「アルビオンが見えたぞー!」
鐘楼(マストにある見張り台)の上に立った見張りの船員が大声を上げた。
船員たちの声と眩しい光で、ルイズは目を覚ました。青空が広がっている、舳先から下を覗き込むと、白い雲が広がっていた。アルビオン行きの空を飛ぶ船は雲の上を進んでいるのだ。
雲の切れ間から、黒々と大陸が覗いていた。大陸は視界の続く限り途切れることは無い。地表には山がそびえ、川が流れている。巨大としか言いようの無いその光景。これこそが、ハルケギニア最大の謎、空中に浮かぶ大陸アルビオンである。
そして、大陸の大河からあふれ出る水が滝となり、やがては白い霧となり浮遊大陸アルビオンの下半分を隠している。「白の国」と呼ばれるゆえんである。ルイズはその景色を見ていた。
「はあ、いつ見てもすごいわね」
絶景に対し、ひねりの無い感想を漏らす。
「あーあ、シンジに見せたかったのに」
ついでに、ため息と共に愚痴を漏らす。
「右舷上方、雲中より接近する船!警戒せよ!」
見張りの船員が再度大声を上げた。
見れば確かに船が一隻近づいてくる。この船よりも一回りも大きい。舷側に開いた穴からは大砲が突き出ている。
ルイズは眉をひそめた。
「いやだわ、反乱勢……、貴族派の軍船かしら」
黒くタールが塗られた船体は、まさに戦う船を思わせた。こちらの船「マリーガーランド号」に二十数個も並んだ砲門を向けている。そしてよく見れば、帰属を掲を明らかにするための旗を挙げておらず、こちらの呼びかけにも応じようとしない。
そのことに、遅まきながら気が付いた船長らは慌てて船員たちに指示を飛ばす。
「逃げろー!取り舵いっぱい!」
だが、時すでに遅く、黒船は併走し始めている。そして、脅しであろう一発をマリーガーランド号の針路めがけて発射した。発射された砲弾は舳先を掠めて雲の彼方に消えていく。そのあと、停船命令の旗流信号がかの船より出された。
はたして、その船は空賊船であった。
一応こちらにも武装はあるのだが、移動式の大砲が三門ばかり甲板に置いてあるに過ぎない。船長はワルドを助けを求めるように見つめると、当のワルドは口をへの字に曲げ、肩をすくめ言った。
「すまんが、精神力はこの船を浮かべるために打ち止めだ。仕方が無い降参したまえ」
それを聞き、船長は体中から力が抜けたようになり「これで破産だ」とつぶやいた。
「命あっての物種だよ。裏帆を打て、停船だ」
第二十三話 亡国の王子
「バルバリシア。大丈夫?重くない?」
「ホホホッ、こう見えても軍属ですのよ。あなた様お一人くらい乗っていても乗っていなくてもおんなじですわ」
シンジはワルドの騎乗幻獣であるグリフォンに乗り、ルイズたちを追いかけていた。乗せているのはシンジ一人である。地面が雲に隠れ見えないほどの上空を飛んでいるが、まるで大きな虎ほどの体躯のグリフォンの背中は広く、また鞍の助けもあり、さほど不安は無い。
なぜ、このような上空を飛ぶのかシンジにはわからなかったが、バルバリシアに任せることにしている。
「きゅーい、オネー様、オネー様。 ちょっとは交代してほしいのね」
隣を飛ぶ風韻竜のシルフィードから抗議の声が上がる。なぜか遠慮がちに。ちなみに、交代して欲しいとは、シンジのことだ。彼を乗せていると、なぜか力が沸いてくる。グリフォンは本来、風竜に併走できるほど飛行速度は出ないものだ。
「しっしっ、近づくんじゃないよ。気流が乱れるじゃないか。こちとら、あんたに姉さん扱いされるいわれは無いんだからね。大体、あたしゃ生まれて五十年も経っていないんだ。そっちはウロコの年輪から察するに二百歳以上だろうに。ますます姉だなんていわれたくないねぇ」
「ひーん、ひーん」
「ああ、ああ、でかい図体で泣くんじゃないよ。このイナカ娘!」
「ひどいのね、こう見えてもこのシルフィーは泣く子も黙る古代の……」
「お黙り!お前が韻竜に生まれたのはお前の手柄じゃないだろう!そんな生まれとか種族とか、本人の努力に関わりの無いようなことで威張ろうとするから田舎者って言われるんだよ!」
