トリスティン魔法学院の図書館は、食堂のある本塔の中にある。本棚は驚くほどに大きい。
およそ三十メイルほどの高さの本棚が、壁際に並んでいる様は壮観だ。
それもそのはず、ここには始祖ブリミルがハルケギニアに新天地を築いて以来の歴史が詰め込まれているのだ。
「うわ~、すごいや!」
今は、午後の授業が終わるちょっと前である。シンジはここに始めて入り、感嘆の声を上げた。
シンジは入り口近くのカウンターの中にいる、眼鏡をかけた中年女性の司書に、学院長から貰った閲覧許可書を見せた。ここには、門外不出の秘伝書とか、魔法薬のレシピが書かれた書物などが置いてあるため、普通の平民を入れるわけにはいかない。
「シンジ・ヴァリエール、ミス・ヴァリエールの使い魔の少年」
いささか、じろじろ見ている感は否めないが、彼女としてもこの図書館は大事な職場であり、かつトリスティン王国の貴重な書物が数多く置いてある重要な施設でもある。
めったな人間を通す訳にも行かなかった。もちろん、学院の職員としてシンジの噂は聞いてはいるが。
「……」
長い沈黙のあと、いくつかの注意事項を述べ、さらに閲覧許可書を常に持ってくることを言い含め、彼を解放した。ちょっと観察していたが、本棚に向かう様子は見られない。入り口近くのテーブルに座り、そのまま入り口を見張っているかのようだ。
いったい、何をしに来たのやら、といった顔で司書はシンジを見ていた。
程無くして、シンジの待ち人が来た。 タバサである。
シンジは立ち上がり、タバサに頭を下げた。
「昨日はすいませんでした。 まさか皆さんだとは気づかず攻撃してしまって」
「いい、わたしも約束を破りルイズを連れて行ってしまった。どちらかというと謝らなければいけないのはこちらの方」
とにもかくにも授業の始まりである。
タバサはいくつか幼児用であろう文字の大きな本を持ってきており、それらをテーブルに広げた。
アルファベットを崩したようなハルケギニアの文字が並んでいる。
普段の授業の時から思っていたことであるが、会話が出来るのに文字が読めない。おそらくは、自分が気絶している時に行われたというコントラクト・サーヴァントに秘密があるのだろう。知識を頭脳に「刷り込み」したのだ。考えてみれば、元は野生の動物たる使い魔たちに命令する手段は言葉である。
タバサは以前、「使い魔たちはいずれ人の言葉を理解できるほど知能が発達する」と言っていた。
シンジは自分を還り見て、そう言う事なのだろうと納得していた。
さて、授業が始まった。ハルケギニアの文字は、アルファベットに似ているが、少し違う。
タバサはまず、文字の読み方を一つずつ教えてくれた。
「アー、ベー、セー」
どこかで聞いたような言葉だったが、うまく思い出せない。もしかしたら、そう聞こえているだけなのかもしれない。次にタバサは文字の一つ一つを指差し、その意味を丁寧に教えてくれた。
不思議だったのは、単語になると、「序章」とか、「八月」とか「わたし」のように日本語に変換されて聞こえるのである。
おそらくタバサはハルケギニアの発音を行っているのだろう。しかし、それが耳に届く頃には日本語になっている。
さらに、不思議なことには、単語の意味を教わるたびに、今まで唯の文字列にしか見えなかった文章が、一瞬見ただけでその意味が理解できるようになっていった。まるで、頭の中に翻訳機があるようだった。それも学習機能付の。
そんなきっかけを掴むと、学習速度は異常といえる速さで進んだ。小一時間もすると、簡単な文章なら読めるようになっていた。
