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No.10769の一覧
[0] 龍と紅の少女たち[PTA](2010/01/27 01:16)
[1] 一章・01[PTA](2009/10/06 17:55)
[2] 一章・02[PTA](2009/11/12 00:08)
[3] 二章・01[PTA](2009/09/15 17:16)
[4] 二章・02[PTA](2009/09/15 17:17)
[5] 二章・03[PTA](2009/09/15 17:17)
[6] 三章・01[PTA](2010/01/27 01:14)
[7] 三章・02[PTA](2009/08/22 23:00)
[8] 三章・03[PTA](2010/01/27 01:15)
[9] 三章・04[PTA](2009/09/15 17:17)
[10] 三章・05[PTA](2009/10/08 00:44)
[11] 間章Ⅰ[PTA](2009/10/08 00:45)
[12] 間章Ⅱ・前[PTA](2010/01/28 01:07)
[13] 間章Ⅱ・後[PTA](2010/01/28 01:05)
[14] 間章Ⅲ・前[PTA](2010/02/26 00:16)
[15] 間章Ⅲ・後[PTA](2010/02/26 00:15)
[16] 年表・人物表[PTA](2010/02/26 00:35)
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[10769] 間章Ⅱ・後
Name: PTA◆8ee8c2cb ID:3b1076ac 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/01/28 01:05




王国歴892年




その年の夏の間中、私の機嫌はひどく悪かった。


それこそ、うっかり私の居城を訪れた人間を殺してしまいそうになるくらいに。



――理由。



大きく分けて、理由は二つあった。


一つは、ここ数年の間で私がある種の失望を人間に覚えていたことが原因である。

来る日も来る日も飽きることなく戦争を繰り返し、もう十年目にもなろうというのに、終わる気配すら見せないトレンディアとノッドラートとの大戦。


両国の国土は見る間に疲弊していき、土地は枯れ果て、国民は希望を無くしていった。

私はそれをこの天上の空中庭園から、眺め続けてきた。

彼らは、他にすることがないのだろうか?


人間とは、かくも愚かであっただろうか。

私が彼らに望んでいたものは、決してそのような愚鈍さではなかったはずだ。

止むことなく断続的に届けられる戦果の報。

それがどうしようもなく、私をうんざりさせるのだった。


もう一つは、自身の行いに大きな悔いを感じていたことが、私の不機嫌の原因であった。


オルフィオ・フォウ・トレンディア。

トレンディア王国の現国王で、下界では最近“武龍王”などと呼ばれているらしい。

しかしそれも、私が彼に手を貸したことが原因だった。

約二年前。王は私の居城を訪れて、私に戦争への助力を要請してきた。

最愛の妻を亡くし、止むことのない隣国との戦乱に疲弊していた若き王。


私のことを本名で呼んだ王の要請に対し、感傷に引き摺られて私は手を貸した。


龍鱗とダイヤで錬成して作った龍鱗の鎧を王に分け与え、彼の望むがまま戦地に赴き何百人もの敵兵を薙ぎ殺してきた。


だが、その結果はどうだろう?


確かに、膠着していた戦局はトレンディアに有利になったに違いない。


けれども、そのまま泥沼の総力戦に突入した結果、未だに両国は雌雄を決するために戦い続けている。

多くの死を撒き散らしながら。


私のしたことは、徒に戦局を拡大し、戦争を終わらせるどころかより一層ひどくしたに過ぎなかった。


軽挙妄動も甚だしい限りである。


お陰で、それからというもの、私は人間に会うのも嫌になってしまい、自らの居城に籠もりっきりとなり、誰かに会うのも拒否し続けていた。


そんな中、その年の夏の終わりに、懐かしい友人と珍しい客人が私の居城を訪れてきたのだった。





“何の用だ、リチャード。今日の私は虫の居所が悪い。特に用がないのなら、さっさと帰った方が身のためだぞ”


空中庭園の中央にある、お気に入りの岩の上に寝そべりながら、私は気怠くその男に声をかけた。


「これは失礼を。しかし、今日は、というよりここ数年貴方の虫の居所はずっと悪いままですね。困ったものです」


目の前の壮年の男は、そう飄々と返す。

機嫌悪く睨み付ける私の目線にも気にとめた様子はなく、微笑を浮かべている。


“それが分かっているのなら、尚更何しに来た。まさか、不肖の馬鹿弟子の訃報を伝えに来た訳でもあるまい?”


