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No.10186の一覧
[0] 聖将記 ~戦極姫~  【第一部 完結】 【その他 戦極姫短編集】[月桂](2010/10/31 20:50)
[1] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(一)[月桂](2009/07/14 21:27)
[2] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(二)[月桂](2009/07/19 23:19)
[3] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(三)[月桂](2010/10/21 21:13)
[4] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(四)[月桂](2009/07/19 12:10)
[5] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(五)[月桂](2009/07/19 23:19)
[6] 聖将記 ~戦極姫~ 前夜(六)[月桂](2009/07/20 10:58)
[7] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(一)[月桂](2009/07/25 00:53)
[8] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(二)[月桂](2009/07/25 00:53)
[9] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(三)[月桂](2009/08/07 18:36)
[10] 聖将記 ~戦極姫~ 邂逅(四)[月桂](2009/08/07 18:30)
[11] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(一)[月桂](2009/08/26 01:11)
[12] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(二)[月桂](2009/08/26 01:10)
[13] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(三)[月桂](2009/08/30 13:48)
[14] 聖将記 ~戦極姫~ 宿敵(四)[月桂](2010/05/05 19:03)
[15] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/09/04 01:04)
[16] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(一)[月桂](2009/09/07 01:02)
[17] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(二)[月桂](2009/09/07 01:01)
[18] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(三)[月桂](2009/09/11 01:35)
[19] 聖将記 ~戦極姫~ 激突(四)[月桂](2009/09/11 01:33)
[20] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(一)[月桂](2009/09/13 21:45)
[21] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(二)[月桂](2009/09/15 23:23)
[22] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(三)[月桂](2009/09/19 08:03)
[23] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(四)[月桂](2009/09/20 11:45)
[24] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(五)[月桂](2009/09/21 16:09)
[25] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(六)[月桂](2009/09/21 16:08)
[26] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(一)[月桂](2009/09/22 00:44)
[27] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(二)[月桂](2009/09/22 20:38)
[28] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(三)[月桂](2009/09/23 19:22)
[29] 聖将記 ~戦極姫~ 深淵(四)[月桂](2009/09/24 14:36)
[30] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(一)[月桂](2009/09/25 20:18)
[31] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(二)[月桂](2009/09/26 13:45)
[32] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(三)[月桂](2009/09/26 23:35)
[33] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(四)[月桂](2009/09/30 20:54)
[34] 聖将記 ~戦極姫~ 蠢動(五) (残酷表現あり、注意してください) [月桂](2009/09/27 21:13)
[35] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(一)[月桂](2009/09/30 21:30)
[36] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(二)[月桂](2009/10/04 16:59)
[37] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(三)[月桂](2009/10/04 18:31)
[38] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2009/10/05 00:20)
[39] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(四)[月桂](2010/05/05 19:07)
[40] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(五)[月桂](2010/05/05 19:13)
[41] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(六)[月桂](2009/10/11 15:39)
[42] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(七)[月桂](2009/10/12 15:12)
[43] 聖将記 ~戦極姫~ 狂王(八)[月桂](2009/10/15 01:16)
[44] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(一)[月桂](2010/05/05 19:21)
[45] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(二)[月桂](2009/11/30 22:02)
[46] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(三)[月桂](2009/12/01 22:01)
[47] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(四)[月桂](2009/12/12 12:36)
[48] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(五)[月桂](2009/12/06 22:32)
[49] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(六)[月桂](2009/12/13 18:41)
[50] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(七)[月桂](2009/12/19 21:25)
[51] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(八)[月桂](2009/12/27 16:48)
[52] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(九)[月桂](2009/12/30 01:41)
[53] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十)[月桂](2009/12/30 15:57)
[54] 聖将記 ~戦極姫~ 幕間[月桂](2010/01/02 23:44)
[55] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十一)[月桂](2010/01/03 14:31)
[56] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十二)[月桂](2010/01/11 14:43)
[57] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十三)[月桂](2010/01/13 22:36)
[58] 聖将記 ~戦極姫~ 音連(十四)[月桂](2010/01/17 21:41)
[59] 聖将記 ~戦極姫~ 筑前(第二部予告)[月桂](2010/05/09 16:53)
[60] 聖将記 ~Fate/stay night~ [月桂](2010/01/19 21:57)
[61] 影将記【戦極姫2発売記念】[月桂](2010/02/25 23:29)
[62] 影将記(二)[月桂](2010/02/27 20:18)
[63] 影将記(三)[月桂](2010/02/27 20:16)
[64] 影将記(四)[月桂](2010/03/03 00:09)
[65] 影将記(五) 【完結】[月桂](2010/05/02 21:11)
[66] 鮭将記[月桂](2010/10/31 20:47)
[67] 鮭将記(二)[月桂](2010/10/26 14:17)
[68] 鮭将記(三)[月桂](2010/10/31 20:43)
[69] 鮭将記(四) [月桂](2011/04/10 23:45)
[70] 鮭将記(五) 4/10投稿分[月桂](2011/04/10 23:40)
[71] 姫将記 & 【お知らせ 2018 6/24】[月桂](2018/06/24 00:17)
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[10186] 聖将記 ~戦極姫~ 上洛(三)
Name: 月桂◆3cb2ef7e ID:49f9a049 前を表示する / 次を表示する
Date: 2009/09/19 08:03


