日本海に接する越後から南に下ると、山緑深き信濃の国にたどりつく。
信濃は国土こそ大きいものの、山並みが幾重にも重なり、複雑な地形を形作っており、その天険を利して幾人もの小領主が覇を競っている状態であった。
信濃の領主としては、北信濃の村上氏、高梨氏、南信濃の小笠原氏、木曽氏らの名が知られていたが、いずれも群小の勢力の中で相対的に優位を保っているに過ぎず、信濃全土を統べるだけの器量才幹を有する者は、長く現れなかったのである。
だが、近年、長きにわたって不変であった信濃の勢力図に、大きな変化が起こりつつあった。
それは、戦乱の世にあって他国の有為転変を横目で眺めながら、それでも地の利を信じて、安穏と胡坐をかいていた信濃の国人衆にとっては予期せぬ事態であったろう。
変化の源は、信濃の南東に位置する甲斐の国。
代々、この地の守護職を務める甲斐武田氏は、新羅三郎義光を祖とする清和源氏の嫡流にあたる由緒正しき武門の家柄である。
そして、現在、その甲斐武田氏を率いる者の名を、武田晴信という。
晴信は、まだ齢二〇に満たぬ年若き女性の身ながら、卓越した政戦両略の持ち主であり、圧政をしいていた父・信虎を追放して守護職につくや、たちまちのうちに領内を掌握する。そして、晴信、信虎の抗争を好機として攻め込んできた信濃の諏訪氏、小笠原氏の連合軍を、甲斐国内に誘い込んだ後、その退路を封鎖し、連合軍を殲滅するや、時をおかずに信濃に侵攻の矛先を向ける。
当主と、軍の主力を失っていた諏訪氏は、この武田の侵攻になす術なく屈服する。父・信虎が念願としていた信濃進出をいとも容易くなしとげた晴信は、さらに余勢をかって小笠原氏の居城・林城へ侵攻、これをも陥落させる。
信濃守護職である小笠原家当主長時は、かろうじて城からの脱出に成功するも、従う家臣もなく、一人、北信濃の村上氏を頼って落ち延びねばならなかった。
かりそめにも、一国の守護職である小笠原氏の居城に侵攻した武田の暴挙に対し、信濃のほとんどの国人衆は憤激し、同時に武田のあまりに鮮やかな勝いぶりに脅威を覚える。
その怒りと怯えが、村上氏を中心とした信濃国人衆の団結へとつながり、ここに信濃の地を巡る甲斐武田氏と、連合した信濃の国人衆との戦いが幕を開けることになったのである。
だが、その戦いはあっさりと勝敗がついてしまう。信濃側の完敗という形で。
元々、武田氏は強兵で知られている。くわえて、当主の晴信の武威は信濃の山野で安穏としていた者たちが、容易に対抗しえるものではなかった。
武田軍は、信濃の国人衆の必死の抵抗を、虎が卵を踏み砕くが如く粉砕し、次々にその領土を広げていく。
当初、南北両信への侵攻を行っていた武田軍であったが、南信濃の木曽氏が晴信に降伏したことにより、その戦力を北へ集中させることが可能となった。
それまで、押されながらも、かろうじて武田軍の侵攻を食い止めてきた村上、高梨らの信濃連合軍は、圧力を増した武田軍の猛攻の前に敗北を重ね、ついには盟主である村上義清の居城である葛尾城さえ武田軍の掌中に帰してしまう。
当主義清はかろうじて城から逃れ、残兵を率いて北へ北へと転戦している最中であったが、その滅亡は時間の問題であると思われた。
その村上軍を、ゆっくりと、しかし着実に追い詰めつつあるのは、当主武田晴信自らが率いる一万二千の大軍である。
晴信は、今回の出陣によって、信濃を巡る村上氏らとの攻防に終止符を打つ心算であり、その晴信の決意を示すかのように、軍中には、武田家の文武の精髄ともいうべき武将たちが勢ぞろいしていた。
◆◆
「――そうですか。義清は旭山城へ篭りましたか」
報告を聞き、武田晴信は手に持った軍配を小さく揺らした。
その晴信の眼前で、志願して物見に赴いた人物がかしこまって告げる。
「御意にございます。敵勢の内訳は騎馬二百、徒歩三千。されど武士は一人もなしと見受けました。御館様、なにとぞ、私めに先鋒をお命じ下さいませ。信濃の腑抜けどもに、武田の武威を、そして我が六文銭の恐怖を知らしめてやりとう存じます」
そういって跪く女性の名は真田幸村。当主である晴信ほどではないにせよ、若く、小柄な体躯の持ち主である。外見だけを見れば、この可憐な少女が戦場で槍働きなど出来る筈がないと多くの者が言うであろう。
しかし。
地獄の渡し賃たる六文銭の旗印を高々と掲げながら、この少女が戦場を駆ける時、敵味方全ての将兵は、そこに迅雷の輝きを目の当たりにする。長大な槍を縦横無尽に振り回し、幸村が敵陣に突っ込むや、周囲にはたちまち鮮血の雨が降り注ぐ。その勇猛な戦ぶりは、智将、猛将が列座する武田家にあって、なお畏敬の対象となりえるものであった。
