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No.10186の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~  【第一部 完結】 【その他 戦極姫短編集】[月桂](2010/10/31 20:50)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(一)[月桂](2009/07/14 21:27)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(二)[月桂](2009/07/19 23:19)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(三)[月桂](2010/10/21 21:13)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(四)[月桂](2009/07/19 12:10)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(五)[月桂](2009/07/19 23:19)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(六)[月桂](2009/07/20 10:58)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(一)[月桂](2009/07/25 00:53)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(二)[月桂](2009/07/25 00:53)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(三)[月桂](2009/08/07 18:36)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(四)[月桂](2009/08/07 18:30)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(一)[月桂](2009/08/26 01:11)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(二)[月桂](2009/08/26 01:10)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(三)[月桂](2009/08/30 13:48)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(四)[月桂](2010/05/05 19:03)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/09/04 01:04)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(一)[月桂](2009/09/07 01:02)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(二)[月桂](2009/09/07 01:01)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(三)[月桂](2009/09/11 01:35)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(四)[月桂](2009/09/11 01:33)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(一)[月桂](2009/09/13 21:45)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(二)[月桂](2009/09/15 23:23)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(三)[月桂](2009/09/19 08:03)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(四)[月桂](2009/09/20 11:45)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(五)[月桂](2009/09/21 16:09)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(六)[月桂](2009/09/21 16:08)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(一)[月桂](2009/09/22 00:44)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(二)[月桂](2009/09/22 20:38)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(三)[月桂](2009/09/23 19:22)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(四)[月桂](2009/09/24 14:36)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(一)[月桂](2009/09/25 20:18)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(二)[月桂](2009/09/26 13:45)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(三)[月桂](2009/09/26 23:35)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(四)[月桂](2009/09/30 20:54)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(五) (残酷表現あり、注意してください) [月桂](2009/09/27 21:13)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(一)[月桂](2009/09/30 21:30)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(二)[月桂](2009/10/04 16:59)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(三)[月桂](2009/10/04 18:31)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/10/05 00:20)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(四)[月桂](2010/05/05 19:07)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(五)[月桂](2010/05/05 19:13)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(六)[月桂](2009/10/11 15:39)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(七)[月桂](2009/10/12 15:12)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(八)[月桂](2009/10/15 01:16)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(一)[月桂](2010/05/05 19:21)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(二)[月桂](2009/11/30 22:02)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(三)[月桂](2009/12/01 22:01)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(四)[月桂](2009/12/12 12:36)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(五)[月桂](2009/12/06 22:32)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(六)[月桂](2009/12/13 18:41)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(七)[月桂](2009/12/19 21:25)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(八)[月桂](2009/12/27 16:48)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(九)[月桂](2009/12/30 01:41)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十)[月桂](2009/12/30 15:57)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/01/02 23:44)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十一)[月桂](2010/01/03 14:31)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十二)[月桂](2010/01/11 14:43)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十三)[月桂](2010/01/13 22:36)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十四)[月桂](2010/01/17 21:41)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 筑前(第二部予告)[月桂](2010/05/09 16:53)
[60] 聖将記 ~Fate/stay night~ [月桂](2010/01/19 21:57)
[61] 影将記【戦極姫2発売記念】[月桂](2010/02/25 23:29)
[62] 影将記(二)[月桂](2010/02/27 20:18)
[63] 影将記(三)[月桂](2010/02/27 20:16)
[64] 影将記(四)[月桂](2010/03/03 00:09)
[65] 影将記(五) 【完結】[月桂](2010/05/02 21:11)
[66] 鮭将記[月桂](2010/10/31 20:47)
[67] 鮭将記(二)[月桂](2010/10/26 14:17)
[68] 鮭将記(三)[月桂](2010/10/31 20:43)
[69] 鮭将記(四) [月桂](2011/04/10 23:45)
[70] 鮭将記(五) 4/10投稿分[月桂](2011/04/10 23:40)
[71] 姫将記 & 【お知らせ 2018 6/24】[月桂](2018/06/24 00:17)
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[10186] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(一)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:49f9a049 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/07/25 00:53