「ひーん。冷たいのね。やっぱ、都会の人?はみんな冷たいのね」
二人の(二匹の)会話は当然ながら先住言語で行われている。そのため、会話がわかる人間はシンジ一人だ。 はたから見ていると二匹の幻獣が仲良く飛んで時々鳴きあっている様にしか見えない。ギーシュなどは「幻獣同士仲がいいなあ」などとのんきな感想を漏らしていた。
「へっへっへ、姉さん気風(きっぷ)がいいねえ。おまけにオイラの相棒を気に入ってくれたようで何よりだ」
二匹の会話に割り込んだのは、なんとデルフだ。
「おやおや、インテリジェンス・ソードとはまた珍しいものを」
「デルフリンガーってんだ。よろしくな」
「デルフって芸風が広いねえ。いったい何語でしゃべってるのさ」
シンジが呆れたようにそうこぼす。
「相棒にゃ負けるよ。でもそうだな、リクツはわかんねえけど人の言葉が理解できる程度の生き物だったら、オイラの“声”が届くらしいんだ。だから何語かってのは考えたこたあねえよ」
「へえ、便利だね。インテリジェンス・ソードってみんなそうなの?」
「いやあ、あんまり他のお仲間には会ったことが無くてね。その辺はよくわかんねえ」
「ふーん」
そう言いながら、シンジは目をこする。先ほどからどうも視界が曇る。
「んん?」
「どうした?」
「いや、なんか目がおかしくて」
「疲れてんのさ」
「そうかな?」
「ああ、夕べから働きっぱなしじゃねえか。疲れねえ方がおかしいって」
デルフがとぼけた声でそういうが、何か違う感じだ。
ルイズは、シンジと離れたことを後悔した。
一緒に居さえすれば、少なくとも目の前程度の軍船など『発火』一つで炭にしてやれたものを。そう考えて、夕べワルドに言われたことを思い出す。
(敵を殺せなんていう命令は彼を傷つけるかも知れないが、それでも使い魔なんだから君が言えばおそらくは従うだろうね)
頭を軽く振り、その思考を追い出す。こんな緊急避難的なものまで躊躇していたら命がいくらあっても足らない。ここは甘い世界ではない、危険な幻獣や犯罪メイジが跳梁跋扈するハルケギニアなのだ。まして今向かっている先は、内戦中のアルビオンだ。
この任務に志願した時から、この程度の危機は覚悟していたはずではなかったか。
(覚悟を決めなさいルイズ。あんたにはトリステイン王国の未来がかかっているのよ。どんなに無力で情けなかろうと、今あんたが頼れるのはあんただけなんだからね)
ルイズはそう自分に言い聞かせると、急いで杖を背中に隠した。それから、ワルドに駆け寄る。
「ジャン、あなたの杖(ワンド)を私に。それから私は今からあなたの、うーん、メイドじゃ無理があるかしら?」
これで、ピンと来たワルドはすぐさま自分の杖(ワンド)をルイズに渡しこう言った。
「いいだろう、僕はちょいと有名人だからばれるかもしれないが、君は学生だからな。それから、服の後ろはすぐばれる。袖に入れおき“シャーリー”」
アルビオン行きの為、ちょっと厚着をしたのが功を奏したようだ。ルイズは袖のボタンを急いで外し、こう答えた。
「かしこまりました、だんな様」
乗り込んできた空賊たちに、案の定ワルドは腰の軍杖剣を取られた。ワルドの影に隠れるように小さくなっているルイズに向かい、下卑た野次を掛ける男もいたが、
「やめたまえ、大事な人質だろう。下手に手を出して価値が下がったら君らの頭にどやされるぞ」
と毅然として、その声を撥ね退けた。
そんな、小さな騒ぎを聞きつけたのか、一人の空賊が近づいてきた。元は白かったであろう、汗とグリース油に汚れ真っ黒になったシャツの胸元をはだけ、そこから赤銅色に日焼けした逞しい胸が除いている。ぼさぼさの長い黒髪は、赤い布で乱暴にまとめられ、無精ひげが顔中に生えている。そして、左の目には黒い布地にドクロの刺繍の眼帯と、絵に書いたような空賊であった。
「おめえら貴族かぁ?」
ド派手な自己主張の強い空賊が誰何する。
「いいや。残念ながら、メイジだが平民だ」
