夢は見たくなかった。
必ず悪夢になるから。
他人は怖かった。
僕を傷つけるから。
でも誰でもいいから他人に会いたかったんだ。
一人ぼっちの世界はあまりも寂しすぎるから。
第二話 見知らぬ世界
少年は、ゆっくりと目を開けた
「知らない天井だ」
少年は、どこか知らない部屋のベットで目覚めた。ややあって、今までの記憶がいっせいに襲ってきた。
(そうだ、ボクはどこかの草原で、アスカに……いや違う、にてもいない女の子だった。そしていきなりキスされたんだ。そしたら全身が熱くなって、全身を焼かれたように痛みが襲ってきて……)
「目ぇさめた?」
ふっと声のしたほうを見ると、先ほどのキスの相手だった。
「君は?」
「そっちから名乗りなさいよ!」
「ご、ごめん、ボクは碇シンジっていいます」
シンジが名乗るとルイズは、いやそうな顔をして言った。
「それ、本名?」
シンジが頷くと、ルイズは眉をひそめ、盛大にため息を吐いた。
(なんだ、なんだ、なんで名乗っただけで呆れられるんだ?)
不思議に思い問い質すと。
「本当に知らないの?イカリ・シンジは精霊の英雄、泣き虫の勇者。命と魂を削り人と世界を救った。……まあ御伽噺の主人公の名前よ。 あんたの両親はちょっとアレな人たちだったみたいね」
「うーん」
シンジは、ひさしぶりに両親のことを思い出すと一概に否定できなかった。
父親は、母に会うためにだけ、人類を滅ぼした。母はよく知らないが人類の墓標になるためエヴァに残った、そして宇宙に飛んでいった。……よくわからない。
「まあいいわ、ところで、起きたんならそろそろ、ベットから降りて」
シンジは、そういわれて初めて、部屋の主のベットを占領していることに気が付いて、あわてて上半身を起こしそこから出た。体には身に覚えの無い服を着ていた。
「この服は?」
「使用人の作業着をもらってきたの、素っ裸のほうがよかったかしら」
「は、裸、いや、ありがとう」
シンジは今の会話に微妙な違和感を覚えた。
「あの、えーと」
「そうそう、自己紹介がまだだったわね。あたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。知っていると思うけど、かのヴァリエール公爵家の三女よ。 私を呼ぶ時にはご主人様、わかった!?」
またも、違和感を覚える。
「あのー、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールさん、」
「いきなり、フルネームで呼ぶな!それとご主人様!」
こう言う場合、逆らわないほうがいい事を遺伝子に刻み込まれているシンジは、
「はい、ご主人様、質問があるのですが」
「ん、特別に許すわ!言って見なさい」
「ここはどこなんですか?それに今はいつなんですか?あなたが、ボクのご主人様ってどういう事ですか?……そして……人は社会は復活したんですか?」
と、まくし立てた。
「い~い、シンジ、ここはハルケギニアにその名も高いトリスティン魔法学校。今はブリミル暦6214年4月3日。 あんたはあたしの召還に応じ召還の鏡をくぐった。あたしはあんたに契約の呪文を唱えた。 その結果あんたには『あたしの使い魔のルーン』が刻まれた。ご丁寧に右手、左手、の二箇所に、胸にもなんか書いてあるけど、それはあたしじゃないわよ」
シンジは両手の甲を見た。
忌まわしい記憶のもと、刻み込まれた聖痕よりも少し手首近くに、見たことも無い文字が書かれている。そして服をたくし上げて胸を見ると、そこには、見慣れたローマ文字で『リリン』と書かれていた。手の甲に刻まれた『使い魔のルーン』とやらは、火傷のように刻まれている。
胸の文字はどこかマジックか何かで書かれているように見える。
「人と社会が復活?ってどういう意味?」
「サードインパクトが起こって……」
「さーどいんぱくと? 聞いたことないわ!」
「そう……ですか」
考えてみれば、あの赤い世界でシンジは数百年ほど過ごし、あまりの辛さに意識を遮断し眠ってしまっていた。アレから、どのくらいたったのかわからないが、彼女の言い分を信じればこの世界、この国の歴史が始まって6千年以上経っていることになる。人類やほかの生物がいったいいつ、あの赤い海から帰ってきたのかは解らないが、下手をすれば、数万年を眠ってすごしていてもおかしくは無い。
「さーどいんぱくと、ってなに?」
「サードインパクトです、大災害です……」