 栃尾城、城主の間。
 今、そこには城主である長尾景虎をはじめとし、直江兼続、宇佐美定満、本庄実乃らの側近たちが、越後国内の地図を前に座り込んでいた。
 いずれの顔も、等しく翳りを帯びている。つい先刻、春日山城からの使者が城に訪れ、景虎に対し、宣戦布告を行ったからであった。


 中でも、直江兼続の顔色は、一際悪かった。柿崎城引渡しの際に生じた、一連の騒動。その場に居合わせた栃尾方の総責任者が兼続だったからである。
 だが、この場にいる者たちは、誰一人として兼続を責めるような真似はしなかった。
 事実、兼続は責められるに足る過ちはおかしていない。柿崎景家配下の人心を安定させ、守護代に降るをいさぎよしとしない強行派を処断し、城内を隅々まで掃き清め、春日山勢を迎え入れたのである。
 当初、景虎が案じていたように、晴景方が柿崎城を攻め落とそうとせず、平和裏に城を受け取ることを受諾したこともあり、柿崎の叛乱はこれ以上の血を見ることなく、終結するかと思われた。
 だが。


「真に、申し訳のしようもありません」
 兼続が、もう何度目のことか、景虎に対し頭を下げる。
 それに対し、景虎は、これまで通り、首を横に振って応じる。
「よい。弥三郎が激発したこと、兼続に何の咎もないことは明らかだろう」
「いえ。景虎様がおられた時からおとなしくしていたとはいえ、万全を期すならば、奴めも拘束しておくべきでありました。まさか、景時が手勢を率いて春日山に挑みかかるとはッ」
 景家の弟、弥三郎景時は、兄ほどではないにしても、越後国内では屈指の剛勇の士として知られている。その景時が、おとなしく景虎に従い、春日山への臣従に対しても異を唱えなかったことに、兼続は不審を抱くべきであった。
 兼続が、晴景方の要請に応じて、手勢のほとんどを栃尾に返していたこともまずかった。柿崎の激発を抑えようにも、兵が足らなかったのである。
 景時以外の柿崎勢にとっても、景時の行動は慮外の出来事であったようだが、咄嗟にどう行動すべきか判断もつかず、結局、景時は城を受け取りにきた春日山勢を追い返し、さらには兼続ら栃尾勢さえ退けて、柿崎城の城主としておさまったのである。


 春日山の長尾晴景は、この柿崎の暴挙を景虎の謀略と断定し、栃尾に対して宣戦布告を行った。
 柿崎景家を失った景虎が、陰謀をたくらみ、春日山勢の勢力を殺ごうと画策したのだ、という晴景の言葉が、まことしやかに越後の国中で囁かれる。
 義に厚く、忠を尊ぶという、景虎の清廉な評判に、汚物をなすりつけるような噂が、春日山の諜者によって広められていることは明らかであった。そして、その口実を与える失態をしてしまったのが自分であることに、兼続は自責の念を覚えずにはいられなかったのである。
 ――たとえそれが、春日山の策略である可能性が、高かったとしても。



 景虎は、もう一度、兼続に向かって口を開いた。
「よい、兼続。そう自分を責めるな。姉上がここまで我が身を憎んでいた以上、たとえ柿崎の件がなくとも、いずれ何がしかの問責を受けていたであろう」
 春日山にいる晴景の、景虎排除の意思は、もはや明白である。
 実の姉から、心底疎まれていたことを認めた景虎はわずかに俯き、さびしげな表情を浮かべた。
 その姿を、兼続たちは言葉をかけることも出来ず、ただ見つめることしか出来ぬ。
 だが、景虎はすぐに顔をあげ、臣下にそれ以上の気遣いをさせなかった。


