広場には無数といっていい程の国王軍の兵士達が集まっていた。
整列した兵士たちは僅かな明かりの中、暗い広場を埋め尽くしている。
日は沈み、月も雲によって覆われた、静かというよりも沈黙という言葉が似合いそうな音の無い夜だった。
国を守るために日ごろから訓練を重ねて来た彼らの厳しい視線の先、無数の双眸が見つめる闇夜に、炎が灯った。
一つ、二つ、三つ…………。
灯る炎は次から次へ増殖するように増えていく。その熱は彼らの思いを代弁するかのように熱く燃え盛る。
もはや数える事もバカらしくなるような無数の炎。それは、等しくその先に掲げられたものを焼いていた。
───旗が燃えていた。
アラバスタ王国の国旗。
太陽をモチーフとしたその旗は、本来なら彼ら国王軍が命をかけて守るべき象徴であった。
それを、彼らは自らの手で焼いていた。
無数の炎は暗闇を灼熱で映し出す。それは、明らかな叛旗の意。
その瞬間、広場が爆発したと錯覚するほどの喚声が上がった。
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオ──────!!!』
誰かが叫んだ。
「国王を許すな!!」
誰かが叫んだ。
「祖国に雨を!!」
誰かが叫んだ。
「アラバスタに平和を!!」
広場にいる兵士達の誰もが感情のままに声を張り上げた。
その余りの大きさに、隣接する建造物が悲鳴を上げるかののように震える。
枯れる町。乾いた土地。緑は消え。人は死ぬ。流れるのは赤い血。
この国はもう駄目だ。腐り落ちてしまった。もはや滅ぶしかない。
兵士の誰もが祖国を憂い断腸の思いで決断を下した。
後の統計で明らかになった、この大規模な反乱に参加した国王軍の兵士の数は30万人。
彼らが反乱軍に加われば反乱軍40万対国王軍60万だった筈の鎮圧戦が、反乱軍70万対国王軍30万の抵抗戦へと変わる。
砂の王国を巡る戦いは激しさを増す。誰もかもがその渦の中へと飲みこまれていく。
今を必死に戦う人々をあざ笑う者には気付かずに………。
第八話 「旗」
いつもの部屋。匂いまでもが染みついた執務室。
その部屋でクレスはいつものように椅子に深く座り資料を眺めていた。
感情を灯すことの無い瞳。それが資料の上の文字をなぞる。
「…………」
数年にも及ぶバロックワークスの集大成。
強固たる土台の上に万全を期して築かれる最終作戦。その麟片がそこにはあった。
それは莫大な額に及ぶ大量の武器の購入リストと超高性能爆弾の発注書だ。
これらは近日中に手元へと届けられる手筈となっている。
「理想郷(ユートピア)…………ね」
クレスはその資料をパサリと机に放り投げる。
そして冷めきってしまったカフェオレを口元に運んだ。
「……苦い」
冷めたコーヒーはコクを増しクレスの嫌いな苦みをブレンドしていた。
クレスは渋々と残りを飲み干して口の中に残った苦みにまた顔をしかめた。
「エージェント達への招集も滞りなく完了したわ。……後は時間の問題ね」
「……そっか」
窓から外の景色を眺めていたロビンが補足する。
クレスは首の骨を鳴らし固まった筋肉をほぐす。
そのまま眠るように椅子に深く座り直しシミ一つない天井をぼんやりと見つめた。
思えばバロックワークスには四年もの間在籍していた。
特に感慨は湧かなかったが、それはクレスとロビンが「組織」というものに所属していた中で最長の期間であった。
「あのさ……ロビン」
「なに?」
「もし……」
──────この国でもダメだったら。
そこでクレスは口ごもった。
聞いてしまっては何かが終わるそんな気がした。
それは二人にとっての崩壊の呪文なのかもしれない。
口にした瞬間、何かが崩れそうだった。
「すまん……何でも無い」
その先を口にすることが出来なかった。
「あのね、クレス」
そんな時、ロビンが口を開いた。
日の光に照らされ出来た影が少し憂鬱げに思えた。
「外を歩かない?」