シンジはそれっきり、口をつぐみ、その事についてはしゃべろうとはしなかった。
「んん、まあいいわ、こんどはあんたの事を教えてよ、どこの平民」
「日本って言って解りますか?そこの第三東京市出身です」
「ぜんぜん解らない、どこの田舎よ?」
「いえ、ボクの生まれた国です。あ~ご主人様、地図ってありますか?あったらちょっと見せて欲しいんですが」
ルイズは請われるままハルケギニアの地図を探し出す。
「すいません、こう言う地域限定の地図ではなく、世界地図をお願いします」
「えっ、なによそれ、これが世界のすべての地図よ」
「ええ、だってこの右側にも相当な広さの土地が広がっているはずじゃないですか!」
「はっはーん、解ったわシンジ、あなたロバ・アル・カリイエから来たのね」
「ロバ・アル・カリイエってなんでしょう?」
「この地図の右側、つまり東側はエルフの土地よ。そしてエルフがどれほどの国土を自分の物としているかわからないけど、ここから先は未知の世界、それらを総称してロバ・アル・カリイエって呼んでいるの」
そこでルイズは、あることを思いついた。
「ねえ、シンジあなた、世界全体の形というか、この地図の右側が書けるの?」
それは、見たところ、ヨーロッパの土地に見える。 ロマリアと書いてある土地はイタリアだろう。
すると、ガリアに相当するのがフランスとスペイン。 ゲルマニアはドイツ、ポーランドを含むその他のヨーロッパ全土ということになる。アルビオンと書かれた海の向こうの土地は少し形が変だがイギリスか。
「うろ覚えでよければ、たぶん全体を描けます。あ、紙と書くものを貸してもらえますか」
ルイズは、新しく珍しい知識を持つこの使い魔をだんだんと気に入ってきた。以前、授業でならった、『メイジの為にならない使い魔は、基本的に召還されない』というのをルイズは思い出した。
(けっきょく、魔法の使えない私に、其れなりにあった使い魔が召還されたということかしら、顔だってよく見ればかわいいし)
ルイズは机から羊皮紙とペンを取り出しながら、そんなことを考えていた。
「あのー、ルイ……ご主人様、」
どうも、知らない女性にご主人様というのは言いづらい。
「まあ、ルイズ様でもいいわ、なに」
「ありがとうございます、ここはトリスティン魔法学校だって言いましたよね」
「そうよ、そしてあたしはここの生徒」
「ま、魔法学校と言うことは、魔法を教えているんですか」
「当然よ! まさか魔法を知らないわけじゃないでしょう」
なにを、当たり前のことを言っているんだ、といわんばかりの口調だった。
「もしかして、もしかして。ルイズさんは魔法使いなんですか?」
「この国じゃ、メイジって言うのよ、あんたの国じゃなんて呼んでいるの」
「い、いやボクの国には魔法使いはいないんです」
「へっ、それじゃどうやって、国を支えているの」
「科学が発達していまして主にそっちの方で……」
「カガク、なにそれ」
シンジは、“いやいや、ここに科学が無いわけないな”と思い返し、機械化文明を説明した。
「はっふう、デンキ、モーター、エンジン、魔法を使えない人たちの、いいえ、使わなくてもいい世界ね!ちょっと憧れちゃった……それで、シンジはそのカガク使いなの」
(やっぱり、良く分かってないな)
「いいえ、ボクは……」
そこから、シンジは淡々と、自分は科学で作られた最強の兵器の使い手でそれがパイロットということ。「シト」と呼ばれる、スーパーモンスターが攻めてきたこと。それを自分を含めた3人で退けていたこと。最後に、どこからか飛来した同じ兵器にやられてしまい、国が(ほんとは世界中だが)全滅し自分だけが生き残ってしまった事。それからずっとひとりで生きてきたことなどを話した。
辛い記憶だが、久しぶりに人と話せる事の快感がそれを忘れさせた。
「まるっきり、御伽噺ね、あっ信用してないわけじゃないのよ!」
ルイズはあわてて付け加えた。
「いいえ、何の証拠もありませんし、信用してもらおうとは思いません。それにボクは……」
シンジは自分の身に起こった事。あの日、神の依り代にされた事で、人の身のまま、力の実、命の実を宿してしまい、人ならざる力を、決して望んだわけではない強大な力を得てしまった事は伏せた。それはとりもなおさず、この少女を怖がらせたくは無い、嫌われたくは無いと思う気持ちが自然と出てしまったゆえであった。
「ところで、ルイズ様、使い魔ってなんですか?」
