採光窓から土蔵に挿し込む軟い茜色に気付き、私は作業の手を一端止めた。 腕時計で時刻を確認する。もう五時か。二時間程度で作ったにしては随分と捗った。 横の作業台の上には九基のビットが完成している。今丁度十基目の動作確認を行っている所だ。“No.10、信号受信しました。CCD映像、受信中……完了。全周囲映像表示します。動体センサー感有り。気温、湿度、気圧、風速、風向き計測データ受信中……受信完了。システムチェック・オールグリーン” 手元でモニターを光らせるPDAが今完成したビットからの信号を受信した事を画像と音声で伝えてくる。実はこのPDA、私の兄が基本フレームを設計したAIがOSに組み込まれている。元々オックスフォード大学の電脳情報工学研究室という名称だったか、其処でずっとAI、つまり人工知能の実現を目指していた兄の実験作で集大成でもあるサポートプログラムを、私が試験運用も兼ねて使っていたのだ。「OK。アルゲス・システムとのリンクは?」“システムリンク・オールグリーン。次の指示をどうぞアルトリア”「おっといけない、忘れていた。K(ケイ)教授? 今から私の事はアリアと呼びなさい」“了解しました。呼称変更「アリア」登録。……コードネーム使用というと、現在は特殊作戦任務中だったのですか、アリア?”「違いますよ。まあ、強ち間違いとも言い切れないけど……」“? 申し訳有りません、その発言は理解不能です” K教授。音声会話機能を有するこのAIの“名前”だ。 正式には“Kind Execute Intelligence”。其の頭文字をとってK・E・I(ケイ)。兄は発音も同じなので単純にKと呼称していたが、私は兄への敬意も込めてこのAIの事をK教授と呼んでいる。 実際兄の名はケインなので愛称でケイと呼ぶ者もいたから区別する必要もあったのだけれど。「ふう、やっと十基か。まだこの倍位は欲しいところだ」 出来上がったビットを眺めながら独りごちる。ずらりと並ぶビット達、見てくれは正直な話、お世辞にも格好良いとは言えないが、それは有り合わせの材料で作っているのだから仕方の無い事だ。 筐体に使ったのは実はプラモデルだったりする。よく学習教材用等で売られている太陽電池を動力源にしたUFO型の玩具。割と丁度良い具合に透明なドームの中に太陽電池が納まるようになっている直径十八センチ程の円盤車体。 車体の中にはモーターやタイヤなどが納まる用に作られているのだが、結構収容スペースは大きめに出来ていておあつらえ向きだったのだ。「これを買おうとした時の凛達の反応ときたら、フフッ……傑作でしたねえ」 思わずあの時の三人が見せた間抜け面が脳裏に蘇る。三人とも目をテンにしてぱっくり口を開けたまま、じっくり数秒間は固まっていた。 まあ無理も無いだろう。何せコレを一気に売り場に有る分全て買いつくしたのだから。 その数実に二十四個。数が数なだけに売り場の女の子も唖然としていたくらいだ。 流石に持てる分量を超えていたので郵送してもらうよう頼んだ。量販店だったのだから其の位のサービスは利用するべきだろう。物は今朝方宅急便できちんと届いた。 今このプラスティックの筐体には太陽電池以外、玩具本来のパーツは全然入っていない。 代わりに入っているのは全周CCDカメラや各種センサー類と、無線送受信の為の通信回路基盤だけ。 そう特殊な物も高度な技術も使ってない。簡素化するためにセンサー類は首振りなどの可動機能はない。だからサーボモーター等の動力部品は一切無い。 動くのは小型CCDカメラの備え付けレンズ可動モーターだけだ。 その為に三百六十度全周を見渡せる特殊型を選び、円盤の淵には六十度ごとに動体センサーを取り付けてある。 コレを設置するのは主にビルの屋上等。サーヴァント達が足場に使いそうな場所に置く。 動体センサーに反応があればその方向が私のPDAに送信されてくる。その方向にCCDの画像を照らし合わせる訳だ。 そのほか気温、湿度、気圧、風速などの各種観測装置。 殆どは円盤表面にセンサーを付けるだけで目立たないのだが、風速と風向き計だけは機械といえど原理は実にアナログで、見た目に凄く目立って珍妙なのが少々辛い。 UFOの透明ドームの天辺に円形の台座を設け、風速を測る風車と風向きを測る矢羽が突き出ている。さらに其の上に太陽電池が天を向いて鎮座しているこの姿。「ふう……見た目はお世辞にも格好良い、とは言えませんけどね」 ――ふむ。まあ有り合わせの素材で作ったのだから致し方無かろう? まあ、私ならもっとシンプルに仕上げて見せるがね―― 苦笑交じりな独り言が行き場を無くすかと思いきや、思わぬ反応があった。「……その言葉、本当でしょうね? はあ、貴方にも肉体があれば手伝って欲しいくらいですよ」 ――くっくっく。残念だったな。いや真に残念だよ―― まったく、そうやって人をからかって楽しむなんて。 随分と人が悪くなりましたねシロウ? ――いやいや、悪い。ちょっとばかり息抜きにはなったろう? 君は昔から根詰め過ぎるきらいがあるからな。私にも体があれば手伝ってやれるんだが―― まったくだ。彼に肉体を取り戻せたなら百人力なのに。 ……その方が私としても嬉しいし。って、何を考えているんだ私。今は感傷に浸る余裕なんて無い。この程度で顔を熱くするな、作業に戻れアルトリア。 ――どうした?――「な、何でもありませんっ」 ――む? ははあ、まあ、そうだな。私もあれ以来、君を肌で感じる事が適わなくなってしまったのは、少しばかり寂しいがね――「~~~~っ、知りませんっもう!」 まったく、デリカシーの無い! 顔から火が出そうだ。 ――ははは、そう怒ってくれるな。私も少々嬉しくてつい口が滑った。君は普段から自制心が強く禁欲的だからな。いや、私だって正直恥ずかしかったんだぞ。 だが幸い私の声はアルトリアにしか聞こえないからな。ほら、作業に戻ろう―― まったくもう……。恥ずかしいなら言わなければいいのです! 気を取り直して出来上がったビットを見詰める。 これの役割は二つ。一つは敵の動向を探る為の見張り役。そしてもう一つ。 実は重要な役割はむしろ此方の方で、街の至る箇所で、その場の気温、湿度、風速、風向きといった情報を観測し、私のPDAにデータを集約させる事。 街の映像情報なんて実の所、副次的な優先度でしかない。何故なら機械には魔力を感知する機能など無いから、サーヴァントを感知して追跡監視する機能など求められない。 喩え標的を発見出来る魔力センサー等が在ったとしても、自動追尾してカメラを向けられるならそれに越した事は無いが、そんな高度なアルゴリズムなんてエンジニアでもない私にプログラムが組める筈もないし、第一装置に費用も手間も掛かりすぎる。――流石にプログラム関係は私も専門外だ。悪い、先程の言葉は取り消そう――「まあ貴方は機械関係専門でしたから、仕方ないでしょう」 そう。だから映像監視は実質気休め程度でしかない。それでも、常に何箇所もの定点から全周を監視していれば、何かが引っかかる可能性は0ではない。要は“保険”だ。 保険は、これ以外にももう一つ掛けてある。