相模小田原城。
北条家当主とその家臣団を前にして、俺と虎綱は静かに頭を下げた。
その俺たちに向け、眼前の当主殿が口を開く。
「ようこそ、我が国へ。京までも名声の響く武田、上杉両家の使者を我が城へ迎えることができ、嬉しく思います」
大広間へ案内された俺たちの前に、正装をして座っている北条家当主氏康。
あえて言う必要もない気もするが、その顔は千代と名乗って俺たちを小田原城まで案内してくれた、あの女性であった。
「千代は幼名ですので、偽っていたわけではないのです」とは、綱成に引っ立てられるように城へ向かっていた最中、こそっと俺の耳元で囁いた氏康の台詞である。
その氏康を筆頭に、向かって右側が北条綱成をはじめとする五色備えの各将、そして左側が大道寺、松田などの有力な家臣たちが居並ぶ。その陣容は上杉や武田に優るとも劣らない重厚さを示しており、北条家が関東の覇権を握るに相応しい強国であることを無言のうちに俺たちに知らしめていた。
ただ、彼らの視線は非常に厳しい。当然といえば当然で、現状、今川家に与する形の北条家にとって、武田は昨日の友であっても今日の敵であるし、上杉にいたっては国境で追い返したいくらいであったろう。
ここからいかにして交渉を成立させるのか。北条家が相手では、武田と上杉の武威で強引に、というわけにもいかない。まずは今川の背後に信虎がいるということを、北条家が承知しているのか否か、そのあたりから確認していかねば、と俺は考えていた――越後を出るまでは。
だが、すでに信虎が動いている現在、北条家との交渉で時間を費やすことは出来ない。出来るかぎり早急に話をまとめねばならず、そのためには手段を選んではいられなかった。
◆◆
「両家の使者に申し上げる。まず言っておかねばならぬことは、我ら北条家は、貴殿らを信じるに足る根拠を持っておらぬということでござる」
口火を切ったのは、北条家の重臣松田憲秀。年の頃は四十くらいであろうか。脂ぎった顔を皮肉げに歪めながら、まずは虎綱に対して詰問を開始した。
「ゆえに、まず話を聞く前に誠意を示してもらいたい。武田家は、同盟国の不幸につけこみ、領内に謀叛を示唆する文書を多数ばらまいたとか。これに関しては今川家から証拠の書状も届けられておる。これが事実であれば、信義に背くこと甚だしく、そのような背信常なき国と語り合う何事も当家にはござらぬ」
続いて、憲秀は俺に向かって、今度はさらに露骨に嘲りを込めて要求を突きつけてきた。
「上杉家に対しては、今さら口にする必要もござらぬな。関東管領の引渡し、上野の譲渡、さらには向後、関東へ一切手出しせぬという確約、これくらいしてもらわねば、貴殿らの言葉、一切我らの耳に入らぬと心得られよ」
厳しいの一語に尽きる要求であった。無論、それは北条側も承知していよう。あるいはこちらの出方を見るための牽制なのかもしれない。俺たちに向けられた北条家の武将たちの視線が、一際強まったように思われた。
順序から言えば、虎綱が最初に口を開くべきであった。今回の正使は武田家の使者なのだから。
しかし――虎綱が、俺を見てそっと頷いた。それをうけて、俺も頷きを返す。この広間に来る前、俺は虎綱に対し、今回の交渉に関しては任せてもらいたい旨を伝えておいたのである。
時がないという危惧は、虎綱も俺と等しく持つところである。快く頷いてくれたのはその為であろうが、それ以外にも上洛行で手を携えたことが良い方向に働いたお陰もあったかもしれない。
ともあれ、俺は北条家を説くために口を開いた。
「現在、今川家当主氏真は――」
「む?」
憲秀の顔が訝しげに歪む。正使である虎綱をさしおいて俺が口を開いたことと、その内容と、双方に対する表情であった。しかし、俺は構わず続ける。
「大身の家臣を粛清し、その領地を自家と、さらに直属の臣に分け与え、権勢を肥え太らせております。確たる証拠なき断罪に対し、氏真を諌める家臣もまた同様の憂き目に会い、氏真の周囲には誹謗と讒言が山をなしている由。駿府城は恐怖と猜疑に満ち、城内は密告を恐れ、しわぶきの音一つ聞こえぬ様相であると聞き及びます」
それだけではない。
今川家の新たな軍制は、将兵のみならず、その家族さえ縛るものだ。将兵が逃亡したり、あるいは敵の首級をあげられない時は、伍に連なる将兵の家族すべてが連座させられる。
また、すでに今川家は年貢の引き上げと、諸々の労役の拡大を決定しており、領民たちは急激な変貌を遂げつつある今川家の苛政に悲鳴をあげている状況であった。
