「―――で、なんていったけ例の奴」
「『傷の男』だよ」
「スカー、ね…邪魔だわ本当に」
「そういえばさぁ、妙薬の錬金術師もそいつに襲われたらしいよ」
「え、あのお嬢さんが?……でもらしいって何よ?」
「錬金術の無理な使用の負担で寝込んでるらしくて、ほとんど意識不明の状態らしくてさぁ、誰に襲われたかは確定じゃないんだよね」
「…………ふーん、まぁいいわ」
「人柱候補だったけ?あのお嬢様は」
「…………ええ、そうよ、あのお嬢さんは有能だわ……その傷の男に出遭った国家錬金術師の中で今のところ唯一、生き残った人間みたいだし」
「ふーん」
「なによ?」
「あんたがよく使ってる化粧水って【妙薬】が発明したやつだよね、もしかして……ってまぁいいや別に」
「だから何よ?」
「別に」
「ラストーまーだ足りなーいー」
「グラトニー、これでも食べてなさい、ほらバランス・ブロックよ、あの有名なダイエット食品」
「これうまいから好きー」
「へぇ」
「さっきから何よ?本当に」
「なんでもないよ、おばはん」
六話
唐突に眼が覚めた。
「雨の音がする」
ざわめく街の喧騒のような雨が降る音が聞こえた。
ユーリックが寝ている場所は消毒の臭いが強く、どうやら医療関係の部屋だろうとあたりをつける。
身の安全に安堵していると胸になにやらこそばゆい、変な感覚があった。
「やっと起きましたね!!ユーリ!!」
私が眠っていた寝台の横に丸イスを置いて座っていた、野戦服を着た、黒髪の妙齢の女性―――パトリシアがユーリックの開かれた眼を見て
ユーリックが意識を失った時と同じぐらいの声量で叫ぶ。
「うるさいですよパティ………それになんですかこの手」
「手?」
「人の胸、揉まないでください」
パティの右手はユーリックが横になっている寝台の毛布の中に手を潜り込ませ
撫でるように指一つ一つでゆっくりとユーリックの胸を何故か揉んでいる。
「マッサージです、寝込んでいてユーリは身体を動かせないので寝込んでる間、私がほぼ3日間、ユーリの身体が堅くならない様に全身をマッサージしてたんですよ?それにしても相変わらずユーリの胸は形が綺麗です、揉み応えがあります…………それに最近大きくなりました?」
そう言いながらパトリシアは右手をそっと寝台から引き抜き自分の膝の上に置く。
ユーリックは誰が見ても気付くぐらいパトリシアの黒い眼が泳いでいるのに気づかなかった。
「マッサージですか、ならいいです……って私3日も寝込んでいたんですか?………ぐっ」
ユーリックが寝台から身体を起こそうとすると、全身に感じる倦怠感と重圧感に小さな悲鳴を上げる。
「ユーリ起き上がらないで!!」
「体が重い………」
「3日近くも全く動かず、高熱を出して寝込んでたらそうもなりますよ!いいから寝てください!」
「うん」
ユーリックが全身を寝台に預け、横になるとパトリシアは毛布を摘み、ユーリックの身体に掛ける。
「ほら、ちゃんと毛布被って寝てください」
「ありがとうパティ……どうやら貴方に心配をかけたようですね」
「そうですよー!?私かなり心配したんですからね!?いきなり高熱だして!倒れて!私が東方司令部に急いで貴女を運んで医務室に寝かせた後
軍医には脳に負担がかかったせいで起きた熱で命には別状はないと言われましたけど不安で不安で仕方なかったんですよ!?
それはもう軍医に鉈で切りかかるぐらい!!それにユーリの御実家の皆様も本当に心配していて大変だったんですよ!?
