一体どういう事だ、人が一瞬で掻き消えるだなんて一体どんな魔法だ!? 時計の針は1の数字を過ぎ、2の数字に影を落とし始めている休日の午後。 私は自分の後見人である忌々しい男の声に、感情を押し殺しながら耳を傾ける。「犯行を行われたような形跡も、異常も一切見当たらない。人の血の跡すら存在しない。身代金などの要求も一つも無い。他者による事件性が全く無いのだ。まるで自ら失踪したかのようで、当然目撃者も無く、警察も捜査のしようが無い。当然捜索も行われているが、誰一人として確認されて居ない。まるで集団神隠しでもおきたかといった所だ。もっとも、ワイドショーなどは好んで食いつくネタだろうがね?」「――っ、……そう。それで?」 皮肉めいた口調で話す綺礼に些か虫唾が走るのを我慢しながら続きを促す。「事件は事件だが、その真相は暴きようが無い。何しろ私ですら此度の件の真相は判らんのだ。だから報道がいくら騒ぎ立てようと真実には届かん。だから、情報操作する必要は無いという事だ。ただ、細かい根回しは既にしてあるから、野次馬共も直に自然消滅するだろう」「そう、マスコミの事はもういいわ。それより綺礼、アンタならもう何か情報は掴んでいるんじゃないの? 昨晩に、その住民を消した何かについて」 率直に、真正面からストレートを投げつける。この男には回りくどく聞いた所でどうせ見透かされている。 伊達に表向き教会の神父などを遣っている訳ではない、実に食えない兄弟子なのだ。「情報ならそこそこに集まってきてはいるが、まだ分析の段階には遠い。それにだな、凛。私はこれでもこの儀式の監督者なのだがね? 監督者が特定の参加者を贔屓するのは頂けない話だとは思わんかね?」 電話口の向こうからさも愉快そうにくっくっと、堪えきれないといった風に失笑を漏らす黒い神父。 ああ全く、なんでこんな性格の歪んだ男が私の兄弟子で、その上私の後見人なんてされてるんだか!「くっやっぱりアンタ性格悪いわ。別に良いわよ。こっちだって簡単に情報が得られるなんて思ってやしないわ。カマ掛けてみただけよ」「くっくっく。まあそう言うな。可愛い妹弟子が頼ってくれる数少ない機会だ。幾つかアドバイスぐらいはしてやろう」 まったく、人をからかい愉しんでおいてこれ以上何を言ってくれるか。これ以上ふざけた事を言うようなら呪いでも送ってやろうか。「誰も当てにはするな、目の前の物ばかりに囚われるな、常に目に見えていない所まで意識を向けておくことだ。手元は常に確認しておけ、お前は師匠同様に時折酷い“うっかり”をするからな。それと、これはお節介でお前には少々キツイ言葉になるが……桜には近づかぬ事だ」「なっ……何よソレ!?」 綺礼からの余計なアドバイスを適当に聞き流して電話を切る心算だった私の耳に、聞き捨てならない一言が飛び込んできた。 桜には近づくな? 何よそれは、私が『血を分けた者』の身を影で案じている気持ちが聖杯戦争にとっては邪魔なだけだとでも言いたいのか! あの子は、桜は魔術師じゃあ無い。間桐の血筋はとうに跡絶えている。桜が聖杯戦争に関わる筈が無いじゃないの。「忠告はしたぞ、せいぜい気をつけておく事だ」 慇懃不遜な兄弟子はそう最後に一言残して此方の返事も待たずに電話を切った。 一方的に接続を切られた受話器からは既に、間の抜けた回線途絶を知らせる信号音が断続して木霊するだけだった。「何だってのよ……」 兄弟子からの不意の言葉の意味に困惑する。 また自分でも自覚したくない自身の裡にある、心の軟く弱い部分を抉り出されたような不快感に苛立ち、つい言葉使いが悪くなる。「どうしました、凛?」 私のサーヴァントが廊下で声を荒げる私を案ずる視線を送ってくる。アリアだ。「うん、何でもない。ちょっと綺礼のヤツが失礼な事を謂ってきただけの事よ。アイツ、『桜には近づくな』ですって。わざわざ私が彼女を危険な“此方側”に巻き込ませるもんですか!! 