「メイジが使役する動物や幻獣のことよ。あたしたちメイジは彼らの生活、食事なんかを保障する、その代わりに使い魔たちはメイジのパートナーと成り、メイジに付き従う」
「ふーん」
「“ふーん”って、あんたわかってんの、あんたがあたしの使い魔になるのよ」
「いや、よくわかってませんが、ルイズさんこそ僕なんかが使い魔でいいんですか?僕はどう見ても人間ですし……」
「しょーがないじゃない、“春の使い魔召喚の儀式のルールはあらゆるルールに優先する”のよ。
それで、あんたが来ちゃったんだから、あたしはあんたを使い魔にするしかなかったのよ」
「仕方ない、ですか……」
それきり、シンジは俯き黙り込む。
「まあ、あんたもあきらめなさい。あたしはもうあきらめたから。さっきの話じゃ国に帰るのも大変そうだし、帰ってもあんまり意味ないでしょう。あたしもあんたがいないと困るのよ、主に進級的な意味で。それにまあ、ご飯ぐらいは保障するわ」
「ご飯!!」
それを聞いたシンジは、とたんに顔を上げた。無理も無い、サードインパクト以降、しばらくは食べ物もあったが、すぐに無くなり、口にできるのはすべての生物が溶けた赤い水だけ、たまに濾過した水も飲むがそれだけである。
「あら、元気になったわね」
「いや、ご飯ですよね、今確かにリリンの生んだ文化の極み、ご飯って言いましたよね。使い魔やります。いやぜひ使い魔にしてください」
「なあに、そんなにお腹空いているの?晩御飯は終わっちゃったから、次は明日の朝よ」
「そうだ、ルイズ様、使い魔って何をすればいいんですか?僕はこう見えても家事全般料理洗濯なんでもできますよ」
「それは、メイドの役目だろう」と言いたかったのをグッとこらえ。
「そうね、まず代表的なもので、主人の目となり耳となる。感覚の共有っていうのがあるわ」
「感覚の共有?」
「要するに、あんたの見たもの聞いたもの、わたしも見たり聞いたりできるってこと。……けど、だめね。何も見えないもの。平民だからなのかしら?」
ルイズは既に幾度も試したのだろう。嘆息交じりにそう告げてきた。
「はあ」
シンジは気の無いそぶりを見せているが、内心ほっとしている。それはそうだろう、いくら体感時間で数百年ぶりに会えた人とは言え、自身にもプライバシーというものがあるのだ。
「で、次に使い魔は、主人の望むものを見つけてくるの。例えば秘薬とか」
「なんですそれ」
「特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」
「うーん」
「これも、無理っぽいわね」
「難しいかなぁ」
やはり使い魔としてはいまいち使えないようだ。
「そして、これが一番なんだけど……使い魔は、主人を守る存在でもあるのよ、 その能力で、主人を敵から守るのが一番の役目……そういやあんた、ぱいろっと? だったんでしょ!」
と、いいつつも先ほどの話の中に出てきた、シンジの操るスーパーゴーレムが無いことを思い出した。しかし、彼はニッコリ笑って。
「解りました、精一杯努めさせていただきます」
「冗談よ、あなた犬にも負けそうじゃない」
「え~大丈夫ですよ、こう見えてもけっこう強いんです」
「はいはい、それよりも書き終わったかしら、『世界地図』」
「あ、ハイどうぞ」
シンジの書いた世界地図は、大雑把ではあるがそれなりに正確なものだった。ただし、両アメリカ大陸、オーストラリア大陸、南極大陸を除き。 しかもメルカトル図法で書かれているため、(大して正確ではないが、よく見る機会が多かったためこの書き方にした)極点に近づくにつれ面積が大きくなる。シンジは、だからこの地図は面積は正確ではないといったのだが。ルイズはそれならば、なぜわざと、不正確に描くのかとあまり納得はできなかった。
「えっ、この世界って丸いの!」
別段、ハルケギニアで世界の考察が禁止されている訳ではなく。それを観測できないほど技術が低いわけでもないのだが。その認識は一部の学者のものであり、まだまだ一般には浸透していないのだ。したがってルイズの常識では「玉の下にいる人間は落っこちるんでは?」ということになる。なかなか信用しないルイズに、シンジもけっこうな時間をかけ、重力や万有引力のことなどを説明していった。
実家では、厳しい母と父に疎まれ、できのいい姉達と比較され、学院においては、落ちこぼれ、果ては『ゼロ』と蔑まれて来たルイズだった。当然の様に、入学して1年間、彼女には友達と言うものは出来なかった。名門の貴族である、と言う事実はルイズにとって呪い以外の何物でも無かった。
