<このWebサイトはアフィリエイト広告を使用しています。> SS投稿掲示板

SS投稿掲示板


[広告]


No.1034の一覧
[0] エンゲージを君と[nubewo](2011/06/16 00:02)
[1] 第一話[nubewo](2011/06/16 00:01)
[2] 第二話[nubewo](2011/06/16 00:01)
[3] 第三話[nubewo](2011/06/16 00:02)
[4] 第四話[nubewo](2006/07/09 18:18)
[5] 第五話[nubewo](2006/07/17 18:55)
[6] 第六話[nubewo](2006/11/01 00:03)
[7] 第七話[nubewo](2006/11/01 00:06)
[8] 第八話[nubewo](2006/11/01 00:09)
[9] 第九話[nubewo](2006/11/28 18:10)
[10] 第十話[nubewo](2006/11/28 18:11)
[11] 第十一話[nubewo](2006/11/28 18:12)
[12] 第十二話[nubewo](2011/06/16 00:03)
[13] 第十三話[nubewo](2007/03/06 09:57)
[14] 挿話[nubewo](2007/03/06 10:26)
[15] 第十四話[nubewo](2007/03/25 22:50)
[16] 第十五話[nubewo](2007/03/31 13:16)
[17] 第十六話[nubewo](2008/04/26 01:12)
[18] 第十七話[nubewo](2008/10/23 12:32)
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[1034] 第十三話
Name: nubewo 前を表示する / 次を表示する
Date: 2007/03/06 09:57
「それじゃ始めて。」
 冷気が山肌を流れ落ち外では息の白む夜。日常とは異なる真剣さ、ある種の冷酷さを伴うその一言を合図に、己の魔術を行使する。

「投影、開始(トレース・オン)」
 行うのは、目の前に置かれた刀、その模造。
 その時代では間違いなく最高純度であろう精錬された鉄。
 正しい知識と経験に裏打ちされた練りと砥ぎ。
 息を呑むような躍動感を持った意匠。
 それらに感嘆しながらも、残念かな、潜り抜けた戦は数少なく。
 刀は秀作の中の凡作だった。そしてそれ故に再現は労を伴うものではなかった。
 手の届かぬ素材も未知なる神秘もなく、ただ作り手のその意気に感銘を受けながら、見たままを自分の手元で捏ね上げる。
 ものの数秒でできうる全てを再現し、手の内に顕現させた。
 強化の鍛錬とは違う、満足感に似た達成感がそこにはあった。

「ご苦労様。で、どう?」
 ほうと一息つくまもなく、すぐさま声がかかる。
 傍らに立つアイツはそれなりに期待感を持っているらしかった。
「ん~、まあ、そんなに難しくはなかったかな。」
 思ったままを口にするのがはばかられて、つい曖昧な言い方になる。
 ただ、知り合ったばかりの頃と違って、こちらの顔から言いたいことはおおよそ読めているらしかった。
 一応聞いてみる、といった風に確認をとってきた。
「そう……。使い物には?」
「ならないな。人知を超えるような、そういう要素が薄い。」
 素直に暴露する。それが事実である以上、そう言うほかはなかった。
 この刀を用意した俺の師、遠坂は何も言わずに額を押さえた。
「アンタの修行ってホント、やりにくいわね。これでも不満ってわけ?」
「いや、申し訳ない。」
 それなりの時間と労力をかけてこれを入手してきた遠坂に頭が上がらないのは事実だった。
 ため息を一つつくと、本物のほうを持ち上げてたどたどしい手つきで鞘に入れながらフォローを入れてくれた。
「ま、それだけ衛宮くんの投影がすごいってことだけど。」
 投影は、基本的に形あるものを再現する魔術だ。そして俺が外殻(カタチ)だけではなく、それにこめられた中身と言うべきものまで投影しきれるのは唯一、刀剣類だけだった。
 今日の鍛錬は遠坂の采配したもので、聖杯戦争後、カリバーンしか投影できなかった俺の投影のレパートリーを増やそうと画策したものの一環として半ば強制されてるものだ。曰く、ほっといたら自滅してでもアレ使いそうで怖いから、だそうだ。否定は……できるならしている。全部説き伏せられたけど。
 やることは単純。ツテを使って神秘を帯びた刀剣類を探し出し、俺に一目見せる。それだけだった。不思議と一度見た剣は心の中から湧き出すように正確に脳裏に再現されるから、今までの修行が無駄になったことは一度もない。
 しかし、
「ここまで一つもアタリ無しかあ……。まあ、準宝具級の武器なんて、そう見つかるもんじゃないんでしょうけど。」
 そう、俺にとっての『ちょうどいい武器』というのがいまだ見つかっていなかった。
 条件がなかなか難しいからだ。
 まずは俺が使いこなせるサイズであること。バーサーカーの振り回してた剣というか岩の塊、あれなんかはアウトだ。
 そして平均的な魔術師の神秘に打ち勝つだけの神秘を秘めていること。これがなければ魔術師に対しての自衛にまったく役立たない。
 そして何より。代償無しに投影できること、これが重要だった。
 聖杯戦争で見かけた剣はどれもが超一流で並の魔術師では相手にならないほどの力がある。そのかわりに、投影するリスクがあまりに大きかった。遠坂は絶対使うなとかなり強く念を押してきた。