夢の町レインベースの喧騒はいつもと変わりなく感じられた。
昨日の国王軍の反乱もあって、激化するであろう内乱に不安を感じる者も多かったがその大半が楽天的に構えていた。
中にはどこ吹く風と同じ国の民であるのに他人事のように捉える人間までいた。
それはレインベースが<七武海>であるクロコダイルの庇護下にある事が大きいだろう。
反乱軍も国王軍もクロコダイルが居を構えるこの町を戦場にするほど愚かでは無い。
実際、内乱が始まり他の地域が渇きに喘いでいてもこの町だけはいつものままだった。
クレスとロビンは人の流れに沿うように目的も無く歩いた。
ロビンの提案はクレスにとっても嬉しい選択だった。
あのまま部屋でぼんやりと資料を眺めていても退屈なだけだ。
「どこか行きたいところとかあるか?」
「少し本屋に。クレスは?」
「しいて言うなら……喫茶店に行きたい」
「またデザート? 程々にしないと身体に悪いわよ」
「いや、聞いてくれ。最近新しい喫茶店がこの辺りに出来たんだって。それでそこのチョコレートケーキが大評判でな、そんで……」
「もう、……仕方ないわね」
先にロビンの目的地である町の本屋へと赴いた。
しかし、どうやらそこにはお目当てのものが無かったようで、二、三と周り、最終的に町はずれの古本屋でようやく発見し購入した。
その後はクレスがロビンを連れ喫茶店に入った。
店内には厳しい日光を避けるために多くの客がいてテーブル席はいっぱいだったが、幸いカウンター席は空いておりクレスとロビンはそこに腰かけた。
クレスはとりあえず評判のチョコレートケーキを頼み、ロビンはコーヒーを注文する。
評判のチョコレートケーキはなかなかの出来栄えだった。クレスが今までで食べて来た中でも上位に入る逸品だ。
頬の緩んだクレスを見ながらコーヒーを片手にロビンは購入した本を開いた。
辞書のように厚いハードカバーの本だ。相当古いもののようで傷が目立った。
「歴史書か?」
「ええ、もう一度この国の歴史を知りたくて」
「……そうか」
ロビンにどんな思いがあるかは分からない。クレスはそれ以上踏み込むことはしなかった。
ケーキをゆっくりと堪能し、ついでにおかわりを三つ頼んで、ロビンが本を読むのを横目にゆっくりと店のBGMに耳を澄ました。
暫くしてパタンと本の閉じる音がしたのでクレスはロビンに視線を向けた。
「もういいのか」
「ええ、一区切り。続きは帰ってからね」
「アラバスタの歴史なら上陸したときにも調べてなかったけ?」
「一通りは。でも、この本は少し違うの」
「違う?」
「そう。これはこの国の人々によって書かれたものなの。
この国の考古学者が中心となって、この国の人々の声を聞いて、皆でまとめあげた……そういう本」
「へぇ……」
「何故か製作者の中に先々代の国王の名前が友人のように記載されているけどね」
「……どんな国王だよ」
「ふふ……。そこもこの国の面白いところね。
観測者が変われば当然視点が変わる。主観か客観が、勝者か敗者か、いろんな角度での見方があるから『本当』を知りたかったらいろんな視点で見る事が必要になるわ。
近くてもダメ。遠くてもダメ。誰の意見にも偏ることなく、それでいて誰かの目に映った事を導かなければならない。
それを踏まえて、この本はアラバスタの歴史について知るにはちょうどいい本なの」
「なるほどな」
柔らかな笑みを浮かべて語るロビンにクレスの表情がほころんだ。
クレスは小さい頃のロビンがシルファーから教わった歴史を得意げに語っていた姿を思い出した。
やはり好きな事だからだろうか? いつもよりも声が弾んでいて饒舌だった。
「どうしたの?」
クレスの表情の変化にロビンが気付いた。
「いや、楽しそうだなって思ってさ」
「そう……かしら?」
「ああ、とっても。
やっぱりお前はそういう顔の方が綺麗だ」
クレスの本心からの言葉だった。
ロビンはクレスの言葉に少し俯き、僅かに遅れて答えた。
「……ありがと」