 長尾景虎率いる上杉軍五千。
 春日虎綱率いる武田軍三千。
 合わせて八千に及ぶ上洛軍の進軍は、周囲の危惧をよそに迅速を極めた。
 この軍が越中の国に入った時、いまだ紅葉が散っていなかったことからも、それは明らかである。
 この速やかな行軍を可能とした理由としては、両軍が騎馬部隊を主体として編成されている事実の他に、両家が冬の到来を恐れたことが挙げられる。
 上洛をうたって、北陸地方で豪雪に閉じ込められてしまうなど、笑い話にもなりはしない。それゆえ、北信濃から越後、越後から越中へと到る道を進む上洛軍の進軍速度は、他国を瞠目させるに値するものとなったのである。


 親不知子不知の難所を通り抜けると、越中の有力者である神保氏や椎名氏の出迎えを受けた。上杉軍は、彼らとつい先日まで刃を交えていたこともあり、緊張を隠せなかった。もちろん、それは向こうも同様であったろう。
 元々、越中と越後には、為景よりも前、為景の父能影の代にまで遡る因縁が存在する。
 かつて能景は、越中の地で、国人衆と一向一揆によって討ち取られたのである。
 当然、その後を継いだ為景は、越中と一向宗を敵視した。為景は越後国内で地盤を固めると、越中に侵略の矛先を向け、幾度かの戦の後、越中東部を長尾領とすることに成功する。
 これにより、長尾家の武名は北陸全土に響き渡ったのだが――それも長くは続かなかった。


 為景の侵略に脅威を覚えた越中の国人衆と、為景の一向一揆禁止令に反発した一向宗は再び手を組み、協同で越中の長尾領に大挙して攻め込んできたのだ。
 この戦いは、圧倒的な戦力差から為景が敗れ、結局、この戦で受けた傷が元で、およそ一年後、為景は越後の地で没することになるのである。
 景虎様にとって、越中はいわば父の仇であった。もっとも、戦での生き死には武将の常。実際、景虎様が越中に対してどのような感情を抱いているかは、俺にはわからない。少なくとも、表立って景虎様が越中征伐を口にしたことは、一度もないことだけは確かである。
 仮に、父の仇を討つとの思いが景虎様の胸にたゆたっているとしても、将軍家からの命に従っている現在、私怨を持ち出して事を構えることは許されない。まあ、それ以前に、景虎様が私怨で軍を動かすなど想像も出来ないが。
 ともあれ、馬上、静謐さを崩さない景虎様に倣うように、上杉軍は粛然と軍を進めるのであった。


 一方、越中の者たちにとっても事態は簡単ではない。国人衆の警戒心もそうだが、何より問題なのは一向宗徒であった。信者の多い越中において、一向宗禁止令を出した長尾家は仏敵に等しいのである。
 現状、越後守護は上杉氏であり、禁止令は有名無実化されているが、それでも一向宗徒の、長尾家に対する敵愾心は覆いがたい。
 今回、将軍家から本願寺に対して上洛への協力要請がなされており、本願寺側はそれを受け入れており、北陸各地へその旨の通達はなされている筈、と幽斎は語る。しかし、それでも門徒の暴発を警戒する必要があるのだから、どれだけ長尾家が一向宗から目の仇にされているかがうかがえよう。
 これは後々厄介なことになる前に、何か手をうっておくべきかもしれない。


 しかし、と俺は首をひねる。
 宗教絡みの対立に、俺のような無宗教の人間が手を出すと、余計に事態を悪化させてしまう可能性が高い。俺は、盆も、クリスマスも、正月も違和感なく受け入れる現代日本人であるからして、この時代の宗教がどれだけ人の心に根ざしているのか、なかなかに理解しがたいところがあるのだ。
 ともあれ、この地に長く留まることは避けるべきであった。
 上杉軍にせよ、武田軍にせよ、道中の兵糧、薬、武具に馬具などの他に、将軍家への献物や、道々の大名たちへの贈答品などでかなりの大荷物を抱えていたのだが、両軍はそれを感じさせないすばらしい進軍速度で越中の地を横断、まもなく越中と加賀の国境へと到達したのである。