俺の言葉に、憲秀は小さく鼻を鳴らす。
「ことごとしく何を言うかと思えば――今川家が苛政を行っているから、我らに協力してそれを糾せとでも申すつもりか。今川家の政が様変わりしたことは確かだが、当主が代われば統治の方法も変わる。家臣の粛清も、法制の強化もめずらしいことではあるまい。貴殿らがそれを悪しと断じるのは勝手だが、それを我らに押し付けるのはやめていただこう。ましてや、そんな理由をもって、当家に今川家との盟約の破棄を強いるつもりであるのなら、それは見当違いも甚だしいぞ」
憲秀の声に、居並ぶ群臣からも賛同の声が沸きあがる。
だが、当主の席に座る氏康は、俺の言葉に対し、肯定も否定も示さなかった。それは隣に座る綱成も同様である。
そしてもう一人――氏康らの陰に隠れるように座っている一人の女性もまた、茫洋としてつかみ所のない眼差しをこちらに向けたまま、いかなる感情もあらわにしていなかった。
外見だけ見れば、氏康や綱成と大差ないように思えるが、こちらの洞察を微塵も許さぬ底深き視線は、むしろ歳月の荒波を越えて来た年配者のそれである。
もしかすると、この女性が噂に聞く北条一門の長老、北条幻庵であろうか。
俺はそんなことを考えつつ、さらに口を開く。憲秀に答えるためではない。重臣とはいえ、一家臣を説伏するために言葉を連ねているわけではないのである。
「苛政は虎よりも猛しとか。先代義元殿の統治を知る駿河の民にとって、今の氏真殿の政治は耐えられるものではないでしょう。遠からず、今川領内では叛乱の火の手があがる。私はそう考えます」
一つ、呼吸を挟み、俺は氏康の顔に視点を据え、はっきりとその名前を口にした。
「――武田信虎の、考えどおりに」
虚を衝かれたのか、あるいは俺が話している相手が自分ではないと気がついたのか、松田憲秀は口を引き結んで無言であった。
それは他の家臣たちも同様である。
そんな彼らを前にしながら、俺はなおも淡々と言葉を続けた。
「氏真殿を傀儡とした信虎は、氏真殿の影に隠れて駿遠三の三国に対して苛政を強行して国力を吸い上げ、それをもって甲斐守護職に返り咲く。しかる後、悪政の責をすべて氏真殿に押し付け、それを糾すという名目で東海地方の民心を得る心算でありましょう」
武田信虎が、いまだ表舞台に出ていない理由の一つは、おそらくこれである。虎綱から、躑躅ヶ崎の乱の詳細を聞いた今、それは俺の中でほぼ確信となっている。
信虎が、ただ力を信奉するだけではなく、民意と士気にまで考えを至らせることが出来る将器を持っているのであれば、あえて今川家に暴政を行わせ、それを利して甲斐のみならず東海地方までも手中に収めんと画策しているという予測は、さして突飛なものではあるまい。
すなわち、信虎の行動は、狂気と等量の冷徹な計算に裏打ちされたもの。それがどれだけ厄介なものであるかは言うまでもあるまい。
そして、俺は思うのだ。
おそらく北条家はすでにその情報を掴んでいる筈だ、と。
その推測を肯定するように、氏康の口がゆっくりと開かれた。
「武田信虎の名は、風評のいずこにもあらわれてはおりません。仮に氏真殿の背後にその者がいるとして、貴殿は我ら北条がその事実を知っていると断じて話しているように見受けます――腹の探り合いは不要、とそう仰っていると考えてよろしいですか?」
「御意。時があれば、いま少し言葉を連ねるべきなのでしょうが、今はその時が何よりも惜しいのです。私がお尋ねしたいことは一つ。北条家は、武田信虎の行動を奇貨とするか否か。その返答を頂きたいのです」
淡々と、しかし強い意志を込めた俺の視線と、氏康の視線が宙空で衝突する。
俺が考えていたのは、北条家が信虎のことを気付いている場合と、いない場合。
気付いているのであれば、信虎に味方する場合と、味方しない場合。
味方するにしても、積極的にそれに加担する場合と、甲駿の争いを静観して漁夫の利を得ようとする場合。
考えられる状況は両手の指に余り、それぞれに対応策を用意はしておいた。
ただ、これまでの状況から推測して、ある程度わかるところもある。
北条家が未だ甲斐との交易を閉ざしながら、しかし兵は出さないという中途半端な立場をとり、さらには主君直々に武田の使者を迎えたことで(まあ別の理由もあったみたいだが)、甲斐の晴信と断交するつもりはないと判断できる。
これは、北条家が今川家の主張を鵜呑みにしていれば出来ない判断であろう。
