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No.11192の一覧
[0] 戦国奇譚  転生ネタ[厨芥](2009/11/12 20:04)
[1] 戦国奇譚 長雨のもたらすもの[厨芥](2009/11/12 20:05)
[2] 戦国奇譚 銃後の守り[厨芥](2009/11/12 20:07)
[3] 戦国奇譚 旅立ち[厨芥](2009/11/12 20:08)
[4] 戦国奇譚 木曽川[厨芥](2009/11/16 21:07)
[5] 戦国奇譚 二人の小六[厨芥](2009/11/16 21:09)
[6] 戦国奇譚 蜂須賀[厨芥](2009/11/16 21:10)
[7] 戦国奇譚 縁の糸[厨芥](2009/11/16 21:12)
[8] 戦国奇譚 運命[厨芥](2009/11/22 20:37)
[9] 戦国奇譚 別れと出会い[厨芥](2009/11/22 20:39)
[10] 戦国奇譚 旅は道づれ[厨芥](2009/11/22 20:41)
[11] 戦国奇譚 駿河の冬[厨芥](2009/11/22 20:42)
[12] 戦国奇譚 伊達氏今昔[厨芥](2009/11/22 20:46)
[13] 戦国奇譚 密輸[厨芥](2009/09/14 07:30)
[14] 戦国奇譚 竹林の虎[厨芥](2009/12/12 20:17)
[15] 戦国奇譚 諏訪御寮人[厨芥](2009/12/12 20:18)
[16] 戦国奇譚 壁[厨芥](2009/12/12 20:18)
[17] 戦国奇譚 雨夜の竹細工[厨芥](2009/12/12 20:19)
[18] 戦国奇譚 手に職[厨芥](2009/10/06 09:42)
[19] 戦国奇譚 津島[厨芥](2009/10/14 09:37)
[20] 戦国奇譚 老津浜[厨芥](2009/12/12 20:21)
[21] 戦国奇譚 第一部 完 (上)[厨芥](2009/11/08 20:14)
[22] 戦国奇譚 第一部 完 (下)[厨芥](2009/12/12 20:22)
[23] 裏戦国奇譚 外伝一[厨芥](2009/12/12 20:56)
[24] 裏戦国奇譚 外伝二[厨芥](2009/12/12 20:27)
[25] 戦国奇譚 塞翁が馬[厨芥](2010/01/14 20:50)
[26] 戦国奇譚 馬々馬三昧[厨芥](2010/02/05 20:28)
[27] 戦国奇譚 新しい命[厨芥](2010/02/05 20:25)
[28] 戦国奇譚 彼と彼女と私[厨芥](2010/03/15 07:11)
[29] 戦国奇譚 急がば回れ[厨芥](2010/03/15 07:13)
[30] 戦国奇譚 告解の行方[厨芥](2010/03/31 19:51)
[31] 戦国奇譚 新生活[厨芥](2011/01/31 23:58)
[32] 戦国奇譚 流転 一[厨芥](2010/05/01 15:06)
[33] 戦国奇譚 流転 二[厨芥](2010/05/21 00:21)
[34] 戦国奇譚 流転 閑話[厨芥](2010/06/06 08:41)
[35] 戦国奇譚 流転 三[厨芥](2010/06/23 19:09)
[36] 戦国奇譚 猿売り・謎編[厨芥](2010/07/17 09:46)
[37] 戦国奇譚 猿売り・解答編[厨芥](2010/07/17 09:42)
[38] 戦国奇譚 採用試験[厨芥](2010/08/07 08:25)
[39] 戦国奇譚 嘉兵衛[厨芥](2010/08/22 23:12)
[40] 戦国奇譚 頭陀寺城 面接[厨芥](2011/01/04 08:07)
[41] 戦国奇譚 頭陀寺城 学習[厨芥](2011/01/04 08:06)
[42] 戦国奇譚 頭陀寺城 転機[厨芥](2011/01/04 08:05)
[43] 戦国奇譚 第二部 完 (上)[厨芥](2011/01/04 08:08)
[44] 戦国奇譚 第二部 完 (中)[厨芥](2011/01/31 23:55)
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[11192] 戦国奇譚 旅は道づれ
Name: 厨芥◆61a07ed2 ID:5056909d 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/11/22 20:41