「はあ、これでもダメとなると、本格的に世界中を探し回る覚悟が必要になってくるわね。」
 日本国内で派手に探し回るのは避けたいらしい。土地持ちの遠坂は国内のご近所さんの目を気にする必要がある、ということらしかった。小さなリスクで探し当てられるものは今日ので打ち止めらしかった。
「そうか。なあ遠坂、なんていうか、ないならそんなに無理して探してくれなくてもいいぞ。ここ何ヶ月か、魔術が必要な事態になんか合ってないし。」
 その提案への返事はジト目だった。最近はもう前ほど説教ことはなくなった。こちらが反省したからというよりは、遠坂が諦めたというほうが正しそうな気がする。
「こないだのドンパチを別にしたら、私だって学校帰りに魔術使うような事態になったことなんてないわよ。まったく、何度目かしら、衛宮くんに『私がいいって言うまで投影をしない』って誓約書を書かせること考えたの。」
 弄んでいた髪をばさっと背中のほうに追いやりながら遠坂の告げた、その何度か耳にした文句を甘受する。
 まあ、聖杯戦争中に無茶なことをやってのけた身としては、あまり強くも言えなかった。実際にはそういうものを書かされていないだけ、遠坂も無茶はしたくないと思っているのだろう。
 本当に書かされた場合、本当に行使できなくなる。魔術師の誓約・契約とはそういうものだ。
 しかし、このままでは手詰まりなのも事実、どうするのかと遠坂に目をやると、
「やっぱり中華系のものに手を出すのが早いかな。」
 という呟きが耳に入った。
「探してくれるのは有難いんだが、なぜ中国?」
 建物から内装に至るまでバリバリの洋風仕立てな遠坂家において、もっとも活躍する調理器具が中華なべであることをよく知っている身としては、変なところで遠坂と中華文化とのつながりを感じてしまう。
 魔術方面ではとんと聞いたことがなかった方向なので、聞き返さずにはいられなかった。
「教会の手があまり伸びてないからよ。アンタに合いそうな神秘は、西洋のはほとんどあそこが管轄する神秘なのよ。うっかり正十字なんかに手を出したらとんでもないことになるわ。時計塔に行こうかって身分であそこともめるのだけは勘弁して欲しいのよ。その点アッチの国はここ百年で文化的に混乱したからね。掘り出し物には出会いやすいと思うわ。」
 遠坂らしく、しっかりした読みがあるようだった。言葉の壁をどうするのかは非常に気になるところだったが、今は問わないことにした。まあ遠坂なら大丈夫だろう。まさか話せるなんてことは……まあないと思うけど、なんにせよポカをやらかすにはまだまだ早い段階だ。
「人事みたいで悪いけど、その辺は遠坂に任せる。俺一人じゃ見つけられないしな。」
「ええ。あの子のためにも、アンタをちゃんと一人前にしとかなきゃね。」
 面倒見のいい笑顔で遠坂は頷いた。
 この言葉も何度か聞いたことのあるものだった。数ヶ月前に師事することになった遠坂は、その後も師弟関係を継続するに当たってセイバーの顔を立てる、というか大事にしている感じだった。
「ありがとう。」
 セイバーという名前に心の中の何かが少し動かされながらも、とくにそれを顔には出さないで礼を言った。
 遠坂はそれで満足げに微笑んで、そのまま話を続けた。
「来年の秋までなら探しに行く暇も取れると思うし、って、あ……。」
 そこで言葉が途絶える。遠坂が止まった節には俺も心当たりが合った。
「ねえ、衛宮くん。」
「なんだ。」
「その、まだ返事を貰ってないあの話だけど。」
 それは、留学の件だった。
「ああ。」
 話したい内容はわかってる、と頷きを返すと、少し窺うような目でおずおずと切り出した。
 照れるとも媚びるとも似たようで似てないその反応は、この留学の件を話す時にいつも見せる遠坂らしくない態度だった。
「どうするの? 私についてくる?」
 何度も考えたことを、もう一度反芻する。
 魔術の勉強を本格的にしたいなら、遠坂についていくのが一番だ。ロンドンという環境はここ冬木とはやはり比較にならないだろう。
 しかし、就職、あるいはそれに変わる選択肢を考えれば、ロンドン行きは冬木市との接点が希薄になる可能性が高かった。ここを去ることは惜しくて、それだけで充分迷うことだった。
 そして、今はそれに加えてもう一つ、考えなければいけないことがあった。
「決定ってわけじゃないけど、行かない可能性がちょっと大きくなるかもしれない。」
 こっちも遠坂に負けじと態度に不信なところがあったかもしれない。
 しかし、普段の鋭さは鳴りを潜めているのか、遠坂は気付いた素振りもなく、
「ふうん、進路、決まったの?」
 と、声に残念がる響きを混じらせながら答えた。たぶん、残念がっているように思ったのは俺の自惚れじゃないと思う。遠坂は大将ぶって俺の面倒を見るのを気に入ってるようなところもあったから、その心配りを無碍にするかもしれないと考えると心苦しかった。
「いや、就職が決まったからではないんだが。」
「じゃどうして?」
「う、それは……まあそのうちわかると思う。」
 遠坂の追求を逃れて、目線をそらす。
 つい先日の振る舞いは、まだまだ俺自身にも現実味がなかった。
 遠坂から刀を預かって先に帰らせる。刀の手入れをし、散らかったものの片づけをしてから土蔵を後にした。
 涼やかな音色の虫の声が鳴る中、ふと頭に浮かぶのは氷室の顔。つい先日の、色白で疵ひとつないその頬に朱が差した瞬間を思い出していた。
 可愛いと思った。その時も、そして今に至るまでも連続して。

