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No.10186の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~  【第一部 完結】 【その他 戦極姫短編集】[月桂](2010/10/31 20:50)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(一)[月桂](2009/07/14 21:27)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(二)[月桂](2009/07/19 23:19)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(三)[月桂](2010/10/21 21:13)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(四)[月桂](2009/07/19 12:10)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(五)[月桂](2009/07/19 23:19)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(六)[月桂](2009/07/20 10:58)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(一)[月桂](2009/07/25 00:53)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(二)[月桂](2009/07/25 00:53)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(三)[月桂](2009/08/07 18:36)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(四)[月桂](2009/08/07 18:30)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(一)[月桂](2009/08/26 01:11)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(二)[月桂](2009/08/26 01:10)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(三)[月桂](2009/08/30 13:48)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(四)[月桂](2010/05/05 19:03)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/09/04 01:04)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(一)[月桂](2009/09/07 01:02)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(二)[月桂](2009/09/07 01:01)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(三)[月桂](2009/09/11 01:35)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(四)[月桂](2009/09/11 01:33)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(一)[月桂](2009/09/13 21:45)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(二)[月桂](2009/09/15 23:23)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(三)[月桂](2009/09/19 08:03)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(四)[月桂](2009/09/20 11:45)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(五)[月桂](2009/09/21 16:09)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(六)[月桂](2009/09/21 16:08)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(一)[月桂](2009/09/22 00:44)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(二)[月桂](2009/09/22 20:38)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(三)[月桂](2009/09/23 19:22)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(四)[月桂](2009/09/24 14:36)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(一)[月桂](2009/09/25 20:18)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(二)[月桂](2009/09/26 13:45)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(三)[月桂](2009/09/26 23:35)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(四)[月桂](2009/09/30 20:54)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(五) (残酷表現あり、注意してください) [月桂](2009/09/27 21:13)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(一)[月桂](2009/09/30 21:30)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(二)[月桂](2009/10/04 16:59)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(三)[月桂](2009/10/04 18:31)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/10/05 00:20)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(四)[月桂](2010/05/05 19:07)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(五)[月桂](2010/05/05 19:13)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(六)[月桂](2009/10/11 15:39)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(七)[月桂](2009/10/12 15:12)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(八)[月桂](2009/10/15 01:16)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(一)[月桂](2010/05/05 19:21)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(二)[月桂](2009/11/30 22:02)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(三)[月桂](2009/12/01 22:01)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(四)[月桂](2009/12/12 12:36)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(五)[月桂](2009/12/06 22:32)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(六)[月桂](2009/12/13 18:41)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(七)[月桂](2009/12/19 21:25)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(八)[月桂](2009/12/27 16:48)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(九)[月桂](2009/12/30 01:41)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十)[月桂](2009/12/30 15:57)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/01/02 23:44)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十一)[月桂](2010/01/03 14:31)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十二)[月桂](2010/01/11 14:43)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十三)[月桂](2010/01/13 22:36)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十四)[月桂](2010/01/17 21:41)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 筑前(第二部予告)[月桂](2010/05/09 16:53)
[60] 聖将記 ~Fate/stay night~ [月桂](2010/01/19 21:57)
[61] 影将記【戦極姫2発売記念】[月桂](2010/02/25 23:29)
[62] 影将記(二)[月桂](2010/02/27 20:18)
[63] 影将記(三)[月桂](2010/02/27 20:16)
[64] 影将記(四)[月桂](2010/03/03 00:09)
[65] 影将記(五) 【完結】[月桂](2010/05/02 21:11)
[66] 鮭将記[月桂](2010/10/31 20:47)
[67] 鮭将記(二)[月桂](2010/10/26 14:17)
[68] 鮭将記(三)[月桂](2010/10/31 20:43)
[69] 鮭将記(四) [月桂](2011/04/10 23:45)
[70] 鮭将記(五) 4/10投稿分[月桂](2011/04/10 23:40)
[71] 姫将記 & 【お知らせ 2018 6/24】[月桂](2018/06/24 00:17)
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[10186] 影将記(五) 【完結】
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:49f9a049 前を表示する / 次を表示する
Date: 2010/05/02 21:11


「なあ、キクゴローさんや」
「なに、颯馬?」
「どうして俺は、島津の家紋がついた服を着て、獅子城の城主の間にいるんだろう?」
「颯馬、ボクの頭の中のご先祖様が言ってるよ。『人生万事、塞翁が馬の如し』ってね」
「……そうか? 今回の場合、人生がどうとかいうより、明らかにどこぞの知猫のせいだと思うんだが」
「へー、悪い知猫もいたもんだね。人を窮地に陥れるなんて、品行方正なボクとは大違いだよ」
 そう言って、顔をくしゃっと歪めて笑う品行方正な知猫様でありました――この野郎めが。