タバサが持ち込んだ教科書代わりの本を、シンジはすらすらと読み上げていく。そして、タバサが持ち込んだ3冊の簡単な本をすべて読んでしまうと、タバサは目に見えて怪訝そうな顔をした。
「……あなたは異常、その学習能力の速さは何?」
「い、いや、異常って言われても。……コントラクト・サーヴァントの説明を以前にルイズさんから頂きました。 これは「刷り込み」でしょう」
「……とにかく、この本で出来る内容はすべて終わってしまった。もう少し程度の高い本を持ってくる」
そう言って、タバサは呪文を唱え、軽く杖をふり浮かび上がる。自らを静かに持ち上げる「レビテーション」だった。これに、風の力を上乗せすると、高速移動の「フライ」となる。
「あああ!」
タバサはシンジの大声に驚いて振り返り、もどってきた。
「どうかした?」
「いや、だって、今、ふわ~っと浮かんでましたよね。 タバサさん、空、飛べるんだ」
シンジはあまりに驚いたのか、どもりながらしゃべった。
テーブルの位置と、勉強に夢中になっていたせいで気づかなかったが、図書館にはすでに何十人もの生徒が入り込み、空を飛んで本棚に取り付いている。そのうち何割かが、シンジの大声に驚いて振り返り、非難する目を向けていた。
「知らなかった?」
シンジは首を縦に何度も振り、知らなかったことをアピールした。
「昨日、あなたから逃げるときも「フライ」を使った」
「あ、あれ、ジャンプじゃなかったんだ……」
風と水のトライアングルたる自分の「フライ」をジャンプと言われ、タバサはちょっとムッとした。
無論シンジにはタバサを怒らせるつもりなど微塵もなかったが、ジャンプに彼女が得意だと言う風魔法を合わせ、長く飛んだのだろうと思っていた。
「あなたは、飛べるの?」
そう聞かれ、シンジはちょっと考えるそぶりをした後、タバサにそっと耳打ちをした。
「この国の人たちって、みんな空を飛べるんですか?」
それを聞いたタバサはまた怪訝そうな顔をした。
(なんだ、彼は?この国の言葉を、基礎とは言えわずか1時間ばかりで習得してしまったかと思えば、こんな常識としか思えないことを聞いてくる)
タバサは、シンジの顔をマジマジと見た後、こう言った。
「程度の差はあれ、私の知っている限りでは空を飛べない人間はいない」
タバサは嘘をついた。ここハルケギニアにおいて、翼人と呼ばれる亜人以外で空を飛ぶ人族はメイジとエルフのみだ。
シンジの反応が見たかったのだ。すると、目に見えてシンジがホッとするのがわかった。
「あ、あんまり、上手じゃありませんが……」
そう言って恥ずかしそうに頬を掻き始めた。どう観察してみても、嘘を言っているような感じは無い。
タバサは確信した。
(彼は、異国のメイジ。それもこちらの系統とは一線を画す、新たなる使い方で魔法を使用する。おまけに超一流のメイジ殺しだ。昨日、私とキュルケ、二人のトライアングル・メイジの魔法をすべて防ぎかわした。おそらく、あの時ルイズがいなければ私は……)
昨日の事を思い出し、背中に冷たいものが流れた。なぜ、それを隠したがるのかはわからない。案外ルイズに気を使っているのかもしれない。
「いつか、あなたの使う魔法を教えてもらいたい」
彼の使うガード魔法は強力だ、もし自分にも使えたなら、それは大きな武器になる。生き延びる為、そして、……復讐の為の。
「ええ! 僕はメイジじゃありませんよ」
「そう……、今日はここまでにする。……また明日図書館で」
「はい、ありがとうございました」
第十四話 平和なる日々 その1
「シンジ、弦が届いたわよ。 これで弾けるわよね」