 「二つ先の宿場まで」との言葉は、そこまでが採用試験の期限という意味だったようだ。
人足頭も人足達も、ずいぶん話し好きな人達だと思っていたけれど、全て面接の一環だったらしい。

 それで、私達はみごとその試験に合格し、駿河滞在中、正式雇用してもらえることになった。



 ――――― 戦国奇譚 旅は道づれ ―――――



 一座の雇い主は、京に本店のある「東白屋(あずましろや)」。
彼らは大名が年貢などで手に入れた米他の物産を買い取り流通させる、商社のような仕事をしている。

 この商売は、買い入れ先は専属契約を結ぶのが常道。
でも、売る相手はお店が自分で開拓しなければならない。
年貢のお米を買いあげて、それをまたその場所で売っても儲けにはならないからだ。

 商品は安く仕入れ、売る時に利益を出せて、はじめて商売として成り立つ。
それにはいろいろな国をまわり、物価の差を調べながら品物を動かしていく必要がある。
もちろんその時は、大口で取引できる地元有力者ともよしみを結んでおくのも重要だ。


 駿河守護は、先代が京の公家から正室をもらっていて、当代はその実子。
一度僧になってから還俗した人だからか、教養があり、京とのつながりも多く、芸術への造詣も深いと有名だ。
主がそうなら部下も右に倣うということで、駿河では芸事が盛ん。

 そこで商売したい東白屋も、現地調査をし、相手の好みを下調べしている。
取りひき相手の開拓にはひと冬を費やす予定だというし、供応に芸人を使おうという選択は良い考えだと思う。
そんな理由があるなら身内だと紹介された人足達が、歌や踊り、芸事の話に詳しい人が多かったのも納得がいく。

 そして、もちろんそうやって事前調査をしているくらいだから、最初はちゃんと踊り子も連れて来ていたらしい。
けれど残念なことにその人は病(やまい)にかかり、途中の宿場での養生しなければならなくなってしまった。
主役を失い代わりの踊り子を探していて、目に留まったのが私達だったようだ。
彼らは、駿河到着までに上方(かみがた 京)風の踊りを仕込みたいとの思惑もあって、探査に急いでいた。
宿場町や港町にも人手をまわし探していたというから、出会えて幸運だったのはお互い様なのだろう。



 座長と話をつけたのが、東白屋の営業部長である人足頭、荷纏め役の弥四郎。
彼は一座と正式に契約を交わし、私達は駿河での接待役を任されることになった。

 旅の道中、宿場ごとに一般のお客を楽しませることもなく、専属契約となった太夫達は踊りの稽古に励む。
これも契約のうちで、指導はなんと弥四郎が直接している。
囃子方(はやしかた)も覚えてほしいと言われ、座長や男衆もあの兼業人足達に交じり、皆練習だ。


 でも残念ながら、雅(みやび)とは言い難い幼い私達は待機組。
一座の稽古の輪の外で、自主的な芸の復習をのぞけば特にしなければいけないことはない。


「太夫がやってた今のとこの順番、これであってる?
 右手が、上、上、ななめ、下。 で、んー、左手は半拍休みだっけ?」

「日吉の、少し違うみたい。
 こうして、ここは、こう」

「こんな感じ?
 二度目の上の時、右掌にひねりがはいるのか。
 いまいち? 手が短いからダメなのかな、かっこよくきまんない。
 くぅちゃんは、見ただけであれの動きがわかるんだよね。すごいなぁ」

「母さまの手だから。
 日吉は謡うほうが好き?」

「好きかも。
 ……踊りも好きだけれど、あの太夫達が練習している京舞は無理。
 自分に優雅さが足りないのがわかってるし。
 でも、このあいだ皆が教わってた連歌も難しすぎ。
 私、創造性たりないの実感して、悲しくなっちゃった」

「そーぞーせい? っていうのはわからないけど。
 あれは古典をいっぱい知ってないとだめだって、母さま言ってた。
 それで、早蕨太夫が上手だって」

「そうなの?」

「早蕨太夫は元はいいおうちの人かもねって」

「それなら、くぅちゃんのお母さんもそうじゃない?
 古典も含めて、いろんなこと知っているし」

「そんなことないよ。
 母さま、踊るのが一番好きって言ってたもん」


 稽古の邪魔にならないように端でのぞき見しながら、真似してみたり、お喋りしたり。
くぅちゃんと二人だと、独りで待っていた以前からすれば、比べるまでもなく楽しい時間が過ごせている。
だから長く待たされていても、退屈することも飽きることもない。