「まあ、それは仕方ないにしても、だ」
「なに、まだなんかあるの?」
「むしろこっちの方が気になる。なんで俺の寸法にぴったりな島津の陣羽織が用意されてたんだ?」
 俺がこの展開を読んで用意していたのなら格好がつくのだが、あいにく、そんな千里眼は持っていない。
 すると、キクゴローはあっけらかんと解答を教えてくれた。
「なんか義久が『もっていってね、多分必要になるからー』って家久に言ったらしいよ」
「久ねえ……なにもんだ、あんた」


 などとキクゴローと言い合っていると、なにやら物々しい甲冑の音が向こうから響いてきた。
 獅子城の城主殿が、ようやく姿を見せてくれたらしい。
 俺は小さく肩をすくめてから、背筋を伸ばし、姿勢を正して敵将を待ちうけた。島津の使者として不足なきように様体を整える。
「……様になってないねえ」
「仕方ないだろ。慣れてないんだから」
 と低声でやりあっていると、俺の正面に甲冑をまとった一人の武将が姿を見せた。


 鷹が羽を広げたかのような凛々しい眉。此方を見すえる視線は寸分の揺らぎもなく、俺の内心を射抜こうとしているようで。
 その身に纏う空気は、若年にして端倪すべからざる精気を感じさせ、眼前の若者が凡者ではないことを言外に示している。
 傍らに太刀持ちの小姓一人を従えただけで姿を現したこの人物こそ、獅子城主、頴娃久虎であると思われた。



 俺はゆっくりと頭を垂れ、敵将に向かって口を開く。
「島津が家臣、天城颯馬と申します」
「獅子城主、頴娃久虎にござる。使者殿には、お役目大儀……と申し上げたいところだが」
 そう言うや、久虎の目が狷介な光を放つ。
「書状にて、島津一族の手により、父の御首、お持ちいただきたいと申し入れたはずでござる。確かに天城殿の陣羽織は島津一族のものと見受けるが、貴殿は自身を家臣と称した。そのまとう物と語る言葉、いずれを信ずればよろしいのでござろうか?」
 久虎の詰問に、俺はゆっくりと顔を上げた。
 そして、力むでもなく、城主の問いに応じる。
「いずれもしかり、と申し上げます」
「いずれも、とは?」
 怪訝な顔をする城主に、俺はさらに説明を続ける。
「この身は島津宗家より一門に等しい扱いを受けております。この羽織を許されたがその証。されど、私が島津の禄を食む臣であることも事実でござる。島津が一門にして、島津が家臣。この天城、並び立たぬ二つを併せ持つ数奇な立場にありますれば、いずれもしかりと申し上げました」


 そう言いながら、俺は眼前の頴娃家当主に観察の視線を走らせる。
 外見から推して、武将としての性質は武に傾くと思われるが、ただそれだけの人物ではないだろう。言動の端々に、豊かな知性がにじみ出ているのが感じ取れた。
 率直に言って、父親より数等上の人物であろうと俺は結論付ける。
 その傍らに座す小姓は、細面の顔の造作が、やや繊弱な印象を与えこそするが、こちらを見る視線にはひた向きな心根の強さが感じられる。個の才腕に加え、良臣を見出す眼力も併有しているとすれば、頴娃久虎という人物、こちらの予測以上に厄介な相手になりかねなかった。


「……うむ、いささか強弁にも聞こえるが、こちらも多くを要求しうる立場ではない。島津家の誠意、確かに確認させていただいた。これより我が頴娃家は、貴家の臣としてお仕えいたしましょう――無論、此度の件、貴家がお許しくださるのであれば、ですが」
「我が島津家は無用の兵火を望みません。貴家がこれまでどおり、当家に忠節を尽くしてくださるのであれば、此度のことでこれ以上の罪を問わぬこと、十字紋に懸けてお約束いたしましょう」
「……寛大な言葉、かたじけのうございます」
 そういってゆっくりと頭を下げる久虎。
 次に発された言葉が、はや主家に対するそれに変じていたことは、その類まれな器量を示す証左でもあったろうか。
「本来であれば、これよりそれがしが内城へ出向いて臣下の礼をとるべきでござるが、父の死によって、家臣も民も落ち着きを失っておりもうす。今、それがしがこの城を離れれば、要らざる騒動が起こる可能性もございますゆえ、義久さまにお目にかかるのは、いま少しお待ちいただきたいのです。よろしいか?」
 頴娃軍の主力は撃ち破ったとはいえ、城内にはまだ少なからぬ兵がいる。久虎の言葉は、彼らを説き伏せるだけの時がほしいということだと解釈できる。


 もっともなこと、と俺は久虎に頷いてみせた。
「承知いたした。宗家にはそのように伝えておきましょう」
「重ね重ねの厚意、かたじけのうござる。服従の証として、この城の府庫に蓄えていた金銀は残らず差し出させていただきます。我が家が起こした不始末の償いにもならぬでしょうが、なにとぞお受け取りいただきたい」
 随分と気前が良い、と久虎の思いもよらない申し出に対し、俺は内心で首を傾げた。あるいは、まだこちらを試しているのだろうか。