あるいは北条家は、事のはじめから、今川家の行動に疑問を抱いていたのかもしれない。
しかし、同盟国からの要請を、確かな証拠なくして拒絶することは難しい。ことに相手は父親であり当主であった人を失ったばかりの知己である。多少の疑念はあったとしても、氏康が甲斐への制裁の片棒を担いだことは無理からぬことであったろう。しかも今回の場合、花押つきの書状という明白な証拠があったのだからなおさらである。
ただ、もしかすると氏康が氏真の背後にいる信虎の存在を掴んだのは、これが原因なのかもしれないとも思う。
――武田家の花押を用いるは晴信のみ。ゆえにその花押が押された書状は晴信のものである。
この理屈に矛盾はない。だが、一夜にして当主の座を追放された先代が、自身の花押を有したまま駿河に赴いていたのだとしたら……
いずれにせよ、氏康らが今川家の背後に暗躍する者の情報を握ったのは、事がある程度進捗してからなのだろう。
そしてその時、氏康は知った筈だ。
現在の甲駿の対立は、武田晴信と今川氏真の対立ではない。武田晴信と武田信虎の対立である、と。
では、信虎の存在を掴んだ後も、何故、北条家は今川家に加担する立場を崩さず、実際は両者の争いを静観しているのか。
これはおそらく、晴信と信虎の繋がりを警戒しているからであろう。
すなわち、今回の件、これすべて武田家の父娘による東国制覇の謀略の一貫であることを、北条は疑っているのではないか。
晴信に会うまで、俺が警戒していたのと同じように。
そうであった場合、うかつに兵を出せば、北条家は甲斐と駿河の二方向から敵を迎え撃つ形となる。さらに武田が関東の里見、佐竹らを抱き込めば、北条家三代の創業が無に帰する可能性さえ出てくる。それゆえ、北条家は動けなかった。否、動かなかったのだ。
晴信が信虎と結んでいるにせよ、結んでいないにせよ、必ず北条家と接触してくるだろう。隣国の北条を無視しては何事をなすにも支障が生じるのは明らかであるからだ。
仮に使者が来なかったとしても問題はない。その事実そのものが、武田の意思をこれ以上なく明快に告げているからである。その時は甲斐と駿河との国境を厳重に固める必要が出てくるであろう。
武田につくにせよ、今川につくにせよ、あるいは両者を敵にまわすにせよ。北条家が決断を下すべきは、武田の出方確認したとき。小田原の城内では、君臣の間でそう話し合われていたに違いない。
俺が、憲秀の言葉を借りれば「ことごとしく」信虎の思惑を並べ立てたのは、上杉家が大方の事情を把握していることを伝えるためである。そも今川家の現状から推して、信虎が考えているであろうことは容易に予測が立てられるのだから、才知をひけらかしたわけではない。
風魔衆を擁する北条家が同じ結論に達していないわけはなく、また達していないのであれば、正直北条はその程度なのだと捨て置くことも出来る。まあその可能性はないに等しいだろうが。
ともあれ、そうすることで、俺は氏康の言うとおり腹の探り合いが不要であることを伝えたのである。
時が惜しい、と言ったその言葉は、紛れも無い俺の本心であった。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、氏康はなおも問いを重ねてきた。
軟らかな唇から、端麗な声が紡ぎだされる。
「――その答えをお返しする前に、一つ、聞かせていただきたいことがあります」
「は、なんなりと」
氏康は俺の顔をじっと見つめてきた。先刻、農民たちと共に収穫作業をしていた時、生気に満ちて煌いていた瞳が、今は深い思慮を映して、俺の胸奥までも見抜こうとしているようであった。
その眼差しを緩めぬままに、氏康は俺に問いを向ける。
「越後の方が、遠く離れた駿河の乱に関わるのは何のためなのです? 輝虎殿が天道を歩まんとしていることは聞き及んでいますが、今、兵火が巻き起こっているのは駿河だけではありません。いえ、駿河の国民よりも苦しんでいる者たちも数多くいるでしょう。そう、たとえば、加賀の国などは守護職が不在となり、朝倉家の侵攻を受けてこの方、一向宗と朝倉家の間で幾度となく戦が行われ、領民は落ち着いて田畑を耕すことさえ出来ないとか。しかし、上杉家が加賀の乱を治めようとしているとは聞いていません」
――はじめて。氏康の眼差しに、鋭利な光が点った。
「輝虎殿が、まことに天道を歩まんとするのであれば、何故に駿河の乱にのみ関わるのか。上杉家が歩まんとする天道とは、何を指し示すものなのか。自らは何一つ明らかにせず、他家にそれを強いることは褒められた行いではないでしょう。我が北条の判断を聞きたいというのであれば、貴殿らの行動の基を詳らかにしてください」
