Prologue.
きっとこうなるって、わかってた。後悔なんかなかった。あるはずがないと、思っていた。
だから、理想のために、振り返ることもなく、ただ――駆け抜けた。
正義の味方。
あの地獄の中で魅せられ、切嗣から受け継いだ見果てない理想。
名前と身体以外の全部が焼けて死んでしまった自分は、空っぽな中身をそれで埋めた。そうすることで、俺も切嗣のようになりたいと思ったんだ。
親父が死んでからは、とにかくがむしゃらに生きた。誰のためと考えて、それが『正義の味方』に繋がっていると思って。
でも、それが借り物の理想であるのだと、誰よりもわかっていたつもりだった。
聖杯戦争。
あらゆる欲望を叶える魔法の釜を巡って争う、魔術師の戦争。
そこで、理想の果てに辿り着き、心の磨耗した一つの未来である自分の姿を見た。
無関係の人間を助けるために自分の命を顧みない、もはや一個の生物としての矛盾。それを異常なのだと告げる一つの可能性の未来。
自分殺し――英霊になる前の衛宮士郎の抹殺。それが、アーチャーの目的だった。
正義の味方など、全てを救うためにどんな巨悪も不条理の前にも立ってみせる者など、結局は都合の良い理想でしかないのだと後悔し続けた男は、そうして俺の前に立ちはだかった。
「誰かを救うために誰かを殺す。誰かを救うために誰かを切り捨てる。そうでもしなければ理想は守れなかった。そら、そんな男は今のうちに殺しておくほうが世のためと思わないか?」
アーチャーの言葉は何よりも重く、心に圧し掛かる。理想を追い、辿り着き、そして磨耗してしまった赤い弓兵は、衛宮切嗣の、衛宮士郎の理想が間違いなのだと口にする。
だけれど、この理想は、この想いだけは、決して曲げられなかった。
全てを救うことはできない。『正義の味方』などいはしない。そんなこと、とっくに気づいている。
だけど、そう思うことは、誰かを救いたいと思うことは、決して間違いなんかじゃないと。
そのためには、血潮を鉄に、心を鋼に、身体は剣でなければならない。
――I am the born of my sword.
戦争は終結し、セイバー以外のサーヴァントの全てが結果として消えた。
高校を卒業してから、遠坂に自分の弟子として一緒に時計塔へ行かないかという申し出を受けて、異国の土を踏んだ。
未熟な魔術師として、魔術と戦いの鍛錬に明け暮れる日々が続いた。
自分の方向性は知っている。自分にできることも限られている。戦い方を、強化を、投影を、そしてその先をただただ鍛え続けた。
そして、投影魔術を、固有結界を己のものとしていくごとに変質していく自分がアーチャーに近づいていくたび、確認するように思った。
自分は、あの理想の果てに辿り着いたアーチャーにどれだけ近づけているのかと。
理想を違えるつもりはない。しかし、自分の目が、この手が届くのはあまりに狭かった。
アーチャーの苦悩が、大人になっていくたびにわかっていく。
切り捨てるべき人でさえ、救えるものなら救いたい。だけど、それは不可能事であり、それを成すには、それこそ奇蹟に頼るほかはなかっただろう。たとえるならば、世界との契約、という奇蹟に。
そんな奇蹟は要らない。
そんな奇蹟では、衛宮士郎の理想の具現には程遠い。
だからこそ、アーチャーを超えなければならなかった。あの弓兵の力を超えなければ、この手には何も掴めはしない。
それが自分の手が届く場所であるかぎり、たとえ自分に無関係であっても、助けてみせる。
全ての人間は救えないかもしれない。救えないだろう。しかし、自分が救いたいと思えるならば、絶対に救ってみせる。零れ落とすことなど許さない。
誰を助けるための、誰かの命を守るための代価は、やはり命でしかない。
しかし、それで理想の具現が叶うなら、俺は――。
「しかし、それでもお前は『世界の奴隷』となる」
遠坂の大師父、あらゆる世界と未来を知る万華鏡――宝石翁の宣告。