 国境の彼方に遠ざかる神保らの軍勢を遠くにのぞみつつ、越中の地を後にした俺は、ぽつりと呟いた。
「――念のために段蔵に頼んで、越中各地に軒猿を放ってもらったのは、当然の用心というものだよな、うん。後ろから追い討ちかけられるかもしれんわけだし」
 すると、同じくぽつりと隣の段蔵がこたえる。
「そうですね。そのついでに越中の地理を事細かに調べて地図をつくるのも、当然の用心というものですね。越後に入った武田も同じようなことをしてましたし、さすがは天城様、腹黒さは甲斐の虎殿と良い勝負です」
「……これを褒めてもらってると思えれば、人生、幸せに生きられるかもしれないなあ」
「何を遠い目をしているのですか。あと、一応言っておくと、私は褒めていますよ。もっとも天城様がとられた措置を、景虎様や直江様がお知りになればどう思われるかまでは保証いたしかねます」
「さいですか」
 などと語り合う俺と段蔵。
 隣では、俺と段蔵の話についていけない弥太郎が、先刻から首を傾げっぱなしであった。
 そんな風にいつもの調子で馬を歩ませていた俺たちであったが。


「あ、あの、そういうお話は、出来れば私がいないところでして頂きたいのですが……」
 と、傍らから、控えめな声があがる。
 澄んだ声音は耳に心地よいが、語尾が消えてしまいそうになるのが玉に瑕である。
 その人物――春日虎綱は、どこかこわごわとした様子で、俺たちと馬を並べながら、自らの主君への誹謗じみた言葉に反応していた。
「――む、確かに晴信様が腹黒いなどと言うのは問題発言ですね。言ったのは段蔵ですが」
「反論もせずに私の見解を受け入れておいて、無関係を主張しても説得力がありません。付け加えれば、今も申したように、私の言う『腹黒い』は『細心さを失わない』という意味での褒め言葉です」
「つまり、問題は何もないということか。良かったですね、春日殿」
「は、はい、そうですね……って、あれ?」
 なにやら首を傾げる虎綱であったが、あまり深く考えられるとまずいので、俺は話をそらして、この話題をやりすごすことにした。虎綱の人の好さがありがたく感じる今日この頃である。




 しかし、どうして俺は武田の将と馬首を並べて行軍しているのだろう?
「……村上殿への使者になった時と同じ理由に決まっているではありませんか。良いように使われている
だけです」
 きっぱりと断言する段蔵。言ってることは正しいのだが、もう少し柔らかい言葉遣いでお願いしたい。
「それだけ、颯馬様が景虎様に信頼されている証ということですねッ」
 嬉しそうに言う弥太郎。ようやく理解できる話になったという安堵の他に、主である俺が、景虎様に重用されていることを誇りに思っていることが、その笑顔からありありと感じられた。
 く、わかってはいるが、なんて良い子だろう。この素直さ、段蔵に半分でも良いからわけてあげたいもんである――そう思って段蔵の方を向いたのだが。
「……何か?」
 氷のような目線で撃墜されました。
「いえ、何でもありません」
 即座に降伏する俺。
 段蔵は、ふん、という感じで顔を背けたのだが、その後になにやらぼそぼそと呟いている。
「……佐渡では、私に可愛げは似つかわしくないというようなことを言っていたではありませんか」


「段蔵、何か言ったか?」
「何も申しておりません。ええ、何も」
「……そ、そうか」
 微妙に不機嫌そうな段蔵に、俺と弥太郎は顔を見合わせ、首を傾げるばかりであった。
 そして、そんな俺たちを見て、こちらも首を傾げていた虎綱の口から、不意に嘆声がこぼれた。


 その声に促されるように、虎綱の視線の先をたどった俺たちの口から、虎綱と同じような感嘆の声が同時にあがる。
 俺たちの進むはるか前方、寒風吹きすさぶ加賀国の北の地に、その偉容は存在した。
 北陸における一向宗最大の拠点である尾山御坊(おやまごぼう)。
 北陸一向一揆の策源地にして、本願寺の北の要。近づくにつれて明らかになる規模と堅固さは、凡百の城をはるかに凌ぐ。
 ここを陥とすには、万を越える軍勢をもってしても、年を越す月日を必要とするだろうと確信させる城構えであり、これだけの規模の城を築ける一向宗という勢力の強大さを、無言のうちに他国に知らしめているようであった。
 将軍家先導の軍とはいえ、一向宗側も警戒しているのだろう。上洛軍は尾山御坊に近づくことを許されず、城のはるか手前で道をかえることを要求された。
 そのため、俺が見ることが出来たのは、遠目の光景だけであったが、それでも尾山御坊の強大さと壮麗さは、一向宗ならびに一向一揆というものに対する俺の考えを、大きく変える切っ掛けとなった。この時代の一向一揆の恐ろしさは承知しているつもりであったが、それは強国の大名程度の認識だった。
 だが、こうして遠目にでも、その強大を目の当たりにすると、これまでの俺の考えがいかに浅はかなかなものであったかがわかる。
 いずれ、上杉軍が北陸に踏み込む日が来るだろうが、それは北陸の大名や国人衆との戦いではなく、一向宗との戦いになるに違いない。
 この時、俺は彼方で行われる死闘を、はっきりと予感していた。