であるがゆえ、かわいくて、優しく、知的で、物知りな少年との会話は、決して大げさではなく生まれて初めてと言って良い様な楽しい時間だった。
(彼を大事にしよう、私の始めての魔法の成功の証、ひょっとしたら最後かもしれない私の始めての友達)
その楽しい会話は、夜遅くまで続いた、
煌々と輝く二つの月に、
使い魔が、気づかないまま。
遅くまで話し込んでいて、ルイズは眠くなってしまった。
「シンジ着替えるから、ちょっと出てって」
そういってから、はたっと思いだしたのがシンジの寝る場所が無いことだった
シンジ自身は、「床で寝るからお構いなく」といったのだが、さすがにルイズもこの幸薄そうな少年を犬のように床に寝せるわけには行かない。もちろん使い魔としてはいろいろやってもらうつもりだったが。
「よ、よし一緒に寝るわよ、シンジ」
「はい」
と、返事をしたシンジだったが、まさかベットのこととは思いもよらなかった。
「ルイズ様、さすがにそれは……」
そこからしばらく押し問答を続けたが、伝家の宝刀「ご主人様の命令よ」が出された時点でシンジに勝ち目は無かった。
ふたりして、かちこちとしながら、ベットに入るとシンジは、いきなり真剣な目を向けてきた。
「ルイズ様、お願いがあります」
「ななな、なあに、き、き、キスとかはダメなんだからね」
「ち、ちがいまう」(誤字に非ず)
「……ルイズ様、ボクの手を握ってて欲しいんです」
「手を握るって……」
「……ボクは、ルイズ様に呼んでいただいて……今とても幸せです……ですがあまりにも幸せすぎて……これが夢で……また目を覚ましたら……一人ぼっちのあの世界で、あの赤い世界で……ボクは本当は……これがただの幸福な夢を見ているだけで……ひとりぼっちの僕は、赤い海をひとりで……いやだ……あの世界に戻るのは……もう……」
体はがたがた震えだし、明らかに尋常な様子ではない。終わりの声は嗚咽でよく聞こえなかった。ルイズはその様子を見て眉をひそめる。この少年は、いったいどれほどの地獄を見てきたのか。いったい何年、たったひとりで生きてきたのか。ルイズには想像もできなかった。
(ルーンには洗脳効果のほかにも精神を安定させる効果もあると聞いたことがある。目が覚めていて気持ちがはっきりしている時は、ルーンの効果がはっきり現れ、たとえば、蛙の使い魔が蛇の使い魔に出会っても、襲わないことが判っているかのようにあわてない、犬、ネコ、ねずみなど例外は無い、使い魔同士は主人がそれと、命令を下さなければ、お互い相争うことはしないのだ。
だが、今のように眠る寸前、意識が混沌とし始めると、ルーンの対精神作用効果も薄れ、忘れていた本能の様なものが目を覚ますのではないか、シンジの場合はそれがトラウマであり忘れていた辛い過去なのだろう。
よく考えれば、今までの彼の冷静な態度が異常だった、普通なら「使い魔」などという、下手をすれば平民の奴隷以下に扱われる可能性もあるのに、「メイジのパートナー」などというのは人にとってはおためごかしであり、使う側の欺瞞だ。
それはたとえば、犬や猫、いや、ドラゴンであろうとも厳しい自然の中で生き抜くことを考えれば、メイジの庇護の下、暮らすと言うのも有りかも知れないが、人であれば食事のみで、時には命すらかけねばなら無い「使い魔」と言う身分、もちろん私は彼にそんな扱いをするつもりは無いが。
それに、あたりまえだが彼にはこの世界での常識がほとんどなかった。それでも召還されて「幸福だ」なんて言えるなんて。あの召還時、彼に意識はなかった。
つまり、私の召還に自ら納得して来てくれたわけではなく、ほとんど事故のようなものだったのだろうに。
疑問はまだある、あの謎のゼブラ球体、あれはいったいなんだったのか、彼を幽閉する檻なのか、それとも、彼の「ぱいろっと」としての力の一部だったのだろうか?)
考えが、まとまらない。
ルイズはそこまで考え、シンジを引き寄せると、無言で抱きしめたのだ。ルイズの腕の中で、今もシンジは小さく震えている。
「シンジ泣かないで、もう一人ぼっちじゃないわ」
それが聞こえたのか、聞こえなかったのか、気が付くとシンジは寝息を立てていた。ルイズは、それを確認すると黙ってシンジの手を握る。それから、小さく杖を振り部屋のランプを消したのだ。