本間有泰は、居城を包囲する上杉軍の陣容を見下ろし、深いため息を吐いた。
有泰の視界に映る上杉軍は、その厳正な軍紀を示すように、規律正しく動き回り、こちらを侮る声一つあげない。
一族の貞兼がほとんどの兵を連れて城を出てから数日。残った兵たちも次々と城から逃亡離散しており、今や雑太城の兵力は百程度しかなかった。城から逃げ出し、その足で上杉軍の陣地に駆け込んだ者も少なくないであろうから、城内に兵がほとんどいないことは、すでに上杉軍の将兵も承知していよう。
目前に勝ち戦を控え、にも関わらず粛然とした陣容を崩さない上杉軍の精強さを、有泰はため息なしに見つめることはできなかったのである。
「……まさしく精鋭。本間家では勝ちを得られる筈もなかったか」
一族の貞兼は、最悪の場合、有泰に罪を着せ、佐渡における本間氏の命脈を保とうと画策している様子だったが、有泰はすでに本間の家の命運が絶たれたことを承知していた。
今回、先手先手と踏み込んできた上杉の動きから、佐渡の内情はかなり深部まで上杉方に漏れていたことは明らかである。その一事こそが、佐渡支配を目論む上杉の内心を如実に示している。有泰はそう考えていた。
元々、佐渡の金鉱脈はどの勢力にとっても垂涎の的である。上杉が動くのも、ある意味で当然のこと。それゆえに本間家は慎重に動かねばならなかったのだが……
「今さら言っても詮無きことか」
有泰はそう呟き、そして眼下の敵陣から馬を歩ませてくる者の姿に気がついた。
その人物に目を向けた有泰は、目を瞠る。
そして、すぐに近づいてくる者が何者であるかを知った。
戦場にあって、寸鉄帯びぬその姿は、今や佐渡の軍勢にとっても畏敬の対象となりつつある人物――天城颯馬のものであった。
◆◆
「和睦、ですか?」
眼前の雑太城主、本間有泰は、俺の目には白髪の目立つ初老の人物に映ったが、段蔵によればまだ五十歳に達していない年齢だという。
一族の本間貞兼、左馬助という有力者の傀儡とされていたという話はすでに聞き知っていたが、よほどに心労の積もる生活だったのだろうと思われた。
その有泰は、俺の持ち出した書状を見て、意外そうに目を瞠っている。俺のことを、降伏ないし切腹を求める使者であると考えていたのだろう。
もちろん、和睦といっても戦はほぼこちらの勝利に終わりつつあるのだから、頂くものは頂く。これが景虎様であれば、おそらく有泰を復権させ、以後上杉家に忠誠を尽くすよう言い諭して、佐渡から兵を退いただろうが、俺も、そしてこの方面の責任者である政景様も、景虎様よりは欲深いのだ。というか、景虎様ほど無欲な武将なんぞ、日本中捜しても、精々一人二人しか見つからないだろう。
それはさておき、上杉軍の要求として突きつけたのは、言うまでも無く佐渡の鉱脈である。発掘中の鉱山はもちろん、鉱脈があると思われる場所は余さず上杉の直轄領とする。そして、金を運ぶ道として国府川下流にある真野港の割譲を求めた。
代わりに雑太城はもちろん、すでに上杉軍が占領している赤泊、羽茂の南部一帯は本間氏に返還する。今、政景様と朝信が河原田勢に追撃をかけているから、間もなくそちらの決着もつくだろう。首尾よく河原田城を陥としたとしても、それも本間家に返還することを確約する。
その条件を聞き、有泰は思わず、という感じで疑問を口にした。
「それがしどもにとっては有難い寛大な条件でござるが、何ゆえにこのような和睦を持ちかけなさるのか。このまま河原田城を陥落させれば、佐渡全域が上杉の旗の下になびくは火を見るより明らかでござろう」
「――そして、佐渡奪還を目論む本間家の残党によって、例年のように謀反が起きることになるわけです。鎌倉以来数百年、佐渡を統治してきた本間家の影響力は、おそらくこちらが考える以上のものがあるでしょうから」