「ええ、今のところお袋の容態も安定していますよ。けれど、いつまた発作を起こすか、分かったものではないのですけれど」


困った様子で苦笑いをしながら、上品な形に蓄えた口元の髭を撫でる。


リチャード・コーンフィールド。

端正な顔立ちをしているが、柔和な様子でいつも微笑を浮かべていることから、優しげな印象を万人に与える目の前の美丈夫は、アップルとアルバートの一人息子である。


両親から魔術の才能も剣術の才能も遺伝しなかったのか、武と術の方面には全くその才能を発揮しなかったが、反面、目端が利き口が上手く捉え所のない性格が幸いしてから、商業、あるいは政治的方面での手腕には光る物があり、王国最強と名高い父が立てた武勲を利用してコーンフィールド家の家名を立て直した立役者の一人でもある。


「お袋が病に倒れてから、親父の機嫌が悪くて困っているんですよ。なのに、貴方の機嫌まで直らないままとなると、ますます困ったことになりましたねぇ」


言葉とは裏腹に、柔和な笑みを崩すことなく深めていく。

この男は昔から、こうして絶えず微笑を浮かべることによって表情を消して、他人に感情や思考を読まれないようにすることに長けていた。


まだ40歳も過ぎてはいない歳だったはずだが、口元に髭を蓄えて年齢不詳に見せているその風貌もまた、彼の感情を消すことに一役買っていた。


“御託はいい。それで何の用だ?”


リチャードの仮面としての微笑に僅かな苛立ちを感じた私は、言葉短く先を促す。


「ええ。貴方に会いたいという奇特な方がいましてね。ここ最近貴方は人間に会いたがっていないという噂でしたので、とうとう私に白羽の矢が立ったのですよ」


“分かっているのなら話は早い。その人間を連れてとっととこの城から去れ”


私の知覚は、リチャードの後ろに気配を消して潜んでいる一人の人間の存在を捕らえていた。

しかし、気配を殺して人の家に入り込むような輩には、大抵ロクな奴がいないものだ。


「そういう訳にもいかないのですよ。これは私個人ではなく、コーンフィールド家の面目としての問題でもありましてね。それに、断るにも断れない方でして」


そう言って、リチャードは後ろを向いて目線を送る。

初めから、私の意向を聞くつもりなどないように。


リチャードの合図に応じて、彼の後ろの果樹園から現れたのは、一人の女騎士であった。


また年若く、十の十字架が彩られた純白の鎧を身に纏い、肩口で切り揃えられた髪さえも溶けるように白い。

一人の、少女である。

少女はそのまま音もなく私が鎮座していた岩の前まで進み出て――。


「無理を言って申し訳ありません。私のコードネームは“ヴァーミリオン”。法王府特別異端審問騎士団“十十字軍”の、第八軍を務めております」


透き通るようなソプラノで、そう名乗りを上げた。

静謐を感じさせる、静かな瞳。

しかし、私はその瞳に映る色をどこかで見たことがあった。

嫌な色だ。

それは色彩としてではなく、感情の色として――。


“…ほう”


誰であろうと、問答無用で追い返すつもりであったが、私は少女の名乗りを聞いて僅かな興味を引かれた。


十十字軍。

法王府の異端審問機関としては異例中の異例である、殺害すら許容される武力を認められた特別な騎士団であり、たった十人で構成されているにもかかわらず、“軍”の異名を持つ特異な異端審問騎士団。

それは、彼らが一人でも一軍に匹敵するほどの実力を持つことに由来する。


その目的は――ただ一つ。


ヴァンパイアの滅殺。


そのためだけの機関である。


昔、マリーから教えてもらったことがあった。

教会はヴァンパイア達を神敵だとして目の敵にしているが、特に中でも、特別異端審問騎士団“十十字軍”のしつこさは常軌を逸している、と。


末席ではあるが、その八番目に在籍するという目の前の少女からは、そのような噂に比肩しうるほどの実力を読み取ることはできなかった。


しかし、十字狂いと呼ばれて忌み嫌われる十十字軍に所属する彼女の実力が、見た目通りである筈もないことは、確かだろう。


少女はその矮躯の背中に十字架を模した巨大な十字槍を背負っていた。

とても少女の細腕で使える代物には見えない。

しかし、まさか自身が使えない得物を持ち歩く筈もないだろうから、彼女はきっとその十字槍を扱うことができるのだろう。


「ほら、面白い客でしょう?そんな訳で、私としましても、貴方が会いたがらないからという理由だけで、追い返す訳にもいかなかったのですよ」


おどけた様子で、両手を軽く上げて弁明をするが、真実そう思っていた訳でもないだろう。


つくづく、真意の読みにくい男である。

しかし、まぁ。


“ふん。まぁいい。暇つぶしくらいにはなるかもしれぬ”


