ジャン・ハボックは叫んだ。
「あ…野郎地下水道に!!」
アームストロング少佐と傷の男の熾烈な争いはホークアイ中尉の援護により終止符が打たれた。
格闘戦で決定的な瞬間にアームストロング少佐は相手から下がり、ライフルを構えたホークアイ中尉に援護させたのだ。
中尉に精密射撃をされ、それでも決定的な隙でスカーは銃撃を回避した。
そして額に軽傷を負ったスカーは自分の足元を分解し、地面に穴を開け、地下水道への脱出を図った。
「本当にバケモノですね……あれで避けるとか」
その一連の動きを遠くから見ていたユーリックは自分の無謀さを思い知り、鳥肌を立てた。
「でもよかった」
それでも婚約者の無事にユーリックは安堵の息を吐き、まずは被害者の兄弟二人のところへ向かおう、そう考えた。
「その前に……あの」
自分についてくれている、そして濡れた自分に軍服を貸してくれた軍人に話しかける。
「どうしました?……妙薬の錬金術師殿」
「えっと、軍服ありがとうございます…あとこれ」
ユーリックはズボンのポケットに仕舞われたキノック・ロウランという軍人のドッグダグを取り出して軍人の手の平に乗せる。
「これは…?」
突然手の平に乗せられた物に困惑する若い黒髪の軍人、ユーリックが纏う軍服から階級は一等兵とわかる。
「私が彼を見つけたときにはもう亡くなっていました…あの男、スカーによって殺されたと思われる軍人の物です」
「キノック・ロウラン………」
「貴方の階級と同じだったので、もしかしたら同僚かもしれないと思ったので渡しました」
「キノックは、自分の同僚でした……」
「なら、貴方にそれを託します」
ユーリックはただ冷淡に告げる。
軍人は渡されたドッグタグを見て、ただその事実を静かに実感する若き軍人。
唐突な仲間の死を事実として受け止めているが、彼の声は震えている。
「そうですか……………死んだのか、あいつ」
「大通りの時計台付近で亡くなっていました……」
「………」
「貴方に頼みたいことがあるのですが」
そういって、軍人にもう一つの物を手に取らせる。
「これは……?」
一発の銀色の弾丸。
雨に濡れながらもそのメタリックで硬質な輝きは損なわれない。
銀色の弾丸は魔物のような男から二人の少年を救う力となった。
「私が先程の捕り物が始まる前にスカーを傷つけた弾丸と同じものです、証拠品や参考の品にはなりませんが…それは殺された彼のドッグタグの鎖で私が錬金術で作った物です、軍部に提出してください」
「…………」
「それで二人の子供の命が救えました…死んだ彼の手には銃が握られていました――――だから私が代わりにそれで撃ちました」
彼の死は無駄ではない、ユーリックは言う。
それはユーリックの自己満足で自分勝手で最悪な――――独善的な行為。
いまの言葉はまるで死者の意を汲み取ったかのような、とても勝手な発言だった。
ユーリックはそれでも言った。
キノック・ロウランは軍人として最後まで戦った、と。
「………そうですか」
銃弾を握りこんで、亡羊と返事をする軍人。
一瞬、ユーリックを見る軍人の視線がどこかユーリックを責めるような物に感じた。
お前に何がわかるのか、決め付けるな、と言う様な軽蔑の視線。
その感覚は多分、その通りだ。
ユーリックは何もわからない、ただの知ったかぶり、そしてどこまでも残酷で―――軽蔑される人間だ。
キノック・ロウランという人間が死んでいたのを見つけて「人が死んでいる」、という大きな喪失を見て一滴の涙も流せなかった人間だ。
「……すみませんが、私事件の被害者である二人が心配なので向かいます、あとこれお返しします」
ユーリックは借りていた軍服を脱ぎ、それを軍人に押し付けるように返し、歩き始めた。
追わずにそして何も言わずにただ、その背中を眺める軍人の視線がユーリックの心の痛みになった。
視界映る、降り注ぐ雨を見て
「これでいい」
ユーリックは自分に言い聞かせるように雨に濡れ冷えてきた体に鞭を打ち、歩む足を早くして兄弟の下に急いだ。
ユーリックの瞳には雨は流れていなかった。
ユーリックはいつも人の死に触れるたびに心が擦り切れていくのを感じている。
