漢帝国の旧都・洛陽。
数年前、繁栄を極めていた花の都に、突如巨大迷宮が姿を現した。
と同時に、都に建てられていた神殿の巫女達に、太祖神の啓示が下ったのである。
曰く、古の神々の最終戦争を代理せよ、と。
伝承には、このようにある。
その昔、まだ大陸がその形を成して間もなき頃、神々の王を決めるため、彼等はその身を肉に宿して大陸の覇権を賭けて争った。
だが、100年もの間続いた戦いは、遂に決着がつかなかったと伝えられている。
ある話では、魏の曹操が呉を圧倒して支配地を広げたとあり。
ある話では、呉の孫権が蜀を滅ぼしてその勢力を併合したとあり。
ある話では、蜀の劉備が魏を臣従させたとあり。
いや、袁紹こそが天下に最も近かった、やれ、呂布こそが天下無双であった、本当は董卓こそが……
様々な逸話が残っているが、どの話も終わり方は一緒であった。
それは、数多の英雄神達が互いに討ち合ってその死を迎えた時、最後まで残っていたのは神である司馬懿と人間の女との間に出来た半神である太祖神・司馬昭であったということである。
司馬昭は、戦乱に巻き込まれた人々を哀れに思い、生き残っていた神々を次々と打ち倒し、神のためではなく人のための国を興して乱れきった大陸をまとめあげると、国政を人の手に委ねてその姿を消した、とされている。
世に『三国志』として伝えられ、おとぎ話だと思われていたその伝説。
それが太祖神の啓示によって、本当のことであったとわかったのだ。
そして古の神々の争いは、彼等がその肉体を失ってからも続き、今もまだ決着がついていないと言うのである。
巫女は神託を告げる。
「ぬっふぅん。このまま古の神々が争いを、続けては、天が裂け、地が荒れ……ぐむぅ、太祖神の意思が強すぎて、儂の体がもたん。貂蝉よ、続きを頼む……ぐふっ」
「うっふぅん、わかったわん。人よ、迷宮に潜り、祭壇にて古の神々の加護を受けよ。そして、扉を、開けよ……ぶるらぁ……」
巫女達の尊い犠牲のもとに得られた情報は、以上であった。
もちろん天が裂けて地が荒れれば、困るのは人間である。
だがそれ以上に、相手が神であることが重要であった。
加護を受けた神を勝利に導いた人間は、どんな願いでも叶えて貰える、と囁かれるようになったのである。
そして迷宮の出現以降、経験を積んだ武人が神殿に赴くと、太祖神からの贈物が得られるようになったという事実が、その噂を爆発的に広めたのであった。
長安に遷都した漢帝国の皇帝は、とりわけ欲の強い人物だった。
不老不死を欲した皇帝は、漢帝国軍数万を迷宮へと突入させたのだ。
だが、狭い迷宮の中ではその大軍は不利にしかならなかった。
扉どころか、迷宮のどこかにあるという祭壇にすら辿り着けず、軍は壊滅したのであった。
その報を受けて愕然とする皇帝。
欲は消えぬものの、迷宮の存在に脅えるようになった皇帝に対し、現在の洛陽都市長は代々蓄えていた身代を使って洛陽の自治権を買い取り、都市の周囲を城壁で覆い尽くしたのである。
表向きは迷宮より這い出て来るやもしれぬ怪物を食い止めるため。
本当の目的は迷宮があることによって発生する利益の独占であった。
漢帝国から送られてきた精鋭の兵士達。
一攫千金を狙う冒険者達。
大陸を守るために立ちあがった勇者達。
そして、探索者ギルドに売られてきた剣奴達。
彼等は、今日も巨大迷宮へと挑んでいく。
「そしてその巨大迷宮は、いつしか『三国迷宮』と呼ばれるようになったってわけさ」
競りにかけられる直前の奴隷達が集まっている広場で、一刀は季衣と流琉に迷宮都市・洛陽と三国迷宮について説明していた。
季衣達が探索者ギルド以外に売られるのであれば、それでよい。
いや、よくはないが、歓楽街などに売られて貞操は危険であっても命の危険はさほどでもない。
だが、見張りにも説明したように、加護を受けられる可能性が高い季衣達は剣奴として探索者ギルドに売られる可能性が高い。