 極端な話、頴娃家を滅ぼすのであれば、府庫の金や糧食を持ち出しても問題はない。だが、降伏を受け入れた相手にそれをすれば、生き残った者たちの不満はたちまち第二の叛乱へと変じていくだろう。
 草を刈って根を残すに等しい愚行は、今後の島津の征図に悪しき影響を及ぼしてしまう。それゆえ、俺は久虎の申し出に対し、あっさりと首を横に振った。
「――いえ、金銭は今後の頴娃家にこそ必要なものでしょう。そこまでしていただくには及びません。ただ……」
 俺の返答を聞き、久虎はやや目を細めたが、続く俺の言葉に興味を示す。
「なんでござろう。こちらは敗軍の将ゆえ、大抵のことならばお引き受けいたす」
「ならば、お言葉に甘えて。我ら、明朝に居城へ軍を返します。無論、全軍を挙げて。ゆえに今宵は兵らをゆっくり休ませてやりたいのですが、強行軍を重ねてきまして、糧食に少々不安がござる。くわえて、戦の疲れを忘れさせるに欠かせぬものが不足しておりまして」
 困ったように頭をかく俺を見て、久虎はすぐにぴんと来たようだった。
「なるほど、酒でござるか」
「はい。無論、庫のすべてを、などとは申しませぬ。支障ない範囲で譲っていただければ、と」
「今も申したように、こちらは敗軍。勝者の命令に逆らうことは出来ませぬ。ましてその程度のささやかな願い、どうして逆らったりいたしましょうか。早急に城外の陣へお持ちいたすゆえ、しばし時をいただきたい」
 即断で肯ってくれた久虎に対し、俺は深々と頭を下げるのであった。



◆◆



 島津の使者が退出した後。
 城主の間に残った頴娃久虎は――頴娃久虎と思われていた人物は、呟くように言った。
「――奇妙な使者でしたな」
「そうかい? 間抜けな使者と言い換えるべきだよ。こちらが誘導するまでもなく、わざわざ自分で墓穴を掘ってくれたのだから。天城とやら、噂に違わず、島津宗家の贔屓だけで禄を食んでいる輩らしいね」
 そう言って、口元に笑みを湛えながら立ち上がったのは、太刀を持って久虎の傍らに控えていた小姓であった――正確に言えば、小姓であると天城が考えていた人物であった。
 その人物が立ち上がると、甲冑をまとった方が頭を垂れ、主従はたちまちのうちに逆転する。
 そして、甲冑姿の武者の口から決定的な言葉が発される。
「いかがなさいますか、久虎様」


「ただちに、島津の陣に酒食を供する。勝利に驕って略奪の一つもするかと思っていたが、なかなかどうして、よく軍律が保たれている。けど、酒が入れば箍も外れるだろう。城中の酒をかき集めて送ってやるんだ」
 その言葉で、久虎の側近は、主君の意を察したようであった。
「御意……はやこちらから仕掛けますか?」
「ああ。今すこし島津が勝利に驕った振る舞いをするものと思っていたんだけどな」
 その意味で、島津側の対応は少し意外であった、と頴娃久虎は内心で呟く。


 書状でああ書いて送ったとはいえ、久虎も、まさか宗家の姫がのこのこ来るとは思っていなかった。当然、名代が来るだろうと考えており、その使者の態度次第で今後の対応を定めるつもりであったのだ。
 対応と言っても、むざむざ島津ごときの膝下に跪くつもりは、久虎にはなかった。
 ただ、愚かな父とは異なり、今の頴娃家の力で島津家に抗することが出来ると考えるほどうぬぼれてもいない。
 父は、島津が外交で孤立している今こそ好機、と考えたようだが、実際のところ、対島津の兵を挙げたのは、大隈国の肝付家ただ一つ。それも全力出撃にはほど遠い戦ぶりである。
 この状況で頴娃家が兵を出したところで、島津家の返り討ちに遭うのは目に見えている。久虎はそう父に説いたのだが、居城である内城を空にする島津の動きに、父は我慢が出来なかったのである。


 今となってみれば、それが島津の誘いの隙であることは瞭然としている。
 久虎は敵の小癪さを憎むよりも、父の愚かさに憫笑を禁じ得ない。子としての情がまったくないわけではないが、今回、父が討たれたことに対して感情の揺らぎはほとんどなかった。
「父上は急ぎすぎた。動くとしても、日向の伊東家が兵を動かすまでは、島津に従うふりをしておくべきだったよ」
「は……」
「まあ、今さらいっても詮無いことだけどね。結果として、僕が家督を継ぐことになったわけだから、父上には冥府で頴娃家の隆盛を見守っていてもらうとしよう」
 それも、それほど先のことではない、と久虎は考える。
 謀叛を起こした敵の城に、天城程度の臣を遣わす。それだけで、島津の底は見えたも同然である。そういって、刃のような笑みを浮かべる久虎に、側近は声もなく頭を下げるのであった。


