俺の期待は裏切られたのだろうか。
いや、そもそも、朝食を衛宮士郎ではなく桜が用意する可能性のほうが高かったのだ。
その点から考えて、俺の期待は見当はずれだったのだろう。
朝食はそれほど豪勢なものでもなかった。いや、朝から豪勢な食事というのもおかしな話ではあるが。だがセイバーを基準とすれば、豪勢な食事も問題ないだろう。うむ、問題などまったくない。
トースト二枚にハムエッグ、サラダ等といった食事が並んでいる。
セイバーには物足りないのではと思ってしまうのは、俺が馬鹿なのか、セイバーを馬鹿にしているのかは分からない。あるいは両方かもしれないが。
まあ、手が込んでいるわけではないが、量はそれなりのようだから、何とかなるかもしれない。
不謹慎だった。
わざわざ桜が用意してくれたものだ。
感謝するならともかく、随分勝手なことを考えてしまった。
凛と桜、それに大河がお喋りしながら食事しているが、正直俺はその会話には入りたくない。
セイバーもその話に加わってないのが救いといえば、救いなのだが。
女性の体の体型の話などな……。
凛よ、何故君はこれほどまでに俺の天敵なんだ。
俺とセイバーは無理やり、会話に組み込まれた。
「アーチャーもセイバーも意外とたくさん食べるわよね」
凛が笑いながら話す。正直その笑いを見ると背筋が寒くなるからやめて欲しい。
しかし向けられる先がセイバーであるならわかるがなぜ俺まで加えられるのだ。
「そうでしょうか。私は適量だと思っているのですが」
セイバーがなんでもないというように、答える。さすがは王の貫禄か。
そうだろうな。少なくとも、セイバーが食べすぎなどということになるとは思えない。それは同じサーヴァントである俺もにも言えることだが、本来サーヴァントに食事など必要ないはずだからな。
なんとなくセイバーの場合はサーヴァント云々は関係ないような気がするが。こと食事に関してセイバーは怒らしていい相手ではない。
だが俺もそんなに食べていただろうか。それを素直に凛に訊いてみると。
「食べてるわよ。それはセイバーと同じくらいはね。それに二人とも表情変えないで、黙々と食べてるから、ちょっと――――」
む、何故そこで言いよどむ。しかし俺がセイバーと同じくらい食べているというのは。
俺の主観では少ししか食べていないつもりなのだが。どういうことだ。
「ほんと、二人ともいっぱい食べてるもんねー。お姉ちゃんもまけてられないんだからー」
「本当なのか?」
とりあえず、桜に訊いてみる。大河は無視しよう。
桜は少し困ったような顔をしたが、気まずそうに笑いを浮かべて、
「ええ。セイバーさんもアーチャーさんも、同じくらいたくさん食べています。――――――――それはもう何でそんなに食べて太らないんだろうとか思ったりしますけど、うらやましいなんて思っていないですよ。わたしはその、なんかには負けません。だから絶対私は姉さんにも――――――――」
なにやら、桜はうつむいてぶつぶつと呟き始めてしまった。
最初の方しか分からなかったのだが、どうやら本当に、俺はセイバーと同じくらい食べているらしい。
「えっと、桜……?」
凛が心配しているぞ。困った顔で。
「でもすごかったな、セイバーもアーチャーも」
突然思い出したように衛宮士郎が呟くように声を出した。
俺と同じように、凛たちの会話に別世界を見ていたようだが、どうやら抜け出したらしい。
だが、本人が別世界に旅立ってしまったのか。
少し恍惚とした顔で話されるのは引くものがある。
それが凛には聞こえたのだろう。
「え、何? アーチャー、セイバーと何かしてたの?」
疑問符を頭に浮かべてこちらに訊いてくる。
