王国歴931年
「どうして私の転属願いが認められなかったのですか、隊長!」
私の大声に、隊舎の食堂にいたほとんどの者がこちらを向いた中、ディエナ・フロウアーツ隊長だけは、ただ黙々と食事を続けていた。
しかも食べているものは、特大のアップルパイだ。
プラチナブロンドの髪を短く刈り込んで、男のような凛々しい容姿をしているディエナ隊長がただひたすらにアップルパイを口に運んでいる光景は悪目立ちするものだと言えたが、その点については私も人のことを言えた義理ではなかった。
王国内においては珍しい黒髪に、ノッドラートの人間であることを示す褐色の肌。
女性の隊士しかいないここロイヤルガードの中でも、私はその容姿のせいで色んな意味で悪目立ちをしてきたと言える。
だから、今まで極力人の好奇の目で見られることから避けて隊の中でも過ごしてきた。
しかし、今の私はそんな過去の努力のことなどすっかり忘れてしまうくらいに頭に来ていたのだ。
「私の話を聞いてください、隊長!」
一向にこちらを向こうとはしないディエナ隊長に業を煮やし、テーブルを強く叩いてもう一度大声を上げる。
おかげで、さらに注目を浴びることになったが、もう知ったことか。
「……食堂では静かにしろ。ロゼッタ」
口にパイを運ぼうとした手を止めて、ディエナ隊長はようやく目線をこちらに向けてくれた。
普段なら、この怜悧な目線を向けられただけで弁明する気力もなくなるところだけど、今日はそんなことを言っている場合ではない。
ともすれば、震えだしそうな両足に力を入れて、こちらも負けじと睨み返す。
「ですが、理由だけでも教えてください。なぜ私の転属願いが認められなかったのですか?理由を聞かなければ納得できません!」
転属。ここロイヤルガードからの。それは私の長年の悲願だと言える。
いや、悲願への第一歩だと言ったほうが適切かもしれないが。
ロイヤルガードは、王国内に十ある騎士団の中でも極めて特殊な騎士団であり、その正式名称を百華騎士団という。任務は、王族の護衛である。
それだけ聞けば重要な任務を遂行する騎士団にも思えるが、実際の役目は王族のお守りである。
しかも、王女限定、の。
代々、トレンディア王国の王族には女性の血が強く、女の子供が産まれることが多かったと聞く。
だから、そうして産まれた王女達を他国に嫁がせることによって、外交的にここ中原諸国のパワーバランスを調整してきた。
そんな王国の宝とも言える王女達を守るために結成されたのが、百華騎士団、通称ロイヤルガードだった。
しかし、王国自身が武力を持つにつれて、王女達の重要性も低下し、それに伴ってロイヤルガードの地位も低下。
今では貴族の子女達が王族との繋がりを求めて志願する名目的なお飾り部隊となってしまった。
十騎士団の内、その人数も質も他と比べて低いことから、唯一“団”ではなく“隊”とまで呼ばれる始末である。
そして、私はこんなお飾り部隊で一生を過ごすつもりはない。
やらなければいけないことがある。
「……今年で何歳になる、ロゼッタ?」
暫く黙ったままこちらを見つめていたディエナ隊長は、ポツリと小さくしかしよく通る声で呟いた。
「18歳になります。しかし、私がまだ若く女だから、という理由で転属願いが認められなかったのでしょうか?」
あり得る話だ。ここ王国騎士団内においては、女性の地位は著しく低い。
女性の身でありながら騎士を目指す者は、たとえ実力があったとしても、みなやっかい者扱いされて、結局はここロイヤルガードに飛ばされてしまうのだ。
私のように。
しかし、私は――。
「勘違いするな。早とちりが過ぎるのがお前の悪い癖だ」
静かに私の質問を否定するディエナ隊長。
そのまま皿に戻したパイの一切れを再び口へと運ぶ。
「だったら…、だったら…、私がノッドラート人だから、でしょうか?」
黒い髪に、褐色の肌。
子供の頃には疎んだりもしたが、今では私が私である証であり、私の誇り。
母上からもらった大切な、大切な宝。
だけど、それはここ王国内においては――。
私は下唇を咬み、両手を握りしめる。
「……そうではない。早とちりするなと言った筈だ」
ディエナ隊長の静かな声を聞いても、私の脳裏に過ぎるのはこれでまで受けてきた偏見の数々。
「王国がノッドラートを併合してから40年以上経つ。市井においてはともかく、ここ騎士団内においてその種の偏見を持つ者はもういないだろう」
ディエナ隊長はそう言うが、しかし私は実感として知っている。
騎士団内においても、貴族の子弟が多い騎士団内だからこそ、未だにノッドラートの血に対して偏見を持つ者が多いことを。
そうでなければ、どうして母上があんな目に遭わなければならなかったんだ。
どうして私が謂れの無い苦労をしなければならなかったんだ。
隊長の言うことが本当なら、私は――。
「そんな顔をして睨むな。お前の言いたい事は大体分かる。が、お前の転属願いが認められなかったのはお前の年齢が原因でも血筋が原因でもない。純粋に、お前の力不足だ」
隊長は私を静かに見つめて、そう告げた。
「お言葉ですが、隊長!私は――」
「確かにお前には才能があるし、お前が日々努力していることも知っている。王族とのコネ作りのためにここにやってきている馬鹿娘どもでは束になっても太刀打ちできないだろう」
私の声を遮って、隊長は淡々と言葉を紡ぐ。
いつもそうだ。
あの瞳で見つめられると、言葉を続けられなくなってしまう。
「しかし、お前はまだ18歳だ。根本的に言って、経験がまるで足りていない。尾羽も生え揃っていないひよこが転属願いを出すなど、百年早い。そういうことだ」
これで話は終わりだとばかりに、私から目線を外して再びアップルパイを切り分ける作業に移り出した。
だけど、経験、だって?
経験を積みたいからこそ、転属願いを出したんじゃないか。
こんな、わがままな王女達のお守りしかさしてもらえない部隊にいてどうやって経験を積めと言うんだ!
「なんだ?不服そうな顔だな、ロゼッタ」
一瞬だけこちらをチラリと見た後、そう呟く。
「ええ、不服です。経験が足りないだなんて抽象的で一般的な指摘をされても納得できません。具体的に私に何が足りないのか仰ってください」
そうでなければ納得できない。
私は、もっと上に行かなければならないんだ。
あの連中を見返すためにも。
「口だけは一人前だな。お前には自分に何が足りていないかくらい自分で分かる程度には分別があるものだと思っていたが、買いかぶりだったか」
「ええ、分かりません!」
私は敢えて自信満々に答える。
考えるより先に足を前に出す、それが幼い頃から私の信条だ。
「ふん。だったら、かの大師父アルバート卿でも見習って“武龍の試練”にでも挑戦してみたらどうだ?そうすればお前の実家もお前の実力を認めざるをえなくなるだろうさ」
「なっ!曽祖父のことは関係ないでしょうっ!」
私は力の限り両手でテーブルを叩きながら怒鳴った。
その音が食堂中に響き渡り、再び周りの隊士からの注目を浴びることになったが、しかしそんなことは関係ない。
「私は、ロゼッタ・オールデーズはただ一人の騎士としてここにいます。曽祖父のことは尊敬していますが、そうだとしてもコーンフィールド家と私は一切関係ありません!」
曽祖父。偉大なる英雄。武龍の試練を制覇した史上初の龍騎士。大師父。
アルバート・コーンフィールド。
あの家において、唯一私と母上を色眼鏡で見ずに、普通に接してくれた人。
私は偉大なる曽祖父に感謝しても仕切れないくらいの恩義を感じてはいるが、そうだとしても、あの家のことだけは別だった。
あの家のことを持ち出されると、私は抑制がきかなくなってしまう。
そんな私の怒りを知ってか知らずか、隊長は黙々とアップルパイを片付けながら、私に告げた。
「冗談だ。それに大師父の名前を出した途端にその過剰な反応か?そういうところが経験が足りないところだと知れ」
「なっ!?私は――!」
「す、すすすす、すみませんっ隊長っ!」
と、急に私と隊長との間に大きな影が割って入った。
しかし、誰何をするまでもなく、この体の大きさの割りに繊細そうな小さな声の持ち主は――。
「フィー!私の邪魔をすムググーッ!」
フィーに対する私の抗議の声はしかし、口を押さえられて封じ込められてしまった。
「すみませんすみません、隊長。うちのルームメイトが本当にすみませんっ!」
「ムググッ、フムムーッ!」
勝手に謝ったりするなーっ!
