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No.11192の一覧
[0] 戦国奇譚  転生ネタ[厨芥](2009/11/12 20:04)
[1] 戦国奇譚 長雨のもたらすもの[厨芥](2009/11/12 20:05)
[2] 戦国奇譚 銃後の守り[厨芥](2009/11/12 20:07)
[3] 戦国奇譚 旅立ち[厨芥](2009/11/12 20:08)
[4] 戦国奇譚 木曽川[厨芥](2009/11/16 21:07)
[5] 戦国奇譚 二人の小六[厨芥](2009/11/16 21:09)
[6] 戦国奇譚 蜂須賀[厨芥](2009/11/16 21:10)
[7] 戦国奇譚 縁の糸[厨芥](2009/11/16 21:12)
[8] 戦国奇譚 運命[厨芥](2009/11/22 20:37)
[9] 戦国奇譚 別れと出会い[厨芥](2009/11/22 20:39)
[10] 戦国奇譚 旅は道づれ[厨芥](2009/11/22 20:41)
[11] 戦国奇譚 駿河の冬[厨芥](2009/11/22 20:42)
[12] 戦国奇譚 伊達氏今昔[厨芥](2009/11/22 20:46)
[13] 戦国奇譚 密輸[厨芥](2009/09/14 07:30)
[14] 戦国奇譚 竹林の虎[厨芥](2009/12/12 20:17)
[15] 戦国奇譚 諏訪御寮人[厨芥](2009/12/12 20:18)
[16] 戦国奇譚 壁[厨芥](2009/12/12 20:18)
[17] 戦国奇譚 雨夜の竹細工[厨芥](2009/12/12 20:19)
[18] 戦国奇譚 手に職[厨芥](2009/10/06 09:42)
[19] 戦国奇譚 津島[厨芥](2009/10/14 09:37)
[20] 戦国奇譚 老津浜[厨芥](2009/12/12 20:21)
[21] 戦国奇譚 第一部 完 (上)[厨芥](2009/11/08 20:14)
[22] 戦国奇譚 第一部 完 (下)[厨芥](2009/12/12 20:22)
[23] 裏戦国奇譚 外伝一[厨芥](2009/12/12 20:56)
[24] 裏戦国奇譚 外伝二[厨芥](2009/12/12 20:27)
[25] 戦国奇譚 塞翁が馬[厨芥](2010/01/14 20:50)
[26] 戦国奇譚 馬々馬三昧[厨芥](2010/02/05 20:28)
[27] 戦国奇譚 新しい命[厨芥](2010/02/05 20:25)
[28] 戦国奇譚 彼と彼女と私[厨芥](2010/03/15 07:11)
[29] 戦国奇譚 急がば回れ[厨芥](2010/03/15 07:13)
[30] 戦国奇譚 告解の行方[厨芥](2010/03/31 19:51)
[31] 戦国奇譚 新生活[厨芥](2011/01/31 23:58)
[32] 戦国奇譚 流転 一[厨芥](2010/05/01 15:06)
[33] 戦国奇譚 流転 二[厨芥](2010/05/21 00:21)
[34] 戦国奇譚 流転 閑話[厨芥](2010/06/06 08:41)
[35] 戦国奇譚 流転 三[厨芥](2010/06/23 19:09)
[36] 戦国奇譚 猿売り・謎編[厨芥](2010/07/17 09:46)
[37] 戦国奇譚 猿売り・解答編[厨芥](2010/07/17 09:42)
[38] 戦国奇譚 採用試験[厨芥](2010/08/07 08:25)
[39] 戦国奇譚 嘉兵衛[厨芥](2010/08/22 23:12)
[40] 戦国奇譚 頭陀寺城 面接[厨芥](2011/01/04 08:07)
[41] 戦国奇譚 頭陀寺城 学習[厨芥](2011/01/04 08:06)
[42] 戦国奇譚 頭陀寺城 転機[厨芥](2011/01/04 08:05)
[43] 戦国奇譚 第二部 完 (上)[厨芥](2011/01/04 08:08)
[44] 戦国奇譚 第二部 完 (中)[厨芥](2011/01/31 23:55)
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[11192] 戦国奇譚 新しい命
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:4b59bc24 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/02/05 20:25