「ありがとう、ルイズさん」
ルイズは昨日シンジにお願いされ、チェロの弦を注文していたのだ。
ルイズ自身もシンジのチェロを聴いてみたかった為、ルイズはその場で注文書を書きフクロウ便で出したのだ。(トリスティン魔法学院は朝、夕の二回郵便を出すことが出来る)
重いものだと難しいが、チェロの弦程度なら軽い小包扱いですぐに届く。
配達するのは、よく馴れた空を飛ぶ使い魔たちだ。
先日、オスマン氏にお古のチェロを貰ったが、いささか状態が悪く、弦などを張り替えなければいけなかった。オスマン氏によると、打楽器、弦楽器等には「固定化」をかけられないのだと言う。
音の響きが悪くなるらしい。
さらに言えば、錬金では弦一本作り出すことは出来ず、純粋に職人の技によって作り出されている。
著名な音楽家にも、数多くの平民出身の者たちがいる。
シンジはルイズからチェロの弦を受け取ると、器用な手つきでそれらを取り付けていく。
チェロのケースには何枚かの楽譜も入っていた。
夕食後のティータイム、ルイズは例の三人組、すなわちキュルケ、タバサ、モンモランシーと外のテラスにてデザートと紅茶を楽しんでいた。
なぜ、わざわざ外に出たかと言うと、シンジが食堂に入れないからである。
きれいな夕日を眺めながら、おいしいオレンジパイと温かい紅茶。そして傍らでは、自分の信頼する使い魔が何と音楽を奏でている。
そう、わざわざ外のテラスにてお茶をしているのはシンジのチェロを皆に聞かせ、自慢するためだったのだ。
「うーん、なんと言うか、シ・ア・ワ・セ 」
「専属の楽士にチェロを弾かせティータイムとは、なんと言う贅沢、このブルジョアが!」
話しかけてきたのは、モンモランシーだった。
彼女は名門と言われる門閥の出であるが、何年か前に実家が干拓事業に失敗し落ちぶれて久しいのだ。
「オホホホホホホッ、なにせホラッ、主人がいいから。使い魔もなんでも出来るのよ」
「前半の冗談はさておいて、彼ほんとに何でも出来るわね。ルイズあんたにしては随分と当りを引いたんじゃない」
「冗談ってなによ。 ま、シンジは確かに当りだったわ」
「でも、ロバ・アル・カリイエから来たにしては、随分と普通っぽい曲ね。もっとこう異国情緒あふれるような曲を想像していたわ」
「これは、頂いたチェロのケースに入っていた楽譜のものです。もしよろしければ他の曲をやりますが」
「そうね、シンジあなたの国の音楽も聴いてみたいわ」
シンジはちょっと考えるそぶりをして、
「では、僕らの偉大なる大先輩マーティ・マクフライに敬意を表しまして」
ルイズ達が、誰? と言う声をあげる前にそれは始まった。
「 Johnny B Goode 」
それは軽快なリズム。
もちろんシンジが持っているのはエレキギターではないが、音を這わせるだけならチェロでも可能である。
もちろん、可能である事と出来る事とは大きく隔たりがあるが、シンジは右手に楽弓とナイフを持ち、「ガンダールヴ」を発動させていたのだ。
すばやく小刻みに正確に楽弓を動かし、ロックを奏でる。ハルケギニアには無い音楽性がすぐにわかった。その、超絶なる技術も。
美しい音の調べというよりは、楽しい、そして激しい音の奔流だった。聞いているだけで、足と体が勝手にリズムを取る、いや無理やり取らされる。
ときどき、シンジは「ゴーゴー、ゴージャニ、ゴゴーゴー」と歌を入れる。
演奏は3分ほどで終了し、終わった後しばらくルイズたちは魂が消えたようにシンジを見つめていた。
(あれ、マーティ先輩と同じ失敗をしたかな?)