まずい。これではまたセイバーに――――――。
仕方ない。
「いや、道場で手合わせをセイバーに申し込んだのだが」
「ふーん、姉妹での手合わせってわけね。それで士郎がこんなになっちゃってるのか。それでどっちが勝ったの? やっぱりセイバー?」
意地の悪い笑みだ。セイバーが最優と知っていてそれを訊いているのだろう。
だが、それ俺が答える前に、
「いや、引き分けだったぞ。アーチャーは自分の負けだって言い張ってたけど」
衛宮士郎が答えてしまった。帰ってこなければ良いものを。
ここは黙っていたほうがいいだろうか。幸い、セイバーは食事に夢中で、気がついていないようだ。凛は、浮かべていた笑いを消して、真剣な表情でこちらを見ている。
「うそ!? 引き分けってことは、アーチャーちゃんもセイバーちゃんと同じくらい強いの? お姉ちゃん、士郎とられちゃうよ~」
―――――その年齢でその物言いは問題があると思うのだが、それがなくなってしまっては大河ではない、か。
「えっと、セイバーさんって、そんなに強いんですか? その、剣道が」
どうやら、桜も自分の世界から帰ってきたらしい。控えめに衛宮士郎に尋ねる。
「強いなんてもんじゃないよ。俺どころか、藤ねえでもぜんぜん相手にならない」
英霊と人間を比べるのは間違っていると思うのだが、あの頃の俺も同じような考えだったことを思い出し、嘆息するにとどめた。
この衛宮士郎も俺と同じようにセイバーの事を女の子だから―――――というようなことを考えているのだろう。
「えっと、アーチャーさん……」
「ん? なんだ、桜」
「その、もうサラダは……」
ああ、もうサラダがなくなっていたとは、気がつかなかったな。
結構な量があったと思ったのだが、セイバーが食べてしまったのだろうか。
事実、セイバーが俺の持つサラダの入っていた器を恨めしそうに見ている。
ふむ、よく見れば、彼女の視線は、俺にも向けられているようだ。
「アーチャーさんって藤村先生や、セイバーさんに勝っちゃうんですね」
「本人は気がついてないみたいだけどね。セイバーの事も気がついてないんじゃない?」
「でも、セイバーさんも、アーチャーさんもうらやましいです。あんなに食べて―――――」
「それを考えるのはやめなさい、桜。わたしだって、納得いかないけど。認めるしかないわ」
凛と桜がなにやら小声で話しているが、セイバーの視線に気をとられて、よく聞こえない。
セイバー、残念だが、もうないんだよ、サラダは。
だが、なぜかそれを言葉にする事は憚れた。それを言ってしまえば、命はない。そんな気がする。
何かが警鐘を鳴らす。
そう、これは捕食者に相対した獲物の心境か。
独りでこの状況を打破することは不可能に近い。
だが、援護はない。凛はどこか面白がっているようだし、桜は困ったように見ている。
大河ははじめから当てにはしていない。
ならば最後の望みは衛宮士郎一人のみか……。
衛宮士郎は最後までセイバーが俺と空になった器を見ている事に気がつかなかった。
朝食の後、やはりというかなんというか。セイバーと道場で、対面している。
無駄とはわかっていても。
「それで、話というのはなんだ、セイバー」
「とぼけるつもりですか、アーチャー。もちろん先ほどの話の続きです」
「わかった。話を聞こう」
「良い心がけです」
そう言って、竹刀を俺に投げてよこす。竹刀……?
「セイバー、話をするんじゃないのか?」
「もちろん、そのつもりです。油断していると痛い目にあいますよ」
「む……」
鋭い打ち込みだったが、防ぐのは難しくなかった。
だが、セイバーの竹刀は止まらない。やはり防戦一方か。ん?