本当、ムカつくったら無いわ!」 桜の名前を出した瞬間、何故かアリアが息を呑む様子が感じられた。といっても見た目にソレが判ったわけじゃない。 傍目には彼女の表情は何も変わらない。ポーカーフェイスではないが、私を心配そうに見つめるその相貌に変わりは無い。 ただ、そう感じられたのだ。桜の名が上がった次の瞬間、彼女から感じられる普段は柔和な気配が微かに張り詰めたのだ。「――! そうですか。凛、顔色が優れませんよ? 差し出がましい口出しかと存じますが、余り気に病まれない事です」 私の事を気遣い、どうやって励まそうかとちょっと困ったように笑顔を浮かべて優しく肩に手を添えてくる彼女。 その彼女の言動に私は頭の奥で微かに妙な違和感を覚えた。だがその違和感が何からくるのか直ぐには思い至らなかった。「凛、そろそろ出ませんか。外の空気を吸えば気分転換にもなりますし」 彼女は私の心を鎮めさせるよう努めて、これでもかというほど穏やかで優しげな微笑みを向けてくる。 まいったな、これじゃ私は完全に癇癪を宥められる娘か妹のようではないか。「ええ、そうね。行きましょうアリア。気晴らしには丁度良過ぎるわ」 まだあの不遜な神父の言葉が耳の奥に張り付いて、脳裏に暗い熱を滲ませている。 だが何時までも陰鬱な気分に害されていたくはない。私はアリアに同意し、足早に玄関を抜けて新都へと足を向けた。第十話「兵達の休日は喧騒に彩られる」 時刻は既に三時、実に一時間以上かけてようやく新都のショッピングモールに着く。 何故そんなに時間が掛かったか、それには理由があった。それは数十分前にさかのぼる。 まだ静かな此方側の住宅街を歩いて何時もの交差点の近づくにつれ、例のマスコミ関係者が町中いたるところに居るわ居るわ。 まだ事件の捜査も始まったばかりといった感の強い警官達よりも、記者やカメラマンの方が圧倒的に数が多いのだ。「これじゃまるでブン屋ばかりのローラー作戦といった感じですね」 とはアリアの弁だ。本当に何故彼女は“ブン屋”とか“ローラー作戦”とか、現代人にしか通用しなさそうな言葉を知っているんだろう? 本当に英霊の端くれか!? 何度も繰り返し自問した謎だが、当然答えなぞ私に出せる筈も無い。 だが本当に今回は呆れた。あろうことか、アリアときたらブン屋の方に自分からすたすたと近づいていってしまったのだ。 何をしだすのかと思いきや、止めようと慌てる私を後目にアリアは記者と話し始める。「こんにちは。あの、何かあったんですか?」 屈託の無い笑顔ときょとんと素で何も知らなさそうな顔で一般民を装い、その場に居る記者から逆に情報を聞き出そうという魂胆らしい。 言葉巧みに記者からの質問ははぐらかし、朗らかな笑顔と世間に疎そうな表情を完璧に装備した彼女。正直そこまで猫を被れるとは思ってなかったわ。私も吃驚の猫かぶりよ。 本当に幾つかの情報を聞き出すことに成功して返って来た。これにはもう本当に笑うしかなかった。「どうかしましたか?」 乾いた笑いを漏らしていた私に不思議そうな目を向けてくるアリア。余り彼女は敵に回したくないタイプだと思った。「いいえ、貴女の突飛ぶりに驚いていただけよ。それより、連中の前に出て行くなんてどういうつもり? 変に取材されたりカメラに取られたりしたら……」「いえ、その点はご心配なく。少なくとも半径二百メートル以内には、私に向けられたレンズはありませんでしたから。ご存知ですか、カメラのレンズって良く光るんですよ? 携帯電話などで盗撮されるような不信な動きも常に注意していましたが、幸いそのような不信者は一人も現われませんでしたし」 まったく大した自信だと思う。だがこれで少しは情報も手に入った。 情報を仕入れてくれたアリアが簡潔に説明してくれる。その内容とは――。「本日の未明に、所轄の警察に住民の異変に気付いた新聞配達の青年から、第一通報があったそうです。