ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、自分が魔法の才能の無い「ゼロ」であることを知っている。呼び出せる使い魔がメイジのレベルに応じることも知っている。
だが、彼はなんだ、土ドットとは言え、あのギーシュを圧倒し何もさせなかった。
無論、ルイズは決闘は見損ねている、だが結果を見ればなにが起こったかは明白だ。
不意にルイズは自らの召還の呪文を思い出した。
『この『世界』のどこかにいる、『強大な力』を持ち、『美しく』、そして『聡明』なる使い魔よ、 私は心より求め、訴えるわ。我が導きに応えなさい』
あの時は出来るだけ欲張った、願った事の1割でもかなえられるように。
だが、願いはかなった、ほぼ百%。
彼は『聡明』だ。
彼は『強大な力』を持っている。
彼は『美しい』これはちょっと考える余地がある。
(彼はなんなのだろう。あたしの様な、落ちこぼれメイジが従えていて良い存在なのだろうか?)
ルイズはそこまで考え、ミスタ・コルベールに呼び止められた。
第7話 2日目 その5 決意
「さて、釈明を聞こうかの」
ここは、学院長室である。
ギーシュとルイズとシンジが昼休みの決闘の顛末を聞くために午後の授業の後、呼ばれたのだ。
オールド・オスマンはまず、ギーシュに向き直った。
「は、はい、学院長。その~あれは決闘では無くですね、その~何と言いますか、う~ん、彼との交流の一環といいますか、その~食後の運動に付き合ってもらったといいますか……」
ギーシュの戦術としては、シンジが適当に近づいたら『レビテーション』をかける心算であった。
大概の平民は、10メイルも持ち上げれば降参するからだ。
もし降参しなくても、彼の体を空中で回転させ、目を回したところでナイフを取り上げれば自分の勝ちである。
喧嘩ではなく、ゲームである以上、ルールによる勝ち負けの条件を満たせばそれで良いのである。
自分の戦闘用魔法「ゴーレム精製」なんて使う心算はなかった。
もし使っていても、あの速さでは呪文を唱えている間に近づかれて、結果はそう変わらないであろうが。
「さて、使い魔君、彼はそう言っているがそうなのかね?」
「シンジです。概ねその通りです。ルールがありまして、その中でやっていましたので」
「ほほう、どんなルールじゃね」
「はい、えーと「お互いの持つ杖を奪い合う」というルールです」
オールド・オスマンの眉毛がピクッと上がった。
「そうかね、それでそれを決めたのはどちらかね?」
シンジはこの学院長だと言う老人の空気が変わったのを感じた。もともと、人の顔色を読むのに長けていたシンジである。
(怒ってる。でもどうして?)
「は、はいその~」
シンジは泳がせた目を、ギーシュに向けた。 見ればギーシュはあわあわしていた。
いつものよく動く舌は、どうも調子が悪いようだ。
「ん、答えんでもええよ。良くわかったからの」
オールド・オスマンはまたギーシュに向き直り、空気を吸い込んだ。
「ギーシュ!!怒!!!グラモーーーン!!!!!!!」
腹に響く大音量である。
「は、はひぃー」
「貴様ぁー!脳がまぬけかぁー!『お互いの持つ杖を奪い合う』のどこが決闘じゃないのじゃー!」
「ももももも、申し訳ありませんでしたー」
「貴様には!罰として!土の塔のすべての窓の窓拭きを命じる!よいか!ピッカピカに磨くんじゃー!」
「かかか、かしこまりましたー!」
ミス・ロングビルもルイズもシンジも、唖然としていた。ここまで怒ったオールド・オスマンを見たことが無い、いつもは飄々としたセクハラ老人なのである。
もっとも、ミス・ロングビルは雇われてまだ2ヶ月。
シンジに至っては、昨日召還されたばかりで今が初対面であるが。
ミスタ・コルベールは知っているのか、シンジをちらちら盗み見しているが、オールド・オスマンの大激怒に動じた様子は無い。
オールド・オスマンはシンジに向き直ると、うって変わって穏やかな笑顔を向けた。
「それで、事の発端はなんなのかね?」
シンジは、ギーシュとシエスタがぶつかってしまい、シエスタがひどくおびえて謝っていたこと。
いたたまれず自分も一緒に謝ったら、授業中の秘密の開示を迫られたこと。