またユーリが昔の様に倒れた、と少将と奥方様達も寝込むぐらいに」
「寝込むって………それ嘘ですよね、たった3日ですし」
「はい嘘です、少将はさっさと帰らせて結婚させろと一点張り」
「お母様は?」
「はい、結婚の準備をなさってます……多分、本気です」
「うわぁ……どうしょうって!?パティ!あなた……実家に連絡しましたね!?」
「当たり前です、貴方が倒れたその日に連絡しました。私は貴女の護衛なんですよ?――――貴女が危機に陥っている時にゆっくりとコーヒーを飲んでいた無能、ですが……」
ズン、とまるで音がしたように突然暗い空気を出しながら落ち込み始めたパトリシア。
「そんな……あなたのせいじゃないですよ、私があなたに待っているように言ったんですから」
「違います、私が無能だからです、有能であれば貴女の到着を待ち伏せるぐらいします、いくら前の査定で、駅で待っていたのに、半年遅刻されたとしても」
「違う、私が我侭なだけです……ハンセンで研究をしている時もあなたを付けろ、と実家に言われながらもそれを断り、一人で研究をしているんですから」
ユーリックは半年遅刻をスルーしてそう言う。
「………じゃあ、今度からもし、ユーリが研究をまだ続けられることになったなら、私をユーリの研究室に置いてくれませんか?護衛として」
「多分もう研究は続けられませんけどもし続けることができたら、いい―――って」
と言いかけ
「研究?…研究室…3日…3日…来るまでに3日ぐらい+起きて3日ぐらい…………よって6日ぐらい」
なにやらブツブツ言い始めたユーリックにパトリシアは怪訝な顔をする。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
「どうしたんですか!?ユーリ!まさか、3日前に何があったんですか!?まさか!?ユーリ!?の身体に何か!?でも軍医もそんな事は…」
「消費期限!!」
ユーリックは叫んだ。
「…………は?」
「冷蔵庫に入れていた残りのベリーパイが腐る!!やばいです!他の食品にも感染拡大します!!……あああああー!!サランラップ作っておけば良かった!でもあんな化学製品つくる知識なんて私には……無い!あああ、そういえばユルゲン13号もああああああああああ!!腐る!!即効で査定終わらせて帰って食べようとおもっていたのにああああああ勿体無い勿体無い勿体無い勿体無い…あああ!!畑の世話も!?」
叫び頭を抱え、震え始めるユーリック。
「また発明ですか……3日間高熱出して寝込んでもこの元気―――流石、怪物少将の娘ですね、身体能力はありませんけど体力だけはありますね……」
心配から呆れた顔でユーリックを見ているパトリシア。
しかし、安心しました、とパトリシアは喜んだ。
どうやら後遺症などはなかったようだ。
今度の実験は保存料の開発だ、もしくは冷凍技術の向上……などと、ユーリックがまだブツブツ言っていると
「おーい中尉、大佐殿が様子を見に来たぞ、あとユーリックお嬢の旦那も………お、この声はお嬢だ、起きたんじゃねえか」
ユーリックが横になっている寝台がある医務室のドアをノックする音がドアの先から聞こえたと思うとキャデラック少尉の声が聞こえた。
「タイミングがいいね、丁度聞きたいことがあってぐえあ!?「ユーリック殿!!」少佐!?痛い痛いドアがっ!?少佐!押すドアではなく引くドアです!」
ドアの外からの焔の大佐の声に被さったもう一つの声とドアの窓から映る巨大な影に、ユーリックは瞬時に正気を取り戻した。
来る、奴が来る!
しばらくしてドアが開かれる。
「ふっ!」
そしてドアが開かれた瞬間にユーリックは3日間寝込んだ体でなんとか横になった身体のまま転がり寝台に毛布を残して落ちる。
そしてすぐにユーリックの寝ていた寝台に超重量の筋肉の塊が飛び込んできた。
「ユーリック殿!我輩大変心配しましたぞっ!!嗚呼!こんなに細くなって!?なんていうことだ!?賊め!?今すぐこのアレックス・ルイ・アームストロングが豪腕で打ち倒してやろうではないか!?我が妻の仇!」