「そうなれば重畳。私も何年かぶりにここ来た甲斐があったというものです」


リチャードの言葉に対し、ヴァーミリオンと名乗った少女は、全くの無表情で言葉を返す。


「コーンフィールド様。急な願いを聞き届けて頂いて、有り難うございました」


その硬質な声からは、感謝の意を読み取ることは困難であったが。


「なに、構いませんよ。家に居ても、仕事は親父に任せきりで特にやることもありませんので」


まるで気にしていない様子で、リチャードは少女に応じていた。


「そうですか。それはそうとして、ここからは――」


「ああ、はい。分かっておりますとも。私が聞くことは叶わない話を龍殿とするというのでしょう?末席とはいえ、十十字軍の騎士が極秘裏に私を訪ねてきた時点で、心得ていますよ」


やはりおどけた様子で、微笑を止めることなく右手をヒラヒラさせながら、後腐れなく帰る準備をその場で始める。


「話が早くて助かります。後日、法王府の方から謝礼を届けさせたいと思いますので、ご容赦を」


「気にしなくてもいいんですけどねぇ。――あぁ、そう言えば」


そのままその場を立ち去ろうとしたリチャードは、しかし何かを思い出したかのように、再びこちらへ向けて振り返った。


「ルビーさんはどうしたんです?あの人が貴方の傍にいないとは、珍しいこともあったものですが」


まったく。言いたくないことを、聞いてくる奴だ。


“………ルビーとは、喧嘩中だ。城のどこかでふて腐れているのだろう”


「おや、それは青天の霹靂。原因はやはり、例の武龍王のことですか?」


さして驚いた様子も見せず、リチャードは驚きの言葉を上げる。


“それもある。が、それだけでもないがな。まぁ、いい。大した話でもない”


ルビーは、ずっと私がオルフィオ王に手を貸して戦争に赴くことに頑なに反対していた。

何がそんなに彼女を意固地にさせたのか、想像すればいくつもの理由は思いつくが、しかし、それは想像に過ぎない。

事実としてルビーは私に反対し、私は彼女の反対を振り切って戦争に荷担した、ただそれだけのことだ。

その結果、それからずっとルビーは私に対して拗ねているのだった。

長い年月を生きてきた私達なので、だからこそと言うべきか、その親子喧嘩のスパンも人に比べると長期間に及ぶのだった。


「そうですか?まぁ、私もずっと親父とは喧嘩中なので、人様の家庭事情に口を出せる身分でもないのですけれどね」


清廉潔白、何よりも道義を重んじるアルバートに、飄々とした様子でどこか快楽主義的なところのあるリチャードでは、単純に性格が合わないというのもあるのだろうが、それだけが二人の不和の理由でもないのだろう。


彼らには彼らの歴史があり、それぞれの譲れない理由があるものだ。


「では、私はこれで失礼します。ルビーさんにもよろしくお伝えください」


そう私に告げると、リチャードはやはりあの微笑を浮かべながら颯爽と空中庭園を去っていった。


“相も変わらずよく分からない奴だが……”


呟き、私は眼下に佇む一人の少女騎士に目を向ける。


“それで?お嬢さんは一体何の用なんだ。退屈している私を楽しませてくれるような話題なのだろうな?”


脅迫するように、牙を剥く。

しかし、それに怯えた様子も見せず、ヴァーミリオンは私に向けて滔々と語り始めた。


「お時間は取らせません。武龍殿に聞きたいことはただ一つです。ある男の情報を教えて頂きたいのです」


“ある男?”