 弥生中日(3月15日)。
太陽暦だったらゴールデンウィーク直前にもなるというのに、毎日、むちゃくちゃ寒い。
凍てつく夜が明ければ小屋の外は真っ白な霜で覆われ、河原の浅瀬には固く氷が張る。
ここ数日は晴れ続きだけれど、もしも降ったら絶対雪になるに違いない。

 温暖化を気にしなければならない時代は、まだまだ先のこと。
フロンガスの使用もないから、オゾン層もたぶん元気。
紫外線の心配がないっていうのはいいことなのだろうと、高く澄んだ空を見上げて思う。

 雲ひとつない空。凛と冷たい朝の空気。

 いつもなら大きく深呼吸して、体の中から清々しく、新しい一日の始まりを喜べる。
けれど今日の私は、吐き出しきれない不安でいっぱいだった。



 ――――― 戦国奇譚 新しい命 ―――――



 不安の原因は、彼女。
耳をパタパタさせたり、足踏みをしてみたり。隣の彼女に落ち着きがない。
食事時以外はあまり動かずぼんやりしていることも多いのに、何を気にしてか、しきりに見動きをする。
変わったことでもあるのかと、いろいろ点検もしてみた。でも、おかしなものは特にないように見える。

 彼女がため息のように、小さく鼻を鳴らす。私も一緒になって息を吐く。

 心もとない気持ちは、伝染する。
彼女がそわそわしているのがわかるから、私もそわそわしてしまう。
動き回る足元にいるのは危ないけれど、離れるのも心配で遠くまで行く気にはなれない。

 優しく声をかけ、動きを止めてくれるのを待ってそっと近寄って触れる。
彼女が首を後ろに振り、お腹を気にするしぐさを見せるので、そのあたりをたくさん撫でてもみる。
必要最低限の食事の準備や掃除をダッシュでやって、一日中、私は彼女の近くにいた。

 そして、夜が来る。

 朝からずっと不安定だったので、今日はもしかしたら彼女は寝ないかもしれないと思っていた。
けれど、寝藁に横になり、彼女はうつらうつらし始める。

 馬は膝を折り曲げて、犬が「伏せ」をしたような状態で寝るだけではない。
横倒しになって、四肢を伸ばし、無防備にぐぅぐぅいびきをかいて寝ていたりもする。
でも立っていても眠れるみたいで、横になって寝る時間そのものは、私よりもずっと短い。

 もしかしたら、野生の馬だったら、横になって寝たりはしないのかもしれない。
人の暮らしの外に出れば、山や森にはオオカミやクマなど、敵になる獣たちがいるからだ。

 無防備でも大丈夫だと信じられるくらい、この小屋は安全。
彼女がそう思ってゆっくり休めていられるなら、それはとても嬉しいことだった。
昼間の不安も鎮まればいいと思いながら、藁の山に頭を預けた彼女が目を閉じたのを見て、私も布団にもぐる。
眠れないかもと思っていたけれど、精神的に疲れていたのか私にもすぐに浅い眠りが訪れた。



 しかし、眠りについて数刻後。彼女の嘶き(いななき)で、私は叩き起こされる。

「どうしたの?
 具合が悪い?
 どこか痛いの?
 いい子、いい子ね、大丈夫だから……」

 彼女は横になったまま、もがくように足を動かす。
触れた背は汗で湿り、筋肉が緊張にこわばって引き攣れたように動くのが掌に伝わってくる。
首や尾を振って苦しそうな声を上げる彼女に、「だいじょうぶ」と口にしても、全然そんなふうには思えない。
急変した状況に、気持ちも対処も追いつかない。
それでもなだめる言葉がこれしか見つからず、私は同じことを繰り返した。

 それから、どれくらい時間がたっただろう。

 飛び起きてから、まだそんなに長くはかかっていなかったはずだ。
変わらず苦しがる彼女が嫌がるように体を揺らすので、一歩離れて私は見守っていた。
ばさりと、振り回していたせいで藁まみれになっている尾が大きく打ち振られる。
その音に、長い尾の揺れる先を目で追いかけて、……息をのんだ。

