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No.11192の一覧
[0] 戦国奇譚  転生ネタ[厨芥](2009/11/12 20:04)
[1] 戦国奇譚 長雨のもたらすもの[厨芥](2009/11/12 20:05)
[2] 戦国奇譚 銃後の守り[厨芥](2009/11/12 20:07)
[3] 戦国奇譚 旅立ち[厨芥](2009/11/12 20:08)
[4] 戦国奇譚 木曽川[厨芥](2009/11/16 21:07)
[5] 戦国奇譚 二人の小六[厨芥](2009/11/16 21:09)
[6] 戦国奇譚 蜂須賀[厨芥](2009/11/16 21:10)
[7] 戦国奇譚 縁の糸[厨芥](2009/11/16 21:12)
[8] 戦国奇譚 運命[厨芥](2009/11/22 20:37)
[9] 戦国奇譚 別れと出会い[厨芥](2009/11/22 20:39)
[10] 戦国奇譚 旅は道づれ[厨芥](2009/11/22 20:41)
[11] 戦国奇譚 駿河の冬[厨芥](2009/11/22 20:42)
[12] 戦国奇譚 伊達氏今昔[厨芥](2009/11/22 20:46)
[13] 戦国奇譚 密輸[厨芥](2009/09/14 07:30)
[14] 戦国奇譚 竹林の虎[厨芥](2009/12/12 20:17)
[15] 戦国奇譚 諏訪御寮人[厨芥](2009/12/12 20:18)
[16] 戦国奇譚 壁[厨芥](2009/12/12 20:18)
[17] 戦国奇譚 雨夜の竹細工[厨芥](2009/12/12 20:19)
[18] 戦国奇譚 手に職[厨芥](2009/10/06 09:42)
[19] 戦国奇譚 津島[厨芥](2009/10/14 09:37)
[20] 戦国奇譚 老津浜[厨芥](2009/12/12 20:21)
[21] 戦国奇譚 第一部 完 (上)[厨芥](2009/11/08 20:14)
[22] 戦国奇譚 第一部 完 (下)[厨芥](2009/12/12 20:22)
[23] 裏戦国奇譚 外伝一[厨芥](2009/12/12 20:56)
[24] 裏戦国奇譚 外伝二[厨芥](2009/12/12 20:27)
[25] 戦国奇譚 塞翁が馬[厨芥](2010/01/14 20:50)
[26] 戦国奇譚 馬々馬三昧[厨芥](2010/02/05 20:28)
[27] 戦国奇譚 新しい命[厨芥](2010/02/05 20:25)
[28] 戦国奇譚 彼と彼女と私[厨芥](2010/03/15 07:11)
[29] 戦国奇譚 急がば回れ[厨芥](2010/03/15 07:13)
[30] 戦国奇譚 告解の行方[厨芥](2010/03/31 19:51)
[31] 戦国奇譚 新生活[厨芥](2011/01/31 23:58)
[32] 戦国奇譚 流転 一[厨芥](2010/05/01 15:06)
[33] 戦国奇譚 流転 二[厨芥](2010/05/21 00:21)
[34] 戦国奇譚 流転 閑話[厨芥](2010/06/06 08:41)
[35] 戦国奇譚 流転 三[厨芥](2010/06/23 19:09)
[36] 戦国奇譚 猿売り・謎編[厨芥](2010/07/17 09:46)
[37] 戦国奇譚 猿売り・解答編[厨芥](2010/07/17 09:42)
[38] 戦国奇譚 採用試験[厨芥](2010/08/07 08:25)
[39] 戦国奇譚 嘉兵衛[厨芥](2010/08/22 23:12)
[40] 戦国奇譚 頭陀寺城 面接[厨芥](2011/01/04 08:07)
[41] 戦国奇譚 頭陀寺城 学習[厨芥](2011/01/04 08:06)
[42] 戦国奇譚 頭陀寺城 転機[厨芥](2011/01/04 08:05)
[43] 戦国奇譚 第二部 完 (上)[厨芥](2011/01/04 08:08)
[44] 戦国奇譚 第二部 完 (中)[厨芥](2011/01/31 23:55)
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[11192] 裏戦国奇譚 外伝二
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:8ec634dd 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/12/12 20:27
 そしてさらに季節は過ぎ、またひとつ冬が終わり、新しい年が来る。
 