「ほら、行くよ、ロゼ!」
「フムムムッ!」
もうこちらに興味を失ったのか、アップルパイを黙々と食べ続けている隊長を尻目に、私はフィーによって押さえ込まれたまま食堂から連れ出されてしまうのだった。
「あーもう、お前は何でそんな性格に似ず馬鹿力なんだ?」
廊下に連れ出された後、ようやく開放された私は目の前の少女に愚痴っていた。
「ご、ごめん、ロゼ」
この、身長だけならば私の1,3倍くらいありそうな長身のくせに(もっとも、私は女性だということを差し引いても小柄な方だけれど)、その大きな背を猫背にして申し訳なさそうに私に謝っている少女の名を、フィーメラルダ・グリンウッドとという。
女性の隊士しかいないここロイヤルガードの中で、私の数少ない友人の一人であり、ルームメイトでもある。
「だけど…、ロゼは家のことを持ち出されるとすぐ周りが見えなくなるから…」
目が隠れる程伸ばした前髪からわずかに覗く瞳からは、先ほど私を有無を言わさず食堂から連れ出した人物だとは思えないくらい気弱そうな気配しか感じ取れない。
直情径行を地で行く私とは正反対のおっとりした性格の持ち主ではあるが、どうしてかフィーと私は気が合って、すぐに友人となれた。
彼女も私と同じで、実家に問題を抱えていることも影響しているのかもしれない。
グリンウッド家は、我が忌まわしきコーンフィールド家と同じく王国内での大貴族の一つであり、軍人の家系でもある。
フィーの上には三人の兄がおり、全て王国騎士団に入団している上に、その父も騎士団の重鎮の一人でもある、生粋の軍人一族だ。
だから、末っ子のフィーにとっても、女の身でありながら騎士団に入団しないという道はなかったのだそうだ。
彼女自身は、読書が好きで、将来は図書館の書士になりたかったと、よく私に話してくれた。
しかし、グリンウッドの血というものは、彼女にそんな選択を許すことはなかった。
私自身を顧みても、まさに血というものは脈々と受け継がれる呪いそのものだ。
「いくらここがお飾り部隊のロイヤルガードだと言っても、軍属は軍属なんだから、その、上司に逆らうのはマズいと思うよ…?」
ますます申し訳なさそうに縮こまって、私に忠告をするフィー。
「むー、私だってそれくらい分かっている、つもりなんだが」
「ホントに分かってる?ロゼを見てると、時々何も考えていないんじゃないかって、思うことあるよ?」
「そ、そんなことはないぞっ。私だって、ちゃんと考えて行動をすることだって、あるにはある」
ばつが悪くなり、微妙にフィーから目をそらしつつ弁明する。
フィーは普段大人しく、自分の意見を言うことはあまりないのだが、いざ言う段になると申し訳なさそうにしながらも、絶対に自分の意見を曲げようとはしない厄介な質なのだった。
「もうっ、心配する私の身にもなってよ。それに、ロゼの転属願いが認められなくて、少しだけ、私、ホッとしてるんだ…」
そう言って、申し訳なさそうに目を伏せる。
「なぜだ?フィーは私の家の事情は知っているだろう」
憮然として聞き返すと、益々恐縮して地面に穴が開くのではと思う程目線を下に向けるフィー。
「だ、だって…。ロゼがいなくなっちゃうと、私…、ここでの友達がいなくなっちゃうから…」
そう、小さい声で呟く。
だけど、その小さい声には余りあるほどの、寂しさもまた、含まれているように聴こえた。
「………まだ、ギィがいるじゃないか」
「それはそうだけど、やっぱり、ロゼがいないと、寂しいよ」
「……」
私だって。
私だって、フィーがいなくなると思うと、寂しい。
だけど、私にはやらなければならないことがあるんだ。
それは、フィーだって、知っているだろう?
「それに、ロゼはこんなにも小っちゃくて可愛い女の子なんだから、やっぱり、他の団に行くのは心配だよ」
そう言って、私を見下ろす形でようやくフィーは目線を上げた。
しかし。
「ち、ちっちゃいとか言うなー!それに、私は可愛くもないぞっ!そんなものは私には不要なんだ!」
「ご、ごめん、ロゼ」
私に怒られて、結局そのまま俯いてしまうフィーの方が、よっぽど女の子らしくて可愛いと思う。
私なんて、がさつで、怒りっぽくて、口調も男っぽいしで、可愛いなんてことは断じて、ない!
「そうだ!私は剣の道に生きるんだ!そして出世して、あいつらを見返してやるんだ!」
拳を握り、力強く宣言する。
あの、母上を家畜のように扱ったあいつらを見返すまで、そのためには私は女すら捨ててやる!
「だけど…、これからどうするの、ロゼ?ディエナ隊長は一度決めたことは、絶対に曲げたりしないと思うけど…」
「むー、問題はそこなんだが…」
あの分からんちんの隊長殿は、フィーの言う通りここ数年の間で私の転属願いを認めることはまずないだろう。
だけど、それまでこんなお飾り部隊で飼い殺しなんて御免だ!
何としても上に昇ってやる!
コーンフィールド家を再興した大師父アルバート卿のように!
……アルバート卿?
王国内の全騎士が憧れる、偉大なる我が曾御祖父様。
この世で初めて、龍騎士の称号を授かった救国の英雄。
そうだ…、隊長自身言っていたじゃないか…。
――だったら、かの大師父アルバート卿でも見習って“武龍の試練”にでも挑戦してみたらどうだ?――
「ど、どうしたの?と言うかロゼがそんな顔して急に黙り込むと嫌な予感しかしないんだけど…」
「………武龍の試練だ」
「えっ?」
「武龍の試練に挑戦しに行くぞ!」
「…………………ぇぇええええっ!?」
私の決意表明に対し、フィーは何故かその長い前髪の間からでもよく見えるくらい大きく眼を見開いたまま固まっている。
「曾御祖父様だって、武龍の試練に挑戦したのは20代になる前だと聞いた。ならば、私にだって出来ないことはない筈だ!」
そうとも。それに、曾御祖父様だって仰っていたじゃないか。私が一族の中で一番若い頃の曾御祖父様に似ている、って。
「む、無茶だよぅ。武龍の試練なんて、もう20年以上も制覇者が出ていないのに、できっこないよぅ」
フィーが涙目で訴えてくるが、そんな心持だから出来ることも出来なくなってしまうんだ。
「出来る!私なら」
「そ、その根拠のない自信はどこから出るのっ?」
「私“たち”なら出来る、に言い直してもいいぞ、フィー」
「へえぇっ!?私も行くの?」
「当然だろう?私たちはチームじゃないか」
驚きの声まで小さいフィーは、驚きのポーズまで縮こまっており、そのまま口をあんぐりと開けている。
「よし!思い立ったら吉日だ。すぐ出発しよう!幸い私には今まで取ってなかった分の休暇がたくさん残っているし」
今まで、騎士団に入団して以来休む暇もなく努力し続けてきたから――。
「それに、王女様も1週間くらい前からお忍びでどこかに遊覧に出かけていて、私達の仕事も暫くはお休みだしなっ」
そうと決まれば、やらなければいけない準備がたくさんある。
さあ、忙しくなるぞ!