ワルドは肩をすくめ、そう答えた。トリステイン王国において、貴族はメイジのみだが逆は真たりえない。メイジの人口割合がハルケギニア四王国中最も多いトリステイン王国であるが、貴族の数は全メイジ中のさらに一割いないのだ。そんな平民メイジは、傭兵に身をやつす者もいるが、多くは職人、商業、あるいは農業を営む者のほうが主流である。(兼業傭兵もいる)
彼等は、多くの平民と違い魔法が使えるため下手な貴族よりも裕福な場合もある。
「おめえら、今時アルビオンに何しに行くんだ?」
「旅行……って言うのは信用してくれないだろうね。商売だよ」
「商売?この船の硫黄はおめえさんの商品か?」
「いいや、残念なことにね。これはあの哀れな船長のものさ」
「じゃあいったい、何を売るってんだ。今頃来たって王さま連中は三日後には消えて、内乱は終了だぜ」
ワルドの後ろに、しがみつくようにしているルイズの心臓が跳ねる。
「そいつはまだわからんさ。それに勝つ方に今更つくよりも、負けの決まった方と商売する方が美味しい場合もあるしね。だいたい、商売の相手が貴族とはかぎらんだろう」
アルビオンは空の孤島のため、大きな商会がいくつかある。アルビオンでは中々取れない食料などを輸入するためだ、それらは呆れたことに内乱中でも機能していた。
ハルケギニアの四王国と呼ばれる国には様々な特色があるが、中でもアルビオン王国は言ってみれば貿易立国といえるだろう。
「だから、そいつはなんだってんだ!」
いきなりの怒号に、ルイズは身を硬くする。
「情報は商品の一つだよ。君のような下っ端には話すわけにはいかないさ。君らのお頭にだったら話してもいいがね」
「ふん、いい度胸じゃねえか。なんなら杖無しで遊覧飛行をさせてやってもいいんだぞ」
空賊はワルドを睨みながら、脅しをかけた。だが、ワルドはひるまずに言い返す。
「死体じゃ身代金は取れんし、下手にそんなことをすれば商会を敵に回すかも知れんぞ」
「けっ、こちとら天下御免の空賊様だぜ!そんなものを恐れるとでも思ってんのか!」
「さてね、でも商人が殺されたと知れれば、皆恐れてここいら辺に近づく商船は一隻もなくなるかも知れんな」
その歳若い空賊は、もう一度「けっ」と吐き出すとルイズとワルドを指差した。
「てめえら!こいつらも運んどけ!身代金がたんまりもらえるだろうぜ」
二人は、船倉に閉じ込められた。
周りには、酒樽やら穀物のつまった袋やら、火薬樽が雑然と置かれている。「マリーガーランド」号の乗組員たちは、自分たちのものだった船の曳航を手伝わされているらしい。
幸い、ワルドが目立ったおかげか、ルイズの両袖に隠してある、二人の杖は気づかれなかったようだ。ルイズは船倉でワルドと二人っきりになると、急いで隠し持っていた杖をワルドに渡した。ワルドもまた、それを右袖の中に隠す。
(ルイズ、聞こえるかい。返事をしちゃいけない。こちらを見ても駄目だ。イラついている様に、不安を隠せないように指でそこらのものを叩いて、イエスは一回、ノーは二回だ。いいね)
ワルドは早速魔法を使い、ルイズと会話を開始する。言わずと知れた「伝声」だ、用心に越したことはない。ルイズは腰掛けた酒樽を指で“トン”と一回、イエスの意味だ。
(ではルイズ、君の考えを知りたい。床に穴を開けて、ぼくのフライで逃げ出す)
“トン、トン”と二回ノーの意味だ。
今のワルドの精神力では、例えうまく逃げ出せても陸地までの距離もわからず、おそらくは途中で魔法が切れ海に落ちるだろう。当然却下だ。
ワルドも本気ではなかったようで、ニヤリと笑う。それに、空賊たちの中に何人か杖(スタッフ)をもっているものがいた。おそらくはメイジだろう、逃げ出してもすぐに見つかる可能性が高い。
(では、ここの船長どのに何とかして近づき、人質にとる)
“トン”と一回。
こういった場合の常套手段である、それをルイズも考えていた。だが、
(ルイズ、頭に入れといてほしい。あいつらはおそらく軍人崩れだ。ぼくがあの派手な格好の空賊と話している時にそこいら中から視線を感じた。おそらく、あの空賊に襲いかかろうとしたら次の瞬間ぼくは蜂の巣になっていたろうね)