 わたしもこの頃になると、すっかり日吉の不思議言語にも慣れてきていた。
「くぅちゃんといると気が緩んじゃうんだよ。変なこと言っても、二人だけの秘密にしてね」
と、彼女にお願いされてしまったのも利いている。
誰とでもすぐ仲良くなれる日吉から特別扱いされ、二人だけの秘密を持てたことが嬉しかったのだ。
優越感をくすぐられて、わたしの心も日吉に対して少しは広くなったのかもしれない。

 それによく聞けば、日吉の話は古老のおとぎ話よりも刺激的で面白かった。



 ――――― 裏戦国奇譚 散華誓願 (下)―――――


 
 例えば雨上がりの朝。
泥まみれの足にうんざりしていると、日吉は楽しそうに水たまりを飛び越えてわたしのもとにやって来る。

「くぅちゃん、見て見て。
 雨が降ったから、新しい川ができてるよ。

 ―――雨が降ると、地表にあふれた水はこうして川になる。
 川は大地を下り、海へとそそぐ。
 海は潮流に沿って地球を廻り、太陽に温められ、雲を生む。
 雲は風に乗って日本にやってきて、また雨になる。
 一滴の雫は、これから何万キロもの世界への旅へと向かう――― 

 私達も旅をしてるけど。
 スケール地球規模っていうのも、かっこいいと思わない?」

「雲は、海から生まれるの?」

「そうだよ。
 ほら、お湯を沸かすと、白い湯気が出るでしょ?
 あんな感じで昇っていって、空の高いところで冷やされて小さな氷になるの。
 空の上は、山の上よりもっと空気が薄いから、夏でも寒いんだよ。
 雲は小さい氷の粒の集まりだから、真っ白いのかもね」

「こおりが、空に……」


 月のない寒い夜にも、日吉は不思議を見つけ出す。
暖をとるためによせていた肩からふと顔をあげて、彼女は目を輝かせる。

「ねぇ、くぅちゃん。あれ、北斗七星じゃない?」

「日吉、星が読めるの?」

「この空でわかるのは三つかな。
 オリオンと、北斗七星と、北極星と。
 星座表見ながら探せてた頃は、そのくらいしか見えなかったから。
 今は空気が澄んでていっぱい見えちゃうから、逆に多すぎてちょっとわかんない。
 こんなに数ある中から区別できたってのが、自分でもびっくりかも」

「……おりおん?
 織姫星のこと?」

「えーと、オリオンは、遠い国の不死身の英雄かな?
 でも、たった一つだけ弱点があって、そこをサソリに刺されて死んじゃった。
 だから空の星になっても、さそり座が上がってくると隠れてしまうって話だったと思う。
 そのサソリの星もあるはずなんだけど、オリオンが隠れる頃出てくるんじゃないかなぁ?
 赤い星、アンタレスって名前の一等星が目印だった気がするんだけど……」


 そして森の奥に落ちていた、普通なら穢れ(けがれ)を嫌い、避けようとするモノに対しても。
日吉は命の終わりを恐れることなく静かに手を合わせ、わたしに語った。

「虫も鳥も獣も人も、死ねば土に還る。
 土からは木や草が生まれ、それをまた虫や鳥、小さな獣が食べて育つ。
 その小さな生き物たちは、それを食べる大きな生き物の糧になる。
 そしてすべての生あるものは、死ぬことによって再び土へ。
 生死は組み合わされ、命の輪はつながっていく」

「……死は『忌みごと』って言うの。
 骸を見つけても、見なかったことにするのが普通なの」

「うん。
 疫病とかもあるからね。怖がるのも、悪いことじゃないのかもしれない。
 でも『死』そのものは、悪ではないって私は思ってる。
 死ぬことも『生』の、『命』の形の一つ。
 この骸だってここで朽ちて大地に還り、木々を育てる土になる。
 新しい命の礎(いしずえ)になる」

「でも……、そう言われても、こわいよ。
 日吉は、こわくないの?
 『穢れ』に触れたら、『穢れ』が移る。
 穢れた者は、人ではない身分に落とされてしまう……」
 
「『死』は、私も怖い。
 でも、生まれることも死ぬことも、生き物なら当たり前のことだから。
 死者や死骸に関わる人達を差別するのはおかしいってことも知ってるし。
 『人に非ず』『穢れ多し』……、そんなふうに呼んで線を引く必要なんてないのにね。
 目をそらしてたって、『死』がなくなるわけじゃないんだもの。
 畏れ悼むなら、安らかであれと祈ればいいだけ。
 その気持ちがあればいいんだって、私は思ってる」