 顔を上げた景虎の顔に、たちまちのうちに清冽な戦意が漲ってくる。
 姉との戦を避ける術があるなら、最後までその可能性を模索する。だが、もはや戦うことでしか姉と交われぬのならば、全力を以って戦うのみ。
 景虎の勝利が早ければ早いほど、流れる血は少なくなろう。
 すっくと立ち上がった景虎の口から、長尾家に仕える忍集団の名前がこぼれる。
「――軒猿(のきざる)」
「……ここに」
 景虎の言葉に、部屋の外から呟くような返答が帰ってきた。
「春日山の総兵力は」
「集まった国人衆の数からして、おおよそ六千。斎藤朝信も、此度は春日山に参じております」
 その軒猿の報告を聞いた景虎や、兼続たちの顔に、緊張の色が浮かぶ。
 柿崎景家に優るとも劣らぬ勇猛な武将である。これまでは、国内での争乱に対して、中立の立場を堅持していたのだが……
「斎藤殿が春日山に参じたとなると、これは一筋縄ではいきませぬな」
 実乃が右手で髭を捻りつつ、左手で頭を掻く。仕方ないこととはいえ、敵も味方も顔見知りばかりであり、やりにくいことこの上ない戦いとなりそうであった。


 兼続、定満も、実乃と同じ表情で苦い顔をする。
 そんな中、景虎は自らが戦うこととなる敵将の名を尋ねた。
 そして、返ってきた答えは――


「天城、颯馬ですか。柿崎を討ち取ったという男ですね」
 兼続の言葉に、定満が小さく頷く。
「油断しちゃ、駄目だね」
「それはもちろんです。ですが、宇佐美殿、そこまで警戒するような相手なのでしょうか。聞けば、晴景様が農民から引き立てた者だとのこと。兵法を学んでいるかさえ、怪しいものです。柿崎を討ち取ったのも怪我勝ちやも知れません」
 兼続の言葉に、定満は首を傾げてみせる。
「……怪我勝ちで討ち取れるほど、柿崎は弱くないよ。それに、柿崎を討ち取った時の動き、無駄も多いけど、きちんと理にかなってる。ちゃんと軍学を修めているかはわらかないけど、多分、素人じゃない」
 実乃もまた、宇佐美の言葉に賛意を示す。
 いずれも、柿崎の剛勇を知ればこそ、なまじな策で、あの突進を止めることは不可能であることを理解していたのである。


 本当は、兼続とて、その程度のことはわかっていた。天城とやらの将略が、なかなかのものであるということも。
 しかし。
 天城が春日山の将であるならば、今回の謀略もまた天城の頭脳から出た公算が高い。
 兼続自身はともかく、主君である景虎の尊厳に泥を塗るような真似をした人物に高い評価を与えることは難しかったのである。


 だが、景虎の側近たる身で、感情に振り回されることは許されない。
 誰よりも、主君である景虎が、苦しい胸の内を押し隠して戦っているのだ。それを支えずして、どうして長尾景虎の臣下を称せるのか。
 兼続は自らを叱咤し、胸中の感情のわだかまりを掃き清めていった。




 
「――天城、颯馬」
 景虎は、敵将の名を口にする。
「天の城に、風の馬、か。雅な名だな」
 その声は小さく、兼続が怪訝そうに問いかける。
「景虎様、何か?」
「――いや、なんでもない」
 景虎は頭を振ると、埒もない思いを振り払う。
 これから戦う敵将として、その名を脳裏に刻みつけ。
 越後の竜は、迫り来る戦に備え、毘沙門天に祈りを捧げるために、毘沙門堂へと歩を進めたのである。



◆◆



 長尾晴景、長尾景虎。
 両軍が最初に戦火を交えたのは、越後与板城である。
 すなわち、直江兼続を当主とする直江家の居城であった。


 春日山長尾軍は、大動員をかけ、六千の兵力を整えるや、関川を渡って柿崎城に向かう。
 晴景軍の指揮官である天城颯馬は、まず、これを下して、関川以東の地を狙う橋頭堡にする心算であった。
 だが、新たに柿崎城主となっていた弥三郎景時は「かねての約束どおり」と晴景軍にあっさりと降伏し、所領の安堵を要求する。
 当然、天城はそのような話は知らなかった。だが、発端となった出来事のことを考えれば、柿崎と春日山の間で、何らかの密約があったことは察せられた。そして、それを行ったのが、誰であるかも。


