「もうそろそろ行かないと、時間に遅れるんだけど」
苛立ちを隠そうともしないで、凛が玄関でぼやく。
「ふむ。稽古に時間を忘れているのだろう。どうする、凛」
今も竹刀を振っているのであれば、どうやっても遅刻は免れまい。
「まあ、いいか。同盟を組んでるんだし、一組は拠点で待機ってのもありよね」
そう言って凛はなにやら頷いた。そして、組んでいた手を解き入口に手をかける。
「そういうことだから、アーチャーは衛宮君が学校に来るかどうか訊いておいてくれない? 学校に来るのはそれからでいいから。でも、稽古の邪魔はしちゃだめよ」
「それは構わないが。凛、一人で大丈夫か?」
「問題ないわ。なんてったて、私は貴女のマスターなんだから」
イリヤスフィールのような規格外のマスターに、魔力量で劣っているのは事実だ。だが、凛は最高のマスターと言っていい。魔術師としての力量を抜きにしても、彼女は強い。そのあり方が。
彼女のことだ。俺の心配など、笑って踏み越えていくだろう。
「そうだな。だが、学校は敵のサーヴァントの狩場だ。くれぐれも、気を付けてくれるとありがたい。君は、肝心なところでどこか抜けているところがあるようだからな」
とっさに表情を隠すように凛の手が顔を覆う。
「――――――――」
「どうして、そう思うのかとでも言いたげだな。なに、君のうっかりの最たるものが私の召喚だろう?」
下げられた手のひらの向こう側には、どこか悟ったような凛の顔があった。
「解っているわ。油断はしない。相手がどんな小物でも、かんっぺきに潰す。令呪を使ってでもね。その時準備が出来てませんでしたなんて言ったら、ただじゃおかないからね」
「ゆめゆめ忘れぬようにしよう」
「じゃあ、行ってくるわ」
そう言って凛の姿は扉の先に消えた。
「さて、奴の情けない姿でも拝むとするか」
そう呟いて、道場の方向へ足を向ける。凛に付いて行く筈だったから、姿は甲冑のままだ。だが、この姿では少々音が大きい。霊体化すればいいのだろうが――――。昨夜の鎧を解いた状態にする。普段から、実体化しておいた方が都合が良い。この身体をイメージ通りに動かすためにも。
まだ、稽古を始めて、三十分ぐらいだろうか。ゆっくりと歩きながら、自分の時セイバーとの稽古はどうだっただろうか、等と記憶を探ると、自然と顔は歪んでいた。そんな益体のないことをしていれば、道場は目の前に。
さて――――。
経験から言わせてもらえば、衛宮士郎は意外と見られることに弱い、と思う。
「まあ、邪魔することもあるまい」
俺が姿を現すことで、衛宮士郎が集中力を失ってしまっても仕方がない。
ただでさえ、意識を保つことが困難な稽古だというのに。まあ、見るのは奴がもう少し慣れてからでも遅くないだろう。情けない姿もお預けだ。
そう言い訳しながら道場に背を向ける。そう、これは言い訳なのだ。
まずは着替えるとしよう。この格好ではさすがに都合が悪い。
そしてその後、俺が進む先は、台所。肝心なことを忘れていたのだ。俺は。
掛けてある、エプロンを身に着ける。戸棚からは――――弁当箱を、と考えて重箱にした。
朝食の準備に気を良くして、すっかり昼食、弁当のことを失念していた。
冷蔵庫を開けながら、何を調理するか考える。――――稽古が終わるころには、出来上がるだろう。
予想に反して、弁当を包み終わった後も、稽古は続いているようだった。
セイバーのことを考えて、量は相当なものだ。まあ、彼女なら食べきれないということもないだろうが……。三人、いや四人分のつもりの目の前のブツに視線を戻す。
「ふう」
包みを持って、かつての――――自分の部屋へ向かう。
今朝、奴を起こしたことは気にも留めなかったが、この部屋は物が少ない。そのことを、一瞬ひどく忌々しく感じたが、構わず目的の物へと足を進めた。
衛宮士郎の鞄。それに、迷わず手にした包みを入れる。予想と違わず、容量の限界ぎりぎりの包みは、鞄を歪な物に変えた。それが、どうしようもなく、可笑しくて……笑えなかった。