ですが最初はその内容が疑わしく、所轄の警官が真面目に取り合わなかったそうで、埒が明かないと感じた青年が地方紙の新聞記者をしている親戚に通知した事により、事件が発覚したそうです」「はあ、警察の腐敗は冬木の街も例外じゃなかったかぁ……」 報告を聞いているうちに軽い眩暈を覚えてこめかみを押さえる。「まあ無理も無いといえばそうかもしれませんけどね。何しろ、あの戦闘地点の周囲数百メートルの住民が根こぞぎ消えてしまったのですから。異常を認識する人すら一人残さず失踪してしまっては通報もされません。不思議な事に各家屋の住民だけが姿を消し、家屋、室内の調度品に至るまで、一切の傷も異変も無い。直前まで食べようとしていたであろう食事や、お風呂の用意といった生活の光景がある時点を境にして、人だけが消えたように残されていたそうです」 彼女からの報告を歩きながら聞き続ける。 最初に周辺住民が異変に気付きそうな気もするが、件の現象は不自然なほど数区画間だけで起きていたらしい。 道路を境にピタリと止まっていては流石に向こう側、他所様の異変なぞ、すぐには感じられないだろう。 其処に毎朝一軒一軒新聞を配る青年だけが今朝の異常な静けさに気付けたのは道理か。「ともあれ、警察の方も何一つ手がかりになる物証が無くてお手上げ状態のようです」「そりゃあそうでしょうよ。……こんな事が出来るのは、実はとんでもない地域ぐるみの大ドッキリか、とてつもない大魔術の秘蹟だけよ」 私は事の深刻度に、意識を半分泥の中に落とされたような気分になる。 デブリーフィングを終えた兵士が指揮官である私に、声音を抑えて言葉を紡ぎ出す。「凛、私は過去に此れと良く似た経験がある。その経験から進言させて頂きますが、覚悟は固めておいてください。敵は生易しい相手ではありません」 声には出さず、それに頷く。判っている。これほどの“異常”を容易くやってのける者を相手にしなければならないのだ。「恐らく、消えた者達はもう二度と戻らない。飲み込まれたのです。底無しの闇に……」 にわかに足を速め、私より一歩、二歩と前に出る彼女。その横顔に渋面を覗かせながら端正な唇から小さく、そう呟きを漏らした。 それが新都に着くのが遅くなった理由。今彼女はショッピングモールの家電売り場へと、渋る私の袖をぐいぐいと引っ張って入ろうとしている。「ねえ、なんでまた家電売り場なのよアリア? そんな所入ったって私には判んない物ばっかりなんだってばぁ」「いいから付いて来て下さいよ。お財布持っているのは貴女だけなんですから」 困ったように眉間に皺を寄せて募る彼女に根負けして、仕方なしに家電売り場に足を踏み入れる。「ところで、何を見ようっていうの?」「そうですねぇ。ひとまず欲しいのはパソコンとか、携帯電話ですかね。私達の連絡用に良いと思いまして」「携帯電話って、貴女ねえ、そこらの女子高生じゃないんだからっ……! って、そうか。私達は良いけど、士郎達との連絡手段は必要ね。士郎は携帯なんて持ってなかったっけ?」 多分、無かったと思う。私は学校内で彼が携帯電話を使っていた所を見た事は無い。「でも、パソコンなんて、一体何に使うのよ?」「主に情報収集や索敵等にですが、何か?」 ぬう、こいつめ。毎度ながら思うが、本当に英霊離れしてるなあ。「まあいいわ。宝石に比べれば安い物でしょ? これも聖杯戦争の為の経費と思えば安いものだし……」 自分が普段宝石に注ぎ込んでいる金額を思い出し、こめかみに痛みを覚えてしまった。「凛、気分が優れませんか?」「大丈夫よ、平気だから気にしないで。それより、必要なものを選んで頂戴。私にはてんで判らないんだから」 了解しました。と少し心配そうなまま微笑んで答えるアリア。少し待っててくださいと言って商品の並ぶ棚の向こうに姿を消す。 