それを以って、こちらも返答いたしましょう。
氏康はそう言って、こちらの返事を促すようにかすかに首を傾げたのである。
氏康の、否、小田原城大広間に集った北条家に連なるすべての者たちの視線が集中する中、俺は力みもせず、自然と言う。
「天道とは――」
天道とは、人が踏み行うべき正道。戦国時代――夜のように暗いこの時を照らす正義という名のともし火。常夜の時代を切り開く曙光。
だが、そんなくだくだしい説明など要らぬ。
俺にとっての天道とは、顔も見たことのない古聖賢の言葉などではなかったから。
俺は、はっきりと、ここに集ったすべての者たちに聞こえるように声を高める。
「天道とは、すなわち輝虎様が往かれる道、この乱世にあるべき秩序を取り戻し、その下で天下万民が笑顔もて暮らせる世をつくりあげることにございます」
その言葉に、氏康はかすかに目を見開いた。
それを視界に捉えながら、俺はなおも言葉を紡ぎ続ける。
「駿河の氏真殿を救わんと欲した一人の少女の願いを、輝虎様は受け入れました。それゆえ、私は甲斐に使いし、またこの小田原城へやって参りました。一方で、加賀からはいかなる者も訪れていない。それゆえ、輝虎様は動いていません」
ただ事実を述べる俺の耳に、かすかな嘲笑が飛び込んできた。
憲秀が髭をひねりつつ、口を開く。
「なんともはや、卑小なことを口にするものよ。相手が助けを求めないから、助けない。それがかりそめにも天の道を往くと大言を吐く者のすることか? それでは己が利のために動く者たちと、一体何が違うというのか」
俺は憲秀の言葉に小さく頷いた。
「然り。天道、正義、真実、これすべて人によって答えがかわる儚き言葉。輝虎様はその儚きを知り、自らの未熟を知ってなおその道を歩んで来られました。そして、これからも歩んでゆかれる。そのことを愚かと哂う者、偽善と謗る者がいようとも、決してその歩みを止めず、その身に毘沙門天を降ろすため、常人では耐えがたき苦行を修め、自らを否定する者さえ守るべきものとして、ただひたすらに」
静まり返った小田原城の広間に、ただ俺の声だけが響き渡る。
隣にいる虎綱の視線を頬に感じながら、俺はなおも言葉を続けた。
「天道とは何か。いみじくも貴殿らが仰ったように、我らはすべてを救うことあたわず、ただ差し伸べられた手を掴むのみ。天下万民、なべて救うが天道だというならば、なるほど、輝虎様ならびに我ら越後上杉の臣は天道を歩んではいないでしょう。そしてそれをもって、我らを我利欲得で動く者らと同じだと、貴殿らがそう仰るのであれば、私はこう返させていただく」
俺は一息置いて、おもむろに言った。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
そんなことを言う奴らとは語るに足らぬ。俺はそう断言したのである。
「神仏ならぬ我らに、すべての者の思いにすぐる道を見出すことは至難の業です。戦をなくすために戦を繰り返す。この虚しき現実は、何人も否定できぬ事実。されど、その胸に天下泰平の志を持つ者と、持たざる者のそれが等しいと、そのような浅薄の言を弄する輩と語るべき言葉を私は持ち合わせておりません。重ねて問いましょう。北条の御家は――否、北条の君臣は燕雀なりや、鴻鵠なりや」
俺は憲秀に視線を向け、返答を促す。怒気や客気を込めたつもりはなかったが、何故か憲秀は怯んだように目をそらせた。
氏康の静かな声が広間に響く。それは思慮深さを湛えた落ち着いたもので、俺の言葉にざわつきかけていた北条家の家臣たちはたちまち静まり返った。
「すべての者の思いにすぐる道などない……人は何かを為そうとする時、必ず誰かと対立してしまう。民のために良かれと思ってしたことでも、国人衆にとっては迷惑極まりないことでしかないように……いえ、民の中でさえそれを喜ばぬ者もいるように。万人を納得させる行いとは、神仏にしかなしえぬことなのかもしれませんね」
その言葉は、俺に語るというよりは、まるで氏康自身が自戒の念をもらしているかのようであった。
俺は賛同を示すように、こくりと頷く。
「御意。仮にそんな方策があったとしても、それを実践するのは人間で、どうしたところで齟齬は生じてしまうでしょう……」
しかし、と俺は氏康の目を見て告げる。
