商店街の雑踏を背に、冬の精のような少女が佇んでいる。「あらあら、随分と余裕なのね貴女達」 それは鉛色の暴風の化身、バーサーカーたるヘラクレスのマスターであるイリヤスフィール・フォン・アインツベルンだった。「なっまさか、バーサーカーが居れば貴女達が気付く筈でしょう、ソルジャー、セイバー!?」「凛、私の魔力検知はそれほど広範囲には及びません。それに今、彼女の周囲にバーサーカーの気配は無い。どういう心算かは知らないが、連れては居ないようです」 私の言葉に、セイバーも続く。「私も、バーサーカーの気配は感じ取れません。私は魔術師ではないので近場で魔術を行使されない限り魔術師を知覚する事は出来ません」 凛の言葉に答えを返すその間も、私は今この場に彼女が何の心算で現われたのか、その真意を探り続ける。だが、皮肉にもその答えは出ない。たった一つだけ、嫌な予感を残して。「バーサーカーを連れていないとは、随分と舐められたものですね、アインツベルンのマスターよ。貴殿一人でサーヴァント二人とマスター二人を相手に出来るとでも?」 横合いからセイバーがその手に不可視の剣を携え、私の横手に歩を進め陣取る。己が主、衛宮士郎を護る立ち位置へと。「あら、今はまだ人の目も多い黄昏時よ? 今此処で殺り合うのは愚策ではなくて?」 ゆっくりと公園の中に足を進めながら語り掛けてくる銀髪の少女。その声色は外見の年齢と不釣合いなまでに艶めいて、冬の冷たい空気の中を滑るように響いてくる。 その言葉にセイバーと凛が固唾を呑む。今此処で戦う気は無い、そう宣言して来たのだ。仕掛けてくる気が無いのなら、敵は何故今この場に姿を現したというのか。その疑問が私達の頭上にずしりと圧し掛かる。「確かに、こんなに目立つ場所で魔術の応酬なんて拙いなんてモンじゃないわ。目的は何よ、貴女。サーヴァントも連れず、こんな所を呑気にふらつけるなんて大した自信じゃない」 凛の言葉に意も介さず、銀糸の妖精はその相貌に浮かべた微笑を崩しもせず不敵な光をその赤い瞳に宿している。「全くですね。私には目立たぬ方法で貴女を殺せるだけの能力があるというのに」 言葉と共に小さなスローイングナイフを袖口から掌の上に滑らせ、掌を傾けチラリと銀に輝く刀身を見せながら牽制する。「ご心配なく、ガードは十分備えてあるから。セラ、リズ!」 その刃の反射が眩しかったか、僅かに目を細めながらイリヤスフィールが従者を呼んだ。イリヤスフィールの声に従い、背後から人並み外れた速度で二人のメイドが現われる。「はい、お嬢様」「イリヤに手を出すヤツ、ユルさない」 イリヤスフィールに呼ばれ現われた二人のメイド。そう、深山の商店街には不釣合いすぎるほど際立ったメイド服を着た二人の召使いだ。その一人は手に、白い布地でぐるぐる巻きにして中身を隠してはいるが、人が扱うには巨大すぎる長物を携えている。 あれは、そう、槍というより斧だ。ハルバード。その長大な布巻きのシルエットは槍と斧の合いの子といった感の強いハルバードそのものだった。 公園の中に人気は少ないが、子連れの親やジョギング中らしきジャージ姿のご近所のおばさん達が突如現われた場違いなメイド姿にひそひそと話ながら怪訝な目を向けている。“特異”な格好をした従者二人が目立つ事といったら無い。その上そんな怪しい物を此処まで今と同じように担いできたのか? 随分と豪胆な事をする……。「この子たちは私の世話係のホムンクルスよ。出来の悪い他所のホムンクルスじゃない、アインツベルン製のね。特にハルバードをもったリズは並のホムンクルスと思ったら大怪我するわよ。それに、バーサーカーなら何時でも呼び出せるんだから。迂闊に手出しはしない方が懸命ね」 確かに、今此処であんな目立つモノを振り回されたら人目に付いて騒ぎになる。私一人ならイリヤスフィールを排除し目の前のホムンクルス二人を相手にする事も可能だが、騒ぎにならない自信は無い。それに令呪を使えば一瞬で此処にバーサーカーを呼ぶ事も可能だろう。バーサーカーという札まで持ち出されては、今は士郎と凛という護衛対象が存在する以上、此方も慎重にならざるを得ない。「それで、用件は何です。イリヤスフィール・フォン・アインツベルン?」 声色に然したる抑揚も出さず、問う。バーサーカーという最強のカードを切らずに目の前にやって来たのだから、何がしか目的ないし意図がある筈だろう。「ん~? 私は特に用事なんてないけど? ただ街までお出掛けしたかっただけだから。セラとリズにばれて付いて来られちゃったけど、本当は一人で散歩したかったんだけどね」「イリヤスフィール様! 今は聖杯戦争中ですよ、一人でサーヴァントも連れずにお一人で出歩かれては危険すぎます!! せめて、私達を同行させて下さいませ」「イリヤ、セラ困ってる。あまり一人で行かない、オネガイ」 イリヤスフィールのマスターとしては常識外れの言動に心底困ったように窘めるメイドの二人。「もう、わかったわよ。この話はおしまい。話を戻すけど、そうねえ……用事があると言えばそうね、貴女かな? リンのサーヴァントさん?」 その言葉に、嫌な予感が現実になってしまった事を悔やむ。やっぱり私が目的か……。「貴女に興味が沸いたのよ。敵とかって言う前に純粋にサーヴァントとしてね。貴女の存在って、余りに不可思議すぎるんですもの。だから知りたくなったの。ねえ、ちょっとお散歩がてら、お話しない?」 それは紛れも無く、敵である相手からの誘い。普通ならこんな申し出に乗る馬鹿などまず居ない。 だが、この時私は黙って了解した。「ちょ、ちょっとソルジャー! 何の心算よ、敵の罠かもしれないのよ!?」「大丈夫です、凛。確かに今彼女はバーサーカーを連れてはいない。騙し討ちにするとしても、あの二人ぐらいなら私が引けを取ることはありませんし、もしバーサーカーを呼ばれたら即座に引きます。