「アレックス様……それ毛布です、私じゃありません」
人の話を聞かず、見事な筋肉の塊は毛布を抱きしめて涙を流す。
見事な漢泣きだった。
というか暑苦しい。
「それにまだ結婚してませんから妻じゃ、ぐっ………いつもですこのパターンはだ……だから、こんな濃い人たちがいるから査定が嫌いである理由の一つなんです」
寝台を転がり落ち床に身体を打ちつけたユーリックは体を襲う倦怠感と闘いながらそう言い、立ち上がろうとするが足が腫れてるらしく痛くて立てない。
なんで、こんなのが私の……男性の意識が嫌がるかのように出て来ないので、女性の意識で「よよよ」とそのまま床に顔を押し付けて涙を流すユーリック。
その筋肉は毛布を抱きしめていたかと思うと直に寝台から出て立ち上がり、身体を腕で抱きしめるような謎のポージングを決める。
「ユーリック殿の仇は我輩が!ごむっ!?」
その隙を狙って軍靴の爪先でアームストロング少佐の脇腹をパトリシアが蹴り飛ばす。
ちなみに軍靴の先端には鋼鉄が入っている。
流石に見事な筋肉の鎧でも脇腹は効いたらしく、もんどりうって倒れるユーリックの婚約者の筋肉、いやアームストロング少佐。
「ひょっとしてそれ洒落ですか?………か弱い、私の妹分の聖なる寝室に男三人で乗り込んできたと思いきやこの狼藉!このパトリシアの
マチェットの一撃で貴様のその厚い肉を剥いでユーリの美味しい手作りジャーキーの材料にしてやる!覚悟しろ!!」
倒れたアームストロングを苛烈な殺意を向け、左右の腰にある鉈を両手を交差させて抜き出しながらパトリシアは叫ぶ。
「それはいりませんパティ!?あとその人少佐だから!ついでに婚約者!!」
首を床から起こして叫ぶユーリック。
このままだと医務室が血に染まる、焦って止めようとするが
「くっ!油断した!貴様が賊か!?」
そう言いながら起き上がる筋肉の塊。
そして次は肩の筋肉を強調させた謎のファイティング・ポーズを決めてから、軍服の上を脱ぎだした。
「この【豪腕】貴様ごときにやられるか!!」
「もう回復したのかっ!この筋肉めっ!?しかも何故脱ぐ!?この変態め!!」
それにたいして鈍い色を放つ二本のナタを構えるパトリシア。
そして二人は医務室の中で睨みあいを始めた。
かなり迷惑だ。
頭痛い。
「ふむ、混沌としているな……」
何故か急に軍服を脱ぎ、上半身裸になった【豪腕】の少佐と、マチェットを本気で抜き出したパトリシアの二人。
その光景をみて現実逃避気味で焔の大佐は呟く。
彼の軍服は何かに押しつぶされそうになったのか、少し皺が出来ていた。
「お嬢、久しぶり」
ジョン・キャデラック少尉は床に寝ているユーリックに話しかけてくる。
そして全くこの騒ぎを止める気がない。
寧ろ、この騒ぎを面白がって笑っている。
「ちょっと誰でもいいですからなんとかしてくださいこの空気を止めてください………あ、今度は液体窒素料理でも作ってみましょうか?
空気中の窒素を集めれば可能です、そうだやってみましょう、錬成陣のフォルダはもうないですけれど、ペンさえあれば今でもすぐできますやってみましょう」
ユーリックはずるずると寝台に上がり毛布を頭から被って何も見ないようにして現実逃避をしていた。
この後すぐに医務室に入ってきたホークアイ中尉の一発の銃声でこの騒乱は鎮められた。
騒ぎが静まった後、ユーリックが護衛と婚約者の代わりに謝り続けたのは言うまでも無い。
ちなみに、キャデラック少尉はユーリックが目覚めたことを実家に連絡しにいくと言い残し、医務室から出ていった。
アームストロングとパトリシアは反省として、しばらく静かにするようにユーリックは言ったので二人は黙って手を握り合っている。
仲良くなるにはまず、握手からというユーリックの意見で医務室の隅の方で握手をしている。
「むう…やりますな」
「握力には自信があります、あなたもやりますね………ぐっ」
何やら握手という、力比べをしているが、先程とは打って変わって落ち着いた空気の中で
「エドワード君達は今、宛がわれた部屋で寝ています……」
ホークアイ中尉は静かな顔で大佐にそう言い、溜息を吐く。
