「おいおい、あまり見せつけないでくれないか?」
ファールデルトはこちらから離れるとデイトリッヒさんに向けて叫んだ。
「そういうつもりではありません!」
「そうかい? なら良いんだけどね。じゃあ私はシュージ君の服を選んで来るから……節度あるお付き合いを頼むよ?」
そう言ってドアが静かに閉じられる。
ファールデルトはそう告げた父親に対して精一杯に下を出していた。
「……まったく、冗談にしても性質が悪すぎますわ。ねぇ? シュージさん」
そう言ってこちらに同意を求めてくるが、おそらくデイトリッヒさんの最後の一言はそれなりに本気だっただろう。あれを発した時の視線は、ファールデルトではなくこちらを見ていたのだから。ファールデルトには苦笑だけを返しておいた。
「先ほどの話の続きをいたしましょう? 他にはどんな発明品があったのですか?」
尋問はデイトリッヒさんが見繕った服を持ってくるまで続いた。製造方法が分からないと見ると、ファールデルトは各道具の使い心地やどんな改善点が考えられるかなどの専門知識を必要としない質問に切り替えてきた。それによって、こちらも頭を使う破目になり非常に疲れてしまった。
デイトリッヒさんが直々に持ってきた服は黒を基調としたもので、ところどころに銀の刺繍がなされている。予想していたものよりも大人しめで問題なく着れそうだ。
「どうもありがとうございます」
「こちらが誘ったんだからこれくらい当然さ。晩餐会が始まるまであと半刻程あるからゆっくりしておいてくれ」
「では私もそろそろ着替えに行ってきます」
そう言って立ち上がったファールデルトは優雅に一礼すると付き人たちを伴って部屋を出ていった。デイトリッヒさんもそれにならって出ていく。
着替えも終わって一息つくと再びデイトリッヒさんが再び部屋を訪れてきた。
「シュージ君、服のサイズはどうだい?」
「ぴったりですよ。ありがとうございます」
デイトリッヒさんは満足そうにうなずくと急に顔を引き締めた。
「ところで……君はファールデルトのことをどう思ってるんだ?」
……わざわざそれを尋ねに来たのか。
「いや、いい娘だとは思いますが、どんなも何も今日初めて会ったんですから特にそれ以外の感想はないですよ?」
「なるほど、君のおじいさんが発明家だと言っていたが、ここに来たのもそのおじいさん関係かね?」
「はい。私の持っていた道具に関心を持たれて、ここに招待されました」
「そうか、では先ほどもその道具について話していたのか?」
質問はさらに続く。確かに抱きつかれてあたふたはしたが、それにしても疑いすぎではないだろうか。
「はい、使い心地や改良の余地について大量に質問されました。……正直少し疲れてしまいましたね」
「……そうかね。いや長々と尋問のようなことを続けてすまない。あれで一人娘でね。君がただの友人と言うなら良いんだ」
こちらをじっと見つめた後、嘘はないと判断したのだろう。張りつめていた空気が弛緩する。
「領主の娘さんともなるとそういう噂は命取りになりかねないでしょうからね」
「いや、理解が早いようで助かる。色々と複雑な時期でね。もうしばらくすると使用人が来る手はずになっている。晩餐会の会場には彼に連れて行ってもらいなさい。それではまた後で」
そういうと踵を返した。
「はい、また後で」
さすがに街の領主が主催するだけあって、晩餐会は非常にきらびやかな物となっていた。
色とりどりのドレスを着たご婦人方に、それをエスコートする男性陣。テーブルの近くには鮮やかな盛り付けがなされている数々の料理に舌包みを打っているお客もいる。それらを全力でもてなす接待係は笑顔ながらも全力を尽くしていることが窺える。
接待係から受け取った食べ物と飲み物を胃袋へと収めた後は、できるだけ目立たないように壁際にたたずんでいた。