別に、シンジは派手なアクションは取っていないはずだが。
一呼吸置いて、周りから、拍手がふってきた。
いつの間に集まったのか、周り中生徒だらけだった。もちろん、ルイズたちも拍手をしている。
「あっはっはっはっは、すっごい楽しい曲ね。初めてよこんなの」
最初の賛辞はキュルケからだった。それから少し考えるそぶりをするとこういった。
「うーん、シンジ君。 あなたゲルマニアに来なさいよ。そして、大きな音楽堂か、劇場で今のをやるのよ。大入り間違い無しよ。プロデュースはあたしがやるわ」
「キュルケ、またあんたは勝手なことを!あたしの使い魔なんだから、やるんだったら、もちろんトリスティンでやるわよ」
「ルイズ、こう言っちゃなんだけど、彼の音楽は新しすぎるわ。保守的なトリスティンで受け容れられるとは思えない。あたしに任せてみなさいよ、三ヶ月でゲルマニアの大音楽堂を、観客で埋め尽くしてみせるわ。ほいで、……コッチのほうは折半でど~ぉ」
そう言ってキュルケはいい笑顔で右手の人差し指と親指で丸を作る。
「がめついわね、大金持ちの癖に。それにここにいるのはほとんどトリスティン人よ。この拍手を聞いて、なんで受けないって決め付けるのよ」
「受ける、受けないじゃなくて、受け容れられないって言っているのよ。 ねえシンジ君、どぉ。ハルケギニアの偉大なる音楽家の殿堂に名を連ねるチャンスよ。ついでに稼いだお金でゲルマニアで貴族になりなさいよ。それとも、我がゲルマニアに新しい音楽を呼び込んだものとして、名誉貴族なんてのもあるわ」
「きき、貴族?キュルケ、彼は平民だぞ!メイジじゃない彼が貴族になれるわけないじゃないか」
いつの間に来たのか、呆れた声で言ったのはギーシュだった。だが彼はそういった後、ちらりとシンジの反応をうかがう。
「トリスティンはそうよね。法律できっちり平民をしばっている。でも、ゲルマニアにおいては素晴らしい発見をした学者、技術者にも一代限りだけど貴族の資格があたえられる。もちろん芸術家にもね。有名なとこではシュペー卿がいるわ。錬金魔術士なんて言われているけど彼はメイジではないし、錬金じゃとても作れないような美しく、折れず、曲がらずの刃を大量に作り出している。
そして、彼には大量の弟子がいて、その中にはメイジだっているのよ。むしろ、彼のすごいとこは、メイジだなんだとこだわらずに自分の技術に魔法も取り入れていることね」
「だから、ゲルマニアは野蛮だっていうんだ」
ギーシュがはき捨てるように言った。
「あら『メイジにあらずば貴族にあらず』なんて言って、伝統やしきたりにこだわって、どんどん国力を弱めているお国の人には言われたくないセリフだわ。おかげで、トリスティンは一国じゃまるっきしアルビオンに対抗できなくって、ゲルマニアに同盟を持ちかけたって話じゃない。第一、この国で使われている鍋釜、包丁にいたるまで、ほとんどゲルマニア製よ。文化文明度において、我がゲルマニアは最も優れた国だと自負しているし、民間技術が高いのはこの制度のおかげだと思っているわ」
「キュルケ、お国自慢はその辺でやめておいて」
声を上げたのはルイズだった。自分の国をそんな風に貶められて面白かろうはずは無い。
ましてやここはプライドの高さにおいてハルケギニア一といわれるトリスティン王国、その魔法学院である。
だが、何を言うにもキュルケである。火のトライアングル・メイジの実力の前に誰もが沈黙させられる。
「ねえルイズ。あなた、ちゃんと彼のことを考えてる?彼はあなたの使い魔かもしれないけれど、人間なのよ。おまけに、こんな才能だらけの人間見たこと無いわ」
「どうぞご心配なく、ちゃーんと考えているわ」
正直、シンジはあまりにも受けが良すぎで、困惑していた。自分の音楽はあくまでクラシックにあると思っているからだ。だが無論、演奏を褒められて悪い気はしない。