武田家の象徴ともいうべき言葉、風林火山。しかし、この場にいる将は六名である。その理由は、元となった孫氏の兵法書を読むことで明らかとなる。
「疾きこと風の如く、静かなること林の如く、侵掠すること火の如く、知りがたきこと陰の如く、動かざること山の如く、動くこと雷霆(らいてい)の如し」
すなわち、この場の六名が体現するは風林火陰山雷。
そして、真田幸村こそ雷の将として、武田家の武を象徴する将の一人なのである。
そして、この場にはもう一人、先陣を駆けて不敗を誇る猛将がいる。
「あいや、待たれよ。先鋒は武人の栄誉、いかに真田殿とて、そう易々と譲って差し上げるわけには参らぬ」
精悍な目鼻立ちが印象的な人物が、幸村の請願に待ったをかける。
町を歩けば、娘たちが黄色い歓声をあげるであろうこの人物、名を馬場美濃守信春という。武田家にあって、火の名を与えられた猛将であり、常に兵士の先頭に立って敵中に突撃する勇敢さから「不死身の鬼美濃」とも渾名される。
武田家の先手大将といえば、真田か馬場か、というのが通例であり、負けん気の強い幸村とは犬猿の仲――と思われがちだが、実のところ、この二人、毎度のように先鋒を争っているにも関わらず、あまり険悪な間柄というわけではなかった。
二人が互いの武を認め合っている、ということもあるのだが、最たる理由はそこではなかった。
「しかし、信春よ。おぬし、良いかげん、その兜、なんとかならぬのか?」
そう口にしたのは、それまで黙して幸村の報告に聞き入っていた壮年の男性である。
山県三郎兵衛昌景。その性、沈着冷静にして、およそ物に動じるということがなく、「不動」の名を冠する武将である。つかさどるのは、当然のように山の一文字。
武田家の武将の首座に位置する宿将から指摘をうけ、信春は恐縮したように頭を下げた。
「お目汚しとなるのであれば、申し訳ございませぬ。しかし、それがし、この兜こそ、武田騎馬軍団の魂を象徴するものと自負しておりますッ!!」
そう叫ぶ信春の背後に、一瞬、燃え盛る炎が見えたのは、信春の気迫のなせる業であったのか。
その信春がかぶるのは、兜といいつつ、一見したところ、馬の首から上を剥製にした代物にしか見えぬ。
もし、この場に越後のとある人物がいれば、その者はこう問いかけたであろう。
「着ぐるみですか、それ?」と。
「わ、私は、良いと思いますけど。その兜をかぶって戦場を駆ける、馬場様のお姿、すごいと思います」
どこかおどおどとした様子で口を開いたのは、春日虎綱である。
元々、晴信の近習の一人であったのだが、その才能を愛でた晴信の引き立てもあって、武田家の武将の頂点にまで昇りつめた逸材である。だが、本人はそれを分不相応なものと感じているようで、その発言や行動も控えめであり、時に消極的ですらあった。
静林の将と目されているが、現在のところ、それは皮肉な意味で虎綱に相応しいものとなっているのである。
「では、春日殿も馬場殿にならって、同じ兜をつけられたら如何かな」
幸村がそっけない口調で言い放つ。
同姓の将とはいえ、虎綱の消極的な態度と、おどおどとした話し振りは、幸村にとって相手の評価を下げるに十分なことであるらしい。その口調には先達である虎綱への礼儀や敬意といったものは感じられなった。
くわえて言えば、幸村が信春に対し、敵愾心を抱かない理由もここにある。要するに、馬の着ぐるみを着た男と真面目に言い争い、同程度の人物だと周囲に思われてしまうのを避けているのである。
幸村が心底から尊敬しているのは、武田晴信ただ一人。山県や、他の諸将に対しても、時に敬意を欠く幸村であった。
「ふふ、真田殿、春日殿をあまり困らせるものではありませんよ」
幸村の言葉に、顔を真っ赤にして俯いてしまった虎綱に助け舟を出したのは、内藤昌秀。
風をつかさどる神速の用兵家である。本人もそれを誇りとしており、戦場にあっても鎧甲冑を身に着けず、風のような機動力で相手を撹乱する戦を得意とする。また、その機動力を活かし、長距離を駆け抜けて相手に奇襲をかける手際も水際立ったものであった。
昌秀は内政にも手堅い手腕を有し、そちらの方面では優れた力量を発揮する虎綱とは良好な仲を保っている。もっとも、それはあくまで同僚としてのもので、男女間のそれではない。昌秀が興味を持つのは、自分のみであった。
「それは失礼、かような戯言を真に受けられるとは思いませんでしたので」
昌秀の軽い咎めに対しても、幸村は心のこもらない謝罪をしたのみである。