ルイズはブルッと震える。さすがにそれは予想外だった。もし、それが本当なら、いやもちろん本当なのだろう。疑う理由などはない。そうだとしたら、ルイズの考えは一手も二手もたりないかもしれない。
(いや、あたしのような経験のたりない小娘の考えなど彼等にしてみればただの妄想のようなものかもしれない。……いや、たとえそうだろうと)
そのとき扉が開いた。おそらくは空賊の一人であろう太った男が入ってくる。
「おい、おめえら。お頭がお呼びだ。出な」
シンジの乗ったグリフォンはいきなり、方向を変えた。乗り手の右手にある『ヴィンダールヴ』のルーンが激しく光る。
速く、高く、それは風韻竜のシルフィードでもついていくのがやっとのスピードだ。
「おーい、おーい!シンジー、どこに行くんだー!」
そんな、ギーシュの呼びかけにも応えることは無い。ただただ、上空の一点を目指しているような飛び方だ。
「すごい、グリフォンにこんな機動が可能だなんて」
なぜか一緒にくっついて来ているキュルケも感嘆の弁を漏らす。
やがて、急上昇を続けた二匹の幻獣は雲海を飛び出る。
真上には太陽、そして青空が広がっていた。
「「「「わーおぅ!」」」」
今、シルフィードに乗っている四人が感動の声をあげる。即ちギーシュ、タバサ、モンモランシー、キュルケである。
だが、二匹の幻獣は上昇をやめない。やがて、雲海の上を漂うように並走する二隻の空船を見つける。長いこと急上昇を続けたため、その船は手のひらよりさらに小さく見えた。
そして、グリフォンはいきなりの急降下を始める。並走する船の黒い方に向かって。
ワルドとルイズは、この空賊船の船長室に来ている。
豪華で贅沢な装飾を施したディナーテーブル。その一番の上座には先ほどの若く派手な格好の空賊がニヤニヤしながらテーブルの上に足をほうり投げて座っていた。見れば、先端に大きな精霊石のついた杖をいじっている。生半可な貴族やメイジでは持つことができないような立派なものだ。
どうやら、ワルドの指摘した通り、この男も廻りの男たちもメイジのようだった。
「おい、お前ら、お頭の前だ。挨拶しな」
驚いたことに、目の前の男がこの空賊の頭目であるらしかった。一瞬目を丸くするも、落ち着いた物腰で挨拶を交わす。
「トリスティンの商人、ジャン・シメオン・シャルダン。後ろで震えているのは私付きの女中シャーリー。よろしくお頭殿」
「ふん、お前らはあれか“花火”見学か」
彼の言う花火とは、いわゆる戦火のことではない。
王家の血によってのみ可能になる、王家の切り札。秘呪文『ヘキサゴン・スペル』
めったに撃たれることの無いこの魔法が、アルビオン王家の危機に際し、近々放たれるのではないかと、その筋では噂になっている。
メイジが二人以上で力を合わせ使う合体魔法は数々あるが、基本的に足し算である。
だが、王家の血に連なるものが力を合わせるヘキサゴン・スペルは違う。精神を共鳴させ、人の操る限界を模索したようなその威力。個人の技術である『魔法』では、唯一空軍艦に対抗しうる攻撃力を持つ。
過去に使われた例では、城も吹き飛ばす風魔法、大軍を押し流す水魔法、大地を埋め尽くす巨大なゴーレムの群れ、などが確認されている。
もちろん量において、それ以上の数のメイジを配置することはたやすいが、それほどの人数が他人の精神波と同調し、指向性と魔法発現のタイミングをぴったり揃えるとなるともはや不可能であり、虚無魔法の威力が確認できない今、間違いなく最大最強の攻撃魔法である。
だが、強力な魔法を使った際にはそれなりの反動が術者を襲う。急激に消費される精神力と巨大な魔法の制御に脳が耐え切れないのだ。
現在は、魔法研究が進み、そうそう命を落とすこともなくなったがそれでもやすやすと使用できる魔法ではない。
現在のアルビオン王家、ウェールズ王とその嫡子ウェールズ王子はそれぞれが風の系統を持ち、使用するなら純粋な風のヘキサゴン・スペルとなる。