 天城は多くの時間を要さず、決断する。柿崎景時を捕らえ、無用の戦火を招いた罪で即座に処断したのだ。
 約束が違う、とわめこうとする景時の口を縛り、柿崎城内で刑を執行した天城は、景家の長男である晴家を新たな柿崎城主として認め、幼い晴家の後見人には、実直で知られる家臣を選び出した。
 全てが、春日山の長尾晴景の名をもって行われ、決定された。この裁定により、柿崎家の後継争いは、ひとまず収まったのである。


 柿崎城の仕置きを終えると、天城は密使を坂戸城に遣わした後、斎藤朝信を先手として、日本海を左に望みながら北上。直江家の居城である越後与板城に攻めかかる。
 与板城は、直江家の先代当主が城を守っているが、主力の多くが、兼続にしたがって栃尾城に詰めているため、晴景軍の総攻撃にあえば、落城は免れないかと思われた。


 だが、軒猿の働きによって晴景軍の動きを正確に掴んでいた景虎の軍勢は、この時、すでに与板城を指呼の間にとらえていた。
 その兵力は、およそ四千。栃尾勢の、ほぼ全戦力にあたる数である。
 与板城外で対峙する晴景軍と、景虎軍。ここに、両軍ははじめて正面から矛を交えるかに思われた。


 だが、晴景軍を率いる天城颯馬は、景虎と正面から野戦で勝敗を決する心算はなかった。
 陣を堅くするだけで、晴景軍は動く様子を見せない。
 一方の景虎軍は、当初の目的である与板城の救援を成し遂げ、将兵の士気は上がっていた。与板城の兵力を加えれば、景虎軍は四千五百を越える。晴景軍六千とは、まだ大きな隔たりがあるが、与板城という拠点を抱える景虎軍の方が有利であるのは言うまでもない。
 ここで晴景軍を破れば、形勢は一気に景虎方へ傾くだろう。そう考えていた矢先、栃尾城から息せき切って急使があらわれた。
 その報告を聞いた景虎軍の諸将は、うめき声をもらした。


 栃尾城の南にある一つの城。
 その名を坂戸城という。先代守護代、長尾為景の弟である長尾房長と、その子である長尾政景の居城である。
 その坂戸城から、栃尾城に向けて、数千の兵力が進軍しつつあるという、それは知らせであった。


 
 長尾房長・政景父子は、今回の春日山長尾家の当主を巡る争いについては不干渉を貫いていた。
 その血筋から、自らその座を望むことも出来た房長であるが、これといった主張を行うことはなく、領土の統治と、周辺豪族との関係を厚くすることに手を砕き、情勢を静観してきたのである。
 その房長が動いた。しかも、晴景方として。
 無論、これは天城の指示による。晴景には子がいない。晴景亡き後の守護代職を、政景にするという誓紙を、出陣前に、晴景からもらっており、それを示すことで坂戸城を味方に抱き込んだのである。


 この坂戸長尾家の動きは、景虎側にとっては、大きな驚きであった。父房長、子政景、いずれも勇猛をうたわれる武将である。栃尾城に残るのは、宇佐美定満率いる五百のみ。一刻も早く救援に赴かねば、景虎軍は居城を失ってしまうだろう。
 だが、ここで景虎が軍を返せば、晴景軍は猛追を仕掛けてくるのは必至。退却戦が困難を極めることは常識であり、それは景虎にとってもかわらなかった。


 だが、天城の動きは景虎軍が予想だにしないものだった。なんと、与板城から数里、引き下がったのである。天城が、栃尾の動きを知らない筈はなく、また、景虎側の退却を予測していない筈はない。しかるに、天城は退いた。それだけ離れてしまえば、後ろから追撃をかけるのも容易ではないというのに。
 敵軍の思惑をいぶかしみながらも、景虎軍は栃尾城に向けて退却を開始した。晴景軍は追撃の構えを見せたものの、景虎軍の神速をもってすれば、晴景軍に捕捉される前に逃げ切ることは、十分に可能であり、また事実、景虎軍はこの退却において一兵も失わなかったのである。


 もっとも、景虎は全軍を退かせたわけではない。景虎軍がいなくなれば、与板城を失うのもまた自明。それゆえ、景虎は、兼続に千人の兵を付け、与板城に残らせた。
 最初から城の守備についていた直江家の兵が五百であるから、残るのは千五百人。六千に及ぶ大軍を相手どるには苦しい数だが、兼続であればやってのけるだろうと景虎は判断したのである。



