interlude
光少ない空間に硬質な音が響く。反響する音はどこか煩わしい。
地下聖堂と地上を繋ぐ階段。そこに赤い衣の騎士が立っている。それを見上げるのは暗い色の衣を纏う魔女だった。
「何の用ですか? アーチャー」
苛立ちを隠そうともしないキャスターの口調は険呑である。
それがキャスターの内心のすべてを表している。
そう、それがすべてだ。キャスターの心は、どうしようもない絶望感に支配されている。
それが今一歩のところで踏みとどまれているのは、まだマスターである葛木総一郎が生きている、それだけのことだった。
跪くキャスターの傍ら。横たわる意識のない葛木を視界に入れたアーチャーは、キャスターの問には答えず別の言葉を放った。
「治りそうにないのかね?」
そのあまりに機械的な口調が気に食わなかったのか、キャスターの危うい精神の均衡は簡単に失われてしまった。
「ええ!? 見ればわかるでしょう! あれから総一郎の傷は癒えないまま。今でもずっと血を流し続けている! 止まらないのよ。何をしても! 私の魔術じゃ総一郎の傷の呪いを解けないのよ!」
溜めこんだ絶望が決壊したかのようにキャスターが叫ぶ。
柳洞寺を襲ったギルガメッシュとの交戦。その際に葛木が受けた傷は今も癒えていない。
同じように傷を負ったキャスターも、そしてアーチャーも、傷そのものは癒えているというのに。ただ一人。キャスターのマスターである葛木の傷だけが癒えていない。
それはギルガメッシュが意図したものなのか、それとも偶然によるものなのか。
キャスターにはその真偽を図る術がなく、そしてそれを知る意味もたいしてなかった。
重要なことは、傷を癒すことができない。その一点のみ。
葛木は、ゆるやかに死へと向かっているのである。
キャスターが絶望するに十分な状況だった。
「そうか。それで、先ほどの君の問についてなのだがな。ギルガメッシュがこちらに向かっている」
「なんですって!? なん――」
「奴は、普通に歩いてこちらに向って来ている。もっとも、奴が受肉した英霊であるのなら、霊体化できんだろうから仕方ないともいえるな」
キャスターの言葉を遮ってアーチャーが言葉を放つ。
その言葉はまるで他人事のように淡々としていた。だが、キャスターにはそれを責める力もない。
首は力なく下げられ、その目は虚ろに葛木を見つめている。
「君の見立てでは、何日持つのだ?」
「――総一郎だからここまで持ったのよ。でも、それももう長くない。長くて、あと半日」
その事実を絞り出すようにして放つキャスターからは、先ほどのそれを遥かに上回る絶望が湧きだしていた。
一時は聖杯まで一番近いと思えていた。それがあっというまに崖から転げ落ちるように。触れかけていた聖杯は離れてしまった。
それだけにあきたらず、愛しい人の命すら。キャスターの腕から離れてしまおうとしている。
「落ちたのはここまでで三騎。それでは小聖杯を満たすにも足らん、か」
キャスターの肩が震えるが、それに構わずアーチャーは言葉を放ち続ける。
ただ、何か気に食わなかったのか。その言葉には先にはなかった苛立ちが含まれていた。
「そもそも、今の我々では残る陣営――二組のどちらに対しても勝ち目は薄い」
アーチャーの言葉に、キャスターは唇を噛締める。その美しい唇から、真紅の血が流れ落ちていく。
「君には、マスターであるその男を救う術がない。よしんば、ギルガメッシュを倒せたとしても。呪いが解ける保証はない」
淡々と事実を告げるアーチャーを前に、キャスターは俯くことしかできない。その姿に目を細めながらもアーチャーは言葉を続ける。
「その男は助からん。少なくとも、今はな」
だが、その決定的な言葉に、宣告にキャスターは肩を震わす。
それは、少なくともそれに抗う気持ちが失われていないことの証。
眦の次は口の端を歪めたアーチャーは更なる事実を今思い出したとでも言うように口にした。
「ああ、そうだ。君は気が付いていないかも知れんが。ここらいったいは既に奴の何らかの影響を受けている。おそらくは君の逃走を妨げるものだろうが。――逃がすつもりはないらしい」
「くっ――――!」