各国の魔法研究機関がその威力を確かめるため、密かに入国しているのだ。つまりはこの空賊は二人を間諜(スパイ)ではないかと言っているのだった。
「いいや、残念ながらね」
「おめえらは、もしかしてアルビオンの貴族派かい?もしそうだったら失礼したな。俺たちは貴族派の皆さんのおかげで商売させてもらってるんだ。王党派に味方しようとする酔狂な連中がいてな。そいつらを捕まえる密命を帯びてるのさ」
それを聞き、ルイズはぶるっと怒りで震える。
「ほう、つまりはこの船は貴族派の軍船と言うわけか」
「いやいや、俺たちは雇われているわけじゃねえ。あくまで対等な関係で協力し合っているのさ。まあ、お前らには関係のねえことだがな。で、どうなんだ?」
それまで顔を伏せていたルイズが顔を上げ、その空賊を睨みつける。
ここで、自分の身分をぶちまけられればどんなに気分がいいだろう。
ふざけるなと、私たちは王党派への大使だと、このふざけた格好の空賊どもに言ってやりたかった。
しかし、出来なかった。大使としての任務を忘れていないからじゃない。自分の死を恐れたからでもない。今ここに自分が立っていられるのは、シンジとギーシュが身を張って、盾となり囮となって私たちを逃がしてくれたからだ。それを、自分の意地だけで、彼等のがんばりを無駄にするわけにはいかなかった
きゅっと唇を噛み締める。
「いや、お頭殿……」
ワルドが何かを言いかけたときだった。
頭目の座る椅子の右脇に備え付けられた何本かの伝声管が、がんがんと音を立てる。どうやら、艦橋やら見張り台あたりと繋がっているそれを、先端の人間が叩いているらしかった。
頭目は、叩いた数で場所がわかるらしく、ワルドたちからは目を離さずに伝声管のふたを開ける。
「ちっ、ちょっと待ってくんな。……どうした」
頭目はいささか面倒そうに声をあげた。
「て、敵襲!でかいグリフォンが!」
その声は十分に大きく、その部屋の全員に聞こえた。その後起こったことは、甲板から離れたこの部屋でも十分に想像ができた。何かが激しくぶつかったような大きな音と共に、船もまた大きく揺れたからだ。
「ジャン!今よ!」
ルイズの指示でワルドは「フライ」を唱える。対象はルイズだ。
ふわりと浮かんだルイズはすばやくでかい机を飛び越え、天井すれすれを飛んで空賊の後ろに着地。
「おい、なんの……」
その男は椅子を回し、文句を言おうとしたが、
「ウル・カーノ!」
一息でつむがれる呪文。爆発する椅子の足。倒れる椅子とその椅子の主。
「動かないで!私は一息で魔法をつむぐことが出来る。威力は見ての通り。ジャンこちらへ」
「よくやった“シャーリー”杖はあまり近づけるな、1メイルほど離して」
ワルドも急いで倒れこんだ男の背後に回る。男がいじくりまわしていた水晶付の杖を取り上げることも忘れない。
「貴様ら!……」
男が何か言おうとした時、また伝声管が鳴る。
「出ろ」
ワルドが男に命令する。空賊頭はすごい目でワルドを睨みつけるが、諦めて伝声管のふたを開けた。
「どうしたぁ!」
不機嫌を隠し切れない声をあげる、どうやらマストの見張り台からのようだった。
「応援を請う!敵は一人とグリフォン一匹!グリフォンは甲板でぶっ倒れていますが、騎乗兵がすばやく捕らえ切れません。ああ、今、船内に入り込みました。緊急警報発令します」
すでに頭目が虜囚となっていることも知らず、何本もの伝声管ががんがん鳴っている。 船長の指示を仰ぎたいのだ。そして、伝声管からの報告を聞き、ルイズとワルドは顔を見合わせる。
☆☆☆
「シンジのヤツ、どうしちゃったんだい?あんなどこの軍船かわからない船に乗り込むなんて」
「……あの空船には帰属旗がついていない。たとえ戦争中だろうとなんだろうと、その船の帰属を明らかにするのは国際法で決められた義務なはず。それをつけていないとするならば答えは一つ」
「ちょっと、それって、空賊船ってこと?」
「ななな、何をやってくれちゃったのよ。あの使い魔君は~」