警察のIRシステムにハッキングして、密かにバックドアを作っておいた。これは私のPDAにハッキングツールが備わっているから出来る芸当で、私個人がコンピュータプログラムに聡い訳ではない。 座敷のデスクトップから常に冬木市内全てのIR定点カメラの映像をリアルタイムに検閲出来るようにしておいたのだ。無論、私のPDAからも見られるようにしてある。 これで、私は今冬木の街中に百の眼を持ったと言っても過言ではない。「さてと、もう一頑張り、一気に仕上げてしまいましょうか」 疲労などほぼ無縁なサーヴァントの身だが、魂に残る人間としての癖か、つい軽く伸びをしながら自身にハッパを掛ける。 新たなビットの製作に取り掛かろうとした丁度その時、庭に降りる人の気配を感じた。第十五話「小隊は虎と対峙する」 茜色に染まった空の下に躍り出てなんとなく私は土蔵へと足を向けた。深い意味が在った訳ではない……事もない。 理由は有る。つい先ほどまでは士郎に魔術講義を開いていたのだけれど……士郎は余りにへっぽこ過ぎた。 朝食の時に聞いたけど、アイツは魔導の家系なら一子相伝である筈の魔術刻印さえ持って無かった。本当に一からやってるド素人だったのだから、まともな魔術行使なんて望むべくもなかったんだ。 とりあえずセイバー達が鍛錬している間に、私は一端家に戻って講義の為の道具を用意してきた。 アリアは座敷で何やらパソコンを弄っていたので、そうっとしておく心算だったのだけど、あっさり見つかってしまった。 まあ其のお陰で、アリアの脚力に助けられて短時間で用は足りたから良いのだけれど。 まず、士郎の長年閉じきってしまっていた魔術回路のスイッチを自覚させる為に、一番手っ取り早い宝石を飲ませたのだけれど、意外にもすぐ動けるまで回復してきたんで、試しにとその場で強化の出来を見させてもらったんだけど……私が甘かった。 まさか強化の魔術さえ確立で0.一未満の成功率だなんて。用意したランプ三十個全てを失敗されるとは思わなかった。だから、アイツが普段、一体どんな魔術の修練を行っていたのか、疑問というか、興味が沸いてしまったのだ。 土蔵は士郎にとって工房のようなもので、プライベートでもある。そんな場所に勝手に踏み込んで覗く事に、些か罪悪感を感じない訳じゃない。 でも今、土蔵にはアリアも居る筈だし、何より仮にも師として、士郎の魔術について正確に把握しておかなければ。 そんな理由を適当に頭の中で付けて自分の行動を正当化しつつ、土蔵の中を覗き込む。「あら、凛。どうかしましたか?」 私が入口から覗き込むと案の定、奥の作業場から、アリアが作業の手を止めて、きょとんとした顔で声を掛けてくる。「ええ、ちょっとね……って、わお……凄いわね。もうこんなに作ったの」「はい。ボディも大した加工無しで組めますから、結構早いですよ」 アリアは土蔵の真ん中当たりに残る空間の一角を借りて、作業場にしていた。 多分、普段は士郎がガラクタ弄りに使ってるスペースだろう。 今朝作っていた作業台の上には、昨夜見た、あの有機的なフォルムをした機械が開かれている。ああ、あれって薄いパソコンみたいなモノだったのね。 周囲には補強に使ったのか、細いアルミパイプやら、L型の鋼材が幾つも切断されて、一ヶ所に纏められている。 ゴミと思しき端材までダンボール箱に固められているあたり、アリアの几帳面な性格が顕著に現れているわね。 アリアの手元には、ピンセットやペンチに、ニッパー等の手持ち工具だけでなく、ドリルやドライバー、良く判んないけど、最近見かけなくなった八センチCDぐらいの大きさの、丸い円盤が取り付けられたモノ……これ一体何するキカイ? ……まあいいや。深く考えるのは止そう。そういった各種電動工具まで、所狭しと並んでいる光景は、さながら何処ぞの町工場かと突っ込みたくなる程だ。 あれま、台にはしっかり万力までセットされてるわ。まるで本当の町工場みたい。 全く、アリアらしいと言うか何と言うか……徹底してるわね~。そして隣の台には、ずらりと出来上がったビットが大量に鎮座していた。 私の行動に疑問を持ったか、アリアが口を開く。「まだ講義中かと思っていましたが、何か御用ですか、凛?」「ん~、別に貴女に用って訳じゃないんだけどね。この感覚……あれは!!」 そう、とんでもないモノを見つけてしまった。士郎の魔術について、探る手掛りぐらいあるだろうとは思っていたけれど、まさかこんな物が出てくるなんて……! アリアは何食わぬ顔で作業を続けている。だけど変よソレ。サーヴァントである貴女なら、この土蔵に満ちた違和感を感じない筈が無いでしょう?「まさか、信じられない……! アリア……貴女、コレ知ってたわね?」「何です、凛。コレとは?」「コレよコレ! この中身の無い出来損ないのガラクタ達よ!!」 アリアのそらとぼけた返答にムキになって怒鳴る。「士郎の異常を察知したのは他ならぬ貴女でしょうが。すっとぼけないで答えて!」「…………。ええ、存じていました」「やっぱり。何故、最初に私に言ってこなかったの?」 私が信用出来ないのか、とさえ暗に籠めた視線でアリアを射抜く。だが当のアリアは悪びれた様子も無く、しれっと落ち着き払って口を開く。「それは、貴女が自分で見つけるほうが良いと判断した為です。ただでさえ、士郎君の実状は魔術師にとって非常識すぎる話ですから。一度に知ったら、貴女の理性が吹っ飛んでしまいかねない気がしたもので」 こっの、いけしゃあしゃあとよくもまあ言える。彼女のこの落ち着きようは、一体何処からくるのよ、もうっ。「ほら、今まさに貴女は、怒りが頂点に達しそうになっているではありませんか」「ぐっ……解ったわよ、一先ず冷静に……頭冷やすわ」「はい、それが懸命です」 落ち着いた微笑で相槌を打つアリア。確かに今の私は少々冷静さを欠いていた。 思い出せ遠坂凛。遠坂の家訓『常に余裕を持って優雅たれ』を。 すう、はあと深呼吸を一つ。頭の芯をシンと冷やしてから問題に対処する。「良く考えてみれば、そもそも、貴女が真っ先に士郎の異常に気付けていたのも妙なのよ」「…………」 アリアはただ黙して語らない。じっと真摯に此方を見詰め続けるばかり。「気付いた? いいえ、気付くというより、最初から知っていたんじゃないの、貴女?」「何故、そう思うのです?」「だって、貴女は兵士であって、魔術師じゃないんでしょ? 幾らサーヴァントだから魔力に鋭敏だとしても、それならセイバーだって気付いてなきゃおかしいじゃない」 私の問いにアリアはかぶりを振って答える。「凛、私は確かに魔術師では在りませんが、かといって魔術と無縁でもないのですよ。 私の魔力放出は、生前僅かに使えた数少ない私の魔術です。詰まり、私は魔術使いでもあった訳です」「貴女……魔術まで修めてたの。全く、何処まで私を驚かせてくれるのよ、もう。 ほんっと、貴女って謎だわ。ねえ、そろそろ真名教えてくれたっていいんじゃない?」 なんとなく、彼女の正体に予想は付いている。彼女が魔術を使えた事も。 でも確証が無い。そもそもこの予想自体が、自分でも甚だ半信半疑なのよ。 だからアリアの口から、直接聞きたい。 だけど、果たして彼女は私の問いに答えてくれるだろうか。