朝食後、いつものように出された大量の肉をいつものように腹に詰め込み、いつものように浅い息を繰り返していると、昨日帰ってきたばかりのハーディさんから声が掛かった。
同時に革袋がテーブルに置かれ、ジャラッという金属の音が放たれる。
「これが今月分の給金だ」
「ありがとうございます」
いつものことだが、革袋はずっしりと重い。
「ところで大学の人員選びはどうなってる?」
「そうですね、やっぱりそれなりに有能な人や熱意のある人は一度目の募集に応募してきていますので、中々人が集まらないのが実情です」
仕事としてはこれから先が大変な所なのだろう。集まらない募集人数、高まらない質。これからの困難が容易に想像できる。
それを思うと浅く繰り返していた息の中に深いものが一つ入った。
「今月分はどうだ? すでに選考は行っているのか?」
「一応選考は終了しています。ただ、やはり質が難しい所で、合格か判断に迷う人が数名いる程度ですね」
「なるほど、ちょうど良かった。実は今月からもう大学の人員は送らなくて良いという話だ」
「……ぅえっ?」
自分でも驚くほど間抜けな声が出た。
「もう大学での人員集めはしなくて良いとのことだ」
ハーディさんは同じ内容を繰り返した。意味は分かる。理由は分からない。
前回ガイスへと送ったのが10名をちょっと越える程度だ。
全員採用したとしても必要な人員には到底届かないのではないだろうか?
既に必要な人員はそろっていた? あるいはほぼそろっていたということになる。
そういえば、ノーディはこことは別に港街にも大学があると言っていた。
そちらに別の人員が向かい、大量の人員を獲得した。あるいはしていたという可能性もあり得る。
原因について考えているとネスティアさんがお茶を置いてくれた。
「いいじゃない。これで修行に専念できるでしょう? 」
「……それもそうですね」
何しろ、指令を出している腹黒領主は遠いガイスの地に居るのだ。近くても真っ黒で中身が見えないのに、こんな離れた場所からあの人の腹の内を見るのは到底不可能だろう。
そしてそれよりも、目の前のネスティアさんが浮かべているサディスティックな笑みに、血の気が引いて行くのが分かった。
「やることはいつもと変わらんさ、それじゃあ道場で待っているぞ」
そう言ってハーディさんは席を立った。
久々にハーディさんと行う修行は辛いものとなった。
ハーディさんの動きは見える。だが、回避が間に合わない。
刀を振っていると、その隙にハーディさんが木刀を差し込んでくる。
刀の振り終わり、振り始め、あるいは持ち手を変えている隙が狙われる。
肩を打たれ、床に転がされるたびに脳を焼き斬るような痛みが奔った。
「ガッ」
口からは、意味をなさない呻きが漏れる。以前よりも、さらに痛みが増している気がした。救いは痛みが後を引かないことぐらいだ。
だが、転がされた回数はもうすでに二十回を優に超えるだろう。
身体へのダメージよりも先に、心が折れてしまいそうだ。
四つん這いになった身体が重かった。視線が床から離れない。立ち上がれない。
立ち上がりたく、ない。
「ほれ、いつまで寝ているんだ?」
鳥肌が立つ。反射的に顔が上がった。
一瞬だけ、ほんの一瞬だけだがハーディさんの雰囲気ががらりと変わっていた。
いつもハーディさんから感じる存在感とは似て非なる――禍々しく、粘度の強い、あれが殺気というものだろうか。
このまま起き上がらなかった場合、何が起こるのかは想像できないが、起き上がらないという策が下の下だということは分かった。歯を食いしばる。
九割の恐怖と一割の怒りを糧に何とか立ち上がった。刀を構える。
左側に立っているハーディさんから意識を外せない。
一つ刀を振り、持ち手を右手へと変え、もう一つ振る。ハーディさんが視界の外へと消えた。
同時に動く気配がした。左半身が粟立つ。
イヤダ、イタイノハ――イヤダ!!