 ……風変わりなタイプだと、ずっとそう思っていた。
 引っ込み思案な子は桜を見てて慣れていたし、お構いなしにこっちのペースを乱すヤツは遠坂や美綴で慣れていた。だけど、氷室みたいなタイプは氷室以外には知らなかった。
 表情があまり変わらないからわかりにくくて固い感じの言葉使いのせいか、ずっととっつきにくい相手だと、そんな風にしか見ていなかった。
 そういう認識に変化があったのは、いつだったろうか。
 確か、広葉樹の葉っぱが黄色や赤に変わり始めた頃から、氷室とばったり会うことが増えた。
 他愛もない話をして、それから問われるままに昔のことを喋ったこともあった。
 よく考えれば、あれは初の試みだったのかもしれない。
 一成にも慎二にも、昔のことなんて話した覚えがない。
 遠慮したのか、あるいは聞くのをためらうようなものが俺にはあったのかもしれない。たしかに、聖杯戦争を潜り抜けて自分の過去と向き合うまでは、氷室に話したみたいに昔のことを思い返すことはできなかった。
 まあ、話し方が悪かったのか、氷室にはずいぶん気まずい思いをさせたらしい。何度も謝られたことを覚えている。

 遠坂の部屋をノックして刀を返す。母屋はもう、静まり返っていた。
 
 ……それで、突然に爺さんに呼び出し食らったんだっけか。
 何度か一緒に帰って、突然の氷室の態度に戸惑った。
 初めて意識したのは、正直に言って無理やりに抱きつかれたあの時だろう。
 それで少し目線が変わって、改めて氷室のことを見てみれば、可愛らしいところがたくさんあると気付かされた。
 だけど氷室自身は自分のことを可愛げのない人間だと思っている。そこが少し歯がゆく、そんな簡単な事実にくらい気付かせてやって、出来ることならもっと輝かせてやりたい、そう思った。

 自分の部屋のふすまを開けながら、ふと気付く。これほど深くに自分以外の人のことを気にかけるのは、それまでの自分には出来なかったことだ。

 ……誰のおかげでこんなふうに変われたのか、なんて問う必要もない。
 今はもう誰も居ない隣の部屋のほうをそっと見る。今はもう、何の面影も息づいていなかった。
 選定を間違いだったと悔やむ彼女をそれでも否定したかった、それが発端だ。
 最後に見せた彼女の微笑みはたまらなく綺麗で。その笑みの礎として、自分も一役くらいは買ってあったのではないかと、少し誇らしく思ってもいた。
 だが、過去は鮮明な現在(いま)に塗り替えられてゆく。
 今俺の心のうちを一番かき回すのは、つい数日前に触れたばっかりの気持ちのほうだった。

 着替えを持って風呂場に向かう。投影はやはりシビアなのか、汗で張り付いたTシャツが冷えて気持ち悪い。勢いよく脱ぎ捨てて洗濯機に放り込みながら、珍しく明日着る服のことを考える。
 特別なイベントだからといっていつもと違う服を着るのが愚だということくらいは悟っている。考えるといっても比較的新しくてまだ伸びていないものを選ぼう、という程度のことだ。

 氷室のことが頭から離れないのも当然か、まあ、明日は所謂デートというやつだった。
 待ち合わせは10時。場所はというと、多少なりとも冷静になった今では首をかしげる場所だが、未遠川にかかる橋のど真ん中になっていた。
 この場所を決めたときは俺も氷室もヘンだったから仕方がない。こっちは勢いつきすぎてわけが判らなくなってたし、氷室は俯いたままで二言三言喋るのがせいぜいで、あっちから提案できるような状態じゃなかった。
 商店街の前の交差点を通り、登校路とは逆に坂を下っていく。
 たどり着く前に、今日の行き先候補を反芻する。
 モールの外周にある喫茶店、というか紅茶屋。紅茶の味を知れ、なんていわれて遠坂に連れて行かれた場所だ。まあ、目が飛び出るような金額を払った変わりにこうして自信を持って誰かを連れて行けるからよしとしよう。
 後は、まあお決まりの手として映画。見られる映画がありそうなことだけはチェックしておいたけど、正直氷室が見たいって言うかどうかが見当もつかない。
 電車に乗って近場のテーマパークに乗り出すのも考えなくもないが、一日で数千円がポンと飛ぶから、こちらは氷室と相談してからだ。
 あとは適当にぶらぶらしてみるとか、その程度。
 自分で頭を抱えたが、デートなんてどこに行けばいいのかさっぱりわからなかった。
 それでも、足は刻一刻と待ち合わせ場所へ近づいていく。