晩餐会には壁際に何人か護衛が配置されている。華やかな晩餐会で無粋なそれらは嫌われるのか、周りが比較的すいている。その近くに立ち、壁を背にしていればあまり人は寄ってこない。のんびりと思索にふけっていると隣に立っている護衛が目に入る。どこかで見覚えのある顔だ。
――昨日広場で見たグランツさんだった。今日は無言で左右に視線を振っている。そういえば軍は領主直属だったかと考えていると、人をかき分けてファールデルトが現れた。白のドレスはグラデーションがかかっており、足元にかけてピンク色になっていく。先ほどまで下ろされていた髪は複雑に編みあげられており、この短時間でこれを仕上げた職人の腕に感動すら覚える。
すぐそばまで来るとファールデルトは満面の笑みを浮かべた。
「ダンスのお相手をしていただけませんか?」
周りから好奇の視線が注がれてくるのが分かった。目立ちたくなかったのだが……この状況ではもはや不可能そうだ。
「上手く踊れないと思いますが……」
「問題ありません、誰でもはじめは下手な物です」
どうやら逃がす気もないらしい。デイトリッヒさんに見られていないことを祈るばかりだ。
「では、手ほどきお願いしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
ダンスを行っている一帯では音楽が流れており、動き回るためだろうか、周りよりも人口密度が低い。ファールデルトが告げてくる様に曲にあわせて動く。
「そんな流れで問題ないですよ。初めてにしてはリズムが取れてますね」
「指導が良いおかげかな」
「これなら大丈夫そうですね。そのまま反応せずに聞いてください」
かろうじて聞こえる声で告げてくる。
「じつは、今日シュージさんがおっしゃっていたわだかまりというのは、私が以前から王都にある大学に行きたいと頼んでいることなんです」
このままダンスを中断して帰りたい願望に駆られる。
「そこで、シュージさんは父に気に入られているようですし、説得を手伝っていただきたいのです」
「そんなのできるはずがないだろ」
ファールデルトと同じ声量で抗議を伝える。
「大丈夫です。シュージさんの腹芸と私の情熱があるのですから」
大丈夫な理由になってない。
「そういう問題ではないだろう?」
「詳しい話はまた後で、すでにプランは考えてますので」
そう告げられると同時に曲が終了した。
「初めてとは思えないほど上手でしたよ」
少し離れて告げてくる。ここで抗議などしたらさらなる視線に晒されることになるだろう。
「……ご指導の賜物ですよ」
かろうじてそう返すことが出来た。
「いえいえ、きっとシュージさんの才能が素晴らしいのですよ。では、失礼します」
隣を通り過ぎる際に「父上のスピーチの後、テラスへ」とつげ、人波にのまれていった。
ファールデルトとのダンスが終わった後は先ほどの影響だろう。こちらをちらちらと窺い見る視線とそれに伴う雑音が発生していた。
「……ファールデ……、……った……」
もともと良くなかった居心地が加速度的に悪化して行くのがわかる。特に年若い男性は時折怒りのこめられた眼差しや嘲笑の笑みをこちらに投げかけてくるので、できるだけ視線に入れないようにする。こうなってしまえば、あとできることと言ったら時間が過ぎていくのを祈るばかりだ。
「やぁやぁシュージ君、私が直々に招待した客人が壁の花とはいただけないねぇ」
辺りの視線がこちらを覗き見るものから凝視するものに変わった。……絶対に確信犯だ。娘と同じように人をかき分けて現れたデイトリッヒさんは、両手を大げさに広げてこちらへと話しかけてくる。
「そんな隅では晩餐会の空気を十分に味わえないだろう? もっと華やかな場所へ来たまえ」
そういうと肩に手をまわしこちらに囁く。