それは数秒だったのか、それとも数分たっていたのか、どれくらいの時間そうして、鞄を見つめていたのかはわからない。どんな顔をしていたのかは判らないが、一度目を閉じ、立ち上がる。そして目を開き、再び鞄を見たが、今度は何も感じなかった。
ふと、あることを思いついて机を借りる。
こんなものか。
作業を終えて部屋を出る際、ふと後ろを振返る。
あまりこの部屋にはいたくなかった……。
道場に行ってみれば、ちょうど稽古の終わったところらしい。
涼しげな顔をしたセイバーと、ひどく汗を掻いている衛宮士郎が対照的に見える。
「これなら――――」
「――――ですから、シロウは」
極力、音を立てないようにしていたせいか、衛宮士郎も、何か講釈めいたものを話しているセイバーも俺の来訪に気がついてないようだ。はっきりとは聞き取れないが。
まっすぐにこちらに背を向けている衛宮士郎の背後まで歩く。
ふむ、別段気配を消しているわけでもないのだが、ここまで近づいても二人は気がつかない。
「ふーん。それじゃあ、セイバーもはっきりとは分からないのか」
「はい、何か引っかかってはいるのですが」
よほど、真剣な話をしているのか、とも思ったがどうやら難い話というわけでもないらしい。ならば――――
「おい」
そう言って衛宮士郎の肩に手を置いた。
「はははははは、はい!?」
予想以上の驚きように、声をかけた俺の方が驚いてしまう。セイバーの方も、相当に驚いたらしく、声は出さなかったようだが、顔と髪にそれが出ていた。
その間にも、衛宮士郎はわけの分からん表現を全身で表している。
「まあ、なんだ。落ち着け」
かつての自分がこんなだと、こちらとしても滅入る。だが、俺の疲れたような表情を見て、何故か平静を取り戻したらしい。普段と変わらぬ様子で訊いてくる。
「えっと。アーチャー? なんでここに――――遠坂は?」
「――――凛なら学校だ。そして私が何故ここに、というのは」
これだけ近いと、セイバーと変わらぬ身長の俺は、自然と衛宮士郎を見上げる形となる。それが否応なしに、自身の置かれた状況というものを認識させる。なにせ、一尺ほども縮んだのだ。それに苛ついた為か、自然厳しい口調になってしまう。
「貴様のせいだ」
「え、俺の?」
「そうだ。貴様が時間になっても、学校に行く気配がない。それで、貴様が学校に行くのかどうか訊くために俺はここに残った、というわけだ」
「それはなんというか、えーっと、ごめん」
謝罪してもらう必要はなかった。これは八つ当たりのようなものだからだ。この体になってしまった以上、受け入れるしかないことだが。申
し訳ないと言う衛宮士郎の目に、微かに憐れみのようなもの浮かんだ気がしたが。
「まあいい。だが、何故それほど驚いたのだ。セイバーは私が屋敷に残っていることなど気づいていただろう?」
そう言って、視線をセイバーへと移す。
「え! ええ。気がついてました。ただ、士郎の稽古中であったので――――失念していましたが」
どうやら、セイバーはまだ驚きから抜け切れていないらしい。表情に表さずとも、読み取るのは容易い。
まあ、聞かれては恥ずかしいことだったのかもしれない。食事のことであれば、セイバーも動揺することもあるかもしれん。
「驚かすつもりはなかったのだが、結果としてそうなってしまった。すまん、セイバー」
「い、いえ。気付かない私が未熟なのです。アーチャーが謝る必要はありません」
「そうか。いや、助かった。君に不快な思いをさせてしまったかと思ってしまった」
セイバーに笑みを浮かべてから、衛宮士郎に顔を向ける。
「で、どうするのだ、お前は?」
「どうするって――――悪かった! 俺が悪かったから怒らないでくれアーチャー!」
別に怒ってなどいないが、勝手に衛宮士郎が慌てている。さっきから何をしているのだ、こいつは。
「この時間なら、四時間目には間に合うな。アーチャー、遠坂に昼にはちゃんと間に合うって伝えておいてくれ」
衛宮士郎の言葉に頷いて、背を向ける。
「あれ? アーチャーはこれからどうするんだ」
「凛と合流するだけだ。お前が出るまでまだ時間があるのだろう?」
「あ、うん」