「ちょ、ちょっとロゼ!あー、もうっ、やっぱり何にも考えていないんだからっ」
「失礼な、ちゃんと考えているよ。ギィはどうした?あいつも一緒に連れて行こう!」
「知らないよぅ。どうせまたどこかで昼寝でもしているんじゃないの?」
大股で歩き出した私に、置いていかれないように必死についてくるフィー。
私よりはるかに図体がでかいのにどうして歩幅は私のほうが大きいんだ?
「よし、だったらさっさと叩き起こして出発の準備だ!」
「ちょっと、待ってよ、ロゼ!」
考えるより先に足を前に出す。
歩き出さなければ結局、どこにも進めやしないんだ。
守りたいものを守ることさえ。
だから。
だから、私を甘く見たことを後悔させてやるぞ!
とりあえず、あの家の連中より先に、まずはディエナ隊長のあのすかした無表情を驚きの顔に変えてやる!
私に経験が足りない、だって?
そんなことは私自身よーく知っている。
だけど、小さな経験をコツコツと積み重ねていく程私は悠長じゃないし、時間もないんだ。
それこそ、武龍の試練を制覇する、くらいのことをしなければ私の望むものは手に入りはしない。
だから。
どうか私のことを見守っていてください。
曾御祖父様。
そして、母上。
※※※※
武龍の試練。
いつの頃からか、百年以上も昔、王都の北に聳えるノーザリン山脈の片隅にある、古城に1匹の龍が住み着いた。
その龍は龍にしては珍しく、人に親和的であり、また無意味な殺戮もしようとはしなかった。
かの龍を訪れた者の内、礼儀を重んじた者については丁重なもてなしをしてそのまま無事に人里に帰し、礼を失した者については容赦なく虐殺した。
そして、力試しのために訪れた者については、不思議な対応をしたと言う。
それは、その者にある試練を与え、見事龍の試練を制覇した者には自身の武具を分け与えたそうだ。
その武具は、この世で最も強固な物質と言われる龍の鱗、それを溶かして練成することで精製された武具であり、この世に存在するありとあらゆる武具よりも性能が上だった。
龍鱗の武具、と呼ばれたその武具を持つ者は、例外なく人の世において善・悪問わず偉業を達成し、英雄視された。
いつからか、龍の試練を制覇した者は龍騎士と呼ばれるようになり、その龍も武の神様として崇められ、武龍と呼ばれるようになった。
龍が棲む古城の名前をとって、“武龍アインハート”。
そして、その試練こそが、武龍の試練である。
「そんなこといちいち説明されなくても知ってるよっ!」
「ん、そうか?」
私の懇切丁寧な説明に対し、目の前に憮然として座っている少女は心底心外だと言わんばかりに怒り出した。
「ボクが聞きたいのはさ、どーしてボクがロゼとフィーの心中旅行につき合わされなくちゃならないのかってこと!」
そう言って、すぐにでも馬車から飛び降りて王都へとんぼ返りしそうな雰囲気を見せているが、そうもいかない。
彼女の右手を私がしっかりと握っているからだ。
「何故って、そんなことは決まっているぞ、ギィ。私達はチームだからな!」
私の素晴らしい答えに対し、目の前の少女・ギィは心底嫌そうな顔をして反論した。
「チームって、ボクは君達と一緒に居ていっっっっつも余計なトラブルにばっかり巻き込まれて迷惑かけられっぱなしなんだけどー!」
「ご、ごめんね、ギィ。私がどんくさいから…」
フィーは大きな体を折りたたむように縮こまって謝罪する。
私よりも小さい背丈のギィよりも、さらに小さくなって見える。
「フィーはいいよ。まだ、さ。悪いのはいっつもいっつもロゼのバカだ」
悪態を吐きながら、こっちに向かって思いっきり舌を出すギィ。
彼女がやると幼い容姿も相まって可愛らしく見えるけど(もっとも、容姿に関しては私も人のことを言えた義理ではない)、しかし。
「曾御祖父様が言っていた。人間はむしろ他人からバカと言われるくらいのほうが丁度いいって」
「そーゆー意味で言ったんじゃないよ、バーカ!」
「むー、じゃあどういう意味なんだ?」
「ふんっ。お前になんか教えてやるもんか」
そのままふてくされたようにそっぽを向く少女の名を、シャギィ・クラフトマンという。
まるで幼等学校の児童にしか見えないくらい小さい背丈をしていて、オレンジ色の髪を腰にまで届くくらい長い三つ編みにしている。
瞳の色はダークブランで、顔にはそばかすがあり、それがまた彼女の容姿を幼く見せることに一役買っている。
そんな彼女だが、私達3人の内じゃ最年長の20歳で(精神年齢はきっと半分くらいに違いない)、優秀な魔術士でもある。
王国内における、騎士の活動は全て原則的にスリーマンセルが基本となっている。
すなわち。
近接戦闘が得意な騎士。
遠距離攻撃と後方支援が役目の魔術士。
近接戦闘に弱い魔術師をカバーする防御に優れた衛士。
この三人でチームを作り、常に行動を共にすることを騎士団では徹底させている。
大戦争時代に編み出されたこの陣形は、チームの連携が取れていれば非常に強力であり、ここ何十年かで王国が戦争において負けなしなのもそのおかげであるとも言われている。
私が騎士で、フィーが衛士、ギィが魔術士。
このチームこそがロイヤルガードの新人の中でももっとも強い、と私は自負している。
のだが。
「大体卑怯だよっ。人が気持ちよく昼寝をしている間に馬車に連れ込むなんて。犯罪だよ犯罪。誘拐だ!」
私と目線を合わせようともせずぶつぶつ文句を言っているギィ。
彼女こそが、私達のチームのトラブルメイカーでもある。
魔術院始まって以来の天才とか騒がれているくせに、その才能に反比例するかの如く彼女は怠け者であり、享楽的で、快楽主義者。
暇さえあればいつも寝てばかりいて、何事にもやる気を見せず、サボるためには何でもするといったダメ人間。
それが、シャギィ・クラフトマンだった。
「そう文句を言わないでよ。私達にはお前の力が必要なんだ」
「ふんっ。そもそも、武龍の試練だって?そんなカビの生えてそうな古臭い伝説に挑戦する奴がまだいたなんて、そっちの方がボクには驚きだよ」
ようやく少しは私と話をしてくれる気になったのか、ギィはこちらに向き直った。
「もう何十年も制覇者が出ていないんだろ?行くだけ無駄だよ無駄。無駄無駄」
「そんなことはないっ!やってもいない内から、無駄だなんてことはない!」
偉大な大師父と比べるのもおこがましいのかもしれないけれど、曾御祖父様にだって出来たのだから、同じ血を引く私にだって出来ないことはないはずだ。
それに、もう馬車は武龍の棲む場所、ノーザリン山脈へと向けて歩き始めている訳だし。
「確か、最後に龍騎士が出たのって、20年位前のウェザリンド様の時だった筈だよ」
不毛な言い争いをしていた私達に向けて、やっぱり申し訳なさそうな小さな声でフィーが呟いた。
「あー、あの首狩り将軍のこと?あんな化け物でも制覇するまで何年もかかったって噂だし、いよいよもってへっぽこ見習い騎士のロゼには無理だねー」
「むむむー、そんなことないもん!」
「ないもん、って、地が出てるぞ、地が。ロゼッタちゃん」
意地悪そうな顔して言う。どうして人の嫌がることにだけは嬉々としているんだ、こいつは!