その顔はほんのりと熱を持っていた。
◆ ◆ ◆
「ハァッ!!」
王家の象徴である神殿都市。
アラバスタ王国の首都であるアルバーナ。
その宮殿の敷居内に造られた訓練場の外れで裂帛の気合と共に剣が空気を切り裂いた。
振るわれた剣は止まることなく連続で、二、三、と目にも留らぬ速さで振るわれる。
額から流れる汗を拭うことなくぺルは一心不乱に剣を振り続けた。
「クッ……ハァッ!!」
日は昇りきりもう正午も過ぎた。
かれこれもう半日以上剣を振るっていることになる。
しかし、ぺルはいつまでも剣を振り己を鍛え上げていく。
「はぁ……はぁ……ッ! ……ハァッ!!」
当然、体力も尽きかけていた。
これ以上の訓練は身体にとって毒でしかない。
だが、彼はそれでも腕を止めなかった。
「この程度では……ッ!!」
ぺルが一心不乱に何かに憑かれたように己を鍛えるのには訳があった。
思い出すの過去に起きた国王の襲撃事件だ。
動揺を防ぐために、この事件は隠匿され知る者は少ない。
表向きは事無きを得たことになっていたが、それは違うとぺルは感じていた。
事件の際そこに居合わせたぺルはある男と対峙した。
覆面で顔を隠し、正体がまったく掴めなかった男。
男は王国最強ともてはやされるぺルを圧倒し、あまつさえ手加減すらしている節があった。
応援に来た兵士のおかげで男は撤退したが、あのまま勝負を続けていれば敗れていたのはぺルの方であっただろう。
その後、懸命に逃げた男を捜索したが足取りを追うことは出来なかった。
己に弱さ故に、もしかすれば国王の命すら失われていたかもしれないのだ。
ぺルはその事を恥じ、それ以来訓練に没頭した。
「ぺル」
剣を振るうぺルに声がかけられた。
ぺルはその人物に目を向ける。
そこに威風堂々たる容貌の武人が立っていた。
ぺルと同じくアラバスタ王国護衛隊の一員で、現在は事実上の国王軍総司令官の要職についている<黒犬のチャカ>だ。
ぺルはチャカの言葉にようやく腕を止めた。
「そろそろ一息入れてはどうだ。
あの反乱劇の後だ。お前が気を立てていれば兵たちも動揺する」
「……すまない」
ぺルは剣を納めると傍らに置いてあったタオルで自身の汗を拭った。
そんなぺルにチャカが水筒を差し出した。
「水……か」
「どうした?」
「いや……これを巡って戦いが起きていると思うとな」
「……そうだな。だが、それでもお前はそれを飲まなければコブラ様を守ることはままなならない」
「……つまらない事を言ったな」
「いや、お前の気持ちも分かる」
ぺルは水筒を悲しげに見つめた後、ほんの少しだけ口に含み飲み込んだ。
「兵たちの様子は?」
「やはり動揺している。……中には武器に迷いが生まれ始めた者もいる」
「こんな時、イガラムさんがいてくれれば……」
「言うな。……あの人はビビ様と共に祖国のために戦っておられる筈だ」
護衛隊長であるイガラムの失踪は国王軍にとって確かな陰を落としていた。
戦いの場でこそ実力ではぺルとチャカに劣るものの、イガラムには確かな求心力があった。
それも先日に起こった大規模な反乱の後だ。兵たち纏められなかった自分達を恥じると共に、イガラムの存在を渇望するのも仕方が無かった。
「ところで、例の男……いや、“敵”の情報は?」
「……まったくと言っていい程に進展が無い」
国王がダンスパウダーに手を出す事などありえない。
「国とは人」コブラは日ごろからそのように心がけ、常に国民を中心において政をおこなってきたのだ。
富を集中させ民達をひれ伏させるやり方は国王コブラの最も嫌いな統治の方法の筈だ。
故に、ダンスパウダーの事件よりも前、雨が王都にのみ集中するようになった時から調査をおこなってきた。
だが、それでも今だ裏に潜んだ敵を見つけ出す事は出来なかった。
「一刻も早く見つけなれば。
……早くしなくては大規模な戦が始まってしまう。そうなれば“鎮圧”では終わらなくなる」
「部下達には全力を尽くさせている。