それを聞いたキャスターの声は、今までのどれよりも大きい。
「ふむ。それだけの覇気があれば十分だろう。」
どこか満足したようなアーチャーは、キャスターにある物を放った。
「これ、は」
慌ててを両の手胸の前に差し出すと、それは寸分違わずキャスターの手に収まる。
「所詮、紛い物に過ぎんが騙すこと、騙しきることくらいはできるだろう。本来の運用から外れたものを行うならば、持続時間も落ちる。その場合、君が取れる行動は限られてくる」
「――たとえ、たとえ貴方が言うそれを行えたとしても、ここから逃げることができなければ。意味がないわ」
「とりあえず、君が逃げ出す時間くらいは稼ごう。何、それくらいなら軽いものだ」
「貴方、何を言って――」
キャスターにはアーチャーの言葉が信じられないといった表情が浮かんでいる。
先程の――アーチャーが言ったギルガメッシュの手により何らかの干渉が行われていることは本当だった。
おそらく、空間に何らかの仕掛けを施しているのだろうか。キャスターにはそれがどのような術理によって行われたものなのかまでは知ることがかなわなかったが、その効果だけは読み取ることができた。
逃げるなら、それこそ。自らの足で逃げ出さねばならない。
だが、それをギルガメッシュが許すのだろうか。たとえ目の前の男と戦闘していたとしても。
あの、悪夢のような宝具の弾幕をサーヴァントとしての身体能力が低い自分が避けられるわけがない。キャスターにはそう思えたのである。
「何、別に歩いて逃げる必要もないさ。もっとも君が魔力を使いたくないというなら止めはしないが」
自分が度々魔術の行使を使い渋っていたことを揶揄しているのか。
柳洞寺に貯め込んでいた魔力の大部分は失われたとはいえ、現在でも自分が保有している魔力は十分すぎるほどにある。
それこそ、無意味なまでに過剰な量を、総一郎の傷を癒すために使ったほどに。
キャスターが反論しようとして口を開きかけた瞬間、またもそれを制するようにアーチャーの言葉が放たれる。
「そろそろ時間だろう。出迎えてやるとするか」
そう言ったアーチャーは、まるでどこぞへと買い物にでも行くというような気やすさで階段をのぼって行った。
キャスターはその背を呆然と見送る。
アーチャーの真意が彼女には読めなかった。
イレギュラーたる二人のサーヴァントが相対する。教会を背に赤色が。坂を登り来る金色が。陰りを見せ始めた空の明かりを感じさせぬ輝きを感じさせる。
金色のサーヴァント――ギルガメッシュは一定の距離を置いて立ち止った。尊大な表情は変わらず、自身と同じサーヴァントと相対しているというのに両の手はポケットに入れたままである。
「こんな時間に何の用だね? そろそろお子様は家に帰る時間だと思うのだが?」
最初に口を開いたのは赤い衣のアーチャーであった。腕を組み皮肉気な笑みを浮かべている。
「ふん。その家というのが貴様の背にある代物だ。どうやら我が不在の間に不遜にも勝手に使っている輩がいるようなのでな。こうして罰を与えに来てやったということだ」
対するギルガメッシュの言葉は禍々しきまでの嘲弄に歪んでいた。だが、それとてアーチャーの笑みを消すには至らない。
「なるほど。ギルガメッシュともあろうものが神の家を住処としていたとはな。まったく、そこまで堕落していたとは」
「はっ。所詮は偶像よ。そんなものに我が気を使う必要がどこにある? この世は遍く我のものだ。それが神の家、と名のつくものであろうとな」
「なるほど。つまりは、此度の聖杯もそうだと?」
「そういうことだ。貴様らが殺し合うのは一向に構わんが、我のものを己がものにしようとするのは許されん」
それゆえの、今、この時だと。ギルガメッシュは一層その口の端を歪め宣言した。
「とはいえ、我が本気になってしまえば、それもわずか一夜で終わってしまうのでな。一日に一人。消してやる数を決めたのだ」
その言葉にアーチャーの眉が僅かに動く。
「オレが三人目、だと?」
「そうなるな。贋作者」
たまたまアーチャーがキャスターよりも先に出てきたから殺す。ギルガメッシュの傲岸さにはそんな響きがあった。