それに、今は大人しくしていますが、この場から連中が大人しく私達全員を無事に帰してくれる保証もない。あの程度のホムンクルスなら凛や士郎君に危害を及ぼさせる前に排除出来ますが、バーサーカーを呼び出されても拙い。わざわざ危険性を高める必要も無いでしょう。私が応じれば良いだけです」「それはそうだけど、貴女は良いのそれで?」 凛は私の身を案じている。マスターの目の届かぬ所で凶行に走られれば対処に遅れる。自分の失態で私を失いたくは無いと暗に語っているのだ。「大丈夫です。凛、これでも私は戦闘のプロ。対人、対集団戦の専門家ですよ? 私を信じてください。私は必ず戻ります、凛」「……判ったわ。用心して。必ず戻ってこなきゃ承知しないからね!」「ふふっ了解。セイバー、すみませんが荷物をお願いします。直ぐに済むでしょうから、皆さんは先に戻って下さい」 そう伝えて私は彼らと別れ、イリヤスフィールの方へ歩きだす。凛達は速やかに公園を後にして帰路についている。凛の心配そうな視線が背中に刺さるのを感じながら。「いいのかしら? 仲間を帰しちゃって」「目的は私だけなのでしょう? なら彼女達に手出しは無用です。話を聞きましょう」「ま、いいわ。今日は戦いに来たんじゃないから。じゃあ、座らない?」そういって彼女は公園のベンチを指差した。第十一話「兵士は雪の少女と相対する」 そろそろ時計の短針は7を指し示す頃合い。凛や士郎達はもう商店街を抜けただろうか。 私はバーサーカーを連れぬイリヤスフィールとその従者に付いて、公園のベンチに腰掛けて聞く。「それで、私に何の御用でしょう。イリヤスフィール?」「そうね。単刀直入に聞くわ。貴女、何者?」 その余りに真正面から直球過ぎる問いに思わず苦笑する。もう少し探ってくるかと思ったのに。「ははは……また随分といきなりですね。ですが普通、サーヴァントがおいそれと自らの正体を明かすと思いますか?」「いいえ、全く。でも聞くのは構わないでしょ。答えろ、とは言って無いもの」 ああ言えばこう言う。そんな所も昔のままか。いや、あの子と同じというべきか。「貴女、バーサーカーが何者か最初から知ってたでしょ?」「何故そう思うのです?」「甘く見ないで。貴女、私が彼の真名を明かした時に少しも驚いてなかったもの……たった一人だけね」 ほう、あの僅かな間も此方の機微を見逃してはいませんでしたか。大した洞察力だ。「それだけですか?」「それだけよ。でも直感が告げてる。貴女はヘラクレスを知ってた。あの時、自分の武器は効かないって凛に叫んでたじゃない。バーサーカーの宝具の事まで知ってるんでしょ」 さて、如何したものでしょうか。「ふむ、カマ掛けとしては六十点といった所ですね。ですがまあ、良いでしょう。その大胆不敵な行動を称えて特別に答えましょう。――確かに、知っていましたよ。ヘラクレスの事は」「何故? 見たところ貴女は古の英霊じゃないわ。彼と同じ古代ギリシャの英霊だったなら知られててもおかしな話じゃない。でも貴女みたいに近代の英霊……おそらくは、だけど。そんな貴女が彼を知ってるなんてどう考えても不自然じゃない!」 最後には感情昂ぶるあまり怒鳴り声に近い剣幕で捲し立てるイリヤスフィール。きっと判らない事があるのが胸をムカつかせているのだろう。「さて、普通はそうでしょうね。ですが、私がその“普通”の範疇に無ければどうです?」「普通の範疇に無いって、どういうことよ?」 私の言葉にムッとして、頬を膨らませて怒った表情を作る少女。「これは例えばの話ですが。英霊というのは何処かの世界で、世界と契約を交わし奇跡を授かり、代償として死後を明け渡した者。その死後とは世界の輪廻から乖離され、時間も空間も、一切の繋がりを持たず、ただ“座”から呼び出され、その者が存在した時間、空間に関係なくありとあらゆる可能性の先へ送り込まれる……」「? それは例えでもなんでもなく英霊の仕組みでしょ……何が言いたいのよ?」「話はまだ終わっていません。つまり英霊は何時、如何なる場所にでも必要とあらば召喚される。それが自分が存在した過去や、もしくは同じ時代の別の可能性、所謂(いわゆる)“平行世界”であっても――」 その言葉に、今度は何か気付くものがあったか、銀の少女の紅い双眸が一際(ひときわ)街灯の光を受けて光る。「――――――――――っ」目を見開いてハッと息を呑む彼女は、そのまま目で訴えるように無言で見つめてくる。その続きを話せと。 私はベンチの後ろの植栽から適当な枯れ枝を拾って、砂地の地面をカリカリと引っ掻き図式を描く。「そして、ここからが例えばの話です。此処に、仮に英霊Aがいるとして、英霊Aが平行世界α(アルファ)で聖杯戦争を経験した人間Aだとしましょう。その人間Aがその後英霊Aとなり、平行世界β(ベータ)で起きる聖杯戦争にサーヴァントとして召喚される。そんな事も可能性としてはありえる訳です」 コツコツと枝の先で矢印を引っ張った先の平行世界β(ベータ)を突付きながら説明を終える。「じゃあ、貴女…………」 イリヤスフィールが掠れるように言葉を紡ぎ出そうとする。全てを口にする前に私はベンチを離れ――「だからあくまで“例えば”の話ですよ。そんな存在があってもおかしくは無いという。平行世界で限りなく近いものを経験していた存在なら、此度の聖杯戦争の事を知っていてもおかしくは無い」 ――大きく伸びをしながら、無意味な事だとは知りつつも、例えばの話だと言葉軽く答えた。「……それに、私の場合はもう少々、事情が複雑でしてね。残念ながら説明は此処までです」「貴女、まさか……いえ、そんな筈は。英霊はもう時の進まない存在で……ああもうっなんだか余計訳判らなくなっちゃったじゃない!!」 なにやらぶつぶつと考え込みながら、考えに埒が明かなくなってムシャクシャしたか、くわーっと両手を振り上げて、綺麗な銀糸の髪を振り乱しながら怒り出す少女。