だが、こればかりはどうにもならん。……我々はコブラ様に従うのみだ」
ぺルは小さくため息を漏らそうとしてそれを飲み込んだ。
今は大事な時期だ。上に立つ者がしっかりとしなければ下の者に動揺が広がる。
「それにしても懐かしい場所だ。
……確かここを抜ければ“秘密基地”だったな」
チャカがぺルが訓練をしていた広場を見渡しそう言った。
この場所は余り人が近づかない。故にぺルはこの場所で訓練を行っていた。
「あの頃のビビ様はおてんばで手を焼かされた」
「そうだな。……コーザの奴もここでよく相手をしてやった」
チャカは懐かしむように広場の中心まで歩く。
するとそこで立ち止り、帯刀していた刀を抜いた。
「書類仕事ばかりで少し身体を動かしたい。
ぺル、少しは身体は休まったか? 良ければ相手をしてくれないか?」
「いいのか?」
「少しの間ならばな。それにここは人通りも少ない。我らが打ち合えども安心だろう」
するとぺルも構えた。
両者睨みあう。そこに先程までの穏やかな雰囲気は無く、洗練された武人の姿があった。
「疲れて力が出せぬなどとは聞きたくないぞ」
「心配するな。いつでも行ける」
瞬間、二人の身体に変化が起こった。
ぺルの身体からは羽が生まれ、巨大な隼に変わり大空へと飛翔する。
チャカの身体からは鋭い犬歯が伸び、強靭な四脚が大地を掴んだ。
<トリトリの実 モデル“隼(ファルコン)”>
<イヌイヌの実 モデル“黒犬(ジャッカル)”>
<隼のぺル>
<黒犬のチャカ>
二人は奇しくもアラバスタ王国の守護獣である隼と黒犬を模した<動物系>の能力者だ。
<動物系>の能力者はそのモデルとなった動物の能力と共に絶大な身体能力を得る。
故に、鍛えれば鍛える程に絶大な強さを誇る肉体を持つ<動物系>は迫撃において最強の種といえた。
「────行くぞ」
「─────来い」
王家の守護神たる双壁を為す二匹が互いに睨み会う。
そして同時に動いた。
ぺルは翼で空を切り裂き、チャカは脚で大地を砕いた。
「“飛爪”─────!!」
「─────“鳴牙”!!」
瞬間、二人が交叉し、空間が裂けたかのような衝撃が起こった。
◆ ◆ ◆
砂漠のオアシス<ユバ>そこには反乱軍の本部拠点があった。
度重なる砂嵐によって機能しなくなったオアシスに目をつけた彼らはそこに陣を引いた。
オアシスとして死んだこの地にわざわざ足を運ぶ者は無く、王都からも雄大なサントラ河を挟む形となっていてちょうどいい位置であった。
だが、それは現在過去形となりつつあった。
元々本部の拠点を移動させる案はあった。それに拍車をかけたのは先日に起こった国王軍の大反乱だ。
この地では、膨大な数に膨れ上がった反乱軍を率いるのにはもはや限界であった。
「コーザ!! 話を聞かんか!! コーザ!!」
物資の移転が終了し、殆ど人のいなくなったユバで反乱軍の指導者である男の名を老人が呼んだ。
名をトトといい、皮と骨だけのようなやせ細った老人だった。
昔はふくよかな体型だったのだが今はその影もない。その姿はまさに現在のアラバスタの民を現していた。
「何度も言うが親父!!
早く死んだオアシスなんて見捨ててとっとと他の町に避難しろ!! 今ならまだ連れてってやれる!!」
「何を言うか!! ユバはまだ死んではおらん!! お前の方こそ反乱なんてバカな真似を止めんか!!」
今から十一年前、この地に国王はオアシスを建設することを命じた。
その時その命を受けたのがトトで息子であるコーザはトトと共にこの地にオアシスを開いた。
だが、そのオアシスも干ばつと度重なる砂嵐によって干上がり町も死に絶えた。
「お前も知っているだろう国王様の人柄を!! あの人は決して国を裏切るような人じゃない!!」
「それがどうした!! 人柄だけで何もかもが決まる訳じゃない!!
現にアラバスタは枯れ、オレ達は皆雨を求めているんだ……!!」
「だからと言って、国に刃を向けんでもいいだろう!!