もっとも、幸村の不遜な物言いに対して、昌秀らは気色ばむ様子もない。幸村のこの態度は、今に始まったことではないのである。
そんな周囲の空気も知らぬげに、幸村は再度、主君への請願を試みようとする。
「御館様――」
「幸村、仮にそなたに先鋒を委ねたとしましょう。城に篭った敵に対し、そなたはどう戦うつもりですか?」
晴信の問いに、幸村は勇んで応える。
「無論、城に篭りし臆病者どもなどおそるるに足りません。取り囲んで強硬に揉みたて、数日を経ずして城を陥としてご覧にいれましょう」
その言葉に、晴信は小さく首を横に振る。
「若いですね、幸村。勝敗が定まった戦で、城攻めを行い、あえて味方を傷つける理由がどこにありますか。将とはただ敵を殲滅すれば良いというものではない。味方を生かし、敵を活かす方法を模索することを忘れてはなりません」
「は、はい、申し訳ありません」
主の言葉に、幸村は愧色を浮かべて平伏した。
だがそれは、晴信の言葉を噛み砕いて理解した、というよりは、ただ晴信に自分の考えを否定されたという一事のみしか見ずに行ったものであると、他の諸将には感じられた。
ここで昌景が口を開いた。
幸村へ向けたものではなく、この場でただ一人、未だ口を開いていない者への呼びかけのためである。
「勘助、お主はどう考える?」
「……そうさな」
深い思慮を感じさせる、重々しい声を発したのは、山本勘助晴幸。
昌景と同じく、先代から武田家に仕えた古参の将であり、文武、いずれの方面においても優れた手腕を有している。だが、普段は軍議の場でも積極的に発言しようとせず、諸将の話の行く末を見据えているのが常であった。
誤った結論に達しそうであれば、二言三言、話し合いに口を出し、路線を変更させる。当然、その功績は目立たないが、武田家のこれまでの発展の多くが、その勘助の思慮によって支えられていることは、当主である晴信自身を含め、多くの者が認めるところであった。
陰の武将として、これ以上の適任はあるまいと思える人物、それが山本勘助なのである。
勘助の戦における取り組み方は、完勝はかえって禍根を残すと考え、六分、よくて七分の勝ちを理想とする。当然ながら、幸村のように直情的な将とは考え方が合わないのが常であり、ここでもほどほどで退却すべしとの意見が出されるかと思われた。
しかし。
「御館様のお考え、まことにごもっとも。しかし、それがし、此度に限っては真田殿の提案に賛成いたす。ここは多少の犠牲を覚悟してでも、旭山城を陥落させるべきかと」
予期せぬ勘助の発言に、昌景の眉が動き、他の諸将も驚きをあらわにする。それは当の幸村も同様であった。幸村は、またいつものように、勘助がはきつかぬ結論を口にするものとばかり思っていたのである。
晴信もまた、わずかに訝しげに目を細めたが、すぐに勘助の意中を察したようであった。
その口が開かれ、勘助の発言の裏にあるものを、みなに見やすいように光の中へと持ち出す。
「城を包囲すれば、犠牲少なくして勝ちを拾いえる。だが、それでは不都合が生じるということですね――越後に放った諜者からの報告、届いたのですか?」
「御意、つい先刻、届きましてございます」
勘助の言葉に、昌景が呆れたように口を開く。
「ならば早く申せばよかろうに」
「申し訳ござらん。いささか予想外の報告であったので、真偽を確認していたのでござる」
そういって勘助が手を掲げると、それに応えるように陣営の上から鳥が飛び込んできた。鳥は恐れる風もなく、勘助の掲げた手に止まる。その足には、小さな文が結ばれていた。
勘助はその文にざっと目を通すと、晴信の前にかしこまり、報告を行う。
「越後における争乱、はや静まったとのことでございます。春日山において、守護上杉定実の下に越後の国人衆が集い、越後は新しい統治体制の下、すでに動き始めておる由」
「――ほう」
勘助の報告を聞き、晴信の目に鋭い光がはしった。
「し、しかし、越後は今、二つに分かれて争い合っていた筈では……?」
虎綱が心もとない様子で、首を傾げる。幾人かの将が、虎綱に同意するように頷いた。
北信濃の国人衆の中には、越後と深い関わりを持つ者も少なくない。旭山に篭る将の一人である高梨氏などは、春日山長尾家と縁戚関係にある。それゆえ、北信を巡る抗争に、越後が介入してくる可能性は少なくないと考えられていたのである。
それゆえ、武田家はかなり早い段階から越後に諜者を放っており、当然、今回の越後における内乱の発生もすでに察知していた。