今回、こちらに協力してくれた藍原正弦や、その同志たちも、貞兼や左馬助の横暴に対しては刃を向けたが、本間家の支配そのものを否定していたわけではない。
おそらく、佐渡の国人衆や武士、あるいは農民たちを含めて、そういった心境は共通のものではないかと俺は考えたのである。
もちろん、それだけが佐渡の大部分を本間家に戻す理由ではない。俺が政景様たちに説いた主な理由は、上杉が佐渡全域を直轄地にしようとした場合、相応の資金と人材を佐渡につぎ込まねばならず、正直、そんな力を割く余裕は、今の上杉家にはまだない、ということであった。
本間家に佐渡の統治を委ねれば、戦の後始末も、今後の統治に関しても、言葉は悪いが、有泰らに責任をおしつけられる。その分、早くに兵を越後に戻すことも出来るだろう。もちろん、有泰の統治が固まるまでは幾らかの兵を残しておかねばならないから、全軍を引き上げるというわけにはいかないだろうが。
表面的に見れば、上杉家が今回の戦で得るのは鉱脈と港だけで、農地も城も物にできていない。だが、佐渡金山の利益は、今後の上杉家にとって必要不可欠なものである。今回の戦で上杉家が支払った人と物の犠牲が報われることは疑いない。
ついでに言えば、惣領である有泰殿を傀儡に仕立て上げていた二人を討ったといえば、国内にも国外にも聞こえが良いし、景虎様の掲げる天道にも沿う行いとなるだろう。
まあ、代わりに金山掠め取ったと言われると一言もないので、そこは小ずるい交渉を行う俺だった。
「ただし、この案を通すには条件があります」
「……ふむ、察するに、鉱脈と真野の港は、こちらから上杉家に献上するという形をとる、ということですかな」
「――話が早くて助かります。金蔵を引き渡す形となった有泰様は、佐渡各地から非難されることになりましょうが……」
「ここまでの大敗、一族郎党皆殺しにされることさえ有り得たのです。本間の名跡を残すどころか、所領のほとんどを返還して下さる上杉家の恩情を思えば、その程度の非難、顧慮するにも及ばぬでしょう」
あっさりと頷く有泰に、俺は少し拍子抜けしていた。正直、もっと強硬に反対されるかと思っていたのだ。そう来られたら、現在の戦の優勢を盾に押し通すつもりだったが、有泰本人がそう口にしてくれたことは上杉家にとっても有難いことである。
今後の佐渡各地の鉱山開発や金採掘に際し、本間家の協力は様々な意味で不可欠であり、その領主が物の分かった人であるに越したことはないのである。
だが、さすがは佐渡一国を統べる本間家の惣領というべきか。
有泰はただこちらの言い分をのむだけの人物ではなかった。
「代わりに、というわけではありませぬが、こちらからも一つ要望を申し上げてもよろしいか?」
「はい、それはもちろんですが……」
はて、何のことだろう、と首をひねった俺に、有泰は思いがけないことを言ってきた。
「河原田城の貞兼と左馬助。あの二人の命を、救ってやっていただきたい。そして、かなうならば、元の城に返してやっていただけまいか」
「……なんと仰る?」
俺は思わず相手の顔を、穴のあくほどじっと見つめてしまった。
命を救う程度ならば、まだ同じ一族の者をあわれんで、とも考えられるが、二人を元の城に返せば、これまでと何ら変わらぬ状況が続くだけではないか。
言葉にするよりも雄弁にそう語る俺の眼差しを受け、有泰は穏やかに笑ってみせた。
「元来、あの者らは自身の智勇を誇り、佐渡を支配してきたのですが、此度の戦で、おのれが井の中の蛙であることを思い知ったことでしょう。ああ見えて、身の程はわきまえた者たちです。おそらく助命を確約してやれば、抗戦を思いとどまることでしょう。まして変わらず河原田城と羽茂城の支配を認めてやれば、城門を開くことに、ためらうことはありますまいて」