数分後、彼女は何時の間に取りに行ったのか、買い物用カート一杯にパソコンやらプリンターやら、良くはしらないけど通信用の“けーぶる”だとか“むせんらん”だとか、とにかく周辺機器ってヤツを一通り積んで戻ってきた。「こんな所ですかね。とりあえずこれの清算をお願いします。後は携帯電話の購入やインターネット回線を使うのに、プロバイダの契約とか面倒な手続きがあるのですが、その辺は凛、お手数ですがお願いします。この世に存在しない私では出来ませんので」「判ったわ。じゃあとりあえずレジに行きましょう」 私は彼女と共にレジに向かい清算を済ませた。流石に予想以上の出費だったが、そこは来月のお小遣いを切り詰める事で何とか凌ごう……。 その足で家電売り場の横に併設して区画を持ってた携帯電話の代理店ブースに行き、自分の携帯を買う事にする。アリアが言うには、私の分はこれから先も使う事があるだろうから、普通に携帯電話を新規契約したほうが良いだろうという。 だが士郎やセイバーに持たせる分は、現状では契約の簡単なプリペイド式のほうがいいだろうとの話。 ややこしい仕組みは良く知らないが、これは先払い式で、購入時の本人確認以外に面倒な手続きは不要。携帯電話から購入したカードのナンバーを登録させれば、後はカードの料金分が無くなるまで使える。テレホンカードに電話機能がついたような感じだろうか。 つまり私の名義で二つ買って、二人に渡せばいいってことだ。料金支払いで銀行引き落としとか本人に関わる面倒な手続きとかが少ないから、こういう込み入った場合は助かる。「凛、機種はどうされます?」「うーん、面倒な機能とか私要らないわよ? あ、コレなんかいいわね、赤いし。うん、コレに決めた!」 たまたま其処あった赤色はこの一機種だけだった。赤一色が綺麗な携帯電話だったので第一印象で気に入り、それにする。「凛はやっぱり赤が似合いますね。それでは私はコレにしたいのですが」 そう言ってアリアが選んだのはプリペイド式の携帯電話。ただ、やっぱり彼女らしいというか、選んだ機種はシルバーの筐体に鮮やかなウルトラマリンブルーのラインが入ったタイプだった。「そう、じゃあ契約手続き済ませるわね」 ショッピングモールから出て、大荷物を抱えながら歩く私とアリア。道行く人達が何事とばかりに色眼鏡で通り過ぎてゆく。「ちょっと買いすぎたんじゃない、アリア?」「はは、すみません凛。出来るだけ早い方が良いと思いまして……」 罰が悪そうな笑みを顔に滲ませながら力なく答えてくる彼女。私の倍ぐらいの荷物を抱えながら歩いている彼女は、傍から見るとちょっとお目にかかれない奇妙な光景をあたりに振りまいている。 だってそうだろう。十人が十人とも振り返りそうなほど麗しい容姿をした彼女が、大の男でも持てるかどうかって位の荷物をその細腕で平然と抱えているのだから。 そういえばアリアって背丈は私とそんなに変わらないのよね……百六十センチくらい? 白人にしては小柄な方よね、そういえばセイバーも結構小柄だっけ。本当、よく似てるのよねあの二人……。そんな他愛も無い雑念に支配されている所に彼女が口を開いてくる。「すみませんが、もう二、三箇所よろしいでしょうか? 電子部品や機械部品等のパーツショップに向かいたいんですが……」 その言葉は一瞬、耳を右から左へ通り過ぎていった。きっと脳が認識を拒否したんだ。 私の脳を停止させた呪いの呪文を放った当人はというと、流石に私が必死に両腕で重力にギリギリ耐えていますと腕の震えで主張しているのを知っている為、控えめに上目遣いでおずおずと聞いてくる。 その言葉を脳がしっかり認識するまでおよそ十数秒。脳が活動を再開してからようやく口を開いた。「ちょ、ちょっとアリア……まさかこれ以上荷物を増やす気なのぉ!?」 これ以上私に“地獄の重力三倍耐久行軍”を遣れと申しますかこの薄情従者は!!「い、いえ。荷物は全て私が持ちますから……それでもダメでしょうか?」 荷物は持たなくていいとまで切り出し強請(ねだ)ってくるアリア。