(ちょっとした、お遊びのつもりだったんだけどな)
「評価してくださってありがとうございます。でも、ごめんなさいキュルケさん、今は出来そうに無いです。ルイズさんの使い魔もしなくちゃなりませんし」
シンジはペコリと頭を下げた。
「ああ~、もったいない~。いいのシンジ君、このままだとあなたの身分なんて、せいぜいルイズの執事見習いぐらいなものよ」
「なによ、いいじゃない。あんまり言いたくないけど、あたしはこの国の公爵の三女よ。その執事なんて、そこらの貴族でも望んでなれるものじゃないのよ」
「あたしが言いたいのは、……」
激高してきたキュルケとルイズの言い争いをシンジが「まあまあ」となだめ、止めた。
「心配して下さってありがとうございます。では、そんな優しいキュルケさんのために」
シンジが選んだ曲目は 『ルイジアナ・ママ』 だった。
実はルイズには、一つ悩みがあった。使い魔を召還して一月もたつと、メイジとしての力量を図るためのイベント「使い魔品評会」がある。
使い魔品評会とは、その名の通り春先に行われた召喚の儀式によって呼び出された己の使い魔を、学院の教師生徒の皆々様にお披露目する催しだ。
無論、学院の行事であるため、二年生が新たに召還した使い魔を、ただ眺めるだけの鑑賞会では無い。
格言に曰く、「メイジを計りたくば、その使い魔を見よ」
使い魔はメイジの鏡である。どのような使い魔を召還したか、というのはそのメイジの実力そのものでもある。強力な幻獣、野獣、魔獣の類を召還したとなれば、実力、将来性の証明でもある。
ではそれらに少々見劣りするような家畜の類(犬、猫等)を呼んでしまった者達はそれだけで挽回する機会が無いのか、と言えばそうでは無い。
使い魔ときちんと信頼関係を構築し、主従関係をしっかりさせ、そして意思の疎通をきちんと図れているかというのが、より重要である。
また格言に曰く、「ドットの猫より、ラインのねずみ」
事実、歴代の最優秀者の使い魔は幻獣ではないことが多い。
強大なる使い魔はそれだけ扱いも難しく、年若く経験も少ないメイジである生徒たちがいささか引いてしまうのだ。
あるいは逆に、強大なる使い魔を得て、嘗められてはいけないとばかりに厳くしすぎて、返って信頼関係を壊したりもしている場合もまた多い。(コントラクト・サーヴァントのおかげか、逃げられるというのは無いようである)
通常であれば、会話をこなし(意思の疎通の証明)、その命令に忠実に従う(信頼関係と主従関係の証明)シンジはそれだけで優勝候補であるはずなのだが、それは人であるが為、評価の対象からははずされるであろう。言ってみれば、鳥の使い魔が空を飛んで見せるようなものである。
だからといって、彼の「ガンダールヴ」も「ヴィンダールヴ」もそうそう披露できるものでもない。
しかし、ルイズは妄想する。
自分の杖をタクトにみなし、それに合わせ楽器を弾くシンジ。
使い魔が人なのも前代未聞であるが、楽器を弾く使い魔もまた……。
「いけるかもしんない」
彼女の頭の中で、きっちり皮算用ができあがった。
次の日の朝から、シンジの「第九」とやらで目が覚める。
「おはようございます。 ルイズさん」
「おはようシンジ。 今日もいい朝ね」
そう言って、ベットから起きだすと、シンジの用意した水で顔を洗う。
「あーそうそう、学院長がそろそろ例の破壊の杖について話を聞きたいと言ってきたんですが、ルイズさんの都合はどうでしょう」
「そうね、夕食の後なんかどうかしら」
「わかりました。 ではそのように学院長に伝えておきます」
そう言って、朝食に出ようとするシンジをデルフが呼び止めた。
「よう相棒、ようったらよう」
「どうしたのデルフ?」
「どうしたのじゃねえよ! 俺ッちも連れてけよ!」
「ええ! 朝食を食べるの?!」