「だからといって、何もしないことが肯定されるわけではありますまい。すべてを一時に為すことは出来ずとも、今、為しうることを続けていけば、いずれすべてを満たす時も参りましょう」
小田原に来るまでの道中見てきた相模の実り豊かな田園と、民の笑顔を思い出す。
おそらく相模の国は、日本で最も豊かな国の一つである。
しかし、北条家とて一朝一夕にそれを為しえたわけではあるまい。初代早雲以来、長き年月積み重ねた成果なくして、あの民の笑顔はありえなかったであろう。
ならば、どうして輝虎様に出来ないことがあるものか。
今日明日でかなうことではない。一年、二年で為せるものでもないだろう。
だが十年、二十年積み重ねていけば。あるいは俺たちの子や孫の代に、輝虎様の夢見たものが、万人の目にあらわれる時が来ないと誰に言えようか。
俺はその考えを面上に漲らせ、北条の君臣の視線に相対したのである。
◆◆
とはいえ。
俺はしんとした広間の只中にあって、内心で小さく付け加える。
輝虎様の望む、乱世にあるべき秩序――すなわち足利将軍を頂点とした武家社会が旧に復することが、必ずしも万民の安寧に繋がるとは限らなかった。
歴史に必然というものがあるのならば、それは永遠に栄える国などない、という一事に集約されるだろう。足利将軍家の衰退は、特定の個人の悪意や、あるいは陰謀によるものではないことを、俺は歴史として知っている。
その果てに起きた織田信長の破壊、豊臣秀吉の台頭、そして徳川家康の統一は日本が近代化を歩む上で不可欠なものであった筈だ。
上杉謙信や武田信玄が何故天下を取れなかったか、という命題の答えは人によって様々であろうが、その多くに二人の旧態依然の性質があげられるのではないか。
源氏の血筋を誇りとした武田家。将軍を尊重し、関東管領たるべく遠征を繰り返した上杉家。共に身分や格式に重きを置いた両者に比べ、織田信長はそれらにとらわれずに多くの人材を登用し、比叡山を焼き討ちし、高野聖を殺害し、ついには足利幕府を滅亡においやった。
その行いは当時の人間にとっては悪逆非道そのものであり、魔王という名は半ば本気で信じられていたのではないだろうか。だが、その織田信長の行動は、当時の腐敗した仏僧や将軍家らを代表とする中世的停滞を破るために必要な行動であったとの評価もある。
そんな信長の対極に立つ輝虎様が、かりに天下を静穏ならしめたとして、その先にどのような歴史が待っているのだろう。
輝虎様は後世、足利幕府再興の功臣としてたたえられるのか。
それとも腐敗した将軍権力にかりそめの息吹を与え、結果として後の発展を大きく滞らせた盲将として名を残すのか。
(今考えたとて詮無いことではあるんだけどな)
そもそも、この世界は成り立ちからして俺の知るものとは違うのである。ならばこれから先の乱世の歴史が、俺の知るそれと等しくあらねばならない理由はどこにもない。
また、同じにしようと思っても出来ることでもない。もし俺が、さかしらぶって歴史の必然を導こうなどとすれば、それこそ毘沙門天に天譴を下されよう。
このことに思いを及ばせると、俺はきまってあの時のことを思い出す。
すべての始まりの時――朝靄けぶる春日山の毘沙門堂で鈴の音に導かれたあの時のことを。
あれからもう一年以上経つが、あの時聞こえてきたあの音が何だったのかはいまだに判然としない。同じ音が聞こえてきたこともない。
神仏の前に座っても啓示はなく、俺がこの地に来た意味を教え諭してくれる何者も現れない。
(なら――)
俺は思うのだ。
(どう解釈するのも、俺の自由ということだ)
自分に都合よく考えておけば良い、と。
晴景様との出会いも。
輝虎様に仕えることとなった奇縁も。
はからずもその輝虎様に心奪われたこともまた、すべては毘沙門天の導きである、と。
神仏に言葉はなく、その訪れをあらわすは、すなわち清涼なる鈴の音。訪れとは、すなわち音連れに他ならず、俺はあの時、神意の一端を感じ取っていたのかもしれない……
――まあ、んなわけないんだが。
我ながらこっぱずかしい空想を、内心、俺はばっさりと切り捨てる。幼い頃は知らず、長じてからは寺社仏閣に足を運んだことなど数えるほどしかなく、真面目に参拝したことは皆無である俺などに、わざわざ恩恵を授けに来るほど神仏も暇ではないだろう。
上杉家に仕えてからは、自然と毘沙門天へ祈りを捧げる機会が増えたが、それとて神に祈るというよりは、輝虎様への崇敬の念をあらたにするための文言である。口に出しては言わないが。