「んんっ。そ、そんなことはない!私達ならどんな苦難だって乗り越えられる筈だ!」
「何を根拠にそんなこと言っているんだよ、まったく。本当にバカなんだから。バカだバカ。バカバカバカバカ」
そのままバカバカ言い続けるギィだったが、最初の頃にあった逃げ出そうという気配がなくなっているので、何だかんだ言って私に付き合ってくれる気になったみたいだ。
良かった。
私はそっとギィの右手を離して、呟いた。
「ありがとう。いつも感謝しているよ」
「ばっ、ばっかじゃないのっ!別にお礼を言われるようなことはしてませんー!やってらんないよ、まったく!」
思いっきりそっぽを向いて悪態を吐いてはいるが、その耳は真っ赤に染まっている。
こういう可愛いところがあるから、私はギィのことを憎めないのであった。
「ふんっ。君達バカとノロマのコンビじゃ龍にパクッと喰われて終わっちゃうだろうから、しょーがないからこの大大大天才のボクが付いて行ってあげるよ」
耳を真っ赤にしたままそっぽを向いて、もごもごと呟く。
「まったく、本当に世話が焼けるったらないよ…」
そんなギィの様子を見ながら、私とフィーは二人してクスクスと笑うのだった。
王都を出発して5日。
途中ギィが退屈のあまりやっぱり帰る!とかごね出したり、山登りのきつさにフィーが音を上げそうになったりもしながらも、私達はようやく到着した。
今、私の目の前には白い岩壁で作られた古い城が聳え立っている。
アインハート城。
今でこそは武龍の棲む古城として知られているが、元々は王都を追放された貴族の持ち物だったらしい。
錬金術に凝っていたその貴族は、秘法とされていた禁術に手を出して王都を追われたらしいのだが、その追われた先のこの城においても、彼は実験をくり返した。
そして、ある日、作ってはいけないものを練成してしまったらしい。
それが何であったのかは今でも記録に残っていないのだけど、そのせいで気が触れてしまった貴族は城内の召使達を皆殺しにした後、一人寂しくこの城において狂死した。
それ以来、このアインハート城は不吉な場所だとして誰もよりつかず、忘れ去られてしまった。
百年以上前に1匹の龍が棲み付くまでは。
「ふぁー、すっごいねー」
隣で、フィーが驚嘆の声を上げている。
それもそのはず。
私の目から見ても、目の前の古城はそんな忌まわしい場所とは思えないくらいとても美しく整った城に見えた。
岩壁を見事なまでに白一色に染めて、もし雪でも降ればそのまま一緒に溶けて消えてしまいそうだ。
城の中央には、辺り一体を簡単に見渡せるくらいの高い塔が建っており、その頂上に伝説の武龍がいるのだろう、きっと。
塔の天辺には、ドーム型の巨大な建造物が建っており、いかにも、といった感じの雰囲気を醸し出していたから。
「門番とか、誰もいそうにないけど、勝手に通っちゃっていいのかねー」
ギィが用心深そうに辺りを見渡しながら、目の前の城門まで歩く。
長い年月の間開いたことがなさそうな重厚な門扉はしかし、錠前はかかってなさそうに見える。
「………行こう」
私の言葉に、フィーとギィは頷く。
その外見とは裏腹に、門扉に手をかけると、不思議と力を入れずとも簡単に動き出した。
ギ ギ ギ ギ
大きな歪んだ音を立てながら。
「……えっ?」
「……あれ?」
む?
城内に入ると、これまた長い間忘れ去られた古城だとは思えないくらい綺麗に掃除が行き届いており、目の前には豪奢な絨毯が敷き詰められていた。
しかし、それよりも気になるのは――。
「甘い、匂いがする?」
フィーの呟きの通り、城内に入ると、どこかからとても上品な甘い甘い香りが漂ってきた。
花や、果物の、蜜の香り。
「まさか、龍がお菓子作りでもしてるんじゃないよね?」
ギィが冗談めかして言うが、龍が棲むと言われる古城に何故か漂う甘い蜜の香り。
そのアンバランスさが私にはえもいわれぬ不吉な予感をさせた。
「この匂いは…、上から漂ってきているみたいだ」
私達の目の前にはホールの先に長い階段が連なっており、ここを昇っていけば構造上先ほど外から見たあの中央の塔に辿り着くはずである。
辺りを見渡すが、生き物の気配は全くなく、静寂そのものだ。
「さて、鬼が出るか蛇が出るか」
「いや、出るのは龍だろ」
私の呟きに突っ込みを入れるギィの声にも、隠し切れない不安がにじんでいるように聞こえる。
「ね、ねぇ、ロゼ」
フィーが私の衣服を引っ張りながら心細そうに言うので、私は彼女の手を握り返した。
反対の手では、曾御祖父様から貰った長剣の柄を握り締める。
「大丈夫…、行こう!」
階段を上ると再び広い広いホール(元々はダンスホールだったのかもしれない)に出たが、私達の目的はもっと先だ。
高級そうな様々な家具が並んでいるホールを抜けて、通路を走り去り、その先にまた存在していた扉を開けると、そこには。
広い空間の壁沿いに螺旋状の階段が遥か上まで伸びていた。
ここが、先ほど見た塔の内部に違いないだろう。
上を見上げても、階段の終わりが遥かに遠く、見えないくらいである。
「この上から、甘い匂いが漂ってきている…」
私達は互いに顔を見合すと、慎重に階段を上り始めた。
階段を上れば上るほど、あの甘い匂いは色濃くなり、私達の決意を惑わすかのようだった。
そして――。
「おいっ」
「うん、見えたっ」
いつ終わるとも知れない人生のような螺旋階段を抜けた先には――。
まず、眼に入ったのは、頭上に広がる蒼穹の青空である。
塔の天辺にあったドーム上の建造物の上半分をくりぬいた形で天蓋が跡形もなくなっており、そこから雲一つない青空が見えていた。
目線を下に戻すと、階段を抜けた先にあるホールの中央には広大な果樹園が広がっている。
様々な花々が咲き誇り、目まぐるしくも鮮やかな花壇に囲まれる形で、季節外れの果物も含んだ果樹が辺りを生い茂っており、それこそがあの甘い匂いの正体であることは明白だった。
その果樹園へと導く形で、象牙で出来た白柱が連なって並んでいて、まるで楽園の入り口だと見紛うかのようだ。
ここは、神話に出てくる天上の空中庭園そのものだった。
「これは…?」
「ここに、龍がいるの?」
呆然と呟く私と同じく、フィーは警戒するのも忘れて立ち竦んでいた。
果樹園から漂ってくるこの甘い匂いを嗅いでいると、何もかも忘れてこのまま寝転がってしまいたくなる。
だけど――。
「おいっ、いつまでもこうしてる訳にもいかないだろ!」
ギィが茫然自失となっていた私達に声をかける。
そうだ。考えるより先に足を前に出せ。
「うん、分かっている。行こう!」
私はフィーとギィを促して、果樹園へと向けて一歩足を踏み出し――。
「そこで止まれ、人間」
「っ!?」
凍える程冷たい声と共に、凄まじい殺気が全身を襲う。
足が地面に縫い付けられたかのように、地面から一歩も動かせない。
こんなことって――!
私の知る限り、ディエナ隊長はお飾り部隊のロイヤルガードにおいても、なお他の騎士団と比べて遜色のない実力を持つ騎士なのだが(普段は絶対にそんなことは言わないけど)、そんなディエナ隊長の扱きを受ける時、彼女に殺気を向けられることがある。
実践訓練という名目で、私達はそうして実戦における気概を身につける訳だけど。
だけど。
今私が感じている殺気はそんなディエナ隊長のものとは比べ物にならないほど鋭く冷たいものだった。
文字通り、背筋が凍りつくほどに。
すうぅっと、その女性は象牙の白柱の裏から姿を現した。
いつから彼女がそこにいたのか、私には全く気配を感じ取れなかった。
短く刈り込んで丁寧に整えられている空色の髪。
何一つ感情を読み取ることができない深い海色の瞳。
怖いくらいに整ったその美しくも怜悧な顔。
その顔には、何故かとても綺麗な鱗が所々生えているのがここからでも見て取れる。
そして、女でありながら、何故か執事服を着込み、こちらを静かに見つめている彼女こそが、この殺気の持ち主に間違いなかった。
「ロ、ロゼぇ…」
フィーが泣きそうな声で私を呼ぶが、実際泣き出したい気持ちは私も同じだった。
ただ私にできるのは、ともすれば崩れ落ちそうな両足に力を入れて、何とか執事服の女性を見つめ返すことだけ。
「ここにはお前達の望む物は何一つとしてない。疾く、去れ」
そう静かに呟いて、話は終わりだとばかりにその場を去ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってください!もし、非礼があったのであれば詫びます。ここには、私の望む物があるはずなのです」
縫い付けられたかのように動かなかった口を、気合でこじ開けて、女性に向けて叫ぶ。
女性はチラリとこちらに目線を向けて、つまらなさそうに答える。
「なんだ。富か、名誉か。どちらにせよ、それらのものをお前達が得て帰ることはないだろう。去れ」
「富でも、名誉でもありません。私は、私は武龍の試練に挑戦したいのです!」
「武龍の試練、だと?」
そこで初めて女性は表情を動かした。それから感じ取れるのは、微かな苛立ち?