 橋の袂に差し掛かったその時点、こっから本番だと気持ちを切り替えようとしたところで、早速けつまづいた。
 というのも、勢いに加勢してもらって何とか取り付けたこのデート、その最初も最初、待ち合わせの段階でどうやら俺はまずいことをやってしまったらしい。
 寝坊という今日一番のトラップだけは入念に回避したが、目の前の現状はそれより前、段取りの時点に難ありと示唆していた。
 川の真上、橋のど真ん中を目指して歩く。そこが、待ち合わせ場所だった。
 後悔したのは、この場所はつまり、対面からやってくる氷室が今いる橋の袂からもはっきりと見えるという事実だった。どうやら同時に橋の袂に着く辺り、あっちも10分前に待ち合わせ場所にたどり着く気だったんだろう。
 数百メートル離れたところにいる待ち合わせ相手と、じっとお互いの姿を見ながら接近する羽目になる、これが後悔したことだった。
 気にしなければどうということはないのはわかってる。だが、まあ、初デートの顔合わせとしては気まずいものがあった。氷室はばれてないつもりかもしれないけど、目だけは学年トップのこちらにはその気まずい表情がありありと見て取れた。
 金縛りに近い苦痛だろうか。お互いを認識したにもかかわらず、距離があるから普通の会話は成立しないし、だからといって近づくまで互いに何の反応もせずに接近するのも落ち着かない。
 なんとかこの空いてしまった間を埋めようとして、
「おーい」
 と、声をかけてみた。
 声が氷室に聞こえたのはわかった。一度、ぴたっと足が止まってそれからすぐに早足に変わったからだ。
 しかし、なんで早足なんだ、と首をかしげざるを得なかった。
 遊ぶところが深山の側にないのは、通学している氷室自身がよく知っているだろう。デート、つまり遊ぶと言っている以上新都の側に行くってのは穂群原の人間なら常識だった。だから早足で氷室がこっちにきてもその分だけ余計に引き返すハメになる。
 俺が橋って近づくだけでその問題は解消されるから、とりあえず走って向こうに近づくことにした。
 100メートル、50、20、10、そして教室内で取れる程度の距離、いつもの氷室との距離とだんだん間を狭めていくと、それに連れて氷室の様子がおかしくなるのが見えた。
「氷室?」
 手にした小さなバッグの取っ手を両手でぎゅっと握り締めながら、足元斜め向こうの川面のほうに視線をやって、こちらからは戸惑っているようにしか思えなかった。
 ふう、と自分を落ち着かせるような息を一つ置いて、氷室は弁解するように声をこぼした。
「なんと言えばいいか、待ち合わせで男性がこちらへ走ってくるときの感覚というのは、なんというか、ひどく落ち着かなくてな。気にしないでくれ。」
 心なしか、声が震えている。
 生まれて初のデートか、と野暮なことを聞くのはなんとかとどまった。どう見てもそうだった。まあ、こちらも大差ないが、氷室よりはやや余裕があるのは確かだった。
 はじめからスムーズに行かなくても、なんとか挽回はしないといけない。氷室との差分になるその余裕をかき集めて、それを推進力に大事な一言を口にする。