もう暫く待て!! そうすれば必ず国王様が全て解決してくれる!!」
「もう待てるかよ……オレ達も、この国も、もう限界なんだよ……!!」
コーザは顔の傷を隠すようにかけられたサングラスの奥の瞳を濁す。
彼とて好きで戦っている訳では無い。
雨を求め、戦いが始まり、国がそれを望み、戦いが続いた。
「お前……ビビちゃんの事はどうするんだ」
「………………」
「王家に刃を向けるということはビビちゃんとも闘うということなんだぞ?」
ビビ───現在行方不明の王女の名だ。
アラバスタが平和だった頃、コーザとビビは幼なじみであった。
今もなお残る額の傷跡も当時誘拐されそうになったビビを助けるために負ったものだった。
「あいつは今行方不明だ。……逃げたんだよ、護衛隊長に連れられてな」
低い声でコーザは言った。
「それが真かどうかなどお前なら分かっているだろう。
あの子はきっとイガラム殿と共にアラバスタを救おうと動いとるに違いない。
きっと、ビビちゃんは生きとるし帰ってくる。その時お前はビビちゃんに血にまみれたアラバスタを見せるつもりなのか?」
「じゃぁどうすればいい!!
もうこの“うねり”は止まらない!! おれ一人が戦いを止めた程度では納まらないんだよ!!」
吐き捨てるようにコーザは言い、トトに背を向け近くに止めてある馬に跨った。
「これで最後だ親父!! オレ達と一緒に来るか、ユバのように死ぬかだ!!」
「ユバは死んではおらん!! お前こそ反乱などバカげた真似は止めんか!!」
もはやトトは一歩も動かなかった。
ギリッ……とコーザは歯を噛みしめた。
「なら勝手にしろ!! オレは───戦う!!」
コーザは馬の手綱を操り振りかえることなく馬を反乱軍の仲間が待つ方向へと走らせた。
「コーザ!! 待たんか!! コーザ!!」
トトの叫びはもはや届かない。
反乱軍達はユバを放棄し、残ったのは去って行った足跡のみだ。だが、それすら風に運ばれた砂が覆い隠していった。
行ってしまった息子を茫然と見つめていたトトはその姿が完全に見えなくなると膝をついた。
そして肩を震わせ涙を流した。
「バカ者が……それが間違いだと何故分からない」
そう呟きトトは暫くの間声も無く泣いた。
目から流れた熱い涙はトトの干からびた肌を流れる。
だが、その涙もユバの大地のように消えていった。
その後、トトは立ち上がると枯れたオアシスに向かって歩いた。
そして、スコップを手に取りもくもくと穴を掘り続けた。
「ユバは死なん。何度でも甦る。
…………それはこの国も同じだコーザ」
老人の声を聞くものはオアシスには誰一人としていなかった。
◆ ◆ ◆
「ありがとうございました」
店員の感じの良い声に見送られ、ロビンとクレスは喫茶店から出た。
思ったよりも喫茶店で時を過ごしたため、外は既に宵がかっていて薄い暗闇が砂の国を覆っていた。
反乱とはほとんど無関係なレインディナーズでは街頭に光が灯り二人のゆく道を照らしていた。
「いやぁー。なかなかいい感じの店だったな。ケーキも上手かったし。また来ような」
「ふふ……そうね」
満足げなクレスの声を聞きながら、人ごみに沿うように歩いた。
今日はもうやる事もない。後は宿に帰って休むだけだった。
「その本重くないか? 良かった持つぞ?」
「大丈夫。このくらいならどうってことないわ」
ロビンは今袋に入った歴史書を持っていた。
ハードカバーの辞書のように厚い本でクレスの言うように結構な重さがある。
「……お前がそう言うなら良いんだけどな」
「気持ちだけでも嬉しいわ。ありがとう」
クレスと並び歩く。
そして随分とこの町を見慣れてしまったことに気付いた。
良くも悪くもクロコダイルの力は強大だ。<七武海>であるクロコダイルを世界政府は信用し、サンディ諸島一帯には海軍が近づいてこない。
よって、アラバスタは現在では二人にとって最も安全な地域ともいえた。
「……やっぱ止めた」
「え?」
その時、クレスがロビンの手を握った。
握られたロビンの手には歴史書の入った袋がある。
クレスはそれを引き受けると共にロビンの細く繊細な手を握っていた。
「こうすれば文句ないだろう」