それでもなお、ユーリック・バートンは『幸せ』と言う自分の定義で作った箱庭の中でこれからものうのうと生きていく。
8話
「でも生きてる」
「うん、生きてる」
兄弟は二人で微笑み合う。
生きるというのあらゆる苦難や試練を乗り越えると言う事だ、降りかかる生きるという行為の最大の障害である
ならば、死という災難を乗り越えたならば、それは一つの達成感。
躓いても、生きていればまた立ち上がれるのだから、それだけでも生きていることは嬉しいのだ。
だから二人は笑う。
「生きていますね……私も、貴方達もまだ、生きています」
二人の傍にいるホークアイ中尉に挨拶をしてからユーリックは彼等に声を掛ける。
「ユーリ?」
「ユーリさん?」
「二人とも大丈夫でしたか?」
「なんとかね…でもあの時は助かったよユーリ」
「ありがとうユーリさん」
「どういたしまして、お二人方」
ユーリックは微笑む、影のない微笑みで…先程の感傷などないかのように。
「でもなぁ、あんなヤツに立ち向かうなんて無謀だぜユーリ」
エドワードは自分の無謀さを隅においてユーリックにそう、言う。
「そうそう、僕達で歯が立たなかったんだから本当に危なかったよ、ユーリさん」
「そうですね危なかったですね………また彼に出会わないことを祈りましょう」
「そうだよなぁ」
「本当、僕なんかこんな風にされちゃったし」
おどけるようにアルは残った腕を上げる。
「あ、やべぇ」
アルの崩れた体を見て
エドワードはユーリックに自分達の隠していた秘密がばれてしまい焦りそうになる。
「大丈夫だよ兄さん、ユーリさんは僕達のこと知ってるから」
「………アル君から聞かされました」
「そっか」
どうせ、もう色んな人間に見られている。
別に身も知らない他人に知られ何を言われたって、もう気にしない。
ユーリックのような真っ当な人間に知られ、少し後ろめたさを覚えたがエドはそれでもいいか、と思い軽く相槌をうった。
「ええ、とりあえず二人が無事で良かったです…ってアル君大丈夫なんですか?」
ユーリックはアルの損壊した体を見て、心配して聞く。
ユーリックの視点ではどうみても大丈夫には見えない。
「大丈夫だよユーリさん」
普通の声でアルはそう言うが
何が大丈夫なのかわからなくなり複雑な表情になってしまうユーリック。
だがそれでも、二人が大丈夫と言っているなら大丈夫なのだろう、と安心する。
「良かった………あ、そうだエド君、アル君」
「なんだ?」
「今度は三人で美味しい物食べましょう?」
「三人で……ああ!」
「うん!」
「では貴方達は彼等に司令部に連れてって貰いましょう?…私はこれから私の婚約者の健闘を称えに行きますから、残念ながら付いてはいけませんが」
エドとアルの元に向かう軍人達を見てユーリックは二人に告げる。
「ああ……って婚約者?」
エドはユーリックの言葉の中に腑に落ちない単語が聞こえて思わず聞き返す。
「はい、私の婚約者のアレックス様のところへ」
「アレックス様?」
「アームストロング少佐です、ほらさっきスカーと闘った」
ユーリックは軽く事実を告げる。
とても自然な返答だった。
「へぇ…そうなんだ」
あまりに自然な回答だったためアルも軽く相槌を打ってしまう。
「そうなんです、私は彼の所にいかなくてはならないので、ではまたあとで会いましょう」
ユーリックは二人に背を向け、まるで爆心地のような穴が開いた場所の付近に立っている男の下に向かった。
「じゃあねユーリさん……って!?」
「じゃあなユーリ…………って!?」
「「えええええええええええええええええええええええええええええええええええ!?」」
二人の大絶叫。
アルの体がまた崩れ、エドワードのオートメイルのパーツが飛び散る、それでも彼等は叫ぶのをやめない。
その叫びで二人を運ぼうとする軍人達は混乱していた。
ユーリックは背後の混乱模様に苦笑し、そのまま振り向かず歩いた。
ユーリックが彼がいる場所に向かっていると婚約者が駆けつけてくるのが見えた
「ユーリック殿!お怪我は!?」