 だが、晴景軍の動きは、またしても景虎側の予測に反する。栃尾へ退く景虎軍の後背を見送ると、悠々と与板城から引き上げを開始したのだ。
 といっても、完全に退却したわけではない。一日あれば、与板城を急襲できる距離を保ったまま、滞陣したのである。
 結果、直江兼続は与板城から身動きがとれなくなる。
 兼続までが栃尾城に退けば、天城が軍を返してくることは明白であったからだ。
 兼続は敵の思惑を悟って歯噛みしつつ、しかし打つべき手を見出せずにいた。



 これと同じことが、栃尾城にも起きていた。
 景虎の軍が近づくや、坂戸勢は栃尾城から退き、一定の距離を保つ。景虎が出撃すれば退き、景虎が別方面へ動こうとすれば、栃尾城に攻め寄せる。
 景虎が総力を挙げてかかれば、坂戸勢を打ち破ることは不可能ではなかったが、そうすれば与板城の晴景軍が動くのは明らかであった為、景虎は容易に動くことが出来なくなってしまったのである。



 今や、晴景方の狙いは明らかであった。
 戦線を膠着させること。
 兵力的に優位に立つ晴景軍は、与板城と栃尾城に、景虎軍の主力を封じ込めると、数百から千の軍勢を小出しにして、景虎方に味方する地域を次々と攻略していく。
 時に、この攻略軍は、栃尾城から雷発した長尾景虎率いる少数の精鋭部隊に捕捉され、散々に蹴散らされはしたが、一度や二度の敗北で、晴景方の優位は変わらない。
 むしろ、坂戸長尾家を味方につけた晴景方には、柿崎撃破後にも増して、味方となる国人衆が集まってきており、両軍の兵力差は開く一方であった。 
 天城は新たに加わった国人衆の軍勢で、失った兵力の手当てをし、あるいは新たに彼らを組織して攻略部隊をつくるなどして、景虎側への圧力を強めていったのである。




 後に、天城はこの戦いのことを「劉邦が、項羽と戦うかの如く」と表現した。
 西楚の覇王項羽の戦場における強さは圧倒的であり、戦えば必ず負けるとわかった劉邦は、項羽と戦場で矛を交えようとはせず、広大な包囲網をつくりあげて、項羽を奔命に疲れさせ、最終的に垓下の戦いで、項羽を葬るに到る。
 それを模した、と天城は言ったのである。
 天城が、いかに野戦における長尾景虎を恐れ、また警戒していたかが如実にわかる例え方であるが、形勢が天城の意図する方向に向かいつつあるのも確かであった。


 だが。
 一向に勝負を決しようとしない天城の戦いぶりに、晴景方の諸将は、徐々に不満を募らせつつあった。戦術家として景虎と戦える筈もないと考えた天城は、この時、戦略家として景虎と対峙していたのだが、そこまで思いを及ばせることが出来たのは、敵味方、あわせても精々数名たらず。
 将兵の大多数を占めるのは、眼前の戦闘の勝利こそ、戦の勝利に繋がると考える者たちであり、その彼らの目から見れば、晴景方は、景虎の部隊に負け続けているようにしか見えない。
 越後の国を俯瞰すれば、景虎方はゆっくりと包囲され、徐々にではあるが、押し込まれつつあったのだが、地表では、連勝で沸き立っているのは景虎軍であり、晴景軍はやや意気阻喪している観があった。


 そして、何より、項羽と景虎の違いは、その配下の智者の存在であった。
 この戦を、楚漢争覇戦に例えるなら、最も重要なのは越後中部から北部にかけて勢力を持つ北部地方の国人衆の動向である、彼らは、斉の韓信に匹敵する存在であった。つまり、彼らがどちらにつくかによって、最終的な勝者が決まるということである。
 新発田、平林、鳥坂らの諸城に居を構える彼らには、当然、天城も使者を遣わしていた。
 だが、天城よりもはるかに早く、彼らに手を入れていた者が、景虎軍に存在した。
 ――その者の名は、宇佐美定満。
 かつて、長尾為景をして「あやつに負けぬためには、戦わぬことだ」と嘆息せしめた、越後随一の智者である。
 定満は、すでに、春日山と栃尾の間で不穏な空気が漂っていた時期から、彼らに対して幾度も使者を出し、彼らの心をしっかりとつかまえていたのである。



