Extra Part :デイ・ブレイク・デイ
窓の外は雪景色。
『駄目よ黒斗! あたしたち姉弟なんだよ!?』
おこたみかん。
『だったら叩くなり押しのけるなりすれば良いじゃないか! 手で隠そうとすらしない段階で、姉ちゃんだって……っ!!』
古めかしい灯油ストーブの上には、シュンシュンと鳴っている、薬缶。
『そ、それは、その……―――だって、黒斗が、そんなに……見る、から』
座椅子に座布団乗せて、ジャージで、どてら着込んで。
ついでに眼鏡は実用重視のレンズの大きい黒ぶちだった。
『見たいんじゃ、無い。―――触り……いや、触る。……止められたって、触ってやるからな、姉ちゃん』
それでもって、ノートパソコンにUSB接続した小型のマウスをカチカチカチカチカチカチと……。
「―――姉さん」
「何かしら、ロッサ」
つれない返事は、視線すら合わせられず。
礼儀を重んじ節度を守れという、ベルカの教えに真っ向から反するその態度。
ヴェロッサ・アコーズは、義姉であるカリム・グラシアのだらしないに過ぎる態度に、涙が出てきそうだった。
「新年のミサにも参列しないで、何してるのさ……」
「ベルカの暦とこの世界の暦とは違うのだから、別に良いじゃないですか」
「今年はベルカ―――と言うかミッドだけれども―――とこの97管理外世界との暦の周期が、たまたま新年初日に一致するんだって……確か大分前から解ってたはずだよね?」
「ああ、ですから今日はシャッハの姿が朝から見当たらないのですね」
ディスプレイの脇についたスピーカーから漏れるわざとらしい喘ぎ声をctrキーを押しっ放しにすることによりスルーしながら、カリムは言った。
そのほんわかとした態度は、格好のだらしなさにさえ目をつぶれば身内であっても愛らしく見えてしまうものだったのだが―――如何せん。
「風邪引いたフリして代理を押し付けておいて、よく言うよ……」
義姉が病床に臥せっているとベルカ大聖堂でシャッハから聞いて駆けつけてみれば、この有様である。
正直な話、ヴェロッサは手に持っている見舞い用のフルーツの詰め合わせのバスケットを、思いっきり叩きつけてやりたい衝動すら覚えていた。
義姉にではなく、淫猥な画像を一面に広げているノートPCにだが。
「シャッハ、もの凄い愚痴ってたよ。カードの支払請求に、変な会社の名前が沢山並んでるって」
「あら、結構メジャーなブランドにしか手を出していませんのに」
「マイナーな業界のメジャーなブランドなんて、誰も解らないって……って言うか、教会の経費でそういうゲーム買うの止めようや」
「何を言うのですか、ロッサ。こういった地道な社会勉強を続けてこそ、私たちのような異邦人が管理外世界の文化風俗に溶け込めるのではないですか」
勉強ですよ勉強と、カリムはしたり顔で選択肢前セーブを行う。手馴れた動作だった。そして、選択肢を選んで数クリック後にはバックログジャンプを行っていた。
セーブした意味あったのかと、ヴェロッサは義姉がやっていることが理解できてしまう自分が死ぬほどイヤになった。
「文化風俗って言うかそれ、どう考えても性風俗の範疇だよね……。僕には割りと今更だと思うけど、クロス君には気づかれないようにしなよ―――って言うか、そこで寝てるみたいだけどさ」
コタツの一角に体ごと突っ込んで眠っている、翠緑色の特徴的な髪色をした少年をヴェロッサは指し示す。
クロス・ハラオウン少年。
何時もより髪の青が濃くなっているように見えるが、気のせいだろうか。
子供向けのトレーナーを乱雑に着込んで寝転がっている姿からは想像しがたいことではあるが、これで教会最上位クラスの騎士だったりする。
「此処に島流しにされてからすっかり牙も抜けちゃった空気もあるけど、クロス君、基本的にはストイックな人だしねぇ」
どう考えても二次元でドリームな義姉の趣味とは相容れないだろうなと、ヴェロッサは考えている。
「そうね。大変よね、こんな趣味がバレたら」
「解ってるんなら、さぁ……」
「大丈夫よ、”直接現場を押さえられなければ、親しい人でも誤解したまま”だもの」
クスクスと、何をそんなに楽しそうなのかというくらい可笑しげに笑いながらカリムは義弟の言葉に頷いた。