むう、そんなに今すぐでないとダメなのかしら。「ダメ。明日に持ち越しちゃだめなの?」「何分、聖杯戦争を有利に進める為の措置ですから。早いに越した事はありません」 それ(聖杯戦争)を持ち出されては、却下するわけにもいかない。まったく、事は魔術乱れ飛ぶ聖杯戦争なんですけどぉ? 何でそんなキカイ部品なんて必要なのか私にはさっぱり想像がつかない。けれどアリアが必要だと言うのなら、やっぱり必要なのだろう。「判ったわ、良いわよ。でも一つだけ条件」「本当ですか、ありがとうございます! 条件とは?」 困ったように曇られていた表情をぱあっと明るくする目の前の大荷物……じゃなかった、左右の肩にこれでもかと荷物を下げ、両腕に大きな箱まで抱えているアリア。「荷物持ちに助っ人を呼びなさい。今すぐ! 流石に二人でこれ以上は多すぎよ!!」************************************************************** 日も斜に陰り、背の高いビルのカーテンウォールには茜色の絵画が描かれ始める頃合に俺達はアリアから呼び出された。 用件は荷物持ちだ。何時何処で襲われるとも限らないから、当然セイバーも一緒だ。 荷物持ちに彼女なら適任だろうと遠坂はいうが、俺は余り女の子にそんな力仕事をさせたくは無い。 今をさかのぼる事数十分前、庭で洗濯物を取り込んでいると縁側からセイバーに呼び戻された。「シロウーッ! 凛達から電話です!!」「えっ!? ああ、判った。すぐ行く!」 電話口で待たせては悪いと思い、とりあえず洗濯物をざっと取り込めるだけ取り込んで居間に戻った。「あ、今戻ったようです。換わります」 はい、と俺に受話器を渡してくれるセイバー。なんだ、セイバーちゃんと電話の使い方知ってたんだな。ちょっと吃驚した。ありがとう、と一声掛けて受話器を受け取る。「はい、士郎だけど。遠坂か? 何かあったの……って、ああ。アリアか。如何したの、何か御用? ……うん、うん。判った。ヴェルデの前に、判った。今から行くよ」 横でセイバーが何事かと心配そうに思案気な顔をしている。遠坂達は彼女には要求を伝えてないのだろうか。「セイバー、ちょっと街まで出るぞ。手を貸してくれってさ」「承知しました、直ちに参りましょう」 そう言うや否や、セイバーは今にも鎧を纏って飛び出しそうな勢いを見せる。「え? お、おい、セイバー? 何しに行くか判ってるんじゃないのか?」「はい? 勿論、凛達の助勢に行くのでしょう? 彼女達は今困っている、緊急事態だと凛から託りましたから、急ぎませんと」 やっぱり、何かを勘違いしているらしいセイバー。今の返答でなんとなく、セイバーが誤解した理由に検討が付いてしまった。ああ、それで俺が電話に出たときにはアリアが出たのかな。遠坂のやつ、かなり猫が剥がれてたんだろうなあ。「セイバー、別に戦闘に行くわけじゃないぞ? 俺たちはな、単に荷物持ちを手伝ってくれって頼まれただけだ」「………………。はい?」 目の前で出鼻を挫かれたセイバーはその場で目を点にして、まるで石像のように硬直してしまった。 すっかり日が傾いた夕暮れ空の下、ヴェルデの前には文字通りあかいアクマが居た。「お、お、おお遅いっ!! なに遣ってたのよ士郎!?」 時刻は既に午後四時半をまわっている。電話を受けたのが三時半頃だから、確かに三十分程余分に時間を食った事になる。「悪い悪い、これでも全速力で駆けつけたんだよ遠坂。セイバーが機嫌損ねちゃって、大変だったんだ」「シ、シロウ!! まだその話を蒸し返す心算ですか!?」「いや、全然そんな心算はないから、セイバー。第一、遠坂だって悪いんだぞ? いきなり緊急事態だ、なんて言うからセイバーが勘違いしちゃったんだぞ」 そう、あの後のセイバーときたら、「非常識にも程がある!!」なんて怒り出しちゃって、本当にどうして良いか対応に困った。 