「戦争などと大層な名をつけている割には、中々終わらんのでな。そもそも、殺し合う前に徒党を組むなどしおって。おかげで我が動くまでに消えたのはライダー一騎などと。サーヴァントの名が泣こう」
「もともと誇るものでもないと思うがね」
アーチャーの言葉は誰に向けられたものか。ギルガメッシュか、それとも。
溜息混じりに呆れた声を放ったそれはまるで世間話をするかのような気安さを錯覚させたが、それはあくまでサーヴァントの中での話。
ただの人間にとっては、アーチャーから滲み出る鬼気は決して気安いものではなかった。
「う、あ」
最初のアーチャーの視線に身を竦ませていた間桐慎二は、再び自分へと向けられたアーチャーの相貌に微かな呻き声を絞り出す。
「やれやれ。間桐慎二よ、何故このような所に来たのかね? ただの人間が立ち入ってよいものではないだろうに。アインツベルンの森ではよほど優しく接してもらえたようだな」
「なーお前、あいつと同じようなことを――」
「なるほど。やはり優しく撫でられたようだな。オレなら二度とこんな場に来るような気にはさせんのだが。この場に来たのは貴様の勝手だが、酷い目にあっても知らんぞ」
「おま――っ、くそっ」
アーチャーの言葉通りか、アインツベルンの城は雄弁だった舌がここではまるでまわっていない。それほど、アーチャーから放たれる鬼気――怒気は間桐慎二にとって圧倒的だった。
アーチャーは微かに肩を竦めると、視線をギルガメッシュに戻す。
「ふん、時間の無駄だな、英雄王よ。始めるならさっさと始めたらどうだ」
「ふん、茶番だな。そんなに死にたいのなら遠慮なく殺してやろう。真作と贋作の重みの違い。その身をもって知るが良い」
両者ともに鼻を鳴らすと、それぞれの戦闘スタイルに合った変化がおこる。
ギルガメッシュの背には、空間に走る淡い波紋のようなものが幾重も表れ。
何事かを呟いたアーチャーの両の手には中華風の双剣が握られる。そして、戦端はアーチャーの疾走によって開かれた。
僅かに身を低くし、アーチャーはギルガメッシュとの距離を縮める。
それを許すまいと、未だ両の手をポケットに入れたままのギルガメッシュの背から幾つもの宝具が撃ちだされた。
響く剣戟の音は八度。
ほぼ一瞬の間に鳴ったそれはアーチャーが自らに迫る宝具をすべて叩き落した音だった。
疾走は止められたもののアーチャーの体に傷はない。
「ほう。なかなか小賢しいな。これではどうだ?」
取り出した右手をギルガメッシュが指を鳴らす。それと同時に先に倍する数の波紋がギルガメッシュの背後に浮かぶ。
揺らぎから刃の先が現れたと見えた瞬間、遅れて暴力めいた轟音が響く。
遥か音を置き去りにするほどの速度でギルガメッシュの宝具が放たれたのである。
今度は甲高い音は鳴らなかった。
故に、響く音はギルガメッシュの宝具が大地を破壊する音のみ。
雨の如く降り注ぐ宝具を捌くことは無理と判断したのか、アーチャーは回避に専念していたのである。
「ふははははは。逃げ回るだけか贋作者よ。お得意の似非真似はどうした? それとも本当に逃げることしかできぬほど貴様は退屈な輩か?」
ギルガメッシュの嘲弄がアーチャーに向けられるが、宝具の雨を潜り抜けるだけでアーチャーは応えようとしない。
「ふん。つまらん。早々に消えるがいい。少しでも貴様に期待した我が愚かだったようだな」
不機嫌さを隠そうともしないギルガメッシュは再び手をポケットに納める。だが、その背後には更なる数の宝具がその身を表そうとしていた。
「――その傲慢さが、貴様の欠点だ」
だが、宝具がその姿を完全に表す寸前に、アーチャーは小さく言葉を呟き、両の手に合った双剣をギルガメッシュに投擲する。
「む――」
弧を描き一対の夫婦剣がギルガメッシュを襲う。
だが、それがギルガメッシュに届くかと見えた瞬間、見えない壁に阻まれたかのようにあらぬ方向へと弾かれた。
しかし、ギルガメッシュ顔に浮かぶのは、嘲りではない。
「小癪な」
いつの間に投擲されていたのか、幾つもの夫婦剣がギルガメッシュを襲う。
それはギルガメッシュに届くことは終ぞなかったが、その間ギルガメッシュが攻勢を行うこともなかった。
“―――unlimited blade works.”