「なによ、一人だけ訳知り顔で澄ましてくれちゃって。感じ悪~い」 子供っぽく口を尖らせ、拗ねるように不満を口にする彼女は何処か愛らしい。そういえばあの頃は、最初はシロウを危険に晒した敵として相容れないと思っていたのに、彼女に勝ち、彼が彼女を引取り匿うと言い出した時は本気で何を考えているのかとまで思ったのに。(あいつに邪気はなかった。ちゃんと言いつけてやるヤツがいれば、イリヤはもうあんな事はしない) 確か、貴方はそう言いましたねシロウ。確かに、今なら何故貴方がそう言ったか理解できる。 彼女には邪気が無いが、あの恐るべき所業は邪気なく純粋が故、分別が無かったが為だった。その事は匿った彼女を見ていて直ぐに気が付いた。気が付けばいつの間にか、私は彼女をまるで妹のように気に掛けていた。放っておけないと感じていた。 確かに、この子はただ、純粋なだけだ。ただ、純粋過ぎるだけなのだ。はは、私も貴方の事は言えないか、私も甘いですね。 ……サー・ケイやケイン兄さんも私に対して、同じような感情を持っていたんだろうか。ふと、そんな事が頭をよぎった。 ―――きっと、同じように暖かく見守っていただろうさ。アルトリア――― 両方とも口煩い兄でしたが、心配してくれていたのでしょうね。「大体……だからって…………私は……じゃないし……」「イリヤスフィール様、所詮敵サーヴァントの言う事です。真正直に受け取る必要は在りません」「イリヤ、少し落ち着く。ハイ、これ紅茶」 まだぶつぶつと一人で愚痴り続けているらしい。二人の従者が諌めようと声を掛けているが聞こえていないようだ。仕方無いな、一つ忠告だけ残して去ろう。「イリヤスフィール!」「それにしたって……えっな、何!? ……何よソルジャー、そんな真剣な顔して。何か言いたいことでも?」 自分の世界に飛んでしまっていた少女が此方側に戻って驚いた顔を見せる。「イリヤスフィール、一つだけ忠告しておきます。“影”にだけは気を付けなさい。アレは在ってはならないモノだ」「!!」 影という単語に息を呑み、表情を硬化させる少女。「貴女のバーサーカーはまずアレには勝てない。出会ったら即座に引く事です」「なっ!?」 その言葉にムッと反応し非難の声を上げてくる。それでも構わず、私は後を続ける。「アレは純粋な英霊とは対極なるモノ……まして堂々たる正英霊であるヘラクレスだ。その魂が持つ純粋な神秘の高さと強大さは、アレにとって最高の餌です。あの“泥”に取り付かれればバーサーカーに逃れる術は無い。彼が吸収されればヤツに力を付けさせる事になる。それだけは非常に拙いのです!」「………………」 私の言葉の剣幕に圧されたのか、イリヤスフィールは押し黙って答えない。「もしバーサーカーが泥に飲まれそうになったら、迷わず令呪で自決させなさい。そうすれば彼の魂は聖杯である貴女に取り込まれる。辛い選択でしょうがそうする以外、ヘラクレスがヤツの餌になるのを防ぐ方法は無い」「なっ……そっそんなことになったりしないわ!! そんな真似、出来るわけ無いじゃない!! 私のバーサーカーはっ……最強なんだからっ!!!」 その言葉に、目に見えて怒りを顕わにする。「なら、取り込まれそうになったら先に私達が引導を渡してあげます。私一人では無理でも、セイバーと協力してなら例えヘラクレスであろうが、今度はしっかり殺しきって見せましょう」「言ったわねソルジャー。遣ってみなさいよ? その言葉、絶対に後悔させてやるんだから!!」「ええ、楽しみにしていて下さい」 その啖呵を背に浴びながら、私は去り際にそう不敵な一言を残して公園を後にした。************************************************************** ふう、淹れたての紅茶を口にしてみても何故か妙に味気無い。別に葉が悪いわけでも淹れ方が拙かった訳でもない。理由は判ってる。まだ帰ってこない彼女の事が気にかかって折角の紅茶の味も楽しめないでいるだけ。 既に家に着いてから三十分が経つ。アリアったら本当に大丈夫かしら。……いや、ええい何を不安になっているのよ遠坂凛! 彼女を信じるって約束したのは誰よ、自分でしょ!?「アリア、遅いな。何か連絡は無いのか遠坂?」「ええ。まだ無いわ……彼女の事だから大丈夫だとは思うけど」 士郎も心配してくれているらしい。まあ人の良さは彼の一番の取り得だから、彼にとっては当然の事なのかもしれないけれど。 それにしても、心配するなって言われても心配しちゃうわよ……だってあのバーサーカーのマスターなのよ!? 幾らあの場には連れて来ていなかったといっても、マスターとしての能力は桁違いに高い相手なんだから、気を緩めてかかれる相手じゃないんだから!「凛、少し落ち着いて。アリアとて何の目論見も無しに誘いに応じたのではない筈です」「セイバー……」 縁側で夜風に当たりながら正座して瞑想していたセイバーが居間に戻ってきて、座敷机の私の対面に腰を下ろしながら声を掛けてくれる。どうも気付かないうちに随分そわそわとしてしまっていたらしい。「私も彼女との付き合いは僅かですが、彼女が不用意に動くような浅慮な人物では無い事ぐらいは判ります。何か考えあっての事なのでしょう」「そうそう。そんなに簡単にやられるような彼女じゃないって遠坂……ちょっと無茶する所は在るけど」 セイバーの言に相槌を打つ士郎。後半少し言葉を詰まらせたのは、まあ多分、私と同じことを考えたんだろうな。彼女は時々、自分の身を省みないで動く事がある。私やセイバー、士郎に危険が迫ったら己の事なんか微塵も顧みずに身を挺して護ろうとする。それは昨日のバーサーカーとの戦いからも明らかだった。 セイバーに振り下ろされんとしていた斧剣の前に、自分が巻き添えを食らうかも知れないというのに己の危険も厭わず彼女を庇ったアリア。