そして夜が明ける。
シンジは少し早起きをして城壁の上を歩き回っていた。何人かの見張りの兵士たちが、同じように城壁を見回っている。いささか眠そうにあくびをしながら歩き回る彼に会うと、皆杖を立て、挨拶を交わした。
「おはようございます。ミスターガンダールヴ。夕べはよくお休みになれましたか?」
「おはようございます。シンジです。皆さんこそ夜からですよね。ご苦労さまです」
シンジは丁寧に頭を下げて、返事を返す。
ふと、上空を見れば珍しく早起きしたのか、シルフィードが気持ちよさげに空を舞っていた。顔を出したばかりの朝日に、その青い身体が照らされキラキラと輝いている。それはまるで一枚の絵画のように美しい光景だった。
昨日の宴会で大量の食事を振舞われたのは何も人間ばかりではない。 彼等使い魔たちも残っていた食材を大量に出され満足した様だ。
ところで、朝早いのは人間たちばかりではない、見張りのためか大量の使い魔たち、それに城内に残る軍用の幻獣たちが、中庭に集まっていた。
「壮観ですね。 みんなビシッと決まっていてかっこいいな」
「はは、彼等も、何か主人たちの覚悟のようなものを感じているのでしょう、おお普段寝ぼすけの「フェネアン」までがこの時間に起きているとは」
そう言って、その見回りの兵士は哨戒に戻っていった。
見れば、四足のものはキレイに方向をそろえ、この高い城壁を見上げている。 また羽のあるものは城のあちこちを止まり木に、大きな鷹からふくろうのような夜行性のものまでがまるでシンジを見つめるように同じ方向に向いていた。
そーっと、うしろを振り替えれば、当然そこは城壁の上だ、何もあるはずが無い。だが、太陽が顔を出し、朝焼けがきれいである。
今日は曇りに近い天気だが、まあまあ晴れといっていい。日の出に起きて太陽を拝むのが、この城の使い魔たちの習慣なのかと思い、彼等の視線を邪魔しないようにと移動する。だが移動しても彼等の視線はシンジから外れること無く、彼の移動方向へと付いてくる。
「……えーと?」
「はは、人気だな相棒」
背中の魔剣が突っ込みを入れてきた。
「やあデルフ、おはよう。僕が人気な訳じゃなくて、このルーンのせいじゃ無いの?」
そう言って、右手を上げる。
「ちげーよ、ヴィンダールヴのルーンは、これと決めた幻獣の心を思うがままに操り支配する。精神と心理をつかさどるルーンだ。正直、相棒のそれは、…弱いね」
弱いと言われても、さほど気にしたふうでも無く、右手をひらひらさせる。
「まあ、二つもくっついてますから。それぞれが弱くなるのはしょうがないんじゃないの?」
「んなこたねーよ、……んでも、ガンダールヴとしても歴代最弱だな」
「歴代って、そんなにいっぱいガンダールヴって居たの?なんか6千年ぶりとか聞いたけど」
「ん、んー。 まあ実は結構な、……そして、なんでか知んねーけど、ガンダールヴは必ずおいらを見つけて相棒にするんだ」
「へー、へー、へー」
シンジは右手を胸の前で上下に動かす仕草をしながら感心?した。
「それやめれ。ついでに言っとくとガンダールヴはたいがい単純馬鹿がなる」
「まあ、否定しないよ」
「そう言って冷静に返してる時点で、ガンダールヴとしちゃ失格だな」
「なんで?」
「単純も馬鹿も才能の内だ、ガンダールヴは心の震えで、感情のふり幅で強さが決まるからな。 剣を振ってる最中に他のこと考えてるやつ、よそ事を思い浮かべるやつ、変に冷静なやつじゃ駄目なのさ」
「ふーん」
「ヴィンダールヴは逆だな。こっちはあんまり会ったことがねえけど、まあ飄々として何考えてるか、わかんねーやつばっかだったな。どうやって心を震わせていたのやら」
「デルフって物知りだね。みんなに教えてあげればいいのに」
「よっせやい、照れるじゃねえか。まあ相棒もガンダールヴとしちゃ弱いってだけで使い魔としてなら最高だろ」
「駄目だよ、デルフ。ルイズさんが夕べ、なんて言ったか聞いてたよね……」
