ifか未来かしらねども
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出羽国山形城は羽州探題を務める最上氏の居城である。
羽州とは文字通り出羽国のことであり、隣国の陸奥国を治める役職を奥州探題という。
すなわち最上家は、東北地方を二分する一方を統べる家柄であり、その勢力は周辺の諸豪族の追随を許さない……と言いたいところなのだが。
「役職が現実に反映されないのが、戦国時代が戦国時代たる所以なのかな」
城内の各処から響いてくる槌の音に耳を傾けながら、俺はそんなことを呟く。
現在、山形城では大規模な城の改修作業が行われている真っ最中だった。これは近年、隆盛著しい隣国の伊達家からの侵攻に備えるためなのだが、同時に出羽の他勢力への示威の意味もあった。さらには今現在、最上家は城の補修に全力を注いでいると見せかける意味もあったりする。もっとも最後のはまだ正式に当主の許可を得ていない策ではあったが。
ともあれ、その一事で明らかなように、羽州探題にあるとはいえ最上家は出羽を掌握しているわけではなかった。正確には、最上家の支配は出羽半国にかろうじて届くだけであった。
とはいえ、これでも最上家の勢力はかなり回復してきているのだ。
今代当主最上義守が即位した当初は、本拠地である山形城の確保さえ危うかったそうだから、わずか十年で出羽の半分近くを奪回した義守の手腕は賞賛に値するといえよう。
もっとも最上家の勢力が盛り返してきたのは――それはつまり当主である義守が実権を握ってから、という意味に通じるのだが――はここ数年のことであった。それまで義守は半ば傀儡として重臣たちの庇護を受ける身だったのである。
……こう記すと、いかにも最上家がどこぞの奸臣に牛耳られているように思われそうだが、事実は大きく異なる。最上家の重臣たちは野心をもって家政を取り仕切っていたのではない。むしろ、誠心をもって主家のために立ち働き、最上家の凋落を食い止め続けたのである。
なにせ家督を継いだ当時、最上家第十代当主は御歳わずか二歳だったのだから、当主としての責務を果たしようもなかったのだ。
そして、幼君を必死に守り立ててきた最上家臣たちの忠誠と情愛は正しく報われる。
髪結いの儀を終え、名実ともに最上家当主として立った義守は、隣国の上杉謙信や伊達政宗のような際立った力量こそなかったものの、堅実な内政手腕と誠実な為人で領内の統治に力を発揮し、乱れていた出羽国に確かな一歩を踏み出したのである。
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こうして新たな歩みをはじめた最上家だったが、時は戦国の世、内治に優れるだけでは他者の餌食になるだけだった。ことに最上家を取り巻く状況は過酷を極め、戦備をおろそかにすれば一夜にして滅びを迎えてもおかしくはなかったのである。
国内に天童や大江といった反最上の国人衆を抱え、国外では独眼竜の異名を持つ伊達政宗が虎視眈々と侵攻の機を窺っている――内憂外患という言葉がぴたりと当てはまる最上家にあっては、戦を厭う義守も刃を用いざるを得ず、幾度も苦闘を繰り返した。
最上家にとって唯一の救いは、南方に位置する越後の上杉が出羽への野心を見せないことだったが、それとていつ豹変するかわかったものではない。
そんな状況であるから、義守が当主として立った後も最上家の苦難は尽きることがなかった。それどころか、最上領の安定と繁栄を目の当たりにした他の国人衆は義守の内政手腕を脅威と見て取り、互いに手を結ぶようになった。内治の成果が、かえって外敵を増やす要因になってしまったのは皮肉というしかなかっただろう。
しかし、である。
ここでもう一度繰り返すが、前述したように最上家の版図は現在、出羽半国に及ぶ。
それはつまり、それだけ苦しい状況にありながら、最上家は着実に勢力を広げ、出羽を切り従えていったことを意味する。