ユーリックという守るべき女性が視界に映った瞬間、アレックスは軍務さえも投げ出し、飛び出すように彼女の傍に駆け寄ったのだ。
「貴方のお陰で助かりました、アレックス様………貴方こそお怪我は?」
アレックスがユーリックの元に辿り着くとユーリックは真摯な表情でアレックスに礼を言う。
「この我輩、あの程度の戦いで怪我をするほど柔ではありませんよ、それよりも貴女の危機が訪れる前に駆けつけられなかった我輩の事を許してくだされ」
「貴女のせいじゃないです…ほら私、元気ですよ」
ユーリック自身の意思で危険の中に飛び込んだのだ、彼に悪いところは何一つない。
両手を広げ、自分の無事な体を見てください、心配しないでください、とユーリックは笑う。
「それは良かった……だがその濡れた体では風邪を引きますぞ、部下に言って何か着る物を用意させます」
「あ……すみません、お願いします」
ユーリックは自分の体を見下ろして、思わず先程借りた軍服を返却したがやはり、昨日まで寝込んでいたのに
ズブ濡れのままだと風を引きそうだ、手を広げたまま苦笑する。
「うむ…………」
「どこか顔が強張ってますが、お疲れですか?」
「そんなことは」
普段から強張っている顔を強張らせそして、どこか目が泳いでいるアームストロング。
ユーリックは雨に濡れていてTシャツが水で透け、張り付き、体のラインがはっきりと映っている。
彼女は普段だらしないが食生活だけは健康的でそのせいかスタイルが良く、胸は結構豊満。
その胸のブラジャーも透けて、見えてしまっている。
なにがとは言わない。
だがいうなれば
所謂、スケスケである。
アームストロングは紳士だ、いくら婚約者といっても嫁入り前の女性。
彼が彼女の艶姿をまじまじと見ることなど在り得ない。
故に目の置き場に困り、悩む一人の男がそこに居た。
「そうですか?……私は疲れているように見えるのですけど…あ、そうだ!数日中に機会があれば、精がつく料理を御作りしますよアレックス様」
ユーリックが良いことを思いついた、と微笑む。
「ユーリック殿のお料理ですか、それは大変楽しみですな」
アームストロングは頭を掻きながら笑みを浮かべる。
そして眼を閉じ、恥ずかしそうにすることで、ユーリックの体を視界に入れないようにする。
「好きな物とかありますか?言ってくれれば何でも御作りしますよ」
「では前、食べさせて戴いた牛ステーキなどがいいですな」
眼を瞑ったまま自分が食べたい物を言葉にする。
ユーリックの手料理は数度味わったことがあるがどれもとても美味しい。
一番美味しかったのはステーキだった。
あんな柔らかい肉は今までユーリックが作ったステーキ以外お目にかかったことがない。
基本的にユーリックの前世で言う西洋に属するアメストリスには霜降り肉の牛を育てる発想がまだない。
ユーリックはこのアメストリスで食べる肉は赤みが多く堅い肉が多く、蛋白すぎることに少し腹立ちを覚え。
赤みが多い肉とよく食べられずに捨てられる牛脂を錬成し組み合わせて霜降り肉を作ることを思いついたのだ。
結果、松坂牛並とは言えないが、かなり柔らかい肉を作り出した。
アームストロングに食べさせたステーキはその試作品だった。
「そうですかなら手によりをかけて御作りします……楽しみにしていてくださいね?」
上手く再構成で霜を降らせるのは難しいけど頑張ろう。
ついでにアメストリスでは食べられないで捨てられる、鳥の軟骨の焼き鳥とかぽんぽちとか食べさせてみようかな、などユーリックは考え始める。
名門アームストロング家の息子だけあって彼は舌が肥えていて、彼のユーリックが作った料理への感想はとても役に立つ。
あと醤油の照り焼きとかホルモンもいいなぁ……エド君にも食べさせてみよう、とユーリックは先程まであった心の陰りが消える程、心が躍るのを感じた。
「はい楽しみにしておきますぞ」
そして気づく、自分の婚約者の様子がおかしい。
なんかずっと眼を瞑っている。
「………本当に疲れてはいないんですか?」
「大丈夫ですぞ?」
「なんかさっきから眼を閉じっぱなしですけど大丈夫ですか?……もしかしてさっきの闘いでなにかの破片とかが入ったりしてません?