結果は全員が助かっているのだから成功と言えなくも無いけれど、あの時彼女は庇った代わりに自分が傷を負った。 そうよ、下手をすれば彼女が死んでいた。いや、彼女がサーヴァントだったから死なずに済んだだけ。あの傷は人間ならまず助かりっこない程の重傷だった。それでも自分の身体も省みず反撃に出て、そして吹き飛ばされた。幾ら具現化の核たる頭と心臓以外は致命傷にならない頑丈なサーヴァントだって言ったって、あの直撃を受けて無事な筈は無かった。 あの時、私は彼女から初めて大量に魔力を吸い出された。あの時の吸い出され方は半端じゃなかった。それまでの彼女は殆ど現界に必要な程度しか供給を求めてこなかったし、彼女の武器はあまり魔力を食わないほうだから、普段吸い出される量から考えればあの時は10倍近い量だったんじゃないだろうか。流石に何度もあんな吸われ方をされたらこっちの魔力もあっという間に底を尽く。だけどあの後彼女は瀕死のダメージを一瞬で回復させていた。あんな治癒魔術なんて聞いた事無い。あれはもはや“治癒”というより“復元”に近い。その直後にまた、彼女は再び自分の身を無視した行動を取る。バーサーカーと一緒に自爆――した訳じゃないけれど、自分の身を庇いもせず爆炎に巻き込まれた。 あんな行動をなんの躊躇いも無く実行できるなんて、頭のネジが二、三本ぶっ飛んでいるか、よほどの覚悟が無ければそう出来る事じゃない。例え、己の肉体が修復されると判っていたとしてもだ。「ええ、アリアってば意外にタフだから、たまにとんでもない行動に出たりするのよね……。だから心配なんだけど」「……ははは。まあ、な」 居間に三人揃いも揃って、溜息をつく。あ、セイバーまで溜息。アリアの信じ難い行動についてはセイバーも思うところがあったらしい。そりゃ、まあ……まさかセイバーもあの時彼女に助けられるとは思っても居なかっただろうし。 そこまで思って、ふっと気になった事を思い出したので何気無しに聞いてみる。「そういえばセイバー、教会で私達が出てくるまでの間、アリアと話していたのよね? 一体何を話していたの?」「はい? 何をと聞かれても……ただ同盟を組まないかという話でしたが」「そう、それだけ? 同盟しないかっていうそれだけだったの? そうは思えないんだけどなあ……だって貴女に突然そんな話を持ち掛けたって、貴女がハイって承諾するとは思えないもの。でも実際は士郎の決定にまったく異議は無さそうだったし」 私の言葉に少しウッと息を詰まらせるセイバー。だが直ぐに気を取り直して弁明してくる。「それは、客観的に見れば戦力が増えるのは望ましい事ですし……」「でも、少しぐらいは自分とか、貴女に対してどう思うとか。話を円滑に進めるように軽く他愛も無い事とかも話したりしたんじゃない?」「……まあ、軽くは。でも自分の事と言ってもサーヴァントとして正体を晒すような話はしないでしょう。……と言いますか、凛。ひょっとして、まさかとは思いますが貴女はアリアの真名、正体を知らないのですか?」「!! 流石はセイバーね。察しが良いわ。そうよ、私は彼女の真名は知らない。彼女に伏せさせてくれって懇願されたのよ。私も彼女の外見や能力、僅かに聞いた彼女自身の事なんかから正体を推測してみようとしたけれど、ダメね。古今東西、ありとあらゆる伝説、伝承を調べたところで、現代兵器を扱いこなすような英雄なんて聞いた事もないわ」 その言葉にセイバーが僅かに「むう」と唸る。「確かにな。俺も多少は伝説に登場する英雄は知ってるけど、そういうのって大体が中世から古代だろ? でも彼女はどう見ても現代人だ。サーヴァントは召喚された時代に適応するって聞いたけど、彼女の適応性は後付けの知識とかじゃないと思う。多分、生前からよく知っていたんだ。現代を」「つまり、アリアは現代の人間だったと。私もね、そうとしか思えないのよね――」 どう考えても、そう。アリアが中世以前、いや、それ所か僅か三十年前より過去の人間だったとは到底思えないのだ。だって、過去の英霊であるなら、どうして現代に出来上がってまだ間もない“いんたぁねっと”なんて私でも良く判んない物まで扱えるっていうのよ。「そういえば彼女も言っていましたね。私はしがない軍人として生きた只の兵士で、自分の武器は生前に使っていたモノだと。詳しくは知りませんが、彼女が持つ武器はこの時代の物だ。間違っても彼女が何百年も昔の英雄だとは考えられません」「アリアったら、そこまで喋ってたか。帰ってきたらちょっと怒ってやるんだから」 まったく、私に明かしてくれた事殆ど喋ってるじゃないの!! ええい、こうなったら帰ってきたらとことんまで問い詰めてやる。アンタ何者よぉってね!!「ですが、本当に何者なのでしょう……。何故か、私は彼女が無縁の他人だと思えない」「そうね、アリアはセイバーに何故か親身だし。あまりにも良く似すぎているし……何かあるのかしらね」 セイバーの呟きに頷き、その顔を覗き込む。彼女は口元に軽く握った手を当てながら視線を宙に漂わせている。その考え込むような仕草もアリアと瓜二つ、まるで姉妹どころか双子ではなかろうかと思うほど。「それにしても、コレ一体、何に使う心算なんだろうな」 そろそろ帰って来てから一時間が経つ。話題も尽きて、居間に静寂が訪れようとしていた時に、不意に士郎がぽつりと漏らした一言。そう、ついさっきまで人がひいこらと持って帰ってきた大量の部品を眺めながら士郎が思ったことを口にしたのだ。その感想は恐らくこの場にいる全員が同じ。「さあねえ? 私にはさっぱり判らないわ。こういうのは私より士郎のほうが詳しいでしょ?」「俺にも良くは判らないよ。多少何を買ったのかぐらいは判るけど。アレをどうして何を作りたいのかまでは流石に……」「シロウにも判らないのですか」 セイバーの問いにああ、と答える士郎。