今までずっと、やんわりとだけど頑なに正体を明かす事を拒んできたんだもの。「…………」 土蔵に微かな沈黙が流れる。アリアは依然、黙したまま。その瞳は僅かに、逡巡の色を滲ませながら、私の眼を見詰めてくる。「……そうですね。私の真名、それ自体は別段隠す必要があるものではありませんから」 何かに観念したのか、ふう、と一息付いてから、静かに了承の言葉を口にした。「ですが、凛。私の事はまだ、当面の間はアリアと呼んで下さい。特に今はまだセイバー達には知らせたく無いのです」「ええ、解ったわ。それじゃあ、教えてくれる? 貴女の本当の名前を」 その真名を知ったところで、別に、何かが目に見えて判るわけでもないだろう。 彼女の様な英雄なんて、古今東西の文献を手当たり次第探しまくったって、多分判りっこない。 それでも、彼女の口から紡がれる彼女の名前は恐らくあの名前。「私の名前は、アル……! 凛、申し訳有りません。セイバーが此方に近づいてきます」「えっ!?」 咄嗟に土蔵の戸外を振り返ると、入口から望める中庭へと縁側から降り、此方に歩いてくるセイバーの姿が見て取れた。「御免なさい凛。今はまだセイバーには……私の真名は間違い無く彼女を混乱させる!」「わ、解ったわ……! けど、ちゃんと話してくれるわよね、二人っきりの時に」「……はい、何れは」 アリアは一瞬、躊躇はしたものの、何れ教えると口にしてくれた。なら、とりあえず今は信じよう。 きっと、私の想像にあまり間違いは無い。きっと彼女とセイバーは……。 そこまで思考を巡らした所で、土蔵の入口にセイバーが顔を覗かせた。「凛、此処に居ましたか」「ええ、どうかしたセイバー? あ、士郎の顔色が悪いんで気になってたとか?」 どうやらセイバーは私を探していたらしい。てっきり魔力消費を抑えるために寝ていると思っていたんだけど。「あ、はい。それも無い訳では在りませんが……。凛、伺いたかったのはシロウの魔術についてです。私は魔術について、詳しくは判りませんので、シロウの現状を正確に把握しておきたいのです」「ははあ、成る程ね。いいわ、私も一先ず、自分の考えも整理したいし、全部纏めて教えてあげる。いい? そこの奥に転がってるガラクタ、あれこそが士郎の魔術の本質よ」 私の言葉に促されて、セイバーが無造作に転がっている“中身の無い”ガラクタを一つ手に取って、まじまじと見詰める。「これは……何かが妙ですね。実体として在るのに、本質が伴っていないような」「そうよ。其れは本来、この世界に在ってはならない“モノ”なのよ。 魔術の原則は等価交換。どんなに大それた神秘だろうと、本質は全て、対価を払って他所から持ってきているモノを使っているだけ。 でもアイツの魔術、このガラクタ達は本質的に違う」 そう口にして、イライラが募ってつい、傍に転がってた薬缶の出来損ないを、つま先で突付きながら続ける。「アイツの魔術はね、何処にも無いモノを、此処に持ってきてしまってるのよ。 此処に転がってるコイツらは、この世界に存在してはならないモノ。それをカタチにしてしまってる。それがどういう事か解る? それは現実を侵食する想念に他ならない。アイツの魔術はきっと、ある魔術が劣化しただけのモノなんだわ」「ある、魔術……?」 私の説明に、まだ完全には理解し切れていなさそうな面持ちで、セイバーが呟く。 そのセイバーの呟きに、無言だったアリアが続きを語り出す。「グラデーション・エア、投影魔術。……本来そこには無い物を、術者の想念だけで具現化させる魔術ですね」「そう。ただ普通、投影魔術で生み出されるモノは現実からの修正力に逆らえず、カタチを保つ為の魔力が拡散してしまえば、たちどころに消えてしまう不安定な物なのよ。 だけど士郎の投影したコイツらは、消えずにずっとこの世界に在り続けている。つまり物質化してるのよ。 こんなの、どんなに高度な投影魔術師でもそうそう出来やしない。まったく、非常識にも程があるってのよ!!」 私の説明に怒気が篭りすぎたか、セイバーが若干面食らったように目を見開いていた。「凛、とりあえず落ち着きましょう」「ええ、後は士郎の体の状態についてね。士郎の体は、今はとりあえず、魔術回路を無理矢理開きっぱなしにした状態なの。だから、少なくとも二、三日は熱っぽかったりすると思うわ。でも士郎自身が魔術回路のオンオフを認識出来る様になれば、自然と治まる筈よ」「そうですか。では現在の体調不良も、そう心配する程の事はないのですね」 私の説明にセイバーはホッと胸を撫で下ろした。彼女は己の心配事が片付いた為か、不意にアリアの作業台に興味を抱いたらしい。近寄って、その台の上に置かれた精密機械の塊を覗き込み、物珍しそうに見詰めている。「ほう、手先が器用なのですね、貴女は。あの大量に買い込んでいた部品は、これを作る為ですか。アリア、これは一体どういう機械なのですか?」 あ……しまった、アリアにその手の質問をしちゃダメよセイバー! したら最後、延々と難しい話を聞かされるハメになるんだからっ!!「これはビットと言って、簡単に言えば、私の索敵能力等をサポートする機械です。これがCCDといって……」 いけない、アリアの“専門家”スイッチが入っちゃった!「わーわーわーっ!! ね、ねえアリアッ。そういえば私達、昨日ビーカー買いそびれてたわよね!?」 このままチンプンカンプンな話を延々とされては堪らない。どうにか話題を逸らそうとして、咄嗟に昨日買い忘れたビーカーの件を持ち出した。「あ、はい。買いに出られるのですか?」 唐突に私が捲し立てたので、アリアは呆気に取られたような面持ちで聞いてくる。 よし、何とか話題を振る事が出来た。買出しにも行き直したかったし、丁度良い。このまま一気に畳み掛けて、アリアに話を戻させないようにしなくちゃ!「うん、そうそう! ほら、もう時間もアレだし、買いに行くなら早くしないと。ね? アリア、すぐ出られる?」「はい。私は何時でも出られますよ。丁度ビットも十基は完成しましたから。 そうですね、今晩にでも設置に向かいたい所ですし、事前に設置箇所の最終チェックも兼ねて出ましょうか」 アリアは逡巡の色すら見せず快諾するや、視線を作業台のすぐ横にある、畳一畳分はありそうな台へと向け、後を続ける。これもアリアが組み立てた物だろうが、其処に並べられたビットの筐体を、指先でなぞりながらそう答えた。「そうね。そうしてもらえると助かるわ」 うん、本当に助かる。一先ず今時分の私にとって大いに。 とりあえず、アリアの解説者スイッチを強制終了させる事には成功したし、成り行きとはいえ、昨日遣り残した用事もこなせるし、言うこと無しかしら。「それじゃ仕度して。後で玄関前ね」「了解しました凛。それでは、セイバー。申し訳無いのですが、説明はまた次の機会に」「はい。少し残念ではありますが、騎士としての本懐を私の我儘で阻ませる訳にはいきません。凛の護衛、然りと務めて下さい、アリア」 アリアと言葉を交わし、私に続いてセイバーも土蔵を後にする。 アリアは作業場の後片付けをしてから来るだろう。「セイバー。さっきの士郎の魔術の話だけど、士郎には黙っておいてね。