なんか眼の動きがおかしかったですし――――ちょっと眼を開けてもらえませんか?」
ユーリックはアームストロングとの距離を詰め、彼の顔に手を伸ばす。
「だ、大丈夫です」
眼を瞑ったまま、アームストロングは彼女の接近を覚り、身を引く。
「それは私をはっきりと見て言って欲しいですね、ほら眼を開けてください」
アームストロングが自分を心配させないために怪我を隠している、と勘違いしたユーリックはさらに抱き合うかのように見えるほどに肉薄していく。
「むむ…」
逃げれない、そう悟ったアームストロングは
身長差で手が届かずそれでも一生懸命に胸元辺りまで触れてくるユーリックの柔らかい女性の手の形を感じながら
ただ、眼を閉じ続ける。
「嘘ですね、心臓の動機が激しいですよ?…私は軍人の娘にして錬金術師、人の心臓鼓動で異常か正常かぐらいの判断はできるんですよ?」
アームスロングの胸に触れて動機がおかしいのを感じたユーリック。
「いえいえ大丈夫ですからユーリック殿」
アームストロングの大丈夫、という言葉は聞こえているが
それでもユーリックは自分と交流のある誰かが怪我をしているかもしれないのがたまらなく嫌でしょうがないので
アレックスの眼を見るために正面からよじ登って直接彼の眼を開いて怪我の有無を確認することを決意した。
アームストロングは雨で濡れたユーリックの体が自分の体の正面にしな垂れかかるのを感じた。
「ユユユッユーリック殿!!我輩は本当に大丈夫で、でででですから!」
密着した女性の柔らかい二つの丘の感触と女性の体温に何も出来ず岩のように硬直し、アームストロングはただ自分は大丈夫だと声を張り上げる。
「なら私を見てくださいアレックス様!」
ユーリックは業を煮やして体を密着させアームストングの体をよじ登っていく。
半端に男と女の意識を彷徨ってる彼女はどこまでも無防備だった。
よじ登っているユーリックの胸はアームストロングの堅い筋肉とぶつかりこすれ、くにょんくにょんと弾力性と柔らかさを主張していた。
アームストロングは自ら作り出した暗闇の中、胸の内で悲鳴を上げた。
「ところでなんだ、あの空間は………ってあれは少佐と妙薬の錬金術師の嬢ちゃんじゃねえか?」
部下達に指示を出していたヒューズ中佐はアームストロングにしな垂れかかってる様に見える女性とそれを振りほどけずただ硬直する少佐を眼にして
口からメイプルシロップが出そうな甘い嘔吐感を感じながらも疑問の声を吐き出す。
「妙薬殿と少佐は婚約者らしいぞ……?」
その言葉に補足を入れる焔の大佐、ロイ・マスタング彼の声は何処か沈んでいた。
「少佐の婚約者!?マジかソレ!?……ってしかも嬢ちゃんと!?」
「ふむ、そうだ…政略結婚と聞いていたが………ふむ、杞憂かね」
ユーリックが結婚を嫌がっているのをなんとなく解っていたロイは
少佐の自身の事が嫌いで結婚を嫌がってるのではないことが解り、安堵の言葉を吐くが、やはり声は沈んでいる。
どうやら彼は『無能』という一言とユーリックの止めの言葉にまだ少し落ち込んでいるらしい。
「そうなんですよー大佐殿、中佐殿、あの二人イイ感じですよね………って離れろ、ユーリから離れろ」
パトリシアは奥歯をかみ締め、低い声をだす。
彼女の隔たりがある視覚情報ではアームストロングがユーリックに抱きついているように見えているのだ。
「パトリシア中尉、いつ此処へ?」
腰に掛かった鉈を抜きたくてしょうがなさそうに両手が腰を彷徨っているパトリシアがいつのまに傍にいることに気がついた大佐は内心、彼女から発生する殺気に少しビビリながら声を掛ける。
「東方司令部に戻ったらユーリがいなかったので………探していたらこの騒動ですよ」
「おいロイ………彼女はお前の部下か?」