「……っ、て、え、え、えっ?
 それ、な、何?
 あああ、足、だよね。えっ? ……足?
 嘘、待って、ホントに?」

 掌に乗る湯呑みくらいのサイズの、小さな蹄(ひづめ)。
それが二つ、私の足と同じくらいの太さの二本の棒の先に並んでいる。
彼女の尻尾の下から突き出たそれが指し示す状況は、一つ。

「赤、ちゃん?
 あ……、どうしよう、どうすれば?
 まっ、待ってて、今誰か呼んでくる。
 すぐ呼んでくるから!」

 混乱する頭の中をぐるぐる廻るのは、以前整理して、役には立たなさそうだと切り捨てた前世の記憶。
競走馬の繁殖農家の春を追ったドキュメンタリーの一場面が、途切れ途切れに再生される。
あのシーンに居たのは、確か、獣医さんと飼い主さん。
馬のプロたちが、馬房に据えた小型モニターを覗きながら、準備万全の態勢で母馬のお産を待っていた。

 翻って、今ここにいるのは、ド素人の私一人。

 お腹が大きいのは、シマウマみたいに粗食に強いタイプの特色だと思いこんでいた。
他の馬が出払って、彼女しか残っていなかったのも、「馬肥」用に残しておいたのだろうとしか考えていなかった。
彼女が苦しがっていても、その意味すらわからずおろおろしていただけの、物知らずの私。
陣痛だなんて思わなかったからギリギリまで彼女を撫でていたのだって、考えてみればよくなかったかもしれない。
もしも彼女に何かあったら、それは私のせいだ。

 傍にいたのに。誰よりも傍にいて、大切に思っていたのに。

 バカだバカだと自分を罵りながら、私は助けを求めて走る。
人間不信の恐怖心なんか、彼女の非常事態の前に吹き飛んでいた。



 空の真上に上がった満月の夜道は、濃く影が出来るほど明るい。
小屋を飛び出した私は、母屋(おもや)の戸口に転がるようにして駆け込む。

「たすけて、たすけて、ください。
 小屋で仔馬が! 彼女を助けて!」

 戸を叩いて、人を呼ぶ。
静かな夜を割って、私の声が響く。

 けれど、人は出てこない。

 眠っているのかもしれないと、両手を戸板に叩きつけるようにして打ち鳴らす。
母屋は、三つ馬房の並んだ私の住む小屋よりも大きい。
奥で寝ていたら気がつかないかもしれないと、玄関口だけではなく縁側にまわって雨戸を揺らす。

「お願い、お願い、起きてください。
 仔馬が生まれそうなの。
 手伝って、彼女を、助けて」

 戸を叩く手が震えるのは、応えがないからではなく、寒さのせい。
頬を伝う涙まで凍りつきそうな、この寒さのせいだと歯を食いしばる。
戸に叩きつける手が痛くて、泣きたくなるのも、きっと気のせい。
 
 でも、何度叩いて呼んでみても、返事は返ってこない。
しんしんと降りてくる夜の冷気が、骨を噛むよう。
泣くのは嫌だ。しかしこれ以上叫んでも、聞き届けてくれる人がいなければ話にはならない。

 もうどうしていいかわからず俯けば、一つの名前が、嗚咽の代わりにこぼれおちた。

「誰か、だれか、……。くぅちゃん……」

 乱れた感情の隙間から甦るのは、心の底に沈めていた面影だった。
それは、思い出すと苦しくて、たやすく口に出すことも出来なくなっていた、名前。
熱を出している時にさんざん縋って、叶わない辛さに呼べなくなったその名が、口をつく。

 私の心を救いあげてくれた灰色の彼女。私の初めての友達のくぅちゃん。

 どちらも比べることなど出来ないくらい大切な相手。
名前を呼んだだけで、唄うのも踊るのも上手だった友の姿が鮮やかに浮かぶ。
けれど思い出してしまえば、慕わしさと、それと同じくらい重い後悔も湧きあがる。

 何も出来ず別れてしまった、自分のふがいなさへの苦い思い。

 想い出は胸を刺し、私を責めた。
でも今は、それに浸っている時ではない。私の後ろには、手助けを待つ彼女がいる。
苦さも痛みも、逃げずに噛みしめれば、自分を戒める誓いに変わる。