アイツにはまだ理解させるには……早過ぎるから」「解りました、凛。他言無用という事ですね」 そうだ。あんな大それた魔術なんて、士郎の未熟な魔術回路で行えば、絶対無理が祟るに決まってる。順序を間違えさせてはいけない。弟子を魔術の制御に失敗して死なせたりしたら、師として失格どころの話じゃないもの!「ええ。とりあえずそれだけ念押しとくわ。士郎のとこに戻ってあげなさい」「はい。お気を付けて、凛」 セイバーに行ってきますと声を掛けて、私は玄関へと向かった。************************************************************** 西の空をもうその輪郭さえ残さぬ夕日の忘れ物が仄かに紅く夜空を押し返している。 手首に巻いた精緻なクォーツ時計が示す現在時刻は五時三十二分、正に夕暮れ時である。「ふむ、今ならまだ商店街にも間に合いますね」 私は凛の待つ玄関前へ向かいながら、時計を確認する。何分行動するには、世間一般的には少々遅い頃合だから、行動は迅速に、効率よく済まさねばならない。 特に商店街の店は、大抵遅くとも夜八時頃には軒並み閉まるのだから、あまり悠長な事はしていられない。 玄関前に着くと、凛が紅い外套を身につけ待っていた。「すみません、御待たせしました」「ん、そんなに待ってもいないけどね。それじゃアリア、急ぎましょうか。縁故の文具店……あそこなら安く手に入るんだけど、店主の爺さんがモーロクしてて、大抵六時半には店閉めちゃうのよ」「おや、それでは急がねばなりませんね」 そんな遣り取りをしながら商店街へと向かう道すがら、丁度衛宮邸を出て直ぐのところで、私達は見慣れぬ男とすれ違った。 別段印象にも残らぬ地味な背広にコート姿、短めで寝癖のように刎ねた頭髪という如何にも冴えない風体。手に黒革の鞄を提げたその姿は一見何処にでも居そうな会社員のように見える。 仕事の商談だろうか、それとも家族とだろうか、男は携帯電話で誰かと遣り取りしながら、私達の横を通り過ぎていく。 当然のように魔力反応などあるはずも無く、凛は全く気にも止めていない。だが私は即座にその男に違和感を覚えていた。あの男……間違い無く堅気の人間ではない。 歩き方一つ取っても判る。一般人なら大抵はラフで姿勢が悪い。だが男のそれは正中線が決してぶれず重心を丹田に据え、きっちり爪先まで神経の通った確かな足取り。 視線はぼうっとしているように見えて、実は常に周囲に気を配り意識している。 上着越しで素人目には判り難いかもしれないが、右肩の方が発達した上背は恐らく右利き故だろう。 明らかに相当訓練された人間の其れである。 恐らくは軍人……それも見るからに目立たぬよう、地味な一般市民に偽装している点から見て、何処かの諜報員には違いない。 電話も果たして本当に誰かと遣り取りしているかさえ、怪しい。 こういう者達は総じて“普通”を演じる術に長けているからだ。尤も、普通の会話に偽装して、暗号を仕込んだ通信をしている場合もあろう。 何れにせよ、一見程度で其処まで詳しくは読み取れないので、それも詮無い推理ではあるが……。「今の男……」「どうしたのアリア? 早くしないと店締まっちゃうわよ」「あ、はい」 言葉短く首肯して、彼女の後に続く。少々時間に余裕が無い凛は、私が僅かに足を止めて振り返っていただけで早く、急いでと歩みを急かす。 仕方が無い、気になる事は在るが、急を要する謎でも無いだろう。少なくともどういった手合いか、今の私には大方の察しが付いていた。 街頭の明かりが青白く世界を明暗に分け始めた夜道を、両手に買い物袋をぶら下げ歩く。 隣を歩く凛は無事にビーカーを手に入れて上機嫌だ。足取りも軽く家路を急いでいる。「さて、早く帰りましょアリア。夕飯は私の番だから急がないとね」「そうですね。昨日のような事はもう勘弁願います」「あ、あはは……アレは私もこりごりだわ」 今日はしっかりと中華用の具材も買い込んだし、まあ大丈夫だろう。昔の自分の痴態を見せられる心配は、無い……と、思う。 まさか、あれだけ買い込んだのに、一食で使い切ってしまうとは思わなかった。 昔の私って、あそこまで大食家だったろうか……。「あ、そういえばこの通りの向こうよね。あの場所って」 不意に凛が交差点の向こうを見やりながら呟いた言葉が、私の意識を裡から引き戻す。 そう、二日前に私達がバーサーカーと戦った場所。丁度この交差点を挟んだ向こう側の数区画だけが、夕餉に和む住宅街の灯火の中、物謂わぬ静寂の黒に包まれている。「そうですね。……む、何か妙だ。あれから二日、まだ警察の封鎖は続いてる筈ですがどうも気配が無さ過ぎる」「そりゃあそうでしょう。綺礼の裏工作はとっくに働いてる筈だし、捜査だってまず進展する筈が無いでしょ? 手詰まりな上にお上から圧力まで掛かってるんだから警察だって封鎖といってもカタチだけよ」 言峰神父の手による隠蔽工作は、どうやら迅速に行われているようだ。警察の眼さえ無いなら、此方としても行動しやすい。 現場はもう粗方、証拠集めで洗われてしまってるだろうが、ひょっとしたらまだ何かが見つかるかもしれない。「ふむ、なら好都合ですね。凛、ちょっと様子を覗いてみませんか?」「はぁ? 突然何を言い出すのよ貴女。あんなトコに行ったら、完全に寄り道じゃない。 時間の無駄だし、それにもう夜よ。何時敵の襲撃に遭ってもおかしくないのに、態々あんなおあつらえ向きな場所に向かう事も無いでしょ?」「いえ、多分大丈夫かと。何しろあそこは完全な無人。それも生気さえ枯渇しかけた死地ですから。それに、一度戦ってボロボロで、目ぼしい宝も無い戦場跡など、何もメリットなんて無い、と考えるのは貴女だけじゃないでしょう? だから逆に安全だとも考えられます」「ふう。全くもう、解ったわよ。付き合うわ。 そこまで言うからには、何か考えがあっての事なんでしょう、アリア?」 私の言葉に納得してくれたのか、それとも私の行動に呆れたのか。凛は溜め息交じりに渋々了承してくれた。「ええ、まあ。有るというより、僅かな可能性でも見つかればと思っているだけですが。 正に藁にも縋るような心境ですよ。それほどにあのバーサーカーは、私にとって天敵以外の何者でもないですからね」 そう、悔しいが其れが現実だ。私の通常武器は、何一つとしてあの巨体には通じない。 あのヘラクレスの宝具“十二の試練(ゴッドハンド)”を打ち破るには、相応の霊格を誇る攻撃でなければ傷一つ付けられない。その上、命のストックまで12個も持っている。 ……まったく、なんて出鱈目な宝具か。あれを上回るには私の武器に高い、それこそ第一級の神秘を備えさせなければいけない。 そんな攻撃を私は……持たない訳ではない。持たない訳ではないが……まだ己の命を掛けるには早過ぎる。 バーサーカーを倒せても、そこで力尽きてしまっては意味が無い。まだあの影が残っているのだから……。 霊格が低くてはどんなに破壊力の高い武器を使おうと、恐らく意味を成さない。あれはそういった、この世の理を無視した法則の元に成り立つ宝具、神格化された概念武装。 