「そりゃ、姉さん外面は良いし、クロス君もあんまり他人に興味が無い人だから、直接見られさえしなきゃ姉さんにどんな趣味があっても平気だろうけど……―――流石にこの状況ってどうなの」
あらゆる意味で。
ほんの半年程度前までは、次代のベルカの中枢を文武担って立つべき二人とすら言われていたコンビなのに、管理外世界の僻地で、片やコタツで丸まって居眠り、片やエロゲーである。
聖職者が迎えるべき新年の態度では在り得ないだろう。
ベルカ中央どころかミッドチルダ―――時空管理局中枢すら、現在は割りと大混乱で収拾がつかない状態が坂を転がり落ちるように拡大していっている最中なのだから、手順さえ踏めば実力あるこの二人なら何時でも復帰できる筈なのに、その気配の欠片すら見せない。
十畳畳敷きの和室の真ん中にコタツが置かれたこの状況を眺めていると、二人はまるで、このままこの管理外世界に骨をうずめそうな気配すらしてくる。
そんな馬鹿な話があるか、とヴェロッサは自身の考えに失笑を覚えた。
と、そこまで考えていてふと気づく。
「―――それにしても、クロス君起きないねぇ」
ベルカにいた頃は、どこか何時も気を張り詰めている風ですらあったから、寝顔を拝めることすら稀だった。
他人が近くにいると熟睡できないと、神学校の寮生活時代に言っていたような記憶もあったのだが。
「ええ、この人パーソナルスペースが他の人よりも広く取っているみたいだから。普通なら起きてるわね」
カリムはヴェロッサの言葉を肯定した。あからさまに含みを込めて。
「……つまり、普通じゃない状況なんですね」
「ええ。―――正解は、コレ」
義弟の疲れた言葉にしたりと頷いたカリムは、膝の脇に置いてあったのだろうハードカバーの本を取り出した。
ベルカの剣十字が大きく刻まれた、辞書並みの厚さはありそうな、本。
「……闇の書、ですか」
正確には夜天の書と呼ぶべきなのだろうが、彼らの主観ではどうにもそんな雅な名前では呼びづらいところがあった。
何しろ、この本についての話題となれば、何処かの誰かの高笑いを一緒に思い出す。あと、しゃっはぱんちも。
闇の書と言うか、ぶっちゃけ、何が起こっても責任がもてない、むしろ絶対何かが起こることは確実な闇(鍋)の書扱いである。
「ドクターがコピーした十冊目の……ええと、”ディエチ”だったかしら。実験的にオリジナルに登録してあった魔法をフルコピーしてあるのよ」
「―――そういうの、”ロストロギア”って言いませんか?」
何時の間にそんな物騒なものを管理外世界に運び込んだんだろうかこの義姉。
そういえば最近、ドクター・スカリエッティはベルカ総本山の地下から出てこないなと、思い出したくないことも思い出してしまう。
最近は、地震が多いね、ミッドチルダ。―――字余り。
「それで、その融合型デバイスが、今のクロス君とどういった関係で?」
忘れよう、とヴェロッサは強引に話を戻した。カリムは微笑んで頷くのみだった。
「闇の書には融合したマスターの記憶を再構築して、本人―――どちらの事なのか、判断に難しいところだけど―――の望んだ夢を見せるって言う魔法があるのよ」
本当なら、更に夢の中に物理的にマスターの肉体すら取り込むことも出来るらしいが、今は、夢を見せているだけの状態らしい。
なるほど、融合騎と融合済みであるから、何時もと髪の色が違って見えたのかとヴェロッサは頷いて―――それから、眉根を寄せた。
「……なんでそんな魔法使ってるんですか?」
カリムはふんわりと微笑むのみだった。
…
……
…………
―――クロ、そろそろ起きなさい。
浮上する。
それと同時に、沈んでいく。
体重という存在を思い出して、体が生の重みに縛られていることに気づく。
瞼の重さを抗って、ぼやけた視界―――色のある世界。開けた闇の向こうの、それが、彼の現実。
「姉ちゃん、帰ってたの……って、そうか、正月だっけ」
日ごろ都内で一人暮らしをしており、ゴールデンウィークなどの長期休暇のときでも実家には寄り付かない姉も、流石に新年ともなれば家に帰ってくる。
彼にとっては実に煩わしい存在でもあったが―――まぁ、年に一度のことだ。
「―――、そう、よ。ヨシ君たち来たみたいだから、起きて顔洗ってらっしゃい」