 そう。もう二度と、何も出来なかったと後悔するようなまねだけはしない。

 意識不明でもないし、ケガをして動けないわけでもない。
手足が動くなら、あきらめず次の手を探せばいい。

 この家がダメなら、隣の家を頼ろう。
小さな集落のようだったけれど、川までの道沿いにも、もう一軒、家があった。
厩があったかどうかまでは見なかったが、私よりも人生経験積んでいる大人ならきっと手助けになってくれる。



 私がそう算段をつけ、踵を返そうとした時だった。
母屋の反対側についている納屋の戸板が、軋んだ音を立てる。

 月明かりの下、少しだけ開いた引き戸の隙間が闇を作る。

 そこは農具を片付けておくだけの納屋のはずなのに、奥で微かに炎が揺れるのが見えた。
暗くて見難いが、開いた戸から顔をのぞかせたのは男の人のようだった。
目を凝らせば、前に馬の世話をしているところを見たことのあった人間だ。
願ってもない相手の出現に、私は舞い上がる。

「こうま……、あの、仔馬が生れそうなの。
 昼からそわそわしてたけど、気がつかなくて。
 夜になって、苦しそうで、それなのにっ、わ、私、何もできなくて。
 誰か、馬をよく知ってる人が見ないと、だめだから。
 だから、お願いします。手助けを、」
 
 久しぶりの、人との会話。焦って言葉に詰まり、上手く説明できないのがもどかしい。
こんなことに時間を取っている暇はない。人が見つかったなら早く小屋に戻りたいと気持ちは焦る。

 説明するより見てもらった方が早いと、思わず伸ばした手に、彼は一歩引いた。
中に入れと言うように、体をずらしさらに戸を開けてくれる。

 でもそれは、私の望みじゃない。
私は、今すぐ小屋に戻って、彼女の手助けをしてほしいのだ。


「あの、小屋に、手を貸して、」

「無理だ」

「なんでっ」

「何も、出来ない」

「それじゃ、誰か、出来る人は……」

「いない。
 俺には、何も出来ない。
 何か出来る者も、誰もいない。
 この集落には、もう、誰も。
 外は寒い。
 入って、暖まっていけ」

「違っ、わたし、私じゃなくて、助けてほしいのは彼女。
 お願いします。お願い……、お願いします」

「できない。
 そこにいては、風邪をひく。
 白湯を、」

 

 淡々と返ってくる答えを振り切って、私は走った。
 
 誰もいないとか、何もできないとか、言い訳にしか聞こえない。
何もしようとしてないくせに、最初からなんで駄目だと言うんだろう。

 頼みを断られた悔しさも、役に立てなかったやるせなさも、怒りに変わる。
怒ってでもいなければ走れない。だから、腹が立って仕方ないのだと私は拳を握る。
自分にやれることだけでもやるしかないと、足元でざくざく折れる霜を蹴散らして、小屋に飛び込む。


 そして、へたり込んだ。


 だって、仔馬が、いる。


 とても薄い茶色の仔。
仔馬はまだ濡れていて、細い体に張り付いた毛からは白い湯気。
短い鬣(たてがみ)をちょろっと生やし、全体のバランス的に頭の大きい、赤ちゃん特有の体型。
ふるふると震える足を、ハの字にして踏ん張っている。

 もう、立ってるし。

 はやっ、早いよ。凄すぎ。
私がこの小屋を飛び出してから、たってて20分というところだ。
足が出てきたのがさっきのことなのに、すでに立てているなんて、この子、凄い。
あぜんと眼を見開き、「自然の驚異だ。うわぁっ」……と言いかけたら、ぺしゃりと仔馬はつぶれた。

 彼女の方はゆったりと伏せたまま、倒れてきたその子の顔を舐めてあげている。
母の余裕がにじみ出ていてかっこいい。仔馬が立ったのは、フライングだったのかもしれない。
舐められてくすぐったいのか、耳を振ったり、濡れた目を瞬かせたり。むちゃくちゃかわいい。