「なわけあるか!退屈なんだよ!昨日は相棒の国の曲を弾いて随分楽しかったそうじゃねえか。 俺にも聞かせてくれよ。だいたいだな、ガンダールヴが剣を持ち歩かねぇーなんてのは……」
「わかった、わかったよデルフ。 もっていくから、ちゃんと持ち歩くから」
だんだんと高ぶってきたデルフの声にシンジはすぐに折れ、彼を背中に担いだ。
デルフリンガーの全長は柄も含めて150サントほどもあるのだ。純粋に邪魔なのである。
ただ、ルイズからもなるべく持ち歩くようには言われているが、学院内でこのような剣を担いでいるのは目立ってしょうがないので、積極的に忘れていくのだ。
その日の最後の授業は、「土魔法」だった。
シンジはこの、おそらく元素を操っているのであろう魔法の授業が好きであった。
さすがに、元素の原子量までは操作が及ばないらしいが、そこを魔法で補っている。
やろうと思えば、腕の良い土メイジならそれなりの量の銀なり銅なりを錬金できるが、そのままでは、お金に換えることは出来ない。コインのような細かい意匠を作ることはかなり難く、仮に出来たとしてもディテクトマジックがある。
平民の商人たちは無論魔法が使えないが、よほど田舎のもぐり商人でも無い限り、魔法を見破るためのマジックアイテムを常に常備していた。
したがって、仮に金の延べ棒を錬金出来たとしても、詐欺の見せ金以上の役には立たないわけである。
もっとも腕の良い土メイジは、水メイジに並んでお金に困るようなことはほぼ無い。
錬金による物作りが出来ることや、食べ物の腐敗や金属などの腐食を防ぐための「固定化」が出来るためである。
ちなみに、ゴーレムを錬成してのゴーレム使役は、個人もちの畑ぐらいならともかく、あまりお金儲けには向いていない。
安価な労働力ではあるが、複雑なことはさせられないうえ、術者が見張っていないと動かせないラジコンのようなものである。 ただ物を動かすだけならレビテーションがある。
シンジはこの、「固定化」を覚えたかった。シンジのATフィールドは意識を向けていないと消えてしまう。
以前、ミセス・シュヴルーズは、錬金した小石を「精神力だけなら、二日と持たない」と言っていたが、シンジにして見れば2日間、軽い重量挙げをしているようなものである。ところが、「固定化」を行えば二十年持つと言うのだ。
シンジもそこまでは期待しないが、せめて三日ぐらいは持たせてみたかった。
「……と言うわけで、古代においては土系統なら土だけを純粋に4つ、目覚めさせた者だけをスクエアと呼んでいました。ウォータースクエア、グランドスクエア、ウインドスクエア、ファイヤースクエアです。それ以外のスクエアメイジ、すなわち水と土、水と風のスクエアはヘルシャー(支配者)メイジ、火と土、火と風のスクエアはクラッシャー(破壊者)メイジと呼ばれていました」
土系統魔法の授業中だったが、ミセス・シュヴルーズはいささか話を脱線し始めた。
この手の歴史的な裏話は、彼女の授業の持ち味の一つである。
「ミセス・シュヴルーズ、風と土、火と水のスクエアはなんと呼ばれていたのですか?」
なぜか、この二つの系統を併せ持ったメイジは恐ろしく数が少ない。もしいても大概はラインどまりである。別に、相反する系統と言うわけでもないのだが。
「これは一つの定義ですが、スクエアスペルを唱えられる者を、スクエアメイジと呼びます。その二つに対応するスクエアスペルが存在しない以上、残念ながらスクエアメイジとは言わないでしょうね。あくまで私の想像ですが、遥かなる昔、始祖の時代にはあったのかもしれません。系統魔法を生み出したご始祖様は、4つの系統をすべて操っていたらしいですから。