「そういうわけだ。お前にはセイバーがついているのだ。私まで加わる必要もないだろう」
そう言って歩き始めようとして、背中から何か訊きたそうな視線を感じた。
「なんだ?」
背を向けたまま、問いかける。
「あー、アーチャー。その格好で出かけるのか? その、霊体化とかは」
「心配するな。気付かれるような下手なことはせん」
「はい・・・・・・」
そして今度こそ歩きだす。そして
「アーチャー、気をつけて」
「――――ああ、行って来る」
最後にセイバーと声を交わした。
(凛、衛宮士郎は学校に行くようだ。昼には間に合うと)
歩きながら凛と会話する。今朝よりは幾分落ち着いた様子が感じられた。
(そう。ありがとう、アーチャー。こっちはまだいいから、ゆっくりしててもいいわよ)
戸を開けながら、苦笑して応える。
(――――ああ)
(それじゃあ、後で)
何かやることでもあるのか。さて、凛が何を考えて――――。
門から足を踏み出すのが躊躇われた。
危険を感じたわけではない。だが、何かがひっかかる。
(気のせい、か?)
付近で感じられるのはセイバーのものだけだ。そして、屋敷の、結界を出た瞬間。
目の前に矢が突き立った。
反射的に矢が飛んできた方向を目で追う。気配も感じられないような場所からの狙撃。こんな芸当が出来るのは
「アーチャー」
鷹の目を持つ弓兵の姿があった。成る程、違和感は奴か。嘆息しながら、奴の顔に皮肉気な笑みが浮かぶのが見えた。
「どういうつもりだ」
「いや、たいした理由はない。少し話をしてみたかっただけだ」
誰もいない公園で対峙する。少なくとも、目の前の弓兵に殺気はなかった。恐らく、本当に話がしたかっただけなのだろう。
「ふん。それはらしくない理由だな」
「それはお互い様だ。私のことを無視しなかった以上、君も似たようなものだよ」
「馬鹿な。私が無視していれば、お前は矢を射ていただろう? それこそうっとうしくて敵わん。まあいい。お前、何故キャスターの側などにいる」
その問いに目の前の弓兵は笑みを浮かべながら答える。
「何、彼女はそれほど悪人ではないのでな。協力してやろうと思っただけだ。彼女なら、聖杯を悪用する心配もない」
それが、キャスターに就いている理由か。
「――――魂食いはどう言い訳する」
「なんだ。そんなことは、言い訳する必要もない。瑣末なことだ。君も気付いているのだろう。確かに彼女は魂を集めてはいるが、殺してはいない。むしろ甘いといってもいいくらいだ。まあ、それは君のマスターにも言えることのようだが」
確かに。一般人を巻き込むが、殺しはしないキャスターより、問答無用で中の人間を溶解する結界の方が性質が悪い。
凛も非情になりきれないところがあるのは認めよう。あの夜、衛宮士郎を助けたことがいい例だ。もっとも、それが凛らしいといえば凛らしいのだが。高い対魔力を有する他のサーヴァントに勝つために魔力を集めるのは分かるが、さらにセイバーを欲する理由は――――
「バーサーカーを倒すためか」
俺の考えを読んでいたのか、弓兵が肯定する。
「そういうことだ。キャスターはセイバーも欲しいようだが・・・・・・。最低限、我々だけでもあの大英雄を倒すことは可能だ」
「随分と自信があるのだな」
「何、防衛戦でしか勝てんよ。それも三対一でやっと、というところだ」
防衛戦? 三対同時に攻めることは出来ないと言うことか? しかし、アサシンではバーサーカーに傷すら与えることは出来まい。アーチャーではあの大英雄に対して前衛を続けることなど――――
「アサシンは凌ぐ事なら可能ということか」
俺の言葉に頷きながらも、答えを返してくる。
「もっとも、キャスターの援護が必要のようだがな。それでも相性を考えれば驚異的と言わねばなるまい。不本意ながら、私は砲台と言うことさ」
事実としてアサシンはあのバーサーカーを撃退したということか。しかし――――
「何故、その時に倒してしまわなかった」
「簡単なことだ。その時私は召還されていなかった。ただそれだけのことだよ」
それは、キャスターに召還されたということか?