「んげ……」
玄関のほうで聞こえた音は、従兄弟たちの来訪を知らせるものだったらしい。
とうとう甥っ子にお年玉を渡さねばならない立場に追いやられた身としては、ますます起きる気力が失われてくるが、頑張って、何とか身を起こして―――。
ズキンと、痛みを覚えたのは、どの部分なのだろうか。
腹か、頭か、はたまた。
なんにせよ、それで目が覚めたのは事実だ。
「―――流石に、飲み過ぎた……」
「成長期が始まったばかりなのに、酒盛りなんてするからですよ」
「ブルジョワ連中にとっては、ワインは水と変わらないらしいですよ」
薬缶のお湯を急須に移し返している呆れ声に、クロスは額を押さえながら返す。
バニングス邸から月村邸を梯子しての年の瀬、新年を祝う酒宴から帰宅したのが確か、昼過ぎのこと。
窓の外はいつの間にか、夜の闇に包まれていた。
「今、何時ですか?」
「もう直ぐ、一月一日が終わりますよ」
ノートPCでなにやら―――画面が見えずともクロスが間違えるはずも無い、エロゲのBGMがもれ聞こえているが―――やっているカリムは微苦笑を浮かべている。
「うわ、寝正月って感じですね」
「年初めを幼女とくんずほぐれつ戯れた挙句、帰ってきたと思ったらコタツで寝に入る。―――クロスさんたら、駄目人間が極まっていますね」
「年始からエロゲってるアンタには言われたく無いですけどね……」
オマケに、寒いから初詣なんてゴメンだと断言していたのだから、カリムもかなり救いようがなかった。
「さっきまでヴェロッサが来ていましたけど、クロス君がちっとも起きそうに無いからって、もう帰っちゃいましたよ」
「あ、ロッサ君こっちに来てたんですか。―――……どうせ、明日辺りミッドで会うでしょうから、まぁ良いか」
思い出したら憂鬱になってきたという体で、クロスはカリムに入れてもらった苦い緑茶を口に含んで渋い表情を浮かべた。
「ご実家はお嫌い?」
「―――言わずもかな」
「愚問でしたね」
短い言葉にこそ万感が込められているのだと、カリムもそれを理解していたから困った風に笑うだけだった。
「……ですけど」
いつもならそこで終わるはずなのに。
「親孝行は、出来るうちにしておくと、良いですよ」
カリムは不意に、そんな言葉を口にした。
「それは……」
意味は尋ねるまでもなく理解できるはずだろう。
クロス・ハラオウンの立場ならば。
母の細腕一つで育ててもらったという事実としての恩義は、否定しようも無いのだから。
でも、彼としてもう一つ。
「―――クロスさん」
どうしようもなく焦燥感のようなものを覚えてしまう胸のうちが、気づかれたのだろうか。
カリムはクロスに微笑を向けてきた。優しげで―――そして、親しげな。
「寝るのがちょっと早かったですけど、初夢は、見られましたか?」
「初夢……」
「良く間違われますけど、元旦から二日の夜にかけて見る夢こそを、指すらしいですよ」
「ああ、大晦日から元旦は、間違いなんでしたっけ? ―――俺、そもそも大晦日は徹夜でしたけどね」
ドロドログチャグチャしそうな状況だった月村邸の惨劇を思い出して、クロスは身震いした。
フリフリでピンキーでハートフルだったバニングス邸もそれはそれで大概だったが。
「それで、女遊びを繰り返して帰宅した挙句、御節を用意して待ち構えていた嫁の相手もせずに今まで寝入っていた訳ですが……どうですか? 初夢、見られましたか?」
「御節なんてシャッハ女史の作り置きだったじゃないかとか、アンタは俺の嫁だったのかとか、色々と突っ込みたいところもあるんだけど、まぁ、良いや……夢、ねぇ?」
カリムの戯言を聞き流しながら、クロスは眉間に皺を作って記憶を掘り起こす。
思い出せる事といえば。
何時もより眠りが深かったな、そう言えばと、それから。
有り触れた新年の情景―――それは、果たして。
カリムのほうを見る。
微笑。
優しげで、それから本当に、親しげな笑顔。
終ぞ見覚えが無い―――むしろ、不安を掻き立てるようなと、そう思えてしまえばそれが、真実なのではないかと思えてしまう。
「親孝行は、出来るうち……」
「はい」
「俺は、親不孝者ですかね」