失われた「虚無」はこの四系統あるいは三系統を足したスクエアスペルだったのではないか、とも思っています。もっとも、万物を構成する「小さな粒」をさらに構成する「小さな粒」を操るのが「虚無」である、との説もありますが。……少々脱線しましたね。 次に固定化と硬質化の違いについてですが……」
授業は進む。
残念ながらシンジには、専門用語が増えてきた授業についていくことが難しい。聞きたかった「固定化」だが理論のみで流されてしまい、実技はやらなかった。仕方が無いので、授業の終わるのを待ち、質問しようと思った。
「今日はここまでとします。なにかご質問は?」
「はい、ミセス・シュヴルーズ。 よろしいでしょうか」
「どうぞ、ミスタ・シンジ」
「固定化の「コツ」をお聞きしたいのですが」
「ふむ、なかなかいい質問です。先ほども言いましたが「固定化」の最大の特徴は発動された魔法が自分から切り離されても存在することです。つまり、術者の意識が途切れても、あるいは術者が死んでも魔法は消え去りはしないのです。これが得意なのが土系統の特徴でもありますね。
さて、固定化の呪文は皆さん覚えていますね。その際のイメージは……精神力を……と言うことです。わかりましたか」
「はい、ありがとうございました」
さすがに、ミセス・シュヴルーズはプロの教師である。 的確な教え方をしてくれた。
ただ、生徒たちは皆微妙に不思議そうな顔をしている。
(教えてもらっても使えないだろう?)
と言うのが、教室の他の生徒たちの共通した認識である。
それに、ミセス・シュヴルーズを筆頭に教師陣が皆、生徒ではなくメイジですらないシンジに、こういってはなんだが気を使って振舞っているようなのだ。
生徒たちは知らなかったが、これは先日のフーケ事件の影響である。
教師により思惑は違うが、細かいことはさておきシンジに対して、一目置いておく、ということである。
(さて、これを応用できるかな?)
無論、そんなことには関係なく、シンジの狙いはこの知識をATフィールドに使えるかどうかである。
メイジにとって、魔法発動時に杖を振る動作と言うのは、意外に馬鹿に出来ない作業である。
それは、自らの魔法の結界範囲を決め、また魔法を操る作業でもあるからだ。
無論、操る度合いなら精神力のほうが大きいが。
自分の精神力を過信して、これの動作を大きく取ると、魔法が薄くなったり発動しなかったり、といった失敗もしやすい。逆に小さすぎれば、威力の点で心もとない。
またフライや治癒魔法など自分にかける場合、敵にぶつける攻撃魔法、などなどいずれも効率が良くすばやい動作が求められる。
さて、先日のフーケ探索の際、ルイズは杖を振らず、まっすぐ先端を“敵”に向けたのだ。
これは、先日のシンジと行った練習、“賛美歌詠唱”より思いついたことである。
二人で杖を握ったため、杖が固定されていたことでわかったことだ。
小さなことではあるが、これの発見は彼女にとって、大きなアドバンテージをもたらした。
呪文詠唱の時間を無視すれば、これまで最も早い魔法とは、風系統の攻撃魔法だった。
ところが、自分の失敗魔法は発動とほぼ同時に目標に届いたようなのだ。
比較としては母のウィンド・ブレイク並ではなかったか?
しかも母の、詠唱の長い攻撃魔法の呪文ではなく、何を唱えても爆発する自分の失敗魔法なら、より短い詠唱の呪文を唱えれば誰よりも早く魔法をつむぎ、防御も難しいだろう。
これは自分の大きな武器になる。系統魔法に沿った使い方ではないため隠し技的な扱いになるが。
次なる課題は威力の制御と、
「優雅じゃない事よねぇ~。 なんなのよあたしは~」
フミッ、と猫のような声を出し、机に突っ伏した。
だが結局、人は自分にしか出来ない事、自分になら出来る事を見極めて、それでなんとかやってくしか無い。
「どうしました?」
シンジが独り言をぶつぶつつぶやく主人を心配し、声をかけたが……。
「な!なんでもないわ」
と、慌てて繕った。