さて、そんなバケモノをどうやって相手にするか……そんな事に思考を割いているうちに私達は当の現場に着いてしまった。「ふう、とりあえずは誰にも見られずに済んだか。着いたわよ、アリア」 無人の住宅区画に入る時に潜った物と同じ、“立入禁止 KEEPOUT”と書かれた警察の封鎖テープを再び潜り、私達は二日前の戦場跡へと戻ってきた。「調べるんなら早くしてよね? こんな所で、他のマスター達に襲われでもしたら事よ」「解っています。半径二百メートル以内に敵はまだ感知していませんから、ご安心を」 凛を納得させて直ぐに周囲を調べに掛かる。そう、確証は無かったが目論見はある。 あの時、あのバーサーカーと戦っていた時に、私は奇妙な違和感を覚えた。 違和感はあの斧剣から感じたもの。 あれは私や、セイバーの持つ英霊としての武器とは違う。 彼の武装には違いないが、サーヴァントとしての宝具でも無ければ、英霊としての固有武装でも無い。 なのに其れから感じた神秘の高さは、千年単位の年月を蓄積した物のそれだった。 それが意味する所は何なのか。 確証は無いが、私にとって、あの武器こそが現状を打破する唯一の希望だと、半ば直感めいた確信を抱いている。「凛、この周辺から、マナの残滓が在るポイントを重点的に探してください」「魔力が残留してる所ね。いいけど、何を探してるの?」「お宝は……バーサーカーが持っていた斧剣の欠片です」「……はぁ!? あれって残ってるようなモンなの!? ……だって英霊の武装でしょ? 大方、マナの霧になって、消えちゃってると思うけど?」 凛が素っ頓狂な声を上げて聞き返してくる。彼女にとっても意外な事だったのだろう。「さあ、残っているか否か……それも定かでは無いのが本当の所です。ですが、あの斧剣は私達の武装のような、仮初めの実体化とは、少々性格が異なる物のようでしたのでね」 あの斧剣は、基本的には只の石器と同じ物。形状は古代の磨製石器に近いが、あの表面の研磨精度はどちらかと言うと、現代的な鉄器によって、岩から剣の形に削り出した物のように思える。 だがあの刃は鋼のように研磨して生み出した物ではなく、刀身の淵を打ち欠いて無駄な肉厚を剥ぐ事で、あの凶悪な鋸状のエッジを作り出している。 つまりあの剣は、打ち合い刃こぼれしても、それが新たな刃となる事で破壊力を維持し続けるのだ。 ともあれ、あの斧剣がどういった性質の物なのかは、あくまで推測の域を出ない。 だがもしあの斧剣の欠片でも入手出来れば、その正体を見極める事も出来るだろう。 あの時、私は彼の斧剣に向けて、幾度もライフル弾の全弾掃射を浴びせかけた。 斧剣の表面を銃弾の雨でボロボロに砕いた筈だし、セイバーの剣との打ち合いでも派手に火花と共に砕けた破片を撒き散らしていた。 そう、もしこの場が、まだそんなに捜査で荒らされていなければ、あの斧剣の破片が見つかる可能性も、ゼロではない筈だ。 さて、私もマナの僅かな残り香を探りあて、破片を探さなければ。「Anfang(セット)――。広域検索……魔力検出…………っ! 見つけた!! アリア、とりあえずソコとアッチと……向こうの電柱の影の三カ所。他にも大小合わせて、十二ヶ所は在るわね……。意外と多いかも」「! 流石は凛ですね、仕事が早い。感謝します。これで探す手間が省けた」 凛の検索魔術によって見つけ出された魔力反応の箇所を、手分けして探ってゆく。「……あった!? まさか、本当に残ってるなんてね……」「此方も発見しました。本当に小さな破片ですけれど」 全ての箇所を調べ終わり、凛と合流する。大小全てのポイントから、片手一杯分の破片を見つけた。 そこらじゅうボロボロの戦場跡の中、二人して、得も言われぬ溜め息をつく。「まったく……。なんて代物よ、これ」「……ええ。改めて手に取ると本当に、とんでもない遺物ですね」「セイバーの剣と互角に渡り合うだけの事は在るわ。軽く二千年以上の歳月を重ねてきた神代の遺物よこれ。これ程の神格を持つとなると恐らく、古代の神殿に縁のある物かも」 むむ、と凛が難しい顔をして、手中の欠片達を睨み据える。この破片達が纏う高い神秘がそうさせるのだろう。「ふむ……古代の神殿……。凛? もしかしたら、この破片……というより、あの斧剣はヘラクレスを召喚する為に用意した触媒なのかもしれません」「……そうね。ヘラクレスの伝承から考えれば、あんな石器が縁の物だなんて、多少疑問は残るけど、この破格の神秘は何よりも説得力に勝るわ」「先ほど、凛は神殿に縁があると仰ったでしょう? 古代ギリシアの神殿は大理石等の石造りです。これは推測ですが、あの斧剣は、アインツベルンが、神殿跡の石材から削り出した物なのではないでしょうか」「成る程ね……一理あるわ。これが神殿の構成物その物だとしたら、これだけの神格にも納得がいく。恐らくその線で違いないわ」 凛が腕組みを解いて、合点が行ったとばかりにポンと鳩尾の前で相槌を打つ。 と、そこまで納得して、次の瞬間には目を丸くして、それが判ったからどうなのよと言う視線を、私に投げ掛ける。「で? それ……一体、何に使う訳?」「無論、武器ですよ。それが何か?」「??」 凛はさっぱり解らないといった表情になり、半眼で私を睨む。「ですが、欲を言うなら、もうちょっと量が得られれば良かったのですがね……。 ふむ、見たところ警察も、一応は鑑識用に辺り一面を洗っているようですから、警察署に潜り込めば、まだ見つかるかも」「ええっ!? ちょっと待った!! 貴女、警察に忍び込む心算!? っていうか、そういえば貴女の銃弾とか、ポンポン飛んでたケースとか、あんなの鑑識されちゃったら拙いじゃない!?」 私の言葉に猛烈に驚いた凛が、狼狽えながら捲し立てる。「私の銃弾や薬莢は、あの戦闘後すぐに私の武器と共に消滅しているので、その心配は無いと思いますよ。まあ、いくらか周囲に跳弾の弾痕ぐらいは残って、鑑識たちに正体不明の謎を提供しているでしょうが」「あ、そう……。って、それは良いけど、警察に忍び込むなんて本気!?」 何でそんなに厄介事を呼び込みそうな行動を取りたがるのよ、と言いたげに、凛が非難の声を上げる。 別にそんなに慌てる必要など無いと思うのだけれど。私はこう見えても、生前は潜入工作だって幾度もこなしていたのだから。 平和そのもので、対外防衛設備の緩い日本の地方警察署ぐらい、霊体化せずとも、如何と言うこともない。「ええ勿論。私なら造作も無い事ですよ?」「あ、貴女ねえ、そんな屈託の無い朗らかな笑顔で言う事じゃないわよソレ!」「まあまあ、そんなに心配する必要有りませんよ。それより、もうすぐ七時になってしまいますよ? 急いで帰りませんと」「うわっ……! しまった、長居しすぎた。……くっ、急ぐわよアリア!」 腕時計の針を指差しながら、私が時刻を伝えると、凛は驚いて文字盤を一瞥するや、即座に踵を返す。はは、余程昨夜の一件は堪えていたようですね。 念の為に、携帯電話で士郎君にセイバーを宥めてもらうよう頼んでおきますか。************************************************************** まだ熱っぽい体を持て余し、縁側で涼もうと居間に入った時だった。