「んー、まあいいさ。オイラももう引き止めんのはやめとくよ、剣はいずれ収まるべき鞘に収まるらしいからな。…それに…」
(相棒が弱いと、おいらも安心なのさ)
第二十七話 化身
ルイズはまんじりともせずに目覚めた。
昨日、シンジに出て行くと言われたこと、ウェールズ皇太子やこの城の人たちの運命、最後の戦いそういったものが頭をぐるぐると回り、彼女を中々眠らせなかったのだ。
「起きてるかいルイズ」
ノックの音と共に、ワルドの声が聞こえてくる。ぼんやりとした頭で返事をして扉を開く。
「あ、ジャン……」
ワルドは、すばやく腰を折り、片膝をついてルイズの右手を取る。そして手の甲に接吻をする。
「さあ、今から結婚式だよ。 君によく似合う白いドレスとブーケ、そしてティアラ(金冠)を頭に載せるんだ。冠には君の髪によく似合う白い花をあしらおう。借り物だけど純白のマントを身につけて、君は今日、僕の花嫁になるんだ」
「……ええ」
ワルドの早口な言葉に生返事を返す。
戸惑いと寝不足と昨日一日に起こったすべてのこと、死に赴く王子たち、……それらすべてがルイズを激しく落ち込ませ、彼女を寝不足にしていた。
ワルドの空けた扉からは数名のメイドたちがわらわらと出てきてルイズを取り囲み、プロの手並みでしゅるしゅるとドレスに着替えさせていく。彼女らは皆、結婚話を聞いて、これが最後のご奉公と「マリーガーランド」号にいまだ乗り込まず、花嫁の準備に残った者達だ。
「貴族様、ウェールズ様と共に礼拝堂でお待ちくださいな。花嫁はシャンと着飾って必ず花婿殿の前まで送り届けますゆえ」
メイドの一人がそれらを物珍しそうに見学をしていたワルドを追い出した。
始祖ブリミルの像が置かれた礼拝堂で、ウェールズ皇太子は新郎と新婦の登場を待っていた。 この礼拝堂はアルビオンでも古くから使われている由緒正しい礼拝堂である。戦争中できらびやかな装飾こそ無いものの、王族の儀式に相応しい荘厳さがある。
今は戦の準備中の為、彼の服装も皇太子の礼装とはいえ簡素なものだった。明るい紫のマント、七色の羽飾りの付いた帽子。それ以外は戦装束と言っていい格好である。
そして、チャーチ(信徒用の長椅子)に座るのは誰もいない。他のものはすべて、逃げ出すか戦の準備で忙しいのだ。 他には誰も……。
(ちょっと、押さないでよ)
(しー、ばれるじゃない)
(……)
(君ら、少しは慎みという物をだね)
ウェールズはため息を一つつくと、杖を取り出し魔法を紡いだ。
『出てきたまえ、お嬢さん方』
口調は静かに、音量は高く、ピンポイントで奥の席に音を飛ばした。
「ひゃっ」 「……ッ」 「きゃっ」 「うおっ」
出てきたのは案の定、ルイズにくっついてきた彼女の同級生三人と護衛のギーシュだ。本来であればキュルケやタバサ、ギーシュ達は「マリーガーランド」号に乗り込み、いざと言う時のためシルフィードをその上空に飛ばす手はずになっている。無論ワルドとルイズも結婚式が終わればグリフォンで順次逃げ出すことになっている。
「……はずじゃなかったかな?」
「ああ、いやーその」
「同級生の結婚式ですもの。 友人代表ですわ」
「将来の参考にしようかと……」
「……」
ウェールズはため息をもう一つ吐き、諦めた。
「ただし、……」
「わかっています。コレが終わりましたら、すぐさまシルフィードに乗り込みこちらを離れます」
扉が開きワルドが現れた。
最前列に座る座る四人組を見つけ、いささか渋い顔をした。
「花嫁はどうしたかね?」
「申し訳ない、まだ着付けの最中です。 とんだご迷惑を……」
「いやなに、かまわんさ。夕べからずいぶんと世話になりっぱなしだからな。時間は、まだある」
ワルドはこれを、昨日のルイズとシンジの魔法のことだと思った。
「ところで、殿下」
「ん?」
「本日の殿下は、本物でしょうな?」
ウェールズは苦笑いをしながら、この疑問に答えた。