そして、その一瞬でアーチャーは最後の呪文を完成させていた。
アーチャーの足元を起点とし、世界に火線が走る。
「な、これは――」
その世界を侵食し始めた光景に、初めてギルガメッシュが動揺の声を上げた。
赤錆びた色の空に無数の歯車が回る。
見渡す限り突き立つのは無数の剣、剣、剣。
「固有、結界だと!」
腹の底から振り絞ったような怒声とともに、この戦闘が始まって以来最大の宝具がギルガメッシュの背後に姿を現す。
「疾く消え去れ!」
塗り替えられた世界。それが、別の固有結界であったならギルガメッシュの激昂は現れなかったかもしれない。
むしろ、自ら踏み潰すに値する強者と喜悦を表したかもしれない。
例えば、十年前での戦争でも、固有結界を使用する英雄と闘っているのだから。
しかし、目の前の光景はギルガメッシュにとって、容認できるような代物では決してない。
固有結界――「無限の剣製」これは全ての財を手にしたと謳われるギルガメッシュだからこそ決して許されない業だった。
視界に映る全ての剣。その全てが贋作であることをギルガメッシュは理解することができた。ギルガメッシュだからこそ理解することができた。
このようなこと、許されるはずがない。
だが、その怒りのままに放たれた宝具の津波は、それを上回る数の同じ剣によって全て阻まれた。
赤い丘の上に真作と贋作。二つの剣の残骸が降り注ぐ。
それらは土の上に落ちる前に、悉くまるで雪のように消え去った。
「馬鹿な。全て阻まれたというのか!」
自らの財が全て偽物に破壊されたことにギルガメッシュは動揺を隠せない。
それを冷めた目で見つめるアーチャーは、自らが塗り替えた世界に存在するただ一人の人間。間桐慎二に忠告の言葉を放つ。
「死にたくなければそこを一歩も動かんことだ。いくらこの世界の主が私でも、自ら死にに来るような者から刃を引くつもりはないぞ」
視線すら向けられていないというのに言葉だけで間桐慎二の腰が砕けた。
自分の周りに突き立つ無数の刃が、ただの一振りで自分の命を断つことができることを理解してしまったからだった。
恐怖に染められた顔は、これ以上ないほどの蒼白になっている。戦場に覚悟もなく踏み込んできた者の醜態だった。
だが、それを嘲る余裕が、ギルガメッシュには存在しなかった。
湯水のように吐き出し続ける宝具――刀剣の全てが、この丘にある贋作に打ち砕かれる。
勝てはしない。敗れもしない。ただ、等しく真作と贋作は朽ちていく。
そして、それは疾走するアーチャーを止められないことを意味していた。
「おのれ! よもや贋作者風情に我の剣を使うことになろうとは!」
全てを盗み模されるというのであれば、それを出来ぬもの
激昂を隠そうとしないギルガメッシュの深層では、脅威とみなしたアーチャーを確実に殺す方法を冷静に導き出す。が、あくまで、剣というカテゴリーにおいてのみの選択ではあった。
ギルガメッシュは背後の空間に右腕を突き刺し、自らの愛剣を取り出す。
それはおよそ剣と呼ぶにはあまりに似つかわしくないもの。
だが、その行動に移るにはいかんせん遅すぎた。
その剣に魔力が満ちるより一瞬早く、アーチャーの剣がギルガメッシュを薙ぐかに見えた。だが――
「っつぅ!?」
干将がギルガメッシュの首に届く寸前、アーチャーはその腕を振り抜く寸前で動きを止めていた。
それが自分の意思ではないことは明白。何故ならアーチャーの顔に浮かんでいたのは驚愕だったからである。
そして、それはギルガメッシュも同じ。屈辱的な敗北の予感に、激昂を宿していたはずの瞳に別のものが宿っている。
まるで絵画のように二人のアーチャーは静止していた。
だが、それは一瞬のこと。
ギルガメッシュの顔に喜悦が浮かび、アーチャーの眉間に深い皺が刻まれる。