 母仔の優しい光景に、私は安堵の涙を拭う。

 「よかった、よかったね、よかった」と、自然にエンドレス。
「無事、産んでくれてありがとう」と新米お父さんみたいなことまで口にして、笑ってしまう。


 ほのぼのするシーンに癒されれば、テンパり過ぎていた頭も冷めてくる。
落ち着いてきた私は、反省モードに入った。

 私の犯した失敗。
それは、無意識に前世の記憶に重きを置いて、目の前の現実を正しく見据えていなかったこと。
あれほど日本の馬と競走馬との違いを見つけていたのに、「出産」だという一点で「前世知識」と重ねてしまっていた。
知識が悪いわけじゃない。しかし、知識を優先して「今」を見誤れば、それは本末転倒だ。


 彼女たちが教えてくれている。
馬は、過保護に人の手を必要とするものばかりではない。

 人の手を借りれば、確かに自然淘汰(とうた)の天秤を揺らすこともできるだろう。
でも本来なら、全くの野生でも新しい命は生まれ、育っていく。


 彼が口にしていた「何もできない」という言葉も、そう考えれば無責任とは違うのかもしれなかった。
時代の違いが、人と馬の関わり方を変える。使う道具も違うし、馬の仕事も、価値も、同じではない。
技術の進歩を待たなければ、人の手では、何もできない状況も存在する。

 言い方がずいぶん冷たくて、まるで突き放されているように聞こえて、誤解してしまった。
私にとっては彼女の方が大切過ぎて、また周囲の事情を見る余裕を失くしていた。
八つ当たりのように腹を立てて、本当に申し訳なかったと思う。
夜中にどうしようもないことで騒がれたら嫌だろうし、あれは私が悪かった。

 ……でも、微妙に引っかかることも、ないわけではない。
 
 彼の言葉も少し変だった。
「この集落(村)には、誰もいない」って台詞は、どこかホラーじみた響きをはらんでいた。
いないのは「獣医」ではなく、まるで「村人」そのものがいないみたいな言い方ではなかっただろうか?

 そういえば、最近は人影を全く見かけない。
食事の用意も自力だし、馬の世話も全部自分一人でしている。
私が他人を避けていたのもあるけれど、良く考えれば出会わなすぎじゃなかったかという気もする。

 まるで、ゴーストタウン……?

 いや、やめよう。
せっかく彼女に仔馬が生れた嬉しい日に、余計なことを考えるのはやめておこう。
緊張からいっきに気が緩んだせいで、とりとめなく考え事が浮かんできそうになるのを頭を振って払う。

 こうして仔馬だって無事に生まれたのだし、何も言うことはない。
迷惑かけたことを明日謝りに行って、その時、気になることはもう一度聞けばいい。
勘違いで腹を立ててしまったことも合わせて、まとめて「ごめんなさい」しようと結論付ける。



 私がそうしてあれこれ反省している間に、母仔の方も一段落ついたらしい。

 彼女がようやく寝藁から立ち上がり、仔馬も頑張って母に続く。
へその緒は綺麗にとれているらしく、問題もなさそうだ。
乳を探しているのか小さく鳴きながら、仔馬はおぼつかない足取りで彼女へと寄っていった。

 犬や猫の子は生まれてすぐには立てないけれど、目をあける前から乳に吸いつくものだ。
今更だがテレビでやっていたのも立って乳を飲むシーンまでだったはずで、これで万事終了だと私も気を抜いた。


 だが、世の中、そんなに上手くいくはずがない。


 仔馬は彼女の廻りをうろうろ。よろよろ。ふらふら。
馬の乳房は後ろ足の付け根のところにあり、彼女が鼻先で仔馬をそこへと誘導している。
仔馬もそこに顔を寄せるのに、何故か飲み始める気配がない。
先を促すように何度も彼女がつつくのだけれど、仔馬は悲しげに鼻を鳴らして、足をもたつかせる。

 何がまずいのか? 彼女は動かず待っているし、仔馬だって立てている。
高さが届かないなんてことはないし、彼女の乳も張っているように見える。

 問題なんて何もなさそうなのに、仔馬は失敗し続け、鳴き声はどんどん悲壮を帯びてくる。

 鳴き声が、ほんとに「泣き声」に聞こえ、私もとうとう我慢できなくなった。
仔を産んだばかりの親に近づきすぎて神経質にさせるのもいけないからと離れていた足を進める。
驚かさないように彼女の正面からゆっくりと近づき、仔馬を覗き込む。
少し身をかがめ、仔馬よりも低い位置を保って、そっと見上げる。