恐ろしい殺気を軽くスルーしてロイに彼女は誰かと聞くヒューズ。
「彼女は妙薬殿の護衛だよ、あのヴォルフガンク少将の肝いりのね」
「へぇ、あの少将の?」
「ああ」
「へぇ、優秀なんだな中尉、俺の部下にならねぇか?……人手不足なんだよなぁ中央は」
「いえそんなことないですよ、少将のご子息達に比べれば私はそこまで大したことは………それに私のユーリの護衛という重要職があるので
中央勤務は残念ながら、お断りさせて頂きます、すいませんね中佐殿」
「まぁ言ってみただけだから畏まんなくていいぜ中尉」
「そうですか、ですが余程人手が足りないのであれば私が少将に伝えてみましょうか?……こちらとしても軍人とは何かを中央で学ばせたい部下が数人いるので」
パトリシアは戦争が大好きでたまらない部下達を思い出しながら言う。
「お、まじか?」
「ヒューズ…」
それは迷惑だぞ、とヒューズを止めるロイ。
「いや言ってみただけだぜ?」
「本当にか?……まぁ、バートン派と言わずあの少将の三人の息子と妙薬殿、かなり有能な子息達の誰か一人部下に欲しいよ」
バートン派を取り込めれば自分の出世の躍進に繋がる、と考える大佐。
流石にそれはパトリシアの前では口にしない。
「部下っつうよりライバルなんじゃねぇのかロイ?」
「本来ならな…だが」
「ええ……本来ならば、ユーリが彼と婚約する必要もなかったのですが」
「バートンの派閥は出世は無し、か」
「会戦原因の穏健派将官か……」
十三年前の内乱勃発の会戦原因はあるイシュヴァールとアメストリスとの政策に対して穏健派であった一人の将校が子供を誤まって銃殺したことから始まった。
「ええ、まぁ私もバートン派なんですが…そうですねぇ、私はまだ内乱会戦時は軍にいなかったのでよくわかりませんが
バートン家は内乱前は穏健派よりの中立派でしたから………いまでは」
穏健派は著しく軍の派閥内での発言力を失い、過激派が権力を握った。
同じくあの時、中立派の代表的派閥であった穏健派擁護のヴォルフガング少将の信望者の集まり、所謂バートン派も軍内部での発言力を失った。
そのことを苦々しくパトリシアは言う。
「いいのか中尉、そんなこと話しちまって」
「いえ、大佐殿がよく知っているように、どうせ軍内部では有名ですしね。
それに少将はむしろ国境の戦場でいつも軍人として充実している、と喜んでいますから。故に少将を信望する私達バートン派全員の総意は軍人として少将の下で闘うことが出来れば別にそれで良いって感じですよ」
「優秀なんだがなぁバートン派」
「優秀なのだがな、気質なのか皆、出世に興味がない人間が多いらしいな」
「そうそう、出世とは無縁なんですよねぇ、あれさえなきゃユーリは…………まぁ、お話はコレくらいで、大佐殿の補佐の方がこちらを睨んでいるので
また機会があればということでよろしいですか?、私はユーリの安否の確認とそのついでにあの初々しい空気を引き裂きに行きたいと思うので」
「有意義な話だったよ、中尉」
「おお、これからがんばれよ」
ヒューズはパトリシアの肩をポン、と叩き
無駄話を興じている二人に青筋を立てるホークアイ中尉。
その様子に冷や汗を掻きながら、二人は仕事に取り掛かかりに行く。
間抜けな攻防戦を続けていたアームストロングとユーリック。
突然現れたパトリシア介入によってその闘いは集結し、ことなきを得た。
結局アームストロングに怪我はなく、ユーリックは大変恥ずかしい思いをした。
周囲の事を考えて行動しなかったため、気づくと視線が生温かったのだ。
部屋の隅の方に座り、ユーリックは今日この一日の事は忘れたい、と思いながら毛布に包まりながら手にしていた暖かいコーヒーを啜る。
今此処は司令部の一室。
