いつもの執務室で資料に目を通すロビンをクレスは見ていた。
その表情は真剣ではあるが以前に比べては穏やかでもある。
色々とあったがどうやら息抜きは成功した様だ。
バロックワークスの活動は佳境へと差し掛かっていた。
アラバスタは内部から大きくその国力を削ぎ落としていく。
国王コブラは上手く国をまとめているが、反乱軍は大きく膨れ上がり、国家転覆のカウントダウンは始まっている。
この事態を遮る壁は存在せず、このままいけばクロコダイルの思惑通りになるのは時間の問題だった。
「これは……」
クレスがぼんやりとしていた時、ロビンが何やら驚くように声を出した。
「どうした?」
クレスがロビンに問いかける。
ロビンは僅かに思考した後に、クレスの問いに答えた。
「少し……聞いてほしい事があるの」
ロビンの手にはバロックワークスの社員リストがあった。
第四話 「裏切り者たち」
それは類稀なる幸運だったのかもしれない。
それとも、必然だったのかもしれない。
バロックワークス。祖国を蝕む強大な組織。
アラバスタ王国の王女であるビビと護衛隊長であるイガラムは何とか問題の組織に潜り込んだ。
しかし、潜り込んだものは良いものの、組織は完璧な秘密主義が採られており生半可なことでは情報を集める事は難しかった。
祖国を蝕む為に与えられる任務を、苦々しくもこなしながら暗闇の先のような手がかりを探す日々。
そんな二人に転機が訪れた。
「……ビビ様こちらです」
潜入先でMr.8となったイガラムは声を押し殺し、傍らにいるビビに語りかけた。
路地裏に必死で身体を隠し、前方の人物を観察する。
「……様子はどう?」
「……未だ動きはありません」
イガラムは再び、観察対象の二人を見る。
一人はすらりとした、艶やかな黒髪の女性。
大人びた面立ちは整い、鼻筋はすっと中心を通り、瞼は綺麗な二重で色気を放ち、口元にはミステリアスな微笑が浮かんでる。
肌は磁器のようにきめ細かく、時折覗く四肢がなまめかしい。
もう一人は鍛え上げられた肉体が衣服越しでもわかる、パサついた髪の男だ。
髪の色は黒なのだが、日に当たると干し草のような柔らかい色に透いて見える。
そして、鍛え上げられているといっても、どこか洗練された機械のような機能美を感じさせる細身だ。
一見優男にも見える真面目そうな顔立ちをしているが、その眼だけはどこか暗い光を灯している。
ミス・オールサンデーとMr.ジョーカー。
ビビとイガラムが潜入したバロックワークスの上司と、その護衛といった二人だ。
秘密主義の組織において、この二人だけが首謀者の正体を知っていた。
ともすれば、首謀者に近づく為の鍵となる人物だ。イガラムとビビは現在この二人の尾行をおこなっていた。
問題の二人は何やら会話を交わしている。
聞き取れない。様子からするとたわいない日常会話なのかもしれないし、はたまた、重要な要件なのかもしれない。
「……動いた!!」
物陰で息を殺し暫く、問題の二人が動いた。
身を隠しながらビビが二人の後を追う。イガラムもそれに倣った。
幸いにも、通りには人も多く、隠れる事の出来る物陰も多い。
おまけに距離もだいぶ離れているので見つかる心配は少ない筈だ。
問題の二人はまるで、恋人のように睦まじく歩いて行く。
それはどこにでもいる一組のカップルで、その姿は完全に人ごみに紛れこんでおり、目を離せばすぐにでも見失ってしまいそうだ。
メインストリートを抜け、やがて二人は人通りの少ない裏道へと入った。
イガラムとビビの二人は慎重に身を隠しながらそれに続いた。
裏路地は迷路のように続いて行き、やがて完全に人影が無くなった。
辺りは表町の開発において行かれ、過疎化してしまった、寂れた場所だ。
通りには、いくつかの店舗があったが、その全てが入り口の扉を閉ざしている。
昔は栄えていたのかもしれないが今はその面影を感じる事は無い。
その時、人影が無くなった為か、問題の二人の話声がやけにはっきりと聞こえた。
「Mr.0に報告すんだっけか?」
「ええ、ここの電伝虫を使うの」
前方には古びたというよりも、忘れ去られたとでもいうべき、建物があった。
周りの荒廃した街並みに完璧に溶け込んでおり、明かりさえつけなければ人がいるとは思われないだろう。
イガラムは記憶を辿る。確か、この建物はバロックワークスの連絡用のアジトの筈だ。
そして、問題の二人は特に警戒も無く建物に入った。
この時、物陰に身を隠したイガラムとビビは大きな判断を求められた。
目の前には大きな手がかりがある。だが、これは同時に危険な賭けでもあった。