「いや、結果としてキャスターを主としているにすぎない」
「良いのか、こんなことを話して」
僅かに敵意を表面に現しながら尋ねる。
「君に知られて問題などないさ。確かに私達の誰か一人欠けるだけで、バーサーカーの打倒は難しくなるが。キャスターを倒すことの難しさは君もよく分かっているはずだ。ランサーほどではないが彼女も相当に生き汚いぞ。君としても、それほど戦う気はあるまい」
「何故そう思う?」
「ク、答えなくとも解っているのだろう」
「――――――――」
キャスターを倒すにはどうしても総力戦になる。そして、それはバーサーカを相手としても同じだ。そして、どちらと戦っても、結果浅くない傷を負うことになるだろう。一般人に対する危険から考えても、倒す優先順位としては間違いなく結界の主のほうが高い。キャスターもバーサーカーも、そして目の前の弓兵も倒すことに変わりはないが、それは今ではない、が。
「残念だが、見当外れだ。私達でもバーサーカーを倒すことは出来る。キャスターが脱落しても問題はない。第一、キャスターの放置など私の
マスターが許さないだろう」
もっとも、凛でもさすがに柳洞寺を攻める気はないだろうが。彼女が狙うとすえば恐らく・・・・・・。
「成る程。あの少女ならそうだろうな。ああ、それは二つの意味でだ。生憎と彼女の名前は思い出せないようだが」
まさか、凛の記憶がないのか――――弓兵は俺から視線を外し、 何かを思い出そうとしているかのように空を見上げた。
「まあいい、そのうち思い出すだろう」
そう言ってから、そのまま歩き出し、近くにあったベンチに腰掛けた。
「立ったまま話すのもなんだ。君も腰掛けてはどうかね」
「馬鹿な。お前と二人で腰掛けるなど考えられん」
「――――ふむ。見た目ほど差異はないわけか」
「何が言いたい?」
「どんな理由でそんな姿になったのかは知らんが、やはり君はエミヤだ」
そして弓兵は俺が黙っていることにも構わず、言葉を続ける。奴の目から、何を考えているかは読み取れない。
「それが何時になるかは判らん。だが、君は必ず選択を迫られる。好む好まざるに関係なく」
その言葉に込められた意味はなんなのか。分からずとも、胸に湧き上がる不快な気持ちを消し去るように言葉を吐く。
「その格好はなんだ。キャスターの趣味か」
「まさか。美しい少女ならともかく、彼女に私のような男を着飾って楽しむような嗜好はない。私が自分で選んだものだが――――似合わんかね?」
そう言って奴は自分の着ている黒系で統一された服を見ている。
「知るものか」
「ふむ。つれないな。だが、安心したまえ。誰が選んだかはともかく、君の服装は似合っている。自信を持っていい」
くだらない。自分で自分を褒めるなど何の益になろうか。
「もういいだろう。私も暇ではない」
そう言って背を向けるが、奴の視線がずっと俺に向けられている事に気づいていた。そして、
「ああ、そうだ、思い出した。遠坂、遠坂凛か。――――成る程。凛か。確かにこの響きは彼女に合っている」
奴が見ていたのは俺ではなく、この服だったのだと、その時になって気がつく。そして公園から出る際、再び呟くように弓兵は声を漏らした。
「気をつけることだ。何故かは知らんが、君は考えることが表情に出ている。読み取ることは容易い。騙し合いは無理だ」
「余計なお世話だ」
そう言い残す事くらいしか、俺に出来る事はなかった。
そして、ふと思う。
何故、奴は衛宮士郎のことを語らなかったのだろう。