家からバス停までの道のりでなんとか宥め倒して、機嫌を直してもらうのに半刻ほど費やした。「当然です。今は聖杯戦争の最中だと言う事を忘れたわけではないでしょう? その上で緊急事態だなんて言われれば、聖杯戦争絡みで何かがあったのだと思うに決まってるではありませんか!!」 どうやら遠坂はセイバーに、緊急事態だから俺に代わってくれと電話口から緊迫した声でセイバーに伝えたらしいのだ。「あはは、そう怒らないでよ、私も限界だったんだから……その、色々と……」 当人の遠坂はというと、あははーと乾いたごまかし笑いで取り繕いながらそんな事を口にしてくる。最後の方は声が窄まってごにょごにょと何を喋っているのか聞き取れなくなっていたが。「ごめんなさいセイバー。最初から私が出れば良かったのですけれど。生憎と私は荷物で両手が塞がっていたので、凛に電話を掛けてもらったんですよ。買ったばかりの携帯で」 それがいけなかったんですね。と言葉を続けるのはアリアだ。「だって、買ったばかりで操作に慣れてない物をいきなり使えっていうんだもの……」「だからちゃんと使う時に使い方を逐一説明したじゃないですか。そのくらいで緊張しないで下さいよ。この先もっと情報化社会になるというのに、付いて行けませんよ?」 なんだか良く判らないが、凄い話だなあ。情報化社会に即適応している英霊が目の前に居る。こんなのを見せられては、セイバーが普通に電話に応対出来ていた事なんて些細な事だと思えてくる。「仕方ないじゃない、だってこんな小さな物が電話の機能どころかカメラだのメールだのなんだか知らないけど一杯機能があるっていうじゃない。間違って変な操作しちゃったりしないかって緊張もするわよ」 なるほど、なんとなく理由が読めた。「ははあ、さては緊張したまま頭半分真っ白な状態でセイバーに救援を求めたんで、セイバーが勘違いするような物言いになったんだな?」「ええ、流石にあの説明では拙いと思って、私が代わったんですけど……。直ぐに士郎君に代わってしまったのでセイバーには誤解が残ってしまったのですね」「ふんっだ。確かに私にとっては緊急事態だったのよ。精神状態も腕の疲労度もね!」 そういってジロリと傍らに仕えるアリアを睨む。はて、何でアリアが睨まれるんだ?「すみません、全て私が悪いんです、ハイ……」 睨まれるままにその視線の棘を真正面から受け耐える兵士のサーヴァント。その顔は本当に申し訳無さそうに、だが如何したものでしょうかと力なく困った笑みを浮かべる。「まあいいわよ、これで荷物の件は解決するんだから。と、御免なさいねセイバー。私もちゃんと説明するべきだったわ」「まったくです。大体、サーヴァントを荷物持ちに呼び出すだなんて非常識すぎます!」 家を出る前の怒りが復活したか、また怒って説教をしだすセイバー。拙いな、怒りの元凶を前にこの場で爆発しそうな彼女を説得するだけの弁舌は俺にはもう無い。「まあまあ、ここはどうか私に免じて心を鎮めて下さい、セイバー。はい、荷物持ちのお礼にこれを差し上げますから」 両手に荷物を下げたまま、器用に片方の袋の一つから紙袋の包みを取り出す。包みの中からまだ湯気が立つほど暖かい大判焼きを取り出し、セイバーに手渡す。「こんな、私を食べ物で釣ろうというのですか貴女は」 そのまま大判焼きを俺や遠坂にも手渡してゆく彼女。「いいえ、滅相も無い。正当な報酬ですよ。ほら、美味しいですよ?」 そういって最後に自分の分を取り、セイバーに手本を見せるように一口つまむ。「うん、美味しい。やっぱり日本の和菓子はくど過ぎず、上品な甘さが良い」 満面に幸せそうな微笑を開花させ、解説交じりにそう続けるアリア。その毒の無い笑顔と美味しそうに食べる表情に、ついセイバーも食欲をそそられたか唾を飲み込む。「そ、そうですか。では失礼して私も……!!」 戸惑いがちに一口頬張る。直後にセイバーは目を見開いて、驚きの余りに身を鉄に変えてしまった。