「空賊船に併走する船のマストの色や船全体の大きさは、私たちが乗り込むはずだった「マリーガーランド」号に良く似ている。ということは……」
「ルイズ達が捕まっちゃったってこと」
「私たちメイジは、使い魔の五感を「共有」で感じることができる。使い魔もまた……」
「主人の危機を感じ取ったってわけか」
急激な上昇でへとへとになったシルフィードが抗議の泣き声を上げた。
☆☆☆
軍船であるとはいえ、船内の通路は狭い。袋小路に飛び込んでしまったすばやいだけのネズミを捕らえることなど、構成員がほとんどメイジのこの船ならば容易い筈である。
本来ならば。
だが、通路を狭く感じているのは皮肉なことに当の船員だけのようであり、侵入者は壁も天井も床のごとく使い移動し、視認することすら難しい。そして、自らの船を傷つける戦闘魔法も簡単に撃つ訳にはいかず、敵の侵入を止められない。
シンジはとうとう、船長室の前まで来ていた。
賊の抵抗も激しくなってくる。扉の前には屈強そうな男たち、後ろからも大勢の船員たちが迫ってきていた。
シンジは無表情のまま、デルフを数回壁に向かい振るう。パカリと壁が切り落とされ、新たな扉が作られた。シンジは急いでそこに飛び込む。
そして、久しぶりにご主人様との会合を果たした。
「シンジ!」
だが、件の使い魔は無表情、無感動の面持ちでその声を聞いていた。
「よくやったわ、さすがは、我が使い魔。さあこちらに来なさい」
「おおっと、どうやら。お仲間のようだな。お頭を放してもらおうか」
シンジの後ろには、屈強な男たちが手に手に武器と杖を彼の背中に向けている。どれほど素早いとは言え、この距離この室内では彼にはどうあがいても避ける術など無いであろう。
「形勢逆転、とまでは行かないが。まあ五分に戻したってところか。どうするねお嬢ちゃん」
若い頭目がニヤリと笑いそう言い放った。ワルドは慌てて、ルイズに話しかける。
「すまないルイズ。可哀想だが任務を優先してくれ」
だがルイズは、そんな二人を“ふふん”と笑う。
「シンジ。どうしたの、私はもう命令を下したわ。早くこちらに来なさい」
「ルイズ……?」
ワルドは眉をひそめる。任務を優先しろとは言ったが、このように冷酷に命令を下すとは思わなかったからだ。無論ルイズにはそんなつもりは毛頭無い。シンジはその命令に従い前に進む。
「おっと、そうは……アチッ!」
男たちの手が伸び、その少年を捕まえようとするが、その寸前で何かに指がはじかれる。
それが合図であったかのようにその体はヒュッと掻き消えた。次の瞬間に現れたのはルイズの右隣である。
「わっ、相変わらずでたらめね。でも良くやったわ」
シンジはそんなルイズの声を無視しデルフを構え賊たちを見据えていたが、いきなりはっとしたように振り返った。
「うわ、ルイズさん、どうしてこんなところに!あれここは?」
「なにもんだお前ら」
その空賊の問いは無視しても良かったが、先ほどから腹に据えかねていたのかルイズが答えた。
「あんたらみたいな薄汚い反乱軍ごときに名乗るのはもったいないけど、教えてあげるわ。私たちはアルビオン王政府へのトリステイン王国よりの使い、つまり大使よ!」
それを聞き、空賊の頭は“ひゅー”っと口笛を鳴らす。
「ほう、名は?」
「そこまで教える義理は無いわ」
「なら、何しにいくんだ?あいつらは明日にでも消えっちまうよ」
「うるさいわね。どうでもいいでしょ」
そのときに、またひどい衝撃音と共に船がゆれる。
「きゃ」
「お頭!」
あっと言う間の出来事だった。ルイズとワルドが空賊頭を人質にした時と同様に、目の前の空賊たちもチャンスをねらっていたのだろう。『レビテーション』で空賊頭を奪い返されてしまう。
これで、ルイズたちは手詰まりになってしまった。ワルドにはすでに戦えるほどの精神力は無し、シンジもふらふらの様だ。それでも、シンジはルイズの盾となるべく前へと出る。
空賊達の杖はすべて、シンジに向けられていた。
「待て!」
賊の頭目は声を荒げ、部下の暴発を制御する。
「王党派といったな?」
「言ったわ!」