そう言う有泰の笑みに、俺はそれまでとは異なる奥深いものを感じ取る。
そして、その感覚は正しかった。続けて有泰はこう言ったのである。
「――さすれば、上杉軍が佐渡に居残り、あれらの残党の動きを警戒する必要もなくなるでしょう。定実様も、皆様の帰りを首を長くして待っておられましょうしな」
「……確かに、仰るとおりかと」
俺は小さく笑って頷いた。
信越国境のことを考えれば、この地の争いは一刻も早く終わらせたい。当初、佐渡の地に残す筈だった斎藤勢を対武田にまわせれば、思わぬ戦力増強となる。
そのあたりの機微を察し、早期に戦の決着をつけるべく条件を出した有泰に、俺は一家の惣領としての凄みを、はじめて総身で感じ取っていた。
上杉に対しては、早期の決着を持ちかけ、戦後の後始末一切を引き受けることで好意を得られる。それは同時に、上杉軍に佐渡の地から早々に退去してもらうことにも繋がる。上杉家が佐渡の地に残れば、やはりなにがしかの介入は避けられないであろうから、有泰は未然にそれを避けたとも考えられた。
貞兼、左馬助に対しては、今回の敗戦の責を問い、さらに助命の恩を着せることで優位に立てるという計算であろうか。
河原田城での戦いがなくなれば、敵味方双方の使者は大きく減じ、領主として佐渡の民を守ることにもつながる。しかも、戦での被害における補償や、それによって上杉家や、それに従う有泰に向けられる筈だった害意は未然に消滅する。
有泰の主張が、今の上杉軍にとって有難いことは確かである。だが、有泰がそこまで考えた上で、貞兼らの助命を口にしたのだとすれば――いや、仮定ではない。有泰は越後側が決着を急いでいることを察している。
この人物、侮れぬ。
やりようによっては、貞兼と左馬助を押さえ込んだ上で佐渡の地を専断し、再び上杉に叛くことさえ出来るのである。
そんな俺の危惧を見抜いたのか、有泰は皺深い顔に笑みを浮かべ、俺に提案をしてきた。
「河原田城への使いは、それがしが引き受け申そう」
「――ありがたいお言葉です。ただちに、政景様に許可をあおぎます」
自ら命の危険を冒すと口にする有泰に、俺は自身の疑いを恥じて、すぐさま立ち上がった。
すでに段蔵と軒猿に命じて、政景様と朝信の部隊を先導させている。急がないと、彼らのことだ。あっさりと貞兼たちを撃退し、河原田城を陥としてしまうことだろう。
この時ばかりは、貞兼と左馬助の逃げ足が早からんことを願う俺であった。
この日より十数日後。
本間家惣領、本間有泰並びに貞兼、左馬助らは、有泰の居城である雑太城にて、越後守護代長尾政景に対し、正式に降伏する。
降伏の条件は、向後上杉家に忠勤を尽くし、軍役、労役を果たすことであり、寸土の領土すら要求しない稀有なものであった。この案は本間氏や、佐渡の国人衆に大きな安堵を以って迎えられる。
本間有泰は、この席で上杉軍に対し、本間家が所有していた鉱脈と、国府川下流の真野港を割譲し、今回の戦における不始末の侘びと、今後の忠勤を誓う。これに不満を抱く者は少なくなかったが、上杉軍が稀有な恩情をもって佐渡に対した以上、これに異議を唱えれば、その上杉の恩情そのものが覆される可能性があるとあって、表立って反対を唱える者はいなかった。
雑太城の有泰の下には、藍原正弦をはじめ、今回の戦で上杉側に与した心ある将兵が集い、その勢力は散々な敗戦を経験した貞兼、左馬助を凌駕するものとなる。
これを見て、長尾政景は、これ以上の上杉軍の駐留は、かえって佐渡側の警戒と反発をまねくと判断。鉱脈と真野港の割譲については、武田との戦が終わってから細部を詰めることとし、当面のところは有泰に属するものとした上で、全軍を越後に戻す決定を下す。