◆◆



 越後北部の国人衆が、景虎方につき、一斉に動き出したことを知った俺は、深くため息を吐く。俺がどれだけ策を講じようと、すでに最後の切り札は景虎様の手元にあったことを悟ったのだ。
「予想してなかったわけじゃないが、やっぱり先を越されてたか」
 越後の北には、たとえば坂戸の長尾房長のような、数千の兵力を抱える大身の者はいないが、皆、それぞれに数百から千近い人数を抱えている者たちばかり。
 景虎方は、そんな彼らを束ねることに成功したらしい。おそらくは、宇佐美定満の仕業であろうが、南下してくる北部の国人衆の兵力は、五千に達しようかという大軍であった。
 これで、こちらと、あちらの兵力はほぼ互角。
 これまでのように、兵力差を利した戦い方は、もう不可能である。


「まあ、このままでも、行き詰っていたかもしれないがな」
 俺はそういって、苦笑した。
 軍中からは、俺のことを景虎様から逃げ回る臆病者との評も聞こえてきている。そして、それは完全に事実であった。
 やはり野戦においては、景虎様は比類なき強さを誇る。一度、遠目にその姿を見たが、自ら先頭を馬で駆り、恐ろしいほど鮮やかにこちらの部隊を切り崩していく様は、なるほど、毘沙門天の化身という評判も頷けるものであった。
 正直なところ、微塵も勝てる気がしなかった。軍神、戦神の化身など、噂は色々聞いていたが、正しく噂に違わぬ強さ――というか、あの景虎様を見れば、噂の方がまだ控えめな表現だったのだと思える。
 さすがは越後の竜、上杉謙信。柿崎景家を討ち取ったからといって、調子にのって、いくら謙信でも若年ならば、抑えることくらいは出来るかも、などと考えていたつい先日までの自分が恥ずかしすぎる。


 とはいえ。
「だからといって、逃げ出すわけにはいかないからなあ」
 俺はため息を吐きつつ、髪の毛をかき回す。なんかこの台詞を言う都度、死の淵に近づいているような気がしてならない。気のせいであることを願いたいところなのだが。
 越後を二分する抗争に発展した以上、今回の戦いで敗北すれば、晴景様は死罪に処されるだろう。たとえ景虎様がためらったところで、他の国人衆が許さないだろうし、越後の民も、晴景様の死を望む筈。
 その願いをはねつけることは、景虎様でも出来ないに違いない。
 つまるところ、晴景様を助けるには、勝つしかないのである。
 あの、長尾景虎に勝つしか。文字通りの意味で、命を懸けて。


 北部国人衆の参戦により、今や、越後全土がこの戦いに巻き込まれたことになる。
 これ以上、戦が長引けば、当然、軍資の費えは嵩み、民の生活にも好ましからぬ影響が出てくるだろう。
 早く決着をつけなければ。
 おそらく、景虎様はそう考える筈だ。元々、あまり気の長い方ではないとも聞くし。
 そしてこの戦の場合、決着とはすなわち、晴景様もしくは景虎様が相手方に降伏すること、あるいは、その首級を奪われることに他ならない。どの城を陥とそうが、どの地を奪おうが、この戦に関しては決定打になり得まい。
 その意味でいえば、たとえ大将である俺が討ち取られたとしても、代わりに誰かが采配を委ねられるだけだ。おそらく、景虎様は俺の首級に興味はないだろう。


 だが、晴景様は春日山城に篭って動こうとしない。むしろ、動かれても困るから、その動きを抑えていたのは俺なのだが、しかし、そろそろ動いてもらう時が来たのかもしれない。
 俺は、癖になりつつあるため息を吐きながら、諸将を集めるように命じた。
 北部国人衆が景虎様と合流するまえに、素早く退却しなければならない。
 目指す先は越後国北条城。後年の地名では柏崎というこの城と、その傍らでそびえたつ米山を封鎖すれば、春日山城へと到る街道を完全に遮断することが出来るのである。