脊髄反射を生んだのは、本能か、身体に刻み込んだ経験か。
膝を抜き身体を沈める。重力に任せるだけでなく身体にひねりが加わる。
左手を柄に添え、身体は右へ、反動を使って刀を左へ――
左から迫りくる木刀から逃げるだけではなく、迫りくる脅威を叩き落とす。
「あぁっ!」
漏れる声。
手ごたえは、無い。
だが、襲ってくる衝撃もなかった。カラカラという乾いた音だけが響く。
「今のは中々だ」
ハーディさんはさっきと同じ位置に立っていた。
先ほどと違うのは、ハーディさんが持っている木刀の先が五分の一ほどなくなっていることか。
反射的に後ろを振り返ると、道場の隅に木刀の切っ先が転がっていた。
「その感覚を忘れるな。今日はここまでだ。薪割りもやっておくように」
「……はい」
スキルがなければ、どんな動きをしたか全く思い出せなかっただろう。
昼食後、逃げるように街へと出た。喧騒が耳を付く。
強くなるという意思はすでにぼろぼろだ。
なにか気晴らしでもしようと、ずいぶん重くなった革袋を取り出した。
中身は銀貨45枚。まぎれもない俺の全財産である。
今回はなぜか給料も増えていた。今まで銀貨25枚だったのが今回はなぜか30枚あったのだ。
このタイミングで昇給ということもないだろうが、せっかくもらった物。有意義に使いたい。
辺りを見回しながら、喧騒の大きい方へと歩みを進めた。
「さぁさぁ、南の果物だよ! 甘くておいしいよ!」
「東の大国から来た新商品! 他の店じゃ手に入らねぇぞ!」
「地下街から出てきたばかりの武器いろいろありますよ! Cランク以上の武器も!」
祭りか何かだろうか? 地下街の近くにある広場はいつも以上に盛り上がっている。
子どもたちはいいにおいのする出店をまるで宝石のように見つめ、大人たちは道具を真剣な顔で見つめている。
どの店も客を呼び込むため大きな声で商品の宣伝に余念がない。珍しいものにはつい目が行ってしまうので、しつこく引きとめられることもあった。
そんな中、以前感じたことのある気配がした。
辺りを見回と、少し離れた所でバルディとゴッティさんが出店を覗いているのが見えた。
近付いてみると道具屋の様だ。
「何見てるんですか?」
答えてくれたのはバルディだった。
「ん? ああ、シュージか。探索に役立つ道具がないかってな。 こういう祭りの時は相場より安くなることもあるから」
「そうなんですか。 何か良いものはありましたか?」
「それなりに。 だけどこういう時は不必要な物でもつい買ってしまうな。 散財してしまったよ」
「いいじゃねぇかよ。こんな時に使わないで何のための金だっつう話だろ。せっかく稼いでるんだ」
そう言っていつものように豪快に笑う斧使い。
「まぁ、そうだけど。僕は後悔するような使い方はしたくないの」
「後悔なんてモンは後ろを向いてるからするんだよ。若者らしく前向いとけ」
そう言ってゴッティさんはバルディの背中をばしばしと叩く。……本当にばしばしという音が聞こえてくる。バルディは慣れているのか全く痛そうな表情を見せないが。
「参考のためにどんなものがあったか教えてもらっても良いですか?」
その言葉に二人が微妙な表情を見せた。
「まぁ、教えるのは構わないけど……正直参考にはならないと思うよ?」
「そうなんですか?」
「まだ始めて間もないとはいえ、これでもサーチャーの端くれだからね」
「探索用の物を買ったんですか?」
「いや、そうじゃなくて……まぁ実物を見せた方が早いか」
そう言うとバルディは腰にぶら下げた袋から瓶詰の液体を取り出した。
「これは“女神の抱擁”という薬で、飲むと痛みを感じにくくなり、傷が早く治る――」
「それ! どこで買えますか!?」
バルディの目が丸く開かれているのが、ひどく滑稽に映った。だが、今のおれにとってその薬はホントに、ホントにのどから手が出るほど欲しいものだ。
「おいおい、どうした? 落ち着けシュージ」
ゴッティさんが止めに入ってきた。バルディはパクパクと口を動かし、酸欠の魚のようだ。その姿に自分が取り乱してしまったことに気付いた。
「す、すいません」
「い、いや、良いんだ。驚いてしまっただけだから。それにしても君がそんなに取り乱す所なんて初めて見たたよ。何かあったのか?」
なんて答えるべきだろうか? 修行がつら過ぎてそれを和らげるためにと正直に言うべきだろうか? ……かなり情けない気がするが。
「……まぁ何か事情はあるんだろうけど、これ銀貨四枚だぞ? これでもかなり相場よりは安いんだ。僕らがハンターやってた時でもこんな薬買ってなかったっていうのに」
銀貨四枚……確かに高いがそれで今後の修行が楽になるなら安いものな気がした。だが、バルディの言い分からあまりあっさり買えるというのもやはり問題があるのだろうか?