今回、晴信が一万を越える大動員を行ったのは、越後の内乱に乗じ、一挙に信濃の領有権を固めてしまおうという思惑が含まれていたのである。
もっとも、高梨と長尾家の間柄であれば、おそらくすでに援軍を求める使者は、幾度も春日山に達していた筈である。それでも春日山が動かなかったのは、長尾家にそれだけの余裕がなかったからか、あるいは高梨家の求めに応じるつもりが最初からなかったのか、いずれかであろうと思われた。
そして、そのいずれであっても、武田家にとっては好都合。越後が動かないということは、最早、武田の信濃攻略を防ぎえる勢力はどこにも存在しないことを意味するからである。
それでもなお、慎重を期して、万を越える軍勢を動員するあたりに、晴信の用兵家としての細心さを見て取ることが出来た。
万端の準備を整えて北信濃に侵攻を開始した武田軍の下に、越後国内の争いの激化が伝えられたのは先日のこと。守護代長尾晴景と、その妹景虎の争いは越後を二分する規模に発展し、どちらが勝とうとも、しばらくは他国に手を出す余力は残らないと考えられていた。
だが。
その越後の内乱が、はや終わってしまったと勘助は口にする。一体、何事が起こったのか。
「勘助、説明なさい」
「御意。報告によりますれば――」
勘助の口から語られる越後国内の争いの顛末。
戦とは、互いの兵力を正面からぶつけあうことと信じる者たちが多数を占める中で、越後で繰り広げられたそれは、明らかに毛色が違っていた。少なくとも、この場にいる者たちはそれを感じ取ることが出来たのである。
「ほう、まるで唐の戦でも聞くようだな。越後守護代の長尾晴景、暗愚との噂があったが、爪を隠した鷹であったのか」
昌景があごの髭を撫でながら、感心したように言う。
「私としては、山越えで春日山城に達した長尾景虎殿の用兵に関心がありますね。神速の名をかけて、競ってみたいものです」
昌秀はくすりと微笑んだが、その目には意外に真剣な輝きが宿っていた。
さらに勘助の説明は続く。
中でも諸将を驚かせたのが、新たな越後の統治体制の首座に座った者の名が出た時であった。
越後守護上杉定実。そして越後守護代長尾政景。
たまりかねたように、幸村が口を開く。
「しかし、長尾晴景の居城を陥とし、その晴景が病で倒れたというのなら、妹の景虎とやらが新たな守護代として越後を支配するのが当然でしょう。何故、ここで実権を失った守護がしゃしゃり出てくるのですか? あまつさえ、守護代の地位さえ他者に譲るとは」
その質問に、勘助が低い声で答える。
「いずれも景虎自らが出馬を請うたらしゅうござる。若年の身をはばかったのか、あるいはこれ以上、守護代の地位をめぐる争いが長引かぬようにとの思慮か。いずれにせよ、実質的な勝者である景虎が、勝者の権利を手放し、なおかつ一歩も二歩も引き下がった為に、他の国人衆も口を封じられた形で、上杉定実殿の復権を認めざるをえなかった由。この行いにより、景虎の越後での声望はいやが上にも高まっておるようで、その人望は越後の朝野を覆いつくす勢いだとか」
勘助の報告に、晴信は薄い笑みを浮かべた。だが、それは心温まる類のものではなく、見る者に刃物の煌きを感じさせるものであった。
「守護代の名より、国民の声望という実を取りましたか。計算の上か、あるいはただの律義者か。前者であれば、この晴信の遊戯相手くらいは務まりそうですが、そこはどう見ます、勘助?」
「おそらくは後者かと」
主君の問いに、勘助はあっさりと言い切った。
「景虎は元々神仏に信仰厚く、みずからを毘沙門天に重ねている由。その性向は、濁りなき清流の如し。配下の将兵、越後の国民、みな景虎を指して軍神と称え、その性情に心服する者は数え切れぬとのこと」
与板の直江、琵琶島の宇佐美、栃尾の本庄らが心魂を傾けてこれを補佐しており、今回の戦の勝利によって、表面上はどうあれ、景虎の権威はほぼ確立されたと見て間違いない。それが勘助の意見であった。
晴信はゆっくりと頷く。
「そうですか。ただの律儀者であれば、損得を考えず、信濃の国人衆に加担しかねませんね」
「御意。旭山の信濃勢に、越後の兵が加わるとなると、少しばかり厄介でござる。旭山以南の支配権を固める意味でも、ここは信濃の地に、もう一楔うっておくべきと存ずる」
勘助の言葉に、武田の誇る精鋭たちの首が一斉に縦に振られた。
元々、戦って負けを知らぬ武田軍にあって、先頭を駆け続ける武将たちである。普段の性向の違いはあれど、必要な時、必要な場所で発揮する資質の高さは、信濃の国人衆の追随を許すものではなかった。