「おはよう。氷室。」
 必ずここから始まる一言。それは正常化を促す確かな効果があった。この一言には、ちゃんと正しい返事の仕方が存在しているからだ。
「ああ、おはよう。衛宮。」
「待ち合わせ場所、あんまりよくなかったな。」
 挨拶の後の第一声としては気の利いたとは言いがたい台詞しか出てこなかった。
 すまんといいかけて、氷室の表情がそうでもないことに気付く。
 軽く首を振って、挨拶のためにあわせた目を恥ずかしげにまた逸らす。
 こちらに同意するかと思いきや、氷室は他に思うことがあるらしかった。
「……君の言わんとすることはわかる。ただ、そう悪くもなかった。」
「え?」
「この間の続き、という感じがしないか?」
 言ってしまって、氷室は後悔したのか俯き気味になって顔を隠した。
 確かに、デートの約束を取り付けて、働かない頭で待ち合わせの場所やら時間やらをこっちから無理矢理提案して、そのあとはろくに話をしていなかった。続きといえば、そうなのかもしれない。
 満更でもないと言うと氷室が喜びすぎだが、不快に思わない程度には、この場所での待ち合わせを歓迎してくれているらしかった。
「そういわれれば、まあ。それで、今日はどこへ行く?」
 強引に話を逸らしながら、一応相手に希望の行き先がないかを尋ねてみる。
 なんといっても遊ぶ場所は氷室のほうが詳しいに違いない。なんといっても氷室は新都に住むお嬢様、こちらは深山の屋敷街側の一番奥に住む貧乏学生だ。
「いや、考えていなかった。そういったことは、君が決めてくれるものかと思っていた。」
 どこか謝るような響きがそこにあって、俺はあわてて弁解した。
 確かに、こういうのははじめくらいは男の側からリードするもんだと思う。
「いや、一応考えては来たんだけど、氷室のほうがこっちには詳しいし、行きたいところがあるならそれがいいかと思って。」
「そうか。いや、こちらもデートの作法にはとんと疎いものでな。それで、私としてはどこでも構わない。君こそ行きたいところはないのか?」
 料理の献立を藤ねえに聞くときと一緒で、なんでもいいという答えが実は一番厄介だ。こちらは必死で考えて組み立てていくのに、あちらは出来上がったものを見て何かを言うだけでいい。
 そんなことを考えていたのが顔に出たのか、氷室はこちらの困惑に助け舟を出そうとした。
「基本的には今言った通りなんだが、もし希望を言うなら、街中の何かを見るよりは君の話を聴きたいし、君の興味あるものが見たいと思う。」
 話を聞きたい、ということは映画館やらテーマパークの類はお気に召さないって取れるし、俺の興味があるものを見たいってのは俺が決めればいいってことそのままに聞こえた。
 何が言いたいんだと疑問が今度ははっきり顔に出てしまった。
 苛立ちを見せるでもなく氷室はややためらいがちにさらに説明を加えてくれた。
「街中にあるものは大半はもう見知っているものだ。それに、私達はどこかへ行きたくて集まったのではなくて……その、なんだ。集まりたくてどこかに行くのだろう?」
 誰も通る気配のない橋の上で、互いに目を合わせられずに視線がさまよう。こないだまでよりずっと、この何ともいえない空気が強く流れている。聞いてるほうがこれだけ恥ずかしくなるんだから、言ってる氷室は猶のことだった。
 でも、話の中身は真実そうだった。行く場所を探してる時点でそれは疑いようがない。
 気を取り直して氷室が続けた。
「つまりだ。私がしたいのは、どこかに行くことではなくて、とりあえず君と会うことだった。」
 そこで限界だったらしい。最後のほうは意気を搾り出すような小声だった。
 どうしたもんか、と逡巡する。いや、そんな間がある時点で俺も全然頭が回転してないわけだが、どうやら最後の選択肢は残されていると見ていいだろう。
「じゃあ、氷室。紅茶とか好きか?」
「あ、ああ。母が好きなのでね、その影響でコーヒーよりはお茶だな。」
「会ってすぐにで悪いけど、それなら喫茶店に入るのはどうだ? とお……知り合いから教えてもらったんだ。」
 話がまとまりそうなんでほっとしたんだろう、ようやく、氷室が笑ってくれた。
「私は、それで構わない。」


 お互いに10分くらい早く着いていたから、その分を差し引けば駅前の店の大半は、まさにいま開店時だった。
 歩行者天国の往来にはエンジンをふかしたままのトラックが並び、石畳とアスファルトをキャスターつきの荷台がけたたましく通り過ぎ、シャッターがガラガラと音を立てて跳ね上がっていく。その様は、なんというか、空気が市場のそれだった。いつも訪れる時間に見られる、デートにもふさわしいショッピングモールの空気は、この後にモールに面した店頭から流れ出るものだと思い知らされた。
 往来を行き交うのは、運送会社の制服に身を包んだ働く側の人と、そしてその人々が運ぶダンボールと発泡スチロール。
 私服の人だってたくさんいるけど、それもエプロンをつけたような店員ばかり。服飾店も並んでいておしゃれな服を着ている人も多かったが、ある種の、動きやすさに特化した作業着の匂いがそこにはある。
 いつもの服装の俺はそのままなじめるかもしれないが、長めのスカートと落ち着いた色のシャツを身に着けた氷室は明らかにお客さんの側の存在だった。
 場の雰囲気が告げるのは、お前たちが来るにはまだ早い、それに尽きた。
 もう一時間、遅らせればよかった。
 そう思い氷室に謝ろうかとも思ったが、謝られても嬉しいことなんて何もない。あの店に入ればそうおかしな雰囲気もないだろうから、心持ち早足で喫茶店へ向かった。
 ちらと横を見れば氷室がこちらを見ていた。俺が振り向いたのを見てあわてて目を逸らす。
 深くは気にせずに、俺は前に進んだ。
 まばらな客になんとか紛れているつもりになって、さくさくと荷物の群れをかいくぐっていく。二、三分で、目的のコテージは見えてきた。
 ふと、氷室がなにかに反応したような気がしてそちらを向く。
「衛宮、目的地はあの建物だろうか?」
 指差したのはまさにそれだった。
「ああ、もしかして、知ってる?」
「母はここで茶葉を買うのでね。しかし……」
 そこで氷室が言葉を濁した。なにか氷室にとって都合の悪い店なんだろうか。
 階段を上がって、扉の前に立つ。店内の明かりはそう強くなかったから、外からではちゃんと開店してるかどうかは見えなかった。
 扉の取っ手に内側からかけられたボード。読めば一目瞭然、都合が悪いのは店のほうだった。
『WEEKEND Open: 11:00AM』つまり開店まであと一時間弱。
 ここまで段取りが悪いと、謝ることがむだだとわかっていても言わずにはいられなかった。
「すまん、氷室。」
 氷室はゆっくりをかぶりを振り、穏やかに答えた。
「いや、いいんだ。ここは学生が行きつけに出来るような金額ではないから、君が今日はまだ開いていないのを知らなくても無理はない。」
 その声が本当に気にしていないらしくて救われたが、しかし行き先が決まらない現状は、覆しようがなかった。
 こういうときに無趣味が恨めしい。なにか気になるものでもあればそれに関連した店で話に花を咲かすこともあったかもしれない。
 とっさにこの後どうするかが思いつかず逡巡するはめになった。たぶん、氷室にもそれはばれたんだろう。朝から、フォローをされっぱなしで情けなかったが、今回も力を借りることになりそうだった。
「衛宮、君の行きたいところは、どこか他にはないか?」
「……すまん、実はもう思いつかない。」
「そうか。なにか、君の家の誰かの頼まれものでもいいが、買い物などはないのか? ヴェルデの中ならもう落ち着いているだろうし、このあたりは君もなじみがないだろう?」
 助け舟はかなり的確だった。目の前の紅茶店以外は服飾店が多くてそれだけで未知の領域に近かったし、アロマキャンドルや温泉の素を扱う店にもとんと縁がないし、それ以上にアクセサリーは必要性がないと思って近づくきっかけすらなかった。
 そして、買いたいものがあるのも実はアタリだった。
「そういえば、桜がクローブっていうスパイスが欲しいって言ってたな。」
「スパイスか。まあ、ヴェルデなら地価食料品売り場にあるかもしれないが……。」
「ああ、店子の一つに輸入食料品店があるだろ。あそこで売ってるらしい。」
 すこし雑多な印象を受けるが、ワインや紹興酒、各種リキュールと共にハーブやスパイス、チーズとハムなんかを所狭しと並べた店があった。遠坂や桜と比べて俺は入る機会があまりないが、何度か遠坂の荷物もちでついていったことはある。
「ああ、あそこか。私も外から覗いたことはあるな。衛宮、そこに行くのはどうだろうか。」
「そりゃ、俺は用事があるからありがたいけど、いいのか? 氷室。そう面白いものじゃないと思うが。」
 どうも今まで話をした限りでは、氷室のうちは洋風なものを食べることも多いみたいだ。桜の作る洋食はどの国風というのともちょっと違って、結果うちではオリーブオイルはあんまり消費されないくらいだからこういう店は面白みもあるが、氷室にしてみれば特に目新しいものはないだろう。
「いや、前から関心はあった。母を拘束してあれこれ聞くのもはばかられたから、ああいう少し変わったものを売っている店には知らないものが多い。君と話をしながらなら面白いだろうと思う。」
 氷室が行ってみたいんなら止める理由はどこにもない。
「じゃあ、あそこに行くか。」

