────」
クレスが小さく呟いた。
視界がやけに点滅し、毒が回って来たのか体がバカになったみたいに震えた。突き刺された腹はやけに熱を持っていて、腕もまた感覚が死んできた。
だが、それでもクレスは大地を踏み砕くように蹴りつけた。
徐々に寒くなってきた体を無理やりに制御して、左腕がミイラなのにも構わずに走り抜ける。
吹き飛ばされたクロコダイルはその姿を視界に納め、毒を食らい生きている筈の無いその男を抹殺しようと、砂の刃を作り出す。
今のクレスは手負いの獣も同然だ。確実に止めを刺さなければやられるのは自分だと海賊としての本能が告げていた。
「────砂漠の(デザート)!!」
血を流しながらクレスは瞬く間にクロコダイルへと迫り、震脚。クレスが踏み抜いた衝撃は葬祭殿全体を震わせる。
クレスは右腕を手刀の形で硬化させ、全身を弓のようにしならせる。震脚によって受けたエネルギーを変換し、引き絞られた体勢でクロコダイルに狙いを定めた。
「金剛宝刀(ラスパーダ)────!!」
「────銀刃先!!」
放たれた銀光のようにクレスの硬化された手刀が突き出される。対するクロコダイルは剛金の宝刀と化した魔手。
リーチではクロコダイルが勝った。クレスの手刀がその身に届く直前にクロコダイルの刃がクレスを斬り裂く。
それでもクレスは止まらない。通常ならばまず相手が両断されるクロコダイルの宝刀。だがクレスは“鉄塊”をかけその刃を阻んだ。
だが、無事だという訳ではない。クロコダイルの刃は徐々にクレスを斬り裂いてゆく。
クレスは全身から血が溢れだすのも構わずにただ愚直に前進する。
その時、一瞬だけクレスに対する負荷が和らいだ。
「────!!」
クロコダイルが瞠目する。
自身の刃を逸らそうと咲いたロビンの腕。
刃と化した腕を直接掴み上げ、腕が斬り裂かれる厭わずに逸らしていた。クレスをサポートすべくロビンは歯を食いしばる。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ────!!」
クレスが咆哮する。
力が緩んだ一瞬に、腕をクロコダイルに向けて突きたて、一気に押し込んだ。
巻き上がる砂塵。崩れた石材が吹き飛び、鮮やかな葬祭殿を破壊してゆく。
ただ一人の観客であるコブラは目の前で繰り広げられる激戦にただ息を飲むしか無かった。
何故、<オハラの悪魔達>と呼ばれた二人がクロコダイルを裏切り、こうして戦っているのかコブラには分からない。
コブラが葬祭殿にクロコダイル達を案内したのは葬祭殿にある特殊な作りの為だ。葬祭殿は綿密な計算のもと柱を一本抜くだけで崩壊するような作りとなっている。
国王としての意地として、コブラはクロコダイル達と共に生き埋めになる覚悟だったのだが、繰り広げられた激戦により既に葬祭殿の崩壊は始まっていた。
砂嵐が力を失い、徐々に小さくなってゆく。
その向うに影が見える。
三つあった。
「ハァ……ハァ……ハァ……」
息を荒げているのは全身を血で濡らしたクレス。
その身には深い傷が刻まれて血が溢れだしている。
「……ッ」
斬り裂かれた腕を抑えるのはロビン。
ロビンの能力によって咲いた腕は全て彼女のものだ。咲かせた腕がダメージを受ければその痛みは本人に還元される。
「ク、クハハハハハハ……」
不気味な笑い声を上げたのはクロコダイル。
彼の胸元から肩口に抉られたような傷が続き、同じく流れ出た血が服を濡らしていた。
「……………」
「……………」
「……………」
三者共に言葉な無い。
クレスとロビンは生き残るために死力を尽くし、クロコダイルは立ち塞がる敵を切り捨てるのみだ。
だが、状況はどう見てもクロコダイルに傾いていた。クロコダイルを打倒するにはクレス一人の力では足りず、ロビンだけでは不可能。二人がそろってやっと均衡が保てた、そういうレベルだ。
現状はかなり厳しい。クレスはかなりの重症で、ロビンもまた腕を痛めては能力の行使に支障が出る。対するクロコダイルは傷は小さくはない筈なのに今だ不敵な笑みを浮かべている。
硬直は息苦しい緊張を生みながら続き、クロコダイルが先じて均衡を破ろうとした瞬間────
「見つけたぞ……ワニ」
第四の人物が現れる。
クロコダイルが始末した筈の少年。モンキー・D・ルフィ。
「………!!」
その瞬間のクレスの行動は迅速であった。クレスは速攻で地面を蹴り、クロコダイルに背を向け、ロビンを抱きかかえたまま戦闘から離脱した。
「チッ……!!」
クロコダイルが舌を打ち二人を追おうとしたが、目の前に立ち塞がった少年がどうしても邪魔だった。
「何故、生きているんだ……!!