「はは、初見の者にはそう簡単に見破られたことの無い偏在『ダブル』なのだがね。よく見破ったな。 さすが魔法衛士長殿というわけだ。惜しいな、君のように優秀な騎士が私の親衛隊にあと十人もいれば、今日のような日を迎えずにすんだというのに」
心底残念そうにウェールズは愚痴をこぼした。ワルドは黙って頭を下げる。
「……では、王家の秘儀のひとつでありましたか。これは眼福でしたな」
「まあね、だが知っての通りあまり作りこむのは実戦向きじゃ無いがね。ああ、もちろん、今の私は正真正銘、本物のウェールズだ」
風メイジの奥の手、偏在だがこちらもいくつかの種類がある。
操り手がすべてを操作する操り人形のようなもの、ワルドの作った二つ重ね、ほぼ分身といってよい精密なもの。真正面からの戦いの時に偏在を使用する時は、軽く量を作るのが戦術の一つでもある。
もっとも、そうして作った偏在は横から見れば薄っぺらくみえる為『扁平』などと呼ばれている。
だが、軽く作られている分すばやさは上がり、精神力の消耗が少ないのだ。しばし、ウェールズと歓談をしていたが、やがて控えめなノックの音がする。
「お待たせいたしました。花嫁をお連れいたしました」
言葉少なに、若いメイドが花嫁衣裳のルイズをつれてきた。
ルイズはあごを上げ、ワルドを見つめる。
「……ジャン」
「やあ、来たね。 ぼくの花嫁。派手な披露宴は国へ帰ってからだが、かまわないかな」
ワルドはルイズの手をとりエスコートする。
始祖ブリミル像の前に立ったウェールズの前で、二人は並び立ち一礼をする。ワルドは城で借りた、純白のタキシードと白いマント、ルイズのそれはやはり王家より借り受けた純白のドレスと、新婦しか身につけることを許されぬ純白の乙女のマントである。頭には新婦用のティアラと、魔法の力でいつまでもみずみずしさを失うことのない花があしらわれていた。
「では、式を始める」
ウェールズの声が響く。
「まずは潔斎せし我が魔法にて、二人共に邪なる魔法の無いことを確認する」
ウェールズの「ディテクトマジック」が二人を洗うように清めるように、また守るように包んでいく。
そのような魔法に二人ともかかっていないことを確認し、深くうなずく。そして、祈祷書を右手に祈祷の言葉を朗読を始める。
「この麗しき日に、始祖の調べの光臨を願いつつ。
ウェールズ・テューダー。祝福の詔を詠み上げ奉る。
汝らは清浄なり。
清浄なるが故に、心体健やかなり。
心体健やかなるが故に、天地の精霊と同根なり。
天地の精霊と同根なるが故に、万物の霊と同体なり。
万物の霊と同体なるが故に、祈願成り就わずということなし」
王子の声が耳に届く。 しかしルイズにとっては夢の中での声のように、心もとない響であった。
かなり省略された祈祷が終わり、誓約の儀が始まる。
「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか」
ワルドは重々しくうなずいて、杖を握った左手を胸の前に置いた。
「誓います」
ウェールズはにっこり笑ってうなずき、今度はルイズに向き直る。
「新婦、ラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール… …」
朗々と、誓いの儀が読み上げられる。
そして、今が結婚式の最中だということに、ルイズはやっと気づいた。相手は、昔からの憧れの人。 二人の父が交わした結婚の約束。幼い時ぼんやりと考え、また夢みていた未来。
それが今、現実のものになろうとしている。
そのころ、シンジはニューカッスル城の外壁の壁上で外を眺めている。
城は、大陸から突き出た崖の上に立っており、敵が来るなら方向は決まっているのだ。敵の空軍艦は眼のよい使い魔と、それを共有しているメイジが警戒している。実際、三リーグほど向こうの森の中には五万の敵がいるはずなのだ。 敵もそれを隠そうともしない。当たり前だ、城の兵力はわずかに三百。本来であればとても抗すべき兵力差ではない。
ちらりと振り返り礼拝堂のある方角を見る。今頃は、結婚式の真っ最中だろう。