◆◆




 城を出た加賀の守護大名冨樫晴貞は、城外の林に足を踏み入れると、枯れ草を踏み分けながら目的地へ向かって歩きだした。
 憂いを帯びてかすかに濡れた眼差しが、晴貞に年齢に似合わない艶を与えている。
 もっとも、当の晴貞はそんなことに気付きもせず、やや面差しを伏せながら歩き続けるばかりであった。
 母親譲りの端整な容姿は、幾分幼さが残るものの、十分に人目を惹くものである。そして、この容姿ゆえに、かつての乱で晴貞は命を長らえることが出来たのも事実。しかし、それを承知してなお、晴貞にとって、自身の容姿は好ましいものではありえなかった。


 仮にも大名である身が、城を抜け出ても、ろくに騒ぎにもならないことこそ、晴貞の加賀での立場を明確に示している。
 兄の死によって、加賀の守護大名冨樫氏の当主として立って、およそ三年。一向宗の傀儡たる立場はいささかも変わりなく、周囲から向けられる軽侮の視線は、晴貞にとってもはや当然のものと感じるまでになっていたのである。
 

 枯れ草の降り積もる林は、どこか物寂しげな雰囲気が漂っている。
 しかし、空から降り注ぐ陽光が道をはっきりと示してくれるせいであろう、静かではあったが、それは心を澄ませ、落ち着きを与えてくれる類の静けさであった。
 枯れゆく草木に自身の境遇を重ねつつも、晴貞はそんな静寂を愛でるように、静かに息を吐く。
「ああ……ほっとします……」
 そう呟く晴貞の表情は城にいる時よりもずっと明るいものであった。
 時折、林の中を駆け抜ける風が冷たく肌をさすが、それでも城内の陰鬱とした空気に比べれば、比較にならないほどに心地良い。


 不意に、晴貞の前に二匹の獣が、木々の間を割って躍り出る。
 驚いた晴貞は悲鳴をあげかけたが、こちらを見る二対の視線を見て、慌てて口を手で覆った。
 冬篭り前の準備でもしていたのだろうか。そこにいたのは、おそらくは親子と思われる二頭の狐であった。
 晴貞が狐に驚いたように、狐の親子も晴貞の姿に驚いたらしい。親狐は、戸惑ったように数回、首を左右に振ると、晴貞の様子を窺うように軽く尻尾を振った。すると、それを見た子狐が、親の仕草を真似するように、親の後ろで同じように尻尾をぱたぱたと振り出した。
「……あはは、ほら、おいで……」
 その姿を見て、思わず晴貞の口から笑いがこぼれる。物は試し、とばかり手まねきをしてみると、親子の狐は戸惑ったように動きを止めた。それを見て、晴貞は懐に持っていた胡桃の実を掌にのせる。
 だが、野生の狐がそうそう人に近づく筈もない。それと悟った晴貞は、なるべく狐たちを驚かせないように、そっと前方の地面に胡桃を置くと、しずかにあとずさる。
 そうして、晴貞が木々の合間に身体を隠すと、ようやく安心したのか、狐たちは晴貞が置いた胡桃の実を口にくわえた。


 それを見た晴貞が思わず、嬉しくて両手を叩いてしまう。
 すると、その音に驚いたように、狐たちは来た時と同様にすばやく木々の間を縫って、晴貞の前から駆け去ってしまった。その口に胡桃をくわえながら。
「あぁ……」
 残念そうな声を漏らした晴貞は、狐たちが消えた木々の隙間を窺ってみるが、すでにあの親子の姿はどこを探しても見つけることは出来なかった。



 予期せぬ出会いが、翳っていた晴貞の心を幾分か軽くしてくれたのかもしれない。晴貞の足取りは先刻よりも、ずっと軽いものとなっていた。
 やがて、晴貞は林を抜け、小高い丘の上に出る。一際広い景色が、眼前に浮かび上がった。
 加賀の穀倉庫とも言うべき肥沃な田園地帯を彼方に眺めながら、晴貞はゆっくりと地面に腰を下ろす。
 外出用に、目立たない小袖に打掛を羽織ってはきたが、その衣装は庶民が数ヶ月、遊んで暮らせるだけの価値があるものだ。土や枯れ草で汚してしまえば、後で城の女中たちにひどく叱られるであろうが、晴貞は、今だけはそんなことを気にしたくはなかった。
 しかし、一度想起すれば、次々と嫌なことばかりが思い浮かぶ。
 日々の城での生活を思い起こしながら、晴貞の口からは知らずため息がこぼれでた。
「いつまで、続くのでしょう……いつになったら、終わるのでしょうか……」
 この、煉獄のような日々は。
 呟き、晴貞は力なく面差しを伏せるのであった。




 晴貞の父が一向宗に敗れた後、加賀の国は一向宗徒の国と化した。守護大名とは名ばかりで、国の実権を握るのは尾山御坊の本願寺勢力であり、そしてその息のかかった家臣たちである。
 今、城では、将軍家から要請を受けた上杉、武田軍で編成される上洛軍をどのように迎え入れるかについて、最後の確認が行われているところであったが、その場に晴貞は呼ばれていない。おそらく、応接も重臣たちが行い、晴貞はただただ頭を低く下げていろとでも言われるのだろう。
 これは、別に珍しいことではない。年貢にしても、兵役にしても、国の大事に関わる席に呼ばれたことなど、晴貞は一度もないのだから。