「貴族派につく気は無いかね?お嬢ちゃんもそこの小僧も、ひげの兄ちゃんもいい腕だ。きっと、礼金も弾んでくれるぜ」
裏切る気は無いか!その男はそう言っていた。もちろん言外に、さもなくば……と言っているのだ。
ルイズは震える、怖い、怖いのだ。それでも目の前の男を睨みつけることをやめはしない。
「死んでもイヤよ!」
ルイズは決断し、そう言い放った。心の中の大事なものを見据え、それを壊そうとするものと戦っているのだ。
「もう一度言う。貴族派につく気は無いか?」
「つかない。彼女は薄汚い裏切りはしない!」
ルイズの代わりに答えたのはシンジだった。
「祖国と友達を決して裏切らない!」
「貴様はなんだ?」
頭がじろりとシンジを睨んだ。人を射すくめるのに慣れた眼光だった。それでもシンジはルイズと視線を共に空賊頭を睨みつける。
「僕は……僕は彼女のただの友達だ」
「友達だぁ?」
「そうだ!」
頭目は笑った、大声で笑った。
「トリステイン貴族は、気ばかり強くってどうしようもないなぁ。まあ、どこぞの国の恥知らずどもより何百倍もマシだがね」
そう言って、またひとしきり大笑いをした。
「失礼した。貴族に名乗らせるなら、こちらから名乗らなくてはな」
「頭!」
空賊の一人が驚いたように叫ぶ。そして頭目はその叫びに負けないくらいの大声を出した
「アッテンション!!」 (気をつけ!)
今までこちらに杖を向けていた空賊たちは、一斉に直立した。
頭目は縮れた黒髪をはいだ。なんとそれはカツラだった。派手なドクロ模様の眼帯と、付け髭をびりっとはいだ。すると、現れたのは凛々しい金髪の若者であった。
「私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令長官……。本国艦隊といっても、すでに本艦『イーグル』号しか存在しない無力な艦隊だがね。まあ、その肩書きよりこう言った方が通りが良いだろう。アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」
ルイズは口をあんぐりと開けた。ワルドは興味深そうにいきなり名乗った皇太子を見つめている。シンジは油断無く皇太子殿下を見張りいまだ剣を下ろそうとはしなかった。
「アルビオン王国へようこそ大使殿。さて、御用の向きをうかがおうか」
「あなたが、本物の王子様というのでしたら、何か証しとなるものはありますか?」
シンジには、いや、ルイズでさえ目の前の人物が本物の皇太子かどうかわからない。
それを聞きウェールズは笑う。
「用心深いな君は、中々見所がある。まあ、さっきまでの顔を見れば仕方が無い。だが、僕はウェールズだよ。正真正銘の皇太子さ。では証拠をお見せしよう」
ウェールズはルイズの指に光る水のルビーを見つめていた。自分の薬指に光る指輪を外すと、ルイズに投げてよこしたのだ。ルイズはそれを空中で捕まえる。
「君の指に嵌っているのはアンリエッタの「水のルビー」だ。そうだね?」
「は、はい」
ルイズは素直にうなずく。
「今、君に投げたそれを近づけてみたまえ」
言われた通りに二つを近づけると、宝石は共鳴しあい虹色の光を辺りに振りまいた。
「水と風は虹を作る。王家の間にかかる虹を」
皇太子が無造作に投げてよこした指輪は、アルビオン王国のハルケギニア大陸でもそれと知られた秘宝の一つ、風のルビーだった。
先ほどのルイズにとっての二度目の船の揺れは、シルフィードの墜落によるものだった。無茶な高機動と高高度上昇は、シルフィードとバルバリシアにとってかなりの負担になったらしく、バルバリシアは船に着地したとたんに気絶してしまい、シルフィードも風竜とはいえ人間を四人と二百リーブル(約百キロ)近いギーシュの使い魔を乗せてのそれは力尽きるのに十分だったようだ。
勝手に付いて来た事に関しては、ギーシュのフォローで事なきを得た。無論あとでワルド子爵にこってり絞られたようだが。
いきなり、軍船に特攻をかましたシンジには皆呆れていたが、あとで事情を聞きそれなりに納得していた。