「ふむ、彼等はまだ子供だゆっくり休ませとこう、ホークアイ中尉」
「なんでしょうか」
「私はまた現場に向かうが……もし、鋼のがタッカー氏の検死に立ち会おうとしても、断っておいてくれたまえ―――あんなものを子供に見せてはいけないからね」
「あんなものとは……?」
子供が見てはいけないもの……。
ユーリックは自分が寝ていた実質3日間の間にあの兄弟に何があったのか疑問を持った。
「まだ休憩の時間だ、その間で様子を見に来ただけだが、多少話す時間があるな……君ならば話してもいいかもしれないな、
我々国家錬金術師の同胞としてある国家錬金術師の一人が犯した罪を」
「罪?」
「聞くかね?」
「はい、お聞かせください」
ロイ・マスタングにとってユーリック・バートンという人間はどこか国家錬金術師の中でも風変わりな人間、という位置づけだ。
どこかマッドサイエンティストだったりどこか非常識である人間が多い国家錬金術師の中で輪を掛けて普通な人間故の風変わり、という位置づけ。
どこか研究になると周りが見えなくなるフシがあるが、それ以外はいつも他人に気を使える思いやりのある人間だ。
あのイシュヴァールの内乱で内乱終結まで後方勤務だったというのが【妙薬の錬金術師】の表の風評だが。
実際は違う。
ユーリックは戦場に居たことがある。
あの地獄のフチの様な場所で護衛が居たとしても、たった一人家族から離れ、しかも14歳の若さで戦地に赴き、軍の物資の補給などをしていた。
ロイが戦地で彼女が赤い髪を戦場の風で揺らしながら、小さな白く穢れなど無いかのような手で人殺しに使う兵器の整備をしているのを初めて見たときは、アメストリス国軍に対し欺瞞を多く感じたものだった。
そんな中、それでも戦場の中で他人に優しい少女で在り続け、今も日夜、人に役立つ研究を続けるというある種の強さに感服さえしている。
故にこの事件の事を話しても大丈夫なぐらい信用できる人物だ、とロイは思っている。
ユーリック本人が聞いたらそんな大層な人間じゃないと叫び出しそうな事を思いながらショウ・タッカーが殺害されるまでのあらましを【焔の錬金術師】はユーリックに話していく。
「そうですか、そんなことが……」
ユーリックは寝台の上でその話を聞いてとても不快な気分に陥っていた。。
もし、もしだ、もし自分がエルリック兄弟に東方司令部まで同行し
そのまま兄弟と一緒にショウ・タッカーという人間の所へ行っていたらどうだったのだろうか、とユーリックは考える。
自分の娘をキメラにしてしまったタッカーを見つけるエルリック兄弟とユーリック。
その時の光景は地獄のような光景だっただろう。
自分はその光景を見て耐えられるのだろうか。
それに兄弟達は?
「すいませんがその二人には多少のカウンセリングが必要なのでは?悪夢やトラウマの元になったりしないとは言い切れないのですから」
人は脆い。
心という抽象的で見えないものは、揺らぎやすくで何かの拍子ですぐ崩れ去る。
彼等はユーリックの前世で言うならまだ中学生程度。
いくら、地獄や修羅場を潜ってきたといってもまだ感受性が豊かな時期の年頃だ。
心の痛みには敏感であり、このまま大人になる成長の過程で心が歪んでしまい、将来不安定な人間になるかもしれない。
故に多少のケアが必要だ、だからカウンセリングの必要性を感じてユーリックは焔の大佐に提案する。
「大丈夫だと思うよ、彼等は強い………ところで彼等が何故、旅をしているか知っているかね?」
「アル君から聞きましたが、それが?」
「あれほどの苦難を歩みながら旅を続ける彼等ならば大丈夫さ、私は彼等があれ以上の地獄を見ながら立ち上がるのを見ているのだから」
「…………」
まだあの二人のことをよく知らないユーリックがこれ以上何かを言っても、無意味だ。
ユーリック自身は彼らの事をアルに聞いただけの人間。
大丈夫。
そう言い切る、焔の大佐に
「そうですか」
ただそう言ってユーリックはそれ以上喋らず、黙る。
とてつもない怒りをそのタッカーとやらに覚えているが、自分は当事者ではないのだから、それ以上踏み込むことは、ただの迷惑なお節介。