殺しても殺しても、何故おれに立ち向かってきやがる……!! えェ!? 麦わらァ!! 何度殺されれば気が済むんだァ!!」
「……まだ、返してもらって無いからな。お前が奪ったものを」
「おれが奪った? ハッ!! 金か? 名声か? 信頼か? 命か? それとも雨か?」
クレスとロビンを仕留めきれなかった苛立ちをぶつけるように、クロコダイルは矢継ぎ早に言う。
ルフィは王女の意志を代弁しぶつけた。
「国」
◆ ◆ ◆
「クレス、しっかりして!!」
ルフィの乱入により戦線を脱出したクレスは、睨み会うクロコダイルとルフィから離れた壁際でロビンを下ろし、崩れるように倒れた。
葬祭殿は崩壊を始めている。何らかの防衛システムが発動したのか、入り口は断たれ、おそらく後は生き埋めになるのを待つ状況なのだろう。
理想的なのはこの場からの離脱であったが、それは叶いそうに無かった。
「心配すんな……まだ、死にはしない」
ロビンはクレスから流れ出る血の量に青ざめるも、クレスのサイドバックから応急セットを取り出し、処置をおこなっていく。
クレスは心配そうなロビンの髪を撫でようとして、自身の手が血で濡れていることに気づいて止めた。
「命拾いしたな……解毒剤を先に飲んどいてよかった」
クレスとロビンはもしもの為にクロコダイルの毒針の解毒剤を用意していた。
先程まで視界がふらついて、感覚がどんどんなく無くなっていったが、ようやく解毒剤が効き始めたのだろう。
クロコダイルの毒針によって与えられた傷は深い。下手をすれば解毒が先に始まる前にクレスの命を刈り取っていた可能性も十分にあった。
だが、今のクレスに戦う力はほとんど残されていない。ルフィの乱入が無く、戦いを続けたならば倒れていたのはクレスであった可能性は高い。
「惨めなもんだ。……勝つつもりで戦ったが、やはり奴の方が上手だったらしい」
「……バカね、クレスはいつもそう。私のことばっかりで自分の事を全然省みない」
「ならオレはバカで結構だ。……お前の為ならバカになっても構わない」
クレスは視線を激しい戦いを始めたルフィとクロコダイルに向けた。
水を持たぬルフィは自身の血によってクロコダイルに攻撃を仕掛けいるようだ。
「どうやら、オレ達の未来は<麦わら>が握っているみたいだな」
「この国の未来もかしら……」
「償いと言うには自己満足にも程があるが。やれることは全部したつもりだ。……後は、結果が出る事を信じるしかないみたいだな」
「……そうね」
時は淡々と砂の王国においても刻まれる。
それはまるで砂時計のように、幾多もの人々をふるい落としてゆく。
最後に立っているのは、麦わらか、クロコダイルか。
希望と絶望が交差し、砂の王国を震わせる。
────クロコダイルが示した広場砲撃までの時刻は後一分。
誰もが戦い。
激しいうねりの中に身を投げ出している。
僅か一分後の未来を知る者はいない。
あとがき
アラバスタ編ももうそろそろ終了ですね。
クレス、ロビンVSクロコダイルは結構悩み為したがこういう感じになりました。
クレスの黒手袋は最初のころから考えていたのですが、出すか出さないかで最後まで悩みましたが、結局出すことになりました。
次も頑張りたいです。