「セ、セイバー?」 不安になって声を掛ける。すると唐突にセイバーが動力を取り戻し、一心不乱に大判焼きを頬張り始める。なんだ、吃驚したじゃないかもう。てっきり喉に詰めたかと思った。「ふふ、気に入って貰えましたか?」 満面に微笑みを湛えてセイバーを見守るアリア。傍から見るとやっぱり姉と妹のようだ。 堅物でちょっと危なっかしそうなイメージの妹と、妹を落ち着き穏やかに見守る姉。 自分も大判焼きを頬張りながら、そんな姿を幻視してしまう。「……驚きました。この国の食べ物は何もかもこんなに美味しいのでしょうか」 大判焼き一つでやけに大袈裟な驚き方をするんだなあ。そんなに祖国の食べ物は美味しくなかったのか、セイバー。 まあ、大判焼きを気に入ってくれたのは日本人としてちょっと嬉しいが。俺も後で江戸前屋のドラ焼きでも買ってあげようかな。「気に入ってもらえたようで何より。それでは皆さん、お手数ですがお付合い願えますか」 俺達は遠坂達から荷物を受け取り、一緒にアリアの用事に付き合うこととなった。************************************************************** さて、士郎達に手伝ってもらって、幾分軽くなった身体でアリアの買い物に付き添っているのだが、正直な話本当に目が点になった。 何にって、彼女の機械強さにだ。本当に英霊かコイツは……!? 士郎は学園内でも良く校内の様々な備品などを修理しているだけあって、機械には強い人の筈だが、その士郎でも流石にハンドメイドの機械部品やパーツ、特に電子部品の事なんてあまり知らないだろう。 事実、今は士郎も私の隣でポカンと口を空けて、アリアの買い物の様子をただ見詰めている。「なあ、遠坂。アリアってメカ強いんだな。随分とよく知ってるみたいだ」 アリアはパーツショップの中であれやこれやと色々な部品を物色している。「とりあえず必要なものは動体感知センサー、高度、風速、温度、湿度計、全天周カメラ、そして発信ビーコン……」 私が生まれてこの方一度も聞いた事の無い呪文が次から次へと、アリアの口から流れる用に紡がれる。「それに本体用にプラスティックの筐体やアクリルのボールに、アルミのアングルとかフレーム関係。ベース基盤に配線、ソーラーセルにバッテリー、コンデンサーなんかも要りますね……あ、これ良いな。小さいし人感サーモ複合型だし」 ……一体、何を作ろうとしているの? 私のサーヴァントは……。 彼女が何を作ろうとしているのかは知らない。だが素人の私が聞いたところでその材料から完成品を窺い知るには内容が難しすぎて適わない。「センサー類は複合型のモジュールがあればベストなんですが……あ、これ良いですね。これぐらいなら丁度良いかも。IRカメラは……流石にこのサイズじゃまだ無いか」 何か眼鏡に適うものがあったらしい。その大きさを確かめ、きっと今彼女は頭の中でその作ろうとしている何かの設計図を引いているのだろう。片手で持つ部品を遊ばせながら明後日の彼方に視線を向けている彼女の意識はきっと内に向いている。 それにしても、私には彼女が口にする単語一つ一つがもう謎の呪文にしか聞こえない。 あいあーるかめらって一体なに? カメラ? どんなカメラなのソレ? ただ判る事は、同じ部品や材料を何十個入りとか、箱単位で選んでいく辺りから見ると、同じものを幾つも用意する心算なんだろう。「これは、一体何に使うものなのでしょうか」 アリアから渡されるままに、樹脂製の買い物篭の中に何かの部品や装置を放り込み続けていたセイバーがポツリともっともな疑問を口にする。自らが持つ篭の中から何かの装置らしき親指大の部品を摘み出し、まじまじと見詰めている。 遙かな古の騎士の彼女の目にはさぞかし珍しい物に写っているのだろう。「本当、何を作る気なのかな? 