「正直、臥薪嘗胆がしばらく続くものと覚悟していたが、案外、機ははやく巡ってきたね。まさか降伏間もない相手の城近くで、酒と飯を望むとは、ふふ、油断が過ぎるというものだ、天城」
 久虎の嘲りを受け、側近は呟くように応じた。
「彼の者、降伏した相手に対する心遣いは見事であるかと存じましたが」
「そうかな。こちらが死に物狂いで反撃に転じるのを恐れて、寛大さを見せ付けただけだろう。これ以上、この城で時間を費やせば、肝付との戦線が保てなくなるからな。問題は宗家の姫どもが、何か勘付かないかということだけど……」


 主の危惧に対し、側近は自らの意見を述べた。。
「島津が、兵に強行軍を強いたのは確かであると存じますれば、姫君方が何かを察しようと、酒はともかく休養はとらざるを得ますまい。そこを衝けば、十分に勝機はあるかと」
 その側近の言葉に、久虎は頷いて見せる。
 ともあれ、酒食の件は早急に手配しなければならない。
「小者や下男まで含めれば、城中からまだ百や二百は集められる。逃げ帰ってきた連中を含めれば、島津と同程度の兵力は揃えられよう。疲れ果て、酔い騒ぐ島津勢など、一戦で蹴散らしてやる。頴娃家の武威の真髄、思い知らせてやるんだ」


 そう言って笑う久虎こそ、父の兼堅以上に先走っていたと言えるだろう。
 そのことに側近はわずかに危惧を抱いたが、あえて異見を掲げるほどの確信を持っていなかったこと、そして自身の目から見ても、十分に勝機が感じ取ることが出来た為、この時は何も口にすることができなかったのである。



◆◆◆



 そして夜半。
 雲に月の姿が隠された頃合を見計らって、獅子城から頴娃家の軍勢が密かに出陣した。
 目指すは島津軍が本営を置いた山麓である。さすがに城外の野原で夜営するほど無用心ではなかったようだが、と頴娃久虎は嘲るように哂った。
「目と鼻の先に布陣すれば、たいした違いはないだろう」
 峻険な地形が交錯する土地柄ではあるが、頴娃家の将兵にとって、文字通りの意味でこのあたりは庭のようなもの。島津軍に気付かれぬように回り込むことなど造作もないことであった。


 その久虎の自信を裏付けるように、出陣して半刻も経たないうちに、頴娃勢は彼方の山麓に島津軍の夜営の火を確認するに至る。盛大に焚かれた篝火が、島津軍の勝ち戦に浮かれる気持ちを表しているかのように、久虎には思われた。
「殿、物見はそれがしが仕りましょう。しばし、ここでお待ちくださいませ」
 側近の言葉に、久虎はゆっくりとかぶりを振る。
「勝機は我が手の内、ここで時を費やす必要はない。万一にも、敵に気付かれれば厄介なことになってしまう」
「しかし、敵陣が妙に静かであるように思われます。四半刻もかかりませぬゆえ、なにとぞ」
 めずらしく、重ねて命令を請うてくる側近に、しかし久虎は再度かぶりを振った。
「兵は神速を尊ぶという。この期に及んでの逡巡は、勝機を失わせるだけだ。なに、多少の備えがあったところで、それは野盗か敗兵どもに対するもの。まさか僕たちが全軍を挙げて城から突出してくるなどと予測してはいないさ」
 そういって、側近の懸念を切って捨てると、久虎は視界の先に煌々と燃える篝火に鋭い視線を送り込む。
 そして、ゆっくりと右手を上げ――一瞬の後、まっすぐに振り下ろした。

 
「この戦国乱離の世、宋襄の仁は無用であると知るがいい。全軍、突撃せよッ!」


 数百を越える将兵の喊声が、それに続いた。
 先の戦で島津軍に翻弄され、大敗を喫した頴娃勢は、ここが恥の雪ぎ所と、堰を切った濁流の如き勢いで南薩摩の地を駆ける。
 月は厚い雲に閉ざされ、地上を照らす光はない。完全な闇夜の奇襲であるが、目的地ははっきりと視界に映っており、道を違える心配はなかった。
 そして。


「かかれィッ!」
 真っ先に島津軍の陣営に達した部隊の長は、配下の将兵に命じるや、勇を振るって真っ先に敵陣に突入する。
 そこには突然の敵襲に、驚き慌てた島津軍の姿が――
「……なに?」
 知らず、長の口から戸惑いの声がもれた。
 そこには何もなかった。驚愕する敵兵も、眠りこけている敵兵も、それどころか燦然と焚かれている篝火と陣幕以外、何一つとして置かれていなかったのである。   