「くだらん。実にくだらない。彼我の実力差も読み取れないような未熟者めが。私はお前のような人間がもっとも嫌いだ」
そう言って、こちらを向き直る。
「ひっ」
それだけで、先ほどから感じている殺気が増したようにも感じる。
「おい、ロゼっ。これはやばそうだよ、逃げようっ!」
後ろでギィが失神しそうなフィーを支えながら話しかけてくる。
だけど。
「なぜなら、お前のような人間は決まってお父様の手を煩わせる。そうなる前に」
「おいっ、ロゼっ!聞こえてんのかっ?」
聞こえているよ、ギィ。
だ、だけど。ここまで来て逃げ帰るなんてこと――。
「排除することこそ、私の役目」
あの冷たい海色の瞳をスっと細めて、一歩こちらに踏み出した。
こ、これは、ダメかもっ。
もうやるしか――。
私は先ほどから意識が飛ばないように必死に掴んでいた長剣の柄を血が出るほどに握り締める。
その時。
“やめろ、ルビー。せっかく尋ねてくれた可愛らしい客人をそう怯えさせるものではない”
私の頭の中に、深い落ち着きのあるバリトンの声が響き渡った。
「お父様…」
執事服の女性は悪戯が見つかった子どものように顔を少し歪めて、上空を眺めた。
そこには――。
「ひぅっ」
「あ、おいっ」
その姿を見て、今度こそフィーが失神してしまったようだ。
慌ててフィーを抱きかかえているギィの姿を横目に捉えながら、私自身失神したいくらいだった。
この空中庭園の上空には、いつの間にか、大きな翼を広げて、尻尾も合わせれば全長10メートル以上もあろうかという大きな龍の姿があった。
「お帰りなさいませ、お父様」
執事服の女性は、上空の龍に向けて恭しく頭を下げる。
“ああ、今戻ったよ”
そのまま龍は大きな翼を羽ばたかせながら、果樹園の手前に降り立った。
着地の際に生じた風で花壇の花びらが舞い上がり、それが降り注ぐ中翼を折りたたむ龍の姿は、まるで物語の中の光景のようだ。
これが、武龍アインハート。
その全身は白い鱗に覆われており、おかげで武龍が元々は何の龍だったのか判明することを困難にしていた。
そして、黄金色に輝く縦長の瞳にはこの世の成り立ちを全て見てきたかのように、知性の炎が宿っている。
“さて、すまないね、客人。少し空中散歩に出ていたものでね、留守にしていたのだ。娘のルビーには尋ねてくる者があっても追い返すようなことはしないように言っておいたのだがね”
龍はその知性溢れる瞳をこちらに向けた後、(驚くべきことに!)本当に申し訳なさそうな表情を見せた。
「お言葉ですが、お父様。20年前のこともあります。人間達にはもっとお気をつけになった方が」
執事服の女性は、龍の言葉を受けて、先ほど私達に凍るような殺気を向けていた人物とは思えないくらい、親に叱られた娘のような様子で喋っていた。
どういった関係なんだろう。
娘、とか言っていたけれど。そんな、まさか――。
「お父様の強さは信頼しております。しかし、万が一のことがあっては…」
本当に心配そうな声色で龍に話しかけている。
“お前はいつまで経っても心配性が治らないな、ルビー。この世の中のどれくらいの人間が私に傷一つでも付けることができる?そんな者を探すだけで、人間の短い一生は終わってしまうだろうな”
「ですが…」
“それに、お前がいるだろう、ルビー?”
なんと龍は執事服の女性にウィンクまでして見せた。
武龍というのは、私が思っていたような龍ではないみたいだ…。
「……分かりました。申し訳ありません、お父様。差し出がましい真似をしました」
“なに、構わないよ。いつだって、お前が私のためを思って行動していることは知っているからな”
謝る女性に対し、龍は優しい声色で話しかけた。
しかし、目の前にいるこの龍は、本当に武の神様とまで言われた武龍アインハートなのだろうか?
「あ、あのー」
決死の思いで話しかけた私に対し、龍と女性は存在を忘れていたと言わんばかりにこちらに目を向けた。
“おっと、すまない。客人のことをほったらかしにしてしまっては、ホストの面目が立たないな”
「申し訳ありません。お父様が認めた以上、あなた様方は、ここ空中庭園のお客様です。先ほどの非礼はお詫びします」
そのまま、深々と頭を下げる執事服の女性。
だけど。
「い、いえっ。こちらこそ、そのごめんなさいっ」
「何がだよ、まったく…」
隣でギィが何か呟いているが、ああも頭を下げられるとこちらが恐縮してしまうのだった。
「私の名前はルビー。ここ空中庭園は私とお父様が腕によりをかけて作り上げたこの世で最も美しい庭園であると自負しております。どうぞごゆるりとご歓談の程を」
「いえっ、そのっ、ありがとうございますっ」
「それでは」
最後にもう一度頭を下げて、ルビーさんは現れた時と同じように音もなくその場を去っていった。
“私に怒られて、少し拗ねていたな、あれは。いつまで経っても、子供のままで困る”
言葉の割に、どこか嬉しそうな色が滲んでいた。
「あの、貴殿が、かの武龍アインハート殿なのでしょうか?」
今までの言動の数々から、どうしても信じられなかった私は、つい、龍に向けて聞いてしまっていた。
“いかにもそうだが、その名は人間達が勝手に付けた名だ。私のことを呼ぶ時は好きなように呼ぶといい”
「で、では、アインハート殿、と」
“ふむ、堅苦しいお嬢さんだな。それで、君達は何の用でここまで来たのかね?もし、私を倒して名声を上げたいなどと思っているのなら、悪いことは言わん、さっさと山を降りたが方が身のためだぞ”
どうしてか、愉快そうにアインハート殿はそう言った後、牙を剥き出しにして笑う。
こ、怖い…。
良かった、フィーが気絶していて。もし起きていたら、また失神するところだったろう。
「も、申し遅れましたが、私の名は、ロゼッタ。ロゼッタ・オールデーズと申します。これでも、トレンディア王国で騎士をしております」
“ふむ、それで?”
「こちらの二人は、私の友人で、信頼できる仲間のフィーメラルダとシャギィです」
私の言葉に合わせるように、ギィが一応目礼をした。
珍しいことに。
騎士団においては目上の者に対しても全く敬意を払おうとはしないのに。
「私は、あなたを倒すためではなく、武龍の試練に挑戦するためにここを訪れたのです」
“武龍の試練?”