まあ確かに学校の備品とかのレベルではない事だけは確かだ。「ほんと、な~に考えてるんだか私にも判らないわ」 なんて投げやりにダラダラと中身の無いおしゃべりを続けていると噂をすれば影、ご当人がようやく帰ってきた。「只今戻りましたー」 良く通る澄んだ声が玄関から耳に届く。やれやれ、やっと帰ってきたか。とりあえず無事ね、良かった。「お、帰ってきたみたいだな」 玄関からの声に士郎が気付き、迎えに行こうとするが足音はもう廊下を歩いている事を伝えてきている。士郎が襖を開けるともう目前に彼女は居た。「遅くなって申し訳ありません皆さん」「お帰り、アリア。遠坂が心配してたぞ」「ちょっ、士郎!! もう、余計な事言わなくていいのよ!」 まったく、そんな事今言わなくったって良いじゃないのバカ士郎!!「すみません凛。ですがご心配なく、この通り、無事に戻ったでしょう?」「ええ、むしろ無事で戻らなかったらタダじゃ済まさない所よ。まったく、あんまり心配させるんじゃないわよ……おかえり、アリア」 あはは、と困ったように笑いながら、無事だったでしょうと答えてくるものだから少しキツめに言い返す。アリアの横で士郎がオロオロしだしたり、私の後ろに位置するセイバーもちょっと慌てたような気配を見せるが、私が言い終わる前にはホッとしたような表情をしていた。何よ、私だって別に揉めたい訳じゃないわよ。でも言いたいことは言わせて貰わなきゃね。「はい。ただいま、凛」 そう言ってとても穏やかな微笑みを返してくるアリア。こういう辺り、アリアは慣れたもんで、私の性格を理解しているようで少しも動じない。……もうっ、そんな顔されたら誰だってそれ以上言及できやしないわよ。「それで、話はなんだったの?」「簡単に言えば、私は何者だ? っていう質問でした。それ以外は何も」 さらっと言ってくるが、それはつい今しがたまで私達の間で交わしていた疑問だ。思わずドキッとする。どうも士郎も同じようで、少し目が泳いでいる。「なるほど、奴さん貴女に興味があるって言ってたけど、本気(マジ)だったんだ」「ええ、そのようですね」「それで、なんて答えたの?」 その答えに少しだけ期待と不安を込めて聞いてみる。アリアは少し困ったように眉を顰めて「サーヴァントが敵に正体を晒す訳が無いでしょう」なんてあっさりと無難な答えを返されてしまった。「そうね、まあそれだけならその話は良いわ。イリヤスフィールについて何か判った事とかは?」「そうですね。あの子は、言うなれば善悪の判断基準が無いだけの“子供”です」 その言葉に全員が頭にハテナマークを浮かべる。いや、一人だけ、士郎だけは何か頷いているが。「彼女自身は非常に純粋です。ただ善悪の基準が多少欠落している為に、時に恐ろしく残酷になれる。ほら、子供って無邪気に楽しそうに虫をバラバラにしてしまったりするでしょう? あれと同じです。あの子にとって、この戦争での敵は全て虫と同じ。だから何処までも残酷になれる。純粋な子供ほど残酷になれるものは無い」 敵対すると厄介な相手なのは変わらないわね。躊躇や容赦は無い相手だからどうにかしてバーサーカーを何とかする方法を見つけないといけない。「そう。アイツが何処に潜伏してるかとかは?」「聞く事はしませんでしたが、大方の検討は出来ますよ。凛の監視網に引っ掛かっていない深山町、新都は除外。そうすると冬木市郊外の森、あの辺りなら人の眼も気にならないでしょうし、衛星写真のそこに城らしき施設の影が写っていましたから、隠れ家としては有力です……といっても、あくまで予想ですけど。判った事はそのくらいですね」 そうか、確かにあの辺りまで離れれば冬木の監視の眼からも逃れやすい。私がイリヤスフィールが冬木市に入り込んでいることを察知出来なかったのはその為か。「判ったわ。それじゃあ一先ず、この大荷物を如何にかしてくれないかしら、アリア。晩御飯はそれからよ」 私は居間の一角を占拠している大荷物の山をくいっと親指で指して命じる。いい加減そこからどかさないと手狭なのだ。「凛、先に片付けですか? アリアも帰ったばかりですし、先に夕餉にして一息ついてからでも宜しいのでは……?」「あら、セイバー。片付けもせずに御飯なんてちょっとお行儀が悪いわよ。あ、それとももうお腹減っちゃった? ドラ焼きまで食べたのに」「うっ、それは……」 ちょっと意地悪く冷やかし気味に言うと突然セイバーは顔を真っ赤にして俯いてしまう。セイバー敢え無く撃沈。フフフ、甘いわよセイバー。今この場で主導権を握っているのは私なんだからね。この場合決定権は家主である士郎なのでは? という懸念は捨て置く。「了解しました。とりあえず隣の座敷に移して宜しいでしょうか、士郎君?」「ああ、いいよ。ところでソレ、どうする心算なんだ? 組み立てるんだろう?」「ええ、そうですね。パソコン関係は出来れば皆が集まりやすい居間が良いかと思ったんですが、隣の座敷の方がよいかもしれませんね。すみませんが設置させてもらって構いませんか?」「ああ、勿論。ちょっと身内のせいで散らかってるけど片付ければすぐ使えるよ」 アリアの要望に嫌な顔一つせず二つ返事で快諾してくれる士郎。こういうところは本当に助かる。「後、差し出がましいお願いで申し訳ないのですが、工具や工作機械があれば少々貸して頂けませんか? 音も結構出ますから出来れば迷惑にならない場所も。例えば土蔵とか」「えっ土蔵? いや、えっと……うーん。まあ、良い……けど。でも普段俺が魔術の訓練に使っていたりガラクタの修理に使ってるから結構散らかってるけど、それでもいいなら」「え、それって士郎、貴方にとって工房って事でしょ? いいの、そんなにあっさり使わせちゃって?」 士郎のあっさりした答えについ魔術師としての遠坂凛が反応した。