未来の自分と出会った俺は、自らの心象風景を力とする俺は、完成されたエミヤシロウの投影技術、戦闘理論を模倣していくたびに、魂がエミヤシロウに引き摺られていく。英霊に、塗り潰されていく。
未来との邂逅がなければ、それもなかったかもしれない。
理想を貫き続けることは、あのアーチャーに近づくということ。あの赤い騎士の英霊に、近づいてしまうということ。
それでは意味がない。あの弓兵を越えなければ意味はない。ただ、近づくだけでは足りないんだ。
だからこそ、この心は折れない。この身は、一振りの剣なのだから。
封印指定を受けて、身を隠し、人を救い続け、どれくらい経った頃だろうか。
また戦争が起きた。
いつかの、魔術師と魔術師との戦争ではなく、国と国が争う戦争。万民の命が奪い奪われる戦い。
どちらに正義が、悪があるワケでもなく。それは、今まで巡ってきた国々と同じように、どこでも起きるような戦いだった。
戦争を、止めたかった。方法を模索し、実行し、繰り返し、それでも――止めることはできなかった。止められたことなどなかった。
止める方法は、それこそ数え切れないほどの殺人を犯すほかに、ありはしなかった。
「ごめん、遠坂。セイバー」
罪は自らだけで。止めようとする手を振り払った。
きっと、コレは英霊エミヤが経験し、苦悩した現実。結果的に誰かの命を救うために、誰かの命を奪う行為。
押し潰されるな。
まだ気が狂うほどには殺していない。理想に裏切られたと嘆くほどには、俺は諦めてはいない。
鋼の心は折れない。魂を不屈のものにしろ。
ココで折れてしまえば、俺はあの守護者と何も変わらないのだ。
そう、たとえ同じように、こうして絞首台に行かされても。
自分に出来ることをしてきた。自分に出来ないことを望むこともなかった。だけど、それでいい。俺は、これで良かったんだ。
もとより、全ては救えないと知っていた。あのアーチャーが身をもって教えてくれたんだから。
あぁ、それでも心残りがある。今、まさに首を括られようとしている自分にも、心残りがあった。
遠坂。セイバー。桜。イリヤ。
誰よりも大切な彼女達を、俺は、守ることが、救うことが、できていたのだろうか――。
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一人の英雄がいた。
白い髪に褐色の肌、赤い外套を翻させ、その姿は常に戦場の最中にあった。
特別、誰に味方したワケではない。ただ戦場で、戦いのせいで繰り返される無情な死を少しでもなくすために、彼は戦い続けた。
誰かを救うことは、誰かを殺すことに同義だ。
当然の帰結。当然の現実を知った彼は、しかし理想と信念に揺らぐことなどなかった。
揺らがない信念、折れない心、彼は前だけを見つめて――決して、振り返ろうとはしなかった。
兵士は、剣を矢として弓に番え、戦闘ヘリを射ち落とす姿を目撃する。
村民は、時代遅れの刀剣を手にして、武器を持たない人達の村落を襲うゲリラを撃退する姿を目撃する。
魔術師は、魔術の究極点と言うべき固有結界を使い、数々の街を死都と化した死徒を滅ぼす姿を目撃する。
世界中の人々は、あらゆる戦争に現れる彼を人殺しと罵った。
そして、彼は英雄と呼ばれた。
守護者としての英霊エミヤではなく。まして、殺人を繰り返し続けた彼は、正英雄とは言い難い。
反英霊としての彼は、やはり英霊エミヤとは別人だった。
そうして、世界は新たな席を“座”に用意することになる。
反英雄エミヤ。
それが、戦場と絞首台で人生を全うした男の名前だった。
アトガキ
どうもはじめまして、ウィスです。
世界観の設定としては、UBW後の士郎が結局はアーチャーと同じ生き方をして、しかし最後に世界との契約を結ばずに生涯を終え、そのまま英霊になることから始まります。
きわめて都合のいい設定が多々使われてしまうかもしれませんが、どうかご容赦ください。