私が聞き返すと、少女の瞳には様々な感情が嵐のように表出した。

今までの無表情を僅かに崩し、少し震える声で呟いたその名は――。


「通称“銀喰い”、“破戒者”、最近では“アノニマス”とも呼ばれている、一人のダンピールのことを」


銀喰い。

私は確かにそう呼ばれている男のことを知っていた。


「我々“十十字軍”はずっと彼の足跡を追ってきました。それこそ、何年も。しかし――」


十十字軍が追うべき対象として探し続けていることの意味。

それは、つまり。


「彼の消息は半年前に確認されて以後、途切れています。その半年前に確認された場所こそ」


燃えるような赤い髪をボサボサに伸ばし、ひょろひょろとした縦に細長い長身に、どこか人を喰ったような笑みを浮かべて嗤う、ダンピールの男。


「ここです、武龍の住まう場所。彼が、ここで武龍の試練を制覇して、龍鱗の武具を手にしたという聞き捨てならない情報が当局には入ってきています。そして、それを最後に一切の情報がなくなりました」


唇を僅かに噛みしめ、真白い肌を青ざめさせて語る口調は、しかしどこか嬉しそうにも聞こえた。

彼女の瞳に映っているのは紛れもない憎悪であるのに。


“確かに、そう名乗る男が一人、半年前に来た。そして、私が彼に龍鱗の武具を分け与えたことも、事実だ”


龍鱗の篭手、シルバーイーター。

それが彼に与えた武具の銘。そして、名は体を表していた。


「………なんて事。これで、あの男も龍騎士の称号で呼ばれる英雄として、市井の間で持て囃されることになるでしょう」


“そんなことは、私の知ったことではないな”


私の投げやりな口調に、ヴァーミリオンは目線に怒気を込めてこちらを睨み付ける。


「貴方は、貴方はあの男が何者なのか知っていて龍鱗の武具を渡したのですか?」


“さて。あの男が何者だったかなど、私は知らんよ。私に身の上話はしていったがね。けれども、それであいつが何者かなどと、私の感知するところではない”


一晩。

一晩かけて私とあの男は話し合ったのだった。

彼は自身の身の上話を。私は、彼の特異な人生観に興味を覚えて、何度か彼に忠告したのだった。


いつか、お前は自分で自分の首を絞める時が来るだろう、と。


「あの男は、薄汚い暗殺者です。暗殺を生業として闇の世界で生き抜いてきて、法王府の異端審問機関においては特級神敵犯罪者として広域指名手配の対象にもなっています」


暗殺者。確かに彼は私にそう告げた。

けれど、彼の本質は、本性はそこにはない。


「いえ、彼は暗殺者ですらない。この世で最も醜悪な、血に飢えた殺人鬼です。なぜなら彼は――」


あの男が自身に課した、ただ一つのルール。


“教会関係者のみを殺すからか?”


「っ。そうです、あの男が殺した教会関係者は、優に百人を越えるでしょう」


並々ならぬ教会信徒に対する執着。


それだけが、あの男を動かしている原動力とも言って良かった。

あの男の精神性、それは――。


「まさに、神をも恐れぬ所行です。それ故に、あの男だけは法王府の、いえ、ヴァンパイアのみを狩るために組織された我々、十十字軍の名にかけて、捕らえて神罰を下さなければならないのです」


挑むような目つきで私を睨みながら、目の前の少女はそう断言した。


神罰。

少女はそう言ったが、しかしあの男に罪があるとするならば、それは人間に対するものであるはずだった。

そして、罰を加える者にとっても。


「それなのに、何故貴方はあの男を助けるような真似をしたのでしょうか?何故あの男に龍鱗の武具を授けたのですか?彼は、彼こそは邪悪そのものです!」


彼女の瞳に宿るのは、憎しみ、それだけだろうか?

まるでそう思い込もうとするかのように、私に対して言い募る彼女の様子は、どこか鬼気迫る様子であった。


最初に彼女に感じた静謐な印象は、もうない。


“初めに言っただろう?そんなことは私の知ったことではない、と”


私は彼女の視線を浴びても身動ぎもせずに、気怠く答える。

夏の暑い陽射しが、岩の上で寝そべっている私の身体を熱く灼いていたが、しかし、私の心はそれとは逆に、冷たく、深く沈んでいくのを感じていた。


「貴方は――っ!」


“邪悪、とお前は言うが、何にとって邪悪なのだ?あの男が教会の司祭を一人殺すとして、それが邪悪だとでも?殺された人物の家族にとっては邪悪かもしれない。では、その人物に恨みを抱いている者にとっては?その者を邪魔だと思っている者にとっては?私にとって?それとも、お前にとってか?”