 長の戸惑いは、すぐに他の将兵も共有することとなった。
 念のため、周囲の陣を調べてみても状況は変わらない。島津の兵どころか、猫の子一匹見つけることは出来なかった。
 ――予期せぬ戦況に、この場にいる将兵は、背筋に冷たい風を感じた。
 どうするべきか、判断にまよった彼らは指揮官に視線を向けるが、その中の誰一人として正しい判断を下すことが出来ない。
 元々、この軍は敗残兵と素人の寄せ集めに等しく、指揮系統もほとんど確立されていない。奇襲の成功を疑いもしなかった主君の失策であったが、仮に予期していたとしても、昨日の今日で軍勢を再編することは、どのみち不可能であったろう。
 ゆえに。
 ほんのわずかとはいえ、頴娃勢はこの場で無為な時間を費やすこととなり、わずかにあった退却の猶予を逃してしまう。


 ――否。そんなものは、はじめからどこにも用意されてはいなかった。


 奇妙な静寂に覆われ、互いに顔を見合わせる頴娃勢。
 まるで、そんな彼らに迫り来る危機を知らせようとでも言うかのように、厚い雲間から月光が差し込み、空となった山麓の陣営と、それを見下ろす山腹を照らし出す。
「あ……」
 最初に気付いたのは誰であったろうか。
 自分たちを見下ろす山腹の斜面。そこに次々とたてられていく丸に十字の家紋。月の光に照らされて、星の如くに輝くは長槍の穂先か、刀身の煌きか。
 そして響くは、幼くも、強い意思を宿した澄んだ声。


「仏の嘘は方便、武門の偽りは武略っていうね。だけど、貫く意地も、守るべき矜持も持たない人と家を、私たち島津は武門とは認めないよ。だから、あなたたちの偽りの降伏は、私たちにとって恥知らずの破約なの――相応の報いを受けてもらうよ」


 最後の一言を聞いた時、頴娃勢すべてが気圧されるものを感じたであろう。
 それは、容赦なき報復戦の狼煙。
 島津が末姫、後に『島津の璧』と称されることになる若すぎる戦極姫は、はやその片鱗を感じさせる威厳をもって、高らかに麾下の将兵に突撃の令を下したのである。



◆◆



 およそ一刻。
 戦況が決するまでにかかった、それが時間。


 絶え間なく空気を要求する身体に苛立ちながら、頴娃久虎は忌々しげに吐き捨てた。
「はあ……はあッ……お、おのれ、島津めッ!」
 周囲を見渡せば、付従う兵士は片手で数えられるほど。城を出るときまでは――正確に言えば、島津の陣に攻め込むまでは確かにあったはずの勝利への確信は、今や粉微塵に砕け散っていた。
 しかも、今なお島津軍の追撃は止む様子を見せない。それどころか、要所要所に兵を配置し、こちらが城へ戻ることを許さない。
 今もまた、前方に槍の穂先が煌くのを見て、知らず久虎の顔が歪みを帯びた。帰路を遮られること、すでに五度。もはや島津側が、獅子城周辺の地理に精通していることは疑うべくもなかった。
「誰が裏切ったんだ、くそッ」
「殿、そのような繰言を申している場合ではありませぬ。こちらへ」
 先刻から、幾度も久虎をまもりつづけている側近は、うめく久虎を別の道へと誘導する。


(とはいえ、どうやって城までお連れすればいい?)
 この様子では間道という間道に島津の兵がいるのではないか、との悲観的な考えを、側近は振り払うことが出来ずにいた。
 さらに言えば、たとえ城に帰り着いたとしても、戦況の挽回はもう不可能だと、側近の冷静な部分が認めていた。
 再度の降伏を受け入れるほど、島津は甘くないであろうし、そもそも武士たる者が、そのような恥知らずな真似が出来るはずもなかった。


 つまるところ、この地にとどまっていては打つ手がない。頴娃家を存続させるのであれば、近隣の豪族のところへ――いや、ここまで叩きのめされている以上、頴娃家よりさらに勢力の小さい豪族が、頴娃家のために島津に刃向かうとは考えにくい。であれば、いっそ大隈の肝付家のもとまで逃げ延び、後日の再興を期すのが得策か、と考えた時だった。
 夜闇さえ切り裂きそうな冷徹な声が、側近の耳朶を打ち据えた。


「この期に及んで、まだ逃げられるとでも思っているのですか。かりそめにも武門を名乗るのであれば、事破れた上は、最後を潔くする程度の気構えを見せてもらいたいものです」


 そう言って、十名ほどの部下を引き連れて現れた姫将を見て、側近はうめくように口を開く。
「島津……歳久殿か」
「いかにも。島津が三女、歳久。頴娃の当主……見苦しい振る舞いをせず、自らその命を絶つのであれば、介錯くらいはしてあげますよ?」
 それを慈悲から来る言葉だと思う者は、敵味方を含め、一人もいなかった。歳久の眼差しは氷のごとく凍てつき、内心で怒り狂っているであろうことは頴娃家の将兵の目にさえ明らかであったからだ。