「何故!」
なるほど、話とはこういうことか。なんともセイバーらしいというか。
さすがは剣の英霊か。
「朝食で」
「ぬ」
セイバーの竹刀が鋭さを増す。しかし、これは
「サラダを全部」
「くぅ」
「食べてしまったのですかー!」
「なっ」
慌てて、セイバーから距離をとる。
セイバーは追ってこなかった。
「セイバー、今のはどういう……」
「―――――わ、忘れてください、アーチャー。今のは何でもありません。間違いです、そう間違い。今度こそ本題です。さあ、構えなさいアーチャー」
「ま、待て、セイバー」
「問答無用ー」
顔を真っ赤にしながら、打ち込んでくる。
ここは、セイバーが落ち着くまで、耐えるしかないだろう。
十分も経っただろうか。
「先ほどは失言を。失礼しました」
どうやら、セイバーも落ち着いたようだ。
「いや、気にすることもあるまい。それで、話というのは」
「アーチャー、貴女はわかっていて聞いているのでしょう」
「ああ、そうだな」
打ち合いは続く。
「身体能力で言えば、速さで私、力で貴女といったところでしょうか」
俺は無言で竹刀を受ける。
俺の技はこの体に適しているわけではない。
そして俺に剣の才はない。
剣技ではセイバーに及ばないことは当然の理だ。
「確かに剣では私のほうが勝っているのでしょう」
セイバーは打ち込みながらまだ言う。
そんなにも納得がいかないのだろうか。セイバーが俺よりも強いことは覆ることのないものだと思うが。
「ですが、それは私が貴女より強いことにはならない」
どうしてもこの話をしたいのだろうか。
たしかに防ぐことはそれほど難しいことではない。
むしろ食事前のときよりも幾分たやすい作業だろう。
だが、それを差し引いてもセイバーより俺のほうが強いということにはなりはしない。
第一これは実戦ですらない。
「セイバー、何故君はそれほど拘るのだ」
「っつ」
セイバーの竹刀が鋭さを増す。
―――――セイバーの竹刀が俺の頭に触れるか触れないかの所で止められた。
今度は相打ちなどではない、俺の完全な敗北だ。
たやすいといっておきながら、防ぐことが出来なかったのだ。
「セイバー、やはり君の方が強い」
俺は竹刀を納めながら、セイバーに向かって言い放つ。
この話はこれで終わりにするという気持ちがあった。そして背を
「アーチャー」
決して大きくはないが、聞き流せない響きを持った声が私の動きを止めた。
それは王の威厳か。彼女が放つ輝きは俺の心をどうしようもなく揺さぶる。
「アーチャー、貴女は自分を過小評価しすぎる」
セイバーは、幾分悲しそうな目をする。だがそれも一瞬のことか。
「貴女は確かに数多、他のサーヴァントに劣るものがあるでしょう。ですが、貴女はきっと―――――負けない」
「―――何故、君はそう思うのだ。私はバーサーカーに負けたと思ったが」
「確かに貴女は傷を負いましたが、あのまま戦っていたとしても、負けないと思います」
ふっと軽く笑って、そんなことはないと言おうとしたが、言えなかった。
セイバーの表情は真剣そのものだ。そして真実、俺が負けないなどと思っているらしい。
「貴女は負けない。そしてそれが貴女だ。貴女は確かに勝てないかもしれない。ですが負けることもきっとない。それは剣が強いとか、才能があるなどといったものではありません。ただ、貴女はそのあり方が強い。貴女は立派な戦士だ。そのことを誇りこそすれ、卑下することは私が許さない」
力強く、言葉が響く。
そして、セイバーは緩やかに微笑を浮かべた。
「買いかぶりすぎだろう。私自身はとてもそうは思えない」
そう言いながらも、俺は心の中で、彼女の言葉を反芻する。
負けない……か。
それは真実俺の生き方。
「良いのです。たとえ貴女が信じなくても、私は貴女が強いことを知っている。そして貴女は私がそう思っていることを知っていて欲しい。だからこそ私は気づくことが出来た―――――」
ん? なんだ、今の違和感は。最後にセイバーが何か言ったようだが。
だが、呟くように放たれた言葉は聞き取ることは出来なかった。
違和感など今はどうでもいいことか。
会って間もないというのに、セイバーがそう思ってくれていること。
ならばそれに応えよう。
彼女が俺のあり方を強いというのならば、俺は自分のあり方を貫き通す。それにしても
「君の強情さにはさすがの私も負けるよ」
本当は感謝したいのに、ついそんなことを言ってしまった。
ずいぶん俺もあの頃から変わったと思い知らされる。
「なっ、強情なのは貴女でしょう、アーチャー。訂正してください」
「む、そろそろ戻ろうセイバー、凛たちが学校へ行く時間だ」
「つっ、待ちなさい! アーチャー!!」
道場を出た俺をセイバーが追ってくる。
聖杯戦争の最中にいささか不謹慎かもしれない。
でも、こんなことも悪くはないと思ってしまう。
もう何度見たのだろうか。顔を真っ赤にして追いかけてくるセイバーが堪らなく愛おしくて、悲しかった。