晴信はそんな家臣たちを頼もしげに見渡す。
晴信と、その父信虎が甲斐の主権をかけて争った、いわゆる『躑躅ヶ崎の乱』において、晴信は重臣であり守り役でもあった板垣信方、昌景の兄である飯富虎昌、軍略の師であった甘利虎泰、夜叉美濃と他国にまで武名を轟かせた原虎胤らの宿将たちをことごとく失うに至る。
このほかにも、父、娘いずれに付いたかを問わず、武田家は数多くの有能な家臣を失い、その人的資源は壊滅的ともいえる打撃を受けた。武田家の歴史に血文字を以って記される悪夢にも似た出来事、それが躑躅ヶ崎の乱なのである。
その躑躅ヶ崎の乱から、まだ数年しか経っていない。
にも関わらず、これだけの将をそろえた晴信の眼力、度量、人材収拾に費やした熱意、いずれも見事としか言いようがなかったであろう。
その誇るべき家臣たちを前に、武田家第十九代当主は、涼やかな声で命令を発する。
「馬場信春、真田幸村。二人は先鋒となって旭山城に到る道を確保、しかる後、我が本隊の到着を待って総攻めを行いなさい。幸村、抜け駆けはなりませんよ」
「はッ!」
「承知いたしました!」
「山県昌景、春日虎綱。昌景は右翼、虎綱は左翼を指揮し、旭山城を取り囲みなさい。馬場、真田の両隊が攻撃を開始するのを合図に、二人も城攻めに加わるのです」
「承知」
「か、かしこまりました」
「勘助は私と共に本営の指揮をとりなさい」
「御意のままに……」
「内藤昌秀。そちは直属の部隊を率いて、敵の退路を扼しなさい。前方と左右から攻め立てれば、敵が後ろに退くは必定。逃走する敵をことごとく討ち取るのです」
「御意、我が神速の用兵をもってすれば、容易いことでございます」
昌秀の言葉に、晴信は小さく頷いて見せた。
「期待していますよ。ただし――」
「は?」
「誰でも良い、敵将一人は見逃しなさい」
その晴信の言葉に対する反応は二つに分かれた。
意味を解しかねて怪訝な顔をする者。その深慮を悟り、しずかに頷く者。
晴信はさらに言葉を続けた。
「景虎とやらが勘助の言うとおりの人柄であれば、助けを求める者の頼みをむげにすることはないでしょう。であれば、必ずやこの信濃に兵を発する筈。我らと越後はいささかの怨恨もない。その我らに兵を向けるは、越後勢の侵略にほかならず、近い将来、越後に兵を入れるための良い口実となるでしょう」
かつて、躑躅ヶ崎の乱で信濃勢の侵攻を誘った時のように、とは口に出さぬ。
だが、ここまで語れば、晴信の意図は六将には明らかであった。
無論、かつて甲斐に侵入した信濃勢と、今回、信濃の国主らの復権を志す景虎の侵入は同じ視点では語れない。だが、戦の名分など形だけのもので十分なのだ。勝利と、その後の支配を間違えなければ、正義など後からいくらでもついてくるのだから。
武田家の諸将は、自分たちの主君の視線が、信濃にとどまらず、すでに遠く越後まで視野に入れていることを悟り、畏敬の念も新たに、等しく頭を垂れる。
ここに、真紅の騎馬帝に率いられた武田軍団は、信濃統一に向けた最後の戦いに踏み出すことになるのである。
――それは、信濃の国が武田の四つ割菱によって埋め尽くされる前日のこと。
その馬蹄の轟きは、遠からず、隣国の越後に届くことになるであろうと思われた。
◆◆
天頂に浮かぶ満月の光が、春日山の山野を黄金色に染める時刻。
俺は中庭の縁石に腰を下ろし、一人、酒盃を傾けていた。
この時代では、俺は立派な成人年齢なので、誰に咎められることもない。正直、酒はあまり好きではないのだが、このままだと気が昂ぶって寝られそうもなかったのだ。
その原因は言うまでもなく、晴景様亡き後、越後の国中を覆った大騒動であった。
越後守護代・長尾晴景、逝去。
その知らせは、ただちに越後全土に伝えられた。
越後の覇権を巡って争っていた当事者の一方の死は、味方はもちろん、敵の立場であった者たちにも強い衝撃を与えた。
米山、北条城で対峙していた両軍は騒然とした空気に包まれたが、景虎様と、一応は主将の立場にある俺と、双方からの休戦命令を受け、互いに刀をひくこととなった。
彼ら国人衆は、その兵力のほとんどを所領に帰すと、自身は馬廻りを引き連れて春日山城へと向かった。
越後守護・上杉定実の名によって発された召集令に応じる為である。
そして布告される上杉定実の復権と、坂戸城の長尾政景の守護代就任。
これには、生々しい焼け跡を残す春日山城の大広間に集った者たち、誰一人として声も出ず、大広間はしわぶきの音一つない静寂に包まれた。
それも仕方のないことであろう。誰もが勝者である景虎様の守護代就任を予想していたであろうから。