 
 日吉の見つめる世界は、わたしの見ている世界とは違う。
けれどそれは決して嫌なものではなくて、時に神聖で、驚きと喜びに満ちている。
わたしは日吉と同じには見えないけれど、彼女の傍らにいることで少しずつでも知ることができた。
そして自分が今まで全てだと思っていた世界が、実はせまくて小さなものだったことにも気づけていく。

 日吉によってわたしの価値観は塗り替えられる。新しい色を纏う世界は綺麗だった。

 彼女の指さす先に美しいものの姿を見つけ、喜びを共有し、笑いあう日々。
いつの日か日吉が傷つくのならその時は、彼女の涙さえも分かち合いたいと思うようにまでなっていった。


 母は、わたしがあまりに急激に変わって行くので、危うく思ったこともあったようだ。
一時期、心を探るような問いを何度かされたことがある。でも、すぐに何も言われなくなった。

 理由はわかっている。わたしの舞が、変わったからだ。

 以前は心を閉ざし、型を追うだけだったわたしの手足。
でも今は、わたしの心のままに、楽しさや迷いを形にする。
二人舞の舞台の時など、踊りのさなかに本気で笑い、怒り、感情を露わに演じたことまである。
虚ろに読み上げるだけだった歌詞も、今なら彩鮮やかな情景を心に思い浮かべながら歌える。

 「風に揺れる黄金の稲穂」の美しさ。
 「命潤す慈悲の雨」を請う切実と、もたらされる喜び。
 「万物に宿る八百万(やおろず)の神々」へ捧げる畏怖と感謝。

 絵空事でしかなかった歌詞の持つ真実を、日吉は小さなその手に乗せてわたしの眼の前に差し出した。
豊穣の言祝ぎは人々の笑顔と共に、小さな小石の中からは千年の時を引き出して、彼女はわたしに教えてくれた。
「化石発見!」と言って拾ってきた石を片手に聞かせてくれた古代から続く命の話を、忘れることなどできない。
 

 わたしは未だ神様の見えない、未熟な巫女見習い。
しかし、日吉の傍らでなら、わたしはこの世界に息づく生命を感じられる。神々に気がつける。

 日吉は、彼女が慈しみ称える世界に向けるものと同じ眼差しを、わたしの舞にもそそいでくれる。
その視線と、わたしの舞を「好きだ」と言ってくれる言葉に支えてもらえるから、稽古だって辛くはない。
こぼれるほどに褒めてくれる彼女に愛されて、舞も歌も、神に捧げるに足るものへと昇華する。

 わたしの舞に命を吹き込んだのは、日吉の言霊だった。


 ―――わたしの目はいつも、日吉を探している。
日吉の視線を独り占めして舞を舞っている時が、他の何をするよりも楽しい。
今望むことは、一日でも早く、母よりも一座の太夫たちよりも上手に踊れるようになること。

 そしていつか日吉から、「くぅちゃんの舞が一番」と言ってもらうために、わたしは頑張っている。


 
 日吉との出会いはわたしを変えた。
でも変わったのは、わたしだけではない。
彼女と共にいる一座の誰もが、多かれ少なかれ影響を受けている。

 「笑顔が綺麗」と褒められれば、自然に微笑む回数も多くなる。
「柔らかな声」とうっとり目を閉じるところを見せられれば、普段の声の調子までさらに甘くもなるだろう。
見返りを求めない素直な好意を差し出し続ける相手に、心を閉じていることは難しい。
寄るも離れるも自由な旅の一座の仲間たちを、日吉は「家族」と呼び親しむ。
心許した相手がそう言って慕ってくれれば、嬉しくならない人なんていない。
血のつながりがあるわけでもなく、同じ郷の一族でもないけれど、そこには確かに絆がうまれていた。


 日吉という種はわたしの心深くに根を下ろし、大輪の花を咲かせた。
彼女のいない日々を今までどう過ごしていたのか、わたしにはもう思い出せない。

 しかし、禍福はいつだって糾える(あざなえる)縄のよう。

 愛しいものを手に入れたら、次に来るのは試練だ。

 花が咲けば、嵐は訪れる。
打ち付ける雨や風から身を呈しても花を守れるか否か。試されるのは心の強さ。
甘いだけの関係では、この乱世の世において、人と人を繋ぎとめることなどできはしない。