自分に出来ることは精々、あの二人が落ち着いてから、美味しい食事でも振舞って元気付かせるくらいだ、とユーリックは思考する。
「聞きたいことがある【妙薬の錬金術師】殿」
そしてこれからが本題だ。
でなければ、こんなユーリックのような小娘に時間は取らないだろう、大佐という軍人の役職を持つ者は暇ではない。
「ええ、私が誰に襲われたかでしょう?」
「そうだ、君が歩いてきたという道の方面で錬金術の錬成の跡が見つかった、壁と粉塵、君はそれを誰に向けたのか、それを聞きたい」
「そうですよ!私も聞きたいです!貴女の拳銃の弾が撃ちつくしてありましたし、あと貴女が錬金術に使う道具が無くなっていました、何があったんですか!?」
パトリシアも散々気にしていたのだろう、ユーリックに問い詰める。
が。
「すいません話したいところですが、よく思い出せないんです」
まだ脳に過負荷が掛かったせいか倒れた以前の記憶が曖昧だ。
少しずつ、思い出しながら話そうとするが
命に危機が迫ったこと
誰かに襲われたこと
なんとかそれから逃げたこと
それしか思い出せない。
しっかりとした証言の方が役に立つのだ。
変な証言で混乱させてしまっては悪い。
そう思いながらユーリックがまだ痛む頭で思い出そうとしていると
「大佐そろそろお時間が……」
ホークアイ中尉の一言で話は中断されてしまった。
「すまないユーリック殿、話はまた後になりそうだ、とりあえず、私はまた現場に向かわなければ行けなくなってしまった。
検死が終わった後にもう一度話を聞きにくることにするよ………それに今は深夜、まだゆっくり休んでいてくれたまえ」
「ゆっくり休んでくださいね、ユーリック殿」
大佐とホークアイ中尉はそう言って、医務室から出て行く、どうやら自分の様子を見るために検死の間に時間を作ってきてくれたらしい。
ユーリックは寝台の上から手を振って二人を見送った。
で
「お久しぶりですアレックス様……」
いつのまにかパトリシアも室内から消えていて今はこの婚約者と二人きりだった。
妙な気の使い方をしないで欲しかった、とユーリックは思いながら小さな丸イスに窮屈そうに座る、目の前の婚約者に挨拶をする。
「うむお久しぶりですな、ユーリック殿。貴女が倒れたと聞いてこの我輩、アレックス・ルイ・アームストロングは大急ぎでセントラルから貴女の元に来ましたぞ」
「心配かけてすみません……それにお忙しいところにわざわざ」
「構いませんよ我が美しい婚約者の為です、火の中水の中ですよ――――そうだ、ユーリック殿これを」
「………花?」
着なおした軍服の胸ポケットから一輪の白い花を取り出し、寝台に寝ているユーリックの手に渡す。
「うむ、白百合です」
先程軍服を脱ぎ捨てたのに白百合は美しい花びらのままユーリックの手の中にある。
こんな大きな花を崩さず胸ポケットに入れておけるとは――――これが、噂のアームストロング家に代々伝わる技の一つである収納術なのだろうか
と思いながらユーリックは白百合を眺める。
「白百合の花言葉は知っておりますかな?」
「すいません、あまり花には詳しくなくて………」
どちらかというと花の美しさと意味自体よりも花の成分に興味を抱きそうなユーリックには、そういう情緒的な知識は殆どない。
「白百合の花言葉は純潔・威厳・無垢でして……その、ユーリック殿の所に訪れた時、眠っていた姿がこの花にそっくりだと思いまして――――喜んでいただければ、と」
なにやら恥ずかしそうに頭を掻きながらアレックスは言う。
マッチョな大男が恥ずかしそうにそう言う姿は見てて破壊力がある。
それに、この男が一輪の白百合を花屋で買い求めるのは中々シュールだっただろう。
少しその光景を見たかったなとユーリックは思い微笑えみながら綺麗な白百合の花を見てユーリックは素直にお礼を言う。
「ありがとうございます、アレックス様」
この男、その図体や風貌に似合わず紳士的であり情緒的だ。
今のキューピーな髪型をやめてまともな髪型にすれば、なんとかインパクトは薄まり、見れる男になるのではないだろうか?