 もっとも、だからこそ重臣たちの目を縫って、こうやって城を出てくることが出来たのだから、不満を言っては罰が当たるというものかもしれない。
 もとより、晴貞の命は、一向宗からの独立を目論んだ兄の泰俊が返り討ちに遭った際、一緒に奪われていた筈のものである。それがここまで長らえることが出来たのは、冨樫家の重臣たちの口添え、力添えあってのことだ。その一事だけでも、晴貞は彼らに逆らうことが出来ない。
 その代償が、耐え難いほどの汚辱と引き換えであったとしても……
 手首につけられた縄の痕に目を向け、晴貞は唇を噛むことしか出来なかった。



 と、その時。
 晴貞の背後の梢が鳴り、はっと晴貞が振り返ると、そこには数名の男たちの姿があった。
 一瞬、野武士や野盗の類かと晴貞は考えたのだが、そこにいたのは、大小を差した武士たちであった。 晴貞は彼らの顔に見覚えがあり、現れた者たちが、いずれも冨樫家の家臣であることを知った。
 ――そして、それゆえに、晴貞の顔に浮かぶ絶望と悲嘆の色は、より深まったのである。







「おお、やっと見つけましたぞ、晴貞様。我らに黙って城を抜け出られるとは、無用心きわまりますな」
「左様、加賀の国は我ら家臣がしっかと押さえておりますが、野武士や盗賊の類はどこにでも沸いて出ますからな。ご用心あってしかるべしでござるよ」
 そういって、ずかずかと歩み寄ってくる家臣たちの姿に、晴貞は一瞬、息をのんで後ずさろうとしたが、大の男から逃げられる筈もない。それに、底意はどうあれ、男たちの言っていることは正しいことであったから、晴貞は深く頭を下げて謝辞を呈した。
「ご、ごめんなさい。外の空気が吸いたくなったのです。ご足労をかけてしまい、申し訳ありませんでした」


 ――それは、主君が臣下に向けるべき言葉ではなかった。下げられた頭も、地につかんばかりである。もし、この場に第三者がいれば、晴貞が男たちの主君であるとはとても思えなかったであろう。むしろ、卑屈に頭を下げる晴貞の方をこそ、下女(下働きの女性)だとでも思ったかもしれない。
 一方の男たちは、主君にあるまじき晴貞の謝罪を平然と受け入れ、口から嘲笑を吐き出した。
「まったく。これから将軍家の上洛軍をいかに迎え入れるかの評定じゃというのに、迷惑なことでござるよ。国を治める晴貞様の苦労を、丸ごと肩代わりしておるのですから、せめて迷惑はかけないようにお願いしたい」
「は、はい、申し訳ありません」
「ほう。では向後一切、城から出るのはやめていただけるのか?」
 家臣の問いに、晴貞は咄嗟に言葉に詰まる。
 この散策は晴貞にとって唯一とも言って良い心休まる時。城内でもそれなりに自由に行動できるが、他者の目を窺うそれは、安息の対極に位置するものであった。


 そんな晴貞のためらいを悟ったのだろう。家臣の一人が呆れた顔を隠さずに口を開く。
「まったく何がご不満なのやら。野には戦や飢えで死んだ者がいくらでもいるというに。晴貞様はただ城にいれば衣食住、全てを約束されている守護職なのですぞ。晴貞様の立場に立ちたいと願う者はいくらでもおりましょうに、その座から逃れようとなさるとは」
「……け、決して、逃げようとしているわけでは、ありません。ですが……」
「ほう、『ですが?』――何なのですかな?」
 威圧するように、目をいからせた男の視線に、晴貞が対抗できる筈もなかった。
 うなだれるように、再度、晴貞は深々と頭を下げる。
「…………何でも、ありません。申し訳ありません。以後、慎みます……」
「ふむ、左様か? 我らは晴貞様の臣下なれば、主君の意には出来るかぎり沿う心算でござったが、晴貞様が構わぬと仰せであれば問題はないということでござるな」
「ッ……は、はい」
 なぶるような家臣たちの物言いに、しかし、晴貞はただただ頭を下げることしか出来ない。
 だが、男たちはその言動ですら物足りないのか、なお晴貞を解放しようとはしなかった。


「しかし、さきほどから申し訳ないと仰ってばかりですな。まさかと思いますが、そう言って頭を下げれば なにをしても許されると思っておいでなのか?」
「そのようなこと……思ってはおりません……」
「いやいや、口ではなんとでも言えましょう。現にさきほどから、そう言っているばかりで、重大な評定をなげうってここまでやってきた我らに対し、いかなる誠意も見せては下さらぬではありませんか」
 口元を曲げて言い放つ家臣の姿に、晴貞は怯えるような視線を向ける。