(一目ぐらい、見ておけばよかったかな)
いやいや、と頭を振りそんな思考を追い出す。
(僕って、結構縁起が悪いもんね。おまけに昨日は、『あんたみたいなのが使い魔だなんてサイテーだわ』とか言われちゃったし)
「……がんばってきたつもりなんだけどな」
などと、マイナス方向の妄想をしながら、外壁から敵を見張りつつ歩いていた。と、そこに城の方から『フライ』で飛んできたものがいた。 白い結婚衣装のワルドだ。
「あれ?ワルドさん、結婚式はどうしました」
目の前に現れたワルドは、大仰に手を広げ肩をすくめた。
「僕らのお姫様が、君の祝福が欲しいと、駄々をこねていてね。結婚式は中断中だ。君がここで何をしているかを理解しないわけではないが、すまないがちょっとご足労願えんかね」
「ええ!えっと……」
シンジが何かを言いよどんでいると、ワルド(の偏在)はすらりと杖を引き抜いた。
「トリステイン王室!女王陛下直属!魔法衛士グリフォン隊!隊長のジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵である!」
杖を胸に、口上を述べる。
「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔、シンジよ。 勅命である。 主人とその夫に逆らうつもりか?!」
それは、いつぞや聞いた、学園長の大声にも匹敵するもので、それにプラス有無を言わさない迫力があった。
そして、ワルドはそこまで言うと、にやっと笑いシンジに顔を近づけて小声で言う。
「『勅命承りました』だ、シンジ君」
「ちょ、勅命、承りました!」
あっけに取られていたシンジだったが、はっと我に返り、反射的に言ってしまった。
ワルドはそれを聞き、またニヤッと笑う。
「さて、お姫様の前に出る前に、ちょっと着替えるとしようか」
見れば、シンジの服は、城に来た時に当て布と針糸を借りてかなり修繕したものの、あちこちがボロボロである。
焼け焦げた袖などは、どうしようもないため、切り取って片側だけを半袖にしている。
ワルドは、シンジを伴いニューカッスル城の端の部屋に飛んでいく。
「殿下。ワルド様。わがままを申しましてまことに申し訳ありません」
「何、かまわぬさ。いまだに敵が動いたとの報告は無い。よほど昨日の魔法が堪えたと見える」
「そうそう、使い魔が主の下を勝手に離れようなど許せるものではないからな」
礼拝堂でシンジとワルドの『偏在』の到着を待つルイズ。
ルイズは気持ちを落ち着かせ、心を集中する。すると視界が一瞬曇った。一週間ほど前から経験している感覚の「共有」だ。
まだ誰にも言っていないが、少しずつ自分が普通の魔法使いに近づいていくのを感じる。それでもまだ、感情が高ぶった時、よほど集中している時にしかこの能力は使えないが。ルイズは感覚を選択し、シンクロ率を高める。今、ルイズの脳裏には、シンジの視界が映し出されている。
城壁でのシンジとワルドの偏在との会話も聞いていた。服なんかどうでもいいのにと思ったが、その気遣いは素直にうれしかった。
今、ワルドとシンジがどこかの客間に入った。この礼拝堂からは、ずいぶんとはなれた場所だ。
(シンジ君、こちらの黒の上着とズボンには着替えたまえ。剣は預かっておくよ)
(気をつけろよ、相棒。この城はそこらじゅう”固定化“だらけで、オイラでも薄ボンヤリとしかわかんねえんだ)
(大丈夫だよ。外にはワルドさんもいるし、僕もナイフを手放さないようにするから)
(じゃあ、外で待ってるから。早めにな)
そう言って、ワルドは扉から出て行く。
シンジは、ひとり客間で下着姿になる。すると奥の方に人の気配がした。シンジはいぶかしく思い、用心深くナイフを構えながら客間のドレッサーを開く。そこには逃げ遅れたのであろうか、一人のメイドが、短剣を持ちブルブルと震えながら隠れていたのだ。
「あれ、メイドさん、どうしてこんなところに?みんなもう逃げ出していますよ」
「あ、あの、わたし」