アインハート殿はそのまま眼を丸くする。
“なんとまぁ、懐かしいことを言い出したものだが、しかし、あれは人間達が勝手にそう呼んでいるだけで、私は試練など与えた覚えなどない”
「ええっ、そうなのですか?」
まさか、武龍本人からその試練を否定されるなんて。
“私は武具作りが趣味でね。元々は、私が趣味で作った龍鱗の剣を気に入った人間の小僧にくれてやったのが始まりだ”
「しゅ、趣味…?」
“うむ。趣味だ。それを人間達が何を勘違いしたのか、私の与える試練を乗り越えれば龍鱗の武具をもらえるなどと言い出して、ここに腕試しの者がたくさんやって来て困ったものだったよ”
伝説の武龍の試練がそんなものだったなんて。
隣を見れば、ギィも同じく口を開けて驚いていた。
“煩わしいからほとんどの者は追い返したがね。まぁ。中には面白い奴も混じっていて、気に入った奴がいれば龍鱗で出来た武具を分け与えはしたが。製作者として、やはりせっかく作った武具は誰かに使ってもらいたいものだからな”
それでは、私の敬愛する曾御祖父様は…。
“それを人間達は龍騎士などと呼んでいるそうだが、私の知ったことではないな。君も、そんなくだらない噂に振り回されて、ご苦労なことだ”
やれやれ、と首を振るアインハート殿。
そんな仕草も、どこか人間臭さを感じさせた。
「そ、それでは、私に龍鱗の武具をくださることは…」
“うん?君は確かに面白そうな人間ではあるが、私の武具を扱う者は、それに見合うだけの技量を持った者であって欲しいものだ。君に私を納得させるだけの何かがあるのかね?”
そう言って、あの深い黄金色の瞳で見つめてくる。
あの瞳で見つめられると、何かも打ち明けて、さらけ出してしまいそうになる。
しかし、私には――。
「わ、私は…」
――尾羽も生え揃っていないひよこが転属願いを出すなど、百年早い――
私にあるものはなんだ。
経験なんて、ある訳がない。
武龍を唸らせるだけの技量も。
私は――。
“龍騎士の称号が欲しければ、私を楽しませてみろ、人間のお嬢さん。初めて私が武具をくれてやった人間の小僧などは、技量もない未熟者だったが、それはそれは面白い奴だったぞ”
最初の、龍騎士。
「そ、それはアルバート卿のことでしょうか?」
“そう言えばそんな名前だったな。私に負けるとすぐに泣き出すのでこっちも困ったものだったよ”
「そんな…、あの曾御祖父様が、勝負に負けて泣く?」
あの、曾御祖父様が?
王国中の騎士の誰よりも強く、気高く、誇り高かった、騎士の中の騎士。
そんな曾御祖父様が?
“アル坊が私のもとに来たのは君よりもまだ若い頃だったからな。負けず嫌いで、泣き虫で、そして諦めの悪いきかん坊だったよ、あいつは。しかし、曾御祖父様、ということは、君はあいつの血縁者なのかね?”
昔を振り返るように一瞬遠くを見た後、アインハート殿はそう聞いてきた。
「は、はいっ。アルバート・コーンフィールド卿は私の曽祖父に当たります」
“………そうか。君はコーンフィールド家の者か”
私の言葉を聞いて、アインハート殿は何故か先ほどよりもさらに遠くを見つめた。
その瞳に一瞬、複雑な様々な感情が過ぎったかに見えたが、私よりも遥かに長い年月を生きてきたはずの龍の感情を読み取ることなど、私に出来るはずもなかった。
“それで、アル坊はまだ元気かね?あいつは人間にしては長生きをしていたかと思うが”
私の脳裏に一瞬曾御祖父様の快活な笑みが過ぎる。
「いえ、3年前にお亡くなりになりました。家の者も、大往生だったと」
あの家に来て、唯一私にとって嬉しいことがあったとすれば、それは、曾御祖父様と出会えたことだった。
曾御祖父様だけが、私と母上の唯一の味方だったから。
“そうか、死んだか…。人間にしてはなかなか愉快な奴だったが、惜しいことをした。あいつがここに居た期間は実質1年間くらいのものだったが、その間私にとってもルビーにとっても充実した毎日だったと思う”
「そう言ってくだされば、曽祖父も喜ぶでしょう…」
私に、寝物語で武龍との決闘の日々を語ってくれた曾御祖父様。
その話しぶりからも、曾御祖父様が武龍のことを深く尊敬していることが感じ取れたものだった。
もっとも、曾御祖父様の話では武龍に負ける度に悔し泣きをしていたなんてことは出てこなかったが。
“それが原因かね?君がその若さで武龍の試練などと言い出したのは。アル坊を除けば、私のもとを訪れた者の内、君が一番若い”
「い、いえっ。曽祖父のことは関係ありません。私が龍鱗の武具を求めるのは、違う理由です」
“ふむ。それは、ひょっとして君がアル坊の曾孫なのにもかかわらず、コーンフィールド姓を名乗っていないことにも関係しているのかね?”
「っ!?そ、それは…」
ダメだ。声よ、震えるな。
私の理性よ、弾けるな。
私は。私の名は――。
「おい、ロゼ…」
ギィがそっと私の背中に手を当ててくれる。
鎧越しでは、その体温は伝わらないけれど、彼女の気持ちは伝わった。
「大丈夫、大丈夫だよ、ギィ」
そう、私は大丈夫なはずだ。
“………まぁ、いい。君が話したくないことを無理に聞く気はない。君が話したくなったなら、別だがね”
「あ、ありがとうございます」
“さて、君に私の武具を譲ることは出来ないにしても、君達は私の客人だ。ここでゆっくり旅の疲れを癒していくといい。そちらのお嬢さんを寝かせる場所も必要だろう?”
そう言って、アインハート殿は、鋭いかぎ爪をぐったりと気を失っているフィーへと向けた。
「あ、かたじけない。そうしてもらえると、助かります」
「話が分かるじゃんか、龍のおっさん」
などと、軽くアインハート殿に話しかけているのは、確かめるまでもなく我がチームのトラブルメイカー、ギィである。
「おいっ、失礼だろう!すみません、アインハート殿!」
“ふはははっ。元気の良いお嬢さんだ”
アインハート殿は気にしていないのか、口を大きく開けて笑っている。
しかし、こちらとしては、気が気でない。
「ボクはシャギィ・クラフトマンっていうんだ。ギィって呼んでいいよ。でも、気に入った奴にしかそう呼ばせていないんだから、光栄に思ってよね」
何故か得意げに、ない胸を張ってそう告げるギィ。
しかし、アインハート殿が怒り出したらどうする気なんだ、全く。
“ふ、ふ、ふ。面白いお嬢さん達だ”
「本当にすみませんっ。後できつく叱っておきますから」
「なんだよ、おいっ。お姉さん面すんなっ。ボクの方が年上なんだからなっ!」
「いいからもう黙ってよ、ギィ!」
“気にすることはない。さて、ここ空中庭園の両隣には客人のための客間が用意してある。今夜はそこに泊まるといい”
アインハート殿の言葉に促されて果樹園の左右を見ると、確かに宮殿のような建築物が二つ、それぞれ左右に建っていた。
その二つの宮殿を繋ぐようにして、中央には綺麗な小川が流れている。
“向かって左側の建物、私などは新月の間などと呼んでいるが、そこは少し理由があってね。なるべく近寄らないでもらいたい。そこ以外であれば、この城内全て好きに見てもらっても構わんよ”
そう言うと、アインハート殿は翼を一度大きく羽ばたかせた。
それによって生じた風圧で、辺りの木々がさざめく。
「分かりました。お心遣い、感謝します」
“さて、私は拗ねてしまった娘のご機嫌取りでもしてくるか”
そのまま、大きく翼を羽ばたかせて、現れた時と同じように、あっという間に大空へと飛び去っていってしまった。
後に残されたのは、ポカンと上空を眺める他ない私に、気絶してしまってギィの腕の中ですやすや眠りこけているフィーに、なぜか楽しそうに空へ向けて手を振っているギィの三人だけである。
「………………………………は、はは」
「ん、どうした、ロゼ?」
ギィの疑問に答える間もなく、私はその場に膝から崩れ落ちる。
「お、おいっ」
「……………………………こ」
「こ?」
「こわかったよーーっ!」
そして、今まで我慢していた涙が両目から止め処なく流れ始める。
「うわっ、と。よしよし、いい子だから泣くなよ、もうっ」
今になって、両手と両足がガクガクと震え出す。
あの時、アインハート殿が帰ってくるのが少しでも遅ければ、私はルビーさんにあっさり殺されていただろうし、何かの気紛れでアインハート殿が私達を煩わしく思ったのなら瞬きをする間に私達は噛み殺されていただろう。
そう思うと、急に安堵が押し寄せてきて、感情が制御できなくなってしまった。
こうやって声を上げて泣くのは、一体何年ぶりだろう?