だって普通、魔術師にとって工房は自身の研究に欠かせない重要な要素だもの。おいそれと容易く他人に明け渡したり使わせたりするなんてもってのほかなんだから!「え? いや、まあ……。別に隠すほど大層なモノが在るわけじゃないし。気に掛かる事は爺さんの遺品とか俺が修理してる機械物とか、後はまあ藤ねえが……いや、身内がどっからかウチに持ち込んでくる訳の判らないガラクタの山とかでゴチャゴチャしてて、手狭なんでちょっと危ないぞってぐらいで」「あ、そう。……まあ、貴方が良いって言うんならそれで構わないけど」「ありがとうございます! お礼といってはなんですが、中の整理ぐらいはお任せください」 朗らかな笑みを湛えてアリアが元気に礼を言う。土蔵を使わせてもらえたのがそんなに嬉しかったのだろうか? ヘンな子ねえ?「それでは私は荷物を整理して来ますから、凛は夕飯の用意をお願いします。確か当番は凛でしたよね?」「あー、そうだったわね。ハイハイ。任せておきなさい、吃驚するぐらい美味しい中華を堪能させてあげるから!」 昼間はアリアに吃驚させられたけど、今度はこっちの番なんだから……見てなさいよアリア!! そう内心で意気込む私の横から士郎が口を挟む。「そういえばさ、二人とも中華の材料なんて買ってきてたか?」『あ゛……』 二人して同時に醜い濁声を発して固まる。士郎の発した石化の呪文に一瞬、ピシッと空間に亀裂が走ったような錯覚を受けた。背筋が何か嫌なモノが流れ伝う感覚と共に段々と冷たくなってゆく。目の前ではアリアも少し頬を引き攣らせて真っ白に固まっている。「わ……忘れて、居ました、ね。すっかり」「確かに……そ、そういえば……実験器具も買ってなかったわよね?」 どうしましょうかとアリアが目で問いかけてくる。理由は明らかだ。つい先ほどから座敷机越しに物凄くジリジリと痛い殺気にも似た視線が突き刺さってくるからだ。 まるでどろどろとしたオーラのような気配をびしびしと肌に感じる。発生源は間違いなくセイバーその人。締まったァ……朝から何か現代の食に目覚めてしまったのか、セイバーが食に煩そうなのはなんとなく気付いていたのに。それにとっても健啖家だという事も朝の時点で判っていたっていうのに……なんでもっと早く気付かなかったんだろう!!「凛、アリア……今晩は食事は無いのですか?」「え、いや……その、ちょ、ちょっと待ってね?」「あるのですか、無いのですか? はっきりして頂きたい」 表情の消えた能面のような真顔でぼそりと口を開くセイバーさん。その口調は今までに聞いた中で一番硬い。全然感情を含まない無機質とさえ感じられるソレからは返って例えようのない怒気がにじみ出ている。気のせいだと思いたいけど、小さな肩の後ろから何か黒い執念のようなものが立ち上っているような幻視を覚えてゾッとした。 いや、まって、ね? お願いだから早まらないで、ね? ゴメン、もうからかったりしないからその殺気を鎮めてぇっ!! 横に目を向ければ何故かアリアは恥ずかしそうに顔を赤らめながらも困ったように顔を引き攣らせている。でもあまり脅えては、いないわね。でも凄く赤面して、あ、俯いた。その表情は何故か凄く情け無さそうで、まるで自分の欠点を公に暴かれて羞恥に苛まれているかのようだけど……貴女、なんでよ? 士郎はといえば床にへたり込んで、ああ、完全に狼狽えているわねえ。「セ、セイバー。在り合わせで良ければ俺が作れるから、さ」「! 本当ですか!?」 狼狽えながらも懸命に宥める士郎。ううっ、こんな所でこんな情けない借りなんて作りたくない!!「ッアリア!!」「はっハイッ!? な、なんでしょうか凛」 羞恥に苛まれてぼうっとしかけていたアリアがビクッとして正気を取り戻す。「今すぐ中華用の具材を買って来て、大至急!!」「ええっ!? 今すぐですか? ……でももう八時過ぎてますよ? まだ開いている店となるとコンビニエンスストアぐらいでは……」 こめかみ辺りに冷や汗を流しながらも努めて冷静に対処しようとするアリア。だけどやっぱり多少落ち着きを取り戻せていないのは表情を見れば一目瞭然だったり。私だって伊達に四六時中一緒に居るわけじゃないからね。貴女の性格も多少は判って来たわよ。「何処のスーパーでも構わないわよ、探せばまだ開いてるトコだって在るでしょ!?」「それなら、二丁目の角のトコが在る。つい最近出来たばっかりのスーパーで、確か夜九時まで開いてるはずだ!」 私の無茶な注文に士郎が助け舟を出してくれた。へえ、あの辺ってあまり出向かないからそんなスーパーが出来たなんて知らなかった。って、そんな事はいいから急いで!!「急いで! 貴女の足ならすぐでしょう!? ほら財布!!」「っとと、判りましたっ! 今すぐ行って来ます!!」 私が放った財布を慌てて受け取るなり、脚力を強化して全力で任務(ミッション)を開始するアリア。その俊足で居間の中に突風が吹く。 早く戻ってよ? まだ聖杯戦争も始まったばかりだって言うのに、セイバーに空腹で暴れ出されて敢え無くデッドエンドなんてまっぴら御免ですからね!!「俺、先に適当に何か作るよ」「ゴメン、お願い。私も道具用意するわ。セイバー、悪いけど、もうチョットだけ我慢してね?」「はい、承知しました」 その言葉に内心ホッと安堵の溜息を吐く。良かった、声の調子も何とかいつものセイバーに戻ってくれたみたい。どうやら、彼女はお腹が空くと機嫌が悪くなるらしい。 全く、あの小さな体で大判焼きにドラ焼きまで食べているのに、もうお腹が空いてるなんて、ちょっと燃費悪くありませんかセイバーさん? 中華鍋を取り出し、台所の用意を整えながらそんな事を考えていると突然、居間から声を掛けられる。「凛?」「はっはい!? 何でしょう?」「中華というのはその大きな鍋で調理するのですか?」 あ、あー……吃驚した。一瞬心の呟きを読まれたかと思ったわ。