あるいは慧眼の持ち主なら、景虎様の性格から推して、上杉定実の復権は予測していたかもしれない。だが、たとえそうであったとしても、長尾政景の守護代就任は誰にとっても予想外であっただろう。
実際、誰よりも早くその旨を告げられた当の政景さえ、坂戸城でしばしの間、茫然自失となったと、後に笑いながら話してくれたくらいだったのだ。
万人を驚愕させたであろうこの人事、実のところ、責任のほとんどは俺にある。
というのも、政景を守護代に、という案はもとをたどれば、俺が晴景様に勧めたものだからである。
景虎様との戦いを有利に運ぶため、俺は晴景様に頼んで、晴景様亡き後、守護代職を政景に譲るという誓紙を書いてもらい、それを用いて坂戸城を味方に引っ張り込んだ。
今思えば、晴景様に対して何という提案をしてしまったかと後悔の臍を噛む思いである。だが、あの時は晴景様の病のことに気がついておらず、また景虎様に打ち勝つためには、何としても坂戸城を中心とした南越後の豪族の協力が必要だったとしか言いようがない。
無論、これは晴景様側と坂戸城側との誓約であり、今や実質上の越後国主となった景虎様にとっては顧慮する必要のないものである。
だが、晴景様が逝去されてから、上杉の御館様の御前で行われた会議の席で、俺の口からこのことを聞いた景虎様は、迷う素振りも見せず、守護代職に政景を推したのである。
これには俺の方が驚いた。
正直なところ、俺は今回の戦で、勝敗がどちらに転ぼうと命を失うであろうと思っていたので、今後のことについてはほとんど考えが及んでいなかった。
だが、晴景様の最後の言葉を聞き、それに頷いた以上、果たすべき責務は山のように眼前に積もっている。そして、今後の越後のことを考えれば、まず最初に考慮すべきが坂戸城の扱いであることは明らかであった。
虚実定かならぬ戦乱の世、同盟、盟約が破られるのはめずらしいことではない。だが、誓紙をもって取り交わした約定を破棄すれば、その者の名誉は著しく損なわれる。まして、それが俺のものであればともかく、今は亡き主の名誉が汚されるとあれば、万難を排してでもその事態を回避しなければならぬ。
そのために、単身、坂戸城に乗り込んで、事をわけて説得するか、あるいは別の手段をとるか。
そんな風に考えていた俺にとって、景虎様の反応は完全に予想外だったのである。
だが、俺の当惑とは裏腹に、政景の守護代就任はあっさりと受け容れられてしまった。当然のように兼続あたりからは、かなり露骨に文句を言われたのだが、それでも最終的には兼続も政景の就任に賛成した。
これは、無論、景虎様が守護代に就いた場合、坂戸城がそれに従わない可能性が大である為である。これ以上、越後国内における争乱を長引かせたくないのは、定実様、景虎様ともに共通の願いであった。
それに、元々、房長・政景父子の力量には定評がある。二人が定実様の下に参じれば、南越後の豪族らもそれに追随するであろうし、政景には守護代の地位を担うだけの才略もあるであろう。越後の地から戦の火種を一掃するために最適な人事という面で見れば、政景の守護代任命は至当であるといえた。
しかし、さすがにこれでは景虎様があまりにも報われない。
百歩ゆずって景虎様自身は良いとしても、景虎様に従った家臣、国人、将兵らにとっては我慢ならないことであろう。勝った筈の自分たちが何一つ得られず、敗れた筈の側に、栄誉と地位が与えられるのであるから。
だが、俺がそのことを気にすると、兼続はふっと鼻で笑っていった。
「見損なうな。景虎様はじめ我ら栃尾勢は、金や領土のために戦をしたわけではない。越後の地が平穏であれるのならば、手柄などいくらでもくれてやる。無論、将兵には相応の褒賞を与えなければならないが、その程度の財貨は栃尾城の府庫に蓄えてあるゆえ、お前が気にすることではない」
その兼続の言葉に、景虎様と定満も当然のような顔をして頷くものだから、俺は片手で顔を覆ってため息を吐いてしまった。
なんというか、出来た人たちだ。俺のせいで守護代へと到る雄飛の道が閉ざされたというのに、その視線には越後の平和しか映っていないと見える。
彼女らの傍にいると、自分の卑小さがしみじみと感じられて、いたたまれない気持ちになってしまうほどであった。
ともあれ、逡巡している暇はなかった。
時が経過すれば、他にも野心を抱く者が出てきてしまうかもしれない。かりそめであっても、当面の支配体制を固める必要があったのである。
かくて、上杉定実の復権と、長尾政景の守護代就任が越後全土に布告されるに到る。