義守が内治のみならず、外征の才能も目覚めさせたから? 否である。
では、何者が最上家の隆盛を導いたのか。それは――
と、そんなことを考えていると、不意に俺を呼ぶ声が耳に飛び込んできた。
「あ、兄様!」
その声の主は、俺の姿を見つけるや小走りに駆け寄ってくる。
身に着けている飾りや装束は華美でこそないが、一見するだけで高価なものと知れる。いずれも髪結いの儀を終えた成人女性が着るものだが、それを纏う本人はまだ幼さの残る顔立ちをした少女であり、いまひとつ衣装との釣り合いが取れていないように思われる。
――いやまあ、もってまわった言い方をしてしまったが、つまり何が言いたいかというと、明らかに着こなせていないのだ。衣装を着ているというよりは、衣装に着られている観があった。
それはそれで、子供が無理して大人ぶっているようで微笑ましいのだが、本人にそんなことを言おうものなら、その後一両日は口をきいてくれなくなるので、そんな内心はおくびにも出さないけれど。
「これはもがみ……義守様、どうなさいました?」
どれだけ可愛らしい容姿と格好をしていても、今、俺の眼前にいるのは第十代最上家当主、羽州探題たる御方である。これ以上ないほどに礼儀正しく問いかけた――はずなのだが、何故だかもがみ……義守様は口元をへの字に引き結び、つぶらな瞳にそこはかとなく非難の色を浮かべながら、じぃっと俺を見上げてくる。
「……兄様、今『もがみん』って仰ろうとしてませんでしたか?」
「はっはっは、何を仰るやら。きちんと最上義守様とおよびしたではありませんか」
「そうですか? 『最上』のあとに少し間があったように聞こえたんですけど……」
ちなみにこのもがみ……義守様は今十三歳。将来は知らず、今は身体つきも年齢相応のもので、身長も小さい。具体的に言うと、もがみんの頭は俺の胸あたりに位置し、彼女が俺の顔を見ようと思ったら上目遣いで見上げるしかないわけで――
「……むー」
口をきゅっと引き結んで、頬をふくらませつつ見上げてくるもがみん……義守様は、誰がどう見ても可憐で可愛い。どれくらい可愛いかというと、とある事情で援軍に来た俺に対して、何かお礼がしたいと言われたとき、一瞬も迷わずに『おにいちゃんと呼んでください』と口走ってしまったほどに可愛い。
――まあ口走った瞬間に周囲にいた家臣や家族から、蹴られる叩かれる蔑みの視線で射抜かれると散々な目に遭わされたわけだが、これはもう我ながら自業自得としか言いようがなかった。しかし、そのおかげで血縁でもなんでもないのに『兄様』と呼んでもらえているのだから、これぞまさに損して得とれの極意といえよう。違うかもしんない。
というわけで、そんな可愛い最上家当主からじっと見つめられている(正確には睨まれている)ため、今も現在進行形で魂がとろけそうなのだが、さすがにここは大人として時と場所を心得るべき場面であろう。
「そ、それはさておき、もがみん……義守様」
「兄様! 今、確実にもがみんて仰いましたよね?!」
「言ってません」
「ぜったいに仰いました! もう、兄様まで私のことを子供扱いするんですね!」
ぷんぷん、と擬音をつけられそうな感じで怒りをあらわにするもがみん……義守――って最近もうナチュラルに義守のことをもがみんで変換してしまうなあ。いかんいかん。
お怒りモードの義守だったが、申し訳ないがそんな姿も愛らしいため、怒っても全然怖くないのである。家臣や領民は義守のことを親しみをこめて『もがみん』と呼ぶのだが、本人はこの呼び名を子供っぽいと考えており、呼ぶ人呼ぶ人に訂正を求めているのだが、一向に改まる様子がない。
今の俺とのやりとりでもわかるように、義守はこれを何とかしようと日夜努力しているのだが、その努力が徒労に終わるだろうことを、俺はなんとはなしに予測していた。
なにせ呼ぶ人たちに改めるつもりがないのだ。そしてその人たちの気持ちが、なぜか今の俺にはとても良く理解できるからである。