気が動転しているのか、どうもお話にならない。仕方無しにシンジはワルドを呼びに、彼女から目を離さず後ずさりながら扉に近づいていった。扉にくっつくようにして、ノックをした。
「ワルドさん、ちょっと入ってきてもらえますか」
「うん?」
「どうも逃げ遅れたらしい、メイドさんが一人います。なんか腰が抜けてるみたいです」
ワルドが扉をあけ入ってきた。
「どれ、逃げ遅れたって?」
ワルドがシンジのうしろに立つ。
シンジの胸部に氷を押し付けたような冷気が走り。 次に感じたのは灼熱の痛み。
「え?」
見下ろせば、シンジの薄い胸板から青い光をともなった杖の先端が顔を覗かせていた。風の速さで「ブレイド」は彼の胸を貫き、また引き抜かれていた。
叫び声は出なかった。
「ぎゃああああああぁぁぁぁぁ… …」
傍目には、シンジを待ち、ただボーっとしているだけの様に見えたルイズが叫び声を上げる。ワルドはいきなり悲鳴を上げたルイズに驚愕し、その後、心配そうにルイズに近づいた。
「どうした、ルイズ!」
「ジャ、ジャン、……あな、あな、シン、シン、ジ、を… …」
それを聞き、ワルドは眉根をよせる。
ルイズは歯の根が合わない、ガチガチと怯え、近づいてくるワルドを見据える。何が起こったのかわからない。いや、わかってる。だが思考が理解を拒む。
「い、いやっ!」
ワルドの手がルイズに触れた瞬間、すべての情報がルイズの脳に飛び込んでくる。拒否していた恐ろしい回答が、その聡明さで導引き出されてしまう。
彼は……。
いきなりの展開に、ウェールズは首をかしげた。
「子爵殿、新婦のご様子が優れぬようだが大丈夫かね?」
「い、いや、緊張しているのでしょう。ご心配には及びません」
……ワルドは、裏切り者だ。なぜシンジを刺したのか?決まってる邪魔をさせないためだ。
何の邪魔を?
ウェールズは二人に近づいてくる。アルビオン王党派最高司令官で、この国の最強と言われた風メイジが、無防備に……。そして心配そうに二人の顔を見る。
ウェールズと目が合った瞬間、ワルドの顔から表情がすべて消える。彼の二つ名「閃光」のようにすばやく杖を引き抜き高速詠唱。
圧縮された精神力が、杖を通して螺旋状に回転、先端と杖身にその魔法効果を現した。すなわち「ブレイド」。 青白く光る風メイジの高圧結界がウェールズの体に延びていきその体を……。
「何をしていた。 “地下水”、『スリーピング・クラウド』で眠らせる手はずだっただろう。 おかげでしなくていい殺しをする羽目になったぞ」
「『偏在』のあんたにはわからんかもしれんが、ちゃんとかけたよ。こいつがちっと鈍いだけだ」
「ふん、まあいい。用意していた『スキルニル』も不要になったようだしな」
地下水と呼ばれた女性の手には、二十サントほどの人形が握られていた。それはガーゴイル(魔法人形)と呼ばれているマジックアイテムの中でも、特別なもの。血を吸った人物に変化し、その能力もコピーすることが出来る古代のマジックアイテムだ。当然ながら、禁制の品である。
「え、だって、こいつ『ガンダールヴ』なんだろう?もったいねーじゃねえか」
「お前も、物を知らんな『ガンダールヴ』とはルーンのことだ。そしてルーンは心臓が数秒停止しただけで消えるんだよ。そいつはもうただのガキに戻ってるはずだ。『スキルニル』に血を吸わせてもただのガキに変化するだけだ」
「ちえ、そうなのかい。 コレクションが増えると思ったのにな」
ワルドの偏在は、それには答えず、すでに部屋から出ようとしている。昨晩聞いた『共有』が効かないというのはどうやらルイズの嘘だったようだ。計算違いもはなはだしい。
ワルドとしては、むしろ逆の方を心配していたのだが。即ちルイズの危機に使い魔のルーンが反応することである。廊下に出ると、転がされている魔剣がわめいていた。
「ここここここ、この卑怯者!俺の相棒をよりにもよって後ろから刺しやがったな……」
ワルドの偏在はそんな文句には一瞥もくれることなく、本体の待つ礼拝堂に急いだ。