熱く灼けた岩の上から、私は睥睨するように少女を見つめる。


“邪悪だと?実にくだらない!お前達が作った勝手な尺度で私を語るのか?私を非難するのかね?私に文句があるのなら、自分の言葉で語るがいい、人間の娘よ”


「な、何を――」


“無表情を装っているが、お前があの男を邪悪だとは思っていないことは、瞳を見ればよく分かる。お前は、あの男のことを憎んではいないはずだ”


「わ、私は…」


私の言葉を聞いて、ひどく動揺した様子で少女は初めて目線を私から外した。


彼女の瞳に映っているのは燃えるような憎悪。

しかし、それだけではなかった。

使命感?騎士としての義務感か?

否、それだけではない。

もっと複雑な、解きほぐしようのない絡み合った感情を、彼女の瞳の底に私は見たのだった。


“私があの男に龍鱗の武具をくれてやったのは、簡単な理由だよ。私があの男を気に入ったからだ。それ以上でも、それ以外でもない。ただ、それだけだ”


そう、私はあの男が気に入ったのだった。

ここ数年間人間に会うことすら避けていた私が、この城を初めて訪れた奇妙なダンピールの男を、拒むことなく迎え入れたのも、それだけが理由だった。


“あの男は得難い精神性を有していた。あの男は希有なことに、両義的な相反する二つの極に自らを置きつつ、それでいて自己を破綻させないで確立させていた珍しい男だった。私はそこを、気に入ったのだ”


「どういう、ことでしょうか?」


外していた目線を再び戻した少女の瞳は、相も変わらず不思議な感情を淀ませていた。

まるで濁りのように。


“私はこの城を訪れてきたあの男と一晩話し合った時に、あの男が抱えている危うさに気付いたのだ。すなわち、あの男は愛情と憎悪、親しみと殺意、好感と嫌悪、希望と絶望、相反する感情を矛盾することなく受け入れて消化することのできる、捩れた精神構造の持ち主だということに”


「………それは」


私は、目の前の少女にあの日の出来事を語ってやることにした。

あの男が私に話して聞かせた、自身の生い立ちについても。

何故だか、少女はそれを知りたがっているようにも思えたから。


あの日も、目の前の少女のように、あの男はここで寝そべっている私の前にやって来て、語り出したのだった。


“あの男は――”




――あの男は、半年前のあの日に私の城を訪れて、武龍の試練に挑戦したいと言い出した。

それが、大切な約束だからだ、とも。

もっとも、私はそれに付き合うつもりはなかったがね。

すぐにでも追い返すつもりだった。

現にそうしようとした。が、あの男も大したもので、下界で“銀喰い”、“破戒者”などと呼ばれているだけはあった。

本気ではなかったとは言え、私の攻撃を一時間以上も捌き続けたのだから。

それに何より、徒手空拳で私の鱗を砕くとは!

私も長い隠遁生活でストレスが溜まっていたのだろう。

あの男を相手に存分に暴れることができて、少しは気が晴れたのかもしれなかった。

私は彼の技量に免じて、追い出すことを止めて、代わりに彼の話を聞いてやることにした。

あの男は私に語ってくれたよ。自身の生い立ちについて。

彼は、ヴァンパイアの母と、人間の父との間に奇跡的に、奇跡のように運悪く産まれた子供だった。

母と父との間にどんな経緯があったのか、それは彼自身も知らないと言っていた。

しかし、望まれて産まれた子供ではなかったことだけは確かだったそうだ。

彼は、産まれてからすぐ、父が住む家の地下室に閉じこめられて、そこから一歩も出されることなく過ごしたと言っていたよ。

彼の母も時折父の家を訪れて、彼の顔を見ていくことはあったそうだが、そこに一片もの愛情も見つけ出すことはできなかったそうだ。

そして、それは父も同じであった、と。

ともあれ、彼はそのまま陽の光が差さない地下室で生活し、成長し、生きてきたそうだ。

私が両親のことについて聞くと、彼は殺したい程に憎んでいたと言っていた。

けれど、本当にそうだったのだろうか?

私はそこに、もう一つの感情を見出した。

すなわち、彼は自分の両親について深く憎む一方で、深く愛していたのではないか、と。

彼の今後の行動を鑑みるに、恐らく正しいのだろうと私は思うがね。

彼は否定していたが。

ともかく、彼の地下室での暮らしは、何年、何十年続いたのだろうか?