なぜなら、ギルドが所有する加護持ちの剣奴が増えることは、そのままギルドの利益となるし、加護持ちが自分の身を買い戻そうとすれば、それはそれでギルドの利益になるからである。
ちょっとでも生き残る確率を上げるためには、このような知識が必要不可欠であろうと、一刀は季衣と流琉に教えていたのであった。
「兄ちゃん、賢い!」
「ふわぁ、兄様、博識ですね」
発売日を楽しみにしながら毎日のようにゲーム雑誌の情報を読んでいた一刀は、すっかり記事を丸暗記してしまっていた。
そんな一刀の語り口調に、季衣と流琉は感心していた。
そして、感心していたのは季衣と流琉だけではなかった。
「へぇ、貴方ずいぶんとここに詳しいのね。じゃあ、これは知ってる? その数万の大軍を以てしても見つけ出せなかった祭壇を、約1年前に1人の少女が発見し、覇神・曹操様の加護を得たって話。その子は、貴方達とほとんど年が変わらないのよ」
「凄いなぁ。ボク達も頑張ろう、流琉!」
「でもその子が迷宮を踏破してくれれば、私達も解放されるかも……」
「あら、私の勘だと、貴方達なら祭壇に辿り着き、加護を得ることが出来そうよ。加護さえ得られれば、自分の身を買い戻すことも不可能じゃないわ」
突然一刀達に話しかけてきた絶世の美女。
桃色の髪を腰まで伸ばして大胆に胸を露出させ、好奇心溢れる瞳でこちらを観察しているその美女を見て、一刀は唖然とした。
もともと一刀は、チャットは別として、面と向かっての対人スキルが高くない。
フランチェスカの先輩で学生会長である不動先輩に「男ならシャキっとしろ!」と叱られても、愛想笑いで誤魔化して逃げてしまうような男である。
季衣や流琉のような子供が相手ならまだ平気であったが、同年代や彼女のような大人の女性は苦手であったのだ。
それでも常ならば、話しかけられたことに対しての返事くらいは出来たであろう。
だが、一刀を口も利けなくなるほどに驚かせたのは、彼女の美貌だけではなくその名前であった。
NAME:雪蓮【加護神:孫策】
LV:20
HP:361/361
MP:0/0
発売前情報で出ていた主要人物の1人、雪蓮の名前に驚愕したのだ。
季衣や流琉に洛陽や迷宮の情報を説明するくらいには、一刀もここがゲームの世界であることを受け入れていた。
いや、受け入れたつもりになっていた、というのが正しいであろう。
それが主要人物の登場によって、遂にここがゲームの世界であることが確定されてしまったのである。
現実を突きつけられて呆然としてしまった一刀は、雪蓮に対して反応することが出来なかったのであった。
呆けている一刀に対する興味を失った雪蓮は、季衣と流琉に向かって言った。
「貴方達は、私に付いてきなさい」
「え、でも、ボク達は今から競売に出されるんじゃ……」
「私は探索者ギルドの者なの。競売前に有望そうな人材を引き抜きに来たのよ。貴方達は幸運だわ。探索者ギルドの剣奴にはなるけど、この段階で引き抜かれた者達は、他の剣奴達と比べて優遇されるのよ」
一刀の存在を無視しているかのような雪蓮に、流琉は疑問を投げかけた。
「え、私達だけ、ですか? 兄様は……」
「うーん、悪いけど、男の子はよっぽど特別なことがない限り、引き抜けないのよ」
「そんな……。なんで男性だとダメなのですか?」
「加護神に問題があるのよ。英雄色を好むというか、強力な加護神は女性贔屓らしいのよね。まぁ、誰かが直接神様に聞いたわけじゃないんだけど。もちろん男性でも加護が受けられないわけじゃないわ。例えば……」
先の漢帝国による迷宮踏破軍が失敗に終わった後も、漢帝国は精鋭を選りすぐっては迷宮都市・洛陽に向かわせていた。
その中でも、もっとも将来を期待されていた若き校尉がいた。
仁義に篤い彼が祭壇に辿り着いた時、誰しもが劉備の加護を得るだろうと思っていた。
だが、彼の加護神は何進であった。