全く心臓に悪いじゃないのよぉ。 私が用意した中華鍋を見て気になったらしい。「ええ、そうね。大体コレ一つで何でも造れるわね」「ほう、たった一つの器具で出来る調理法なのですね。興味深い」 何か思うものがあったのだろうか、いたく感心するセイバー。まあ、それで時間が稼げるなら安いもんだ。だからお願い、早く帰って来てアリア!! そう懇願しながら十分ぐらい過ぎただろうか、待望の声が玄関から響く。「只今戻りましたーっ!!」 アリアが精一杯張り上げた声が耳に届く。やった、やっと材料が届いた!!アリアが玄関から大急ぎで廊下を駆け、襖を開けて入ってくる。「凛! はい、これで何とか……」「オッケー! よくやったわアリア、あとは任せて!!」 そこからはもう、ただひたすら遮二無二に調理し続けて、何とか最短で料理を完成させる事しか頭に無かったんで、その後の事は実は良く覚えていない。 何故か命の危機を感じたからか、十何年も生きてきた中で最短で四品もの中華料理を作り上げたのは自己最多、最短記録じゃないかと思う。 気になったのは一にも二にも、セイバーの機嫌が直ったか否か。セイバーの機嫌が良くなるには相応のレベルの料理を用意しなければならない。麻婆豆腐に青椒牛肉(チンジャオロース)、酢豚に回鍋肉(ホイコーロー)とそれはもう熱い台所のコンロの前で延々中華鍋を振り回し続けること延べ一時間。思わずここって地獄の一丁目かしら、なんて思ってしまった。 勿論、こんな手間暇のかかる料理ばかりを途切れる事無く次々調理出来たのは横でアリアや士郎が補助してくれたからに他ならないけど。手間のかかる回鍋肉(ホイコーロー)なんかは後回しで、その頃にはセイバーの給仕に士郎が付きっ切りだったからサポートはアリア一人だったけど。まあ材料買い忘れたのは半分彼女の責任でもあるし、相応の罰でしょう。明日はビーカー買いに行くからね? 忘れてたら承知しないんだから。「ふう、何とか終わったわねぇ……」「ああ、そうだな」 片付けを終えて居間に戻ってきて座敷机の横でぐにゃりと空気の抜けた風船人形のようによろよろとへたり込む。横では士郎が大の字で倒れている。補助をしたり給仕におわれたりで、相当疲れたことだろう。私も、もう……ダメだ。「お疲れ様でした。凛、士郎君」 はあ、今此処に居る面子で平気なのはサーヴァントであるアリアだけ。でも流石に多少気疲れでもしたかな? 少し元気無さげに見える顔だが、相変わらずその表情は柔らかな微笑みを浮かべている。その慈愛に満ちた笑みはまるで聖母マリアでも憑依したんじゃないかと思わせるほど自然で、暖かい。一息入れてくださいと温かいお茶を差し出してくれた。「はあ、貴女は良いわよねえ。疲れ知らずで」「ふふっ。そうですね。こんな時はサーヴァントの身で良かったと思ってしまいますね。生身だったらきっと今頃力尽きて、そこで貴女達と揃って川の字でしょうね」 此方の皮肉も真正面から受け流されてしまう。くそう、何だって何時も何時もそんなに余裕綽々なのようアンタってば……。でもさっきのアリアの反応は初めて見たな。あれって……やっぱりセイバーの態度に赤面したのよね? 何か引っかかるんだけど、疲れた頭ではそれ以上考えられない。「セイバーは、もう寝たかな?」 やにわに士郎がポツリと呟いた。セイバーは食事が終わって直ぐ、魔力を温存するために眠りに就いていたのでこの場には居ない。私も眠たいけど、ふと気になる事が頭の端に浮かんできたんで、徐に聞いてみる。「そういえばさ、アリア。あのジャンク屋で大量に買ってたパーツ。あれって一体何に使うの?」「俺も気になるな。何を造る心算なんだ?」 私達二人の問いかけにアリアは少しはにかんだように微笑んで答える。「あれは、一種のセンサービットです。凛もこの街の要所には大体使い魔を配置して監視網を敷いているでしょう? それと似たようなものなんですけど――」「へ? 何、あれって只の監視装置なの? それなら私の使い魔で十分じゃない……」「話は最後まで聞いてください。確かに監視網は凛の使い魔で十分かもしれません。ですが相手も皆同業、魔術師ばかりです。使い魔での探り合いぐらいは想定の内でしょう。当然、その監視網を潜る手段や、使い魔を破壊するなどの妨害工作も魔術師なら容易い。既にそういった動きはあったのでは?凛」「まあ。確かにあったわよ。でもそれはコッチも同じだし。仕掛け、仕掛けられのいたちごっこは百も承知よ」 疲れてあまり回らない頭で思い出す。アリアを召喚する数日前からちょくちょく、何箇所かの使い魔が破壊されたり、使い魔が何らかの干渉を受けて監視が緩んだ事があった。 もう聖杯戦争は水面下で始まっているんだと実感したのはそのときだったか。「でしょう? ですが魔術師は大抵、あまり科学技術は使いたがらない。その仕組みもあまり正確には把握していない。違いますか?」「そんなの、一概にそうとは言えないけど……でもこの戦争でまさかそんなハイテクを使おうなんて考えるヤツは、あんまり居ないかもね」「そっか、その為の監視装置で、その為のセンサー類なのか」 アリアの説明に士郎がふんふん、なるほど、なんて一人納得して頷く。「ええ。でもアレにはもう一つ、重要な目的があるんです」 その言葉と同時に、何故か私は頭を痛めそうな嫌な予感がした。なんとなくだけど、アリアの青緑の瞳がキラリと光った気がする。「もう一つって何?」 あ、こらバカ士郎!! 火に油を注がないでよもうっ!!「それは、私の能力をサポートさせる事です。今から造ろうとしているセンサービットは、それぞれが常時、周囲の環境を観測して、その情報を、コレに集約させる為に必要なんです」 そういって取り出したのは、A5版程の大きさのプラスチック製のファイルみたいなケース。いや、角が丸くて、少し有機的なフォルムをしている。なんだか良く判らないキカイ。