ギルガメッシュの哄笑は、乖離剣の渦巻く魔力の鳴動さえも打ち消した。
「ふはははははは――! 運がなかったな贋作者よ、それが王と雑種の違いだ! 消え去れ――天地乖離す開闢の星!」
真名が紡がれ、世界を切り裂いたモノの力が解放される。
ギルガメッシュの剣に魔力が完全に浸透し、決定的な隙を見せてしまっていたアーチャーのその身体に、至近距離からの対界宝具が放たれた。
収束してなお、漏れ出していた魔力の嵐。
突き出されたと同時に枷から解き放たれた嵐の化身は、目標たるアーチャーのみならず、この塗り替えられていた世界をも断ち切った。
錆びた世界の空と大地が分かれ、遍く破壊にさらされた世界が終焉を迎える。
それは、滅びゆく故の美しさか。
後には、乖離剣の破壊の跡など微塵もない、塗り替えられる前の世界、丘の上の教会の姿が広がっていた。
その場所に存在するは二人。
一人は黄金の英雄王たるギルガメッシュ。そしてもう一人は間桐慎二である。
虚空を睨むように佇んでいたギルガメッシュは、不意に教会に背を向けると口を開いた。
「帰るぞ。もう用は失せた」
今なお座り込んだままの間桐慎二に一瞥すると、ギルガメッシュは歩き出す。
眉間に刻まれていた皺は消えていたが、不機嫌さは全く損なわれていない。ただ、英霊の身でありながらその所作にはどこか稚気が見え隠れする。
その、自分のサーヴァントにあるまじき行動に動かされたのか。
はっきりとした激昂を表した間桐慎二は、バネのように立ち上がると自分に背を向けているギルガメッシュに声を荒げた。
「どういうことだよ、ギルガメッシュ。ここにはキャスターを倒しに来たんだろ? まだ何もしてないじゃないか」
それははたして、先ほどの醜態からは考えられぬほどの姿。
当面の脅威が去ったからか。目に見える死の危険に怯えていた間桐慎二は傲岸な姿を取り戻していた。
「そう熱り立つなよ慎二」
足を止めたギルガメッシュは間桐慎二に振り向かず言葉を続ける。
「すでにキャスターは消えた。ここに居てもしかたあるまい」
「消えたって。逃げたってことかよ。お前、キャスターは逃げられないって自分で言ってたじゃないか。どういうことだよ」
「アーチャーの仕業だ。キャスターを封じ込めていたモノは、我を起点に発動していたからな。我自身がここから離れてしまえば、その効力も失われる。弱ったキャスターでも逃げだすには十分だったということだ」
ギルガメッシュの言葉はまるで他人事の様でもある。
「所詮、ただの悪あがきにすぎん。我が手を下さずとも明日には消えていよう。それで、残りは4人だ」
「あ?」
囁くように言葉を発した声は間桐慎二には届かない。ただ、何かを呟いたギルガメッシュに対して胡乱な声を上げるだけだ。
そんな間桐慎二のことなど目に入らない、といった様相のギルガメッシュは歩を再開する。
その思案に暮れた、常の彼からは遠いその表情からは何を考えているのかはわからない。
ただ、聖杯戦争は終焉へと緩やかに向っていた。
interlude out
縁側で空を眺める。
生きていた頃、ほんの僅かな間だけ同じようにイリヤと空を見上げたことを覚えている。
もっとも、私はこんな姿ではなかったし。遥かに未熟だったのだけれど。
少なくとも、イリヤがすっぽり収まるくらいの体はあったわけで。
「う~ん。やっぱり私は隣に座るね」
こんな風に気を使われることはなかったような気がする。
「なんだか、疲れてるみたいね。アーチャー」
「うん? ああ、そうだな。今日は、少し疲れたな」
隣で私を見上げながら訪ねてくるイリヤに、私は苦笑とは言い難い微妙な笑みを浮かべて言葉を返す。
肉体的な疲労ではない、精神的な疲労を生んだ原因となった出来事に眉間の皺を深くしながら、慌ててそれを脳裏から消し去る。