エルリック兄弟やヒューズ中佐やアームストロング少佐など一定の階級の者のみを集め、焔の大佐殿は自分の特等席に座り、あのイシュヴァールの内乱の話などをしている。
どうやら13年前から現在までの件を兄弟に説明しているようだ。
「国家錬金術師を投入してのイシュヴァール殲滅戦、戦場での実用性を試す意味合いもあったのだろう…多くの術師が人間兵器として借り出されたよ」
大佐はそう言い、一泊置き。
「私もその一人だ…そしてそこにいる妙薬殿も」
「そうですね……まぁ私は後方勤務でしたけどね…それでも人を殺すことに加担していました」
エドとアルの視線がユーリックに集まるがユーリックは軽く言う。
だがユーリックは心の中で自分の穢れを感じ、胸に痛みを覚えた。
「だからイシュヴァールの生残りであるあの男の復讐には正当性がある」
大佐はそう、言う。
ユーリックは確かに正当性があることは理解しているが、納得はしていない。
復讐とは自らの願望――――恨みや憎しみで人を殺す。
もし、ユーリック自身も大切な人が殺されたならば、殺した相手に復讐をするかもしれない。
だけど、それでもユーリックは自分の復讐で人を殺すことを納得したくない、そう思った。
ただ、ユーリック自身が復讐に駆り立てられるような事態に巻き込まれたことがないだけかもしれない。
それでも、人を殺してまで叶える価値のある願いなどあるのだろうか?
そんなものはない、とユーリックは信じたい。
たとえ仇討ちだろうとなんだろうと、人を殺してまで叶える願いはとても傲慢で、とても卑しく――――そして心の弱い願いだと思う。
心が弱いから人を殺して叶える願いに縋り付くのだろう。
本当に強ければ願いなど叶えずとも強く生きていける。
誰も殺さず願いを叶える事だってできる。
心が弱いから、傷の男のようになんの罪もない人間を復讐に巻き込んで殺してしまう。
心が弱いから人を殺してまで願いを叶えようとするのだ。
そうは信じているが
それでも世界は簡単にできていない、どんな人間でもまっすぐに人は生きていけないものだ。
だって世界は直線ではなく曲線で出来ているのだから。
どんな人間だって憎しみの潮流に巻き込まれれば罪を犯す。
それでも信じたい、そうユーリックは思った。
人は強く生きていけると。
穢れても心が強くあれば幸せになれると。
そう思っていると、ユーリックの思いを代弁するかのような声が聞こえた。
「くだらねえ……関係ない人間も巻き込む復讐に正当性も糞もあるかよ、醜い復讐心を「神の代行人」ってオブラートに包んで崇高ぶってるだけだ」
エドワードは本気でそう、言いきった。
こういう心の芯の強い人間の物事に立ち向かう姿勢を眼にすると、ドキドキする。
ユーリックはエドワードという少年の秘めた強さに思わず口元が緩むのを感じた。
そしてヒューズ中佐は言う。
「だがな、錬金術を忌み嫌う者がその錬金術に錬金術をもって復讐しようってんだ、なりふりかまわん人間てのは一番やっかいで―――怖ぇぞ」
「ええ、私も傷の男に襲われましたが――――あれは怖かった……だけど」
司令部に向かう途中にユーリックは四日前のことを思い出していたので大佐達に説明したが、その場にエドとアルはいなかったのでこの場で言う。
あの傷の男は恐ろしかった、と
だが
「なりふり構ってられないのはこっちも同じだ我々もまた死ぬ訳にはいかないからな」
そのユーリックの発言を引き継ぎ、大佐は言う。
「次に会った時は問答無用で――――潰す」
大佐のその一言で、この場に集まる人間全員、頷き、肯定するかのように瞳に強さを輝かせる。
そう、誰かの卑しく……そして傲慢で醜い願いなど、迎え撃ち潰す。
納得いかないのであれば闘えばいい――――それだけだ。
そして、自分が望む願いを貫けばいいのだ。
それも一つの強さだ。