どことなく漂う妙な雰囲気に逃げたい気持ちを感じながらそう、ユーリックは思った。
『ほう!随分粋なことをしますね!!』
医務室のドアの方からパトリシアの声がする。
パトリシアは医務室の前の廊下でこちらに聞き耳を立てているらしい
(パティ、貴女……あとで覚えていてください、それに隠れるならもう少し声量下げてください、恥ずかしいですから)
「喜んで貰えて嬉しいです、これから我輩もタッカー氏の殺害現場に向かわなくては行けなくてですね」
「はい」
「お恥ずかしいですな、そして情けない男です―――先程まで倒れていた婚約者の傍にも居られないとは………」
「いいえ………そうやってお心遣いを戴けるだけで十分です―――私もバートンの娘、軍人の債務は分かっているつもりなので」
「では仕事が終わればまたユーリック殿に会いに行ってよろしいですかな?」
「ええ、その時にはちゃんと元気になった姿で貴方に会いたいと思います―――あ」
「そろそろ行きます、まだ深夜の2時です、ユーリック殿はゆっくりお休みください」
アレックスは丸イスから腰を上げて立ち上がり、寝台に近づき、ユーリックの花が握られた手を持ち
そのゴツイ顔を近づけその手の甲にキスをする。
それからユーリックに背を向け医務室のドアの方に歩いていく。
ちなみに手の甲へのキスは尊敬や敬愛などの意味を含むものであり疚しいモノではないのでユーリックは嫌悪感を感じなかった。
この男、容貌に似合わず、手馴れてる。
「あの……結婚の件は」
少し混乱しながらその大きな背中にユーリックは言葉を投げかける。
「ふむ、ユーリック殿がまだ錬金術師として研究を続けたい気持ちは知っています
ですから我輩からそれとなくバートン家の方々に言って置きますので心配は無用です、安心してください」
では。
振り返らずアレックスはそう言って医務室を後にした。
ドアが静かに閉じてからしばらくしてからユーリックは眼を閉じ、溜息を吐く。
「うううううううううう……………」
そして頭を抱えて寝台の中で羞恥で悶える。
いつもいつも強気な態度で望まず、なあなあで済まそうとして受動的な態度を取り続けたせいで
だんだん堅い鎖に巻かれるような気分が強くなってきている。
いつもいつも男性に対する強気な姿勢を出す男の意識が何故かいつも出てこないのだ。
結婚なんてしたくはないのは女性の意識も同じ。
しかし、バートン家に生まれ、経済的自由と高い教養を受けさせて貰ったのだ、家の為に結婚するのはしょうがない、と諦めてもいる。
しかし、しかししかししかししかし。
「しかし……」
「しかし、いい男ですね……あまりにもゴツイのでマイナスを振り切ってますが、他は紳士的ですし、女に花を贈るなんて情緒があります。
でも、最初のあの暴走っぷりは酷かったですね………結局、ゴツイから総合点数は40点ぐらいですかね?」
「それってどうなんですかパティ的には………って!いつのまに!?」
いつのまにかパトリシアはユーリックの寝台の横の丸イスに座って、頷いていた。
どうやらパトリシアは散々出歯亀したあとユーリックの元に戻ってきたようである。
それにしても相変わらず気配が読めない隠密能力、流石あの父が選んだ精鋭だ、とユーリックは感心してしまう。
「駄目ですダメダメです、物理的に大きすぎます小柄なユーリには少し……あとそうですね――――私が見たところユーリは完全にあの男にロックオンされてますよ?」
「ロロロロッロックオン!?」
ユーリックはあの婚約者にウインクされた情景を想像して顔を青くする。
「あの手の甲のキスの感じでは「貴方をお慕い申してます」的な感じでした、うむうむ、なんて羨ましい男性なのでしょうか。
ユーリのような穢れなき美しい乙女と婚約者になって今のように愛情を交し合い、何れ結婚する……羨ましい、妬ましいですね!