かくて、上杉家の佐渡征討戦は、予期せぬ速さと結果をもって終結するに到る。
寸土も得られぬ勝利。この遠征をそう嘲笑う者たちは、この後、春日山上杉家が、目を瞠る勢いで勢力を拡大させていくことを未だ知らない。
人よりも、土地よりも、金を愛するか。そう上杉軍を蔑む者は、この後、上杉家の政治と軍事が急速に充実するその基に、その金が大きく寄与する事実に思い至っていない。
――後に多くの史家は断言する。
佐渡金山を得たこの遠征をもって、上杉家は戦国大名への道の一歩を踏み出したのだ、と。
◆◆
今日もまた、押し寄せる武田勢を押し返した。
もし、村上義清が日記をつけているとしたら、その一行が三十日以上の長きに渡って帳面を埋めたことであろう。
飯山城に押し寄せた武田勢五千は、文字通り、蟻のはいでる隙間もないほどの重厚な陣容をもって城を取り囲み、昼夜を問わず激しい攻撃を加え続けた。
この方面の武田軍の武将は内藤昌秀と春日虎綱である。
機動力に真価を発揮する風の将と、晴信に見出されながら、いまだ十全に実力を開花したとは言いがたい林の将。
城攻めには向かないと思われがちな二人だが、その包囲攻撃は城に立てこもった義清の軍勢を確実に追い詰めていった。
昌秀は城に押し寄せる部隊を大きく三つに分け、攻撃を加える部隊、それを援護する部隊、そして休息をとる部隊を交互に入れ替え、村上勢に息つく暇を与えない。視界が悪く、道も狭い山間の城攻めである。味方同士で部隊を交代することさえ容易ではなかったが、風の将はこういった速さにも長じており、兵力展開をほとんど混乱なく繰り返し、村上勢を驚嘆させた。
一方の虎綱は、金堀衆を用いて敵の水源を絶ち、周辺の木々を切り取って内藤隊の展開を助け、城内に矢文を送って降伏を促すなど、打てる手を手抜かりなく打ち続けた。
これは時に内藤勢の猛攻にまさる効果を発揮し、村上勢を苦しめることになる。
だが、義清と、義清の率いる五百の信濃勢は、この武田軍の攻勢に耐え続け、未だ城門を破られてはいなかった。
その奮戦は、武田の二将さえ称賛せずにはいられないもので、昌秀などはかつて義清を越後に逃がしたことを半ば本気で後悔したほどである。
とはいえ、それは逆に言えば、敵を称賛できるほどに武田軍には余裕があったということでもある。
なるほど、確かに義清らの奮戦は目覚しいものがある。水を絶って十日以上経つにも関わらず、未だ城兵の戦意が衰えないところをみると、そちらの備えもしてあるのだろう。
だが、どれだけ敵が抗おうと、彼我の兵力差は圧倒的である。昼夜を分かたず攻め続けているため、城兵の体力、気力もそろそろ限界に達するに違いない。
何より、篭城策の前提条件である外からの援軍がいつまでも到着しないことで、城内の士気は大きく揺れ動いていた。そのことを、慧敏な二将は察していたのである。
「……遅い! 景虎殿はいつになったら旭山城に攻めかかるのだ!」
義清配下の将の一人楽巌寺雅方(がくがんじ まさかた)が、苛立たしげに床を叩く。
義清配下の精鋭の一人として、村上家のみならず、他国にも名を知られた男であったが、さすがに一ヶ月以上もの間、敵軍の攻撃に晒され続け、苛立ちを押さえることが出来ない様子だった。
軍議の席についた者の多くが、雅方に同調して、動きの遅い上杉勢に非難の矛先を向ける。
作戦通りならば、今頃、背後を衝かれた武田勢はとうに退却している筈。しかるに、飯山城を攻囲する武田軍は退く気配さえ見せていないのだから、諸将がいらだつのも無理のないことであった。
「義清様、もしや我らは上杉にたばか――」
謀られた、と口にしようとした雅方だったが、義清のたしなめる眼差しに気付き、慌てて口を閉じた。