「なんだ、ソレ?」 士郎が私と同じ疑問を口にする。「これは私の武装の一種なんですが、戦況を的確に把握する為のPDA、パーソナル・デジタル・アシスタント。つまり個人用情報端末です。本来は軍隊など、集団として活動する為の作戦や戦況などの情報伝達、通信、共有の為に使用するものです。サーヴァントとなり、たった一人の私にとっては余り意味を成さない物ですが、私は生前から、この端末に色々と戦闘時も役に立つサポートソフトを個人で詰め込んでいたからか、私の武装の一つとして座に記録されていたようで……気付いたのはついこの間なんですけどね」「??、???」 えーっと、何? ぱぁそなるで、でじたるな……アシスタントってことは、お手伝いさん? あー、ダメだ……頭が痛くなってきた。疲れもあって、段々眠くなってきたんだけど……。「え、えーっと。何がなんだかさっぱり判らないんだけど?」「つまり、兵士が戦場での自分の周囲の状況や、敵味方の進行状況など、戦局を司令部と直接リンクして随時最新の情報を引き出せる携帯電話みたいなものですよ。そして、私のコレには本来は搭載されていないような戦闘補助用の機能も備わっているんです。ですが、この補助機能には、戦場をリアルタイムで観測する外部からの情報が必要不可欠なんです。本来はAWACS(エイワックス)や監視偵察衛星等からの観測データなどを元に、司令部のホストコンピュータが情報解析、統合した情報を元に機能するものですが、この世界にそんなバックアップは在りませんしね。だから、その代わりを務めるシステムが必要なんですよ。パソコンはそのシステムの為に……って、あら。聞いてます?」 わ、悪いけど……もう、ムリ……。寝かせて、おね、が……い……。************************************************************** アリアの頭の痛くなりそうな熱弁の前に、脆くも撃沈してしまった紅い魔術師こと、我らが遠坂さんが目の前でくぅくぅと寝息を立て始めている。 延々一時間も中華鍋振るってたからな、そりゃ疲れも相当溜まっただろう。アリアの説明は謎だらけの暗号みたいで、俺にもまるで子守唄みたいに作用しそうだったんだから、ハイテクに弱い遠坂にはトドメの呪文(こもりうた)だったんだろうな。「あーあ、寝ちゃったよ遠坂」「もう、凛のハイテク音痴には困ったものですね」 ちょっとだけ頬を膨らませたかと思うと、すぐにクスクスと困ったように笑いだしたアリア。その表情は困っていると言いながら、少しも迷惑そうな顔に見えない。寧ろ手の焼ける子供か姉妹を気にかける母親か、姉のように暖かい眼差しは何処か可愛らしささえ感じられて不覚にもドキッとする。って、いかんいかん。彼女はあれでもうら若き女性だぞ、母親だなんてちょっと失礼じゃないか。って、俺は何を考えているんだ? まったく、しっかりしろ衛宮士郎!「まったく、そのままじゃ風邪を引いてしまいますよ」 その言葉が遠坂の事を親身に気を配っているという何よりの証だ。 やっぱり面倒見の良い姉か、親。詰まり年長者に見えてしまうんだよなアリアって。 同じ姉として見ても、どこぞの虎とは全然違うけど。あの虎に一度、彼女の爪の垢でも煎じて飲ませたいもんだ。 彼女は壁際のハンガーに掛けてあった自分のコートを眠ってしまった凛に掛けようとして、思いとどまった。「どうしたんだ?」「これ、防弾製で結構重い事を忘れていました。凛のウッカリが移っちゃったんでしょうかね私?」 そう俺の方を向きながら軽く舌を出しながらうっかりしていたと告白すると、コートをマナの霧に変え、代わりに自分が着ていた黒のウエストコートを脱ぎ、凛の肩に掛けた。「さて、もう時間も遅い。貴方ももう寝られては如何ですか?」「そうだな。でも遠坂をそのままにしておくわけにもいかないだろ? 和室から布団を持ってくるよ」「ああ、ご心配なく。此処の後片付けを済ませたら彼女をベッドまで運びますから」 そういって、机の上に出ていた湯のみを盆に載せて台所に向かう彼女。そんな彼女を見ていて、ふっと口にする心算も無い事が口を付いて出てしまった。「なあ、アリアって、遠坂のことどう思ってるんだ?」 唐突に聞かれた事に対して僅かに目を丸くされたが、彼女が口を開いた時にはいつもの柔和な微笑みにもどっていた。「大切な人、ですよ。かけがえの無い友人であり、家族のような……」「そうか、いや、アリアがそう思っていてくれて嬉しい。サーヴァントって人間とは端から格が違いすぎる英霊だから、あまり親身になってくれる人ばかりじゃないんだろう? だから、アリアが遠坂を大切に思ってくれて嬉しい。何でそんなにまで大事に思ってくれるのか、それは俺には判らない事だけど」 そう、場違いなことを言っている事は判ってる。でも、何故か言いたかった。「ふふっ、貴方のことも、ですよ」「え?」「凛だけじゃない。貴方も、セイバーの事も、私は同じ様に大切に思っています。士郎君、こっそり貴方だけに明かしますが、実はね……私は、貴方達と決して無関係な存在ではないのです」「え、えっ? それって、どういう……」 遠坂だけじゃなくてセイバーや、俺まで!? ええっと、そりゃ嬉しいけど、なんでさ? 湯のみを片付け終えて居間に戻ってくると、寝ている遠坂を起こさないように慎重におんぶしながらアリアは言葉を続ける。「ん、よいしょっと。今はまだ、教えられません。重要なのは、私にとって貴方達は決して無関係な人間ではないという事。でも、この世界の貴方達にとって私はまったく関係の無い存在だという事。それが私の正体を知るヒントです」 そう言われても、生憎俺には全然ピンとこない。「今はまだ判らなくて構いません。判らなくて当然なのですから」 そうに最後に付け加え、彼女は爽やかな笑みを残して、廊下の奥へと消えていった。