 仔馬の色は彼女の鬣と同じ干し草色。
鼻先まで単色の、その藁色の仔馬の口から小さく飛び出しているのは、ピンクの「舌」。

 私を見つけ、母に知らせるように鼻で鳴いても、「それ」が口に収まる様子はない。

 犬なら、体温調整の為に舌を出すことがある。
でもそれは暑いときの場合で、今この凍るような寒さの中では当てはまらない。
それにその体温調整だって、犬が汗をかけないから行うことだ。
汗腺のある馬が、舌を出してどうこうする必要はない。

 どこか具合が悪いのかもしれない。あるいは、何か欠陥があるのかも。
悪い想像が頭をよぎる。でも今は、とりあえず現状をどうにかしなければ。
「私にやれることをやる」と決めたのは、まだほんの少し前のことだ。撤回するには早すぎる。

 目をやれば、仔馬に乳を飲ませようと彼女も懸命に励ましている。

 手伝ってあげたいと思う。初乳は、絶対必要だった。
人間だって、猫だって、犬だって、最初の乳には親の免疫が含まれている。
それを飲めるか飲めないかで、子供の抵抗力に大きな差がつくのは常識。
免疫の大切さは、アトピーだのアレルギーだのの話題を抜きにしても、記憶に深く染み付いている。
免疫力が弱ければ、病気にかかりやすくなる。馬だって、ほ乳類なのだから、その例に漏れないはずだ。

 それに、乳を飲ませたい理由はもう一つある。それはこの寒さだ。
火の気のないこの小屋で、エネルギーを補給できるかどうかは命にかかわる。

 出産には役立たなかった私が、今ここに居合わせる理由が、わかった気がした。
私はまだ、それが自然の淘汰なのだとしても、目の前にある命の危機を見過ごせるほど達観してはいない。
人が本気で求めた先に、この時代では死んでしまう命を助けられる技術が生まれることを、知っている。
私の価値観は、そこに根差すものなのだ。

 人が紡ぎだす、可能性を信じている。
専門技術には届かなくても、私にも出来ることはきっとある。

 困難にあっても前に踏み出す勇気を、心はちゃんと思い出していた。
ケガからずっと引きずっていた弱さから、私は自分が立ち直れたことを実感した。



 心が決まれば、あとは行動あるのみ。
頬を両手で軽く叩き、気合を入れなおし、現実に立ち向かう。

 これから挑むのは、遊びや趣味の工作ではない。
失敗をしないためにも、仔馬の口と乳の滲んだ乳房をしっかり見つめ、私は考えを巡らせる。

 飲ませるに適したものは何か? 
 
 哺乳瓶が欲しい。―――そんなものは存在しない。
 ならば代わりになるものが要る。―――この時代で材料が揃えられるのは何か。

 連想するのは、筒状の入れ物。……竹? 竹筒で作った水鉄砲なら代わりになりそうだ。
しかし、竹を探して切ってくる時間はない。
小屋及び私の散策した付近にあった竹製品を思い出しても、柄杓(ひしゃく)ぐらいしか浮かばない。
器として存在する椀(わん)や鍋(なべ)は、乳搾りには良くても、仔馬に飲ませるには形状が不向きだ。

 私は、小屋を見まわす。
そして、片隅に隠すように置かれていた、いびつな袋の上で目を止める。

 あれは、私の物、だった。

 くぅちゃんの記憶と同じで、触れることが躊躇われて、ずっとそこに置いてあった物。

 中に入っているのは、あの襲撃の日に着ていた着物。
父の形見の火打石と、吉法師にもらった瓢箪も一緒に入っていたはずだ。
麻の袋の不思議な凹凸は、たぶん瓢箪(ひょうたん)のくびれと丸みが作っている。