一ヶ月に渡る防戦で、義清とて疲弊しているだろう。否、大将である義清こそが、もっとも心身に疲労を抱えている筈である。
にも関わらず、義清は常の静けさを崩さず、軍議の席においても取り乱した様子など欠片も見せぬ。
その切れ長の目でじっと見つめられれば、義清の美貌をある程度見慣れている直臣たちでさえ、息をのんで見とれてしまう。そして、そんな当主に苛立ちをぶつけようとした自分を恥じるのであった。
「私たちの役割は、この城を保ちつづけることです。確かに上杉の軍略に齟齬が生じたのは間違いないでしょうが、その役割が変更されたわけではない。それに、あまり口にしたくはないけれど、武田に裏をかかれるのは初めてのことではないでしょう。この程度の苦難で、国も城も、領土も失って助けを求めた私たちを、暖かく迎え入れてくれた越後を責めるような真似をすれば、私たちの方こそ恩知らずと罵られてしまうでしょう」
「……その通りでございますな。由無いことを口にしました。お許しくださいませ」
雅方は、義清の言葉に粛然と頭を下げた。
義清はそれに頷いてみせたが、すぐに言葉を紡ぎ、部下の心が自嘲に流れないように配慮を示した。
「此度の戦は私たちの旧領奪回が目的であることを忘れないようにしなさい。武田は私たちの敵であり、上杉は私たちの味方。その上で、いかにすれば武田に勝てるのかを問うのが軍議の目的ですから」
「御意にございます」
雅方はより深く頭を垂れ、他の諸将はそれにならった。
この時、義清は自身の言葉に、内心で頭を振っていた。
はっきりいって、ここから態勢を挽回し、武田軍を追い払うことなぞ出来る筈がないのである。勇将として名高い義清ではあるが、ここまで追い詰めれた戦をひっくり返す策など想像も出来ない。
それでも、総大将がそんな弱気を見せることは許されぬ。
こんなとき、冷たく取り澄ましているように見える自分の容姿は便利なもの、と義清はこっそりと呟いていた。
配下にも、領民にも、そしてかつて信濃国人衆を率いていたときには、各地の城主からも、賛嘆された自身の美貌に対し、義清はその程度の評価しかしていなかったのである。
何の実りもないままに軍議を終わらせた義清は、城壁の上に立って、暮れなずむ夕焼け空を見つめていた。
間もなく夜襲組の武田軍が攻めかかってくる頃合である。敵が部隊を入れ替えるために要する、ほんのわずかな時間を利用して、義清は城の外に思いを馳せた。
後詰である景虎が、義清ら信濃勢を見捨てるような人物ではないことは疑いない。その上で未だ援軍が到着していないということは、つまり。
「晴信に先手を打たれたということですね」
かすかに面差しを伏せ、自身の悪い予感が的中してしまったことを、義清は改めて確信する。
武将としては細心で、時に慎重居士とさえ称し得る晴信のこと、一度動いたのならば、はっきりと勝算を立てた上でのことに違いない。
いかに景虎とはいえ、武田の重厚な陣容を打ち破ることは容易ではあるまい。一度兵を発した武田の強さと粘りは、誰よりも義清が思い知らされている。
こちらに五千近い兵が攻め寄せている以上、景虎に向かったのは最低でも五千以上、おそらくは万に近い数であろう。景虎の三千では、武田軍を打ち破るどころか、逆に越後に踏み込まれないようにするのが精一杯か。
そう考えれば、いまだに攻め寄せる武田軍が、退く気配さえ見せずに戦い続けていることも納得できる。後顧の憂いがないのならば、それが当然であろう。
このままでは、景虎は敗れ、この城は落ちる。それは避けられない結末であろう。このままならば。
だが、と義清は周囲の山並みに視線を向けた。
すでに秋が色濃く感じられる色合いに染まった信濃の天険を見て、義清は最後に残った勝算に全てを賭ける。