ルイズの命令でそれは出来ないといったら、「ゲーム」を持ちかけられたことなどを話した。
それを聞いたオスマン氏は厳しい目つきをギーシュにむけると静かな、だが重々しい声で。
「何か言いたいことはあるかの?なければ水の塔もじゃ、理由も欲しいかの?」
「い、いえ、かしこまりました」
今日はギーシュにとって厄日のようである。
シンジにはこの学院がやたらきれいな訳がなんとなくわかった。シンジは自分の罰も聞いたのだが、巻き込まれただけと判断されお咎めなしであった。
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ギーシュがうなだれて退室すると、シンジもルイズもそれに続こうとしたが、オスマンに呼び止められた。
そして、部屋の隅にある応接施設に案内された。
「ちと、聞きたいことがあるのじゃが、ええかの」
オールド・オスマンはまたミス・ロングビルに目で退席を促していた。ロングビルは何も言わず、会釈一つで出て行った。シンジはルイズの顔をうかがい、頷いた。
「スマンの、使い魔君、おおっと、シンジ君じゃったの。まずは君に、ここの学院の生徒が迷惑をかけたことを謝ろう。この通りじゃ」
オスマン学院長は、その長大な体を曲げ頭を下げた。
「そんな、迷惑なんかかかっていません、むしろ皆さんに良くして頂いています」
「そうかね、そう言ってくれると、まずはひと安心じゃ。ところで、君は故郷に帰らんで良いのかね。……いや帰りたいとは思わんのかね?」
これにはシンジの代わりにルイズが答えた。
「学院長、シンジの故郷は……もう滅んでしまったんです。……もう何年も前のことだそうです」
「ほう、それは悪いことを聞いたの、スマンかった」
「とんでもありません。どうか頭を上げてください。……昔のことです」
「んむ、スマンな。……ところで君の両手にあるルーンの事じゃが、何かミス・ヴァリエールに聞いとるかな?」
シンジは両手の甲をオールド・オスマンに見せる。
「はい、何かとても珍しいルーンで、今コルベール先生が調べてくださっている最中とか?」
コルベールはシンジの座るソファーの後ろに立っている。オールド・オスマンはミスタ・コルベールに顔を向けた。
「ふむ、ミスタ・コルベール教えようと思うがかまわんかの?」
コルベールはちょっと難しい顔をし、軽く唾を飲み込んだ。
「い、いいでしょう。ミス・ヴァリエールを、そして彼を信じることにします」
なんだか大仰な言い方だな、と思いつつ続きを聞くことにした。
「君の左手に刻まれたものが『ガンダールヴ』、右手に刻まれたものが『ヴィンダールヴ』、かつて始祖ブリミルに仕えたとされる、4人の使い魔のルーンの内、そのふたつが刻まれておるのじゃ」
これにはルイズも目を見開いて驚いた。
「伝説の使い魔!?」
彼女にしてみれば降臨祭やら誕生日やらがいっぺんに来たような心持である。
「絶大なる戦闘力を誇り、あらゆる武器を操って主人の身を守ったとされる『ガンダールヴ』、
ありとあらゆる獣をあやつり、地海空と主人を運んだとされる『ヴィンダールヴ』
あらゆる知識を溜め込んで、主人に助言までしたといわれる『ミョズニトニルン』
そして、正体のわからん四人目の使い魔、これら四人が、始祖ブリミルが従えていた使い魔たちじゃ」
(んん、ちょっとまってよ)
「えーと、今の話では彼は『ミョズニトニルン』のような気がしますが?」
「わしもそう思う、いや思っておった。じゃがギーシュとの戦いを見たじゃろう。あの速さ、わしでもルーンひとつ唱えられん」
これにはルイズも渋い顔をした。
なにせ、人ごみを掻き分けている最中に決闘が終わってしまったのだ。
(くうー、見たかったぁー)
「い、いいえ、その人が多くて……」
「そうか、残念じゃったの。ところでこれは、わしがたった今作り上げたものじゃがもらってくれんかね」
そういわれて、出されたのは一対の皮手袋だった。指のところがきれいに取れている。そして色が肌色に近く、ぱっと見には着けてるようには見えないであろう。持ってみると薄くやわらかい。
「皮を!錬金したんですか?」
「いやいや、材料にはもちろん皮を使ったがの。皮そのものを錬金したわけではないんじゃ。魔法もそう万能ではないからの」