 けれど、雇い主は少し考えが違ったようだ。
見まねをやめて座っていたら、弥四郎は私とくうちゃんを呼んでお使いを頼んできた。


「じゃあ二人とも、頼んだよ」

「はい。
 ……あっ、くうちゃん。見て、これお金に字が書いてある」

「ほんと? これ、いいお金の方だ」

「へぇ、これが。
 私、いいお金って初めて見た。
 ええと、永(えい)、楽(らく)、通(つう)、最後は何だろ、賓(ひん)?」

「これは、寶(ほう)という字だよ。
 でも日吉、お前、字が読めたのだね」

「あっ……」


 ついうっかり読んでしまった。
しかも、読みながら空中で文字をなぞっていたのも見られてしまった。
それをしまったと思った顔も、正面にいたのだから見逃したりはしてくれていない、と思う。

 これは、……とてもまずい。

 私の設定年齢は4歳のまま。
貧しい農家の出だということも、弥四郎に少し話した覚えがある。
そのどちらからを考えても、字が読める素養がでてくるはずもない。

 くぅちゃんと一緒に長くいて気を抜きすぎていたようだと後悔しても遅い。
困ったなと思いながら見上げれば、弥四郎も探るように私を見ている。


「……まあ、この話はまた後で聞こう。
 行っておいで。寄り道しないで、真っ直ぐ帰ってくるのだよ」


 かけてくれた言葉はやわらかかったが、私的には釘をさされたようにも感じる。
逃げられないのかと落ち込みつつ宿を出れば、くうちゃんが心配そうに手をつないできてくれた。


「日吉、大丈夫?」

「あー、うん。なんとか平気」

「元気出して。
 ほら、日吉、いいお金を初めて見たんでしょ?
 日吉は、初めてが大好きじゃない。
 いっぱい見たら、楽しくなるかも」

「そうだね。
 ああ、やっぱり厚みも違ってる。
 いつも見てるのとは、全然違うね」

「あれは、悪銭だもの」

 
 無邪気なくぅちゃんの慰めに癒されて、重なった手の中を覗きこむ。
『永楽通宝』と文字の入った、真ん中に四角い穴のあいた、丸いコイン。
鋳造技術は現代のものとは比較にもならないが、文字がよめる程度には綺麗なつくりをしている。

 普段、一座が興行のお代などでもらっているのは、文字のない平らなお金。
くぅちゃんに悪銭と呼ばれるそれは、ワッシャーにそっくりだった。
ワッシャーとは、ネジをとめるときネジ頭と穴の大きさを調整するために間にはさむ、あの薄くて丸い金属である。

 思い出し比べて見ても、この二つの硬貨は製造理念が違うか、製造場所が違うかのどちらかでしかありえない。
両者を同じ価値として流通させていいものだとは、いくら私でも思えない。
しかし、実際使われているのだ。

 見つけてはっと驚くようなすばらしい品に出会う一方、こういう手抜きの品が「お金」として出回っている。

 漆塗りや螺鈿細工(らでんざいく)、織物や染め物。
手作業による工芸品の造りこみは、400年後にさえ見劣りすることはない。
でもその技術を、「お金」などの製造にこそ注ぐべきではないかと思うのは、現代の価値観なのだろうか。

 出来ない理由は何だろう。
貨幣(かへい)を発行する政府が、長期存続する保障がないから?
全国規模で流通させるだけの質を揃えた大量生産技術がないから?

 考えだすと止まらなくなる。
一つ知るごとに、新たな疑問が湧く。時代のアンバランスさは、私の興味をかき立てる。


「くぅちゃん! 
 私、元気出た。ありがとう。
 よく考えたら、これも弥四郎さんと話すチャンスだと思えばいいんだよね。
 実は聞きたいこと、いっぱいあったんだ。
 もっとお話ししてみたいと思っていたんだから、こういう時こそ活用しなきゃだよ」

「ちゃ?
 えっと、よかったね、日吉」

「うん。
 そうと決まれば、早くいこ。早くはやく」


 私はくぅちゃんの手を引いて、走りだす。
ポジティブであることが、人生を楽しくやるコツなのだ。




 世の中には様々な趣味や嗜好がある。
とても人には言えないようなものから、社会的地位を得られるものまで、趣味は幅も奥も果てしない。
私も未知のものが大好きだし、許されるなら好奇心のおもむくままにあちこち手を出したいと思っている。
好きなものを追いかけられるのは、幸せなことだ。