 晴貞は女性らしく小柄な体格である。美貌の主君に憂いまじりに見上げられた家臣たちの顔に、にやけた笑みが浮かぶ。
 一人が晴貞の身体に好色そうな視線を向け、陋劣としか言いようのない表情を浮かべる。
「くっく、やはり口で言い聞かせるのも限界がございますか。それほど城を離れる心が捨てられぬとあらば、我らも相応の手段をとらざるを得ませんな。やはり、城に縛り付けておくが得策でござろうか。のう、みなの衆」
 その言葉に、家臣たちはまるで鏡に映したように同じ笑みを浮かべた。
 それを見て、晴貞はとっさに手首の傷跡を押さえ、あとずさる。手首だけでなく、全身に刻まれた縄目の跡が、先日来の汚辱を否が応でも晴貞に思い出させる。
 身体の痛みと……男たちの下卑た笑い声と、その両方を。


 それでも、すでに晴貞に逃げ場はない。
 否、元々、逃げ場など、加賀のどこにもなかったのだ。この散策でさえ、鳥かごの自由に過ぎぬ。家臣たちにしてみれば、晴貞を長く正気に留めおくための処置に過ぎないのだろう。
「……あ、ああ……」
 だからこそ、晴貞は目を伏せる。
 現実を拒むわけでも、狂気に逃げるわけでもない。ただただ、諦めるために。
 そして、晴貞がそうすることを知り尽くしている家臣たちが、無造作に手を伸ばし、晴貞の服を掴み取ろうとする――正に、その寸前。



 がさり、と再び背後で梢の鳴る音。
 驚いた家臣たちが振り向いてみると――そこには二匹の狐が睨むように男たちを見据えていた。
「なんだ、狐か。人前に出てくるとはめずらしいな」
「畜生どもなど放っておけ。狸なら鍋にでもしてくれようが、狐なぞ骨ばかりで美味くはないわ」
「しかし、我らを見ても逃げようとはせぬぞ」
「邪魔だ、追い散らせ」
 年嵩の一人が命じると、心得た者が刀を大げさに振り回して、狐たちを追い払おうとする。
 用心深い野生の獣だ。それだけでさっさと逃げ出すものと思われたが、驚いたことに狐たちはわずかにあとずさるだけで、この場を離れようとはしなかった。
「ち、面倒な奴らだ」
 刀を振り回していた男が、苛立たしげに吐き捨てると、足音あらく狐たちに近寄っていく。もう示威ではなく、狐たちを切り殺すつもりであることは明らかだった。


 それと悟った晴貞は、慌ててそれを止めようとする。
 現れた狐が、先刻の狐であることが、晴貞にはわかったのである。
「あ、や、やめ……」
 だが、そんな晴貞の行動は、男たちの一人が、その前を塞ぐだけであっさりと止められてしまった。
「おっと。何をなさる……と、あの畜生どもをかばうおつもりか。お優しいこと。さすがは加賀の守護大名様。その慈悲、禽獣にいたる、とでも宣伝しておきましょうか」
「では、その狐どもの前で、我らの労をいたわっていただきましょうかな。畜生どもにさえ情けをかけられるのです。我ら家臣にかけられぬ道理はございますまい」
 家臣の笑いに囲まれ、進むもならず、退くもならず、晴貞はただ怯え竦む。
 その晴貞の耳に、悲痛な声が届く。
 そちらを見やれば、晴貞の家臣に切られた親狐が、苦悶するように地面に身体をこすりつけながら、それでも逃げようとせずに、自身の敵をじっと見据えている。
(駄目……逃げて……)
 もはや声すら出ない晴貞は、心中で呼びかけるしか出来ない。そして、その声さえ届かないことを、晴貞は知っていた。


 これまでも、ずっとそうであったから。
 今後もずっとそうである、といつのまにか晴貞は思い込まされていたのである。


 そんな呪いじみた考えを確信させるかのように、居丈高な声があたり一帯に響き渡った。
「はん、てめえら畜生が、人間様にかなうわけあるか。さっさとくたばりやがれッ!」




 高々と振りかざされた刀。刃が陽光を反射し、その輝きを目の当たりにした晴貞の脳裏に、不吉な光景がよみがえる。


 ――目の前で兄の首が飛ぶのを見たのは、冬を間近に控えた、この時期だった……


 どれだけ刃を止めようと思っても、晴貞にはとめられぬ。
 振り下ろされた刃の下で、血煙をあげながら宙を飛んだ兄の恨めしげな顔が、瞼の裏にくっきりと……
(……いや……いやッ)
 そう思いながらも、それでも立ち上がれない自分の情けなさに、晴貞は歯噛みする。絶望のあまり流れた涙で、視界が翳る。
 せめてものこと、伸ばした手の先で、晴貞の心を軽くしてくれた小さな恩人たちの命が、今――






 不意に聞こえる声。
「畜生は、人間様にはかなわない。その通りだな。まあ――」
 声が途切れたと思った瞬間、数条の閃光が横切り、刀を振り上げていた家臣を襲う。
 一本ではない。あわせて三本。二本が両肘を射抜き、もう一本は右の足を地面に縫いとめていた。
 一瞬、何が起きたのかわからず、目を丸くしていた男は、腕と足から伝わる激痛に、たまらず悲鳴をあげた。
「ひ、が、ああああッ?!」
 だが、苦痛を紛らわすために暴れようとしても、手はつかえず、足も動かぬ。全身を貫く激痛に、ただ耐えることしか出来ない。