「何進様って、どんな神様なんですか? ボク、聞いたことないです」
「どの逸話でも、真っ先に殺されてしまう神様よ」
「「……うわぁ」」
「今じゃ彼は、商店街のお肉屋さんで働いているわ」
「「……」」
また、その校尉とライバル関係にあった騎都尉も、将来を嘱望されていた1人であった。
甘いマスクで夜の町に名を馳せていた彼は、それ以上に明晰な頭脳の持ち主であることで有名であり、誰しもが諸葛亮の加護を得るだろうと思っていた。
だが、彼の加護神は張譲であった。
「張譲様は、有名な神様なんですか?」
「宦官の神様よ」
「「……うわぁ」」
「今じゃ彼は、歓楽街のオカマバーで働いているわ」
「「……」」
「だから悪いけど、彼は競売だわね。でもおそらく、ウチのギルドに来ることになると思うわ。ちょっといい男だから、幸運だったらそこらの有閑マダムに引き取られるかもしれないけど」
「……お願いします、兄様も一緒に連れて行って下さい!」
「ボク達、兄ちゃんと一緒がいいんです!」
必死で雪蓮に頼みこむ2人。
一刀も一緒でなければ雪蓮の誘いは断るとまで言い出した2人を、ようやく虚脱状態から戻ってきた一刀が制した。
ここで雪蓮に臍を曲げられでもしたら、2人の生き残る確率がぐんと下がってしまう。
「いいんだ、季衣、流琉。俺のことは気にせず、行ってくれ」
「そんな、兄ちゃん……」
「兄様……」
「ほら、早くしろ。それに俺、戦闘なんてしたこともないし、剣奴以外で売れた方がラッキーだしな。だから、気にせずに行けって」
そうやって季衣と流琉を宥めた一刀は、改めて雪蓮と向かい合うと、深く頭を下げた。
「こいつらのこと、どうかお願いします。少しでも長く生き延びられるように、色々と教えてやって下さい」
「……貴方、名前は?」
「え、あ、一刀と言います」
「私は雪蓮よ。2人はこの私が責任を持って預かる、とは言えない。私自身がギルド長預かりの身分だし、そんな権限はないもの。でも、貴方に免じて出来る限りのことをすると約束するわ」
「……ありがとうございます」
「礼はいらないわ。その代わり、貴方も2人に対して約束なさい。もし貴方が剣奴になってもならなくても、精一杯生きる努力をして、いつか自分の身を買い戻すって」
「兄ちゃん、ボク達また会えるよね?」
「兄様に、いつか私の手料理を食べて欲しいです。だから……」
「ああ。なんとか生き残って、自由の身になると誓う。だからお前らも、頑張って生き延びろよ」
実は一刀が雪蓮に引き抜いて貰う方法は、ひとつだけあった。
それは、他人のLVやHP、MPが視認可能であるという特技を打ち明けるという手段である。
だが、一刀はそれを選択しなかった。
主要人物の1人である雪蓮があそこまで言う以上、季衣や流琉の身は安全と考えてもいいだろう。
そして自分の身の安全を考えた場合、この特技を他人にバラすことは、危険であると言わざるを得ない。
それはMMORPGをやり慣れていた一刀であればこその思考であっただろう。
サーバ内で自分だけしか持っていないレアスキルやレアアイテムがあったと仮定すればわかりやすいと思うが、そんなものは嫉妬の対象にしかならないのである。
ゲーム内であれば嫉妬されるのもいいが、この世界でそんなことになったら致命的だと一刀は考えたのであった。
雪蓮に連れられて広場を出ていく2人を見送る一刀。
この判断が、一刀の今後にどう影響するのか。
それはまだ、誰にもわからないのであった。
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NAME:一刀
LV:1
HP:8/28
MP:0/0
EXP:0/500
称号:なし
STR:6
DEX:8
VIT:6
AGI:7
INT:7
MND:5
CHR:5
武器:なし
防具:布の服、布のズボン、布の靴
物理防御力:17
物理回避力:9
所持金:0銭