 そして、趣味を追いかけて人生失敗する人もいるし、また逆に歴史に名を刻む人もいる。

 何が言いたいかというと、弥四郎もそういう趣味に重きをおく人らしいということ。
彼はお使いを終えて帰ってきた私達に、「文字を教えてあげよう」と言ってきた。
弥四郎の趣味は、「人にものを教えること」だったらしい。


 弥四郎は教育に対して、時代を先取りした感覚の持ち主だった。

 私が何故文字を知っているのかということよりも、字を書くことに興味があることが良いと彼は言う。
幼いうちから学ぶことは大事で、なかでも「読み書き」は全ての基礎。
文字を知らなければ借用書も書けないし、大名の御触れ書き(命令書)も読めない。
身分のあるなしにかかわらず、天下万民文字は知っておくべきだという考えを、彼は私達に説く。
太夫達の踊りを率先して教えていた時もそうだけれど、教育に対し彼は情熱を持っている。

「こうして、縁があったのだ。
 『鉄は熱いうちに打て』という言葉もある。
 お前達に学びたい気持ちがあるのなら、太夫達と一緒に机につきなさい」

 そう言って、私達に教材を揃えてくれる彼は、実に生き生きとしていた。



 文字の練習は、書いて覚えることが一番。

 私達を宿の部屋に呼んだ弥四郎が最初にくれたのは、使い古した小筆と墨の欠片と、古い布だった。
「文字の練習に使うのだよ」と渡された時は首を傾げたけれど、説明を聞けばとてもエコだ。

 実は、「紙」そのものは高価な品というほどではない。
少し大きな村になると、楮(こうぞ)などを畑の端に栽培し、紙を独自に作っているところも多い。
もちろん「美濃紙」などの高級紙も存在するが、目の粗くあまり白くない紙なら普通に手に入る。
でも、大勢で練習に紙を使えば、ゴミの量も増える。
移動もしなければならないので、もとからそう大量に持って歩くわけにもいかない。

 だから、紙の代わりに布を使うことを、弥四郎が発案したらしい。

 墨(すみ)を薄目にすって、薄墨で布に書き取りの練習をする。
書く場所もなくなるくらい書きこんだら、布をよく洗う。
それを板に張って干し、平らになるよう乾かしたら、また新たな白紙代わりに利用する。

 布なら何度も繰り返し使えるし、携帯もしやすい。
一人当たり一枚か二枚でいいのだから、学ぶ人数を考えれば大きな節約にもなる。
それにこれなら、反故にする紙をもったいないと思って練習を手控える必要もない。

 これは弥四郎が、教育者として熱心に取り組もうとしていることがわかる一例だった。


 私もいずれは文字を読み書きできるようになりたいと考えていた。
でも傀儡子の子にも農民の子にも、勉強をする余裕はなかった。
教育を受けられるのは、それができるだけの恵まれた家柄に生まれるしかない。
寺は確かにこの時代の教育機関だけれど、それも寄進(お金)がなければ入ってもなれるのは下男。
水くみや薪割りに使われて、よほどの幸運に恵まれなければ仏典を読めるような僧にはなれない。

 大人になり自分でお金を手に入れられるようになったら、筆を買い、字を学ぼうと思っていた。
今までは独学で、砂地に棒で書くか、よくて囲炉裏の燃え残りの木炭で板に書くぐらいしかできなかった。 

 筆を手にした私の喜びがわかるだろうか。

 こんなに早いうちから師について、文字を学ぶことができるなんて、思ってもみなかったのだ。
与えてくれた弥四郎が神様に見えたくらい。くぅちゃんもとても喜んでいて、私達は彼に感謝を惜しまない。



 弥四郎は私達に筆記セットを渡し、使い方を説明した後、文字の手本も探してくれた。
「文字に最初に触れるのだから、良いものにしなければ」と先生の鏡のようなことを言いながら。
しかしここで、普通とはちょっと変わったことをする人は、やはり普通ではない選択をすることも判明する。

 彼が選んでくれたテキストは「庭訓往来」「今川了俊同制詞条々(手紙)」、そして「御成敗式目」。

 ……弥四郎先生。実用的で王道ですけど、書きとり初心者にいきなり漢文は難題です。


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