 ずいぶん歩いたから外も寒いとは感じなくなっていたが、室内の空気にほっとする。空調も朝早くだからか軽くしか利いていなくて体感的にはちょうど良かった。
 口数が少ないのは、今日より前とあまり変わらなかった。お互いデートって言う特別さにも少し慣れて、空気が幾分和らいだんじゃないかと思う。
 表情を少し窺ってみたくなって氷室のほうを向く。また、目があった。
「あ……」
 さっと顔を赤らめ、氷室がそっぽを向く。
「どうかしたか?」
「いや、なんでもない。」
 会話を断ち切るように、向こうのくだりエスカレータへと二、三歩俺より先行する。
 手に下げられたバッグは、どちらかといえば可愛らしいデザインだ。服装はかっちりとした印象で氷室を年より幼くは見えなくさせているが、バッグまで完全に大人びたものにしないことで、まあ、残念なことに年相応以上には見られたことのない俺との釣り合いを何とか取れてる気もする。
 そのバッグを氷室が持ち替える。俺から見て遠い側の手へ。
 それでようやく、デートといっておきながらまったく考えてもいなかったひとつのことに気がついた。
 すなわち、あの空いたほうの手を握ってみる、そういうことだ。

 にわかに緊張が走る。
 多分、氷室は嫌がらないだろう。なんとなく、雰囲気でそういう風に思った。
 こういうタイミングでは完全に頭ん中が沸騰して思考が止まることが多いけど、今日はまだなんとか余裕があった。
 エスカレータまであと3メートル。立ち止まって横に並ぶと、そのほうが上手く行かない気がした。
 氷室がこちらを振り返らないうちに、二、三歩の間合いを詰めてその手を掻っ攫いに行く。
「氷室、手、つなぐぞ。」
 断りを入れたが、返答は待たなかった。氷室が手を差し出す前にすこし強引に握ってやった。
 氷室が息を呑んだのがわかる。いや、息が止まった、というのが正確かもしれない。
 その初々しさに自然と笑みがこぼれた
 …………のも束の間だった。
 長袖のシャツから覗くその白魚のような指は、節のひとつも感じられない滑らかなさわり心地。機械修理に家事にと使い込んで汚れた自分の手と絡めるのが勿体無い気さえする。
 それでも引き下がれなくて指を絡めれば、その瑞々しさとほんの少し自分より冷たい感触に、絹を連想させるものがあって。
 何度もこうして歩いたから、その延長みたいな気でいたんだろう。
 手をつないで『デート』してみれば、俺はいつもどおり緊張でガチガチだった。