義清がこの城に立てこもって一ヶ月以上。すでに収穫の時期は到来している。
当然、春日山城では収穫を終えた後、大規模な動員をかけて大軍を徴集している筈である。
景虎が戦線を保つことが出来ているのならば、その援軍を得た上で、逆襲に転じる心算に違いない。そうすれば、この城を取り囲む武田軍も必ず動く。
その時こそが、義清にとって、眼前の戦に勝利する唯一無二の勝機であろうと思われた。
そこまで考えた時、ふと、義清の耳に鳥の鳴き声が響いた。
何の鳥かはわからないが、おそらく番なのだろう。夕焼け空の広がる城の上空を仲良く飛び回った後、ゆっくりと飯山城の山麓に下りていく。
――その光景を見た義清の眼差しに、不意に鋭い光がよぎった。
その光を消さないままに、武田の旗指物が乱立する山麓に視線を据える。静かな――鳥が舞い降りるほどに静かな、その陣容。
「……しまったッ」
思わず、義清の口から呻きがもれる。思えば、神速を誇る内藤勢が、未だに攻め寄せてきていないではないか。
常の義清であれば、敵陣の兵気を見過ごすなどありえぬが、やはり長きに渡る篭城に心身が疲労していたのかもしれない。
「雅方」
「は、どうなさいました、義清様?」
「武田が兵を退いた」
「な、なんですとッ?!」
義清の言葉に、雅方は慌てたように視線を麓に向ける。
確かに妙に静かな気はするが、と雅方は首を傾げた。義清ほどの戦術眼を持たない雅方には、義清ほど確たる断言はできかねた。
しかし、これまで義清がこの種の言葉を発し、誤ったことはない。それを知る雅方は口を開き、追撃の可否を問う。
「追いまするか? 先刻まで戦っていたのです、さほど遠くへは行っておりますまい。ただ、こちらの兵の疲労が気がかりですが」
その雅方の言葉に、義清は小さく頷いた。
「そうだな。それに内藤であれば、こちらを誘き寄せ、迂回して城への帰路を絶つことも出来るだろう。ゆえに、雅方はここで様子を見よ。私は馬廻り衆を率いて、追撃をかける」
あっさりと言う義清に、雅方はとんでもないとばかりに、大仰に首を左右に振った。
「なりませんッ! それでは役割が逆でございましょう。先刻の義清様のお言葉を借りれば、此度の目的は旧領奪回、そして将は義清様で、我らはその臣です。危険を冒すは我らの役目でござろう」
「……む」
雅方の言葉に、義清はわずかに言いよどんだ。
内藤、春日の退却は偽りではないと、義清の武将としての勘は告げている。いつもであればそれに従う義清だが、ついさきほど、その勘が鈍ったことを自覚したばかりとあって、雅方の進言にも理を感じてしまったのである。
だが、義清の逡巡はそこで終わった。
「も、申し上げますッ! 麓より騎馬が一騎、近づいております。掲げるのは――上杉の旗?!」
戸惑いを隠せない報告が届けられたからである。
見れば、たしかに城門に向かって疾駆する騎馬が義清の眼にも映っていた。背負うのは上杉の旗印、これも間違いない。
「何事?」
思わず呟く義清。
武田軍の急な退却と、ほとんど時を同じく到着した上杉の使者。
その意味するものがわからなかった義清は、足早に城壁を降り、城門に向かう。わからないのであれば、やってくる使者に訊ねれば良い。
吉報か、それとも凶報か。
(あるいは、そのどちらも内包するか)
そんなことを考えながら使者を迎えた義清は、使者の口から語られた事実に、つかの間、声を失うことになる。村上義清ともあろう者が、一瞬とはいえ忘我の状態になるほどに、その知らせは意外なものであった。
すなわち、使者はこう告げたのである。
武田、上杉両軍の和睦成立。
京洛よりの使者の名は細川藤孝様、同幽斎様。
仲介された方の御名は、足利幕府第十三代将軍、足利義輝様――