 戦塵に身を晒した経験が少ない久虎は、咄嗟に歳久の鋭気に抗し得ない。だが、その眼差しが自身に向けられているのを見た側近は、僭越と知りつつ、咄嗟に口を開いていた。
「あいにく、頴娃家の当主として切腹など出来ぬ。だが、追撃から逃れることが難しいのも事実のようだ。島津が姫将よ、我が身柄、この場で貴殿に委ねよう。だが願わくば、配下の者たちは見逃してもらえまいか」
「ここで死ぬか、内城で死ぬかの違いでしかありませんよ。此度の醜行、見逃すほどに私たちは甘くない」
「……致し方ない。これも弓矢とる身の定めであろうから」
 言いつつ、歳久が自分を頴娃久虎だという思い違いをしていることを確信する側近。
 城を訪れた天城の言から、おそらくはそう判断したのだろう。であれば、ここで歳久を説得できれば、安全に久虎を逃がすことができるだろう。側近はそう考えた。


 だが、わずかでもそれを面に出せば、空恐ろしいほどに鋭利な視線を持つ眼前の姫は、たちまちのうちにこちらの内心を見抜くであろう。
 そう思い、つとめて自然な挙措で、頴娃家の当主として振舞う側近の意図を悟ったか、当の久虎は口を噤んだままだ。
 どうかそのままで、と祈るような思いでいた側近の耳に、素っ気無い歳久の言葉が届けられる。
「……当主さえ捕らえれば、雑兵になど用はありません。いいですよ、さっさと私の前から姿を消してください。恥も外聞もなく、背中を向けて逃げ去るのであれば、あえてその哀れな背を追い討つことはしないと誓いましょう。もっとも、下らぬ小細工をするようであれば、容赦などしませんが」
「――かたじけない」
 歳久に一礼すると、側近は周りの者たちに声をかけた。
「皆、聞いたであろう。いたらぬ主であったこと、心より詫びる。はよう逃げるがよい。要らぬことを考えず、ただ無心にな」
 肝付の名を出して示唆しようかと考えたが、そんなことをすれば歳久が黙っていまい。ゆえに側近はつとめて何気ない風を装いつつ、久虎の眼差しをとらえ、小さく頷いてみせた……






 側近以外のすべての頴娃勢が姿を消して、しばし後。
「さて、名を聞きましょうか。頴娃久虎、と名乗る者よ」
 歳久が軽く肩をすくめながら言った言葉の意味を、側近はしばらく気付けなかった。
 だが、その意味するところは明らかすぎるほど明らかで――
「……気付いておられたのか?」
 歳久の洞察力の賜物か、と側近は考えたのだが。
「かりそめにも一城の嗣子であった者が、そう簡単に他家の者に――それもただの使者に過ぎない者に、へりくだることはありえない。あれはかしずくことになれた者の所作であった、と」
 それが誰の言葉であるかは言うまでもなかった。
「……なるほど、とうに見抜かれていたということか」
 そういって苦笑をもらした側近は、しかしすぐに疑問を覚えた、


 その疑問を、声に出して問いかける。
「何故、それがしの偽りを承知の上で、こちらの請いを受け入れたのです?」
「そういえば、あなたと、頴娃の当主を引き離すことが出来るでしょう。もっと簡潔に言えば、私が待っていたのはあなたであって、頴娃の当主ではない。あなたを島津に迎え入れることが出来れば最善、かなわずとも他家に置いておくは島津の征途を妨げると、熱心に主張する者がいましてね。この目で見て、それが過大評価であれば頴娃の当主を捕らえるつもりでしたが、私が見たところ、あながち偽りでもないようですから」
「それは、高い評価をいただけたと喜ぶべきなのでしょうな。しかしながら――」
「言わずとも結構。あなたは頴娃の当主以外に仕えるつもりなどない、その程度のことはわかります」
 それに、と歳久は冷笑を浮かべる。
「私はばか颯馬ほどあなたを評価していない。その身を楯にして主君を逃がすのは結構ですが、偽りの身分をもって結んだ約定を、こちらが律儀に守るとは思っていないでしょう。あなたがはじめから、その名を明らかにして主君を逃がそうとしたのであれば、見逃してあげようかとも思っていましたが――」


 主が主であれば、臣も臣。欺瞞と武略を履き違えるような輩に、かける情けは持っていません。


 そう言うや、歳久の手にはいつのまに抜き放たれたか、一本の刀が抜き放たれていた。
「我ら島津を謀る者には、相応の報いを受けてもらいます。あなたの講じた策では何一つ成せないのだと、思い知りなさい」
 一度は久虎を逃がしたと確信し――しかし実際はとうに見抜かれていた。当然、追っ手はかけられているのだろう。歳久自身が言った。偽りの身分もて結んだ約定は、守るに足らず、と。
 ほんのわずかな安堵は、今や胸を苛む苦悶へと変じている。敗者を嬲るが如き、これが島津のやり方か。小細工を弄したこちらが声高に非難できることではないが……
「……これが、島津のやり方でござるか?」
「いかにも……と言いたいところですが、違います。他の姉妹なら、ここまではしないでしょう。けれど私は、島津歳久は、あなたが主君を守り通したのだと、そんな満足を抱えたまま逝くことなど許さない。己が力と見識の無さに、絶望しながら散りなさい」
「……くッ!」
 怒号と共に振るわれた刀は、空気をさえ両断する勢いで歳久に迫り来る。
 受け止めることさえ困難であろうその一閃を――歳久は巧妙を極める角度で刀を突き出し、受け流す。
 側近の刀は、火花を散らして歳久の顔を照らし出し――そして、傷一つつけることが出来ずにそのすぐ横を滑り落ちていく。
 その表情に浮かんだ絶望は、歳久が刀を翻すと同時に虚無へと落ちていった……