使い魔の行動としてはありえない範疇の出来事でもなかったからである。
ルイズ達はアルビオン王室所属の軍艦『イーグル』号へ正式に招かれた。
変装を解いたウェールズは、ワルドが奪っていた精霊石付の魔法の杖(王錫、キングティン)を腰に下げる。
ルイズがごく自然な動作で跪くと、それに習ってシンジもデルフリンガーを床に置いて、ルイズの斜め後ろで跪いた。ワルドはルイズの傍らで、手を胸に当て、直立している。
「大変、失礼を致しました…」
空賊の変装をしていたとしても、ルイズが杖を突きつけた事実は覆らない。心底申し訳ない気持ちでウェールズに謝罪した。
「ははは!なに、大使殿は害をなそうとした空賊に杖を突きつけたのだ、むしろ賞賛されるべきだろう。……そして、恥じ入るべきは我々だ。真に失礼をいたした。しかしながら外国に我々の味方の貴族がいるなどとは、夢にも思わなかった。君たちを試すようなことをしてまことにすまない」
そう、イタズラっぽく笑いながらルイズの謝罪を受けた。そこで急にまじめな顔をして言った。
「金持ちの反乱軍には続々と補給物資が送り込まれている。敵の補給路を絶つのは戦の基本…だが、堂々と王軍の軍艦旗を掲げ補給路を断つべく船を動かしても、圧倒的な大群に囲まれてしまうだろう。空賊を装うのも、いたしかたない。そう思ってくれぬか……」
視線を落とし、恥ずかしげにそう漏らす。
戦争中とはいえ、そこにはルールがある。帰属を明らかにせずに空賊行為を行うのは重大なルール違反である。何よりも誇りを持ってなる貴族、そして貴族の長たる王族がして良いものではない。
もし仮に、彼等王党派がこの内戦に勝利したとしても、この事実はアルビオン王政府にとっての大きな傷となることだろう。つまり、彼等にはもう勝ちの目が無く、本人もそれがよくわかっていての行動だった。
ワルドは口を開いた。
「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました。私はトリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵にございます」
改めてルイズたちを紹介するため、優雅に掌を見せてルイズ達へと視線を促す。
「こちらが、姫殿下より大使の大任を仰せつかった、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢。そしてその使い魔の少年にございます。殿下」
「なんともはや!今日は驚くことばかりの日だ!トリステインの若き英雄、ワルド子爵にヴァルハラ以外で会える日がこようとは。ラ・ヴァリエール嬢とは、あの公爵のご令嬢か。お目にかかれて真に光栄だ。そしてまた、この少年は先ほど彼女の友人といっていたが、使い魔とはどういう意味だね?」
「それについては後ほど、まずは密書をご覧下さい」
ワルドに促され、ルイズは恭しくウェールズに近づき、手にしたアンリエッタの手紙を手渡した。
ウェールズは、愛おしそうにその手紙を見つめると、花押に接吻した。それから、慎重に封を開き、中の便箋を読み始めた。
真剣な顔で手紙を読んでいたが、そのうちに顔を上げた。
「姫は結婚するのか?あの、愛らしいアンリエッタが。 私の可愛い……、従妹は」
ワルドは無言で頭を下げる、肯定の意だ。再び手紙に視線を落とすと、最後の一行まで読み切り、少し悲しげに微笑んだ。読み切った手紙を封に仕舞うと、ウェールズはルイズ達を見て告げる。
「了解した。姫は件の手紙を返して欲しいとこの私に告げている。姫から貰った手紙は私の宝でもあるが、姫の望みは私の望みだ。すぐにそのようにしよう」
その言葉を聞いてルイズは安堵のため息を漏らした。そして自分が大役を果たしたという喜びを得、表情を輝かせた。
「しかしながら、今手元にはない。空賊船に姫の手紙を連れてくるわけにはいかないのでね」
ウェールズは笑って言った。
「多少、面倒ではあるが、諸君にはニューカッスルまでご足労願おう」