「それなら金は何とかしますんで……せめて安く売ってる場所だけでも教えてもらえませんか?」
俺の言葉にバルディとゴッティさんは顔を見合わせる。二人とも苦虫を噛んだような顔をしているのが印象に残った。
二人に連れられ、広場の奥へと歩みを進めた。奥へ行くほどサーチャーが多いのか、辺りから強者の放つ気配を感じた。
「ここが買った店。まだ在庫があるかは分からないけどね」
バルディに紹介された店は一見すると他の露店と変わらない。日よけのテントと商品を敷いておくための敷物だけで構成されている至ってシンプルな店構えだ。だが、その店は他の露店よりも少しだけシンプルだった。敷物の上には薬と思しき液体の入った茶便が並べられているだけだった。
「また来たのか。中々景気がよさそうじゃないか」
煙草をくゆらせている女店主がけだるそうに言った。長いキセルの先から上がる紫煙が店主の妖艶さを際立てる。
「今度は俺じゃなくてコイツだよ。景気はそんなに悪くないけど、この店で何度も買い物できるほど良くもないからね」
女店主の視線がバルディからこちらへと移った。流れるような黒髪がサラサラと動く。値踏みするような視線を頭から足先へと移し、また頭へと戻す。女店主の顔を正面から見ていた俺からは形の良い眉が微かに跳ねたのが分かった。
「誰かと思ったらハーディんとこのボウヤじゃないか」
「……どこかでお会いしましたっけ?」
「いや、俺が一方的に知ってるだけさ。お前とハーディはお前が思っているよりは有名だと思うぞ」
そう言うとこの話は終わりだと言わんばかりにキセルをくわえた。女性の一人称が“俺”というのは珍しいと思ったが、彫刻のように整った顔立ちは性別を超えていて、違和感を感じさせなかった。
紫煙を虚空へ向けて吐き出すと視線だけはそちらに向けたまま口を開く。
「で、だ。何が欲しいんだ?」
「ええっと、バルディが買った……」
「“女神の抱擁”が欲しいんだと」
言葉に詰まっていると他の薬を見ていたバルディが助け船を出してくれた。
「は? なんでハーディの弟子がそんなもん欲しがるんだ? あそこならほとんどの傷が瞬時に治せるぐらいのモノがそろってるだろ?」
「いや、どちらかというと痛み止めとして欲しくて……」
そのセリフにバルディとゴッティさんが目を見開いてこちらを見つめてきた。なるほど、これが驚いた人の気配なのか。
「まぁ確かにそういう効能があるのは事実だが、ずいぶんと豪勢な使い方をするものだな」
「他に痛み止めがあるのならそちらでも良いんですが……」
「一時的に痛みを感じなくするような薬ならあるが、女神の抱擁のように身体変化薬ではないな」
「身体変化薬ですか?」
店主は軽くため息をつくとキセルをバルディへと向けた。バルディが店主の方を向く。
「身体変化薬ってのは何かだと。教えてやれ」
そう言ってアゴをクイッとこちらへしゃくった。
「身体変化薬って言うのは飲むと身体に変化のある薬の事で、“女神の抱擁”もその一つなんだ。普通の薬と違うのは効能がずっと続くことなんだけど、その分どうしても普通の薬よりも効果は薄くなるね。だから使う人は定期的に飲み続けて効果を重ねて行くことが多いかな」
バルディが説明してくれた薬の効能はこちらの想像以上のものだった。つまりは一度飲めばずっと修行が楽になるということか。なんて素晴らしいアイテムなんだ。あとは……いくつ買うか。それが問題だ。
「一気に二、三本飲んでも大丈夫なんですか?」
その言葉に驚いた顔を見せたのは女店主だった。
「そんなに買うのか? いや、まぁ金さえ払ってもらえればこっちとしては文句はないが……あぁ、重ねがけについてだったな。
薬の種類にもよるんだが、効果が高いものほど重ねがけには期間が必要になる。女神の抱擁は副作用がほとんどないが、重ねがけには10日の期間が必要だ。それに効きは重ねがけするほどに落ちて行く。効果があるのは……大体10本までだ」
10本、銀貨四十枚だ。買えなくはないが、とりあえず様子見ということで三、四本にとどめておくのがベストだろうか?
「じゃあ……四本ください」
『四本っ!?』
バルディとゴッティさんの声が重なった。バルディにいたってはそこからさらに言葉を重ねる。
「強くなりたいんならそれで武器でも買った方が良いって!」
バルディの言うことはもっともである。今の俺の目的は“強くなるための修行に専念するため”の物なのだ。それがどれだけ後ろ向きか、回りくどいかは自覚していた。
「それはそうなんですが……それでも、今の俺に必要なのは強い武器よりもこの薬なんです」
「……勇者の修行でか?」
ゴッティさんが珍しく真剣な声で尋ねる。
今さら誤魔化しようもない。素直に首を縦に振る。
「シュージ、それはお前……騙されてるんじゃないか?」
ゴッティさんの口調は、疑問形ではあったが……確信を含んでいるように聞こえた。