 そして、三度、梢が鳴る。
 現れたのは、今度は晴貞がこれまで見たことのない人たちだった。
 その先頭に立つ人物が、ゆっくりと口を開いた。
「――この場合、畜生というのは、人の心を持たない貴様らのことなわけだが」
 そう言って、その若者は小さく笑った――否、嘲笑った。
  



◆◆




「むしろ恥を知るという意味で、そこな狐の方が人間らしいというべきですね」
 虎綱の口調に殺意がこもるのを、俺は初めて聞いた。
 それほどに、今の虎綱は怒っているのだろう。
 そして、それは虎綱だけではない。
「…………」
「…………」
 弥太郎と段蔵は、二人とも沈黙している。無論、臆したわけでも、緊張しているわけでもない。
 弥太郎は怒りのあまり声も出ないのであり、段蔵は口を開く必要を認めていないからである。これから殺す相手と話すことなぞ何もない、とその手の短刀が何よりも雄弁に物語っていた。


 正直なところ、状況の全てを掴んでいるわけではない。
 というか、城へ向かう道すがら、休息していた俺たちの前に突然、親子狐が現れ、その後を追ってきたらこの場にたどり着いたというだけであった――子狐の可愛さにほだされた弥太郎の行動力の賜物とも言う。
 俺がついてきたのは、まあ気分転換の散策にはなるだろうと思ったからであるし、段蔵はそんな俺の護衛、そして虎綱は、多分その場の勢いではないか。少なくとも、こちらから同行を願ったわけではなかった。
 どういった状況であるかは、きれぎれに聞こえてきた会話から察している。この状況に遭遇してみれば、虎綱の弓の存在は心強かった。
 もっとも、虎綱の出番は最初だけで終わってしまったが。


「ち、何者だ、貴様らッ?!」
 そういって次々と刀を抜き放つ男たちは、次の瞬間、驚愕する。
 ためらうことなく突っ込んだ弥太郎の姿は、すでに彼らの眼前にあったからだ。弥太郎が持っていた大槍を一閃させるや、甲冑もまとっていない男たちは、数人まとめて吹き飛ばされる。
 局地的台風の勢力圏内に入っていなかった幸運な者たちは、実のところ、より不幸な運命が待っていた。これも音もなく近づいた段蔵が、無造作に、しかし容赦なく男たちの膝頭を蹴り砕き、地面をなめさせていったのである。
 俺の配下としてはもちろん、越後国内を見渡しても、この二人ほどの力量の持ち主は少ない。若い女性一人を、よってたかっていたぶるような下衆どもが対抗できる筈もなかった。
 逃げようとする者たちも、虎綱の弓の威力の前に立ちすくむことしか出来ず、間もなく弥太郎か段蔵にやられてしまう。
 十名たらずの男たち全てが地面を這うまで、かかった時間は、さて何分だったか。秒で数えた方が早いかもしれん。


 その間、俺は苦しげにのたうつ狐の下に歩み寄り、手当てしていた。荒事で出番がないのはわかりきっていたし、傷薬も完備していたからである。主に段蔵対策で。まあ、最近はあまり使わずに済むようになってはいたのだが。
 軒猿御用達の薬とはいえ、狐にも効くのかどうかはわからなかったが、多分、害にはなるまいと判断して、親狐の傷に塗ってみる。逃げないのか、それとも傷のせいで逃げられないのかはわからないが、親狐は俺が近くに寄っても動こうとせず、傷口に触れてもそれはかわらなかった。
 さすがに傷口に深く薬を塗り込めようとした時には暴れられたが(気持ちはとてもよくわかる)、それでも何とか治療を終えると、何やら小さく鳴き声をあげ、素早く駆け去ってしまった。子狐もその後に続こうとして、少しだけ足を止め、振り返る仕草を見せる。だが、それも一瞬。親狐と同じように走り去る。
 そして、その頃には、とうに男たちは弥太郎たちに制圧されていたのであった。





「き、貴様ら、我らにこのような真似をして、ただで済むと思っているのかッ?!」
 弥太郎に叩き伏せられた男の一人が、痛みをこらえながら怒号を発する。
 その顔は、たとえるならば屈辱と憎悪の二重奏。
 しかし、こちら側は誰一人として恐れる様子を見せない。それどころか、その声さえ聞こえない様子で、弥太郎たちは地面に座り込んだ女性の下に駆け寄っていた。
 必然的に、俺が相手を務めなければならず、仕方なしに口を開く。
「その言葉はそっくり返す。先刻の様子を見るかぎり、罪に問われるのは俺たちではなく、お前たちだろうに」
「浪人風情が、なめた口を叩くな! 我らは加賀の冨樫家の正式な家臣ぞ。見ておれ、貴様ら一人残らず地面に這い蹲らせ、慈悲を請わせるまで痛めつけてくれる!」
「言葉というのは便利だな。口では何とでもいえる。精々、想像の中では勝ち誇っていろ――どうせ、明日までは続かぬ」