それは本人にも分からないらしい。

何せ、人の何倍も成長スピードが遅いダンピールだったからな、彼は。

不死者たる母に尋ねてもしょうがなく、人間であった父にそれを尋ねようにも、父はある日死んでしまったらしい。

ヴァンパイアの母と共に。

殺したのは、お前のお仲間だそうだ。吸血鬼狩りの専門家。それのみに特化した人間兵器の集団。十字狂いの異名を受ける、十十字軍の騎士に、二人仲良く殺されてしまったらしい。

地下室に居た彼の存在に騎士達は気付くことはなく、彼だけは一命を取り留めたものの、こうして彼は唯一の家族を失うことになった。

それから、両親が居なくなることによって自身の揺りかごだった地下室から脱け出して、外の世界へと旅立った。

地下室に気が遠くなるほど閉じこめられていたその男が外の世界に出るにあたって、何を望んだと思う?

彼は言った。自分の両親を殺した教会の連中を皆殺しにしたい、と。

神が法王府の連中にヴァンパイア狩りをさせて、それで両親が死んだというのなら、神こそが俺の敵だ、と。

しかし彼は両親のことを殺してやりたい程に憎んでもいたのだ。

それでいて、彼は両親のことを狂おしく愛してもいた。

憎悪と愛情、狭い地下室で生きてきた彼にとって、両親の存在こそが世界の全てであり、両親が死ぬことで彼の世界はそこで一度崩壊したのだろう。

相反する二つの感情。相容れないはずの感情を両立させ、それでも彼が破綻しないで行動できているのも、彼にはもはや自分が所属するべき世界がないからだ。

彼にはもはや、自己と他人を分かつための世界が存在しないのだ。

そして――。





“――そこが、彼の精神の中で私が最も気に入った点だった”


「………」


私の語りを黙って聞いていたヴァーミリオンは、何故だかひどく悲しそうな色の感情を瞳に映していた。

それは同情ではなく――。


“彼にとって家族とは世界そのものであり、そして世界はいずれ壊される予定調和のもとにあるのだ。彼はきっと今後自分の手で家族を手に入れることになっても、いずれ自分の手でそれを壊したくなる欲求に耐えられなくなるだろう。彼が両親を殺したい程に憎んでいたように”


彼は地下室から出た後、ある場所で出会った同じ赤毛のダンピールの少年と義兄弟の契りを交わしたとも言っていた。

しかし、その弟のことも彼はどれくらい家族だと思っていただろうか?

あるいは、破壊の対象として捉えていたのではないだろうか?


矛盾を矛盾として許容できる、希有な精神性。

それこそが、あの男の本質だ。


“そして、それこそが、あの男の最も危うい点でもある。私は彼に忠告したよ。いつかお前は、自分が家族を壊したいと思うのと同じように、家族によって壊されたいと思うようになるだろう、と”


「………」


目の前の少女は、やはりひどく悲しそうな色を瞳に映し続けていた。


“そこを私は気に入ったのだがね。だからこそ、私は彼に龍鱗の武具を分け与えたのだ。彼は今後私の武具を使って、さらに多くの死を世界に撒き散らすかもしれない。だが果たして、彼が自己の抱える矛盾に飲み込まれてしまうのと、どちらが早いだろうか?私には分からなかった”


あの男が地下室から出た後、どういった経緯で暗殺者になったのかは、私は聞かなかったし、彼も話さなかった。

けれど、彼が暗殺者で有り続けることは、いつか無理が来るのではないかとも、私には感じられたのだった。


彼は邪悪だっただろうか?

神ならぬ身の私にとって、分かろう筈もない。

善悪の彼岸など、龍となり人を多く殺してきた私には、存在しえないものだ。

ただ、私にとって、あの男は私の武具を扱うに足りる技量を持った、愉快な男だった。


それだけのことだったのだ。


“お前達があの男を追うと言うのであれば、私にはそれを止める義理もなければ、理由もない。必要さえも”


「私は――」


“お前は彼を追うのだろう。追い続けるはずだ。そういう目の色をしているからな。しかし、それは彼が邪悪だからなのか?”