見たところ大量のセンサー類を買い込んでるみたいだけれど……」 アリア以外、この三人の中でもっとも機械に詳しい士郎が買い物籠の中身を覗いて、そう感想を口にする。「ふふ、凛のように魔術で使い魔でも使えれば楽なのでしょうけれどね。私は真っ当な魔術師ではないのでこうして科学技術に頼らざるを得ないのです。と、セイバー。すみませんがこれもお願いします」 私達の会話が聞こえていたか、アリアが微笑みながら部品を手に戻ってきた。セイバーの篭が更に重くなる。「さて、この位でしょうかね。凛、清算をお願いします」「はいはい。やっと任務完了かしら? さ、レジに行くわよアリア、セイバー」 承知しました、と付いてくるセイバーと共に、私はレジへと向かった。 うー、それにしても凄い量だ。四人で手分けして持っても結構な量がある。私達は新都の電気街を出て一路、家路についていた。既に深山町まで戻ってきており、今は商店街の通りを歩いている。「ア、アリアぁ……幾らなんでも、買い過ぎじゃない?」 持っているだけでもう腕が千切れそうだ。指に食い込むビニール袋の紐が痛い。「も、もうダメ。限界……」「判りました。荷物を貸してください」 そういって両手両肩に荷物を下げたアリアが歩み寄ってくるが、貴女これ以上何処で荷物を持つっていうの……。「いいわよ、貴女もう持てるだけ持ってるでしょ。いいから少し休憩しない?」「そうだな、少し疲れてきたし、丁度公園の近くまで来てるから休もうか」「そうですね、凛も大分疲れてしまっているようですし。では休憩にしましょう」 士郎が援護してくれたので公園で休憩する事になった。「ふう、疲れたあ。もう日も暮れちゃったじゃない。これからが私達の領分の時間だってのにこんなに疲れさせちゃって。こんな時にバーサーカーでも出てきたら最後よ?」「すみません、凛。そんな事態にはならないよう、最大限周囲に警戒はしていますから御心配無く」 その点については私もそう無闇に不安になっていたりはしない。もしそうだったら幾ら手が痛かろうととっくに家路を急いでいた。それに今はアリアもセイバーも、昨日よりはコンディションは良い筈だ。 そんな私とアリアを置いて、士郎はセイバーを連れて商店街の一角に向かってしまった。 まあ、今は敵魔術師の気配も、サーヴァントの気配も周囲二百メートル以内には無いからそう気にしなくても別に良い。「おまたせー。ほら、二人とも」 考え事をしているうちに士郎達が帰ってきた。戻ってきた士郎の手にあるのは江戸前屋のドラ焼きの包みのようで、二つあるうちの一つをアリアに手渡す。「ありがとうございます。はい、凛」 包みからドラ焼きを一つ取り出して手渡してくれる彼女。気のない返事でそれを受け取り口元に持ってくる。「ほら、セイバー。これは“ドラ焼き”っていってね。さっき食べた大判焼きみたいに中に餡子が入っているお菓子だよ」「ほう、甘い香りが漂って美味しそうですね。頂きます」 士郎はどうやらセイバーにドラ焼きを食べさせたかったらしい。さっき商店街に出て行ったのはそのドラ焼きを買う為か。 興味津々に目を輝かせドラ焼きに挑戦するセイバー。「!! 非常に美味ですシロウ!! 肉厚の皮も甘くて、さっきの大判焼きとまた違った食感で、非常に興味深い……」 歯型に切り取られたドラ焼きの断面を食い入るように見詰めながら何か黙々と思いに耽り始めてしまう。「ちょっとちょっと、そんなドラ焼きぐらいで真剣に考え込まないでよセイ……」 大袈裟に感動するセイバーに苦笑してそう窘めようと声を掛けたその時、視界の隅、公園の入口に、今一番会いたくない誰かの姿を見つけてしまった。「あらあら、随分と余裕なのね貴女達」 公園の入口から此方に声を掛けてきた存在、雪のように白い銀髪に紫紺の防寒着を纏った冬の妖精のような少女。 商店街の雑踏の中にたった一人で。恐るべき暴力の化身、バーサーカーのマスターであるイリヤスフィールが其処に居た。