不意にポケットの中から軽快なメロディーが流れてきたのは。 遠坂達が連絡用にとくれた携帯電話だ。二つ折りの本体を開くと、液晶画面にはアリアの番号が踊っていた。一体何だろう? 熱っぽくてボケたままの頭を振るって、正気に戻してアリアの声を聞く。「……うん、うん。解った。あと十分くらい? いいよ、こっちは任せておいてくれ」「シロウ、もう体調は良いのですか?」 廊下から、洗面器とタオルを持ったセイバーが顔を出して聞いてくる。「ああ。まだ熱っぽいんで縁側で涼もうかと思ったんだけど」「そうですか」 俺が寝ている間、看病をしてくれていたのだろう。まったく、自分のサーヴァントにまで迷惑かけて、俺は何を遣っているんだか。「悪いな、気を使わせて。セイバーも消耗を避ける為に、極力寝てなきゃいけないのに」「構いません。マスターの体調不全で万が一の事態に陥る方が、遙かに危険ですから。貴方の体調を保つ事も重要です。 ……というのは、実はアリアのお陰で気付く事が出来たのですが」 凛としてはっきり自分の意思を口にしていたセイバーだが、最後の一言には些かその声に自信が感じられず、弱々しく感じられた。「ははは、アリアって不思議なくらい鋭いもんな。その割りに、自分の事には意外と疎い所もあるみたいだけど」「はあ。そうなのですか?」 あれ? 今のはセイバーとアリアの似通い具合に、アリアが無自覚だってことを籠めてたんだけど。 特に食事時の癖とか……ああ、自分の事に疎いのはセイバーも同じだったか。 ……本当つくづく思うけど、ソックリだよなあこの二人。「そうだ。今アリアから電話があって、彼女達はあと十分ぐらいで帰って来るってさ。 セイバー、済まないが夕飯はそれからだ。もうちょっと辛抱してくれるか」「解りました。それはそうとシロウ、もう七時です。確か、朝に聞いた予定では六時にはタイガが戻って来ると伺っていましたが?」 ……そういえば、そうだった。 それと同時に、朝の時点で棚上げにしていた問題が、アンゴルモアの大王が如く頭上に舞い戻って来た。 そう、朝に藤ねえがやって来た時に、セイバー達の事は、爺さんの知人の娘と言う事で納得してもらえた。 だけど藤ねえは二日前のあの事件の事で、早朝に臨時職員会議があるとかでバタバタしてて、あの時まだ完全に寝ていた遠坂の事は藤ねえに伝えてない。「しまった……やっばいなあ。遠坂まで下宿する事、どうやって藤ねえに説明しよう」「その件は恐らく、アリアがもう何か考えているのではないかと」「へ? セイバー、アリアから何か聞いてるのか?」「いえ、別段そういう訳では無いのですが……彼女の事ですから」 セイバーが少し済まなさそうな笑みを浮かべ、彼女にしては珍しく他力本願な事を言う。 まあ、今までのアリアの機転の良さは彼女も良く知るところだが。何しろ彼女達が居候する口実を考えてきたのも、アリア本人だ。それにしても―― アリアは何故に切嗣、知る筈の無い俺の爺さんの名前まで、知っていたんだろう?「それで、タイガが遅れている件ですが」「ああ、多分例の事件のせいで色々立て込んでるんだろう。あの行方不明になった人たちの中には、ウチの生徒だって居ただろうから。なに、もし遅くなるなら電話がある筈だろうし、もうじき帰って来るさ」「そうですか。では然程心配する必要は無さそうですね」 そんな事を話していると噂をすれば影というか、玄関の方から本人のスクーターが排気音を響かせやって来た。間違いない、藤ねえだ。「やっほーっしろー! 御免ねえ、残務整理とか職員会議で遅くなっちゃって。 もうおねーちゃん疲れちゃったよーぅ」 パタパタと廊下を歩きながら、底抜けに明るい大声を上げる藤ねえ。居間の襖を開けるなり、疲れたなんて言いながら人に抱き付いてくる。 おいおい、それだけ大声張り上げておいて、一体何処が疲れてるんだ?「こ、こら重いっ藤ねえ悪ふざけはやめろ、こら首絞めるな、チョークスリーパーは止めてくれ頼むからっ!!」「あっはっはー。この位で音を上げちゃ情けないゾ士郎ー? セイバーちゃんもこんばんわー。お姉さんは外出?」 そう、藤ねえにはセイバーとアリアは姉妹、という事で説明してある。 彼女達は爺さんの、異国での友人の娘という事で、俺が宿を貸すと決めたと言えば、藤ねえとて無碍には出来ないので、渋々了承してくれた。 まあ、アリアが機転良くフォローを入れてくれたし、二人の態度には藤ねえも好印象を持ってくれたようで、もうセイバーともこうして気軽に話し掛けたりしている。 ……それはそうと、いい加減酸欠で苦しくなって来てるんだが藤ねえ、ギブ、ギブ……。「あ、はい。今晩はタイガ。アリア……姉上は今買い物に出ています。もうじき戻って来ますよ。……あの、そろそろ離してあげないとシロウが落ちてしまいますが……」「ん? あっと、ゴメンゴメン士郎」 セイバーがおずおずと心配げな表情で指摘してくれたお陰で、藤ねえはようやくコッチに気が付き首を開放してくれた。「げほっげほっ……! ったく、やって来るなり技かけるなよ藤ねえ。何かあったのか?」「んー、まあねー。ほら、二日前の集団失踪事件、あったでしょー?」 なんだか普段と少しだけ様子の違う藤ねえが気になり、問いかけてみる。藤ねえは少しばかり苦笑すると、いつもの調子で語り出した。「ウチの生徒も何人か行方不明でね、それで今日は朝から、今後の対応とか如何するかって遅くまで職員会議開いて、てんやわんやだったんだけど。士郎もいっつも遅くまでバイトとかしてるから、無事かどうか心配になっちゃってさ。だから無事な顔見れたら、ついホッとしちゃってー」「ホッとしたら人の首を絞めるのかよ藤ねえ……物騒だから絶対他人にはするなよ。まあそれは置いといて、藤ねえこそ気をつけろよ? 最近はこの辺りも物騒みたいだからな」 俺の言葉に解ってるよーと軽い相槌を返すや、今度はセイバーにまで気をつけなさいねと話を向けている。 まあ藤ねえにはセイバーも年端も行かぬ少女にしか見えないだろうから、注意を促すのは教師としても当然の行為だろう。 こういうところで藤ねえはなんだかんだ言いながら、立派に教師である事を再認識させられる。「アリアさんにも注意するよう言っとかないとねー。二人とも凄い美人だし、悪漢に襲われたりしたら……」「あ、その点は心配無用かと。私も姉上も武の心得が在りますから」「でも……」 セイバーの言葉に間髪入れず反論しようとする藤ねえ。 そりゃまあ、ごく普通の感覚をもつ藤ねえからすれば、武の心得と言っても精々空手の習い事程度の物と思ったのだろう。「……特に、姉上の格闘術は生半可な物ではありません。私でも適うかどうか。並みの男が幾ら束になって掛かろうと姉上なら大丈夫でしょう」 並みの人間レベルの心得だと思ってしまうだろうが、生憎とそんな生易しい物じゃない。 それは何より、アリアの近接戦闘を実際に経験したセイバー自身が、誰よりも良く理解しているのだろう。 その声色に、些か口惜しさが滲み出ているようでもある。 尤も、サーヴァントとしての単純な戦闘力なら、セイバーの方が遙かに高いとは思うんだけど。「そ……そんなに?」「ああ。