無論、それだけで越後がなべて平和になるわけではない。
戦は、始めるのは簡単だが、終わらせることは難しい。まして、禍根を残さぬようにという条件をつければ、その煩雑さは戦をしている時の比ではなかった。
その一つ一つを描写すると、やたら分厚い報告書が完成してしまうので割愛する。
ただ、この嵐のような作業のお陰で、俺自身、晴景様の死に打ちのめされる暇がなかったという事実は挙げておくべきかもしれない。
悲しみはいまだ胸を去らないが、それでも立ち止まっている暇はない。晴景様に後を託された身として、衆目になさけない姿を晒すわけにはいかないのである。
くわえて、俺の失態の尻拭いをする形になった景虎様たちへの手前もある。それゆえ、俺は寸暇も惜しんで戦後処理にあたり、今日、ようやくそれに一応の区切りをつけることが出来たのである。
「さて、これからどうなることか」
なめるように杯に口をつけながら、俺はひとりごちる。
今現在、春日山城には、守護上杉定実、守護代長尾政景、栃尾城主長尾景虎の三名の有力者たちが集っている。
これは今回の混乱を最小限に抑えるためにも必要だからであったが、やがて春日山城主を誰にするかが問題となってくるだろう。一旦、火事にあった建物は危険だと訴える者たちもおり、あるいは越後の中枢が、春日山から他に移される可能性もないわけではない。
考えるほどに、俺が越後の地に与えてしまった影響の大きさを自覚してしまい、知らずため息が口をついて出た。
すると。
「天城殿、か?」
そんな涼やかな声が、俺の耳朶を振るわせた。
見れば、俺と同じように酒盃を提げた人物が一人、こちらに向かってちかづいてくる。
「これは、景虎様」
俺は慌てて立ち上がると、丁寧に頭を下げた。
晴景様の遺言により、俺は景虎様の配下に加わった。だが、景虎様は姉の配下であった俺に配慮をしてくれているのか、天城殿と丁寧に呼びかけてくれる。
その待遇も、配下というよりは客将のようで、行動や発言の裁量も、かなりの部分、俺の手に委ねられている。はっきりいって、破格の扱いであった。
「今宵の月は、いつにもまして見事だな。天城殿もそうは思わないか?」
「は、さよう、ですか?」
月など見てもいなかった俺は、景虎様の言葉に促されるように夜空を仰ぎ見て。
そして。
「うわぁ………」
思わず、子供のような感嘆の声をもらしていた。
景虎様の言うとおり、夜空に浮かぶ月と、そしてその月を囲むように散らばる銀鎖の星々が、信じがたいほどに空を満たしていた。
夜空というのは、本当はこんなにも輝いているものなのかと思わせる、圧倒的な光景。
思えば、この世界に来てから、まともに星を見ることなどほとんどなかったような気がする。今だとて、景虎様に会わねば、ため息を吐いて地面を見つめることしかしていなかっただろう。
声もなく空に見入る俺と、その横に腰掛ける景虎様。
俺は無礼があってはならないと、場所を移ろうとしたが、景虎様は軽く手をあげ、それには及ばないと無言で制した。
戸惑いながらも、再び縁石に腰を下ろす俺。さすがに主君の真横で平然と酒を口にするほど豪胆ではなく、景虎様も口を開かないので、あたりには静寂が満ちていく。
居心地が悪いわけではなかったが、この雰囲気をどうしたものかと首を捻った時、やや唐突に、景虎様が口を開いた。
「天城殿」
その声に応じて隣を見れば、どこか困ったような顔で、俺を見つめる景虎様の姿があった。
「は、何か?」
「うむ、その、だな……一つ頼みがある」
そう言うと、景虎様はぽつりと呟くように言った。
姉上のことを聞かせてくれまいか、と。
聞けば、景虎様は晴景様の日常の起居のことをほとんど知らないらしい。
幼少の頃、林泉寺に預けられて以来、共に暮らすこともなかったから、当然といえば当然の話である。
ほんの一時ではあったが、ようやく触れ合えた姉のことを良く知りたいと願うのも、妹としては当然の話であるかもしれない。
ためらいがちであるのは、主君を失ったばかりの俺の心情をかき乱してしまうのではないか、と配慮してくださっているのだろう。
俺に否やはなかったが。
「は、はい、それはかまいません、が……」
返答は、困惑した、はきつかないものになってしまう。
理由は――まあ、率直にいって、ろくなことが言えないからである。
晴景様は、俺にとっては命の恩人であり、また様々な意味で力量を買ってくれた主君だが、常の仕事ぶりに関しては、惰弱、暗君という世間の評判を肯定するものばかりであった。正直に口にして良いものかどうか。