 事件が起こったのは、信濃から天竜川を下る渓谷でのことだった。


 わたしたちは、川沿いの崖の道を歩いていた。足下には、人を乗せた川下りの舟が見える。
川幅も細く流れも早いこのあたりでは筏にして木材を運んでいることが多いが、人や荷を運ぶ舟もある。
歩くよりもはるかに速いので、お金に余裕があれば利用する者もいる。

 暖かな日差しが木々の間から降り注ぎ、隣には日吉がいる。
舟など乗れなくても、いつものようにあちこちに興味を示す彼女と並び、話しながら歩くのは楽しい。
初夏の香のする緑の風も気持ちいい。悪いことが起きる予感など少しもなかった。

 それが起きたのは、一瞬のことだった。

 急流の水音とは別の、鈍い音が一度。
視界の隅に、岩場に接触した舟が大きく傾くのが映る。
その揺れで身を守る綱から手を放してしまったのか、舟の縁にぶつかって弾きだされる人の影。
舟の体勢はそれでさらに崩れ、次の岩に乗り上げて、水の勢いにも押されて横倒しになった。
川面に投げ出される、人や物。舵を失った舟は流れに揉まれ、岩肌に木片をまき散らす。

 助けを求める人の姿を見て、わたしたちは川へと急いだ。
 
 自力で水に浮かべた舟人や、運良く川辺近くに浮かぶ荷が、狭い河原に引き上げられる。
助かったものは数名で、せっかく水から救い出されても、すでに息のない者もあった。
それでも助かった人たちのために、火を起こそうと一座の大人は手分けして森に入る。
残った者は、水の中の岩などで手足に傷を負った人の手当てを手伝いだした。

 わたしも何か手伝おうと踏み出しかけて、そして気がつく。
日吉はどこだろう。いつもなら真っ先に駆けていきそうな彼女が、いない。

 探そうと見まわして、息をのむ。

 死者の傍らに座りこんだ日吉がその体をかがませ、骸の胸に耳を押し当てている!

 あれは息がないことが確認された、「死体」だ。
森の中で偶然見つけてこっそり埋葬した動物たちよりもはるかに始末が悪い、人間の骸(むくろ)。
そんなものに不用意に触ろうなんて、正気の者なら絶対考えない。
ここが河原だからといって穢れをすぐには払えるわけでもないのだ。

 それに、人目もある。
わたしは日吉の優しさや考えを知っているけれど、全ての人がわかってくれるとは思っていなかった。
やめさせなければ、早く日吉を止めなければ、まずい。
流れの傀儡子ではなく死者を扱う身分だと誤解されても、困ったことになってしまう。

 焦る気持ちで彼女のもとに向かう足は、しかし、再び目にした光景に凍った。


「……ひ、よし?」


 骸の濡れた着物の合わせをはいで、両手を叩きつけるようして、日吉は死者の胸を打つ。
勢いをつけているのか、小柄な肩が浮くたびにえりあしで小さく結んだ髪も跳ねる。
少女が伸ばした両手に体重をかけ、一心不乱に死者の胸を押しているという、異様な光景。

 わたしは呼びかけの言葉を喉に詰まらせて、立ちすくむ。


 親の敵とか、昔ひどいことをされた人だったとか……?
 その死者に鞭打たなければならないほどの恨みが、日吉の中にはあったの?
 どうしたの、日吉。どうしてそんなことをしているの?


 問いかけたい言葉は胸に渦巻く。けれど、何一つとして音にはならない。

 異変に気がついた人たちの視線も集まりだしている。
でも、止めればいいのか、それとも隠せばいいのか。その判断すらつかなくて、息苦しいとしか浮かばない。
何かしなくてはと思うのに何もできず、混乱したわたしはただ日吉を見つめるだけ。


 その時、日吉の顔が上がった。
狂気なんて欠片もない真摯な目が手助けを求め、こちらを見る。


 でも、誰も動かない。動けない。


 幼子が死者に取りすがって泣いているのなら、引き離して慰めを与えればいい。
しかし骸の胸に手を置いた、全身を汗にぬらした子供に何をすればいいのか。
異端に対する拒絶すら、張り詰めた彼女の雰囲気にのまれて生まれないのに。
時すらも止めたような沈黙しか、返らない。

 日吉は反応のなさに無理を悟ったのか、唇を噛むと、また胸を押す作業に戻った。
周囲が黙って見守る中、骸の上で跳ね続ける、小さな体。
そして時折、まるで息を確かめようとでもするかのように、日吉は死者の口元に耳を寄せる。

 川の流れの音に、疲れた日吉の粗い息遣いが重なる。
 日吉に押された骸の下でも、河原の石が微かに鳴っている。


 小石が? 骸の手の下で、鳴って、る……?