イガラムやビビがそうである、ナンバーが12から6までのフロンティアエージェントとは違い、ミス・オールサンデーはほとんどが悪魔の実の能力者で構成される別格のオフィサーエージェントなのだ。
それは、Mr.ジョーカーに関しても同等だ。聞いた噂ではMr.ジョーカーの実力もオフィサーエージェントの面々からも一目置かれているバケモノだ。
この二人を敵に回して勝てる可能性などまず無い。このまま、監視を続ければその危険は増すばかりだ。
イガラムは悩む。このまま二人の後を追うのは余りにも危険があり過ぎる。
「……イガラム行きましょう」
だが、王女は決断した。危険と隣り合わせの状況で前に進む事を望んだ。
「お待ちください!! 余りにも危険すぎます!!」
「危険ですって? それは今更よイガラム。私たちは何のためにこの組織に潜入したの?」
「ですが……!!」
心配するイガラムをよそに、ビビは震えを必死で押し殺した声で言う。
「アラバスタのためなの。すぐそこに手がかりがある、……じっとなんかしてられないわ」
イガラムはビビの決意を読み取る。確かに、祖国を思えば躊躇出来る状態では無い。
「……分かりました。
お供しましょう。ですが、もしもの時は私を置いてお逃げ下さい」
「……大丈夫。うまくいくわ。
もしもの時も、島にはカル―もいるからきっと無事に逃げられる」
ビビの言う “無事” にはイガラムも含まれている。
この王女は優しすぎる。時にそれが弱点となる程に。
「……そうですな」
しかし、現実というものはそこまで甘くない。
イガラムはビビの言う “無事” で事が運ぶことを祈るばかりだった。
それは自身の保身ではなく、王女に対する気持ちであった。
そして二人は足音を殺し建物へと近づいた。
アジトは随分と古びているが、その割には壁は厚い。
二人は裏手へと回り込み、僅かな隙間を見つけそこから様子をうかがった。
中では案の定、ミス・オールサンデーが電伝虫で通信をおこなっていた。
「……ええ、任…は完…よ。問………無い…。…………そう、大…ね」
距離があるためか随分と聞き取りづらい。
完全な文脈までは分からない。何とか単語の一部を聞きとるのがせいいっぱいだ。
「詳……後……状で連………わ。…………電……は極……使わ……な……?」
このままでは、重要な情報を聞き逃してしまうかもしれない。
イガラムの中で焦りが生まれる。それはビビも同じだった。
焦りからか、無意識のうちだったのだろう。
彼らは大きなミスを犯した。
必要以上の体重をこちらとあちらを仕切る壁にかけてしまったのだ。
ギシ……
骨が軋むような、予想外なまでに不気味な音が古びた壁から出た。
「「!!」」
驚き、体制を戻すももう遅い。たてた音は消えない。心臓が飛び出そうな程脈打った。
もはやこれまでか……?
イガラムは拳に力を込めた。
自分ではこの二人に勝てないのは分かり切っている。
王国最強騎士ともてはやされる部下の副官二人でも勝てるかどうかわからぬ相手なのだ。
だが、この身は王国に捧げた護衛隊長だ。たとえ命果てようとも傍らの王女だけは死守しなければならない。
だが、前方の二人は立てた音に反応を示さ無かった。
ミス・オールサンデーの方は気付かず電々虫でMr.0であろう男と話つづけている。
Mr.ジョーカーの方も変わらず、ミス・オールサンデーの近くでくつろぐようにたたずんでいた。
その不自然さに、一瞬、罠かと疑う。
しかし、冷静に考えれば彼らが罠を仕掛ける意味がない。
“謎” がモットーのバロックワークスでは裏切り者は問答無用で抹殺される運命にある。
ならば、戸惑う事無く殺しに来る筈だ。その実力も十分に持ち合わせている。
ならば何故だ……?
疑問に思うイガラム。
しかし、彼の疑問は直ぐに氷解する。
風だ。
建物に吹き付ける風が、カタカタ、ギシギシ、と断続的に古びた建物を小刻みに揺らしていた。
幸運にも、先ほどの物音もそれらに紛れたのだろう。
イガラムは未だ緊張した面持ちのビビに向け安心させるように一度頷いた。
ビビはイガラムの様子から、まだ安心であるという事を読み取った。
同じ轍は踏まないと二人はより慎重に部屋の中を覗き込んだ。
やはり聞こえにくいが、全身全霊で聞きとる。
妖しい艶を放つ、ミス・オールサンデーの唇が言葉を為す。
「…… “アラバスタ” ………の……海賊……を狩……………」
イガラム、ビビの二人の確信に迫る単語がミス・オールサンデーの口から発せられていく。
口の中がやけに乾く。唾を飲み込もうにも些細な物音すら立てれば命は無いかもしれない。
先ほどのような奇跡は起こらないと考えた方がいい。
「フフ……まさ…… “Mr.0” ……世…政府…認…… “七武海” …… 」
…………!!