それは、きっと。
「う、うぅーっ、うっく」
「よしよし」
顔をくしゃくしゃにしてそのまま涙を流す私を、いつまでもギィは頭を撫でてくれるのだった。
※※※※
何かの夢を見た気がする。
それが何の夢だったのか、もう思い出せない。
だけど、母上と、曾御祖父様が夢に出てきたような気がした。
懐かしくも、甘い、夢。
そんな夢だった気がする。
ふと目を覚ますと、私は寝ながら涙を流していたのか、頬が水に濡れていた。
曾御祖父様が死んで、母上が死んだあの3年前から、私は泣くことを忘れたかのようにがむしゃらに頑張ってきた。
もう、泣かないと、心に決めていた。
なのに、この城に来てから、私は今までの分を取り戻すかのように泣いているような気がする。
アインハート殿は、曾御祖父様もよく泣いていたと言っていた。
私も、泣いていいのだろうか?
泣いても、強くなれるのだろうか?
辺りを見渡すと、キングサイズのベッドに寝ている私の両隣に、フィーとギィが一緒に眠っていた。
フィーは何か怖い夢でも見ているのか、時々うなされているが、ギィは気持ちよさそうにすやすやと眠っている。
寝相は変だが。
あの後――。
ギィの前で大泣きしてしまった私は、気恥ずかしさからいつもの喧嘩をギィとして、その後気絶したフィーを抱えて空中庭園の客間へと運び込んだ。
そこは、護衛の際に覗いたことのある王国の王女達の部屋にも勝るとも劣らない絢爛豪華な造りになっていて、その家具全てがどうやら手作りのようでもあった。
まさか、アインハート殿が全て作ったのではないだろうな?
ともかく、客間の中にあった寝室にフィーを運び込んだ後、客間に戻ると、いつの間に運び込まれたのか、テーブルの上には豪勢な料理が並んでいた。
それをギィと二人で平らげた後、休んでいると昼間の疲れがどっと来たのか、そのままベッドに倒れこんで、眠ってしまったらしい。
寝室を出て、そのまま空中庭園に出ると、満天の星空が天上に見える。
月と、星々の光が淡く降り注ぐこの果樹園は、なるほど、この世の楽園のようである。
この星空の下、この空中庭園よりも遥かに下の地上には、王都があり、私が住む隊舎があり、そしてあの家があるのだろう。
ここからでは、遠くて見ることさえ叶わないけれど。
「……ん?」
果樹園の中心から、微かに誰かの話し声が聞こえてきた。
その一つは、あの心地よいバリトンだった気がしたが、もう一つ聞こえてきたのは――。
私は耳を頼りに、その声が聞こえた方に向かって歩いてみる。
林檎に桃、葡萄に梨。
季節関係なく実を付けている様々な果物の木々達を抜けて奥へと進むと、そこには丸い大きな岩が鎮座していた。
そして、その上には――。
“こんばんは、お嬢さん。こんな夜更けに散歩かね?”
その大きな体を岩の上に広げて寝そべっている、白い鱗を持つ年経た龍が居た。
「これは、アインハート殿。夜分申し訳ありません。こんなところで何をしているのです?」
“ふむ。ごらん、星が綺麗だろう?ここは王国内において最も天に近い場所、と言っても過言ではないからね。ここから眺める夜空はいつまで経っても飽きることはない”
「確かに、見事な星空だとは思いますが…」
私は彼の言葉に賛同しつつも、辺りを伺った。
「あの、不躾な質問で恐縮なのですが、ここに、もう一人誰かいませんでしたか?」
私は、先ほど聞いたもう一つの声が気になっていた。
どこかで聞いたことがある声だったような、そんな気がしてならなかった。
“ふむ、まぁ、気にすることはない。月夜の化身でもひょっとしたら居たのかもしれないな”
「はぁ…」
どうやらアインハート殿は、本当のことを教えてくれる気はないらしい。
しかし、私は。
「あの…、ご迷惑でなければ、ご一緒してもよろしいでしょうか?」
“構わないとも。今日は稀に見る見事な夜空だ。君のような可憐な女性と楽しむのも悪くない”
「あ、ありがとうございますっ」
彼のお世辞に照れながら、私はその大きな岩を背にその場に座り込んだ。
そして上空を眺める。
「確かに、地上と比べて空が近く感じられます。手を伸ばせば、星も掴めそう…」
そう言って、実際に私は空へと向けて手を伸ばす。
しかし、その手は虚空を掴むばかりだ。
“そうだろう?ここに住むことを決めたのも、実はそれが理由なのだよ。以前私が住んでいた場所は空が遠く、押しつぶされそうに狭い場所だったからね。今度は広く空が近い場所に住もうと決めていたのだ”
「そうなのですか?」
それはきっと、私が生まれるよりも遥かに昔の出来事なのだろう。
そうやって、この龍は様々な場所で様々な人間の一生を眺めながら生きて来たに違いない。
「私が………、私が以前住んでいた場所は、まるで牢獄のような場所でした」
気が付けば、私は口を開いていた。
あの家のことを話す時、いつも私の心の内には全身を燃やしつくような憎悪と痛みが駆け巡っていた。
フィーやギィに、私の家のことを話した時にも、そうだった。
だけど。
だけど、今私の心の内にあるのは、穏やかな静謐だけだ。
あの静かで深い黄金色の瞳を心に思い浮かべるだけで、私の激情は霧散してしまったかのように感じる。
それとも、あの時。
ギィの前で大泣きしてしまった時に、私の憎しみも一緒に流れ出てしまったのだろうか。
あの黄金色の瞳で見つめながら、年経た白い龍は私が続きを話すのを静かに待っていた。
――私は、トレンディア人の父と、ノッドラート人の母との間に産まれました。
ノッドラートがトレンディアとの戦争に負けて40年近く経ちますが、今でも、王国内ではノッドラート人に対する偏見が根強く残っています。
母は元々は、血筋を辿ればノッドラートの豪族の娘なのだそうです。
そんな母を、父が目をつけて半ば奪い去るように妾にしたのも、必然だったのかもしれません。
父は、コーンフィールド家の嫡男でした。
コーンフィールド家は元々、没落貴族の一族だったそうですが、そんな一族を復興させたのが曽祖父でした。
ノッドラートとの大戦において獅子奮迅の活躍を見せた曽祖父は、救国の英雄と持て囃されました。
そして、あっという間に、コーンフィールド家はかつての地位を取り戻したのです。
いえ、曽祖父が引退し、祖父から父へと代替わりした時には、曽祖父でさえ思いもよらぬほどの力と地位を王国内において得ていたのです。
父は暴君でした。
謀略によって祖父を当主の座から引き摺り下ろした後、コーンフィールド家において父に逆らえる者は誰もいなくなっていました。
曽祖父ですか?