「さて!こんな辛気臭ぇ話はこれで終わりだ」
ヒューズは自分の膝をパン、と叩き立ち上がり、心機一転させ
「エルリック兄弟はこれからどうする」
これからを進んでいく為に何をするかを決めるのだ。
「うん……アルの鎧を直してやりたいんだけどオレ、この腕じゃ術を使えないしなぁ…」
エドワードは頬を人差し指で掻き、そう言う。
「我輩が直してやろうか?」
アームストロングは全身の筋肉を盛り上げながらそう言うが
「遠慮します」
アルによってすっぱりと断られる。
「じゃあ、私がやりましょうか?」
アームストロングを傍目にユーリックはアル君程度の大きさなら鉱物系の錬成はできる、と手を上げる。
「いや、無理なんだ…アルの鎧と魂の定着方法を知ってんのオレだけだから…他の人間じゃ無理なんだ、だから腕を直さないと」
「そうよねぇ……錬金術の使えないエドワード君なんて…」
エドワードの言葉に頷きながらホークアイ中尉は言いよどむと
「ただの口の悪いガキっすね」
「くそ生意気な豆だ」
「無能だな無能」
「ごめん兄さんフォローできないよ」
その言葉に乱入していく人々。
ホークアイ中尉はうんうんと頷いており、だれもエドワードにフォローできない、そう思いかけた瞬間に。
「でも、私の料理を美味しいって一杯食べてくれる、いい子ですよ」
ユーリックがこの間の列車内のエドワードの食べっぷりを思い出して言う。
だが
「いい子って………なんのフォローになってねぇぞユーリ。あと、「でも」ってなんだ「でも」って……」
エドワードは思わぬ援護を受けるがエドワードを悪し様に言う人々の弾除けにもならないことに、がっくりときた。
「そうですか?美味しいって言われるだけで私は幸せになれます、だから――――エド君はとても良い子ですよ?」
ユーリックは年上ぶって、エドワードの頭を撫でる。
エドワードがユーリックの顔を良く見ると、ユーリックの表情に含み笑いがあることに気づく。
エドワードは味方はいない、皆自分からかっていることに気がつき
「お前もかユーリ…はぁ、しょーがない…………うちの整備師の所に言ってくるか」
溜息を吐いてからこの先のことを考える。
そうして、エドワードの次へ進む道先が決まる。
ユーリックはエドワードの金色の頭を撫でながら笑う。
そして
「私も――――「駄目です」」
オートメイルに興味あるし、ついていこうかな?
と
言いかける前に否定された。
否定したのは、さきほどから黙っていたパトリシアだ。
パトリシアの表情は笑っているけど眼が笑ってない。
ユーリックの考えはお見通しのようだ。
それにユーリックがまた危険な眼にあったことに怒りを覚えているようだ。
「実家に帰りましょうね?」
ユーリックはパトリシアにそう言われる。
先程からパトリシアはユーリックの傍に座っていた。
どうやら、実家に帰るまで片時も離れる気はないらしい
「あとで―――「駄目です」」
説得しようとした
でも
駄目だった。
逃げれなかった。
そして次の日。
発進していく列車。
「エド君アル君!二度と会えないかもしれないけど忘れないでくださいね!!私は錬金術師の友達少ないんですから!!」
駅でエルリック兄弟を見送るユーリックがそこにいた。
「どうしたかね?エドワード・エルリック」
「さぁ、でもユーリに弁当作ってもらったぜ」
「我輩もだ」
泣きそうな顔で見送るユーリックの切なる叫びは列車内にいる彼等には届かなかった。
ちなみにアルフォンスは家畜車両である。
「いってしまった……私の逃走手段」
列車を見てそう、言ってへこむユーリック。
遠くに行ってしまった列車から二人の護衛についた例の婚約者が何か叫んでいる気がする。
ありがたく愛妻弁当を頂きますぞ!!おおっ野菜がハートマーク!!