 少しも動じない俺の姿に、男たちは一瞬だが、やや意外そうな顔をのぞかせた。
 一国の重臣に危害を加えることの意味を知らない者がいるとは思っていなかったようだ。
「ふん、偽りだとでも思っているらしいが、すぐにほえ面かかせてやろう。その時になって後悔しても遅いぞ。そこの女どもを、貴様の眼前で縛り上げ、吊るし上げて――があッ?!」
 その言葉を言い終えないうちに、男は左の頬の強い衝撃を受け、たまらず悲鳴をあげてのけぞった。


「――言葉は便利だが」
 俺は男を殴り飛ばした拳についた血を地面に払い落とし、内心で深く安堵していた。思わず鉄扇で殴り飛ばしてしまいそうになったが、咄嗟に拳に切り替えたのは、我ながら上出来。景虎様に頂いたものに、こんな奴らの血をつけることなど許されぬ。
 そんなことを考えながら、半ば無意識に言葉を続けた。
「使えば相応の責任を伴う。相手を罵るからには、報復は覚悟しているのだろう」
「き、貴様、ただではすまさんぞ……ッ」
「無論。俺とて、ただで済ますつもりはないよ」
「たとえどこに逃げようと、加賀の全てを挙げて追い詰めてやるぞ。どこの誰だか知らぬが、貴様ごとき若造や、小娘どもが逃げ切れると思うなよ」
 その男の言葉に、周囲で倒れている者たちが同意するように頷き、敵愾心に満ちた視線を向けてくる。反省や悔悟とは無縁の眼差しであり、態度であった。


 まあ、それが出来る人間ならば、そもそもこの場にはいないだろう。俺はそう思いながら、弥太郎たちに介抱されている女性に視線を転じる。
 そこでは、乱れた衣服の先からのぞく手に刻まれた縄目の跡に気付いた段蔵がそれを指摘し、女性は声もなく面差しを伏せているところだった。
 こちらを振り向いた段蔵の視線と、俺の視線が交錯する。


 俺は、むしろ軽いくらいの調子で男に話しかけた。
「『どこの誰だか知らぬが』か。明日を迎えられない者たちに名乗る名に、どういう意味があるかはしらないが、冥土の土産にでも覚えておけ。上杉軍が一人、天城颯馬だ」
「上杉……? というと、今回の上洛軍の一員か、貴様?!」
 驚いたように男たちは声を高め……そして、居丈高に責め立てて来る。
「上洛軍は、加賀の国で騒ぎを起こさぬ約定であった筈。貴様らのしたことは、あきらかにその約定を違えておる。すぐにも将軍殿下や貴様らの将に連絡し、獄門に下してもらうゆえ、覚悟しておれッ!」
「阿呆」
 俺は一々相手をするのが面倒で、相手の主張を一言で斬って捨てた。


 面倒そうな俺の言葉に、相手は顔を引きつらせた。
「な、なんだとッ?!」
「先刻からの貴様らの言、どこをとっても家臣の言葉ではない。守護の冨樫晴貞様に対する不義不忠、それだけ見ても明らかである。言うまでもないが、守護職は将軍殿下が任命された尊貴な御方。その方を蔑ろにするのは、将軍殿下を蔑ろにすることであり、晴貞様を辱めることは、将軍殿下を辱めること。貴様は忠孝を知らず、それをなした。罰されるべきはどちらかなど、誰が見ても明らかだろう。まして――」
 俺は視線を女性――冨樫晴貞に向けた。男たちの呼びかける声を聞いた時から、大体の構造は理解している。加賀は一向宗徒の国。守護が傀儡であることは予想がついていた。
 だが、さすがにここまで陰鬱な状況であるとは思っていなかったが。
「その守護様に危害を加えようとした以上、申し開きの余地があると思うな。将軍家より依頼を受け、日ノ本にあるべき秩序を取り戻すべく進軍する我らが、かような理不尽を前にして黙っていると思ってもらっては困る」


 その身で償え、と。そう告げる俺の姿を見る男たちの視線に、徐々に理解と恐怖の色がまざりはじめた。
 冨樫家の臣であるという立場は、これまで男たちにとって錦の御旗に等しいものであった。しかし、今、その強みが処罰される最大の理由となる。
 何よりも決定的だったのが、晴貞の存在をこちらに知られていることである。晴貞がいなければ、どれも知らぬ存ぜぬで押し通すことも出来ただろうが、晴貞に対する態度を知られてしまった以上、それも不可能である。
 眼前の冨樫の家臣たちの姿を見ながら、俺はこれから赴く城の実情を改めて思い知り、小さくため息を吐いた。
 越後では出会う人皆、美点を持った人たちばかりであり、こういう感情を抱くことはあまりなかったのだが、この加賀の国ではそうはいかないようだ。
 そのことが、はっきりと確信できたゆえの、ため息であった。



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