「さっきはファールデルトと親密そうだったねぇ」
……やはり見られていたか。俺の希望的観測は見事に打ち壊された。
「誘われた以上は断ってしまうと顔に泥を塗ることになると思ったのですよ」
せめてもの抵抗にと囁き返す。
「そうかい? 君なら上手く切り抜けることも出来たろう?」
確かにファールデルトと密着できるだろうダンスに心ひかれなかったと言えば嘘になるが、あの状況を切り抜ける方法などに覚えはない。デイトリッヒさんは顔を離すと今までとは全く異なる口調で告げてきた。
「是非中央へ来なさい。刺激的な話ができるよ」
顔は笑っているが、こちらに拒否権は存在していないだろう。そういうとデイトリッヒさんは会場の中央へと向かって歩き出す。
仕方無いのでそのままついていく。どうやら中央には貴族連中が集まっているらしい。話の内容に耳をそばだててみると何処何処の特産品を買っただの、何とかという画家の絵が素晴らしいだの、正直どうでもいい話ばかりが聞こえてくる。
前を歩いていたデイトリッヒさんが歩みを止めた。
「これはこれは、お忙しい所このような場に足を運んでいただけてありがとうございます」
どうやら客の対応をしているようだ。こちらにかまってる暇がなさそうなら逃げるのだが……周りの様子をうかがう。
「紹介したい人物がいるのですよ。こちら、今度から私の第三秘書を務めることになった…」
あまりにも突然な言葉に顔を前に向けると、デイトリッヒさんは横に一歩動き、その前に居た人物が視界に入る。こちらを無表情に見つめている少年は――
「流亡の薄弱者――シュージです」
縁剣隊に居たキツネだった。
縁剣隊の少年――おそらくアッサムというのだろう――はこちらを無表情で見つめてくる。
「それはそれは、第三とはいえその若さでデイトリッヒ殿の秘書を務められるとは、さぞ優秀なのでしょうな」
「ええ、それはもう。良い拾い物をしました」
そう言って満面の笑みを浮かべている。こちらとしてはどういう対応を取るのが正解なのか分からない。下手に口をはさむと後々碌なことになりそうにないが、かといって流されるままでいいはずもない。――考えろ、思考を一歩でも前に――
「……そういえば流亡の薄弱者と言いましたかな?偶然にも書類の整理をしていたときにその名を見ましたね。珍しい名前を与えられているもので良く覚えていたのですが、確かこの街に来たのは昨日だったはずでは?」
「ええ、実は以前近くの街を査察していたときに見かけましてね。少し話をしてみたところ驚くほど聡明だったもので機を見てこちらに赴くように勧めていたのですよ」
対応を考えている間にもどんどん状況が悪化しているように感じる。内心の焦りを何とか押しとどめ、デイトリッヒさんの思惑に思いを巡らす。
「やっとこちらに来てくれたと思ったら、なんでも早速貴族相手の人売りを逮捕したとのことではないですか。できることなら軍の方で裁きたかったのですが、そこは 私が詳しい事情を説明しなかった不手際、まぁ誇り高き縁剣隊さんに任せるというのも決して間違ってはいないのですからよしとしました」
周りにいた貴族たちの挙動が止まり、こちらを凝視している。一つ、閃く。女将の言っていた軍への批難が脳内に再生された。今回、俺が動いたことで縁剣隊は軍を出し抜き、再び貴族の犯罪行為を取り締まる機会を得たことになる。これによりこの街の庶民からの支持が益々縁剣隊よりになることを軍としては許容できないのでは? だが、そのきっかけを作った俺が軍の側で――
「お客さま方には申し訳ないのですが、少々お付き合いいただきます。この中に人身売買に手を染めた方がいらっしゃいます」
周りにいた軍の護衛が持っていた槍を一斉に構える。――縁剣隊との協力体制を引いているという体を見せたとしたら?