違うはずだ。

彼女の瞳を見た時から、私はずっと既視感を感じていた。

とても、嫌な瞳の色。

それは、二年前に、ここを訪れて私に助力を要請した哀れな王と同じ瞳の色。


すなわち、妄執が瞳の奥に渦巻いている。


憎悪なのか、悲しみなのか、愛情か、絶望か、始まりは何にせよ、それが義務感であるはずがない。ましてや、使命感であることも。


少女は、自身が十十字軍の騎士だから、あの男を追っている訳ではないはずだ。

彼が邪悪だから、抹殺すべきだ、などと――。


“あの男はよく言っていたよ。人は自身の運命を変えることができるのか、と。変えられないのならば、運命が自分に追いついてくるのを、ずっと待っている、と”


ヴァンパイアでもない、人間でもない、中途半端なダンピールとして産まれたからこそ、自分が何のために産まれて、何のために生きるべきか、彼は悩んだに違いなかった。


人として産まれて、龍として生まれ変わった私のように。


“お前が、彼にとっての運命なのか。それは私には分からないが、彼を追うのだと言うのであれば、その理由を自分の言葉で私に聞かせてくれ”


それこそが、もはやこの世界で生きることはないあの男への手向けになるだろうから。


「私は…、私は――」


少女は言い淀み、俯いた数瞬後、妙に澄み切った瞳をしながら、私に自身の名を告げた。

コードネームではなく。家族によって名付けられた名前を。


「私は十十字軍第八軍、コードネーム、ヴァーミリオン。ですが――」


高らかに、謡うように。


「私の名前は――ナナシ(、、、)というのです。それ以外の名は、持っていません」


そう言い切った後、少女は静かに瞑目した。

誰かの魂を弔うかのように。


ナナシ。変わった名前だ。名を持たないと言ったあの男と同じく。


「あの男は、彼は――、私の母を殺した人であり、私の家族です」


瞑っていた目を開き、少女は語り続ける。


家族。あの男にとって、世界そのもの。

いつか壊れるもの。壊すはずのもの。


“それが、お前があの男を追う理由かね?”


「いえ、いいえ、違います。違うのです!私が――、私が彼を追うのは、それは、私が、私のせいで、終わるはずだった戦争が終わることなくいつまでも続くことになってしまったからです」


終わるはずだった戦争。


“それは、ノッドラートとの戦争のことか?”


私が、終わらせるはずだった戦争。


王国歴883年に、ちょっとした外交上の軋轢を理由として勃発したトレンディア・ノッドラート両国の戦争は、当初の見通しに反して、数年経っても終わることはなく、泥沼化していつ終わるとも知れず現在も続いている。

それというのも、七年前に――。


「私が、私があの日あの森で彼を助けなければ!そうすれば彼はあの森で人知れず死んでいたはずです。そうすれば、王妃様はあの夏の終わりにウィーグランの街で彼に殺されることもなく、王妃様さえ死ななければ、オルフィオ王もノッドラートへの和睦案を取り下げることなく、両国は和平への道へ向かったはずなのです!」


叫ぶ。まるで自分に対して断罪するかのように。

後悔と共に、彼女の瞳にはそれだけではなく――。


「そうすれば、そうすれば戦争は終結し、それから数年間、数え切れないほどの多くの人々が死ぬこともなかった。攻め込まれ敵兵に無惨にも殺された人、土地が枯れ食糧難から飢えて死んだ人、徴兵されて異国の地で戦って死んだ人、みんな、みんな、みんな!」


十十字軍の鎧を着てはいるが、彼女の年齢はとても若いものだろう。

少なくとも、二十歳を越えてはいないはずだ。

そんな少女が、末席とはいえ、十十字軍に所属できる程の実力を手に入れるために、どれだけのものを犠牲にしてきたのか。

どれだけの時間を費やしたのか。

私には計り知れない。

しかし、少女は実際にやってのけたのだろう。

ただ一つのためだけに。


「彼は、お兄ちゃん(、、、、、)は、私のお兄ちゃんは邪悪なんかじゃないっ!でも、だけど、だからこそ、私がお兄ちゃんを、お兄ちゃんを―――止めなければ。例え殺してでも!」


自らの罪を贖うために。


それが少女の行動原理なのだろう。


しかしそれは、果たして罪なのだろうか?


戦争は確かに終わらなかった。

今なお、終わることなく続いている。


けれど、彼女が自身の罪だと思っていること、それはあの男を助けたことではなく、そうではなくて、彼のことを――。


今もって愛していることではないだろうか?


そして、それこそが――。


“――それこそが、お前があの男を追う理由か?”