「……歳久様、追撃は?」
「不要です。すでに別の者が動いていますから。その者の首は内城へ持ち帰りなさい」
「は、ははッ!」
 微塵も冷静さを崩さない歳久の言葉に、島津の家臣たちは背に冷や汗を流しながら頷いた。
 この姫が島津の一族で本当に良かった、と彼らは内心で安堵の息を吐いていた。
 武に長じる次女義弘の猛勇を見る度に似たような心境になるのだが、彼らが島津歳久に抱く感情は、義弘のそれとは似て非なる意味を持つ。義弘へのそれには憧憬が込められているが、歳久へのそれは畏敬――否、半ば嫌悪が入り混ざるのだ。それゆえ、将兵の人望という意味では、歳久は姉義弘に及ばない。


 ただ、そのことは歳久自身、承知していることであった。さらに言えば、その状況さえ歳久の思惑通りでもあったのだ。
 だが、それを知る者は島津家の中でも数えるほど。そして、この場にそれを知る者はいない。
 配下の畏怖を込めた視線を平然と受け止めながら、島津の若き智将は友軍と合流するために動き出す。
 その背に向かい、本当の頴娃久虎を追う任を誰に授けたのか、などと問う勇気を持つ者はこの場に一人としておらず。
 ゆえに、本当はそんな者がいないのだという事実は、歳久一人を除き、誰も知ることなく終わる。少なくとも、この時、歳久はそう考えていた……





◆◆◆





 ――俺は構えていた弓を下ろし、去っていく頴娃久虎の背を見送った。
 まだ十分に射程範囲ではあったのだが……
 キクゴローが、のんきな声で話しかけてくる。
「いいの、颯馬?」
「あまり良くはないな」
「宗家に害をなす者は、たとえそれが可能性であっても容赦すべからず、が天城の家訓だもんねえ」
「まあ、それを守ろうとすると、宗家以外の人間、全部を斬らなきゃいけなくなるけどな。ただ、あの手の輩は正直逃がしたくないんだけど……」
 率直に言って、頴娃家が勢力を盛り返す、なんてことはないだろう。だが、あの手の輩は逆恨みすると何をするかわからない。
 一軍を防ぐことは出来ても、どこから飛んでくるかわからない一本の矢を防ぐことは難しい。事実、貴久様は闇討ちで亡くなられたのだ。あの無念を繰り返したくない俺としては、ああいう手合いは逃がしたくないのだが――
「それでも、俺がここで久虎を討つと、歳久の思いを踏みにじることになるだろう」
 影たる役割を自らに課したとはいえ――否、それだからこそ。歳久の行動と、その心を踏みにじることはしたくなかったのだ。


 智略縦横、冷徹無比、酷薄無情。みずからそんな評を求める困り者の妹君は、みずからの悪評さえ策のうちに取り込んでしまう。だが、表面上はどうあれ、最後の一点だけは誠実に履行するあたりが可愛いところでもあるのだ。
 ――まあ、こんなこと本人にいったら、ぶっとばされるか、矢の的にされるかのどちらかだろうけれど。


 そんな俺の内心を知ってか知らずか、キクゴローはあくびまじりに呟いた。
「まったく、人間って面倒だよねえ。それとも、たんに颯馬やお姫様たちが厄介な性分なだけなのかな」
「さて、どうだろうなあ」
 キクゴローに答えつつ、俺は馬首を返す。
 討つべき者を討ち、逃げる者は逃げた以上、これ以上の戦いは不要だろう。各処の間道に配置した配下を集めなければ、と考えながら。







◆◆◆






 二十日ほど後。
 薩摩島津家の居城、内城の一室。
 肝付との和議が成立し、義久と義弘が帰城したことで、久しぶりに一堂に会した島津家の面々と俺。
 互いに離れていた際の戦の動向を報告しあっていたのだが、案の定というか何と言うか、俺の言動に義弘の柳眉は先刻からつり上がりっ放しであった。 


「――と、まあ獅子城討伐はそんな感じだったな」
 歳久、家久と共に、獅子城における最終局面を説明し終えた俺。
 義弘は端整な顔に満面の笑みを浮かべ、妹二人をねぎらった。
「うんうん、歳ちゃんも家ちゃんも頑張ったね」
 しかし、その笑みは、俺に向けられた途端、明らかに感情の温度が変わったように思われた。多分、きのせいではない。
「――で、颯馬、あんたは二人が頑張ってた間、何してたわけ?」
 鬼島津さんの勁烈な眼光を受けた俺は、しごく真面目な表情でこう返した。
「二人の邪魔にならないよう、戦場の端っこで小さくなってましたッ」
「何を当たり前のように情けないこといってんの、あんたはーーッ!!」
 耳をつんざくような義弘の怒号に、俺を含め、歳久、家久はたまらず両の耳を押さえる。