「さ、アッサム様どうぞ連行ください」
話を急遽振られたアッサムはそれでも表情に変化はない。懐からベルのようなものを取り出し、音の鳴らないそれを振るとドアの外から三人ほど兵士が入ってくる。
「グレスター卿を取り押さえろ」
静かな、それでいて良く通る澄んだ声でそれを告げた。三人の兵士はデイトリッヒさんの発言から先、明らかに挙動のおかしかった一人の男性を囲む。
「ヒィッ!な、何をする!?」
がりがりの体躯に禿げあがった頭を持つその男性はぎょろぎょろと視線を左右に動かしながら批難の声をあげる。
「奴隷商人のバイツが白状しましたよ。あなたが彼から奴隷を買い上げていたことをね。それではデイトリッヒ殿、ご協力感謝いたします」
アッサムは抑揚のない声でそれだけを告げると踵を返し会場から出て行った。
「ち、ちがうっ!! そんなことするはずがないだろう!!」
グレスター卿と呼ばれた男性の必死な叫びもむなしく、兵士たちは淡々と彼を連行して行った。
「さて、皆様。皆様の大事な時間にこのような形で水を差したことを深くお詫び申し上げます。また別の機会を設けますので、本日の所はお引き取り願います」
そう言うとドアの外から給仕人がテーブルを押して入ってくる。
「心ばかりの品ですが、本日のお詫びの品です。お持ち帰りください」
そういうと来客達は戸惑いながらもお土産を受け取り帰って行った。
「俺を晩餐会に誘ったのもあれが目的だったんですね?」
来客が全員引き揚げた後、最初に通された客間で反対側のソファに座っているデイトリッヒさんに尋ねる。
「そうだよ。君を第三秘書にしようと思ってね。そのお披露目さ」
「とぼけないでください。民衆に対する軍のアピールでしょ?」
「……まぁ隠し通せるものでもないね。その通りさ。以前、貴族の息子を捕え損ねた時はずいぶんとイメージが悪くなってしまったからね」
「まぁそうでしょうね。犯人が分かっても逮捕しないようではイメージも悪くなるでしょう」
「あれは犯人がわかっていたわけじゃないのだけどね。こちらは貴族の立てた身代わりの捜索にかかりっきりだったのさ。まぁ騙されたこちらが悪いのだが。それが市中では犯人が貴族だから逮捕しなかった軍という、より一層不名誉な形に変わった」
デイトリッヒさんは椅子に深く座りなおすと、まったく……とため息と一緒に吐き出した。
「足の引っ張り合いですか?」
「その噂が縁剣隊からでたのか、軍に恨みを持つ他の誰かから出たのかは分からないさ。間違いないのはその噂で一部からの軍の評判が極端に悪くなったということだけだよ」
「一部からというのは?」
「軍の隊舎がある街の北側ではそこまでひどくはならなかった。だけど縁剣隊の隊舎がある街の南側では軍の評判は地に落ちた」
得られた情報を整理して行く。今までにあった情報、街を歩いて感じた雰囲気との比較を行い、頭の中で検証する。するとデイトリッヒさんが苦笑をこぼす。
「いや、失礼。先ほどとは逆にこちらが尋問されているようだと思ってしまってね」
「いきなりダシに使われたのだからこれぐらい良いでしょう?」
「いや、ファールデルトが連れてきたのが調査を行っていた流亡の薄弱者だと知ったときには天啓だと思ったよ」
実にうれしそうに語る。
「まぁおかげで仕事が手に入ったのでチャラにしておきます。あんな場所で公言したんだ。まさか嘘ということはないですよね?」
「君さえ良ければね。もちろんそのつもりさ。仕事……探していたんだろう?」
「ええ、是非よろしくお願いします。あ、最後に一つ良いですか?」
「なにかね」
「これは好奇心からの疑問なんですが……グレスター卿というのはそんなに大物なんですか?」
「……いや、貴族としては中間程度の規模だが……それがどうしたのかね?」
「いや、40人近い人間を買うなんて、よほどの大物なのかと思ったのですが……さすが貴族と言うだけあって金があるんですねぇ」
感心してしまう。
「……君がもし人身売買を行うとしたらどんな問題点が挙げられると思うかね? 金はある程度あるとしよう」
「ざっと考えると、顧客の確保と……引き渡しの方法、それに検閲の回避ですかね?」
「ではそれを回避するにはどうする?」
「……顧客の確保は別の健全な取引を通じて相手の性格把握に努めます。引き渡しと検閲については治安維持組織あるいはその一員を買収することで回避できる確率は跳ね上がると思います」
「つまりはそういうことなのだろう。軍の評判が悪い南側では治安維持はほぼ縁剣隊のみが行っている。一旦街に入ってしまえば相手の屋敷で取引を行うことだって可能になる。
縁剣隊の聴取によってグレスター卿は単独犯として仕立て上げられこの一件は終わり。背後に居た大物はまんまと逃げおおせる。という形になる公算なのだろうね」
「良いんですか?それで」
「何、手は打ってあるさ。うちからも一人尋問に出して軍と縁剣隊の二人体制で尋問を行うことになっている。これで聴取の内容をごまかすことはできないだろう?」
そう言って凄絶な笑みを浮かべるデイトリッヒさんには百獣の王のような威厳があった。
「ところで、なんでファールデルトとあんなに親密そうだったのかな?」