それは片方に押しつけるという形では無い。共有という形だ。
優しく、重さを本の重さを引き受けた上で、包み込むように優しくロビンの手を握っている。
その大きな手の平から伝わる熱にロビンはこの上ない安心を感じた。
「そうね……文句なんてないわね」
そのままクレスと手を繋ぎ歩いた。
ただ、それだけで世界がより鮮明に見える。人々は活気に満ち、景色は輝いていた。
今、クレスと共有するように持つアラバスタの歴史の本。
今日これを探したのは自分に対するケジメと覚悟のためだ。
アラバスタは最後のチャンスだ。
クレスと二人世界中を見て回った。でも、<歴史の本文>はどこにもなかった。
でも今回はきっとある。この国の中枢で厳重に隠匿されたその先に必ず<歴史の本文>はある筈だ。
そしてそれを見る事が出来れば、<真・歴史の本文>へと辿り着く。
そのためにはどうしてもクロコダイルの下に付きこの国の転覆を計る必要があった。
もう間もなく、ロビンが片棒を担いだ計画が実行される。
ならばこの国は崩壊するだろう。
気にする必要は無い。クレスはそう言った。
確かに、クロコダイルならばロビンとクレスがいなくても必ず計画を実行しただろう。
だが、ロビンはそれに自らの意志で手を貸してしまった。
ならば相応の覚悟を決める必要があった。
だから歴史書を探した。
たとえ意味が無くとも偽善であってもこの国の歴史をもう一度知ろうと思った。
己の犯す罪の重さを確かめるために…………。
二人は歩く。
子供の頃のようにクレスは優しくロビンの手を握っていた。
ロビンはクレスに肩が触れ合うまで近付くとその腕をクレスの腕に絡めた。
「お、おい」
「なぁに?」
「い、いや……何でも無い」
一瞬焦ったような声を出しクレスは口ごもった。
相変わらずこういうところがかわいいと思う。
手をつないでふざけあえるこの距離をロビンは愛おしいと思った。
二人の宿まではもう少しだ。
宵も徐々に深まり、辺りは暗闇が沈殿してきた。
もう日が暮れるというのにこの町は人通りが消える事は無い。
ギャンブルの町として名を馳せるこの町は夜こそが華だ。
夜になれば昼間以上に色煌びやかに街が輝く。時折花火大会などの催し物も開かれた。
故に先ほどよりも多くの人間とすれ違う。
手を繋ぐロビンとクレスにとっては彼らは背景で、逆に彼らにとっては彼ら以外の周りが背景なのだろう。
「──────えっ?」
だが、その背景が一瞬ぶれた。
背景がロビンを中心として回る世界を侵食しかけた。
息を飲んだロビン。
それは一瞬の事であった。
前方を歩く人影その中にその男はいた。
その男はまるで身体に靄がかかっているかのように曖昧で、質量を感じさせないかのような存在感の薄さだった。
完璧なまでに背景に溶け込み、本来ならロビンも気付くこと無く通り過ぎただろう。現にクレスは気付いていない。前を向いたまま変わらぬ表情で歩き続けている。
だが、その男はロビンには決して見逃すことのできない姿をしていた。
男の背丈は恐らく190cm前後。
細身であるが鍛えられた体。
パサついた干し草のような色の柔らかい髪。
そして、夜のように深い瞳。
その見事なまでの一致にロビンにとってその異常性が不気味に見えた。
光無き世界。
闇夜の支配する空間で浮かび上がるようなその男を見れば人々はどう思うだろうか?
──────亡霊。
その言葉を一瞬、ロビンは思い浮かべた。
「どうした、ロビン?」
ロビンはクレスの言葉に現実に引き戻された。
そしてもう一度男の方向を見た。
だが、そこにはその男はいなかった。
「何かあったのか?」
クレスは声を低くし問いかけた。
ロビンはそんなクレスの顔を確認するように見て、
「ごめんなさい。……気のせいみたい」
そう、言葉を濁した。
時は来る。
時は巡る。
時は進む。
時は飲み込む。
──────そして時代が動き始める。
あとがき
リアルがかなりピンチで、更新が遅れてしまいました。申し訳ないです。
今回は中継ぎで、題名通り「旗」の回ですね。
反乱、ペル、コーザ、ナチュラルにイチャつく二人、謎の男。
あれ? 何か一つおかしいのがあったような? まぁ気のせいですよね。