とかユーリックの耳に入る気がする、となりに耳を押さえて苦しんでいるエドワードも遠くに行った列車の窓から見える気がする。
が
「聞こえないです、見えないです、それに愛妻じゃないです……ハートマークなんて描いてないです」
とユーリックは首を振って一瞬、見えて聞こえた幻覚だと思うことにする。
確かに婚約者の弁当は多めに作ったが、中身はエドも婚約者も一緒である。
そしてユーリックは自分の肩を掴んで離さないパトリシアの手がひどく重く感じ、隣に立っているパトリシアを見る。
「さぁ、かえりましょうね…南部行きの列車は別の駅ですよ、あきらめてください」
パトリシアは隙を見せずユーリックの動きを冷静に観察している。
どうやらユーリックの悪あがきを防ごうとしているようだ
前回も実家に帰ろうとしないユーリックをこうやって監視していた。
これは、もう逃げられない。
「あきらめてますよ………でも」
「でも?」
「キャデラック少尉は?」
彼の姿を二日前から見ていない気がする、と思いユーリックは言う。
「ああ、彼ですか……彼は緊急の召集が掛かったので私たちより先に南方司令部に帰りましたよ」
だから私とユーリの女同士の二人旅、とパトリシアは笑う。
パトリシアはこれから妹分から生まれる癒し効果の恵みをたっぷり吸収することに思いを馳せる。
ちなみにユーリックを掴んでいないもう片方の手にはユーリック特性の弁当が入ったバッグを持っている。
「召集って?」
最近、アエルゴとの国境での諍いはそんなに激しくはないはずだ、と思ったユーリックは聞き返す。
「ああ、ユーリの御実家がある南部の街で、猟奇殺人事件が起きたとかでその捜査の人手がたりないとかで呼び戻されたらしいですよ?」
「ということは」
そんな事件がある街に帰るのは嫌だなぁ、それに嫌な予感する……と思いながらもパトリシアの話を進めるため相槌をうつ。
「ええ、キャデラック少尉の直接の上司が捜査の主導権を握っています……私と階級が一つしか違わないくせに」
「じゃあ戦場から」
「帰ってきてますよユーリの御実家に………貴方と一番年が近い兄上が「帰りたくない!!」やっぱりですか………」
一番年が近い、あたりで逃げようとするが
パトリシアに考えを読まれ
がっしりと掴まれた手から逃げようとするが逃げられなかった。
でも
「怖いから帰りたくないです!!」
ユーリックは叫び、抗う。
あのスパルタの権化のような兄が今、実家に帰ってきてるのだ。
妹とのコミニュケーションの手段が軍事訓練というあの兄が。
三人の兄の中でも一番厳しく、一度も優しくしてくれたことなんてない、あの兄が。
ユーリックの結婚に対し一番賛成している、あの兄が。
「なんで丁度、実家に帰ってきているのがあの兄さんなんですか!?」
ユーリックはこの先のうのうと生きれなくなることに深い絶望を感じた。
つづく。
あとがき
ひさしぶりです
予定が狂い、実家編まで行きませんでした……すいません。
しばらく、パソコンに触れなくなるので、次回の更新は冬になるかもしれないです。
ちなみに作中に出てきた『ぽんぽち』とは鳥の尻部分の肉です。
コラーゲン豊富らしく、柔らかくて美味しいです。
そして軟骨入りぽんぽちの焼き鳥こそ焼き鳥の中で上位に入る美味さだと思います。
あと、ユーリックが二人に渡した弁当は簡単なカツサンドとフルーツサンドが入ったランチボックス。
ハートマークはパトリシアが悪戯でフルーツサンドの生クリームでフルーツサンドの上にハートマークを描いた、という裏話。
では、また次回。