「まちやがれ!すっかすかの空気野郎が!」
いくら、わめこうが伝説の魔剣だろうが、剣は剣である。 手足の無い悲しさ、担い手がいなければ身動きできないのだ。 それでも偏在がその場から消えるまで散々にわめき散らしていた。
「ちっくしょー、相棒ぉー」
「およ、お仲間かい?」
そう声をかけてきたのは、件の“地下水”と呼ばれていたメイドだった。
「お仲間だとぉ。……インテリジェンス・ナイフか!」
「へへ、そういうこと。あんたこいつの“使い手”かい?」
「逆だ、相棒が俺の使い手なんだよ。そんなことより、頼む。俺を相棒のそばに連れてってくれ」
“地下水”はちょっと悩んだ後、その願いを了承した。
「いいぜ、その代わり、一メイルは離させてもらうし、俺は、いやこの体ではあんたの柄は絶対にぎらないぜ」
地下水はどうやら自分の柄を握った人物を操ることが出来るらしい。そんな自分の能力に合わせた用心深さだった。
「ああ、かまわねえ。せめて見取ってやりたいだけなんだよ」
「ずいぶんとまた、ご執心だな。こいつとは長かったのかい」
「二ヶ月ちょっとだ。 そんなことはどうでもいい。こいつは本当に俺の使い手だったんだ」
「ふーん、『本当の使い手』とはね。まるで伝説のデルフリンガーみてえな言い分だな」
「……」
ふた振りの魔剣は、内戦の前はおそらく客間とし使われていたであろうその部屋に入った。
シンジは扉のすぐそばに倒れていた。 着替えの途中だったのだろう、上下共に下着姿だった。左の肋骨の下辺りに、下着の破れたあとがあった。 おそらくはそこを刺されたのだろう。流れ出した血は、とめどなくその高価であろう絨毯を染め上げていた。
「ああああ、相棒ぅ。せっかくもうちょっとで……」
「結果は、そうかわんねーと思うけどな」
嘆くデルフにちゃちゃを入れた地下水だったが、次の言葉に疑問符を浮かべた。
「……人間になれたのになぁ」
「おい、そりゃ、どういう……」
……意味だと聞く前に、真っ赤な火柱が、その部屋を上下に貫いていた。
ウェールズはワルドの顔を見た。次の瞬間彼の顔からすべての表情がすーっと消えるのを目撃する。
瞬間、彼は理解した。
(ああ、これはあれだ。例のやつだ)
内戦が始まり、捕えられていた親友ともいえる友人が自力で逃げ出したと聞いて、喜び勇んで合いに行き自分が顔を見せた時も、将の一人が会議中にいきなり自分に近づいてきた時も、果ては自分の乳母がいきなり自分を訪ねて来た時も、こんな顔をしていた。
即ち、知り合いがいきなり暗殺者に変わった時だ。
ワルドの高速詠唱が終わり、杖に青白い光がかぶさる。対して、ウェールズはやっと、杖に手をかけただけだ。
(ああ、これは一手足りないな)
それでもその手は反射的に杖をつかみ、予想される『ブレイド』の軌道に杖を持ち上げ防ごうとした。
爆発と振動が礼拝堂を襲った。
「……こちら、第三斥候部隊。上空待機中の空軍艦すべてに告げる。降下を中止せよ」
「……こちら、レコン・キスタ空軍司令長官サー・ジョンストンである。なにがあった」
ここは、ニュー・カッスル城手前三リーグに位置する森の中である。
十名ほどの部隊が、いくつかの魔法装置を手に斥候を行っていた。個人のディテクトマジックでは不可能なほどの遠距離の観測をマジックアイテムを使い可能にしているのだ。そして、森と、どうやらはるか上空で待機しているらしい空軍艦との通信はメイジ同士の使い魔を交換することで行われている。
「現在、魔法測定機器の調子が悪く、観測が不十分な為、目視情報のみを告げます。
まず、目標のニューカッスル城、第四尖塔地点より火柱。奇妙な火柱で空中に十字を描いています。
……火柱は二秒ほどで収束、火柱の消えた後に、赤く十字の形をした塔が立っています。塔の高さは、目視で三百メイルほど、中央から延びる腕の長さも高さと同じくらいです。王党派の何らかの魔法兵器の可能性あり。見極めが終わるまで降下を中断、あるいは延期を進言いたします」