「まあ、仕方ないんじゃないかしら。
「仕方ない?」
少し、イリヤの言葉が気になって聞き返す。
「みんなきっと不安なの。誰もかれも隠し事が多いから。それは私もだし、アーチャー、貴女もそうよ」
穏やか、とは言い難い雰囲気を一瞬イリヤは浮かべ、すぐさま嘆息する。
「だから、仕方がないって言ったの。誰も何一つ隠し事がないなんてあるわけないもの。ただ、今はみんなそれが怖くなってるだけ。おにいちゃんも、リンも、セイバーも」
戦っているうちはいい。命を奪いあう戦いの中で、無駄な迷いは死へとつながる。だからこそ、誰もが自分の奥に持ってるものを忘れてしまえる。
だが、それはなくなってしまったわけではない。消えるどころか膨らみ続ける代物なのだ。これは。
だからこそ、今日のように穏やかな日が冗談のように訪れてしまうと、それが溢れそうになる。
それゆえの今日だったのだろう。不自然なまでの騒ぎ。凛のは地とも言えなくもなさそうだが。なるほど、イリヤに言われてみれば、皆一様にどこか不自然さを持っていたのかもしれない。あくまで、思える、と言うような曖昧な印象でしかないのだが。
「隠し事、か」
口に出して言ってみると、それは思ったよりも大きく、私の心を圧迫した。
動揺していることを悟られないよう、ゆっくりと右手を胸に押し当てる。
今、この瞬間でさえ。私は偽りを続けている。それを、罪だと言わずにいれるのか。
「どうしたの? どこか苦しいの?」
「ああ。そうだな。私がイリヤを大切に思うことは許されるのだろうか、とな」
それは決して口にするつもりがなかったはずの言葉。
出してはいけないと固く心に誓っていたはずの言葉。
それが、不意に。胸の内から零れてしまっていた。
「あたりまえじゃない。アーチャーが私に優しくすることに理由なんか必要ないわ。なんたって私が許してるんだもの。もっとも他の人間だったら、どうするかはわからないけどね」
私は思わずイリヤのどこか勝ち誇った顔をまじまじと見つめ、ふと何か得体の知れぬ靄を吐き出すように笑った。
「うん。それは、なんとも。イリヤらしい言葉だな」
「そうよ。だから、私がおにいちゃん――シロウに優しくしてあげるのも当然なんだから」
鼻息も荒く宣言するイリヤに私はますます笑みを深くする。
「そうか。そうだな。お姉ちゃんは弟を甘やかすもの、か。でも――駄目なことは駄目だと、怒ってやってくれ」
「――もちろん。シロウには立派な紳士になってもらわなくちゃ」
でも、に続く言葉。本当に言いたかったことは口にはできなかった。
衛宮士郎かつて私がそうであり、そしてアーチャーがそうであったもの。もはや、別人とも言うべき私たちの写し身。
私達の誰よりも強くある想いを持っている持っている存在。
ああ、そうだ。この手は終ぞ届くことはなかった。
両の手には何も残ることなく、全て零れ落ちてしまった。だけど、この胸に残っているのは後悔だけじゃない。
たとえ、イリヤに対して思う気持ちが、かつての自分の代償なのだとしても。今、ここにいる自分が隣のイリヤを愛おしいと思っていることは間違いないのだから。
ふと、空に浮かぶ星へと手を差し出す。決して届くことがない星へとこの手をかざす。
それは。これは。ここは。死の間際願ったゆめの場所。
間違っていたばかりの私を、ここへ導いたのは世界とやらの意地悪なのか。
そうだとしたら、その意志とやらはあまりに残酷で優しい――
「っつ――!?」
とっさに立ちあがった私は、すぐさまイリヤを自分の背後へと押しやる。
「ちょっと、アーチャー! 何をするの、よ」
突然の仕打ちに、抗議の声を上げたイリヤだったが、それは終息していった。
私が見つめる先――
目の前の暗がりには、魔術師のサーヴァントたるキャスターの姿があったからだ。