とはいえ、さすがにこれ以上からかうのも忍びないので、話を先に進めることにしよう。
「ところで義守様、何か私に御用だったのですか?」
義守はいまだご機嫌ななめな様子だったが、本来の用件を思い出したのか、はっと表情を改めた。
「そ、そうでした。兄様、白寿の姿を見かけませんでしたか? 先日仕立てた衣装をあわせるって言っておいたのに、いなくなっちゃったんです」
「義光様ですか? それなら確か、城の補修を手伝っていましたが……」
「そ、そうなんですか?! もう、白寿ったらッ」
ちなみに白寿というのは最上義光の幼名である。とはいえ、その名を呼ぶのは義守しかいないのだが。より正確には、義守以外の人物がその名を使うのを義光が許さないのである。
義守は義光を白寿と呼び、常日頃は傲岸な態度をとる義光も、義守を『母者』と呼んで、その言いつけには決して背かない。こう記すだけであれば特に不思議なこともないのだが、実際に二人を見比べてみた者は首を傾げざるを得なくなる。
なにせ義守と義光の二人、ほぼ同年齢にしか見えないのである。むしろ態度や身体つきを見れば、義光の方が年上に見えるくらいだった。
はじめて二人とまみえた時、おれはこう思った。実は義守、幼い外見に反して実年齢は三十歳を越えているのか、と。
その考えは顔中を真っ赤にした義守に否定されたわけだが、では二人の関係は、と話を進めると義守は言葉に詰まってしまい、義光の方はこちらのことなど眼中にない様子で口を開こうとしない。
結局、最上家の二人の関係は今もって謎に包まれたままであった。
◆◆
そんなことを話していると、折りよく話題の主が姿を見せた。
「おい颯馬、さきほどいい忘れたのじゃが、この前話した件はどう……って、なんじゃ、母者もここにおられたのか?」
居丈高に俺に問いを向けようとしたところで、俺の傍らに佇む義守の姿に気づいた義光がきょとんとした顔をする。
その顔は義守と瓜二つと言ってよいほどに良く似ている。母娘というより、一卵性の双子と言われた方がよほどしっくり来るだろう。
――まあ、あえて違いを探すなら義光の頭に突き出た狐の耳(のような何か)だろうか。
――あと、これはあくまでついでに付け足すだけなのが、義光用に仕立てられた衣服には腰のあたりに尻尾(のような何か)を通すための穴が空けられており、今も俺の視界の中でなにやらふさふさとした尻尾(のような何か)がゆれていたりする。
しかしまあ別に気にするほどのことでもない。世の中には馬の着ぐるみを来た武将もいるし、熊の皮をまとった大名もいる。女性を前にすると狼に変ずる男など珍しくもないし、男性を前に猫をかぶる女性も少なくあるまい。ゆえに狐の耳と尻尾を持つ少女がいたところで、とりたてて騒ぐには及ばないのである――ええい、及ばないといったら及ばないのだ。
「で、そこの朴念仁は何をもだえておるのじゃ。はようわらわの問いに答えい。先日の件はどうなったのじゃ?」
「あ、と失礼。先日の件というと――」
「決まっておる。庄内征服の段取りじゃ。上杉に話を通しておくといったのはそちであろうが」
「ここと春日山の距離を考えていただきたいのですけど。あれ、おとといのことでしょうが」
「たわけ、そこを何とかするのが軍師の腕じゃろう」
「いくら庄内の鮭がほしいからって無茶振りにもほどがあると申し上げたい」
と、俺と義光が言い合っていると、一人、話についていけない義守が戸惑った声をあげる。
「え、あの兄様、白寿、庄内征服って何のことですか? わ、わたし聞いてない……ですよね?」
「うむ、母者にはまだ話しておらぬな。じゃが心配はいらぬぞよ。大宝寺ごとき、わらわにかかれば俎板の上の鯉も同様。庄内に産する鮭は永く最上の家のものぞ」
そう言って口元に手をあてながら高笑いする義光と、そのテンションについていけずに肩をすくめる俺、そして事態を把握できずにおろおろする義守、三者三様の姿を城補修のために集められた人足たちが遠くから不思議そうに眺めていた。