シンジはこの手袋を送られた意味はわかった。「隠しておかなければ、トラブルの元になる」そう言いたいのだろう。
「ありがとうございます、ありがたくいただきます」
(ふむ、察しも良いのう)
「うむ、わしの固定化もかかっているからの、まあ40年は大丈夫じゃ、大事に使ってくれよ」
シンジが重ねて礼を言おうとしたら、いきなり立ちあがったルイズに遮られた。
「40年、オールド・オスマンの系統はやはり土だったのですか」
さて、オールド・オスマンの系統は謎である。土のオーバースクエア(スクエアの超上級者あるいは熟練者)とも、オールドットスクエア(すべての系統を一つずつ持つもの、基本的にはいないとされる。例外は始祖ブリミルのみである)とも言われている。
なにせ、学院において、簡単なコモンスペル以外使っているところは誰も見たことが無い。
案外、唯のラインかトライアングルメイジかもしれない。もちろん、そうであったとしても、彼の偉大さをいささかも減じるものではないが。
「ふぉっふぉっふぉ、さてどうかの?」
シンジはルイズをたしなめるため肩に手をかけ座らせた。
「ルイズ様、ルイズ様、失礼ですよ」
だが、この発言にオールド・オスマンが目を光らせた。
「あ~いや、良いんじゃ、良いんじゃ、……ところで……の」
そういうと、オールド・オスマンは立てかけてあった自分の杖を持ち、立ち上がって窓際に移動した。
風景を眺めるためでないことは、シンジとルイズの座るソファーのほうを向いていることでわかる。
ミスタ・コルベールも自分の杖を取り出し、緊張気味である。シンジも変に緊張した空気に当惑した。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは大貴族の娘じゃ。そして、ヴァリエール公爵の跡継ぎでもある。したがって、いずれ彼女はふさわしい相手と結婚するじゃろう。そのときおぬしはどうする心算かな?」
「えーと、その時はルイズ様のだんな様が僕の主人ということになるのでは?」
「彼女の夫が!あるいは彼女自身が!おぬしを邪魔だと思ったら!?」
「その時は、うーん、ロバ・アル・カリイエに戻ってみようかと思います」
これは本当である、シンジはいずれ日本のあの場所に戻ってみる心算ではあった。そして、そう答えると目に見えてオールド・オスマンとミスタ・コルベールの緊張が解けていくのがわかった。
「な、な、オールド・オスマン!!何という事を言うのですかぁ!!!」
黙って聞いていたルイズが爆発した。
「使い魔を見捨てるメイジなどメイジの風上にも置けません!私がそんなことをするとでも思っているのですか!」
「スマン、スマン、じゃがの、いわゆる『使い魔のお着替え』をするものはずいぶんな数になるのじゃ。……別に、そのことについて罰則が有る訳でも無いしの」
「私は絶対、そんなことはしません! ましてやシンジは人間です!」
「わしもそう願っとるよ。……ところでな、ミス・ヴァリエール、コントラクト・サーヴァントによって使い魔におきる5つの効能を言ってみたまえ」
急に話の方向を曲げられたルイズは、それでも優等生らしく律儀に答えた。
「え、は、はい、呼び出したメイジに従うようになる「服従」。
感覚を共にする『共有』。
過去を思い出さなくなる『忘却』。
人の常識を身につける『刷り込み』(安定とも言う)。
そして特殊能力を得る『特化』の5つです」
「ふむ、授業はよく聞いておるようじゃの」
オールド・オスマンはソファーに座りなおしルイズに向き直った。
「今、君はわしとミスタ・コルベールに対して怒りを口にしたが、彼はむしろ君をたしなめた。また、彼は君が結婚すると聞いても落ち着いてその夫に従うといった。追い出されるぞ、と言えば出て行くといった。ちと安定しすぎとりゃせんかの?」
「安定していて……まずいんですか?」
「正直、少々異常じゃの。なにせ彼に付いた『ルーン』はふたつ、常識で考えれば効果も2倍じゃ。ありていに言えば、惚れ薬を原液で飲まされたようになってもおかしくは無い」
「えーと、つまり…ま…さ…か」
「『服従』と『共有』が、うまくいってないのではないかな?」