 最初は、日吉が揺らすから動いたのだと思った。
そんなはずない。「死んでる」と言っていた。「もう、息が止まっている」と聞いた。
肌は青ざめて、動かない体。動かないはずの死者の手が、砂利を掻くように握りしめられる。

「……っ!」

 死者の、喉が鳴る。むせるように咳き込み水を零す。
ひゅーひゅーと細い息の音を響かせているのは、さっきまでの死体の口。

 慌てた日吉に横向きに転がされ、背を叩かれているのは、なに?

 首筋に指をあて何かを調べる日吉に、微笑まれ撫でてもらっているあれは、……なに?


「……生き返った。
 生き返りやがった。信じられねぇ」


 後ろから聞こえてきた声に、わたしはわれにかえる。

 横たわる人の濡れた髪を着物の袖で拭いて、その袖を絞ろうとしている日吉が視界に入る。
手をとって声をかけ、励ますように笑っている日吉がそこにいる。
かまわれている方がさっきまで死んでいなければ、それは病人を気遣う彼女のいつもの行動と変わらない。


「ありゃ、生き神か。
 すげぇこった。こんなもんが、拝めるなんて……」


 囁かれる声は、感嘆。でも、そこに宿るのは畏敬の響きだけではなかった。
昔よく知っていた、都の裏の空気によく似た棘をわたしは聞き取る。
あの大嫌いな気配をにじませて、こそこそ囁きあっているのは舟人たち。
死者からできるだけ離れた所で怪我人の手当てをしている一座の皆は傍にはいない。

 不穏な空気を感じ取って、わたしの心はささくれ立つ。
けれど、日吉のもとに行きたいと思う気持ちとは裏腹に、足はすくんだまま。
もう日吉はおかしなことはしていないのだから、普通に言って声をかければいいだけなのにわたしは動けない。

 踏み出せないのは、後ろの嫌な人たちと同じ考えを少しだけれどわたしも持ってしまったからだ。


 日吉は神様なの?
 だから命を救えるの?
 不思議なことを知っていたのもそのせい?
 人とは違うものを見て、この世の理を容易く外れるのは日吉が人ではなかったから?


 目の前にいるのは、日吉なのに。わたしの一番大事な、ただひとりの友達なのに。
今まで知ったと思ってきた日吉のまた一つ向こう側を見せつけられて、わたしは怖がっている。
畏れが、わたしをためらわせる。


 ―――もしも、わたしが生涯に一度だけ、巫女としての力が使えたというならこの時。
 それがただ一度だけの恩恵だったとしても、感謝しこそすれ決して後悔はない。


 「傀儡子だ。身寄りはないだろう」「郷につれてかえれば、」「いや、それよりも、もっと……」
死肉に這う虫よりも気持ちの悪い、言葉。幻聴のようにかすかな音を、わたしは聞き取った。
彼らの心の声だと言われても肯けるほど、それぐらい小さな、水音に消されていてもおかしくはない微かな声。
でもわたしは、確かにそれを聞いた。耳ではなく肌が、嫌悪に尖った心の感覚が、他人の悪意にそばだつ。


 わたしの厭う、「人の欲」。わたしの嫌った「人の醜さ」が、わたしの背中を押す。

 わたしの一番大切なものへ向けて、一歩踏み出す力をくれる。


 心を黒く陰らせる苦しい過去の記憶さえも、今この時のためと思えば必要だったと思える。
鳥肌立つような悪寒が、嫌いなのも厭なのも、わたしが本当に怖いのも、日吉ではないと教えてくれていた。
彼女が自分のもとから奪われて、誰かに利用されて苦しむことに比べれば、異能への畏怖なんて塵と同じだ。
日吉のもとへ駆け出しながら、わたしは自分自身にむかい心のうちで叫ぶ。


 わたしは、何?
 わたしの定めは、何?
 わたしは、巫女ではなかったの!