ええ、英雄と謳われた曽祖父でさえ、そうでした。
そんな父のもとに愛人として引き取られた母が産んだ子が、私です。
父はそんな私をコーンフィールドの一員だとは、決して認めようとはしませんでした。
だから、私は、未だにコーンフィールドを名乗ることを許されてはいません。
もっとも、私は、母の名前であるオールデーズ以外名乗るつもりもありませんが。
話が逸れました。
文字通りコーンフィールドの家で飼われていた私と母は、家畜同然の扱いを受けながら日々を過ごしました。
私の上には兄が一人と姉が二人、父が正妻に生ませた子がいますが、彼らも私を人間扱いすることはありませんでした。
あの家の中で、私と母を一人の人間として扱ってくれたのは、曽祖父だけです。
父が私たちを厄介者だとしてあの家から放逐しなかったのも、曽祖父がいたからかもしれません。
だけど、そんな曽祖父も一線を退いてからは老いが激しく、父を押さえ込み私達をあそこから助け出してくれるほどの力はもう、なかったようです。
そんな曽祖父が3年前老衰で死んでからは、父はとうとう私達への興味の一切を失ったようでした。
文字通り、私達への一切の干渉をやめて、コーンフィールド家の広大な敷地内にある小さなあばら屋に私達を押し込めて、そこから出ることを禁じたのです。
母は。
母は儚くも美しい人でした。
そして、優しい人でした。
私は、母が誰かに対して恨み言を言っているのを聞いたことがありません。
あの地獄のような場所でさえ、です。
私は、そんな母が衰弱し、命の灯火を弱めていくのをただじっと眺めることしかできませんでした。
半年間。
半年間もの間私達はそのあばら家に閉じ込められたまま過ごしました。
その間、私は母以外の誰とも口を聞くこともなく、母が死の色を強めていく様子をただただ眺めていました。
私は、無力でした。
私は、母が笑ってくれればそれで満足だったんです。
それなのに。
ある日、母は眠ったまま目を覚まさず、もう二度と私に笑いかけてくれることはありませんでした。
母が死んで、私は誓いました。
いつかきっと、この狂った家に報いを受けさせてやる、と。
剣一本で没落したコーンフィールド家を再興した曽祖父のように、私も軍に入り、力と地位を得ることを望みました。
父は外務卿の地位に就いていましたし、政界の場においては絶大な影響力を持っていましたが、軍属になれば、そう簡単とこちらに手を出すことはできませんから。
もっとも、父は私のことなど子虫程度にしか気にかけていないのかもしれまんせんが。
ともかく、私は、騎士団の中で出世して、出世して出世して、いつか、父に対抗できるほどの力を得ることができたなら。
コーンフィールド家を取り潰すことが夢なんです。
汚いこともたくさんしてきた父でしょうから、叩けば埃なんていくらでも出るはずです。
そして。
そして、あの家を取り潰したのなら。
あの広大な敷地内に、春になると様々な花が咲き乱れるお花畑に、母のお墓を作ることが私の夢なんです。
たった、一つの、私の夢。
そのためだけに、私は生きている――。
長い私の身の上話を、アインハート殿は静かに聞いてくれていた。
話し終わった後、気がつけば、私の両目から涙が零れていた。
「あれっ?お、おかしいな。フィーやギィに話した時にも、涙なんか流さなかったのに…。な、なんで…」
――お母様。目を覚ましてください、お母様。お願いです、目を開けて私に笑いかけてください――
あの時、私の涙は涸れ果てたはずだったのに。
「あは、あははっ、すみません…。みっともないところを…、お見せして…」
それなのに、止まることなく、涙が流れ出る。
“なに、気にすることはない。君の敬愛する曽祖父、アル坊も君と同じくらい泣いていたもんさ。いや、君よりももっとかな”
とても、優しい声色。曾御祖父様も、私が何かの拍子に泣いた時は、こんな風に優しく声をかけてくれた。
“そうして泣いている姿を見ていると、確かに、君はあいつの曾孫だな。泣いている顔がそっくりだ”
涙で滲んだ私の眼に、龍に挑んでは負けて半べそをかく負けん気の強そうな少年剣士の姿が幻のように浮かんでは、消えていった。
私が泣きやむまでの暫くの間、アインハート殿はやっぱり静かに待っていてくれた。
「すみません、本当にみっともないところをお見せして…」
“たまには泣いてみるのもいいものだ。心に溜め込みすぎると、体に毒だからな。もっとも、私はもう泣くことはできないがね”
そう言って、茶目っ気たっぷりに笑う。
「ふふっ。私、あなたのことを誤解していました。武龍、なんて名前が付いているので、どんなに恐ろしい龍なんだろうと、本当はここに来るまで不安で一杯だったんです」
道中、そんな不安をフィーやギィの前で見せることはしなかったけれど。
この旅は、私が言い出したことだから。
“幻滅したかね?他の龍はどうか知らないが、私は昔からこの世で最も人間臭い龍だなどと友人達からも評判なのだよ”
「いえっ、幻滅だなんて。想像してたのよりもよっぽど素敵でした」
私は両手を振って否定の意を表す。
そんな私の姿を見て、アインハート殿は嬉しそうに笑う。
初めは、彼が笑うと鋭い牙が見えて恐ろしかったりもしたのだけれど、今では不思議と愛嬌のある顔に見えた。
“君のような素敵なお嬢さんにそう言ってもらえると、嬉しい限りだ”
笑いながら、月を仰ぎ見る。
私も同じように、夜空を眺める。
“それに、君なら大丈夫だろう。私の娘と相対しても一歩も退こうとはしなかった勇敢な仲間もいることだし”
「フィーとギィ、ですか?ええ、私の大切な友人です」
私は夜空から地上へと目線を戻し、そのまま二人がまだ寝ている筈の客間のほうへと眼を向けた。
“だから、武龍の試練、などと焦る必要もないと思うがね。君達なら、きっといつか上へと昇ることができるだろう”
「それなら、いいのですが…」
私の脳裏を過ぎるのは、生意気な顔をした一人の少女の姿。
“何か憂慮すべきことでも?”
「いえ、その、私は騎士、と言っても見習い騎士みたいなものでして…。私が所属している部隊は通称ロイヤルガードと言って、王族の護衛を主な任務としているのです」
“ほう、王族の護衛とは、重要な任務ではないのかね?”
アインハート殿は何故か、王族の護衛、というところで愉快そうな顔を一瞬見せた。
「ですが…、その実態は言うなればわがままな王女達のお守りです。彼女達は滅多に後宮から出てくることもありませんから、護衛、と言ってもそれは建前だけなのです」
“それが、君にとっては不満だと?”
「ええ…。特に私のチームが担当しているルージュ姫のお守りは、これがまた、大変でして…」
“ほほう、ルージュ姫の?”
アインハート殿は、理由は分からないがさらに愉快そうな表情を強める。
何だろう?
「えーと、ご存知ですか?巷では、王国始まって以来のおてんば姫としても有名なのですが」
“ふむ。その姫のおてんばっぷりはそんなにすごいのかね?”
「ええ、それはもう!私もよく友人から行動する前にちゃんと考えろとか言われますが、あの姫様の考えなしっぷりは私をも遥かに上回ります!」
あー、思い出したらムカついてきた。
「ちっちゃい身なりの割に、尊大な口調で人をあごで扱き使って、それはもうひどいものですよ!あんなのじゃ、嫁の貰い手なんてあるはずがありません!いつだったか、急に下町が見たいなんて言い出して、私達がどれだけ走り回るはめになったか。とんでもないお姫様です!」
“はっはっはっ。眼に浮かぶようだ。君達がその姫に振り回されている姿がね”
「私にだって眼に浮かびますよっ。彼女がいつもの尊大な口調で私に文句を言っている姿が」
きっと、こうやって両手を腰にあてて、ふんぞり返った姿勢で人を見下すように見つめながら――。
「ほっほーう。そなたがわらわのことを普段どう思っていたのか、よーく分かったぞ」
「へっ?」
今、後ろから聞こえてきたのは、普段私が聞きなれている護衛対象の――。
ギギギ、と音がしそうなくらい固まったままゆっくりと私が振り返ったそこには。
私の想像通り両手を腰に当てて。尊大そうにふんぞり返り。勝気そうな目を吊り上げて。
光り輝きそうなくらいツルツルと綺麗なおでこに、絹のような細いブロンドの髪を腰まで伸ばし。
その頭の上に、様々な宝石が散りばめられた黄金のティアラがちょこんと乗っている。
御年12歳。トレンディア王国第三王女。ルージュ・ファラ・トレンディア。
「ひ、ひ、姫様ーっ!?どうしてここにーっ!?」
私の叫びの背後から、アインハート殿が爆笑する声がこだましていた。