 私は彼女と仔馬をもう一度見てから、袋に手を伸ばした。
取り出してみれば、あの騒動の中、瓢箪は割れることもなかったようだ。

 手にしたそれと、仔馬を見比べる。

 大事なのは、命。選ぶまでもない。

 私は瓢箪の底に、寝藁を広げる為に持ちこんでいた鋤(すき)の歯を当て、小さく穴をあける。
瓢箪の口は細いので、先に空気穴をあけておかなければ、ひっくり返しても中身の出る量がほんのわずかなのだ。
人間が使うなら貴重な水が一度に出てこないことが利点になるが、仔馬に飲ませようとするならそれでは困る。
あの舌のせいで乳を自力で吸えないのだから、口に注いであげられる仕立てにしなければならない。
急ぎで開けた穴に藁を詰め、応急の栓をして、彼女に向かう。

 仔馬はもう体力が尽きたのか、座り込んでしまっている。時おりあげる声も、もはや弱弱しい。
半乾きで小さく揺れる背を見れば、何かかけてやるべきかとも思う。
丸々太った赤ちゃんではないし、寒さで震えているのはかわいそうだ。
ブラシ製作から流用して、自分用にしようと思っていた作りかけの蓑があったのを思い出す。

 微力でも、私にも出来ることがある。

「守るからね……。
 守らせて、こんどこそ。あなたも、この仔も。
 だいじょうぶ、こわがらないで。いいこね、もうちょっと、がんばって」
 
 彼女の仔なら、私の子も同然。大切にする。愛しく思える。
声をかけながら彼女に触れれば、乳を搾る間もじっとしていてくれた。
優しいしぐさで仔馬をいたわりながら、彼女は動かず私を待っている。

 私に預けてくれた、その信頼に応えよう。
仔馬に乳を運びながら、何度もその想いを胸に刻んだ。



 ひと騒動の夜も過ぎれば、やがて朝が来る。

 人の子も、犬の仔も、猫の仔も、馬の仔も。新生児の基本は、やっぱり同じだった。
お腹がすいたら乳を飲んで、お腹がいっぱいになれば眠る。
そして目が覚めるころには、またお腹はぺこぺこだ。

 彼女の子供は、私に懐いているとはちょっと言い難い。
が、「お腹がすいたらどうにかしてくれる人」だというのは、覚えてくれているらしい。
ご飯の催促に、そりゃもう容赦なく、頭突きしたり甘噛みしたりしてくる。
馬高ではなく頭を上げた位置が、私の身長とほぼ一緒の仔馬だ。
ウェイト(体重)では少し負けているっぽいので、不意に押されると、間違いなく私は転ぶ。

 わずか半日で立派に攻撃力を会得し、野性のたくましさを知らしめる、藁色の仔。
その正体は、乾けば明るいクリーム色に輝く、差し込む日の光そのものみたいに綺麗な女の子だった。
でも舌はまだ出たままで、いまいち間抜け顔。だけど、元気ならそれで充分だとも思う。

 仔馬は彼女の周りをまわったり、藁をつついたりして遊んでいる。

 彼女と違って命名がまだのこの子に、似合う名前を考えれば、私の顔は緩んでしまう。
転ばされたって、かわいい。変顔でも、かわいい。
徹夜明けで眠い私に「お腹すいた」と突進してくるような子でもかわいいよ、ホントに。


 仔馬に乳を与え、彼女の餌を刻んで、敷き藁を少し整理して、私は水汲みに向かう。
多少疲れていたって、今後の為にも彼女にはたくさん飲ませて、食べさせなくちゃいけない。
乳の出をよくするには餌の改良も必要だろうかと、思案は尽きない。

 昼にはもう一刻(2時間)くらいありそうだけれど、もう日は高い。
水桶を手に歩き出そうとした私は、しかし、数歩も行かないうちに歩を止めた。

 初めて見る人間が、道に立っている。
大きな背負子(しょいこ)を傍らに置き、肩辺りで切り込んだ髪をまとめもせず散らした男。
纏う空気からして村人とは一線を画す、どこか不穏な人。

 その不審人物は、私に向け、こう言った。

 
「……幡豆の石川善衛門の家で馬が死んだと聞いてきた。
 馬の骸、こちらに引き渡してもらおうか」


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