 神を称え、彼らと対話し、鎮め慰め奉る出雲の巫女の正しき後継。
 母にそう言われ、わたし自身そうあろうと、今まで務め励んできたのは偽りだったの?

 もしも日吉が本物の神様でも、神を降ろせる依り代の神子様だとしても。
 神に侍ることを生業とするわたしが喜びこそすれ厭う理由なんて、どこにもない。
 それにいまさら知らない神様が突然見えるようになるよりも、日吉がわたしの神様のほうがずっとずっといい。


 周囲の不穏に気づくことなく未だのん気に着物を絞っている日吉の手をとって、わたしはそのまま走り抜ける。
大人の通れなさそうな細いけもの道に飛び込み、藪に隠れるようにして進んでいく。
いきなり手を引いて森へと連れ込むわたしの行動に、驚きながらもついてきてくれる姿に信頼されているのを感じる。
しっかりと握りしめられた手。馴染んだ小さな指の形、慣れた重みに笑いたくなる。

 わたしは何を怖がっていたのだろう。日吉はこんなにも、日吉でしかない。

 戦や飢餓があり、利があれば親子でさえも裏切り、殺し合うことさえあるこの乱世。
たとえ心許した相手でも、こんなにも無防備に信じきって、全てゆだねてくれるのは日吉ぐらいだ。
いまさら奇跡の一つや二つ重ねなくても、これまでだって充分、日吉はわたしにとって奇跡の塊だった。



 わたしたちはその後、森にいた仲間に事情を話し、ばらばらに河原を離れることにする。
追手のくる危険も考え、山奥に分け入って旅をするために山人の協力も取り付けた。
座長たちは日吉の奇跡は見ていないけれど、舟人たちの様子のおかしさには気づいていたらしい。
「死んでたんじゃなくて、水に驚いてちょっと止まってただけだよ」との説明を皆が信じたのかどうかはわからない。
日吉が「自分を人だ」と言いたいのなら、わたしは彼女の望みを叶えてあげられるようにするだけのこと。
一座の皆にしても、厄介ごとと切り捨てるのではなく、彼女を守るための行動を選んでくれたのが全てだった。

 そのから先も、いろいろなことがあった。
鍛冶職に弟子入りして学んだり、津島の祭りを味わったり。戦に追われ、村人に匿ってもらったりもした。
でも、どんなに大変なことがあった時も、わたしの隣には日吉がいた。

 「すごいね、くぅちゃん」「きれいだね、くぅちゃん」「見て見て、くぅちゃん」
濁りを知らない赤子のような黒い瞳が世界を映し輝くさまを、見ていることが楽しかった。
日吉が神様でもそうでなくても、どちらでもよかった。
彼女の言葉を理解しきれなくても、独り占めすることができなくても、傍にいられるだけで満足だった。

 声が届く近さにいてくれるだけで、友達だって言ってくれるだけで、それだけでよかったのに―――、



 ―――老津の浜で傷を負った彼女は、もう、わたしの隣にはいない。

 あの夜、二度目の親族の裏切りによって、三河の松平の嫡子竹千代は奪われた。
今川へと人質に出されるはずの子供を尾張へと浚うという謀略に、わたしたち一座は巻き込まれたのだ。
浜での攻防の最中、日吉は背中を切られ、すぐには歩けないほどの傷を負わされてしまった。

 国同士を巻き込む大きな事件に、わたしたちは偶然居合わせただけ。
しかし冤罪であっていても、そこに居たというだけでわたしたちが咎められることは確実だった。
動けない日吉から詮議の目をそらすためにも、一座は早急に旅立つ必要に迫られる。
命は必ず助けるとの三河の武士の約束を信じ、わたしたちは日吉を置いてその地を離れることを決めた。



 そして、日吉のいない長い長い旅路を経て。
月と日を数多に数え重ねて、巫女として独り立ちしたわたしは、今日も神に捧げる舞を舞っている。
舞を舞う理由はその時々で違っても、捧げる言上はいつも同じ。

 心からの祈りの詞は、かけがえのないただ一人のためだけに。


  『掛けまくも畏こき天神地祇、八百万神々に恐こみ恐こみ申さく。
   この身卑小なる一介の巫女なれど、わが身わが心を捧げ一心に祈り奉る。
   彼の者が心安らかなるように。
   彼の者の慈しむこの大地が、豊かなれ、平安なれと、われは伏して請い願ふ。
   どうかこの願い聞し召し、わが唯一の、いとしき友を守り給へ』


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