私の問いに、今度は力強く頷く。


「………はい。誰にも、誰にも譲るものか。お兄ちゃんは、私が、私だけの――」


その続きの言葉を少女が口に出すことはなかった。

家族、なのか、それとも獲物だろうか。

目の前の少女は、清廉潔白な騎士でも、復讐に燃える戦士でもない。


愛に狂った狩人だ。


この少女こそが、あの男にとっての運命の牙なのだろう。

彼が長い間待ち望んだように、ようやく運命のあぎとが彼を喰らうべく牙を剥いたのだ。


“………そうか。それが理由か”


私は呟き、気付かれないように静かに嘆息する。

目の前の少女を見て、それから目を瞑り、あの男との対話を思い返す。

あの男は何を望んでいただろうか?


あの晩何度も聞いた人を喰ったような笑い声が私の耳の奥にこだました。


そして、私は少女に告げることを決意した。


“お前が知りたいのは、あの男の消息だったな”


「はい。私は彼を追い続けます。例え、何年かかってでも」


妄執に取り込まれた瞳をして、こちらを射抜くように見つめてくる。

今では武龍王などと呼ばれているあの哀れな王と、同じ瞳をしていた。


“あの男なら、この城を出て行く際に、仕事で南の連合国へ向かうと言っていたよ。信じる信じないはお前の勝手だがな”


あの砂漠だらけの不毛の地で、今でもあの男は私の授けた龍鱗の籠手を使って多くの死をばらまいているのだろうか。


「いえ、信じます。ご協力、感謝します」


ここに来たときと同じように、静謐を感じさせる無表情に戻った少女は、折り目正しく頭を下げて私に礼を述べた。

まるで、罪を懺悔し終わったかのように。


“こちらも、思っていたよりは暇つぶしになった。お前は追い続けるがいい。いつかお前の牙があの男に届くまで”


「ありがとうございます。ちなみに、捨て子だった私を拾ってくれた人は、森の狩人だったのですよ。その人から、獲物の追い詰め方はじっくりと習いました。だから、追い続けるのは得意なのです」


そう言って、少女は初めて笑顔を見せた。

その笑顔は彼女に感じた印象とは違い、とても華やかなものだった。

見ているだけで、元気が出るような。

少女があの男と暮らしていたであろう間も、きっと彼女はそうやって笑っていたに違いなかった。


「それでは、私はこれで。もう、会うこともないと思いますが、貴方と会えたのは、私にとっては良かったのかもしれません。兄にとっても、きっとそうだったでしょう」


少女は笑顔のままそう言って。


「さようなら」


別れの言葉を置き去りに、空中庭園を去っていた。


残ったのは、岩の上にふて腐れて寝そべっている、年経た白い龍のみである。


何とも、みっともない話だが。


オルフィオ王に手を貸したことを今でも後悔しているように、王と同じ瞳をした少女にあの男の行き先を教えたことを後悔することになる日がいつか来るのだろうか?


少女とあの男が再び出会った時、誰も幸せにならない悲劇のみが起こる可能性だって、誰にも否定することはできないだろう。


けれど、あの男が常々言っていたように。

あの少女が彼にとっての運命ならば――。


いずれ、遠くない未来に少女はあの男と巡り会うことになるだろう。


そこで、たった二人の家族水入らずで、殺し愛を繰り広げるに違いない。


それこそが、彼らにとっての家族の在り方なのだろう。




だから、私は数ヶ月ぶりに、岩の上から起き上がり、娘との仲直りを打診する気になったのだった。


きっと娘も、最初は渋りながらも、最終的には仲直りに応じてくれるだろう。




それが私達の家族の在り方だから。




====




ノッドラートとの大戦が終結したのはそれからすぐの一年後。

聖騎士アナスタシア・ソードレス率いる神殿騎士団、引いては法王府の介入によって、遂にノッドラートは降伏を受諾し、十年の長きに渡る戦争は終結した。


そして――。

“銀喰い”、“破戒者”、“アノニマス”の名で呼ばれるダンピールの暗殺者が、名も無き一人の女騎士によって捕らえられたというニュースが私の耳に入ってきたのは、それからさらに十年後の、903年の頃である。



あの男は今でも、終身刑の者のみを収監している監獄“ステュクスの沼”の最深部にて投獄されているのだという。



彼は再び、光の差さない彼だけの地下室へと、舞い戻ったのだ。




間章Ⅱ おしまい










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読む必要のないあとがき



次は、地龍さんが八面六臂の大活躍をして、いたいけな少女とキャッキャウフフする明るい話(になる予定)です


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