それに、この地に来たのは偶然であっても、この地に来てからの行動は俺が自分の意思で決めたことだ。それによって生じた多くのものの責任を神仏に預けるつもりはないし、神仏が引き受ける道理もないだろう。
これまでも、そしてこれからも。
それは変わることなく俺が背負っていくべきものなのである。
◆◆
俺はつかの間、泡沫のように浮かび上がった内心の想いを押し沈め、眼前の氏康を改めて見据えた。
説得の本番は、むしろここから。
物思いに耽っている暇はない。
「ただし、今申し上げたはすべて主輝虎の志です。氏康様は『貴殿らの行動の基を詳らかに』と仰られましたが、この使者の心中をも明かすべきでございましょうや?」
蛇足かとも思ったが、俺はその問いを北条家の主に向けることにした。何故といって、これから説くことは輝虎様の掲げる天道とは似つかぬ『利』を正面に示すものであるからだった。
俺の問いに、氏康は迷う素振りもなく、首を縦に振る。
「そうですね。関東にも鳴り響く越後上杉家の軍師殿が何によって立たれているのかは知りたく思います」
「されば――」
俺は大して力むこともなく、口を開いた。
「この身は戦を嗜み、勝利を貪る者。越後上杉の家にあって、もっとも天道より遠い者です」
その俺の言葉に、氏康は目を瞬かせた。しばし後、その口から出た言葉にはかすかな戸惑いがあったかもしれない。
「天道より遠い、ですか。軍師として、輝虎殿に仕える貴殿が? では、何をもって我らを説かんとされるのでしょう?」
「天道という公理を語れぬ以上、私利を以って説くしか術はございますまい。すなわち――」
まず一つ目。
「我ら上杉家は、此度の争乱において、武田晴信殿と武田信虎の間にいかなる繋がりもないことを保証いたします。輝虎様はいかなる利益があろうとも、駿府の狂王ごときと手を携える方ではありません」
これで北条家は、閉ざされていた甲斐との交易を再開できる。海産物の交易が閉ざされたことで、損失を被っていたのは、何も甲斐だけではないのである。
続いて二つ目。
「仮に我らまで欺かれており、北条家が甲斐と駿河、両国を相手取って戦になるような事態になった場合、我ら越後の軍は、かなう限り北条家の援護をすることをお約束いたします」
上杉軍が信濃を衝けば、甲斐の晴信は容易に相模に兵を出せなくなる。駿河方面からの侵攻だけであれば、北条家は十分に対応できるだろう。
俺は晴信の言葉を疑っていないが、その認識を氏康に持てとはいえない。それゆえ、謀略に対する保障が必要となるのである。
そして三つ目。
「此度、決戦は甲斐の国になりましょう。すでに今川の大軍が国境を越え、おそらく信虎も動き出している筈。逆に言えば、駿河は手薄です。その隙を衝けば、興国寺城を陥とすことも容易かろうと存ずる」
興国寺城は、かつて北条早雲が領した、北条家ゆかりの地。くわえて興国寺一帯――富士川以東の地は北条家にとって垂涎の的であり、かつて今川、武田との間で度々争奪の対象となっている。氏康がそこを奪えば、今川家ならびに信虎への圧力となり、その動きを封じる一助となるであろう。
仮に信虎の策が功を奏し、甲斐が併呑されたとしても、興国寺は駿河の咽喉元に突きつけられた刃に等しく、容易に相模への侵攻を許さないに違いない。
逆に事がこちらの思惑通りに進み、信虎を放逐できた場合、河東の地は向後、北条家が領有することになるのは当然である。さすがに今川家の許可はないが、氏真が復権するにせよ、他者が立つにせよ、武田、北条、上杉の三家からの要請を拒絶することは出来ないであろう。
俺が提示した三つの利。それは輝虎様がこれまで歩んできた道程があってこそ説得力を持つものであった。
信濃を逐われた村上義清を助けるために、甲州武田家と矛を交え。
将軍家からの要請に応じ、数ヶ月もの間、京の治安を守り通し。
そして、関東管領を救うため、関東に踏み出して北条家と矢石を交えた。
そこに私利はなく、ただ公理を守らんとする輝虎様の志が満々と満たされている。勝って利を貪らず。輝虎様以外の何人にそれがかなうだろう。上杉家の領土は、いまだ越後国内より一歩も踏み出してはいないのだ。
信義の面において、晴信でさえ輝虎様の足元にも及ばない。それだけの実績を輝虎様は築き上げているのである。
とはいえ、利はあくまで利。
もし使者となったのが輝虎様や兼続であれば、こんな交渉はしないに違いない。