今日セイバー達の組み手を見せてもらったんだけど、まず、彼女達のは次元が違うよ。セイバーもアリアも、只の悪漢なら一ひねりで返り討ちに出来るな」「むむむ……なんだかそう聞かされるといっそう、一度手合わせしてみたくなるわねー」 徐に物騒な事を口走る藤ねえ。さっきもチョークスリーパー掛けられたり、最近暴れ足りなくて欲求不満なのだろうか。 そんな傍迷惑な推測などしているうちに、これもまた噂をすれば影、というより実物現るとでも言おうか、素晴らしいタイミングで玄関が開く音が聞こえる。「只今戻りましたー」 廊下から聞こえてきた声の主は誰でもない噂のその人、アリア本人である。 居間の襖を開けて入ってきた人影はアリアと……そう、問題を先送りにしていた遠坂さんの二人分。「遅くなってしまい申し訳有りません」「まったく、アリアが余計な寄り道なんかするから」「済みません。すぐ夕餉の用意をしますから。と、いらっしゃい大河さん。 ……はて? 私の顔に何か付いてます?」「あっう、ううん、何でもっ。何でもないわアリアさん。こんばんわー」 まじまじとアリアに無粋な視線を送っていた藤ねえが不意に正気に戻って、あたふたと取り繕う。 まったく、大方こんな華奢そうな女の子がねえ、なんて考えてたんだろうが。 アリアの意外性はそれだけじゃ無いって事を知ったら藤ねえのヤツ、どんな顔見せるだろうな。「……ところで、どうして遠坂さんまで一緒なの?」 その瞬間、俺達の周囲の空間がぴしり、と瞬間冷凍されたような心地になった。 俺の横ではセイバーが目で(シロウ、如何するのですか)と訴えてくる。 台所に向かおうとしていた遠坂は無表情で(何? 何も話通してないっていうの?)なんて冷たい目で射抜いてくる。そんな事言われたってなあ……。 頼みの綱はもうアリアだけだ。万感の思いを込めてアリアにアイコンタクトを取る。(アリア、頼む。遠坂も一緒に下宿するって件、何とか良い言い訳考えてくれっ!) 俺の思いを視線から汲み取ったアリアが、目で了解と視線を返してくれる。 良かった、何とかなりそうだと思った矢先……。「それは当然、私も此方で下宿させてもらうからですよ。藤村先生」「り、凛!?」 アリアが口を開くより僅かに先に遠坂が、よりによって一番やって欲しくない爆弾発言を、無慈悲にも投下してくれやがりました。 突然の事態に思わずアリアも目を白黒させて固まってる。「あ、そうなの。へえ、遠坂さんも変わった事するのね」「……う、うん。あいつ、結構変わり者だ。学校じゃ猫かぶってる……」「あ、あのっその件についてはっ……」「ふーん、そっかー。下宿ねえ……」 あ、ヤバイ。この間はなんかひじょーにヤバイ。第六感が告げている。 衛宮士郎よ、早くこの場から逃げるんだ、と本能が警告を発するも体が動かない。「って、下宿ってなによ士郎ーーーーっ!!!!」 どっかーんとまるで爆発の効果音でも付いてるんじゃないかと思うほどの大声が、家の壁や窓ガラスをビリビリと振動させる。 即座に俺の襟首を引っ掴んでがくがくと揺らしては、がぁーと気炎を吐き出す我が姉貴分タイガー。もうこーなっちまったら止められない。 ……ちくしょう。俺が必死こいてアリアに助けを求めたってのに、全ての労力を無に還してくれやがって。あのあかいアクマめ……。「百歩譲ってセイバーちゃん達は切嗣さんへの来客だから認めます! だけどよりによって同級生の女の子まで下宿させるなんて一体全体ドコのラブコメだいっ、ええいわたしゃそんな質の悪い冗談じゃ笑ってやらないんだからー!」「ぐ、ぐえっ……ちょ、ちょっと待て、一先ず話を聞け!」「そ、そうです! まずは落ち着いて下さい大河! きちんと説明しますから!!」 尚も襟首を掴んだままがくがくと揺さ振られながら、次第に腕に力が入って首まで絞められ始める俺を見かねたアリアが、藤ねえを羽交い絞めにして止めに入る。「ちょ、待って離してアリアさん! うわ、全っ然抜け出せないしって、あ……しまった肩極まってる、極まっちゃってるよアリアさん、痛ッイタタ!」「済みません大河さん、まずは冷静になって下さい」「解った、解りましたから離してえアリアさぁん」 きっちり羽交い絞めにされて身動きの取れない藤ねえ。もがけばもがく程、見事に極められた肩が悲鳴を上げるので、流石に泣きが入ったようだ。「げほっ。だから言ったろ? アリアの腕は並じゃないって」「大丈夫ですか、シロウ」 アリアが藤ねえを引き剥がしてくれたお陰で、何とか呼吸を取り戻し咳き込む。 すぐ傍にセイバーがやってきた。気遣ってくれるも、流石にセイバーも如何して良いか判らないといった面持ちで、申し訳無さそうに眉を下げている。「なんだ、もうオシマイ? 案外早く終わっちゃったわね」「り、凛……」「お前ね、言うに事欠いてそれかよ!?」 遠坂の悪びれもしない態度に流石のアリアも呆れかえってしまっている。「凛、今のは流石に頂けませんよ。一体どういうお心算ですか」「あっはは、いやあ申し訳無い。御免ね。ほら、私、身内なんて居ないからさ。ちょっと士郎と藤村先生見てたら、羨ましくなっちゃって」 てへっとばかりに軽く舌を出して謝るあかいアクマ。 呆れた。こいつ、実は感性だけで生きている生物なのではないだろうか?「で、早合点させるような事を言ったら、姉弟喧嘩でも見れるかなーって。ほら、私ってそういうの殆ど経験無いからつい好奇心で……」「まったく、何という……」 えへへとばかりにはにかむ遠坂。その横ではアリアが、渋面を半分手で覆うようにしてかぶりを振っている。 うん。その気持ち、痛いほど良く判るぞアリア。「まあ冗談はこの位にして、藤村先生。下宿を申し入れたのは私からです」 最初から冗談抜きにしておいて貰いたかったんだが、まあいい。 ともかく、遠坂が真面目に説明を始めたようだ。横からアリアもフォローにまわるのでもう大丈夫だろう。「そうなんです。実は私達も、最初は凛の家にご厄介になる予定だったのですが、生憎と今は凛の家が改装の真っ只中でして。その旨を士郎君に伝えると、ならウチを使ってくれて良いと有り難い申し出を頂いたんです。 それで厚かましい願いでは有りますが、凛も改装中はホテルにでも泊まる心算だと言っていたので一緒に泊めて貰えないかと私から申し出まして。士郎君は嫌な顔一つせず二つ返事で快諾してくれて大変助かりました」 流石はアリア。すらすらと良くまあ此処までもっともらしい嘘、もとい方便が出てくるなと感心する。「成る程……そうですか。そういう事情でしたら……。でもやっぱり若い男女を一つ屋根の下に生活させるのは教師として、士郎の保護者としてやっぱり認めるには……」「ご心配無く、藤村先生。私は母屋でなく離れの方に部屋を借りていますし、実は既に一昨日から宿泊させて頂いていますが、衛宮君は真面目ですから問題になるようなことは何も。それとも、先生は衛宮君が問題を起こす人間だとでも?」 遠坂が真面目になのか、藤ねえを挑発しているのか判断に窮する事を言う。 頼むからもうちょっと穏便に話を進めてくれないかな……正直心臓に悪くってハラハラする。 ああ、アリアも苦笑が顔に表れてるよ。苦労するなあ、アリアも。