かといって、おためごかしを口にしても、景虎様のことだ、即座に見抜いてしまうだろう。
その困惑に気づいたのか、景虎様は俺にむかって頷いてみせる。
「私に気を遣わず、正直に教えてほしい。今更私がそれを知って、何ができるというわけでもないが、ただ、傍にいた天城殿の目から見て、姉上がどのような人物であったのかを知っておきたいのだ」
妹として。後を継ぐ者として。
その真摯な眼差しに見つめられては、謝絶など出来る筈もない。
「――承知いたしました。私が晴景様に拾われてからのことしか話せませんが」
そう断ってから、俺はゆっくりと口を開いた。
食い入るように俺の話に聞き入る景虎様の様子は、どこか子供っぽささえ感じてしまうくらい、一心不乱であった。
繰り返すが、俺の知る晴景様の日常や仕事ぶりは、正直、褒められたものではなかった。今思えば、それも病に犯された身と、内心の懊悩を抱えてのことだとわかるのだが、だからといって越後の国民に多大な負担を強いた政事を肯定できる筈もない。俺たち家臣の不甲斐なさも手伝って、春日山の乱れた政治は、ついに糾されることなく終わってしまった。
よって、俺の話はかなりの部分、晴景様と自身への非難ともとれる内容になってしまったのだが、景虎様はただ無心に聞き入り、一度も言葉を差し挟むことはしなかったのである。
およそ半刻も語り続けたであろうか。
俺が語るべきことを語り終えるのを待っていたかのように、中庭に第三者の声が響きわたった。
「景虎様、ここにいらっしゃったのですか。お部屋におられないので案じておりました」
「兼続か。すまない、心配をかけたようだな」
姿を現したのは直江兼続であった。
兼続は、景虎様の横に俺が座っているのを見ると、む、という感じで眉をしかめた。それを見て、俺はあさっての方向に視線をそらせつつ、ぽりぽりとこめかみを掻く。
「私はお前のことが嫌いだ」と断言された初めての対面からこちら、どうもこの人には苦手意識が働いてしまう。
とはいえ、苦手なだけで、憎しみや嫌悪を抱いているわけではない。むしろ、一途に景虎様に忠誠を捧げる兼続の姿には、尊敬の念さえ覚えているくらいである。
だが、それも一方的なもののようで――
「天城殿もいたのか。早く寝ないと、明日の仕事に差し支えるぞ。貴殿の分はたっぷりと用意してあるゆえな」
いっそさわやかなくらいの笑みで退場を促す兼続を見て、俺は苦笑せざるをえなかった。
とはいえ、兼続の言うとおり、夜も大分ふけてきた。今なら部屋に戻っても眠れないということはないだろう。
俺は縁石から腰をあげると、景虎様に向けて口を開く。
「では、景虎様。無礼な言い様があったかもしれませんが、私がお話できることはこのくらいです。お役に立てたでしょうか」
「ああ、ありがとう。姉上のこと、多少なりともわかることが出来たように思う」
そっと胸の上に手を置いた景虎様は、そう言った後、感心したように俺の方を見て、言葉を続けた。
「天城殿は話をするのが上手だな。手に取るように情景が伝わってくる。姉上のお伽衆であったのも、その能を愛でられてのことだったのか?」
「さて、どちらかといえば、いかに晴景様の勘気に触れずに願意を伝えるべきかの研鑽を積んだお陰であるように思います」
その言葉を聞いた景虎様は、一瞬、笑うべきかどうか悩んだようであったが、すぐに微笑を浮かべて、俺を見た。
「そうか。もしよければ、いずれ、姉上のこと以外の話も聞かせてくれ」
景虎様の言葉に、俺はかしこまって頭を下げる。
「私の拙い話をご所望であれば、いつなりとお聞かせいたしますよ」
俺はそう言ってから、小さく笑った。
「さて、そろそろ直江殿の顔が恐ろしくなってきましたので、私は失礼させていただきます」
「うむ、兼続を怒らせると大変だからな。それが賢明だろう」
「な、何が賢明だというのですか、景虎様! 天城殿も、私をだしにするのはやめてもらおうッ!」
がー、と気炎を吐く兼続を見て、俺と景虎様はくすりと微笑み合った。
それを見て、さらに声を高める兼続。
夜の春日山城に起きた時ならぬ騒ぎを、空の星月が、興味深そうに見守っていた……
◆◆
これより数日後。春日山城に一頭の早馬が駆け込んでくる。
それは、武田の侵攻により、信濃の国人衆が壊滅の憂き目にあったとの知らせであった。
さらに早馬は、越後と信濃の国境に、少数の護衛に守られた村上義清があらわれ、春日山への道案内を願っていることをあわせて伝えてきた。
――信濃の地を巡り、武田、長尾の両軍が激突する刻は、すぐそこまで迫りつつあったのである。