 小さい頃と違って今更なんでもないはずのエスカレータに二人して何段か乗り損ねてから、流れに任せて少しづつ下っていく。
 これくらいの距離で喋ったことも何度かあったが、こうして手の束縛があるかどうかで、今までとは距離感の意味がまったく違うと思い知らされる。
 腕が軽くぶつかったくらいで身体を強張らせるのを見ると、氷室にも余裕がないのは明白だった。

 エスカレータの降り口から180度ターンして、少し向かった先にあるのが目的の店だった。
 つなぎたてだと半回転するのもちぐはぐだったが、手を離すことなくその店へと近づく。
 ……と、ついと人が通り過ぎる。
 知った顔だった。
「衛宮?」
 何ともいえない硬直をした俺に、氷室がそっと声をかけてくれる。
「いや、何でも、ない。」
「今の彼女は、知っている顔だったか?」
 氷室は聡かった。
「たぶん、弓道部の一年だと思う。弓道部に顔出したのはほんの数回だけだし自信はないけど。話したこともないし。」
 もちろん名前は知らない。ただ、向こうは通り過ぎるときこちらをしっかり見ていたから、人違いってことはなさそうな気もする。
「手を、離したほうがいいだろうか?」
 不安げに氷室がそう尋ねる。
「え?」
「見られるのが嫌なら、無理につながなくても構わない。」
 そう言いながら、俺の自惚れじゃなければ、手を解くのは嫌だというニュアンスが声にこもっている気がした。
「嫌だって事はない。ただ、恥ずかしいって思うのもダメか?」
「……いや、それはお互い様だ。」
「なら、離さなくていいだろ。」
 握り方を少し強くして、更に氷室との距離を詰める。氷室はそれで俯いた。
「衛宮。その、これからなんだが。」
「え?」
 まだ気になることがあるらしかった。
「店内でも、手をつなぐんだろうか? 衛宮がいいというなら、私は構わないんだが。」
 目の前の店は、背の高い棚がいくつも並んで人と人がすれ違うのが難しいくらいの場所だった。
 手をつなぐのは確実に通行の妨げだった。