信虎の謀略を阻み、今川家の危急を救い、東国の兵乱を鎮めるために協力を求めたに違いない。自家の正義を信じ、誠意をもって一途に行動することこそ、上杉家の使者たるに相応しい姿であるだろうし、おそらく輝虎様もそれをこそ望んでいるのではないか。
結果として、利が生じることはあろう。しかし、はじめから利を持ち出しては、欲得ずくの諸国の外交と何らかわるところがないのではないか――
そう俺が考えた時だった。
低い、けれど聞く者の耳に残るような、不思議な声が広間に響いた。
「――主の掲げる天道を奉じず……しかし天道に復らん(かえらん)と欲する。輝虎殿は、奇妙な臣をもたれたものですね」
そう言ったのは、先刻から、黙って一連のやりとりを聞いていた人物だった。
群臣の間からこぼれでた言葉の一欠けらが、俺の耳に届いた。
「……刀自」と、その北条の家臣たちは口にしていたのである。
刀自とは、その家の女主人に対する敬称である。北条家の当主は言うまでもなく氏康であるが、今、声をあげたのは氏康ではない。
氏康でないにも関わらず、刀自と敬われる人物とくれば、心当たりは一つしかない。
北条幻庵。初代北条早雲の創業の時代から、北条家を守り続けている重鎮にして、その容色はまるで時が止まったかのように変化を見せないという『相模の永久姫(とわひめ)』であろう。
その幻庵は、俺の方を見ながらも、それ以上を口にしようとはせず、どこか幽遠な眼差しで俺を見据える。
かすかに目を細める幻庵の顔は、とても俺の倍、下手すると三倍生きている先達には見えなかった。氏康に優るとも劣らぬ艶麗な黒髪が、広間の灯火を映して照り映える。
その言葉は何を意味するのか。
前述したように、俺が真に輝虎様の天道を奉じるのであれば、今川家を救い、信虎の野望を挫くために協力を求めるべきであった。
しかし、俺は幻庵の言うとおり『天道を奉じず』利を提示して、使いの役目を果たそうとしている。
輝虎様や兼続であれば利を持ち出すことなく、正面から北条家の君臣を説き伏せることも出来たかもしれない。心底から自身の正義を信じ、誠意をもって説かれれば、誰しも心動かさずにはいられまい。
だが、それは俺には出来ないことだった。
それゆえ、俺は北条家に利を示して説こうとしたわけだが、では幻庵の言葉の後半はどういう意味なのか。
俺の持ち出した利とは、すなわちこれまで輝虎様が築き上げてきた信義あってこそのもの。黄金玉帛をもって相手を誘ったわけではない。
相手が、こちらの持ち出した利を受け取り、俺の使いが功を奏したならば、それはすなわち輝虎様のこれまでの行いがもたらした成功であると言える。
すなわち、利を示して行った俺の使いは、天道を奉じていないにも関わらず、結果として輝虎様が天道を往くことと同じ結果を導く。幻庵の言う『天道に復らんとする』とはこれを意味するのであろう。
幻庵の言葉を聞き、俺は知らず、口元に苦笑を浮かべていた。
奇妙といえば確かに奇妙であろう。
主の天道を理解するならば、はじめから天道に添えば良い。
主の天道を報じぬのなら、より現実的な利益を示して交渉を有利に進めれば良い。佐渡の黄金のような。
そのいずれもしない俺は、なんと半端な臣であり、半端な覚悟しか持たぬのか。そう嘲笑されたところで仕方ないのかもしれない。
だが。
「北条氏康様に申し上げます」
俺は頭を垂れ、改めて口を開く。
口にしたことを何一つ変えず、俺は北条家の主と相対する。
「上杉家が参戦した理由は、今申し述べました通りにございます。私が使者として示すことが出来る利も、これ以上はございませぬ」
語るべきは語った。願わくば――
「先刻の問いを、今一度繰り返させていただきます。北条家は、此度の動乱、いかように動かれるおつもりでありましょうや」
短く。しかしはっきりと、俺は問う。
――ただ願わくば、信虎追討のために、我らに一臂の力を貸していただきたい。東国の兵火を、これ以上広がらせないために。
その言葉を内心に秘めながら。
氏康の口が、ゆっくりと開かれる。
「天城殿」
「は」
「さきほど仰られた三つの利に、もう一つ付け加えていただけますか? 上野と下野と、常陸と安房と。関東各地に遣わした使者を越後に戻し、関東を静穏ならしめる、と」
上野の山内上杉、下野の宇都宮、常陸の佐竹、安房の里見、いずれも関東の地で北条家に敵対する有力な大名たちである。
「……えー、と。お見通しでしたか」
「それはもちろん」
氏康はにこりと微笑みながら、こちらが対北条の為に用意していた策をあっさりと見破ってのけた。