「そんな訳無いじゃない。士郎は私が責任もって面倒見てきたんだから! それよりちょっと士郎! アンタ何、もう泊めちゃってるんじゃないのよう。こんな事切嗣さんが知ったら何ていうか」「……多分、喜んで協力してあげなさいって言うと思うぞ」「う……それは、言えてる。切嗣さん女性には甘かったしなあ……」 爺さんは女性は優しくしなさいって何時も言ってたしな。それに関しては、息子である俺も同意見だ。 藤ねえはむううと黙り込み、暫く何かぶつぶつと呟いていたが、決心したかすっくとその場に立ち上がると、声高に宣言し出した。「判りました。遠坂さんの下宿は許可します。ただし! 条件として、私も監督役として同居します!」「え? ええーっ!? 何でそうなるんだよ藤ねえ!」「反論は大却下します! 教師兼保護者として、これ以上の譲歩は認めませんからね!!」 それは色々と拙いんじゃなかろうか。何しろ隣の座敷にはアリアが設置したパソコンがあるし、土蔵の中とか、ただの下宿というには色々と不自然な状況になっている。 もし藤ねえにあれらが見つかったら、どう言い訳したらいいか解らない。 如何しようかと思案し倦ねて、チラッと視線でアリアに問い掛ける。 すると意外な反応が返ってきた。「私達はそれで構いませんよ。それでは改めて。大河さん、恐らく二週間程度だと思いますが妹共々、お世話になります。何卒、宜しくお願いします」「宜しくお願い致します、タイガ」 セイバーにちょいちょいと手招きして傍に寄らせ、丁寧にお辞儀をするアリアと、促されるままに一緒にお辞儀をするセイバー。「凛も、宜しいですね?」「ええ。異存は無いわ。それでは改めまして。宜しくお願いします、藤村先生」「いいのか、三人とも? ……まあ、皆がそれでいいって言うなら俺も反論は無いよ」 アリア達の傍に寄って真意を確かめるが、三人とももう腹は決まっているらしくただ頷くだけ。 聖杯戦争絡みの不安は残ってるが、アリア達がいいと言うんだから、既に何か策は考えているんだろう。「はい、じゃあ決定ね。三人とも、此方こそ宜しくね。 ……そういえば、アリアさん達と遠坂さんって、お知り合いだったの?」「はい。私が日本へ来たのも、本来は家庭教師兼家政婦として、凛に招かれたからです。 此方へは生前お世話になった切嗣さんに、せめて墓参りでも出来ればと。そうしたら私が日本へ渡ると聞いて、妹も切嗣さんとの約束を果たすんだと言って聞かなくて」「あ、姉上?」(しーっ。黙って私の話に合わせて下さい。悪いようにはしませんから) 突然の新設定に思わずセイバーが狼狽える。傍にいる俺が何とか聞こえる程度のひそひそ声で、セイバーに耳打ちするアリア。 しかし、慣れないセイバーにアドリブを求めて大丈夫だろうか。「へえ、切嗣さんとの約束かあ。どんな約束なのセイバーちゃん?」「それは……」 セイバーは突然の事にどう答えて良いものかと考え倦ね、救いを求めるようにアリアへと視線を泳がせる。と、アリアが小さな声で囁く。(深く考えずに、貴女の本分を答えれば良いではないですか)(! 成る程、そういう事ですか) セイバーはアリアの謂わんとする所に合点がいったのか、スッといつもの冷静さを取り戻して口を開く。「あらゆる障害からシロウを護ると切嗣に約束したのです」「あら、まあ」「もう何年も前に交わした些細な約束をずっと覚えていたようで、家族の反対を押し切って、強引に私にくっついて来てしまったんですよ」「あっ姉上! 人をそんな無鉄砲者のように言わないで下さい」(全く、これではまるで、私が幼い頑固者のようではないですか)(ははは、辛抱してください。少なくともこれで、貴女が士郎君を護衛する理由付けが出来たでしょう?) いやはや、アリアには全く恐れ入る。ここまで平然と、尤もらしい嘘八百を並べ立てられる事もだが、なによりセイバーの性格を良く解って、上手く舵を取っている。 きっと今のセイバーの不満は本心からだろう。セイバーみたいに融通の利かない性格の人間が、考え無しの無鉄砲娘なんて言われたら、普通は怒るよなあ。 でも確かに、これでアリアの言うとおり、セイバーが俺を護衛する事も、アリアが遠坂に従事する理由も、表向きに無理の無い説明をでっち上げる事が出来たのは間違いない。「そっか、成る程ねー。切嗣さんとの約束を大事にして日本までやって来てくれた訳か。うんうん、その純粋で一途な心意気、士郎の保護者としておねーさんは嬉しいよー」 伊達に俺の保護者を自負している訳じゃない藤ねえだ。 突然見ず知らずの他人に、俺を護衛する為に来たとか言われれば絶対「私より強いって証明してみせなさーいっ!」とばかりに決闘しかねない。 でもここまで微笑ましい話を聞かされては、流石の藤ねえもセイバーを無碍になんて出来ないだろう。 ……ひょっとしてアリア、そこまで計算してた? いや、まさかな。考えすぎだ……。「そうそう、寝る時はセイバーちゃんとアリアさんは私と一緒の部屋ねー」「なっ、そ、それは……!」(今は従ってください。考えが有りますから) 異を唱えようとしたセイバーの肩を掴んで止めたのはアリアだ。 軽くかぶりを振り小声で彼女を説得する。 耳が良い俺には微かに聞き取れたけどちょっと離れてる藤ねえには殆ど聞こえなかったろう。「うん? 何か都合悪かった? セイバーちゃん」「い、いえ。何でもありません」「そっか。じゃあ士郎ー、奥の和室借りるね。浴衣とか押入れにまだ在ったでしょ?」「おう。あんまりセイバー達を困らせるなよ、藤ねえ?」 失礼な! と口では怒るも、さして気にもせず、意気揚々と和室をセットしに向かう藤ねえ。 廊下からも藤ねえの気配が消えてから、徐に息を吐く。やっと緊張の糸が切れた。「……っはあ。なんだかドッと疲れたよ」「あはは……、済みません色々とご迷惑を掛けて」 アリアが申し訳無さそうに苦笑する。 確かに原因ではあるけれど、それは彼女のせいとばかりは言えないと思うんだが。「まるで台風のような人ですね彼女は。それはそうとアリア、先ほどの考えとは?」「それはですね、凛?」「解ってるわよ。藤村先生を魔術で眠らせろって言うんでしょ」「ええ。先にぐっすり眠ってもらえば後は自由に活動出来るでしょう?」 おいおい、あんまり物騒な手は使わないでくれよ? まあ遠坂の魔術の腕は折紙付きだから上手くやってくれるとは思うけど、何か不安だ。「それより、そろそろ夕飯の支度始めないか。もう七時半回ってるし」「いっけない、すぐ準備するわ。悪いけど手伝ってアリア!」「了解しました凛」 二人とも何かを思い出したか、突然に目の色を変えて台所に飛び込んでいった。「? 二人は何を慌てて行ったのでしょうか。慌てて怪我でもしなければ良いのですが」 ああ、ははは……きっと理由は君だよセイバー。昨日のアレはやっぱり二人とも相当堪えてたんだなあ。 セイバーは原因が自分とは判っていない。いや、知ったら知ったでどんな事になるか想像したくない。 知らぬが仏とは決して本人にとってだけではないんだな。 台所から慌しく包丁の音や中華鍋を振る音が聞こえてくる中、セイバーはいまださっぱり解らないといった様子できょとんと台所を見つめていた。