私が男であれば…………くっ!」
「愛情……結婚……」
ユーリックは意気消沈として顔を枕に埋め始める。
それでも手に持つ白百合の花は崩さないように持っていた。
「あと聞きたいことがあるんですがユーリ」
パティは空気を一変させ、まるで猛禽類のような眼でユーリックを睨む。
枕から顔を離し、ユーリックはパトリシアを見る。
「誰に襲われた、というのはまず置いておきます、貴方自身の体には一切、暴力の後はありませんでしたから、足も捻っただけのようですし」
「あれ?」
てっきりユーリック自身に降りかかった災難の内容を問い詰めてくるかと思ったが、違うことに驚いた。
「ユーリ、貴方は華の20歳の女性でありながら、また着の身着のままで此処に来ましたね?何時もどおりの色気のない作業服と白衣で」
銃や財布や錬成陣、そして醤油が入った小瓶などの発明品。
そして国家錬金術師の証である銀時計ぐらいの最低限の物しか持たずにエド達と短い旅をしたのだ。
金はあるから途中で必要になったら買えばいいや、とユーリックは思っていた。
「えーと、あれですよ、司令部に向かう前にちゃんとした格好をするつもりでしたよ?それに服だって、錬金術を使って錬成すればすぐ綺麗にできますし」
服など錬成陣を当てれば直に新品にできる。
だから、一人で生活している時には普通の洗濯などしたことがない、とユーリックは誇らしげに言う。
「はぁ、この妹分は相変わらず………まぁいいです、でもこれだけは譲りません」
「何?」
「ブラジャー」
「ブラジャー?」
何を言うんだ、とユーリックは首を傾げた。
「してませんでしたよね!?貴方が倒れた時に体を調べた時、シャツの下に何もなくて大変驚きましたよ!?」
「うん、つい」
つけていると圧迫されるし、胸の間に汗を掻きやすくて寝苦しいので外したままだった、とユーリックは思い出す。
「つい―――じゃないですよ!?馬鹿ですか!?貴方が倒れた時一瞬、強姦か何かをされたか!?と大変心配したんですよ!?」
まぁ私がすぐ司令部に運んだ後に調べたら文句なしにまだ処女でしたので、安心しましたが、とパトリシアは言う。
「強姦って――――あと処女うるさいしかも調べるな」
ユーリックは自分の体を汚されたような気がして思わず身震いする。
「なら人目を気にしなさい!!ノーブラで出歩くとか正気の沙汰じゃないですよ!?」
「大丈夫ですよ、厚い布地の白衣を身に纏ってますからって痛ひ!!」
頬を抓られた。
なんでこんな怒られなければいかんのだ、とユーリックはひりひりとした頬の痛みを感じながらそう、思う。
「今は若いからいいですけど、その大きさだとそんなことをしているといずれ垂れますよ!?
あと髪もです!いつもいつもトリートメントを怠るな、ときつく言っているのに去年の査定で会った時よりも痛んでいます!サボりましたね!?」
「だって仕方ないです……忙しいのですから。それに私の髪、あんまり痛むことなんてないですし」
ユーリックは自分の赤毛に白百合を持たない手をやり、触る。
「あ」
「ほら、痛んでますよね?実家にお帰りになる前に少し身だしなみを整えないとやばいことになりますよ?」
「うん、やばいことになりますね」
まず母親に激怒され、いますぐ花嫁修業だ!と叫ばれるだろう。
また薔薇のお茶とかを美しくなるためだ、とか言われ、ひたすら飲まされるのだ。
そして無駄に煌びやかでヒラヒラした服を着させられるのだ。
ユーリックは学校の夏休みの宿題を面倒くさがり、そのままやらないで休みが終わった学校に来たような気分になった。
「なんでそんなに落ち着いてるんですか………」
いつもなら大慌てで自分に泣きつくのに今回は妙に冷静だ、とパトリシアは思う。
冷静な顔でユーリックは言う。
「落ち着いてるというよりも絶望してるんです」
「どういうことですか?」
ユーリックは悟っていた。
「研究はもう続けることはできません、絶対」
胸にストン、と落ちた終わりの感触。
ユーリックは手に握られた白百合を眺めながらそう諦観していた。
どうやっても結婚からは逃げられない。
実家に連絡が行くような危険に見舞われたのだ、これでお終いだ。
婚約者であるアームストロング少佐が何を言おうと、結婚の準備は始まるだろう。
段々と思い出してきた倒れる三日前の事。
一人の男が脳裏に浮かぶ。
褐色の肌。
そして赤い眼。
その記憶の中の男に
「なんてことをしてくれたんだ」
ユーリックは思わずそう、口に出して言った。
白百合は何も言わずただ美しく咲き誇っていた。
続く。
あとがき
ついに出ました婚約者。
ちなみにエド達がタッカー邸に赴いている間、ユーリックはずっと寝込んでいました。
ニーナがキメラにされ、その事実を知ったエドとアルが受難した日の夜に目覚めたという、脇役っぷりでした。
もし、まっすぐ東方司令部に向かっていても、主人公は生命を弄るキメラなどが嫌いなので二人に同行はせず
終始二人が泊まる宿の中で二人の話を聞くだけで、「ニーナっていう女の子に食べさせてあげて」とか言いながら
エドにタッカー邸に持たせるためのクッキーでも焼いていて原作の本筋に絡まずにそのままさらにどうでもいい脇役になっていたことでしょう。
その代わりスカーには襲われず、結婚フラグは伸びたでしょうが……。
スクウェア版に引越ししました。
これからもよろしくお願いします。
では次回。