だが、それを口にするということは――
「そして今ひとつ。上杉家の信義に篤きことを見込んで頼みがあります」
「頼み、でございますか?」
俺が首を捻ると、氏康はこくりと頷く。
「はい。これより我らは甲斐へと赴き、一時とはいえ武田信虎に謀られ、盟友である晴信殿に敵対したことを詫びねばなりません。しかるのち、甲斐と相模の交易を再開させると共に、もう一人の盟友である今川氏真殿を、狂王の頸木より解き放つために協力を願い出るつもりです。その席に、上杉の方も同席していただきたいのです」
しんと静まり返った小田原城の大広間に、氏康の声が響き渡る。
ざわめき一つ起こらないところを見ると、もしかしてすでに北条家はとうに決断を済ませていたのだろうか。
俺がこっそり北条家の家臣の列に視線を走らせると、ちょうどこちらを見ていた松田憲秀とぴたりと視線がぶつかった。
俺の顔を見て、憲秀が口元を歪ませるように笑む。それは先刻、こちらを詰問していた時と同じ顔の筈なのに、何かが確かに取り除かれていた。
そんな憲秀の笑みに、俺は苦笑を返すしかなかった。相手を測っているつもりで、実は測られていたのはこちらだったのだと、ここにきてようやく悟ったためであった――
ふと。
俺は氏康が怪訝そうな顔で周囲を見回していることに気付く。
「氏康様、どうかなさいましたか?」
俺の問いに、氏康の隣に控えていた綱成も、氏康の様子に気付いたようだ。
「姉者、いかがなさいました?」
すると、氏康は小首を傾げながら、こんなことを口にした。
「――綱成、今、鈴の音が聞こえませんでしたか?」
◆◆
言うまでもないが、北条家の協力が得られたといっても、それですべての問題が解決するわけではない。
今川家が孤立したことで、戦の勝利はほぼ確定したと言っても良い。信虎がどれだけ足掻こうとも、西の松平、北の武田、東の北条から一斉に攻め立てられれば防ぐ術はないだろう。逆に、信虎がこれを凌ぐほどの将才の持ち主であれば、東国の命運ははや定まったと考えざるをえない、それくらいに情勢はこちらに有利になっているのである。
しかし、今回の戦で肝要なのは今川家を滅ぼすことではなく、信虎を処断し、氏真を救うことである。追い詰められた信虎が今川家を楯に駿府に篭り、国中を焦土として抗戦しようものなら、敵味方の被害は甚大なものとなる。たとえ最終的に勝利を収め得るにしても、損失は無視できまい。
また、そうなれば駿府城の氏真も無事にはすまないだろう。そのあたりを考慮すれば、やはり躑躅ヶ崎館に信虎を誘い込むという策がもっとも妥当であると考えられる。
この見解は上杉、武田、北条の各家とも共通するものであった為、出兵計画は速やかに立てることが出来た。
一、北条家から武田家に断交の使者を出す。使者は松田憲秀。
二、憲秀による通告が終了し次第、北条綱成率いる軍勢が甲相国境を越える。
三、北条勢に対抗するために春日虎綱が国境へ。この時点で躑躅ヶ崎館の兵力は極小となり、敵の襲撃を誘発できる。
四、躑躅ヶ崎館への襲撃を確認した時点で、甲相国境の両軍は共同して反転する。また、この報告が届き次第、小田原城の氏康は駿河東部へと進攻を開始。
五、春日勢と綱成勢は躑躅ヶ崎館を経由して甲斐南部の山県、馬場勢と合流、進攻している今川軍を甲斐国外へと駆逐し、東の氏康と歩調をあわせて駿河へと進攻する。
かなり大雑把な計画だが、詳細を詰める時間もない。
肝要なのは北条家と武田家が一つの作戦計画を元に動くことである。そんなわけで、一応の計画をつくりあげた俺たちは、急ぎ小田原城を辞し、甲斐への帰途についた。
かなうなら、もう少し北条家の人たちとは言葉をかわしたかったのだが、それは後日に譲らなければならない。願わくば後日の出会いが、戦場以外でありますように。
そう言った俺に、氏康は微笑み、しかし言葉を返すことはしなかった。
関東管領の存在を介した上杉と北条は並び立つことが許されぬ。そして、輝虎様も、氏康も、自身の道を譲るような人ではなく――否、譲れるような浅い想いで戦国の世に生きているわけではない。
必然的に、俺たちは関東でぶつからざるを得ないのだ。今回、共通の敵を持ち、一時であっても手を携えることが出来たことは稀有な幸運なのである。
氏康の無言は、何よりも雄弁にその事実を物語っているようであった。
――ただ、氏康が浮かべた微笑は、氏康の心情が俺のそれと重なることを意味しているのではないか。希望的観測ながら、俺はそんな風にも思ったのである。