ルイズは混乱の極みにあった。まさに天国から地獄である。勢いよく、シンジに向き直る。
「あああ、あんた、素なの!素で!いままで従っていたの?!」
「えーと、ルイズ様、そう言われましても、僕には何の事やら……素だとまずいんでしょうか?」
もちろん、ルイズは大貴族の娘である。それだけで人が従ってもおかしくは無い。
だが同時にメイジの端くれとしての矜持もある。
そして、シンジは始めての魔法成功の証である。
苦労して手に入れた自分だけの宝である。そう思っていた。
だが……。
「……」
ルイズは黙ってシンジを見ている。見つめている
「ルイズ様、実は朝ごはんを食べている最中に急にルイズ様に会いたくなったんです。ですから、ぜんぜん効いてない訳でもないのでは?」
それは、ルイズが実家にてよく耳にした同情の台詞と同質のものに思えた。
(違う、私が欲しかったのは伝説などという大層なものではない。小さくてもいい、弱くてもいい、そんなに聡明でなくともいい、美しくなくともいい、誰にも文句のつけようのないメイジの証がほしかっただけだ)
ルイズには、シンジに『服従』が効いているのか、いないのかはわからない。だが確かに『共有』は効いていなかった。
彼の見るもの聞くもの、感じるもの、どれも彼女には伝わってこない。
(彼は最高だ、優しく強く聡明だ……彼が従者なら、あるいは友人なら良かった。だけど彼は使い魔だ。私にはたしかによく従ってくれる。でも、恩でも情でも、その他の物でもなく、私の魔法で従って欲しかった……)
それは、ある意味メイジ至上主義のひどい考え方だったが、それでも嘘偽りの無い気持ちでもあった。
ルイズは、失望の溜息をついた。
「オールド・オスマン、申し訳ありませんが、気分が悪いので退室させていただきます」
ルイズはそういうと素早く、学長室から出て行った。溢れる出る涙を誰にも見せたくなかった。
「ルイズ様、……すいません学院長失礼します」
「女の子を泣かせたら責任を取れ」 いつか誰かに言われた台詞。
シンジは素早く立ち上がり、オスマンとコルベールに頭をさげ、彼女を追いかけた。
ルイズは学院長室から逃げ出して走りながら、昨日の夜から今日までの事を思い出す。
(服従も、共有も、忘却も、刷り込みも……ううん、下手をすれば特化だって、あいつのそのまんまの力かもしれない。あたしがあいつに与えたのは、ご大層な名前のルーンだけ。
あいつは長い間一人ぼっちだったっていってた。
だから、差し伸べた手にすがりついただけなんだ。
久しぶりに会えた人間に、うれしかっただけなんだ。
あたしはそんなことも知らずに、あいつに「ご主人様と呼べ」なんて言ってたんだ。
いい気になって……命令してたんだ。
さみしさから、あたしにすがっていた子供に。
でも、でも、あいつは一言も不平を言わず従ってた。
授業中の魔法だって、あいつがいなきゃ、きっとまた爆発していた。
それでもあいつは文句も言わなかった。
なにが貴族だ。なにがメイジだ。あたしは、あたしは……)
負の感情が生み出す思考は、なかなか止まってはくれなかった。
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シンジはルイズをちょっと前に決闘をした広場で見つけた。シンジは正直、なぜ悲しんでいるのかわからない、どう声をかければいいのかも。ルイズはシンジに後ろを向けたまま、立ち木に頭をつけて震えている。
「ルイズさ……」
「何も言わないで!」
「……」
「わかってるわ。あたしは貴族としてしか生きられない」
そう言いながら、右腕の袖で思い切り顔を拭く。
「ルイズよ!」
「えっ」
「『様』なんていらないわ!これはあたしの決意の印」
そう言ってやっとルイズはシンジに向き直った。
「あたしは、今よりもっと努力して、勉強して、レベルを上げて、いつかあんたを魔法で従えるメイジになるわ。あんたの心にあたしのコントラクト・サーヴァントを届かせて……。そしていつか、『伝説の使い魔』を、すべてあたしの物にする」
この台詞には、さすがにシンジも苦笑いを返すしかなかった。
(それって、洗脳を成功させるって事だよね。 本人を前にしてそんなこと言っていいのかな?)