怒鳴られ、貶され、不出来な自分に不貞腐れもしながら、だから余り、良い思いでも無いのだが。
そんな風に思う彼に、彼女は。
「それでも、子供が自分より先に死んじゃうなんて、親としては耐えられないわよ」
―――そう、告げた。
それは、うん。理解した。
「じゃあ―――……」
何かを聞こうとして。
「―――?」
「……いえ」
その微笑にさえぎられたような気がした。
例えばそれは、暗黙の了解とでも評されるべきものだろうと、多分、お互いの中で結論付けて。
「夢の内容なんて、一々覚えてませんよ」
全部、忘れる。
「あらら、忘れちゃいましたか」
「忘れちゃいましたね。よっぽど昨日―――いや、今日なのか? ―――とにかく、現実のほうが印象深い出来事ばかりでしたし」
「さすが幼女ハーレムを実現した漢。言うことが違いますわね」
「うっさい黙れ」
くだらない内容の会話に、全て切り替えた。
「―――ところで、ソレ。俺が買ったやつじゃないですか?」
会話中もずっと、オートモードだったせいか喘ぎ声を余すことなく再生していたノートPCを指し示して、クロスは首をかしげた。
ノートPCの脇に置きっぱなしの箱のパッケージの図柄は自室の机の脇に積みっぱなしだったソレと同一に見えた。
ジト目で睨むクロスに、カリムはほんわか微笑んだ。
「年明けですから、去年の厄落としもかねまして」
「それで、厄落としならぬ積みゲー崩しとでも? あのさぁ、姉ちゃん。いい加減俺の部屋のゲームと漫画、勝手に持ってくの止めてくれない? 戻ってくるの一年後になるんだから」
「仕方ないじゃない、自分で買うと高いんだから」
「漫画くらいならいいけど、箪笥の奥に隠してあるやつは持ってくなっての」
「アレで隠してるつもりだったのなら、アンタ、モノを隠すのが下手なのよ。パソコンのゲームって長いから、たまにやると良い時間つぶしに―――……」
空白。
現実では暗転なんて、しない。
夢のようにいつの間にか終わることも、ゲームのように場面転換することも、無い。
だから、甲高い声で朗読される淫語をBGMに、丸く見開いた目を向け合って固まる。
―――固まって固まって、それで結局。
「……まぁ、ひとが隠そうとしていることを無理やりこじ開けると、碌なことにはなりませんよね」
「そうですね。最低限のプライバシーは遵守しましょうね」
臭い物には蓋で、それはそれは現実的な対応と言えた。
「―――新年初日からこんなだと、今年一年不吉な予感しかしませんよね」
「少なくとも今日私が見るであろう初夢は、碌なものでは無いでしょうね」
「カリムさん、自業自得って言葉をそろそろ知るべきだと思いますよ」
「あら、クロスさんにこそ、その言葉は相応しいと思いますよ?」
不気味な笑みの二重奏が、海鳴りの片隅の教会から広がっていく。
現実は思ったよりもハッピーエンドのままでは居られず、センチメンタルも長続きしないのは、幸か不幸か、果たして―――。
※ あけましておめでとうございます。中西矢塚です。
昨年もArcadia様には大分お世話になりましたので、そのお礼も兼ねて、新年一筆目と筆を取ってみましたが―――。
―――何と言うか、こんな感じです、毎度のごとく。
やっぱ、絶賛永久凍結状態の遠奏の残骸でも公開したほうが良かったような気もします。
それはそれで新年からどうなのよって話なのですが。
まぁ、このSSは割と残念な空気が良く似合うと思いますので、正しいといえば正しい結果のような気がします。
後付上等で勢い任せに組み立ててみましたが、思いのほか上手く嵌っちゃったかなぁと。
残念系主人公と、残念系ヒロインみたいな。
ソレで結局どうなのよって辺りは、ご想像にお任せします。
そういえば、書き終わった後で気づいたんですが、例によってなのはのなの字も出てきませんでした。
ロッサ君のお土産を翠屋のケーキにでもすれば良かったのに。
兎角、そんな感じで。
続きとかどう考えたって無理ゲー過ぎる、とか連載終わらせた時は思ってましたが、案外なんか、出てくるときは出てくるものですね。
書いたこちらとしては不思議な楽しさがありましたが、少しでもお楽しみいただけたら幸いです。
それでは、今年もどうぞ一年、よろしくお願いします。