「……やはり、久方ぶりだと効きますね」
「うん……毎日聞いていると耐性できるんだけどねえ」
 こそこそと囁きあう妹二人の間に、それまで黙って話を聞いていた長女義久が口をはさんだ。
「その点、毎日、弘ちゃんに怒られてた私に隙はないのです、えっへん」
 そんないつもとかわらない姉たちの様子に、三女と末妹は、我が家に戻ったのだという実感を得て、ほっとするものを感じながらも、口は勝手に言葉を紡いでいた。
「弘ねえではありませんが、当たり前のように情けないことを言わないでください、久ねえ」
「あー、弘ねえが最初っから不機嫌だった理由、わかっちゃったかも。これはお兄ちゃんには、弘ねえの機嫌を直す尊い犠牲になってもらうべきかなあ」
「うう、私が弘ちゃんに怒られるへまをしてたっていうのは、二人の間では既定の事実なの?」
 その問いに、歳久は呆れ顔、家久は困り顔でそれぞれ応じた。
 

「うう、颯ちゃん、可哀そうなお姉ちゃんを慰めてー」
「いや久ねえ今まさに義弘に胸倉つかまれて振り回されてる俺にどうしろとおおおッ?!」
「大丈夫、颯ちゃんはやれば出来る子なんだからッ」
「いくら久ねえの言葉でも、やる気になっただけで鬼島津の相手をするのは不可能と断言させていただく」
「こら颯馬ァッ! 誰が鬼よ、誰がッ!!」
「今まさに、大の男を女の細腕で振り回してる誰かさん」
「や、やだ、細い腕だなんて……」
「そこで照れるお前の感性がわからないぞ、義弘」
「あーん、颯ちゃん、弘ちゃんも、お姉ちゃんを置いてきぼりにして話を進めないでーッ」


「いい加減にしなさい、ばか颯馬」
「今までの流れとその台詞はどこでつながってるんだ、歳ちゃん」
「歳ちゃん言うな! 要するにあなたがさっさと弘ねえに土下座すれば、すべては丸くおさまるんです」
「と、歳ねえ、さすがにそれは……あれ、別に間違ってないのかな?」
「い、家ちゃん、せめて君だけはそこで納得する子に育たないでくれ。主に俺の命の安全のために」
「はーい、しょうがないなあ、お兄ちゃんは私がいないとてんで駄目なんだから、もう」
「颯馬! いたいけな家ちゃんに、変な刷り込みしないの!」
「刷り込みってなんだ、刷り込みって?! そもそもお前が理不尽な――」
「……理不尽な、何?」
「い、いえ、李夫人を彷彿とさせる義弘の細腕は素晴らしいなあ、と」
「誰ですかそれは。ばかだ、ばかだと思っていましたが、ここまでばかだとは」
「だから、お姉ちゃんを無視しないで、みんなーーッ?!」



 なにやら場の混乱は加速する一方で、蚊帳の外に置かれることにたまりかねた三女と末妹が話に加わったことで、騒ぎは鎮まるどころか、かえって熱を高める始末であった。
 それでも、これがいつものことであるためか、内城の人々はいたって平静な様子である。


 縁側で、室内の騒ぎをよそにのんびりと丸まっていたキクゴローは小さな声で呟いた。
「世はすべて事も無し……」
 その視線は、内城の上空、そのはるか彼方に向けられていた。地平線にかかる黒い線は、彼方で沸き立つ雷雲か。
 それはあたかも遠からず薩摩を襲う嵐を示しているかのようで。


「……ってわけにはいかないんだろうねえ」
 その声は、誰の耳に届くこともなく、宙に溶けた。




◆◆◆




 後年、九国の歴史に不滅の名を刻むこととなる島津の四姉妹、これはその日常の一枚絵。
 九国の、ひいては日の本の戦乱の統一に多大な貢献をなした島津義久、島津義弘、島津歳久、島津家久の名は遠く海の向こうにまで鳴り響き、その活躍は彼の『楊家将演義』と並び、女将軍が活躍する物語として、長く人々に親しまれることとなる。
 そして、その物語の始まりから終わりに至るまで、常に姉妹の影となり日向となって島津家と、四姉妹を支え続けた『島津の影』たる人物もまた、多くの人に称揚されることになるのだが――


「待っちなさい、颯馬ーッ!」
「ばか颯馬、止まりなさい!」
「颯ちゃーん、待ってー」
「お兄ちゃーん」
「断じて待たんッ!」


 ――なるのだが、当の本人たちにとって、そんなことは知ったこっちゃないことであるようだった……




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