 店内をうろつきまわる。物色は思いのほか楽しかった。買い物にあまり時間をかけるほうじゃなかったから、深山の商店街では見かけないものがこれほどあるとは知らなかったからだ。
「ああ、母の買ってくるチーズはここのものか。」
 エメンタールという名前のチーズを裏返し、この店のバーコードに目をやっていた。
「へえ。」
「ここ以上の品揃えは冬木では見込めまい。」
 商品を戻しながらその棚に目をやると、真っ白なカビに覆われた馬蹄型のものや青カビが切れ目から覗くもの、鮮やかなオレンジ色のものや乳白色、さらにはその二色のマーブルまで、多種多様なチーズが並んでいる。
「氷室のうちってこういうチーズ、使ったりするのか?」
 グラノ・パダーノと書かれたやけに堅いチーズを手にとって弄びながら、氷室に聞いてみた。
「ああ。衛宮は使わないのか?」
「俺は和食専門だからな。チーズの使い方とかは、あんまりよく分かってない。桜はもうちょっと詳しいと思うけど。」
 遠坂はチーズじゃなくてあっちの香辛料コーナーには世話になってるみたいだ。
「君のうちでは、同居人も料理をするんだな。」
「桜と遠坂は作ってくれるな。藤ねえは食べるの専門だ。イリヤは興味あるみたいだけど。」
 そこで氷室がばっとこちらを振り向く。
「待て。そのイリヤという方は聞いたことが……いや、弓道部に外国人の女性が現れると聞いた事がある。」
 そういえば、イリヤのことを氷室には話していなかったかもしれない。
「ああ、事情があって冬木に滞在しててさ。いまは藤ねえのうちに預かってもらってるんだけど、よくうちにも来るんだ。」
「話し振りから察するに、君と同年代か?」
 声には警戒感というか、そんな感じのものが含まれていた。
「いや、本人にはいえないけど、ちっちゃくてこっちをよく振り回してくれる女の子だ。」
 その尖った意識を緩めながら、氷室は嘆息した。
「君の同居人は女性しかいないのか……。まったく、呆れた現状だ。」
「う、そう言わないでくれ。別にそういうつもりじゃなかったんだけどな。」
「君が選んだわけではない、と。男性の入居希望者を断ったことは?」
「ないないない! って言うか氷室。うちは別に寮じゃないぞ。」
 たとえば何かの理由でお山に居辛くなって一成が住まわせてくれって言ったら、別にそれを断る気はないし。
「現状とは異なる見解だな。」
 そう一言を残して、そこで氷室の追撃はやんだ。
 チーズの区画を離れ、調味料のほうへ行く。
「衛宮は和食が専門といったが、ここでは君は何か買うのか?」
「そうだな、まあ塩くらいかな。魚には海の塩がやっぱりあうけど、肉なら岩塩のほうが美味い。あとは黒コショウは粒のままここで買ってる。それくらいか。ここに来るのは中華とか洋風の材料を遠坂と桜に頼まれたときがほとんどだしな。」
「ふむ、彼女ら二人はそういった系統のレパートリーがあるのか。」
 そうぽつりと呟く。べつに興味がないわけではないみたいだけど、氷室の視線が別のほうを見ていた。
 俺たちより先に店に入っていた客に視線が注がれている。何度かすれ違っていた。
「ずっとあっちの人見てるけど、知り合いか?」
「いや……」
 先ほどの質問を返してみる。歯切れが悪かった。言いにくいというよりは、まったく違う話らしかった。
「あれは、カップルだろう?」
「そうだな。」
 質問は答えがわかりきっていて、それだけに意図が読めなかった。件の客は、べつにどこもヘンなところなんてない、普通のカップルだった。彼女のほうが彼氏に軽くもたれかかりながら仲むつまじく歩いている。
「夫婦と見るにはいささか若い。大学生くらいか。」
「だな。で、それがどうかしたか?」
 俺にはそれ以上何も思うことはなかったが、氷室は推理とも言うべき論調で話を進めていった。
「買い物の中身だが、食材が大半で調味料がない。つまりは、もうすでに調味料は整っているということだ。」
「まあ、そうだな。」
「大学生のカップルがどちらかの自宅で相手に料理をふるまうと思うか?」
「え? まあ、あんまりない、のか。」
 小声で二人とも向こうを見ながら話していたのが、ここで目が合う。
 氷室は眼鏡を上げた。
「すんなりいく答えはこうだ。彼女らは、同棲している。あるいは、下宿をしている相手のもとに食事をしに行く。」
「ありえる話だとは思うけどさ、すまん、氷室が何を言いたいのかがよく分からない。」
「……もうちょっと、私の考えを読んでくれるとありがたいのだがな。」
 コホンと息をつき、氷室は呟いた。
 結論だけは、言いよどむものらしい。
「ああいった姿を、少しうらやましいと思った。それだけだ。」
 二人で連れ添って、買い物に行ってご飯を作って食べる、か。
「ああ、なるほど。そうだな、俺も氷室の作った食事を食べてみたい。」
 まあ、桜とはそういうこともするわけだけど。
 気楽に言ったこちらと違って、氷室は苦虫を噛み潰したような顔でこちらに苦言を呈した。
「君に食べさせる、か。何とも酷な話だ。」
「なんでさ。」
「一般的な女子学生は自分で食事を作ることなどほとんどない。正直、私の腕前では君に食べさせられるものを作れるようになるのに一年や二年はかかる。」
「そうか? なんていうか俺に言わせれば俺の作った飯なんかより、ちょっとくらいヘタでも氷室の作ったご飯のほうが価値があると思う。」
 割とこれが世の真実だと俺は疑ってないのだが、氷室はそうでもないみたいだ。
「君の価値観も特異だな。まあ、しばらくは君に食べさせてもらう側でいるさ。」
「それで思い出したけど、昼飯、どうする?」
 まだ一時間くらいはゆうにあるけど、そのときになってウロウロしたらどこもいっぱいになるのは目に見えている。
「私はどこでも構わないが。」
「まあでもこっちのほうは氷室のほうが詳しいだろ。地元なんだし。」
「そうだな。ふむ……」
 氷室は少し思案すると、ためらいがちに聞いてきた。
「衛宮、君が嫌でなければ、君のうちで食事、というのはどうだろうか。」
「へ?」
 深山は遠い。昼を取ってからまたこっちに帰ってきて、というのは結構面倒だった。
「私のうち、という選択肢もなくはないが。」
 別の提案も出された。氷室のうち、には当然ご両親がいるだろう。そこに俺がついていく……?
「い、いや。氷室のうちは流石にマズイ。親御さんがいるだろ。」
 氷室がニヤリと笑った。
「衛宮。改めて君を両親に紹介したいと思ったのだが、そうか。来てくれないのか。君の決心はその程度、ということ、か……」
「ま、待て。べつにそういうわけじゃないけど。」
 なんというか、一応このデートは今後どうするかを見極めるためのものであってだな、それより氷室のうちに行くのは違うというかなんと言うか。いやでも、人目はばかる交際をしようってわけじゃない。氷室が挨拶を望むなら、それはちゃんと筋を通しておくべきことだ。
 混乱した頭で、とりあえず答えは口にする。
「すまん氷室。取り乱した。逃げも隠れもしないから、必要だったら、行こう。」
 ちらと氷室を見ると、真っ赤になって俯いていた。
 たぶん、この調子だったらさっきの挑発は、最大限の虚勢だったに違いない。
 不自然なくらいの数秒を待って、何とか氷室が口を開いた。目はまだ下を向いていた。
「ありがとう、衛宮。その、なんだ、からかったことを謝る。ただ親に紹介というのはいくらなんでもまだ性急だ。」
「そ、そうか。こっちこそすまん。そういうのに慣れてなくてな。」

 そんなやり取りの横を、先ほどのカップルが通り抜けていく。クスリと笑いを残して。
 そういえば店内であることを、すっかり忘れていた。
 結局、本屋をまわってから俺のうちで食事を取ることになった。
 氷室のご両親に合うのは性急だといいながら、うちの姉貴分やらに会うのはいいのか? と内心首をかしげるものもあったが、氷室にできたての暖かいものを作ってやることには腕が鳴っていた。


前を表示する / 次を表示する
感想掲示板 全件表示 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.040398836135864