イガラムはその驚きをのみ込むには多大な心力を必要とした。
それはビビも同じで必死に自分を抑え込んでいた。
ミス・オールサンデーが発した単語を再確認する。
すると、驚くべき人物が浮かび上がった。
真偽の程は分からないが、しかし、そう考えれば説得力もある。
“七武海 サ―・クロコダイル” アラバスタ王国も所属する世界政府公認の海賊だ。
この男が、“Mr.0” 。
この男が祖国の怨敵……!!
重要な情報を手に入れた二人。二人の表情に希望が指す。
これで、祖国を救う足がかりが出来たのだ。
これで、昔のような平和な国を取り戻せる……!!
後は、気付かれ無いように退却するだけだ。
距離さえ取れば安心だ。一刻も早くこの事を伝えなければならない。
しかし、希望と共に軽く高揚した心は、一瞬で絶望と共に凍りついた。
二人の全身が硬直する。呼吸すら止まった。
前方の恐るべき力を秘めた二人が、こちらを、見ていた。
全身が金縛りにあったように動かない。
ミス・オールサンデーとMr.ジョーカーの瞳がこちらを見つめた。
雑作も無く二人を始末するであろうバケモノ達がこちらを見ていた。
完全にイガラムとビビの二人と目があった。
イガラムとビビ、二人の全身を電撃のような悪寒が走って行く。戦慄し動けない。
そんな二人に対し、一枚の薄い壁の先にいる二人は、ただ、微笑んだ。
その表情を何と許容すればいいか、目を細め、口元を柔らかく曲げている、普通の笑みの筈なのに、どうしようもなく恐ろしい……!!
思考が完全に停止する。
蛇に睨まれた蛙のように全く動けない。
二人に対し、Mr.ジョーカーが口元を動かした。
「────────────」
そして、恐るべき二人は興味を無くしたように視線を外した。
何事も無かったように電伝虫の受話器を置く。
するとそのまま、動揺する二人を置き去りにするようにアジトから姿を消した。
「どういう……こと……?」
二人の姿が完全に見えなくなり、緊張が解けたのかビビが震える声で呟いた。
「……わかりません」
そう、答えるしかなかった。
あの様子では、尾行には完全に気付かれていた。
それでいてなお、放置された。
そこにどんな思惑があったのかは分からない。
先ほどの会話も重要な単語だけはやけにハッキリと聞こえた。
まるで、自分たちに聞かせる為のようにだ。
今にして思えば、電伝虫で本当にMr.0と会話を交わしていたかも疑わしい。
「『せいぜい、がんばれ』ってどういうこと……っ!!」
唇を噛みしめ、ビビは拳を振り下ろした。
ビビの拳は冷たい地面へと当たり、自身を傷つける。血が滲んでいた。
「なめんじゃ……ないわよ」
そして、崩れるようにうずくまる。
その屈辱はイガラムも十分に感じていた。
ミス・オールサンデー、Mr.ジョーカー二人の言葉に嘘は感じなかったのだ。
二人はあざ笑うかのように、残酷な真実を告げたのだ。
「この借りは高くつくぞ……!! バロックワークス!!」
未だ動揺を隠せぬ全身を叱咤し、イガラムは静かにビビを促す。
そして、ビビと共に必死に動揺を隠し素早く退却を図った。
もたらされた、重要な情報と共に……。
◆ ◆ ◆
島の港近くに位置するオープンテラスにクレスとロビンの姿はあった。
「さて……どこまでいけるか?」
「さぁ、分からないわ」
クレスとロビンがアラバスタの王女と護衛隊長が組織に潜り込んでいる事に気付いたのはつい最近の事だ。
よくもまぁここまで大胆な行動を起こせたと感心するような行動力である。
今はまだ、この事実に気付いているのはクレスとロビンの二人だけだったが、バロックワークスの内偵は優秀だ。それもやがて露呈するだろう。
そうなれば間違いなく抹殺命令が下る。ならば、まず命は無いだろう。
「でも、よかったの?」
「ん?」
「これは立派な背信行為よ」
だが、そう言うロビンに批難するような様子は無い。
むしろ口元には柔らかな笑みが浮かんでいた。
今回の件はロビンが異変に気付き、クレスに知らせた。
そして、どう動くかを二人で相談し決めた。
「なに……裏切りはいつもの事だろ?」
「ふふ……」
バロックワークスの活動は終盤へと差し掛かっていた。
大きな動きに出る日も近いだろう。そうすれば、探し求めていた歴史の本文に手が届く。
アラバスタの崩壊と引き換えに……。
それが唯一の方法であるが、抵抗が無いかと言えば別の話だ。
全てがクロコダイルの思い通りになるのは面白くない。
「だが、これで……やることが出来たな」
「そうね」
そう言うクレスの口元に浮かんだ笑みに、つられるようにロビンは微笑んだ。
あとがき
やっとパソコンが使える状況へと帰ってきました。
しばらくの間更新が止まり申し訳ありませんでした。
今回はビビとイガラムの接触の回です。
物語はこれからが本番ですね。
なんとか冬休み中にアラバスタ篇を終わらせたいです。