「でも今は駄目、今のあたしは唯のゼロでしかない、『伝説の使い魔』にご主人様と呼ばれる資格が無いわ」
ルイズはちょっと俯くが、すぐに顔を上げシンジの目を正面から見据える。
「だから、だからあたしのことは「ルイズ」と呼んで頂戴、いつかシンジから見て立派なメイジになったと思ったら……」
「かしこまりました。 ルイズ様」
「ぶっ、『様』付けんなって言ってるでしょ!」
「えー、そんなこと言われたって急には無理ですよ」
(むう、このヘタレ使い魔が)
「いいから、命令よ!ほら言って御覧なさい」
いろいろと理不尽な台詞である。
「ルイズ……さん、ぐらいで妥協しませんか?」
「うーん、しょうがないわね、当分はそれで我慢してあげるわ」
シンジはほっとした。彼の精神年齢は未だ14歳程度である。精神年齢とは他人との付き合いにより向上する物だ。シンジにはそれが無かった。したがって、実年齢はともかくとしてルイズは年上のお姉さんである。
呼び捨てにするなどなかなか出来るものではなかった。
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「オールド・オスマン」
ミスタ・コルベールは冷たい視線を学院長に向けた。
「コホン、あー、ちょこっとしくじったの」
「ちょこっとではありませんぞ、下手をすればこちらを警戒させるだけに終わったかもしれません。
おまけに本人の前で、コントラクト・サーヴァントの説明をさせるなど!寿命が10年は縮みましたぞ」
「うーん、まだいろいろ聞きたいことがあったんじゃがのう。ま、おおむね心配は要るまい」
ミスタ・コルベールにはそれがひどく暢気な物に聞こえた、だが。
「確かに、彼からは邪気のようなものは感じませんでしたな」
「無邪気がすべて良いとは言わんが、わしも同意見じゃ。ふたりとも良い子じゃの」
オールド・オスマンは杖を振り、『遠見の鏡』を消した。
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さて、シンジの長い2日目はまだ終わらない。
ルイズは気持ちが落ち着くと不意に、お昼に思いついたことをシンジにお願いしようと思った。
「シンジ、あのね、お願いしたいことがあるの」
「……」
「ちょっと返事ぐらいしなさいよ」
「……」
シンジは背中を向けたまま、押し黙っている。どうやら空を見ているようだ。
太陽はすでに西の空に沈み、彼の見ている方向にあるのは中天に高く上がった月である。
「まあ、シンジったら、お月さまに見とれるなんてずいぶんとロマンチストだこと」
「……」
(あらあら、ホームシックかしら、まあお月様なんてどこ言っても変わらないものね。今日は特に“二つとも”きれいな満月ですもの、きっと故郷を思い出してるのね)
そんなことを考えながら、ルイズはそっとシンジの表情を盗み見る。
さて、聡明なるアルカディアの読者貴兄においては、すでにシンジがどういう状態か想像に難くないかと思われますが、今しばしのお付き合いのほど御願いいたします。
シンジはポカンと口を開け本当に月に見とれているようである。
ルイズはシンジのことを14歳ぐらいに見ていたが、今はもう少し幼く見える。
「ルルルルル、ルイズ様、いやルイズさん、あそそ、あそこに見える月を見て、あいつをどう思う……」
(あらやだ、あたしを口説くつもりかしら、ううんシンジのことだもの、きっとあたしを慰めようとしているのね。でも月光の下でなんて、すっごいロマンチックね……ちょっとベタだけど)
「すごく、大きくてきれいね」
「う、うう、うんきれいだよね……月って二つあったっけ?」
「まあ、ロバ・アル・カリイエではひとつしか無かったの?ハルケギニアでは有史以来ずっと2つの月が輝いていたわ」
「……」
ルイズはシンジが冗談を言おうとしているか、または落とし話をしようとしていると思った。
だがいつまでたってもオチがこない。
「……」
ただ、黙って月を見上げているだけだ。
(んんん?なんかミスったかしら?)
(月が二つ、ここは地球じゃないのか?いやいや、そんなわけが無い。ボクの話が伝わっていて、しかも住民がATフィールドを使う……)
シンジは必死にここが地球であることの根拠を探していた。
そうでなければ、何か足元から地面が崩れそうな不安な気持ちが持ち上がってくるのだ。
だが、月が二つという現実は変わることが無い。
ルイズの態度を見るにそれは当たり前の光景のようだ。
シンジが眠る前に見た夜空にはそんなものは無かった。
小さなほうの月はいつもの見慣れた月に見える、だが大きなほうの月はどこか表面がツルンとして、まるで人工物のようだ。
結局、わけがわからずシンジは双月を見ながら立ち尽くしている。
ルイズにはそんなシンジの心情は知らず、ただ月の美しさに見とれているだけ、
あるいは月を見て、昔を、故郷を思い出しているのだと思っていた。
ふたりの心は微妙にすれ違い、ただ二つの月が美しく輝いていた。