 ――つまりそれは。
 ――たとえ、春日山城を空同然にしても、問題がないということ。


 そして晴景方の全兵力をここに集中すれば、景虎軍が大挙して押し寄せようとも、かなりの長期にわたり、防戦することが可能となる。
 それはすなわち、早期決着を望んでいるであろう景虎様にとって、きわめて望ましくない戦況が現出することになるのである。



 空の春日山。容易に突破できぬ米山、北条城の守り。
 この二つを前にして、景虎様がどう動くか。あとは――
「賭け、だな。まあ、勝っても負けても、俺には配当は入ってこないけど」
 言って、俺は思わず天を仰ぐ。
 一体、どうしてこんなことになったのだか。
 ただの大学生であったほんの数月前のことを思い出しながら、俺は両の頬を思い切り叩く。
 それは、ともすれば怯みそうになる自分の心に、活を入れる為だった。



◆◆



「叔父上が、兵を退いた?」
 配下の報告に、景虎はわずかに眉を動かした。
 その兵の報告によれば、栃尾城に執拗に張り付いていた坂戸長尾軍が、一斉に坂戸城へ向けて退却を始めたという。
 さらに、時を同じくして、与板城の兼続からも、春日山勢が一斉に退却を始めたことを知らせてきた。
 それは蝗のように各地に散った晴景方の小部隊も同様であり、皆、一斉に米山方面へ退却を開始したという。
 北部の国人衆の参戦が、その引き金になったことは明らかであった。


「……持久戦、かな?」
 その場にいた定満が、自信なさげに首を傾げる。
 今回の戦において、最大の勲功をたてた定満だが、それを誇る素振りも見せない。春日山勢の動きを見て、思うところを述べてみたようだ。
 その定満の意見は、景虎にも頷けるものだった。
 米山は、景虎軍が春日山城へ行くためにはどうしても通らねばならない道である。
 あの地を封鎖されれば、後は海を越えて敵の後背にまわりこむか、もしくは迂回して山を越えるかしかないだろう。
 とはいえ、海を越えるにも船が足りないし、山を進むにしても糧食に不安が残る。何より、敵に悟られてしまえば、敵地の真っ只中で孤立することになってしまう、一か八かの危険な試みだ。
 それらを避けるには、敵の思惑どおり、真正面から北条城と米山を突破するしかない。だが、そうすれば、敵と味方とを問わず、越後の民の血が大量に流れることになるだろう。
 いずれも、景虎が望む天道とは程遠いものばかりだった。


「……だが、今は止まっている場合ではない」
 景虎の言葉に、宇佐美が頷いて賛意を示す。
「うん。まずは兼続と合流して、春日山の動きを見極める。そこから、どう動くかを決めるのが最善」
「わかった。ただ、叔父上が坂戸城に戻ったというなら、米山の封鎖には加わらないつもりだろう。念のためだ、この城には、実乃を残していく」
「それで良いと思う。景虎様と私で、動かせるだけの兵を連れて、北条に向かう」
 城内を歩きながら、景虎と定満は瞬く間に行軍の計画を立てていく。
 この両者が、栃尾城の城門を出るまで、半刻を要さなかった。




 そして。
 北条城城外で兼続と合流した景虎たちは、晴景方の手によって厳重な防備を施された米山を見て、その突破が容易でないことを知る。
 そして、春日山勢が、ほぼすべての戦力を、この地に集結させていることも。


 それを聞き、景虎の目に、名刀が陽光を反射したかのような、鋭利な光がはしる。
 その視線が向いたのは、米山の南。黒姫山。
 道らしい道がなく、熟練した猟師でもなければ、道を見つけることさえ容易ではない。ましてや、山を越えて、西の頚城平野に出るのは至難と言って良い。
 それらを承知してなお、景虎の視線は、その山から離れることはなかった。
 否。
 景虎は、すでに山など見ていない。
 その視線が見据えるのは、眼前の山嶺を抜け、そのはるか先、頚城平野にその偉容を示す越後守護代の居城、春日山城であった。



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